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2015年06月24日

743.安全保障法制法案について3

(前回の続き)
 このようなアメリカ情勢の中、今世界各地で起こっている衝突や摩擦は何か。
 つまり、ISILが世界の耳目を集めたけれど、彼らが行っていることは何か。中国がチベットや南シナ海で行っていることは何か。韓国が日本を敵対視するのは何か。ロシアがヨーロッパを牽制し始めているのは何か。アメリカが中国を意識するのは何か。
 これらの対立や侵略、摩擦の中に、かつての米ソ冷戦に見たような主義の違いはない。宗教的対立の背景もない。ISILはイスラム教を掲げているけれど、それはたまたまであって、彼らが目指すのは自分たちの存在を世界に認めさせることである。もちろんISILの産みの親、育ての親がアメリカであることは承知しているし、ISILの言動には、あまりに都合よく利用された民族としての怒りが含まれていることも想像に難くない。
 つまりこれらは全て、民族としての主張や民族としてのエゴ拡散、押し付け、貫きであって、よって僕は現在の状況を、民族主義の台頭と述べたわけである。その背景には、アメリカの暗躍、策略、その失敗と影響力の減退などが密接に関わっていると思われる。同時に中国の悲願は、アメリカに代わって世界の国々を実質上自分たちの配下に置く、世界の覇者になることである。強大な権力を手に入れ、思うがままに世界を操りながら自分たちの私腹を肥やしたい、その一心だろう。そのため数年前より、軍拡はもとより、世界各地への大々的な資本投下など、中国は様々な手を具体的に打っている。もちろん金融面では、中国元が世界でイニシアティブを取ることが中国の悲願であり、実現可能かどうかは別として、前述のIAABはその布石の一つと考えるべきだろう。
 もちろんアメリカの本音は、中国の勢力拡大をできるだけ食い止めたいところにあるはずだ。これは決して世界平和のためではない。アメリカのすることは、世界平和、正義の名の下、自分たちの利権を維持し、それが脅かされるのを食い止めるためであることは明白だ。それはかつて日本が開戦に追い込まれたときのように、いつでも策略と事実の捏造によって行われる。
 よってアメリカは現在、インドとの急接近を果たし、日本を始めとする東南アジア諸国との関係を見直し、その中にオーストラリアまで含めている。こうして中国包囲網を強化しようとしているのだ。
 本来アメリカは、韓国にもその陣営に入って欲しいはずだけれど、しかし韓国の態度が曖昧かつ韓国が中国とアメリカとの間でコウモリ外交を繰り返していることから、アメリカは韓国を見放そうとしているように見受けられる。そんな状況とともに、従軍慰安婦問題を始めとするアメリカの対韓国政策において、米国議会や米国国民の考え方、意見の方向性が大きく転換されつつあるのだ。韓国はそれに対し不満を漏らしながらも、孤立する恐怖に怯えだしている。同時に韓国は無能な指導者を持ったことで、経済状況を含む国内状況が目に見えるほど悪化した。干ばつや伝染病がそれに拍車をかける中、不思議とあの国を助けようと動く国がないことが、ますます孤立感を高めている。韓国はこのまま、中国の属国になる道を選ぶのだろうか。
 
 話しを戻すと、今の世界は露骨とも言えるほど、弱肉強食の時代である。資本主義システムに先鞭をつけた国が力をつけ、それらの国々が後塵を拝した弱い国から搾取し、ますます力を蓄えるという構図である。既得権益を持つ国々はそれを手放したくないし、搾取される側の国では、権力者が国民の犠牲の上に自分達が潤えばよいという政策が見え隠れする。発展途上国と呼ばれる国々では、権力者が、まるで国民を差し出して自分達の安泰を保証してもらっているような格好だ。
 経済的な力関係が中々縮まらない仕組みの中で、どの民族も世界で大きなイニシアティブを発揮できる国でありたい、搾取される側より搾取する側になりたいと願っているのである。そしてときに、暴挙に出る民族が出現する。中国は経済的に奇跡的な逆転劇を成し遂げ、千載一遇のチャンスに世界トップの座を虎視眈々と狙う。
 一昔前ならば、アメリカは出る杭を打つため、中国との開戦に持ち込んだかもしれない。しかし現在、世界経済は複雑に絡み合い、一国の失敗や滅亡が自国に跳ね返るというジレンマが存在する。その加減を見ながらの綱引きとなるからややこしいのである。
 例えば中国とアメリカは、お互い戦争も辞さないということを言いながら、水面下では中国TTP加入の交渉を行っている。経済圏では仲間になろうとし、勢力圏では敵対関係に拍車がかかろうとしているのだ。この妙にねじれた事例は日本にも当てはまる。中国から撤退表明する日本の会社や工場が増えているとは言え、日本経済に中国経済の影響は大きい。おそらく日本は、世界で一番中国景気動向の影響を受ける国ではないだろうか。日本の対中国輸入/輸出が共に十数兆円になっている現在、中国が倒れれば日本の打撃は計り知れない。現在の安倍政権が中国に対し強気の態度を示すことができるのは、まさにこのせいである。影響が大きいのはお互い様であり、お互いがそのことを意識せざるを得ないことを逆手に取った作戦だろう。民主党政権のように、国益を無視し中国や韓国にへつらうだけの態度は、相手を付け上がらせるだけで日本に何も益がないことを見越した対応だと思われる。
 特に中国は、本当に信用ならない国である。GDP世界第二位の有力国になってさえ、これほど世界の中で傍若無人な行動を取る国が他にあっただろうか。第二次世界大戦以降、武力を背景にした他国侵略、人権蹂躙を実行する国は中国だけという事実を考えても、中国だけは用心する必要があるだろう。中国人の心の深層には、未だに国取りゲームの感覚が根付いているのではないだろうかと思われるくらい、彼らは侵略・弾圧にアグレッシブである。
 外からは中々見えないけれど、中国国内における権力争いも熾烈だ。習近平国家主席は政権発足当初、胡錦濤や江沢民に配慮した勢力均衡配慮型の人事を取らざるを得なかったにも関わらず、その後地道に勢力拡大を図り、先日、未だに陰で大きな影響力を発揮していたた江沢民元国家主席の寝首をかくため江沢民側近数名を要職から追放、そしてこれまでのタブー視されていた江沢民の地元訪問を決行し明確な反旗をあげた。(確か、地元にかかる大きな橋の名前を、江沢民を称えるものから蔑むものに変更した)これを乗り切った習近平は、地方と中央官僚にその力を誇示することに成功し、これまで江沢民を恐れていた役人たちが、今度は習近平を恐れ何事も逆らえない状況になっている。もし習近平の逆鱗に触れれば、それは更迭などという生易しいものではなく、粛清という名の死が待っているからである。こうした生き馬の目を抜くような世界で、彼らは常に人を騙し出し抜き、自らの安泰を手にすることを考え実行しているのだ。こうした人たちに、果たして性善説は通用するのだろうか、僕は甚だ疑問に思っている。 
 前編で僕が、異民族は自分達と違うと書いたことを思い出してほしい。個別に向き合っている間はそれらを理解できていると思うけれど、なぜか日本人はそのことを忘れ、すぐに性善説に基づいた思考に傾く。
 常識的に考えれば侵略などあり得ない、武器を使わない日本人は世界からそのことを尊重される、平和的対話の精神を貫けば平和を手にすることができる、人とは元来そのようなものだ、こちらの平和的理念は同じ人間として相手の心に必ず響く。
 それは理想だけれど、果たして本当にそうか。それをギャランティーできる裏づけが何かあるのか。
 相手がいることで、もちろんそれは相手次第だけれど、それが通用する相手もいれば、通用しない相手も世界には間違いなくいるということも言えるのではないか。結局は相手次第ではないのか。無力のチベットが中国に何をされたか、それほど遠くない過去に起きた現実をどう考えるべきなのか。

 フランス文学の世界に、構造主義というものがある。詳細は忘れたけれど、全ての事象には構造があり、その構造を抽出して事象を解析したり本質を捉えようというものだ。構造主義そのものにはあまり興味をひかれなかったけれど、一つだけその中で、僕の心の中に居座った文言がある。それは、「世の中に普遍的なものは極々僅かしかない」というものだ。これは、人があまりに常識と思っていることや普遍的なものと思っていることも、実はそれらのほとんどは、その時代、その場所、その環境で育まれた極めて限定的なものであり、百年も経過すればそれに対する考えや感覚は変わってしまうという意味合いだ。限定的なものであるならば、それは普遍とは言わない。つまり、本当の普遍的な物事とは、非常に稀ということだ。
 そうした目で世の中の事象を眺めてみると、何が正義で何が真理なのか、次第に分からなくなってくるのである。前編で書いた子供の虐待の件にしても、親の子供に対する愛情について、次第に世の中の感情そのものが変わってきているのではないかという疑いまで持ち始める始末だ。(よって僕は、虐待に嫌悪感を抱くし嫌いだけれど、何が正しいのかは分からないということを書いた)
 もう一点、直近の例を示せば、かつて湾岸戦争のとき、自衛隊を派遣するかしないかで大激論となったはずだ。当時、何をするにしても派遣はならんという強硬意見が目立ったと記憶しているが、今議論されているのは一歩進んで、派遣はPKO(Peace Keeping Operation)の範囲にとどめるべきとなっている。いつの間にか自衛隊派遣は、内容次第になっているように見えるのだ。湾岸戦争はたかだか25年前のことだから、それだけの期間で日本人の感覚も随分変わったと思うのだけれど、僕はこうした変遷を見ながら、一つの常識や感覚は百年も継続しないという先人の言葉を、確かにその通りだと感じるのである。同時に世界の中での日本の立ち位置や振る舞いも、情勢や状況に合わせて変えていくべきではないだろうか。
 
 日本人の常識は、あくまで日本人の常識に過ぎない。ときが経てば常識が変わるのと同じく、場所が変わってもそれは変わるし他国のそれとは違うのだ。そして、異民族が自分達と同じ思考を持つというのは幻想と思った方がよい。仮にそれが間違っていたとしても、セーフティーフェールとしてはその方がいいのである。 
 そして時代と共に、現実の環境は刻々と変わっている。そのような中、中国と面と向かって喧嘩をするわけにもいかない日本が取るべき戦略は何か、それが現在試されている。
 丸腰万歳、平和主義貫徹か、独自に強力な軍隊を再構成するか、中国またはロシアと友だちになるか、あるいはアメリカと手を組むか。選択肢はそれほど多くない。
 僕はアメリカを腹黒い国だと思っているけれど、日本一国でこの状況に臨むより、実績のあるアメリカとの同盟強化が無難な選択ではないかと思っている。もちろん中国と組むのは論外だ。

 さて、現在紛糾している安全保障法制関連法案は、気付けば政争の道具となっている感がないでもない。いつの間にか話しは、これを許せば戦争だ、徴兵制度だと飛躍している。もともと日本が許容してきた従来の自衛権発動としての武力行使は、次の三要件に該当するかどうかで判断されることになっていた。

旧三要件
(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること
(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 これに対し、今紛糾している武力行使の新三要件は、次の通りである。
新三要件
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 公明党が本法案に大きな足かせをはめたことが伺えるこの新要件は、何かあったときに、緊急で現実的対応が可能なのだろうかと心配になるほどである。また新要件は、旧三要件と比べ何が問題なのかよく分からない。言っていることは、当然の内容にしか見えないのである。
 そこに様々な不安を煽る文言を重ねて目を吊り上げる人たちとは、一体何が目的の何者なのか。法案文に対し、もっと直裁な議論ができないものだろうか。あちらこちらから色々な話を担ぎ出すのは、法案への直接議論を避ける狙いがあるのだろうか。あるいはここぞとばかり、何かの憂さ晴らしをしているのだろうか。
 このように、この手の話題にアレルギー体質のある日本において、これほど明確な方向性を打ち出した安倍さんを、僕は支持したい。少なくとも僕には、常に臭いものに蓋をし、国民と官僚の間を行き来し双方の機嫌を取り、我が保身ばかり考える政治家よりも遥かにましに映るのである。
 よく思い出して欲しい。現在の消費税を決めたのは、日本がデフレで喘いでいるときに民主党が決めたことだ。官僚に言いくるめられたに違いないけれど、デフレ時に消費税増税など、自らの無能を宣言しているに等しい政治判断である。愚行はそれだけではなかった。それに対し、時局を鑑みその実施延期を決めたのは安倍さんである。極めて対称的なそういった一つ一つの判断実績をみて、日本は安倍さんに随分救われたと思っている。同時に中国や韓国、そして米国に対する態度も民主党とは見事に反対だ。そして悪くない結果を残している。僕はそういったリーダーを信じて、安倍さんを支持したい気持ちになるのである。
 それでも仮に安倍さんが、日本を安直に戦争に導くようなことをすれば、僕は突然アンチ安倍になるだろう。戦争が極力避けたいことであることは当然である。まして、自分の子供や孫が徴兵で取られ戦場に行くなど、考えただけで体に悪寒が走る。そう言いながら、自分の家族が蹂躪される事態になるなら、自分は銃を取って戦う道を選ぶだろう。座して屈辱を味わい、座して死を待つことなど到底できないことである。そしてそういった事態を極力回避するために、強い抑止力が必要という考えも変わっていない。
 なぜなら、世界には自分達とはかけ離れた性質の民族や国が、実際にあるからである。
  


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この記事へのコメント
ちょっと安倍さんは強引なところはあるけれど
中途半端な決断をしていないところは良し悪しを別にして
一定の評価は出来ると思う。
もともとこの法案は海賊対策の延長線上から浮上してきたような気がしてなりません。
日本の商船を守るために丸腰の自衛隊を派遣してどうする?って議論が随分なされたと思う。

座して死を待つよりは……
そうですね。
私も家族を守る為なら銃を手に戦うでしょう。

日本が敗戦からこれまで守ってきたのは
侵略された場合でのみの武力行使。
侵略以外でも武力行使が可能になるのが問題だと。
一旦リミッターを外すと、また第二次世界大戦のように
嵌められて戦争当事国になりかねないってのがあるんじゃないかね。

まぁ中国のように現在でも侵略と略奪を平然と行っている国が隣国にある以上、綺麗事では済まされない事態が想定出来ないでなないけれどね。

要は平和ボケした今の日本じゃマズイって事だけは間違いないね。
Posted by ジェンさん at 2015年06月27日 07:46
>ジェンさん おはようございます。 記事の中ではきっぱり書きましたが、僕の法案に対するスタンス、安倍さんに対する印象、頂いたコメントと同じです。 実は僕はかつて、民主党支持派でした。色々な議員さんと直接お会いし、選挙も随分手伝いました。当時から腹の立つ人もいましたが、管さんなどは初めて会い話しを伺ったとき、すごくカリスマ性を感じ、この党にも随分いい人がいるなぁなんて思ったものです(笑) (今でもコツコツやっている応援すべき人は実際にいるのですが) 僕がこのような活動で学んだのは、議会制民主主義とは何ぞや、ということです。 国民は自ら自分たちの代表を選び、選んだ代表に判断、運営を委ねるのがその本質です。 だめと判断したら、次の選挙で選ばなければいい。 日本人は惰性で国政選挙に臨んでいると思っていましたが、自民党>民主党>自民党の流れで、しっかり選んでいるではないかと思っています。 次がどうなるのか、楽しみですね。安倍さんは少し危険なにおいがしないでもありませんが、替わりは誰? どの党? と考えると、なかなか・・・というのが、日本の現状かもしれません。
Posted by Mark at 2015年06月27日 08:37
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