フィリピーナと共に
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2019年05月24日

南国気質は手強い

 マレーシアのあるセミナーで教えられた。
「緑は進め、赤は止まれ、で、黄色は急げだ」
 黄色は急げ、でみんなの笑いが起こったから、それは冗談である。
 しかし、子供の頃から青信号とすり込まれた自分にとって、交通信号の一つを緑と呼ぶのは未だ慣れない。
 例えば「信号が青だよ」とボケっとしているドライバーに言うものなら、たちどころに指摘される。
「青って何? え? 信号? 緑でしょ?」 
 そこでじっと信号機を見つめてみると、確かに色は緑色だ。しかしすり込まれた習慣は抜けず、緑色が青に思えてきて、青色ってどんな色だっけ? となる。
 どうして日本は、信号色の一つを青と教えるのだろうか? 実際に日本の信号機の色は、青だったのだろうか?
 これまでの長い人生でさんざん見てきたはずの物なのに、こうして振り返ってみると記憶は曖昧だ。
 四国のある企業が青色ダイオードをこの世に送り出し、信号機のダイオード化が進んでいる。ダイオードの青は、紛れもない青だ。すると、これまで青と教えてきた信号が緑ではまずいから、国は教えてきたことに実態を合わせようと懸命になっているだろうか。それともやっぱり、日本の信号機の色は元々青だったのか。長く日本を離れているせいで、どうにもはっきり思い出せない。
 もしそれが元々青ならば、どうして海外の信号機の青は緑色なのだろう。ちなみにこちらでは、日本で言う青を緑と教える。まあ青でも緑でも、実際の信号機に直面すればすぐに意味が分かるから実害はないけれど。
 海外の交通事情は日本と随分異なる。マレーシアで交差点の信号は、四方向の一つ一つが青に切り替わっていく。つまり、向かい側が青になり、次に右側が青になり、その次に左側が青になり、ようやく自分の側が青になる。交差点で青は一方向しかないから、右折でも自分の行く手を妨害する直進車両はない。そこは便利でも、順次切り替わる方式のため、赤信号の時間がじれったいほど長い。そのために、信号渋滞が出来やすくなる。
 ここでキングオブザロードのバイクは、信号の色を気にしない。突然色弱を装う。それでも死にたくはないようで、赤信号に当たれば周囲を見回しているが、どこにも車がいなければ無視して突き進む。周囲の確認行為に見落としがあれば、あるいは進行してくる車の速度目測を誤れば、当然接触事故となり痛い目に遭う。
 そんなことが目の前で起こっても、キングオブザロードであるバイクドライバーは学習しない。学習する気もない。赤も黄色と同様、その意味は“急げ”である。
 他人が事故るのはそのドライバーが間抜けなせいで、自分に限っては問題ないと信じ切っている。おそらく死ぬまで、それを信じて疑わない。
 せっかくだから、ここで周囲の人がどんな運転をするかを披露すると、こんな感じだ。
 左折したいときには、自分が三車線や四車線道路で一番右を走っていようとも左折する。
 理由は単純で、左折したいから。
 これは車もバイクも同じだ。交差点手前で突然自分の目の前に車が右斜め後ろから割り込み、こちらが驚いてブレーキを踏んでいる間に、割り込み車両は悠々と左折していく。最初は酷いやつがいるものだと思ったけれど、結構みんなが酷いやつだった。
 渋滞になるとこちらの人は、一台でも多くの車を抜いて前に進もうとする。自然と渋滞の中で、車の車線変更が多くなる。しかしここでは、渋滞で詰まる車の間を時速八十キロくらいの速度でバイクがすり抜けていくのだ。それも予測不能なくらい頻繁に、車の前後左右を。前後というのは、バイクも車線を変えようとするのだ。
 そんな状況下で車が頻繁に車線変更を繰り返すと、もちろんときどきバイクと車が接触し、いくらキングと呼ばれる存在であっても軽量級のバイクが負ける。車線変更で斜めになった車の側面に人間魚雷のように突っ込むのもあれば、速度のついたバイクの側面を車に当てられ、コントロールを失ったそれは左右に大きく揺さぶられて違う車に突っ込むということもある。
 バイクドライバーは次の瞬間、予期せぬ空中散歩を強いられる。その後地面に叩きつけられて、すぐに起き上がる人もいれば、アスファルト上で大の字になり、瞬きをしない目で虚ろに空を見る人も出てくる。人の命のあっけなさを不思議に思う一瞬だ。今までロードレーサーさながらの豪快な運転をしていたのに、次の瞬間にはあの世に召されている。誰にも想像できないほど簡単に。もちろん本人は、想像どころか後悔さえできない。
 おばさんライダーは、路上で痛いところを押さえ、ひと目をはばからず大泣きしたりする。道路の真ん中に座り込むのは危ないから、とにかくどいてくれと言いたくなるのもしばしばだ。
 そんなに泣くなら、最初から無謀な運転をしなけりゃいいのに。そう思うけれど、南国の人はシリアスな予測も想像も苦手なようだ。楽観的思考、希望的観測は大得意なのに。
 渋滞中、ちょっと携帯をながめて前の車が進んだのに気付かないでいると、たちどころにクラクションを鳴らされる。それだけならよいが、渋滞にも関わらず前の車両との間に車一台分にも満たない車間距離を開けるだけで、ヘッドライトのパッシングを浴びせられる。それを無視すると、後続車は狭い路肩で追い越し、強引にこちらの前に割り込んでくる。そうなると、どうせ渋滞で進まないのになぜ待てないのだろうと、腹が立つ前に不思議が先行する。
 南国の人は時間にルーズな割にせっかちなところがあり、特に何か買いたいものや行きたいところについて考え出すと、悠長な性格が反転して全く待てなくなったりする。そんな特性とこの運転は、どこかで関連しているのかもしれない。
 とにかくここの運転でびびるのは、朝夕のバイクの多さだ。それのほとんどが、無法者のキングオブザロード。最初はそれらに囲まれて車を運転するのが苦痛だったけれど、今は随分慣れてしまった。バイクも車に当たるのは嫌だから、こちらから相手に分かるように迫っていくと、向こうが逃げてくれるのが分かったからだ。
 ただしたまに、バックミラーに激しく当たり、それも気にせず逃げていくバイクが多いのは少し問題だ。ここでは車を買えない人がバイクに乗るという傾向があり、そんな人たちは自分たちと考え方が少し違うようだ。
 とにかく他人に当たりたくない相手が逃げるのは分かったけれど、自分のマレーシアでの運転ポリシーは、できるだけ車線変更をしない、である。支障がない限り、ひたすら真っ直ぐ進む。真っ直ぐ進む運転で、ボーッとしていると曲がらなければならない場所で曲がり損ねる失敗もたまにあるが、ここで運転して数年、おかげで未だに無事故となっている。(追突されたのは二度)
 できるだけ進路変更しない運転は、今のところ功を奏しているが、ふと、自分の人生ではどうだったかを考えてみると、実はまるで真っ直ぐ進んでいないではないか、ということに気付く。
 天の邪鬼的気質に気分屋で、そんな性質が関係するかどうかは知らないけれど、現状に飽きると、つい変化を求めてしまう。
 おかげで事故多発。周囲の人にも迷惑をかけながら、自らも多くの苦難に見舞われた。
 もっとも、自分の苦難は自業自得である。それに過去、キングオブザロードにように自分だけは大丈夫、などと考えていたわけではないし、この先だってどうなるかはさっぱり分かっていない。希望的観測は、一切持っていないのだ。どちらかというと最近は、気付けばいつでもリスクマネージメントに傾いている。
 人生も車線変更はそろそろ控えたいと思っているし、紆余曲折な事態に突入する気力も失われつつある。できれば穏やかな心境で、残りの人生を過ごしたいというのが本音だ。おかげで自分は、さっぱり冒険できない体質に変わりつつある。
 現在の生活は、その意味で落ち着いているのかもしれない。しかしいかんせん、先が長過ぎる。一番下の子を考えると、あと十五年は頑張らなければならないのだ。生きているかどうかも分からない年月、今のように、いや、様々なことが衰えることを考えれば、今以上に歯を食いしばって頑張る必要がある。果たして自分はそんな過酷な余生に耐えられるだろうかと心配になるくらい、先を悲観している。
 もし子供がいなければ、もっと気楽に物事を決められるかもしれないし、まだ車線変更を繰り返しているのかもしれない。
 しかし、フィリピーナ妻と三人の子供たちがふれあう様子を見ていると、子供たちがいることに心から感謝したい気持ちになる。
 食べさせなければならないし、我儘もきいてあげなければならない。携帯やパソコンを買ってやらねばならず、旅行は飛行機代が五人分かかる。それでも子どもたちの存在に感謝の念を抱くのが不思議になるけれど、自分も妻も子供に囲まれ癒やされているのだ。もし自分がポックリいっても、妻に心の支えがあることは安心材料の一つでもある。
 どこかのカードコマーシャルが言ったように、世の中お金で買えない価値がある、ということなのかもしれない。
 日本の信号の色は思い出せないが、昔のコマーシャルが言った 、カード会社のキャッチコピーがやけに身にしみる、昨今のマレーシアライフである。
 そのマレーシアライフでストレスといえば、日々繰り広げられる、仕事上の南国気質との闘いだ。地元エンジニアにレポートを要求しそれが届くと、顎のちょうつがいが外れるのではと思うくらい、開いた口がふさがらない。
 技術レポートなのに、報告はメール文章のみ。内容は、こんなことをやって、結果問題なし、というもの。
「うん、めでたしめでたしだね……、なんて言うと思う?」
 相手のエンジニアが、キョトンとする。問題なしなのに、何が悪いの? という顔だ。
 彼らは元々、レポートを残すという習慣がない。
 会社は給料を払っているのに、これでは技術の蓄積などまるでできないではないか、などと偉そうなことを考えているのではない。自分が日本のお客さんへ報告できないのだ。そんな報告を右から左へ通過させてしまうものなら、自分も南国気質化してしまった日本人と、途端に白い目を向けられる。
「技術レポートに説明は要らない。見れば全てが分かるデータが付いていれば、それで十分」
 これまで何度も言ってきたことだ。しかし、三歩歩けば全てを忘れる南国気質。毎回同じことでバトルが繰り広げられる。
「データは記録してません」
「メモも取ってない?」
「はい。全てはここです」
 人差し指を頭につけて、憎めない笑顔を振りまくエンジニア。
(やはり……)
「結果に自信があるなら、データを作れ。覚えてるんだろう?」
 普通なら、え? という反応となるはずが、ラッキーと言いたげな顔で、すぐにやるという返事が返ってくる。
 これで自分も立派な共犯者。そして自己嫌悪のため息。
 もちろん怪しげで危ない内容であれば、自分が実験室に行ってエンジニアと一緒にデータを取るか、エンジニアが忙しければ自分一人でそれをやる。終って机に戻ると、忙しいと言ったエンジニアはとっくに帰宅済みということは普通中の普通で、そうなると、別の意味でのため息をつくことになる。
 エンジニアの仕事は、とにかく精度が悪い。直感で仕事をするのが得意で、いつでも楽観的思考、希望的観測に基づく直感は、常に自らを楽な方へと導く。必要なデータ取りや確認を省き、「その可能性はないので確認の必要はありません」みたいなことを断言する。
 お前は預言者かと、喉まで出かかった言葉を飲み込み、「見ていないのに、どうして分かるのか?」と尋ねる。
 そこで顎を引いて、うっと言葉を詰まらせてくれたら可愛気もあるが、「分かりきっているのに時間をかけて調べるのは時間の無駄です」などと言われる。
 今度こそ本当に、お前は預言者かと言いたくなる。
 時間を無駄に使うのが、こちらの人は本当に嫌いなのだ。それが本当に無駄ならば、それは良いことだと思う。
 この押し問答こそが、自分にとっては時間の無駄なんだよ、という言葉を飲み込み、一から説明するか、それが面倒になれば、とにかくやってみてくれとお願い口調で伝える。決して命令口調で言ってはならない。
 時間を無駄に使うことを極端に嫌う彼らは、いつでも仲間同士でおしゃべりしながらのティータイムを、長時間楽しむ。自分たちの有意義な時間が会社にとって大きな無駄であることに、彼らの考えは決して及ばない。
 仕事の精度は悪いが、スピード感はある。これだ! と一旦決めると、あっという間に物事が進む。ただし、検討や確認すべき内容は大幅に省略されているが。それでも経験則が通用する場合、幸運にも問題がないこともある。成功率は、大体半分くらいである。
 この半分くらいの成功体験が、時間が経てば成功率百パーセントの体験になるのが南国気質の特徴だ。
 先日アストロという、多チャンネル番組配信会社に一言言ってやろうと、鼻の穴を広げて事務所に殴り込みに行った。
「インターネットが遅すぎる。しかもぶつぶつ切れる。金を返してもらいたいくらいだ」
「インターネットは別会社ですよ」
 不細工な受け付け嬢が、しらっと答える。それが五年間もせっせと視聴料を支払い、会社の礎(いしずえ)となっている客への口のきき方か。その口は一体、どこについてるんだ。
 僕のこめかみを、一瞬電流が走る。
 内心は、『われぇー、なめとんのか、てめえの会社の営業がインターネットのセットプランが得だとほざいて契約したんじゃろうが』ってな具合であるが、根が紳士である自分は穏やかに言ってしまう。
「それは分かる。だけど僕のインターネットはおたくの会社を通して契約しているんだよ。どう考えても苦情の窓口はあなたたちでしょ?」
 結局こちらの契約ナンバーを伝え、その嬢がタブレットで僕の契約内容を確認し、何やらうんうんと頷いた。
「分かりました。あなたが契約した頃はまだ十メガスピードだったのですが、今は標準で百メガスピードをサポートしています。ただしあなたの使用しているルーターが古いので、それを交換しないと百メガスピードが出ません。ルーターを交換しますか?」
 おお、その気になれば話が分かるじゃない。
 もちろん、十メガより百メガがいいに決まっている。
「そりゃあ交換したいけど、どうすればいいの?」
 彼女は待ってましたとばかり、説明を始める。
「ルーターの交換は、二つの方法を選べます。一つはご自分で購入し、設置してから私共に申告して頂く方法。もう一つは私共から無料ルーターを提供し、設置から全てのサービスを提供させて頂く方法。これであればあなたの負担はありませんが、契約更新という扱いで、二年間契約継続義務が発生致します」
「つまり無料を選択したら、一年で契約を打ち切りたい場合、ペナルティを払わなければならないということ?」
 あなたは察しがいい、と言いたげな不細工な笑顔が僕に向けられた。
「はい、全くその通りでございます」
「で? もし一年で止めたら、そのペナルティはいくらになるの?」
 彼女は電卓を叩いて言った。
「千二百でございます」
 一応僕は確認する。
「米ドルじゃないよね?」
「もちろんリンギットでございます」
 なんか急に態度が丁寧になっているのを妙に感じながら、さっき一瞬だけ切れそうになって、自分の目が座ったのが効いたのだろうと思うことにした。
「そう……」
 頭の中で、会社と一年契約を更新したばかりであることが頭をよぎる。ペナルティは最悪ケースで千二百リンギット。(大体三万円二千円)
「僕の一存では決められないから、嫁さんに相談させて。また後で来る」
「どうぞどうぞ。しっかり相談して下さい」
 こんな成り行きで奥さんに相談すると、やはり南国気質の彼女の回答は予想通り。
「ただになるならお願いしようよ」
「でも、ギャンブルだよ」
「それはその時よ」
「うん、そうだね」
 脳が既に軟質化している自分は、簡単に同意した。将来の布石より、明日の食い物が大事である。僕はすぐにアストロへ戻り、新しいルーターの設置をお願いした。
 翌日、最近インターネットが遅いよねと普段からぼやく日本人に、少し胸を張り気味に、自分が百メガにアップデートしたことを報告した。
「月々の料金は据え置きらしいよ。契約縛りが二年ついちゃうけど、ルーターも無料だって」
「え? 今の最低速度は、元々百メガじゃなかったっけ?」
「そうなの? けれどルーターが古いと、百メガが出ないらしい」
 僕はパソコンのキーを叩いて、アストロのインターネットパックを調べてみる。
「僕はとっくにルーターを交換したけど、まだ遅いんだよねえ」
 そら耳だろうか、何か不穏なことを聞いた気がした。
 パソコン画面を見ると、確かに百メガプランが最低になっている。
「契約縛りが付くなら、新規契約と同じじゃないの? だったら新しく入り直した方が安いかもよ。なんか騙されてない?」
 確かにその通りである。百メガスピードという言葉に浮かれて、さっぱり気付かなかった。
 そういえば、彼女がカウンター奥にいる男性職員に僕の依頼内容を伝えるとき、彼女は指でピースを作って、これはオーケーと言ったのを思い出す。あれは、二年間縛りゲット! の意味ではないだろうか。
 少し腹が立ってくる。
 彼女は二十四時間以内に電話がいくから、そのときにルーター設置の日時を係と相談してくれと言った。しかし現在、四十八時間以上経過したのに、僕の電話は一向に鳴らない。おそらく九十六時間経っても電話はこないだろう。
 そんなことを考え出すと、虫の居所は益々悪くなってくる。
 もし次の休日まで何も音沙汰がなかったら、今度こそ殴り込みだ。
 日本人気質を思い切り前面に出し、百七十三時間と三十八分待っても電話がこないんだけど、一体どうなってるの? という具合に。
 僕の鼻息が、勝手に荒くなる。
 そこまでして手に入れた百メガスピードのインターネットが、実効で一メガ程度のパッチもんだったら、金属バットも持参しなければならない。
『なめとんのかぁ、おんどりゃあ』というセリフを吐いて、金属バットを振り回す。頭の中で、僕は髪を振り乱して暴れていた。
 そして翌日、僕は日本とマレーシアでとても有名な人になるのだ。
『マレーシアで日本人逮捕。動画配信会社のアストロ事務所で、金属バットを振り回す』
 僕の憤慨は想像の中で膨らみ、興奮がピークを迎える。
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:南国気質は手強い
2019年05月19日

日本はどこへ2

 今朝たまたまある方のブログを見たら、最新記事ではなかったが、労働法改正の件を記事にしていた。
 三六協定事項が法制化されるのを見逃していたという内容だ。
 実は日本の大企業では、企業コンプライアンスの名のもと、残業については既に管理が厳しくなっている。先日も日本へ帰任したある大手総合メーカーの方が自分のところへミーティングで来てくれたので、少し日本の様子を伺った。
 すると、やはり残業はし難い環境になっているそうで、水曜は定時退社日となり五時十五分、それ以外は遅くとも八時までには毎日帰宅するそうだ。
 かつては忙しければ十時や十二時の帰宅は当たり前であったが、随分職場の雰囲気が変わり始めている。これはその方一人の限定的な話ではなく、他の大会社でも概ね同じことが起きている。
 今朝見たブログでは、なぜか焦点を、残業が減れば手取りが減り生活が苦しくなるというところへ当てているように見受けられた。
 しかし、そもそも残業代を見込んだ生活自体が間違いであって、それは自分が働き出した二十年以上前から言われていたことである。特に残業代などと保証のない賃金を見込んで住宅ローンなどを組んでしまうのは自殺行為と言える。
 だから、残業の規制が法律により厳しくなる、よって生活がますます苦しくなる、政治は酷いという論法は間違いだろう。
 大企業の例を示せば、中小企業は現実的問題があり過ぎる、大企業と同じにはできないと反論されるかもしれないが、日本全体の労働環境を牽引しているのは間違いなく大企業である。大企業がやらないことを、中小企業は決して自ら改善しない。中小企業の賃金水準はまだまだ足りないかもしれないが、大企業が賃金を上げ、世間的な空気を作るから中小は上げたくない賃金を上げなければならなくなる。労働条件をできるだけ大企業に追従させなければ、人が集まらないからだ。企業が賃金を上げれば収益を圧迫し、それをどう補填するかの工夫が必要になる。それで企業体質が強化される。
 そのブログでは、基本給が安すぎるという点にも触れていた。
 確かに日本の賃金は、世界の中で見渡して、決して高いとは言えないような気もするが、それでは安いかと言えばそうでもない。それは、元々日本人の多くが夢を見過ぎ、自分たちの感覚的基準を押し上げてしまったせいであり、もし日本人がフィリピンに行けば赴任手当、出張手当、運転手付き車支給などを合わせ、まだまだ贅沢をできるのである。
 海外生活だって随分苦しくなっている、という意見は承知している。しかし、基準が元々高いのだから、そこと比較すればそう感じるのは当たり前だ。現実的に自分の現地給与は、自分が日本人というだけで、ローカルの何倍にもなっている。
 賃金の話をもう少し掘り下げてみると、マクロ的に見れば、日本の賃金水準は色々な意味で世界水準に近づいているのかもしれない。
 それでいて、日本の富裕者占有率は、アメリカ、中国に次いで世界三位であり、都市別で見ても東京や大阪、名古屋は名だたる有名都市と肩を並べている。
 つまりこれは、日本が今の世界の在り方に近づいているという見方ができる。格差社会になっているということだ。
 自分は極端な格差社会は嫌いだが、自由競争があり競争に勝てばそれに見合うインセンティブを得ることができる仕組みは基本的に賛成という立場だ。ただし限定的に、医療等の人の生命に関わることには、お金がない人もできるだけ平等に扱われるよう留意すべきという条件はあるが。
 その辺は、日本は世界の中で見れば随分手厚いのではないだろうか。
 生活保護はあるし、医療保険制度もある。お金がなくても何かあれば救急車に乗れるし、病院も担ぎ込まれた人の治療をすぐに始めてくれる。
 フィリピンやマレーシアでは、救急車は有料、病院の治療は支払いを確約する紙にサインをしなければ、きちんとした治療をしてくれない。いくら本人が死にそうでもだ。
 そういった世界の情勢と比べれば、日本はまだ恵まれていることが多い。それを悪用する人が多く出現するくらい、美味しい制度が多くある。
 そもそも議論は、残業が減ったら賃金が減り、生活がますます苦しくなるという点で行うべきではなく、かつて世界の中で高水準をキープしていた日本の賃金が、なぜこれほど堕落してしまったのか、そしてかつてのように夢を見ることのできる社会に戻すには、どうすればよいかという点で行うべきである。
 かつて小泉首相時代、改革の名のもと、流血も覚悟で随分不良債権を処理した。そのときに、不良債権処理の枠組みの中で、十分価値を生む物件が海外の出資者へ二束三文で流れてしまった経緯がある。それがなければ日本人の賃金は、今の三倍になっていたのではないかという興味深い試算があるのだ。おそらく、小泉さんの改革には利益を生んだものもあるのだろうが、そういった負の側面もある。
 そしてよく考えなければならないのは、企業が元気になれば日本は元気になるということで、政治の果たす役割部分がそこでどれほどのウエイトを占めるのか、よく考えなければならないことだ。
 政治が悪い、政治家が悪いと言いながら現状に甘えていれば、日本は決してよくなることはないと思われる。陽はまた昇ると楽観しそのときが来るのを待っていたら、陽は沈みっぱなしではないだろうか。
 日本の賃金が低くなったのは事実だけれど、生産性が上がらなければ当然の帰結と考えるべきだ。
 2017年の日本の労働生産性は、主要先進7カ国(G7) 中で最下位である。2017年だけではない。万年最下位なのだ。インターネットで調べれば、関連記事がたくさん出てくる。
 生産性は賃金の低さとも関係するが(鶏と卵の関係)、高品質の安売りが一つの大きな原因となっている。決して日本人の労働効率が低い、能力が低いという話と直結するものではない。しかしだからと言って、そんな指標の悪さを気にする必要はない、というのは大きな間違いだ。
 この指標の悪さは日本人の気質や企業のシステムと関連するが、世界で見ればITで成功を収めた会社が多く存在する地域の生産性が上がっている、というのが現実となっている。ITで効率的にお金を稼ぎ、社員に十分配分できているということだ。
 経団連のような組織は、この指標が今一つである原因がどこからやってくるのかをよく考え、大きな枠組みで上手に舵取りを行わなければならず、そうでなければ日本人の賃金は上がらない。
 残業という点に着目すれば、この生産性という数値は残業を減らすと上がっていく。つまり、残業を厳しく管理すると庶民の生活は苦しくなるのは感覚的に理解できるが、そこにメスを入れなければ生産性は上がらず賃金も上がらないというジレンマに陥る。実際日本は、数十年も残業や休日出勤を野放しにし、結果的に賃金が下がった。
 残業しない人はやる気がないと見られる風潮も問題で、要は残業の有り無しではなく、仕事のアウトプット評価が重要となる。
 休日出勤や残業を減らし、長期休暇を取りやすくする。そういった時間を、人生の楽しみや自分の能力向上、趣味などに当てる。できるだけ有意義な時間を増やし、働く意味や生きる意味の分かる社会にする。
 色々なもの、例えばパソコン使用や管理ツールが向上し生産性が上がるのであれば、日本も生産性を上げ賃金を上げることができるはずだ。それがなぜできないのか、よく考えるべきではないだろうか。
 例えば、最近とても強く感じることは、日本企業に会議が多いことだ。基本的に会議は付加価値を産まない。にも関わらず、会議が仕事になっている。会議には資料が必要で、それに費やす時間が多くなる。そこで時間的に圧迫されると、残業で実務をこなすことになる。付加価値を産まない時間は極力排除すべきだと思われるが、そうした環境に慣れた日本人は、会議が無くなれば何をしていいのか分からなくなる人も多いのではないだろうか。その時点で既に、日本企業(日本人)は病んでいると言える。
 さて、長い目で見れば、残業や休日出勤を無くし余暇を増やすことは、日本の生産性を阻害する根本的問題へメスを入れることに繋がるはずだ。
 仕事の意味を考え、人事評価方法を改善し、それらを意味のあるものする。経営者は、できるだけ社員に対する配分を増やす方法や道筋を考える。そして社員の収入が増えれば何が起こるのかを考える。目の前のことを考えるのではなく、もっと大局的に思考を巡らす必要がある。
 つまり社員に金銭的ゆとりが生まれたら、日本に何が起こるかだ。
 おそらく日本の中で金の巡りがよくなる。もしその金が海外ばかりに逃げるようであれば、これは日本の企業の責任であり、国内のサービスや商品を見直さなければならない。
 こんな風に内需を刺激しなければ、日本は全体的にまだまだ停滞するだろう。
 要はお金をできるだけ国内で回すことを考えるのだ。国内で好評なものは、海外でも売れる。だまっていても、海外の人が飛び付く。(ガラパゴス携帯のような、痛い例もあるけれど)お金を回すことで、各自の生んだ付加価値を効率的に共有できる。埋もれる付加価値が多いほど、全体の経済効率は落ちるからだ。
 その意味で、日本人の働き方への意識が変わりつつあるのは、意外に重要なことかもしれない。
 つまり、残業代が減ったら手取り収入が減る、それは酷い、という議論は筋違いでありナンセンスであると僕はここで言いたい。
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:日本はどこへ2
2019年05月09日

日本はどこへ

 どうやらマレーシアは、雨季に入ったようだ。連日雨が続いている。断続的な、集中豪雨のような雨だ。一旦それが始まると、車の運転席の視界は霧に包まれたかのように悪くなるし、屋内にいれば屋根を叩きつける凄まじい雨の音が聞こえ出す。加えて空気を震わせる雷鳴は、生身で外へ出るのに恐怖を感じるほどの迫力がある。
 これが連日のことになれば、それはまさしくこの地の風物詩なのだ。
 日曜日も、あいにく朝から雨だった。だからと言って、いつまでも布団の中でぐうたらできるわけではない。育ち盛りの子供がいれば朝食だって準備しなければならないし、市場に行って一週間分の食料も買い出ししなければならない。もっともそんな用事がなくても最近は、ゆっくり昼頃起きるなどという芸当はこなせなくなっている。前日十二時前に就寝すれば、早い時には朝五時頃に目が覚めてしまうからだ。寝るにも体力が必要だと言われるけれど、残念ながらその体力が、もはや自分には乏しくなっているのかもしれない。
 それにしても三人の子供を相手にしていると、どうして人間は食べなければいけないのかと、つくづくと思ってしまう。それぞれ食べたいもの、食べたい時間がばらばらで、各自の要求をそのまま聞いていると何かと忙しい。休日は自分が食事係を半分担っているから、朝は早起きする自分に自然と子供たちのご用命が集中する。とにかくみんな食欲旺盛で、市場やスーパーで買った、車から部屋に持ち込むのに一苦労も二苦労もする大量の食料品は、気付くとあっという間に消費されている。成長期の子供はたくさん食べた方が良いという持論の僕は、そのことを喜ばしいことだと思ってはいるが、それにしても細切れによく食うからこっちは忙しいのだ。そして子供が日々成長しているのをふとした拍子に確認するとき、普段買い込む食料品が、子供たちの血肉になっていることを実感する。
 最近妻のモナは、体重が減らないと嘆く。以前は少し体が重くなると、減量のため体操などでそれなりに効果を上げていたのだが、今は体重を一キロ減らすのにも苦労しているようだ。普段買い込む食料は名実共に彼女の血肉にもなっているということで、若いと思っていた彼女も歳を取り、新陳代謝が衰えてきたのかもしれない。
 こうした家族の食べっぷりを見ていると、歳を取った自分も、まだ気が抜けないとしみじみ思うのだけれど、お金がかかるのは食料品だけではない。今年に入って九歳のユリにパソコンを買い、五歳のイッチには携帯を買い、そして十五歳のベルの誕生日にプレゼントは何がいいかと尋ねるとパソコンと言われ、それも先週購入した。パソコン売り場でどんなものを買うか物色している最中、イッチが展示しているパソコンを懸命に操作し遊ぶのを見ていると、あと一年か二年もしたら、このボーイにもパソコンを買う羽目になりそうだと思い、そんな物品に随分と金がかかるようになってきたことに気付く。
 そうなってくると、もはや自分の欲しいものはほとんど買えない。普段文章を書くための小さなラップトップが欲しいと思いながら、それが買えない。文章を書く専用として低性能の安物で十分だけれど、その安物が買えないのだ。ラップトップが無理なら、せめて自分もイッチが使っているようなフルディスプレイでメモリの大きな携帯が欲しいと思いながら、次々と家族に必要な物を買う日々が続く。
 最近HUAWEIが出したP30PROなる携帯のカメラ性能は目を見張るものがあるけれど、今はモナがそんな製品に刺激され、新しい携帯を欲しくなっているようだ。そのせいで彼女は、外へ出かけた際にはいつも、半ば購入するような勢いで家電売り場の携帯をチェックしている。そうなると、自分にお鉢が回ってくるのはいつのことになるやらさっぱり見当がつかない。
 仕方ないから僕はブルートゥースキーボードを買い、それを手持ちの携帯に繋いで、まさに今この文章を書きながら、随分文章を打つ効率が上がったと喜んでいる。こういった周辺機器は圧倒的に中国製が多く、価格は驚くほど安い。安い中でもタッチパッドのない一番安いものを選び、それを更にディスカウント交渉して買った。結果、購入したキーボードは千五百円を切って、通信販売の安物を下回る価格になった。今や携帯の性能はパソコンのようなものだから、単に文章を打つだけならこのような方法で十分かもしれない。なのでしばらくラップトップは諦めて、自分の欲しい物リストのトップは密かに、安くて高性能な携帯となっている。(最近安い携帯でも、有機LEDを使用しているものが出回り始めている。この手のディスプレイを使う携帯は色や解像度がとてもよい。メモリの大きさもSSDのウルトラノート並みで、それでいて価格は三万を切る程度だから、携帯が一体どこまで進化するのか興味深い)
 さて、我が生活の一端を披露したが、ここでこうやって生活していると、こんな風に色々なものを消費することになる。こうして消費しているのは自分だけではなく、周囲の人たちもこぞって買い物を楽しんでいる。
 日本の企業は、作るものがない、売るものがないと商品企画をうまく作り切れていないように言うけれど、実際に商品は市場に溢れ、こうして刻々と消費されている。
 ここで悲しく重要なのは、日本製でなければ嫌だ、なんてことを誰も言わなくなったことだ。今はパソコンでさえ、中国製の得体の知れない安物がたくさん売られている。とても薄く、デザインが随分洗練され、超安物に見えない超安物だ。そして自分は、そんな安物をお試しで使ってみることに全く抵抗がない。それほど価格が安いのだ。そうなら壊れても、やっぱりかと諦めがつく。真剣に購入店へ文句を言おうなどとも思わない。もし幸運にも、保証で新品と交換してくれたら問題ない。日本のメーカー品だって、壊れるときには壊れる。
 気が付けば東南アジアのパソコン市場では、ACERとかASUSとか、そんなメーカーがしっかり根を張っている。我が家も真ん中の娘に買ったパソコンはACERで、値段はそれほど安くなくなったけれど、値段相応に良いものとなっている。
 先日ショップで、イギリス人がHUAWEIのノートPCが欲しいと店員に話しているところへ出くわしたが、それは人気で品切れだと断られていた。HUAWEIはPCの老舗でないが、既に市場の評価を獲得している。
 故障は無料で修理、あるいは交換してくれるという保証があれば、日本製でなくとも何の抵抗もなく購入できるのだ。自分はそんなマインドを持つまでやや時間を要したけれど、こちらの人のマインドとは大体そのようなものだ。
 すると、日本の異常に細かい品質へのこだわりが足枷となり、日本企業は大きな市場をみすみす逃しているように見えてくる。
 品質とは材料費がかからず無料だと誤解されるが、実はとても経費がかかるものなのだ。それが売価にしっかり反映される。
 気付けば中国は、安さだけではなく、技術力も相当に上がっている。アメリカが、中国企業であるHUAWEIを排除しようと躍起になりながら中々それがうまくいかないのは、HUAWEIの技術力が市場から簡単に排除できないほど高いものになっているからだ。事実P30PROのような、既存携帯では最高水準と思われる製品を出してくる。HUAWEIは通信基地用機器という産業機器のみならず、民生品でも業界をリードする存在になりつつある。
 ここにきて日本の携帯ではSONYが奮起しているようだけれど、今や東南アジア市場はHUAWEI、サムソン、VIVO、OPPOが激しい競走を繰り広げ、凄まじいスピードで新製品を投入している。
 そこにSONYの携帯がどこまで食い込めるのか。
 日本企業は技術力では問題ないはずだけれど、商売根性というか、厚かましいほどの競争精神というか、何かその辺に物足りなさを感じてしまう。そして意思決定が致命的なほど遅い。
 地元の販売店はそんなメーカーと心中したくはないから、スピード感があり競争力のあるブランドに力を入れる。あと一年もすれば、アップルでさえ競争力を失いそうな雰囲気が漂い始めているのだ。期待感のないブランドは、加速度的に淘汰される。
 サムソンは意外にしぶとい。他社がハイスペック製品の安い商品を投入し始めると、途端にコストパフォーマンスの高い安物を出してくる。ディスプレイもカメラも、突出こそしないが、他社の同価格帯では搭載されない高性能デバイスをさり気なく載せ始めている。ブランド力に頼る高価格を設定し続けてきたサムソンは、ミドルレンジやローレンジで、いつの間にかお買い得な携帯メーカーになっているのだ。もちろんHUAWEIのP30PROは素晴らしいが、実際の購入を考慮した価格レンジで真剣に調べると、そんな実態が見えてくる。OPPOは直近で見ればVIVOに押され気味で、キャッチフレーズが先行する熟成し切らない製品を投入し始めている。取り敢えずその場しのぎという感じで、そういったなりふり構わぬ競争が一般消費者にも見えるのが、昨今の携帯業界だ。しかしそこに、日本のメーカーは影すら見えない。
 携帯を例に取り色々と申し上げたが、日本のメーカーは他の分野でも足踏みしているのではないだろうか。辛うじてパソコンでNECや富士通が頑張ってはいるが、それ以外の日本メーカーは存在感が希薄になっている。SONYの液晶テレビは相変わらず素晴らしい画質を提供しているが、一般消費者の素人に、その技術力がどこまで理解されているのか怪しい。もし理解されないとしたら、自己満足で終わってしまう。ちなみに中々よいパソコンを出しているNECは、売り上げ減少にもがいてハードメーカーからソリューションメーカーへと舵を切ろうとしている。
 日本のカメラ業界も、携帯カメラの躍進に影響を受け、苦しみながら最近ようやく消費者へ訴える製品を出し始めている。しかしハードにある程度見切りを付け出している富士フィルムは、画像ビジネスにおいてクラウドサービスでのビジネス展開を模索しているようだ。
 日本は少子高齢化や人口減少で国内需要は期待できず、企業の商品企画力や開発力も減退。投資には慎重過ぎて身動きが取りにくい。こうなってくると、日本企業には二重苦三重苦となる。しかし何もしなければ、座して死を待つようなものだ。
 日本がこれからますます苦しくなるのは、内需が期待できないからだ。中国も激しい少子高齢化となり、しかもバブルが弾けて多額の不良債権を抱えていると言われている。しかし中国には大きな内需がある。かつての日本がオイルショックなど数々の苦難を乗り越えることができたのは、内需があったからだ。国内で商品を売り金を回せることは、経済効果としてとても重要なことなのだ。
 しかし今の日本は、この内需を期待できない。人口減少の弊害が大きく、これまで金を回す上で一番大きな役割を担ってきた住宅融資の契約件数は、今の低金利状況下でさえ下がり始めている。国内の賃貸アパート空き室率は緩やかに上昇し、車の国内販売台数は1990年の約八百万台をピークに、2017年は五百万台をやや超える程度まで落ち込んだ。
 国内需要を望めないとすれば、日本企業は海外へ打って出るしか生き残る道はなく、世界の競合に真っ向から勝負を挑むつもりで海外進出、海外販売、輸出を強化しなければならないはずだが、今の体質で果たしてどこまで頑張れるのか疑問だ。現時点で日本のメーカーは、東南アジアでまるで競争力がないのが現実だからだ。前述したように中国メーカーは、東南アジアで足場を固め世界進出を果たしている。
 僕がこのように日本の近未来を考えるのは、子供がいるためだ。日本のパスポートを持つ子供が大人になったとき、日本は一体どうなっているのだろうかと考えると、不安という大袈裟な感情はないものの、少々暗澹たる心境に至る。モナは、まだ子供に日本の教育を受けさせたいという希望を持っているようだけれど、果たしてそれがいいのかも分からなくなっている。日本の教育を受け、その流れで日本社会に埋もれることが、果たして子供にとって幸せなことなのか疑問を持っているからだ。
 神経ばかりを使い、人生の最優先事項が仕事だという雰囲気を引きずりながら、それだけ苦労しても世界の中でダイナミックに活動できない日本。日本人の潜在能力はまだまだ高いということも、もはや過去の栄光にしがみつく独りよがりにしか聞こえないことも多くなった。
 反面海外の人たちは、もっと自由にのびのびと人生を謳歌している。長期休暇を利用したバカンス旅行は当たり前だし、週末は家族や友人と集い、屋外で手持ち弁当を食べながらリラックスする。それが正解というわけではなく、何でもよいから、それが自分にとって大切なことだという価値観を確立することが大切ではないだろうか。それがなければ、納得感も満足感もない人生になってしまう。因みに僕は、自分の欲しい物を買えない今の生活に、幸せを感じ十分満足している。
 今の日本はどうだろうか。いつの間にか自分の価値観が社会環境に押し潰され、幸福感を見失いやすい社会になってはいないだろうか。
 もっとも、親が普段からきちんとした背中を子供に見せていれば、子供はどこで暮らそうが自分を見失うことは少ないかもしれないが。
posted at 07:55
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