フィリピーナと共に
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2019年04月04日

システムは人を馬鹿にする

 世の中何でも、「システム」の大合唱になっている。ISOが浸透した弊害だろうか。
 マレーシアで仕事をしていながら、幾度となく遭遇するのが次のようなことだ。
 何らかの品質問題が発生する。これについては日常茶飯事で、問題はあるが問題ではない。いや、この場合、珍しいことではないと言った方が正しいかもしれない。
 そこで関係者が集まり、会議となる。会議の目的は、問題が発生したことやその内容の周知、そして問題にどのように対応するかの決定である。大切なことは、誰が何をいつまで行うかを決めることだ。そして発生問題の解析が終了し、問題の原因が明らかになり対策が決まる。その後対策効果確認と弊害確認としての机上設計検証や試験の実施。およそそれらの確認が取れたら顧客承認を経て、量産品に対する設計変更を実施し、今度は量産ラインで品質モニタリングを実施する。それと並行して、再発防止策の検討。それにはなぜなぜを繰り返すファイブホワイを、問題の直接原因について、そしてシステムに落ち度はなかったかについて検討し、同様問題や類似問題の再発防止を目的とした新しい仕組みが追加される。
 つまり我々のシステムは、より堅牢なものへと進化するのだ。素晴らしいシステムを持てば、我々の将来は安泰だ、と言わんばかりにシステムを進化させる。
 しかし実際、システムが複雑化し仕事が増えているのに問題は絶えない。その事実が大きな問題で、更に切実な問題は、日々システムを進化させることに躍起になっていながら、そして自己満足を繰り返しながら、それでも問題が絶えないことを疑問視する人がいない、という現実である。
 こうやって何が起こっているのかを俯瞰すれば、何かがおかしいことに気付く人も多いかもしれないが、日々システムを神格化し崇めていると、そのおかしな点に気付かない人が実に多い。
 先日、こんな論争もあった。
 認証機関へ被検査物を発送するのは、誰の仕事か? (最近の製品は、実に多くのパブリック要件を満たさなければならない。例えば妨害電波を出さないとか、発煙発火がない、人体に損傷をきたさない等々。それらを知見のある機関でテストしてもらい、要件を満たしているという証明書を発行してもらう必要がある)
 これらの進め方で、様々な意見が出る。
 認証については色々なドキュメントの要求があり専門知識が必要だから、全て認証を取り扱う部署がハンドリングすべきだ。いや、認証グループは専門知識が必要な部分へのアドバイスをする。現物の社内手配や発送は、プロジェクトの詳細に精通しているプロジェクトマネージャーの範疇で行うべきだ。
 要は、面倒なことはできるだけ他人へ押し付けたいのが、それぞれの本音だ。しかし気付けばいつも、議論はおかしな方向へ向かって行く。
 そこにプロシージャ(手順)がない。だから曖昧になってこうした状況が発生するんだ。
 いやいや、プロシージャ以前に、プロジェクトマネージャーの責任範疇、具体的業務内容がシステムの中で明確になっていない。認証グループも同様に、仕事の範囲が明確になっていない。それらがはっきりしないところに問題がある。
 そこからは会議は、延々とシステムの議論で盛り上がる。
 そこでみんなは、システムがないから仕事ができない、進まないと言い始める。
 そんな馬鹿な。たかが製品を発送するだけの仕事で、システムがないからできない?
 製品の発送に限らず、こうした議論は随所で始まる。みんな声高に、システムがない、システムに不備があると騒ぎ出す。
 誰かが何かミスをしたとする。それを社長が追求すれば、ミスをした人は、「自分はシステム通りにやりました。それをミスだと言うなら、それはシステムが悪いのです。私が悪いのではありません。悪いのはシステムです」などと胸を張って言い逃れる。
 こんな人にはつける薬がない。末期を通り越している。そんな屁理屈がまかり通る会社にも先がない。そちらももはや末期だ。
 しかし一方で、システムに則りエンジニアにドキュメントの提出を求めると、こんなに多忙なのだから、システム通りになんかやってられない、という話しも出るのだ。
 結局みんな、できるだけ手を抜きたいという本音が透けて見える。同時にシステムは、考えて行動することの邪魔をする。システムから逸れた行動は、自分の責任になるからだ。システムは何か事故が起きた場合の、最も合理的な責任逃れになる保険だ。
 いくらシステムを充実させようが、これでは仏作って魂入れずで成果も出ない。成果どころか実際は弊害だらけ。システムを簡略化して魂を入れた方が得策なのは明らかなのに、誰もそんなことは言わない。
 会議の中で、僕もコメントを求められるけれど、僕はそんなとき、ノーコメントを貫く。
 システムが人を馬鹿にする。少しは自分の頭を使って動け。でないと物事は進まない。生産性のない無駄時間ばかりが費やされる。
 言いたいことは山ほどあるが、そんなことを言えば、僕は社内でたちまち逆賊扱いされてしまう。
 システムは絶対なのだ。監査員の声は神の声で、我々はそれに絶対服従でなければならない。
 監査員のみならず、事務職員にシステム通りになっていない、このドキュメントは却下などと言われても、湧き上がる怒りをぐっと飲み込み、分かりましたと言うしかない。
 神に逆らってはならないのだ。一つ古いバージョンのフォームを使っただけで、立ち所にダメ出しされる。内容は誰もチェックしない。必要なのは正しいバージョンのフォームを使い、全ての項目が埋まっていること。埋まっていれば全てが許される。
 そんな馬鹿な。大切なのは中身だろう。
 誰がこれほど、人々を馬鹿にしてしまったのだ。会社はシステムに多額の金を費やし、せっせと馬鹿を量産し、生産性を落としている。システムが充実したと悦に入って、会社を弱体化している。そしてそのことに、誰も気付かない。
 得をするのはシステム化のルールを作り、それを監査で縛る仕組みを作った賢い人たちだ。そんなシステム信仰教が、地球上の隅々までいき渡っている。
 システムは、人を馬鹿にする。このままでは、世界中が馬鹿で溢れることになる。
 会社でそんなふうに翻弄されながら、帰宅すれば僕の傍にはいつも、フィリピン人妻とフィリピン人の血を引く三人の子供がいる。妻は三十七歳、子供は上から女女男の順で、十六歳、九歳、五歳だ。
 そんな環境で生活しながら普段感じることは、フィリピン人が日本人とは対極の遺伝子を持つということだ。
 つまり行動の背景は短絡的で情緒的で、後悔先に立たずの傾向がある。あるいは突発的で場当たり的で成り行き的である。
 まるでシステムの考え方に逆行する考え方や生き方を、地でいく人たちだ。
 しかもそれは天然。システムのように、人工的で無機質なものではない。
 その遺伝子パワーが炸裂すると、頻繁に大小の問題が引き起こされる。
 例えば、明らかに眉唾物の、みんなが儲かって笑いが止まらないネズミ講式ゴールド投資ビジネスを信じ込み、周囲のフィリピン人を勧誘しまくってある程度の投資を実行。そして定石通り、元締めがドロンして大騒ぎになった事件。
 みんなが儲かるための原資はどこから来るの? 誰かがお金を印刷して配るの? どう考えても成立しないビジネスに思えない?
 そんなことをやっていたのを知った僕は、妻を諭した。もちろん彼女は質問に答えられない。そこで初めて、そう言われればそうねえ、などと納得までしてくれる。
 事件性はないが、誰かにそそのかされてお気軽に始めることのできる香水ビジネスをスタート。香水原料や調合器具を買い込んでやってみたはいいけれど、匂いの持続性が極端に弱い問題発覚。気付いたら、高価なガラス製のガラクタが虚しく部屋のスペースを占有していた。
 次の事例はもはやキャラクターの紹介みたいなものだけれど、超お買い得なメガネに引き寄せられて眼鏡ショップに入り、店員に色々相談しているうちに超高価なメガネを購入。それでもお買い得だったと喜んで、店員の話術の乗せられたことをまるで気付かない。
 しかしそれらが天然であるなら、色々文句を言いたくなっても許すしかない。頭を抱え込みたくなるのはしばしばでも、家族のこととなれば、許さなければやってられないという事情もある。つまり最後はノーチョイス。そしてそこには、責任逃れや面倒の押し付けみたいな狡猾的意図もない。
 とにかくこんな具合で、いつでも直感やヒラメキが頭の中を走り抜けると、愚直なほどの行動力を発揮してくれる。ある意味たくましい。そしてとても人間的だ。有機的である。
 そこでふと、僕は気付く。フィリピン人の思考や行動がシステムの在り方や考え方と真逆であるならば、こんな逆説的三段論法は成り立つだろうかということに。
 - システムは人を馬鹿にする
 - フィリピン人の思考や行動は、システムの考え方と真逆だ
 - ならばフィリピン人は、周囲の人を賢くする
 こじつけ的臭いがプンプン漂っていることは自覚しているが、そんな結論が有り得ないわけでもない。
 するとフィリピン人の妻を持つ僕は、日々賢くなっているのだろうか。もしそうだとして、このまま賢くなり続けたら、僕は一体どうなってしまうのだろうか。
(こんなことを考えている時点で、既にアホではないかという気がしないでもないが)
 こちらは問題に直面する度、いつでも事態収拾や再発防止に思考を巡らせなければならない。再発防止には、手強い相手であるがゆえ、少ない英知を極限まで絞り出す必要がある。
 賢くなるとは何かにもよるけれど、思い当たることをしつこく回想していると、この三段論法は正しいかもしれない、などという気がしてくるから不思議なのだ。
 そもそも、フィリピン人との関わりの世界は理解不能な不思議満載なのだから、こんな一つの不思議があっても、まるで不思議ではないのだけれど。
posted at 10:27
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:システムは人を馬鹿にする
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