フィリピーナと共に
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2015年08月10日

752.反社会的思考

 マレーシアで車の運転をするようになって、ほぼ五ヶ月が経過した。これまでのところ、無事故無違反。僕はこれを、奇跡的だと思っている。
 ほんの五ヶ月間の無事故無違反など全然普通じゃないか、と思う方が圧倒的に多いと思うけれど、運転をする当事者にすれば、これは本当に奇跡的なことだ。
 
 初めて車を運転した日、見事に道に迷った。会社で車を受け取り帰宅したときである。
 他人の運転する車にはずいぶん乗っていたから、マレーシアの交通事情については知っているつもりでいた。日本に比べて、全体的に運転マナーがかなり悪い。特にオートバイの暴走ぶりが酷い。
 その程度の認識は十分持っていた。でも、実際自分で運転してみると、自分が感じていた以上に運転が怖い。
 まず、道が分からない。分かっていたつもりでいたけれど、いざ曲がるべきところに到達すると、迷いが生じた。そして迷っているうちに、曲がり角を通り過ぎまっすぐ進んでしまう。どんどん知らない道に入っていく。そしてますます曲がれない。
 なるほど、人は迷うとまっすぐ進むことを選択する傾向があるのだ。まっすぐ進むより、曲がる方が勇気が必要だ。人生も同じなのだろうか? 振り返ればそんな気がする。人生的惰性の直進。
 信号で停止すると、三百六十度バイクに囲まれる。それが半端な数じゃない。まるでバイク暴走族の集会の中に取り残された車みたいになる。そこからぽつぽつと信号無視をして、飛び出すバイクが出現する。いっそのこと、全てのバイクが信号無視をしてどこかに行ってくれればいいのだけれど、バイクは後ろからどんどんやってきて、どんどん交差点に溜まる。まるで無尽蔵に湧き出る泉のようだ。
 信号が赤から青に変わる。一斉にバイクが動き出す。個別に動き出すというより、バイクの集団が塊と化して、一個の大きな物体が動き出す感じだ。僕もその動きに合わせて速度も進む方向も合わせなければならない。最大限の協調性が要求される。
 もし協調性を発揮できなければどうなるか。実際にそんなこともあったけれど、結果は大したことにならなかった。バイクは邪魔なものをどけて、車と車、あるいは車とバイクの隙間をぎりぎりぬうよう前に進むだけだ。車も右や左にウィンカーを上げて、車線変更して追い越していく。どうにもならなくなれば、文句のクラクションが突然始まった集中豪雨のように僕に降り注ぐ。それだけだ。
 誰も細かいことは気にしない。交通規則や安全性を含めて。実は協調性など、微塵の欠片もないのかもしれない。きっとそうだ。僕のこの想像は確信に近い。

 僕が運転を始めた最初の頃、周りのみんなは僕に、ここでの運転はどうかと尋ねた。
 そのたびに僕は言った。
「ここにはクレイジードライバーが多過ぎる」
 英語でクレイジーという言葉は、本来は気をつけて使わなければいけない。クレイジーは結構きつい言葉で、ときには冗談にならないのだ。
 でもみんなは、僕のその言葉に笑って頷く。それだけ実際に酷いということだ。実態を端的に表す言葉として、クレイジーは適切だと現地の人たちが認めている証拠である。
「ここでオートバイはロード・オブ・ザ・キングだから」と同調してくれる人もいる。
 そう言われたら僕も、「まったく」と相槌を打つ。

 僕はモナにもそのことを言った。ここはクレイジードライバーだらけだと。
 最初モナは、冗談だと思って取り合ってくれなかった。でも、助手席に乗って何度も自分の目で人々のクレイジーな運転ぶりを目撃すると、そのたびに彼女も「ひどい!」「危ない!」「ほんとにクレイジーだ」と言うようになった。
 そんなとき僕は彼女に、「でしょ? でしょ? 分かる?」と言う。
 モナも「分かる、分かる」と言う。
 僕はここで水を得た魚のようになる。
「ね、僕たち日本人が、フィリピンのドライバーは運転が酷すぎるって言う気持ちが分かるでしょ?」
「フィリピンはそんなに酷くないでしょう」
 僕は少々、え? っと思いながら、「いや、たぶん同じくらい酷い」と答える。
 運転に限らず、同じようなことがよくある。例えばモールで買い物をするときなど。
 店員の対応が悪いときに、モナが「酷いなあ」と言う。僕もそれに合わせるように、「ほんとに」と言う。
 僕はここで、やっぱり水を得た魚のようになる。
「ね、ね、僕たち日本人が、フィリピンの店員は酷すぎるって言う気持ちが分かるでしょ?」
 さすがにモナは、そう? と反抗しない。ただ笑って誤魔化す。それについては自覚があるようだ。
 こんな風に、僕はときどき活き活きと、
「ここであなたが感じる酷いことはフィリピンも似たようなもので、僕たち日本人はフィリピンで同じようなことを同じように感じ、フラストレーションを溜め込んできたんだ」
 ということを彼女に伝える。
 なんというかこれには、共通認識が増えたことに対する喜びがある。これまで不満に思って我慢してきたことに対する理解を、ようやく得ることができたという感慨だ。僕たちの苦しみを分かってもらえるチャンス到来、という感じである。

 日本と比べれば、フィリピンもマレーシアも中国もタイも、ある領域でみんな同じようなものだ。無協調性、極悪サービス、無規律性、超個人主義、アンチコンセンサス、利己的、トップダウン、分業化、高プライド、格差、差別。それらに絡んで、普通の日本人が嫌う傾向のあるものを普通として受け入れている人々がここにたくさんいる。実は日本人が、少し頭のおかしい民族ではないかと疑いたくなるほどだ。そんな社会で暮らしながら、少し自分も歪んできたのではないか、ときどき点検が必要となる。
 何が正しい理想か分からないまま、目指すべき方向性が見失われている社会。
 高度資本主義経済が複雑に入り込み、誰かがそのうわずみを吸い取りながら格差の広がる社会。
 道徳やマナーや規範が置き去りにされたまま、高度な文明の利器だけが拡散される社会。
 ピカピカ光る新しくて背の高いビルディングが次々建設され、見た目ばかりが立派になっていく社会。
 一杯三百円のコーヒーに慣らされた人々の前に、一杯五百円のソフトドリンクが登場する社会。

 レストランのウエイトレス時給が二百円にも満たないのに、なぜコーヒー一杯が三百円なのか。マンゴゼリーの入っていることがそれほど重大か知らないけれど、誰が五百円もするソフトドリンクを注文するのか。
 ここマレーシアは、古い人間の僕には受け入れがたい要素がたくさん含まれている社会だ。フィリピンも同じだ。日本もそんなものに染まりつつあり、含まれつつある。だからときどき自分の中に、迷いが生じる。こんな社会を子供にどう伝えるべきか。
 この素晴らしい先進社会の中では、他人を蹴落としてでも上に這い上がらなければいけない。相互扶助など期待してはいけない。参画してもいいけない。そして底辺を見てはいけない。落ちこぼれた人を可愛そうなどと思ってはいけない。うわずみを吸い取る立場を目指しなさい。自ら体を酷使するのではなく、他人を酷使しなさい。芸術も道徳もくそ食らえだ。大金持ちを目指すならITが近道だ。これは好奇心や興味とは無関係だ。あくまでも経済の話しだ。経済的成功が全てなのだ。
 こんな風に教えながら、子供たちにはそうなれるような教育を計画すればよいのだろうか。
 これはある意味、深刻な悩みだ。誰かがお金を出して、ホテルの一室で買った女性とちちくりあっていることの方が、よほど原始的で理にかなっていて(つまり分かりやすい)健全なことだ。こちらの方がずっと、相互扶助的なのだ。

 ここでの運転はかなり慣れた。ヒントはたった一つのコンセンサスだった。
 共通のコンセンサスは、「ぶつかったら困る」である。
 これだけ承知していればよい。車線を変更したいときは、ぶつかるつもりで車を寄せる。少し親切にウィンカーも出す。ぶつかったら困るから、相手は避ける。これで万事うまくいく。オートバイも速度を落とす。ときどきアクロバット的にオートバイを倒して、右、左とカーブしながらすり抜けていく人もいる。それで事故を起こしても、僕の車にぶつかっていないなら、それは僕のせいじゃない。
 相手の動きが予測できるようになると、運転はずいぶん楽になった。こちらがこうしたら相手はどうする、相手はこちらの動きをこう予測している、こんなことが分かればよいだけだ。
 しかし人々の予測はそれほど複雑ではない。だから事故が多い。頻繁に見かける。
 一旦事故が起これば、それは酷いものだ。先日、道路に亀がひっくり返ったみたいに裏返しになった車が、一つの車線をふさいでいた。単独事故のように見える。しかし、どうしたら単独でこんな奇想天外な事故を起こせるのかまるで理解できない。運転しながら想像してみたけれど、それは僕のイマジネーション能力を超えているようで、まったく分からなかった。
 奇想天外的事故。それで片付けて、僕は何事もなかったように、日常的精神状態で日常的運転に戻る。僕は家族のために、無事故無違反の奇跡をこの先も継続しなければならないのだ。奇想天外的事故に、いつまでもとらわれているわけにはいかない。

 

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カテゴリー:フィリピン生活
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