フィリピーナと共に
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2019年03月17日

革命を起こせないなら、コーヒーショップでも

 ランカウイの旅行を記録しようと思い立ち、先日久しぶりに投稿したら、これが三年半ぶりであったことに気付いた。それほど長い期間、僕は自分のブログを放置していたようだ。
 しかし過去の記事は腐ることもなく、インターネット世界の中で存在し続けていた。しかも毎日誰かが見ている。何とも不思議なことではないだろうか。新聞紙のように黄ばむことも朽ちることもなく、まるで真新しい記事のように、書いた本人でさえ分からない場所のサーバーに記録され公開され続けているのだ。これが情報革命の一つなのだろう。
  ……などと思いながら、やっぱり久しぶりに曰本ブログ村を覗いてみると、昔からの上位常連者は健在だし、自分のブログもトップページにないものの、少しページをめくればそこにあり、これには流石に驚いた。
 フィリピンと日本の交流も、相変わらず盛んで何よりだ。
 先日マレーシアで、ある年配の日本人女性と話す機会があり、そこで興味深い話しを聞くことができた。
 その内容は、僕がフィリピンを知るずっと前のことだった。
 かつてフィリピンからタレントとして訪れていたフィリピン人は、フィリピーナではなくフィリピーノで、日本での活動内容はホテル、レストラン、バーでのバンド活動だったそうだ。
 それに多くの日本人女性が嵌り、恋に落ちてたくさんのお金をフィリピーノに貢いだそうだ。結婚の約束をしフィリピンに行ってみると、そこには彼氏の妹がいて、しばらくして、それが本当は奥さんだったことに気付いた、なんて話しはざらにあったようだ。
 それでも後に引けない日本人女性たちは、そのまま無理やり彼氏に連れ添ったり、別れてフィリピンで仕事を始めたり、または別の男を見つけたりと色々だったそうだ。もちろん日本へ逃げ帰った女性もいる。
 年代でいえば、おそらく自分と変わりない女性たちではないかと想像するけれど、かつてはそんな出来事がそれほど珍しいことでもなかったようで、時代は形を変えて繰り返すものだとつくづく思う。
 たまにフィリピンに根付いている年配の日本人女性を見かけるけれど、これからは、もしかしたら昔はそんな情熱的な女性だったのかもしれないと、情熱の欠片も残っていない乾いた厚塗りの顔を見ながら不思議に思うかもしれない。
 いや、決して馬鹿にしているわけではない。そんなことを言う自分も、海外の地で随分乾いたおじさんになっている。
 白髪が増えて、少し運動するとすぐに身体中が悲鳴をあげ、ある意味では持久力がアップし、文字とおり乾燥肌で、あちらこちらにたるみが現れている。
 色恋沙汰から遠ざかると、人間は心身共に潤いを失うものだ。
 それを仕事で補うこともある程度は可能かもしれないけれど、最近は体力と気力が追いつかない。それだけでなく、頭脳の回転も追いつかない。窮地に追い込まれた際、以前は上手く立ち回ったり切り返しできたことが、今では戸惑うことも多い。それを、身につけた図々しさで補っているときに、自分の限界を感じ始めている。
 そうならば、そんな劣化を覆い隠せる何かで一発当てたいなどと、遠くを見つめる目で妄想したりする。
 例えば携帯。アップルもサムソンも、その他多くの携帯会社が、消費者の購買意欲を刺激する新機能、性能が何かを見いだせず、新商品開発に苦戦している。特にアップルは5G開発で大きく出遅れ、窮地に立たされている。
 見開きで大画面を使える携帯は魅力だけれど、まだ価格が高すぎる。重量や大きさ、厚みも気になるところだ。
 さて、自分だったら今の携帯で、どんな機能が欲しいだろうか。
 自家発電する携帯なんてどうだろう。振動、光、体温を利用しての発電機能を内蔵し、一週間くらいは充電不要、なんていう携帯があったらどうだろうか。小型核融合装置内蔵で、一生充電不要というのもいいかもしれない。
 このアイディアを持ってアメリカに渡ろうかとも考えたけれど、気力が追いつかなかった。
 革命を起こすには、どうやら歳を取りすぎてしまったようだ。
 というわけで、今は料理の腕をあげるべく、家で頻繁に料理をしている。現実路線で、小さなコーヒーショップでもやろうかなどと考えているのだ。落ち着いたコーヒーショップで、少ないメニューながらも美味しい料理を出す、という店だ。
 売り上げ目標は一日五千ペソ。材料比率二十パーセント、その他経費が三十パーセントで、利益は五十パーセント。百ペソを使ってくれる客が五十人来ればよい。五十人を十時間でさばく。何とかなりそうではないか。
 まあ、実際は思った通りにいかないのが人生で、今は懸命にコーヒーショップ開店のイメージトレーニングをしながら、どうするかを思案中。
 小説が当たればいいなと、ブログベースの物語を完成させしばらく温めていたけれど、海外にいると出版社への送付も面倒で、これも昨日、本日と無料公開してしまった。
 かつて様々な人から問い合わせを頂いたアイリーンも、完成版がある場所に無料公開されている。

 日本人の長生きの秘訣は味噌汁だという説を読んだとき、そういえばしばらく味噌汁のない生活をしていることに気付いた。これは意外に早く死ぬかも、なんてことに思い至ると、老い先短い人生に、少々焦りを感じる今日この頃だ。
2019年02月08日

ランカウイ旅行記2019

 旧正月、すなわちチャイニーズニューイヤーがやってきた。マレーシアに住み着いてから、何度目の旧正月になるのか分からなくなってきたけれど、旧正月は会社も学校も長期休みになる。
 そこで僕とモナは、子供たちにサプライズを企てた。密かにランカウイ(マレーシアの有名な観光地、島)への旅行を用意したのだ。最近の我が家は、学校と会社が同時に長期休みとなる国民的行事に合わせ、節約的家族旅行をする慣わしになっている。前回の家族旅行は、モスリムの正月にマレーシア東海岸のあるビーチへ、四泊五日で出かけた。現在の我が家のある場所はマレーシアの西海岸(これも世界的に有名な観光地、島)にあたり、南北に細長い国をちょっと横断すれば東海岸に行けると思っていたが、いざ実行してみると道程は山ばかりで、子供は車酔いにゲロゲロやりながら目的地まで十二時間もかかったものだから、途中で挫折しそうになった。挫折とは、旅行を止めて引き返すという意味ではなく、山の中で急遽一泊し、子供の負担を軽減しようか悩んだということだが、元々の目的は海で遊ぶことだったので、途中で酔い止め薬を買い、子供の様子を見ながら初志貫徹、フラフラになりながら目的地にたどり着いた。
 肝心のビーチは透明な海水で満たされた遠浅の砂浜で、しかも適度に波が高く、子供は打ち寄せる波と戯れ朝から晩まで海水に浸かり遊んだ。宿泊施設も、ドアを開ければすぐビーチという環境で、イッチはゲロゲロしたことなどすっかり忘れ、年がら年中ビーチハウス(彼が命名)に行きたいと訴えるほど、そこはみんなのお気に入りの場所となった。
 それで今回の行き先を悩んだのだけれど、やはり長距離ドライブは余りに大変なのと、船を使った旅行が子供たちは未体験だったこともあり、高速フェリーで三時間ほどのランカウイに行き先を決めたという次第だった。
 出発前日、モナが旅行バッグに荷物を詰め出すと、目ざとくそれに気付いたユリ九歳とイッチ五歳が、何処へ行くのかとしつこく僕とモナに尋ね始めた。それに対して秘密だと答えていたら、イッチがシークレットプレイスにはいつ出掛けるのかと言うので、正直に明日と答えると、「ノー、今すぐ家を出よう」としつこくまとわりついてくる。既に子供たちの脳内は興奮状態で、踊ったり鼻歌を歌ったり奇声をあげたり、出掛ける前に体力を使い果たすのではないかと思われるほどのはしゃぎようだった。
 案の定、体力を使い切ったイッチは早々にソファーで居眠りしてベッドに移され、そのおかげで旅行当日は随分早起きし、僕が起きたときには既に自分のナップザックを背負い、すぐにでも外出可能状態な姿で僕を驚かせた。
 当日、陽射しが肌に痛いほどの晴天の下、荷物を引きずり外へ出ると、子供たちは迷わず車のある方へと向かった。ベル十五歳は、自分たちがクアラルンプールに遊びに行くと思い込んでいたらしい。クアラルンプールならば確かに、過去は全て車で出掛けている。
 僕とモナはアパートのメインゲートへ向かいながら、進路を外して先行する三人の子供に声を掛けた。
「おい、おい、こっち、こっち。今日は車は使わないよ」
 ベルは意外そうな顔を作り、ユリは眩しげ細めた目をこちらに向け、イッチは「おい、おい」と僕のモノマネをしながら進路変更する。
 彼らはまだ知らないのだ。行き先がランカウイで、そこまでフェリーを使うことも、フェリーポートまでタクシーを利用することも、現地ではレンタカーを予約していることも、そしてスライダーのある素敵なプールを持つリゾートホテルに三泊することも。
 現地宿泊ホテルの決定には、随分気を使った。できるだけ安くできるだけ豪華で快適であるという相反する条件を備えたホテルを、毎晩モナと検討したのだ。旅行予約サイトの写真は実際よりも綺麗で豪華に見せているのが普通だから、旅行者のレビューを二人で丹念に読み、写真の裏に隠された真実を探り当てるよう努めて選んだ。
 一泊十万円もする部屋なら、それほど真剣になる必要はない。そのクラスのホテルは、庶民の満足ラインを普通にクリアしている。そんなホテルが多数あるランカウイで、一泊一万円から三万円ほどの部屋を探すとなれば、当たり外れが出てくるのだ。もちろん、バックパッカー向けの一泊三千円程度のホテルも多数ある。プライベートトイレやシャワーがあると自慢げに宣伝するような宿だ。割り切って格安ホテルを決め込んでもよいけれど、やはり子供たちの感嘆の声を聞きたい。そんなふうに考えて決めたホテルだった。その代わり、現地のレンタカーは一番格下の小さく安い車を予約した。どうせ普段も大きな車を使っているわけではない。せいぜい島の中を走り回るだけなら、単なる足代わりと割り切っても文句はないだろう。
 自宅からフェリー乗り場に到着し、チェックインをする段で子供たちに行き先がばれた。ユリが浮かない顔をしているので理由を尋ねると、フェリーが怖いようだった。
「何かあってもライフジャケットがあるから問題ないよ。黙って海に浮かんでいれば誰かが助けに来てくれるから」
 彼女は僕のその言葉で、ますます心配になったようだ。
 小さなフェリーはそれ程快適ではなかった。売店はないし、外に出て海を眺めるスペースもない。窓を通し、単調な大海原を眺め、時々激しい波しぶきに驚きの声をあげる程度の退屈な三時間。激しく揺れてくれたら少しは面白かったかもしれないけれど、船室の外で撒き餌のできない状況下のゲロゲロ状態は、退屈するより悲惨だったろう。
 果たして、ランカウイに到着してみると、海に面したフェリーポートの景色に子供たちは早くもナイス! と声を上げた。イッチはフェリーの中でぐっすり眠った寝起きにも関わらず、ユリと一緒に先頭をきってでどんどん出口に向かって歩いていく。直前まで熟睡していたとは思えない機敏さで。そこに二人の旅行に対する期待度が見て取れる。僕はイッチが迷子にならないよう二メートル後ろからそれを追いかけ、更に自分の三メートル後ろをモナとベルがついてくるという構図となった。モナはイッチがずいずいと先へ行くことなどお構いなしで、のんびりビデオ撮影をしているからますます遅れる。最先端と最後尾が離れていき、後ろはどうにでもなるだろうと、僕は先頭を見失わないよう気を付ける。
 ランカウイより有名な観光地に住んで、なぜわざわざ離れた格下の観光地に旅行へ行くのか疑問に思われる方もいるかもしれない。事実、余計な費用を抑え、その分豪華な地元のリゾートホテルへ泊まる選択肢もあったし考えもしたのだ。しかし、いくら著名な観光地でも、土日を利用してたまに遊びに行ける(実際、たまに行く)それらは刺激が少ないし、旅は非日常であるところに醍醐味がある。既に住んでいる自分たちにとって、ここはよもや観光地ではないのだ。そんなところへ大勢の人たちがやってきて、ワーワーキャーキャー騒いでお金を落としていく姿を見ると、ときどき馬鹿ではないかと思えるときがあるが、自分たちもどこかへ行けば勢いが付いて、地元の人たちに同じように見られているのではないかと気になることがある。
 人間とはそもそも、変化のない生活に耐えられないようにできているのではないだろうか。それでも自分の生活を寡黙に静かに守り抜いている人は、内面に確たる何かがあって立派だと思うことがあるが、僕はまだまだ修行が足りず、そこまでの境地に到達できていない。
 ランカウイのフェリーポートからホテルへ直行するつもりだったけれど、子供たちが「ハンギー(イッチの造語でハングリーの意味)」と騒ぎ出したので予定変更。僕は、予定は未定スタイルが好きだから、状況に応じて遠慮なく予定を変える。計画性もポリシーもないし、そんなことはどうでもよい方なのだ。ホテルにチェックイン予定時刻を連絡していたけれど、大勢の客を扱っていれば二時間くらいの遅れは耳くそ程度だろうと楽観的に考えるご都合主義だ。
 それにしても、周囲は人、人、人。食事場所の目の前の道路は大渋滞。タクシー乗り場にタクシーはゼロ。見事な観光シーズンに観光地に来てしまったものだと初めて認識する。夕方到着してフェリーポートでレンタカーを借りてしまうと、夕方でも何故か一日分のお金を取られるので、そこはケチって翌朝ホテルに車を届けてもらうようにしていたから、一先ずホテルまでの足を確保する必要があった。
 携帯上でグラブタクシーを試してみるけれど、みんなが忙しいというメッセージが現れる。たまに大きな車がつかまりそうになるが、料金が普通の四倍を表示するのでこちらで却下。やっとオッケーを貰ったドライバーは、不思議と自分たちがいる場所から反対側にどんどん進み(グーグルマップ上で、車の位置を確認できる仕組みになっている)、最後は向こうからキャンセルしてきて、なんだこれは! と憤慨。最後の最後につかまったドライバーは、自分たちが車に乗り込んだ後、周囲の酷い渋滞にブチ切れて、「これでどうやって通りの車の列に割り込めっていうのか!」と叫んだかと思うと、クラクションを激しく鳴らした。これは少しやばいドライバーをつかんだかもと緊張したところへ、イッチがクラクションの真似をして、後部座席から「ブッブー」と叫ぶ。そこでドライバーが笑ってくれたら良かったけれど、彼のこめかみの血管はますます浮き出て、無言の彼の目付きが険しさを増した。そして何かを訴えるように、急発進、急ブレーキ、急ハンドルのオンパレードの中、イッチが「おぉ」とか「わぉ」とか「ブッブー」とか言うものだから、僕は彼を、空気を読める子に育てられなかったことをとても後悔する。
 しかし渋滞を抜けるとドライバーの凶暴さが鳴りをひそめ、ポツポツと観光案内のような説明をしてくれたから、ホテル到着後、渋滞の中をありがとうとチップをあげ、僕たちはようやく彼の笑みを見ることができた。本当は、命があって良かったという意味のチップだったのだけれど。
 ホテルは子供たちを驚かせ浮き立たせるのに十分過ぎるほど立派だった。エントランスには大理石調の広いフロアに厚みのあるソファーがいくつも並び、その前には南国の木(椰子?)や植物が植えられた庭に大きなプールとプールバーがある。そのプールの先には海が広がり、船やら向こう岸のビルディングが放つ光がいくつも点滅しているのが見えていた。
 部屋は五十平米の広さを持つスイートルームで、海側のテラスには丸テーブルとミニキッチンがあり、潮風に当たりながらコーヒーとタバコをゆっくり楽しめる作りになっている。バスルームのお湯や空調関係も問題なく、全てが快適に過ごせる状態になっていた。何よりも、部屋が綺麗で清潔感のあるのが良かった。
 イッチはユリと一緒にベッドの上で飛び跳ね、ソファーに飛び移り、クローゼットの扉を開け、濡れた水着を干す乾燥室のドアを開け、バスルームが二つあるとか、テラスにキッチンがあるとか、単なる驚きとも報告ともつかない事柄を次々告げてくる。
 結果的にコストパフォーマンスの高いホテルを選択できたように思い、僕とモナも満足だった。値段が少し安いのには理由があり、ホテルの場所が街中でもなくメジャービーチからも離れているためだ。これはプール遊びがメインの人には関係ないし、車があればロケーションの問題は解決する。実際自分たちも、三日目はランカウイで一番メジャーなビーチに車で出掛けた。
 ホテル到着間もなく、ユリとイッチがプールで遊びたいと言い出す。もちろん想定範囲内の申し出だ。ベルは部屋でゆっくり過ごすと言い、僕とモナは下の二人がプールで遊ぶ間、プールサイドでビールとつまみとコーヒーを頼んでくつろぐことにした。もちろんビールはモナ用で、コーヒーは僕用だ。イッチは慣れないスライダーに、着水時頭をぶつけたようだったけれど、慣れてしまえば階段を登ってはスライダーから滑り落ちることを繰り返し、このプールは最高だと楽しんだ。
 早速のリゾートバカンスっぽい様子に満足して部屋に戻ると、今度はベルのお腹が空いたらしく、再び全員で一階のレストランに行き、シーフードやインド料理のバターチキンなどをつまむ。このときエビが高いと思ったけれど、その後どこへ行ってもエビが高くて閉口した。百グラムで七百円くらいだから、大きなものを一つたのむと、それだけで1万五千円くらいになる。シーフードは安くて美味しい店が一杯あるとの触れ込みだったから、これには少々がっかりだった。
 翌朝、朝食中にレンタカーがホテルへ届く約束だったけれど、十時を過ぎても届かない。東南アジアは約束が約束でないことが多く、これも想定範囲内。僕はホテルの部屋でゆっくり本を読んで車を待っていたけれど、モナが遅い、電話してと騒ぎ出す。
「フィリピンにいた頃こんなのは日常茶飯事で、日本人の僕がいつもいらついていたのが分かるでしょ?」
 そんな風に軽くジャブを打ってからカーレンタル会社に電話をしてみると、先方は書類に不備があり配車が遅れていると言い訳をくれて、後でスタッフから電話をさせると言って電話を切った。結局、そのスタッフがホテルへやって来たのは十二時近くで、僕はてっきり車を持ってきたのかと思ったけれど、彼はなんと、「これから一緒に、タウンエリアに車を取りに行く」と言う。
 随分気の長くなった僕もさすがに一瞬切れかかったけれど、顔では笑いながら「今日はこれで半日つぶれたよ。オリエンタルビレッジのケーブルカーを予約していて、あれは日付けも時間も変更できないんだ。さて、あまり時間がなくて困ったことになった」と言ってやった。
 しかし僕が穏やかに言ったせいか、こちらの苦情が若いお兄さんには全く届いていないようで、彼は「すみません。今はすごく忙しくて」などと、客には全く関係のないことを言い出す。こいつも空気が読めない奴だと思いながら、僕は言った。
「それなら約束しなければいいでしょう。あるいは、遅くなると連絡すべきだよね?」
 普通の口調で言ったわりに、鈍感な彼にもようやく僕の文句が届いたらしく、彼は「すみません。ホテルへの配車代無料と、レンタル料金をディスカウントします」と言った。
 結局料金ディスカウントに加え車種も無料アップグレードとなったものだから、僕はすっかり上機嫌でその車でホテルへと戻った。
 電話で連絡していたため、家族はホテルのエントランス前で待っていた。僕が突然車を持ってホテルへ戻ったから、子供たちは当然驚いた。特にイッチは、「これ、誰の車?」と訊いてくる。
 全員が乗り込んで走っても、車は振動も騒音も少なく快適だった。早速予約しているケーブルカーの場所、オリエンタルビレッジへと向かう。地図で表示されたのは三十キロくらいの距離だけれど、実際はそれよりも随分遠く感じられた。イッチはずっと鼻歌を歌っている。それは彼がハッピーなときの、最近の癖だ。
「サプライズはあと何個あるの?」とイッチが訊いた。
 僕が「もうないよ」と答えたのと、モナが「あと三つ」と言ったのが同時だった。言ったのが同時だったのに、イッチはあと三個と復唱する。都合の良い答えを受け入れた彼は、ますますご機嫌な様子だ。
 オリエンタルビレッジに到着すると、駐車場から、遥か彼方上空に、ロープに吊るされた小さなゴンドラが何個も険しい山の急な勾配を昇り降りしているのが見えた。
「あとであれに乗って山の上に行くよ」
 ユリが怖いと呟く。見た目は確かに凄い。随分な高所に、六人用のゴンドラが心細いケーブルに一定間隔にぶら下がり、次から次へと登っては降りてくる。
 ビレッジの中はたくさんの人で賑わっていた。お土産屋が道に沿ってずらりと並び、大勢の人を取り込んでいる。ケーブルカーのチケット売り場と乗り口は長蛇の列が出来上がっていて、それに並ぶのかと思うと頭痛を覚えそうだった。
 ケーブルカーへの乗車は時間が決まっており、まだ二時間も先だった。しかしチケットには、周辺のトリックアートや3Dショートムービーなどのアトラクション代が含まれ、ケーブルカー乗車前にそれらを楽しみながら時間つぶしができるようになっている。しかしいずれも混雑しているので、各アトラクションに一々並ぶ必要があるのだ。マレーシアの田舎にいるのに、まるでディズニーランドにでも来ているような感覚に陥っていると、モナも同じことを口にした。
 子供たちは好奇心が勝っていたのか、各アトラクションに辛抱強く並んだ。こんな場合、大人のこちらの方が先に音が上がる。しかしケーブルカーに乗らずに帰るわけにはいかない。家族五人で七千円払ったのは、トリックアートなどのおまけに対してではない。ケーブルカーに支払ったのだ。しかも上には、恐ろしく高い吊り橋があり、そこから絶景を望むことができる。強いて言うなら、これが僕の用意した次のサプライズなのだ。
 ようやく山の上に行くと、ある意味別のサプライズが用意されていた。目的の一つである吊り橋は有料で、徒歩の場合は安いけれど、小さな子供連れでは無理のある急勾配の長い階段を昇り降りしなければならない。こちらは事前のアトラクションで既に体力を消耗している。階段を避けるためには更に五千円ほど払って、電動カーに乗らなければならない。しかもそこには、再び長蛇の列が。
 体力を節約して電動カーに乗るか、金を節約して歩くか、それとも吊り橋は諦めるか、迷いどころだった。時間はどちらにしてもたっぷりかかりそうだ。行きに歩きを選択すれば、帰りはチケット売り場がないため急勾配を自力で登るしかない。イッチが挫けたら、僕が彼を抱いて階段を登るしかないのだ。高低差は百メートル強といったところか。なんとなくずる賢い商売に乗せられるのはしゃくにさわるけれど、既に疲れ切って根性を削がれていた僕は電動カーを選んだ。随分金が勢いよく飛んでいく場所だと恨めしく思いながら。
 しかしケーブルカーや吊り橋からの景色は素晴らしいの一言で、それらを堪能しているときには完璧に値段のことを忘れられる。子供たちがこの絶景を生涯胸に刻んでくれたら安いものかもしれない。
 ホテルまでの帰り道、たまたま道路脇に見つけたシーフードレストランへ入り、お奨めのエビやイカやチキン料理を堪能した。お腹が膨れると途端に疲れと眠気が襲ってくる。子供たちはホテルへ戻ったらプール遊びをしたいと言い出していたけれど、さすがにそれは勘弁してもらった。イッチはホテルに到着前、車の中で電池切れ。僕もシャワーの後に飛び込んだベッドのシーツの冷たさが気持ち良いと思っている最中、速攻で眠りに落ちていたようだ。
 三日目は朝食後にプール遊び、そしてランチを兼ねて午後から有名なビーチに行くことを決めていた。ビーチで泳ぐつもりはなく、メインの目的はビーチに沿って走る観光道路の散策だった。そこにはお土産屋、各種レストラン、カフェが一キロメートルに渡りずらりと並んでいて、お祭りの縁日のように大勢の人が歩いている。疲れたらコーヒーショップで休み、また当てもなくぶらつく。何か欲しい物があれば買い物をし、喉が乾けばジュースを買って歩き飲みし、小腹が空いたら食べ歩きするという気の向くままの散歩だ。三人の子供たちは、そこでそれぞれレイバンのサングラスを買った。もちろん偽物の安物だけれど、レイバンとレンズの外にプリントされているので、知らない人が見れば本物と思うかもしれない。普段、女性たちが使うサンダルは僕を除いてフィットフロップ、イッチはアディダスで、それに加えて子供のサングラスまでレイバンとくれば、随分お金持ちの家族と思われるかもしれない。(ただし僕のサンダルは、タイのナイトマーケットで買った百円のビーチサンダル)
 既にランカウイを気に入っていた僕とモナは、今回の散策に、次回の旅行で泊まるホテルの調査目的も兼ねていた。ロケーションは最高だけれど古すぎるとか、地図で見るとビーチは近そうでも、歩くとすれば中途半端に遠い距離だとか、建物は古くても快適に過ごせそうだとか、そういったことを話しながらホテルを吟味する。
 実際ビーチにも降りて、ビーチに面したホテルの写真を数多く撮った。その際、水着はなかったけれどせっかくだからと、三十分だけジェットスキーをやってみることにした。モナとベルは濡れるのを嫌って砂浜で待機するというので、僕はユリとイッチを後ろに乗せて、海原に向けて出発した。久しぶりのジェットスキーで、最初は曲がる際にひっくり返らないよう緊張したけれど、後半慣れてくると少し沖の方へも出てみた。波に乗り上げジェットスキーが跳ねるとユリはキャーキャー騒いでいたけれど、僕の背中にへばりついているイッチが全くの無言だった。恐怖に引きつっているのだろうかと声を掛けてみても返事がない。沖合でボートを止めて振り返ると、彼は舟を漕いでいた。イッチは車でもバスでも飛行機でも、乗り物に乗るとすぐに眠くなる性質なのだ。どうやら波に乗り上げ上下するのが心地よいらしい。しかし掴まる手を離されたら、ライフジャケットを着ているとはいえ危ないので、ときどき声を掛けて返事を確認しながら海上を走り回った。
 ジェットスキーを降りてから楽しかったかと訊けば、イッチはイェーと答え、次はバナナボートをやりたいと抜かした。ユリはパラセーリングに挑戦したいらしい。ウォータースポーツも観光者用価格で安くはないため、それは次回ということにしてその場を後にした。
 ランカウイ最後の晩餐は、少し豪勢になっても仕方ないと覚悟を決めていたけれど、どうやらみんなゆっくりしたいらしく、ホテル内のレストランから料理を部屋にサーブしてもらい、テラスのテーブルで夜の海を眺めながらの食事とした。イッチは前日同様電池切れですぐにダウン。ユリは食後にプール遊びをしたいと言うので僕と一緒にプールへ。ベルはイッチをみながら部屋でくつろぎ、モナはホテル内のマッサージへと、各自好きなことを楽しむ最後の晩となった。
 ちなみにこの日は、デューティフリーショップで珍しく二本のアルコールも買った。一つはスコッチで、一つはよく分からない酒。モナ曰く、甘くて美味しい酒だそうだ。ランカウイはマレーシア国内であるのに、無税の街としても有名なのだ。そのため至る所にデューティフリーショップがある。タバコ、酒、チョコレートは本当に安い。
 モスリムの国なので、マレーシアは酒類の税金が高く、普通は安いビールでも一本百五十円のところ、ランカウイでは六十円くらいなのだ。タバコも安いものでは一カートン六百円強。現大統領マハティールさんの出身地ということで、全てが肝いりの観光地となっている。
 最終日は朝食後、チェックアウトまでプール遊びをして、後ろ髪を引かれながら帰路へついた。
 地元に到着すると、ぼったくり価格のタクシー、レンタカー、ツアーパックの大勢の客引きに声を掛けられ、ああ、そう言えばここも観光地だったということを思い出す。マレーシアの中核都市になってしまった地元は、既に素朴さを失った観光名所であり、外からやってくる観光客にとっては何でも高い場所となってしまった。ランカウイも値段の高い場所はあるけれど、特定の場所を除けば渋滞はないし、自然がたくさん残っている。
 家族のお気に入りとなったランカウイへ、次は五月か六月に再び行こうと話していて、僕とモナは早速ホテル選びと値段のチェックを始めている。
 こうした家族旅行を、いつまで続けられるか分からない歳になってきた。毎年契約更新が必要となる身分では、いつ首を切られるか分からないのだ。緊張感があって良い面もあるけれど、仕事の実際はきつい。投資が見合うかどうかを金銭的に判断する中国人経営者のもとで働く身としては、無理をしなければならない場面に絶えず出くわす。
 モナは普段の帰宅時間が遅くなっている僕の状況に、仕事を辞めたらどうかと持ちかけている。まだまだ若い自分が働けると言うのだ。地元に帰ってレストランを開くのも良いではないかとも言う。最近僕も、それでもいいかと正直思い始めているけれど、まだ踏ん切りがつかない。今の子供の生活環境を変えたくないのだ。適度な都会で楽しみがあり、仲の良い学校の友達がいて、勉強も楽しくやっている。何より、のびのびとした学校ライフが良い。
 このチャイニーズニューイヤーホリディ前に、契約を更新する旨が会社より通知された。また一年、首が繋がった格好だ。向こう一年は、家族旅行を楽しむことができる。正直に言うと、ホッとする気持ちと残念な気持ちが自分の中で織り交ざっている。首を宣言されれば、自分の迷いに決着が着くからだ。
 しかし、まだ会社に必要とされることを素直に喜ぶべきだろうことは、世間知らずの自分にも良く分かっている。今回のランカウイ旅行程度は、毎月行ける程度の給与をもらっているのだから、地元の人に比べればかなりの高給取りだ。駐在者が現地で定年を迎え、現地採用として残ったケースと比較しても、二倍程度の給与になっている。五十半ばの年齢を加味すれば、感謝に絶えない待遇だ。
 中々揺れる心中の年頃になっているのだけれど、家族旅行という最近の楽しみはできる限り継続したい。子供の幸せな笑顔が、自分の生きる糧になっている。仕事に疲れても、子供の寝顔が自分に踏ん張りを与えてくれるのは事実なのだ。
 昨日ランカウイから帰還し、今日家族はモールに映画を観に行った。その間僕は、同じモールのコーヒーショップでこの原稿を書いていたのだけれど、映画を終えた家族にこのあとどうしたいかを訊いた。僕は、食事をしてからコーヒーショップでまったりしようと提案したのに、既に外出を満喫した家族からは、早々に家に帰ってゆっくりしたいという返事が帰ってきた。
「みんなはランカウイで買い物もしてチャイニーズニューイヤーを満喫しただろうけど、僕にはまだチャイニーズニューイヤーが来ていないんだよ。コーヒーショップでまったりするだけでいいんだけど」
 イッチが、「ノー!」とキッパリ言った。彼はいつでも白黒がはっきりしている。仕方なく僕はそれに従い、ついでに帰宅してから夕食の麻婆豆腐を料理した。
 モナがそれを、とても美味しいと喜んだ。確かに、自分も、この麻婆豆腐はレストランに出せるレベルではないかと思い少し嬉しくなる。
 こんな日常が昨今の僕の様子で、一先ず元気に暮らせているし、誰にともなくこの幸せに感謝をしながら生きているこの頃だ。
posted at 10:18
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カテゴリー:マレーシアにて
エントリー:ランカウイ旅行記2019
2015年08月20日

755.自動洗濯機的生活と幸せ論

 ブログ村の記事(ブログ村ランキングで自分の近くにいた人の記事、関西方面のお方)で、僕より激しい修行にさらされ、日々神経をすり減らしている人がいることを知り、前回記事で「日々修行」などと偉そうなことを書いた自分を少し恥じた。
 フィリピーナとのお付き合い、確かに気苦労が耐えないこと、想像に難くない。しかしながら、フィリピーナに翻弄される修行もこれまた懐かしいし、ある意味羨ましい。ジェットコースターのようにアップダウンの激しい生活。これほど若返りの妙薬はないとも言えるからだ。
 そんなことを考えながら、思わず回っている洗濯機の中で、もみくちゃにされる自分の姿を想像してしまった。フィリピーナに翻弄される日々は、目が回るけれど身も心も洗われているようなものである。
 つまりこれは、洗濯機的生活というやつだ。水がどんどん注がれているときもあれば泡だらけになることもある。しかし気が付けば色々な意味で搾り取られている。そして、いずれにしても目が回る。目は回るけれど、洗濯後はほのかなよい香りと爽快感を味わえる。汚れてくればまた洗濯をする。これは、全自動洗濯機的生活と言った方がよいだろうか。

 もちろん洗濯機的生活には、ポジティブとネガティブの二つの側面がある。
 フィリピーナを追いかけ、フィリピンに住みつき、八方塞りに陥る人も少なくない。財産を吸い取れら、お金を失った途端、捨てられるように家を追い出された人もいると聞いている。
 反面、いつまでも仲睦まじく暮らしている人がいるし、あるいは微妙な距離を保ち、絶妙な関係を維持している方もいる。もちろん千差万別で、一概に良し悪しを判断できるものではない。虐げられているように見えてそこに幸せを感じている人もいるし、幸せそうに見えても心に闇を抱えている人もいる。
 とにかく人の幸せ感というものは、見た目では分からない。意外と幸せそうに見える人ほど心に穴が開いていることもある。それにいつでも幸福感を維持している人は少なくて、そこには普通、起伏というものがある。
 洗濯機的生活をしている人は、まさにこの起伏にさらされているわけで、普通の人より幸福や不幸とは何かについて体感的に詳しかったりする。しかしそうでなくても、論理的に人は、幸福と不幸の狭間を行ったり来たりするものなのだ。どんな環境に置かれていてもである。
 不幸を通り越すと、どん底というものがある。いや、実際にはだいたい下には下があり、本物のどん底を経験することは難しいのだけれど、とにかくそれに近い経験というものがある。  
 どん底というものは、できれば経験せずに越したことはないけれど、それを知ってみるとそれはそれで面白い。なぜならどん底を知っている人の幸福感は、同じ境遇でもそれを知らない人より高いからである。つまり自分を不幸だと思っている人は、将来、より高い幸せ感を味わう可能性を秘めているし、本物の幸せを得ることができるのかもしれないのだ。
 もっとも本物の幸せとは何か、この正体を明らかにしなければ、この話しはまとまらない。
 
 最近はフェイスブックの利用が当たり前になり、多くの人が色々なことをそこにアップデートするようになった。大抵の人は、自分の関係の写真をアップする場合、幸せそうに見えるものをあげている。私はこんなに不幸なんですとアピールしているものは少ない。
 しかし、これも見た目だけで、本当はどうなのか分からない。中には不幸だからこそ、懸命に幸せそうに見える写真をアップしている人もいるだろう。瞬間的にでも他人との違いをそこに示し、優越感に浸ることで幸せ感を得たいという心理である。つまり自慢や優越感を糧にしないと、幸せ感を得られないというやつだ。
 自慢、強調、行き過ぎる主張、でしゃばり、反目、嘘、見栄、虚栄。みんな自分の自信のなさや不安、不満を擬似的に解消するものだ。
 もちろんフェイスブックにアップされる全てがそうだと言っているわけではない。不思議とそれには人柄のようなものが滲み出るもので、純粋に楽しんでいるかどうかはそれとなく伝わってくる。
 最初は僕もなにげにフェイスブックに適当な写真をあげていたけれど、最近自分ではほとんどアップしなくなった。家族には強要していないけれど、僕は特に、食事の写真をあげないようにしている。少しおしゃれなレストラン、豪華そうに見えるもの、そんな見栄えのよいものほど控えている。それは知人が、日々の食事にも困っていることを知ったためだ。その知人は他人のことを羨み自分を悲観するような人ではないけれど、それでも僕は遠慮している。だから、例えば両親や親密な知人に、こんな生活をしているとか珍しい体験をしたなどを教えて安心させたり喜ばせたいときは、直接メールで写真を送るようにしている。
 こんな風にフェイスブックから距離を置き、他人のアップするものを見る専門になってから、僕はフェイスブックにアップされる記事を、少し冷静な目で見ることができるようになった。
 もともと以前の僕は、ときどきモナに話していたのだ。
「こんなものを食べましたなんてみんなに公開して、何が楽しいの?」
「どうしてプライベートなことを、わざわざ公開しなければならないの?」
「出かけていることを公開して、泥棒に入られるリスクを増やさなくてもいいじゃない?」
「子供の顔はできるだけ出したくない。せめて素性の分かるものがない写真にしてほしい」
 そんなとき、モナから答えらしい答えをもらったことはない。最近は僕もいちいち言わなくなったけれど、嫌味の滲み出ているものには苦言を呈する。
 例えば最近酷いと思ったのは、ベルの投稿だ。
「リッチな子供はスターバックス プアな子供はホームインスタントコーヒー」なんてコメントを、スターバックスにいる写真と一緒に出していた。
 これを見た僕は頭にきて、「ベルはいつからこんな馬鹿になったんだ!」とモナに言った。モナも気付いていたらしく、彼女はベルのことを既に叱ったと言った。そのせいか、この問題投稿はすぐに削除された。
 これを見たときに、僕たちはベルの育て方を間違えているのではないかと考えた。二度と彼女をスターバックスに連れていくものかとも思った。人間の価値とは何か、それをどうやって彼女に教えるべきか、真面目に考えた。所詮はまだ子供で、じきに自然に分かるのだろうかと思ったりもした。
 ベルがいくら図に乗っても、所詮我が家は普通の家庭だ。特別な階級でも大金持ちでもない、ごく一般的な家庭である。おそらくベルには、それが分かっていない。フィリピンの田舎の学校で、ときどきマニラや海外に家族旅行に行ける家庭がとても少ないから、変に鼻が高くなってしまったのだ。だから僕は、今通っているインターナショナルスクールにいる大金持ちの生活実態をベルに見てもらい、我が家が如何に普通であるかを彼女に思い知ってほしいとさえ願っている。我が家の生活も少しあらため、外食を減らし倹約生活に徹することも考えなければならないと思っている。欲しいものを我慢することもしなければならない。

 僕はベルの投稿を機に、衝動的にそんなことを考えていた。しかしふと、なぜ自分がそれほどむきになっているのかと思った。果たして僕は、何に対して憤りを感じているのか。
 これは、自分が憤慨することが、間違いかもしれないという意味ではない。何かベルの方向性が間違えているということには自信がある。しかしなぜそう感じるのか、なぜそう思うのか、それが曖昧なのだ。そしてそれを、いろいろ考えた。

 実は、僕はその答えを既にこの記事の中で述べている。
「どん底を知っている人間は、より幸せになれる」
 これは、どん底を知ることで、世の中の現実を思い知り、背伸びしないようになるからである。
 少し違った言い方をすれば、
「人はむやみに幸せを求めるときりがなくなり、いつまでも幸せになれない」
 ということだ。
 誰かの言葉に、「幸せは、求めると得られないものである」という言葉がある。その言葉を見た当初、僕はよく意味を理解できなかったけれど、今はぼんやりとそれが分かる。

 人の幸せとは何か、それは実は、比較で決めている部分が多い。
 他人より大きい家に住み、他人より高級な車に乗り、他人より多く稼ぎ、他人より美味いものを食える。それ自体に幸せを感じることもあるけれど、実は実際の家の住み心地や車の乗り心地のような価値より、優越感や安心感の部分に幸せを感じていることが多いのだ。現実の厳しさを知らない若い世代は特にその傾向が強く、自分も過去は、知らず知らずそんな罠に嵌まっていた。フィリピンを楽しく感じたのも、簡単に優越感に浸ることができたからだ。
 しかし、こうして得る幸せというものは、すぐに壊れる。上には上があって、全て世界一になることなどほとんど不可能だからだ。よって他人との比較でしか幸せを感じることのできない人は、簡単に不幸になることができる。今まで感じていた幸せが逃げてしまえば、簡単に不幸になってしまうのだ。
 つまり、本当の幸せが何かを分かっていないから、そうなってしまうのである。
 副作用としては、とらわれが多く、物事の本質をうまくつかめない人になる。目先のことや他人の目が気になり、いつも何かに怯えながら、見栄を撒き散らしていなければ落ち着かない。
 これのどこが幸せかという話しだけれど、幸せのふりだけでもしていれば体裁が整うから、懸命にそのふりをしようとがんばる。それができているうちは、そこそこ満足できてしまう。
 これが、相対価値観に振り回される人生というものだ。
 それでもいつまでも優越感に浸れる生活を送れる、もしくはそれほど無理なく幸せのふりを続けられるならいいけれど、ほとんどこれらは砂上の楼閣のようなもので脆いのである。
 僕はベルの投稿に、無意識にその影を見たのだ。僕は自分の子供に、そんな人生を送ってほしくないと思っているから、ベルの投稿に過剰に反応したのである。

 本当の幸せが何かは、人によっていろいろ違いがある。ただ、本物の幸せとはより絶対的なものであって、自分が変わらなくても相対的にその大きさが上下するものではない。これが本物の幸せの特徴だ。
 しかしながら今の世の中、相対価値観に溢れている。それを助長するものもたくさんあって、人はその中で溺れているように見える。これがフェイスブックを見る専門になってから僕の感じることだ。
 では、本当の幸せとは何か、それを子供に教えたり示したりするのはとても難しい。それは親や先生が教えるものではなく、自らが人生の中で何度も現実の厳しさを味わい、悲しい出来事を積み重ね、分かってくるものなのかもしれない。
 とにかくそれは身近なところにあるもので、気付かないことが多いものである。あるいは自分の考え方一つの問題だ。そして他人がどうであろうと、揺るがないものである。

 モナは子供の学校が始まってから、弁当作りを一日も欠かしていない。本当にがんばっていると思うし、僕はそのことに驚き感心し、この上ない感謝の気持ちを抱いている。ご飯と一品か二品のおかずという構成にもほとんど慣れた。揚げ過ぎたまったく歯の立たないフライを一度だけ残したけれど、それ以外はいつもきれいにたいらげている。
 食事は美味しい米と食欲をそそるしょっぱいものがあればそれが一番。それはどんなレストランのメニューにも勝る。
 それが分かって、そんな弁当を美味しく食べられることに喜びや感謝を覚えること(つまりそれに類すること)が、おそらく本物の幸せというものなのだ。この感謝の気持ちが自然とわいてくる状態というのは、幸せであることの大きな目印なのである。
 こんなことに我が家の子供たちは、いつ気付いてくれるだろうか。
 僕はかなりの時間を要してしまい、ずいぶん人生を損したような気がしているから、子供たちはせめて、三十代くらいでそれに気付いてくれるといいなと思う。



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