フィリピーナと共に
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2015年02月23日

737.いい加減なフィリピン

 同じ南国でも、フィリピンはマレーシアより随分涼しい。先々週土曜の早朝マニラに到着し、レガスピ便を待つ間タバコを吸いに外へ出たら、ひんやりした空気が疲れた身体に刺激的だった。いつもこの涼しさが、僕にフィリピンに帰ったことを実感させる。
 
 旧正月(春節)休みに有給休暇をつけ九連休でフィリピンに帰省した今回の旅は、全て順調すぎて拍子抜けするくらいだった。(というのは行きだけの話で、帰りはクアラルンプールからペナン行きのドメスティックに乗り遅れ、法外な高い料金を払わされたあげく帰りの時間が大幅に遅れる悲惨な目に遭った・・・マレーシア帰還後の追記)レガスピ行きのドメスティックエアまで時間通りに飛ぶと分かったときには、航空会社に経営革新か何かが起こったのかと勘ぐりたくなったほどだ。それだけディレイが当たり前になっているフィリピンの航空事情には、南国特有の気まぐれな天候にも関わらず、ローカル空港にまともな誘導装置が未設置のせいで、航空ダイヤが空模様の影響を受け易いという背景がある。しかも、レガスピのようなローカル空港は、マニラを基点にローカル空港へ飛んだ飛行機の折り返しが基本だから、一度ダイヤに乱れが出ると、ところてん方式で一日中タイムスケジュールが崩れたままだ。よって、そのような空港へのローカル便は、午後の遅い便を設定しにくい。午後の時間帯は、乱れたダイヤのダンパーとして空けておかないと、はみ出たところてんが翌日や翌々日へと影響し、それがところてん方式で延々と解消せず収集がつかなくなるからである。それもこれも、有視界離発着にかなりの部分を頼らなければならない空港のせいだが、ローカル空港のほとんどは、アフリカの砂漠の真ん中に突貫で作ったような原始的なものだから仕方ない。その辺を改善すれば、結構経済効果が上がる(かもしれない)と思うが、なぜか空港利用料ばかりが上がり、クオリティーの改善はさっぱりというのが、フィリピンである。
 
 クオリティーについて更に言及すれば、それが上がらないのは何も航空事情だけの話に留まらない。
 行政機関のルールがころころ変わり、周知徹底もさっぱりのせいで、書類を取ったり何か申し込みをする際は結構大変な目に遭う。今は何だってネットで繋がったパソコンで管理しているはずだから、政府の方針や行政手続きの類はすぐさまどこにでも変更が反映されるはずと思ったら、これが大間違いだ。役人の言うことは、エリアによって千差万別である。どれが真実で、誰が正直で、僕は何に従うべきなのかと、いつも深い霧のかかった山中を彷徨っている感覚にとらわれる。
 そんな風に、いつもどこでも遭難のような憂き目に遭うフィリピンを実感している我が身としては、ときに老後の居住地として、地上の楽園とまで称される(業者によれば)この国が、本当に地上の楽園と呼ぶに相応しい場所なのか、素朴な疑問がゆらゆらと沸き起こる。そもそも地上の楽園というものには、ろくなことがない。かつての満州、北朝鮮、ブラジルと、いずれも移民は、地上の楽園で辛酸をなめた歴史的事実がある。フィリピンにしても、人を惑わさせるための間違った行き先案内板がそこらじゅうにあり、くもの巣のようなトラップの網が張り巡らされ、人生のアクセントとしてはいささか重すぎるストレスの素が蔓延しているのだ。
 私事で、このわずか一週間の出来事を思いつくままに列挙すれば、次のようになる。

 約束は常に反故され、予定は予定通りに進まず(今回の帰省で、フィリピンの自動車免許が取れると確約してもらっていたが、帰ってみるとまるで話が変わっていた)、家庭内には浮気疑惑と嫉妬による険悪な空気が渦巻き(断っておくが、僕とモナのことではない)、変質した食品が平気で売られ(今回知らずに食ってしまった。まずいものが多いので、悪くなっているのかオリジナルの味なのか判別困難なケースが多々あり)、家電製品売り場ではそれらしい嘘がまかり通り(一層式全自動洗濯機は水道の水圧が低いとすぐに壊れる。それを信じたわが妻は、昨年面倒くさい二層式を買った)、トイレのう@こは上手く流れず(これはいつものこと)、水道の水圧とインターネット速度は乱高下し(ここでのインターネットの速い速度とは何とか耐えられる速度。低い速度は実用できないレベル)、水圧が下がるだけならまだしも、休日の夕食時に前触れなく水道が止まったり(当然トイレのフラッシュができず、あるお方は自分だけすっきりした後にトイレ使用禁止令を出したが、そのお方が寝たあとに僕もこっそりすっきりした)、バイクを使おうとすればガソリンがなく(使い放題だが誰もガソリンを入れない。バイクのあいているときはガソリンのないとき)、街では急増した80年代のロックンローラーみたいなチャラ僧に身の危険を感じ(目が合うとからまれそうだが、珍しいのでついつい見てしまう)、今にもホテルに直行しそうな、公衆面前でいちゃつく十代半ばカップルを見かけるたびに自分の娘のことが心配になり(一回の外出で三組ほどのそんなカップルをみかける)、テフロン加工のフライパンで料理をするとコゲがこびりつき(テフロン加工に金属調理器具の使用は厳禁と言っているにも関わらず、僕が見ていないと平気に使用するので表面が傷だらけになっている。何度言ったらわかるんじゃ、ボケェ〜・・・と言いたくなる)、料理専用ホワイトシュガーと鶏から揚げに使用したい蜂蜜が無くなっており(調理途中の鶏肉を前に呆然自失となった)、焦りながら大切なデータを待っていたら、まるで嫌がらせのような唐突な停電でインターネットが使用不能になり、仕方なく書類なしでLTO(免許センター)に行くと、こちらも停電でプロセス不能だと言われた。(行政機関が停電で業務停止になることに唖然とした)

 ここには人の神経を逆なでし、徹底的に人の気分を落としめる自然の摂理のようなものがある。思い出すだけでも腹が立つことばかりだ。これがフィリピン生活のクオリティーである。
 実際の人生は、苦悩の連続とよく言われるし、僕もそう考えて差し支えない(そう考えた方がベター)と普段から思っているが、これだけ思ったように物事が進まないことが続くとこれは、まさに人生の挫折を凝縮した、身動きの取れないブラックホールに吸い込まれてしまったかのような錯覚に陥いるのだ。実際、これで僕の人生が崩壊するわけではないしそのことはよく分かっているのだが、その場になると本当に、自分の精神が壊れそうな混沌とした気持ちになることがよくある。
 もし仙人のように、この世のことで達観の極致を目指す方がいるならば、その登竜門の一つとして、フィリピンを精神修行の場で活用するのもよいだろう。修行の場としてここは、正直なかなか相応しい場所だ。
 事実、以前ならこめかみに浮かんだ血管が切れそうになるほど怒り心頭になっていたこれらの事象に、今の僕は、静かに語る嫌味の二つ三つで、それらを辛うじて受け流すことができるようになっている。凡人の自分が意識せずにそのようになれるのは、フィリピンでの素晴らしいトレーニングのおかけだ。怒りを発散しないと、今度は身体の内に澱がたまったみたいな重苦しさがあるものの、それも直に克服できるのだはないだろうか。フィリピンでの経験が、僕の体内に、ある種の免疫を増殖させているのは明らかだからだ。まさにこれは、精神修行の賜物である。あがいても無駄だと悟ったに過ぎないということは否定しないが、その悟りも大切なのだ。この悟りにたどりつけない人が無理をしてフィリピンに住み続ければ、人の寿命はじわじわと削り取られるように縮むと僕は信じている。
 僕はフィリピン初心者の頃、当時勤めていた会社のフィリピン工場のトイレで、えらい目に遭ったことがある。快便にすっかりご機嫌で水を流したら、便器の中の水かさがゆっくりじわじわと上がり、僕は何が起こったのか分からず、そしてこれから何が起こるのか見届けたい好奇心に駆られ、それをじっと見つめていた。ゆっくり上がる水かさは、とうとう便器の上淵に達し、秋田沖地震で初めて見た、防波堤を超える海水があっという間にパーキングに停車中の何台もの車を飲み込んだ津波映像のように、床にざざざと流れ落ち始めたのだ。もちろん流れ出る水には、自分の体内から排出されたばかりの、新鮮な『あれ』が混ざっている。狭い個室の中、足元に迫る勢いの汚水洪水にハッとし、僕は慌ててドアを開け個室から逃げ出した。後で考えれば、このときトイレのドアが壊れそこに閉じ込められたら、逃げ場を失った僕はトイレの中で絶叫しただろう。そんな想像するだけでも恐怖が倍増する出来事だった。個室から逃げてトイレの隅で成り行きを確認していると、個室下側の隙間から流れ出した、新鮮な『あれ』を含む汚水がトイレの床に広がっていくのだが、僕はどうすればよいか分からず立ち往生するばかりだった。その後、その出来事を仕事仲間に報告する僕は、その中で「恐怖で寿命が縮まりました」という本心を、無意識に吐露している。
 これも、フィリピンでは寿命の縮まる出来事が、身近に簡単に起こるという一つの例だ。しかもこれは、ほんの一例に過ぎない。
 とにかく、ストレスと人間の体調は、人々が考えている以上に密接な関係があるのだから、如何にそれを克服するか、それがフィリピンになじむ一つのポイントになるだろう。

 人の寿命といえば、人の命が安いといわれるのもフィリピンだ。噂では、ヒットマンは二万円くらいで雇えると聞いたことがある。日本人にとっては、人殺しを依頼するのにたった二万円かと驚くほど安い金額だが、ある種のフィリピン人にとって、これはとても大金だ。(ある種の日本人、つまり僕にも大金だけれど)もっとも円安の影響で、今は二万円もせいぜい八千ペソ弱程度にしかならないから、依頼する相手から「これっぽっちか?」といわれる可能性もないではないが、「今は金がないからこれで頼む」と頭を下げれば、「しかたねえなあ、今回は貸しな」と引き受けてもらえそうな気がする。(実際に頼んだことはないが)仕事の正確さについては分からないが、とにかくこのように、無理がきくのがフィリピンのよいところだ。普通に無理な話が、こちらの根性次第で、何とかなってしまうことがあるのだ。 
 これは何かといえば、つまり『いい加減』なのである。いい加減というのは、ケースによっては腹が立つが、ケースによってはとても都合がよくて有難い。

 実際僕は今回の帰省で、フィリピンの自動車免許を取れるといわれながら取れない事態に遭遇し、「みんなどうしてこうもいい加減なんだ」と立腹していたが、最後は本物のフィリピン免許証を手にできて、「みんないい加減で助かった」と喜んだ。
 なぜ今更フィリピンの免許証なのかについて、詳細は割愛するが、要はマレーシアでの運転にどうしても必要だったのだ。既に有効期限が切れて三年以上も経つ日本の免許を日本で復活させるのは面倒だし、マレーシアで一から取りなおすのも時間と金がかかるので、フィリピンに白羽の矢を立てたわけである。あまり詳しく書いて、せっかく取った免許の取り上げという事態になっても困るので書かないが、一応英語の筆記試験と運転技能試験と身体検査をパスした、紛れもなく本物の免許証だ。
 試験直前、筆記試験は何とかしてくれるという話しが、まじめに受けてもらうということになり、慌ててインターネットで過去問題集を探した。練習問題は簡単な気はしたが、時間がなくて百問中十問までしかトライできず、しかも、回答した十問の答えをどうやってみればよいか分からず、結局無意味な悪あがきとなった。
 そしてドライビング試験では、モナに「マニュアルシフトの車は運転できるの?」と訊かれ、「たぶんできる、最後に運転したのは二十年以上前だけど。つまり根拠のない自信、フィリピンスタイルだ」と答えたら、彼女はため息をついていた。
 身体検査は面白かった。視力検査で最初にメガネをとってくれといわれ、裸眼はほとんど見えないことが露呈した。ここまでは想定内で、『さあ次に、メガネをつけたらしっかり見えることをアピールしなければ』と意気込んでいたら、「もう結構です、メガネをつけて運転ね」といわれ検査終了。診断する医者は、メガネをつけたら絶対見えると思い込んでいるようだ。もしかしたら僕のつけているメガネは、単なるガラスがまはっている似非メガネかもしれないし、フレームだけでレンズがないかもしれないのだが、ドクターはそんなこと、まるで疑っていないようだった。
 過去、日本で電車から降りた際、人にぶつかりメガネを飛ばされたことがある。特に怪我もなく落ちたメガネを拾ってつけて、僕は何事もなかったように目的地へ歩きだしたが、しばらくしてから僕は、街や人の様子に奇妙な違和感を覚えた。何が変なのかすぐに気付かなかったが、あっと思い当たりメガネのレンズがあるかどうかを確認しようとして、人差し指を眼球に突き刺しそうになったことがある。人とぶつかったとき、メガネのレンズが落ちてしまったのだ。突然メガネがフレームだけになっても、本人も含め意外とすぐには気付かないものなのだ。そして面倒だからと、レンズのないメガネをそのまま使い続けることだってあり得るではないか。(かなりレアケースだけれど)
 そんな込み入った想像をもとに疑うことなど、日本人でもしないだろうが、とにかく『メガネを付けたら見える』ということは、確認すべきではないかと思われる。これなど、メガネを買えない人には実に都合のよい、『いい加減』である。
 
 この『いい加減』も、よい言い方をすれば寛容ということであり、きつきつに縛りの利いた日本社会で暮らす日本人には、これが新鮮で心地よいということが、実はよくある。もちろん、腸わたが煮えくり返るほどむかつくこともある。うまく折り合いをつけるには、こちらもある程度いい加減になればよく、いい加減同士がいい加減なばか騒ぎをしてみると、これはこれで開放感があり楽しかったりするのである。
 僕の場合、フィリピンが酷いところだといって、だからバイバイと簡単に言えないくらい深みにはまっている。家族がいる限り、切っても切れない繋がりがあるのだ。とすれば、色々な問題は克服するしかなく、自分が変わるか、相手に変わってもらうか、もしくは環境を変えるか、たまには爆発するか、じっと殻に閉じこもるか、ケースバイケースであの手この手の対応をするしかないということになる。
 ただ一つ言えることは、そしてここが大事なのだけれど、数ある困難もフィリピンが好きであれば何とかなるもので、もし嫌いであれば何ともならない。また、いろいろフィリピン人とぶつかることがあっても、フィリピン人に好かれるか嫌われるかで、ことの成り行きは大きく変わる。
 長々と書いた割りに、こんないい加減な結論で締めようとしている僕も、かなりいい加減であるが、最後に一つだけ念押しするなら浮気のことになる。
 いい加減(寛容)なフィリピンでも簡単に許してもらえないのが、この浮気だ。フィリピーナの嫉妬心をなめてかかる、もしくは不用意にプライドを切り裂くことがもしあれば、修行どころの騒ぎではなくなるので、この地雷だけは踏まぬようお気をつけあれ。
 


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posted at 11:59
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:737.いい加減なフィリピン
この記事へのコメント
初の投稿で失礼します。私は日本に居ながら、markさんの文章を拝見させて頂き、フィリピンの風を感じている若輩者です。最近、markさんの投稿があまり無く生き甲斐の一部を失っています。真に身勝手な言い分ですが、ブログの投稿を少しでも、増やして頂けるととても嬉しく思います。乱文、失礼いたしました。
Posted by kei at 2015年03月03日 11:05
>keiさん
こんばんは。はじめまして。
最近すっかりサボり癖がついてしまい、申し訳ありません。
このブログが生甲斐というのもどうかと思いますが、ブログの書き手としては、大変光栄なお言葉を頂戴し、ありがたく思っております。
本当にありがとうございます。
最近は読書に没頭する日々が続いていて、書く方がなかなか進まない状況ですが、全く書いていないわけでもないんです。ただ投稿できないだけで・・・。
せっかくありがたいお言葉を頂戴しましたので、少し取り組み方を考えさせて下さい。
宜しくお願いいたします。
Posted by Mark at 2015年03月03日 22:57
御忙しい中、御返事を下さり恐縮しています。私はMarkさんと奥様の会話や、やり取りがとても好きです。今後も期待して拝読させて頂きます。有り難うございました。
Posted by kei at 2015年03月04日 02:33
更新してください。ありがとう。
Posted by yuichica at 2015年03月19日 23:09
もしかして、あなたは・・
Posted by kei at 2015年04月03日 21:38
>yuichicaさん
どうにか更新しました(汗)
Posted by mark at 2015年04月05日 12:46
>keiさん
本日更新した記事の中で、お返事のような内容を書かせていただきました。
Posted by Mark at 2015年04月05日 12:47
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