フィリピーナと共に
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2015年08月05日

751.子育て奮闘日記

 朝のコーヒーを飲みくつろいでいる僕の視界の隅に、よたつきながら懸命に枕を運ぶダイチの姿が入ってきた。僕はキッチンカウンターの少し高い椅子に座ったまま、じっとその様子を観察している。枕はベルとユリの部屋から持ってきたようで、それが小さな彼の体を大きくはみ出している。
 彼が枕を抱えているというより、彼が枕に抱えられているような姿は、「朝からご苦労さん」と声とかけたくなるほど痛々しく健気でもある。
 彼の体がぐらりとふらつくたびに、僕は反射的に椅子から尻を浮かしてしまう。そしてついに僕は我慢できなくなって、お節介をやいた。
 広げたダイチの両手に収まりきらない枕の方向を九十度変え、持ちやすくしてあげたのだ。しかし今度は枕が彼の顔をふさぐことになって、前方視界不良の彼が壁に激突しそうになるものだから、僕はそれでまた慌てる。
 その少し前、彼は子ども用の椅子を部屋の中央に運んでいた。彼は椅子をおなかの上に乗せるようにして、少しのけぞる姿勢で歩いていた。これも彼にとってなかなか大変な作業だけれど、椅子を部屋の中央に置いたあとは作業完了に満足したらしく、彼が苦労して運んだ椅子はそのまま放置されている。
 彼には彼なりの目的があってしていることだろうけれど、それがこちらにはさっぱりで、彼の行動には多くの不可解さが含まれている。
 とにかくダイチは、いつでも朝からこんな風に元気だから、マレーシアに来てからおおむね健やかに成長しているといってよい。
 けれど彼は、ここに引っ越してから二度ほど病院に行った。
最初は熱を出したときで、二度目は椅子で遊んで転んだ際、テレビ台の淵に額をぶつけ激しく流血したときである。
 額だから実際の怪我以上に血が出ることは珍しくないけれど、この怪我でモナは血相を変え、知り合いに連絡して彼を病院に運んだ。
 モナは「わたしパニックになってたよ」と言う割りに、お願いしたのはしっかりドクターの奥さんで、ダイチはその旦那さんの元に運ばれた。結局三針縫う傷だったけれど、ダイチの額にはこのときの傷跡が名誉の負傷のようにくっきり残っている。周囲の人は、その傷で「男らしさが増した」などと言っているけれど、確かに今回の傷跡は、彼の精悍さを数段増した。ときどきダイチの放つ人相の悪い目つきと傷跡は、とてもよくマッチしていると僕は思っている。
 それに反してモナは、せっかくのポギー(ハンサム)な顔に傷がついたと、少しショックを受けたようだ。そんな彼女に僕は、「子供の傷跡なんて、大きくなったら綺麗になくなるから心配要らない」と言っている。
 それにしても、なぜモナは自分の子供をポギーと言って憚らないのか、僕はいつもそのことを不思議に思っている。ポギーと思うのは勝手だけれど、だれかれ構わずそれを言うのは、手前味噌過ぎて恥ずかしいというのが、日本人としての僕の感覚だ。
 第一子供の何がポギーなのか、僕にはさっぱり分からない。ダイチを人並みにかわいいとは思うけれど、特別ポギーだとは思えないのだ。どうせ子供の顔は、成長と共に変化していく。当然ぶさいくがハンサムや美人になることもあればその逆もある。だから今の彼の顔を云々と評価するのは、ナンセンスというものだ。
 いずれにしても将来のダイチにとって、彼を溺愛する母親モナの存在は、かなり煩わしいものになるかもしれないと、僕は今からダイチに少しだけ同情を寄せている。
 
 フィリピンのビコール(タガログもそうなのかもしれない)で、体をどこかにぶつけることを「タンコ」というらしい。ダイチは今でも突然テレビ台を指差して、「タンコ!」と叫ぶ。叫ぶのはいつも突然のことだから、彼はおそらく、怪我したときのことを突然思い出すのだろう。TV台を憎々しく思っているのかもしれない。
 とにかくダイチは、歩くにも安定した足捌きとはまだ言えず、軽重合わせてタンコが多い。
 ここに引っ越した当初ダイチがどこかにぶつかると、モナは泣いている彼をあやすため、ダイチがぶつかった物に「これが悪いね、悪い悪い」と言って物をぶっていた。しかし物は動かず、何も悪さをせずにそこに存在していただけである。本当に悪いのはそこにぶつかっていったダイチの方だ。だから僕はモナに、物が悪いように言うのは止めるべきだと進言した。子供には、自分が悪かったことをきちんと教えてあげなさいという意味である。そうでないと、子供は反省する大切な機会を逸し、同じ過ちで怪我をするという親心から、僕はそう言うのだ。
 当初僕は、普通のことを普通に言ったつもりでいたのだけれど、後々考えてみると、そうした小さなことの積み重ねが、将来のダイチの考え方を決めていくように思えてきた。
 タンコの例では、自分でぶつかっておいて相手が悪いと慰められるのと、自分が悪かったのだから、今後気をつけるようにと教えられるのとで、随分違うように思えるのである。
 このようなことから僕は、フィリピン人は小さな頃から、そんなに細かいことを気にせずに育てられているのかもしれないと想像し始めた。そう考え出すと、思い当たることがいくつかある。
 腹を抱えて笑ってしまうような面白いことは大人が子供を巻き込んでワルノリし(それが少々マナーに反していいることでも)、食事中に子供が歩き回ればヤヤ(ベビーシッター)が食べものを持って子供の後ろを追いかける。そして子供が悪さをしたときにきちんと叱らない。それどころか甘やかし放題。他人の家におじゃまして子供が勝手し放題でも親は注意せず。おもちゃは散らかしっ放しで、これも親は見て見ぬふり。少しましな人は、「本当に酷いのよ」と嘆くだけ。つまり嘆くだけましだと言うことだ。
 このような子供に対する小さな対応の違いは、積み重なって、子供の将来の言動に大きく影響を与えてもおかしくない。
 タンコの小さな例を一つとっても、僕は家族を傍に呼び寄せたことを正解だったと思うようになった。
 もちろん子供たちがいつも騒いで、煩わしいことが全くないわけではない。小さな子供を追い回すのは、五十過ぎの僕には結構堪えることも多い。まるで部屋の中に突然現れて逃げ回る、小さなネズミを追いかけているようせせこましさがある。本当に僕は、腰を折って両腕を前に出しながら、部屋の中を走り回っていることが多いのだ。
 ただ幸い、ダイチはモナの言うことよりも、圧倒的に僕の言うことをよくきく。子供には、犬のように、一家の主人が誰なのかを嗅ぎ分ける能力があるようだ。
 ダイチが危ないことをしそうになると、僕は大きな声で「タンコ!」と叫ぶ。するとダイチはぴたりと動作を止めて、湿った目つきでこちらの様子をうかがう。
 タンコで流血したことによほど懲りたのか、それとも僕が怖いのかそれは分からないけれど、とにかく彼には、「タンコ!」の一言がよほど苦い薬よりも、目下のところよく効く。
 それでも彼はニワトリと同じで、三歩で僕の威厳のある注意を忘れてしまうのだ。すぐに彼は、果敢に新たな挑戦を始めるのである。男の子らしくてそれはそれでよいのだけれど、傍で見守るこちらはいつもハラハラして気が休まらない。
 
 朝の場面に話を戻すと、髭を剃り、飲み残したコーヒーを全て腹に流し込んだときに、弁当を間に合わせようと奮闘しているモナから指令が飛んだ。
「パパ、ユリのシャワー、一緒にやって」
 彼女の目が少々つり上がっている。朝早くからダイチの面倒を見て、子供に朝食を取らせ、子供の制服を準備し(ときには制服にアイロンをかけている)、その合間にときどきダイチを追いかけなければならなかったから、彼女は「今日は朝から疲れた」と、珍しく愚痴をこぼした。
 普段の僕は起床が早く、みんなが起き出すまでリビングで独り、コーヒーを飲んで本を読んだりしているのだけれど、同じく早起きをしてベッドから抜け出したダイチが、ひょっこりリビングに現れることがよくある。
 ダイチの目覚め方は独特だ。ぐっすり眠っているかと思うと突然目を開け、スパッと上半身が起き上がる。とても切れ味のいい起床だ。そして即行動、すなわちベッドの端まで這っていき、そこで百八十度くるりと体の向きを変える。つまりお尻をベッドの端に向け、つぎは匍匐後進でベッドを滑り落ちるようにして、しっかり足から床に着地する。この一連の動作はいつでも一心不乱だ。
 このように彼の目覚めには、眠りと覚醒の間に中間領域というものがない。モナはその様子を見ながら、「まるでロボットみたい」とよくケラケラ笑うけれど、僕も「本当に」と言ってつられて笑う。
 ダイチがリビングに姿を見せると僕は読みかけの本を置いて、ダイチを抱き上げ、ベランダで一緒に外の景色を眺めたりするのが日課のようになっているけれど(ダイチはこれが大好き)、昨夜はたまたま仕事が終わったのが夜中の二時過ぎで、今朝は少しゆっくり寝ていた。よってモナが全てを一人で仕切る必要があったから、彼女も少し目が回ったようだ。
 僕には、日本の主婦にとってこのようなことは、日常の当たり前なことのように思えるけれど、家族やメイドが色々なことを手伝ってくれるフィリピン人には、一人で全てを時間に追われながらこなすということが、とてもハードルの高い仕事に感じられるようなのだ。朝の家事に限らず、時間に追われて何かをするということに対しモナはとたんに体力を奪われるし、ベルもこの体質をしっかり受け継いでいる。モナは若い頃比べて随分たくましくなったけれど、まだまだ疲れやすい体質を残しているのだ。
「今日は早く会社に行きたいんだけどなあ」と、僕は独り言のようにつぶやいて、渋々ユリをシャワールームに連れて行った。
 シャワールームのドアをあけると、水道管に繋がるトイレのお尻洗シャワーホースを持って、「おー」と奇声を上げるダイチがいた。彼の奇声は、突然現れた僕に驚いた声なのか、それとも僕に何かを伝えたかったのか、あるいは悪戯しているがばれて誤魔化そうとしているのか不明だけれど、少なくともそんなところに彼がいるなんて思ってもいないこちらは驚いた。
「おー? なんで? お前、神出鬼没だなあ」
「おー」と、彼はシャワーホースを高々に持ち上げる。
「はいはい、でも、今は忙しいから、ちょっとあっちに行って遊んでて」
 僕は彼からシャワーホースを受け取り、転ばないよう背中をそろそろ押して、「あっち、あっち」と日本語で言いながら、彼をリビングの方へ追いやった。ダイチも「あっち、あっち」と僕の口真似をしながら、ペタペタとタイルの床で足音を鳴らしておとなしくリビングに行く。
 
 こんな風に、ダイチはいつでも自由気ままで神出鬼没で冒険好きだ。目を離すとどこかで危ないことをしているから、僕は必ず彼を自分の視界に入れておかないと、心配で仕方ない。ふとダイチが見えないことに気付いて、慌てて「ダイチはどこ?」なんて声を上げることもよくある。
「そこで寝てるわよ」
 モナが指を差す方に行くと、彼女が言う通りダイチは、ソファーで死角になっている床に寝転んで気持ちよさそうな寝息を立てていたりする。僕はそれを見て、安心してキッチンカウンターに戻り、ゆったりした気持ちで読書を再開する。彼が寝てくれたら、僕は本当の意味で物事に集中できるようになるのだ。もっともダイチが起きて、電源が入ったロボットがすぐ軽やかに動きを開始するごとく、彼の活動が始まるまでの短い時間だけである。
 これがベルの部屋に行ったなどと言われると、僕はわざわざ様子を見に行き、そのまましばらくそこにいるか、あるいは痺れを切らし、ダイチを抱きかかえてリビングに連れ戻すことになる。そして成り行き上、僕はしばらく彼のお相手をしなければならない。
 子供の特技は何をするにもしつこいことだ。付き合う僕は、同じ単純作業を何度でもやらされる。「忍耐力を鍛えるにはもってこいのトレーニングだ」などと自分に強く言い聞かせないと、とてもじゃないけどやってられない。
「やっぱり子育てというものは、若いうちに済ませてしまうに限るなあ」などとしみじみ思うことは、日常茶飯事だ。

 ダイチがマレーシアに来た当初、彼はしばらく離れて暮らしていた僕になつかず、僕に抱かれるのをとても怖がった。僕が近づくだけでおお泣きを始める始末だ。結局ダイチのおもりを一手に引き受けなればならないモナが苦労することになった。モールを歩き回るときも、ダイチを抱くのはモナの役目となり、その疲れで家に帰ると彼女はいつもぐったりしていた。
 そんなダイチが問題なく僕に抱かれるようになったのは、彼がここに来て二週間から三週間の間だった。思ったより時間がかかったのだ。ユリも小さいときには同じようなものだったけれど、抱かれるまでにかかった時間はユリの方が断然短い。
 最初の二週間、僕はダイチが早く自分に慣れるよう、いつでも彼におそるおそる接していた。最初はつかず離れずの状態を維持して、彼が遊んでいるときに少しちょっかいを出す。それで泣き出しそうになればすぐに離れ、また別の機会に同じことを繰り返す。タイミングを一つ間違えばおお泣きで、モナの手を煩わせることになった。「なかなかしぶといなあ。うん、男はやっぱりそのくらい頑固じゃなくちゃ」なんて、最初は楽観的にそんな風に思っていたけれど、幾日経っても状態が良化しない様子に、僕もそのうち「けっこうクソガキだな」なんて思うようになった。
 ダイチは哺乳瓶での粉ミルクを一切飲まないから、これが彼を手なずけるための大きな障害となった。僕は彼に、食べものを与えることができないのである。生命の源である母乳を与えることのできるモナの存在は、彼にとってとても大きいのだ。子供とは、その辺りを本能的に見事に察知し、しっかり認識している。
 幸いしたのは、彼の離乳食が既にスタートしていたことだ。本当に少ししか食べないのだけれど、そこに僕から彼に、食べものを与えることのできるチャンスがある。だから僕は、ダイチがクッキーを指差すと、すぐに封を切りそれを食べさせ、彼が冷凍庫のアイスクリームを見つけて指差すと、小皿にそれを盛って彼をソファーに座らせ、スプーンで彼の口に入れてあげる。とにかく彼が欲する食い物を、できるだけ彼の欲求に従って、僕が自分の手を使って彼に食べさせるようにした。
 これは効果があった。食べものの威力は馬鹿にできない。
 彼が僕に抱かれることに抵抗を示さなくなると、僕は積極的に彼を抱いた。家の中でもモールでもスーパーでも、重くて手がだるくなるけれど、筋トレのつもりで僕は彼を抱き続けた。
 最初、彼は眠くなってぐずると、すぐにモナのところへ行きたがったけれど、次第にそれがなくなった。モナが抱いているときでも、僕が「おいで」と言って両手を差し出すと、彼は自ら進んで僕に体を預けるようになった。
 きっかけは食べもので釣ったようなものだけれど、それ以降、僕は彼に愛情を惜しみなくそそいだから、その効果が現れたのである。抱きながら彼の背中をさする手も、場所や力加減、動かす速度に僕は細心の注意を払ったし、彼が眠そうなときにはいつも小さな声で歌を口ずさんだ。それもいつも、彼が心地よく感じそうなメロディーをその場で作る即興オリジナル曲である。
「なかなかいい曲ができたな」なんて自画自賛することもしばしばだけれど、たいがい次のときには全く違うメロディーになっている。
「前にできた名曲は、どんなのだっけ?」と考えても、一度も思い出せたことはない。
 モナは夜、早くゆっくりしたいから、ベッドの上でダイチを寝かせるのによく奮闘している。でも相手は子供だから、親の意を汲まずともすぐに寝るときもあれば、しぶとく遊びたがることもある。
 モナが少し苛立ちを見せ始めたところで僕の出番がやってくる。ベッドの上からひょいとダイチを抱き上げ、ベランダで涼しい風に当たりながら、海に浮かぶ船や道路を動く車、工事中のビルディング横にそびえたつクレーンの安全灯、メインランドの対岸に見える工場群の灯りなどを二人でながめ、そして彼の背中をさすりながら、僕は必殺のオリジナルソングを口ずさむ。次第に彼は眠くなって、僕の肩に頬をピタリと乗せて、しばらくすると両手の力が抜けてだらりとしだすのだ。
 モナは「あなた、本当に寝かすのうまいなあ、気持ちいいのかなあ」などとよく言うけれど、僕は本当に、子供を寝かすのがうまいのだ。その秘訣は、おそらく無理に寝かせようとしないことだと、僕は自分で思っている。
 こんな風に子供を抱いていられるのは、それほど長い年月ではないと思いながら、愛おしさを込めて僕は抱いているのだ。だからいつまでも抱いていたいという気持ちで抱いている。
 モナは忘れているようだけれど、ユリのときも同じだった。そのときもモナは、僕に同じ台詞を言った。そのときを懐かしく思うのか、ダイチが僕を離れているとき、ユリは頻繁に僕に抱きついてくる。隙を見つけてそうしているようにも見えるくらいだ。
 僕もユリとダイチが公平になるよう、できるときにはなるべく十八キロになったユリを抱いてあげる。
 もうじき六歳になる彼女は、外でそれをするのは少し恥ずかしいのか、「パパ、背中がいい」と言ってくる。僕がユリをおんぶして道を歩くと、彼女は「マミィー、見てみて」と言ってはしゃいでいる。ユリは表に出さないけれど、親の手がダイチにかかることを、きっと寂しく思っているのだ。だから僕は意識的に、ユリもできるだけかまってあげるようにしている。

 僕はこんな親の愛情が、長い将来に渡って子供の心に残るものだと信じている。親が子供にかける愛情が子供の優しさを形成し、将来子供たちが自分の子供を持ったとき、きっと同じように、自分たちの子供に自分が受け取ったのと同じような愛情を捧げようとするのではないだろうか。
 僕の子供に対する愛情は、子供たちにしっかり伝わっていると僕は思っている。だから僕は、叱るときには遠慮せずに子供を叱ることができるのだ。叱ったときには子供は泣いたりするけれど、ユリもダイチもやっぱり僕に寄ってくる。もちろん僕だけではなく、モナにもしっかり寄り添う。
 僕が子供を叱ったときに、モナは持ち前の優しさで子供を包み込むように慰め、叱られた原因を静かに子供に説明している。そんな子供の逃げ場をモナが上手に作ってくれるから、僕が叱り役を本気でできるのだ。
 僕とモナは、お互いのこうした役割分担をこなしながら、そこそこ上手に、子供たちに愛情をそそげているような気がしている。

 もっとも年頃のベルには、二人で少し苦戦している。彼女には、最初はうるさく苦言の連続だったけれど、最近変化の兆しが見えてきたので、様子を見ながら説教を控えめにしだしているところだ。
 ただ、ときどき彼女はフェイスブックで問題発言をしているから、こちらもむきになってムッとすることもある。そんなときには、できるだけ彼女のよいところだけを見つめるようにしようと決意して、僕は心の葛藤を抑えている。
 ダイチはベルのことを「ベーム」と呼ぶ。ユリのことは「チーン」と呼ぶ。これは僕が、いつもユリを「ユリチン」と呼ぶからだ。ベルをベムと呼ぶのは、どうも彼は、言葉の最後にくるエルの発音をまだうまく言えないせいである。例えばアップルはアップン、パイナップルはパイナップンになって、これと同じようにベルはベンではなくベムになる。
 ダイチが大きな声で「ベーム」と叫んでいると、僕はいつもモナに、「妖怪じゃないんだから」と言って、モナはそれで笑いだす。ベル本人も、「ベムじゃない、ベル、べ・ル」とダイチに教えているけれど、やっぱりダイチは「ベーム」と言ってみんなを笑わせる。
 でも僕はベルのことを、本当に少し妖怪みたいだと思うことがある。いつも感情を隠しているし、勝手気ままなところがあるからだ。そして恐ろしくマイペースで、そこはフィリピンのママにそっくりである。お年頃だから僕はどう彼女に接するべきか、本当に戸惑うことが多い。遠慮はいけないと思いつつも、僕が直接ベルに言わなければならないことを、モナに言わせようとしてしまう。
 この部分には、僕なりの小さくない葛藤があるのだ。
 きっとモナと結婚してから、僕がベルとずっと同居していれば、事態は大きく変わっていたに違いない。でも実際は離れて暮らすことが多かった時期に、ベルはどんどん大きくなってしまった。そしてここで一緒に暮らしだしてから、ベルの躾を含む教育が、大きな課題として僕とモナにのしかかっている。
 もっともベルの態度が変わったのは、ここに引っ越す前からだ。それは生活環境の変化が原因ではなく、彼女の年齢的な要因が大きい。年齢的なものであれば、ある程度見てみぬふりをするのも手だけれど、その境界線をどこに引くのか、それが難しい。とにかく僕は僕なりに、今はベルの様子の変化をじっくり観察している。
 そんなベルがダイチを可愛がっているのを見ると、僕は少し救われた気持ちになる。僕は彼女の父親としてどうなのか分からないけれど、彼女に妹と弟をプレゼントしたのは紛れもない事実だ。
 ユリとダイチは、将来に渡って切っても切れないベルの家族である。困ったことがあれば、助け合うことのできる家族なのだ。ベルがそのことを心から感謝する日がくれば、僕はそれだけで満足すると思っている。

 僕は子供たちと一緒に暮らし始めて、前にも増して、三人の健やかな成長を心底願うようになった。働く意欲も俄然増した。そして、生きる意欲も増して、病気をしたくないと真剣に思うようになった。
 なるほどこれが人生だよなと思い、人は与えることで人生をつくるということを、実感として分かるようになった。
 本当に忙しくて体力と精神を消耗する、ありがたい日々である。  

 

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