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マレーシア奮闘記:カテゴリの記事一覧です。

2013年02月09日

マレーシア奮闘記5

 僕は自分の机に座ったプリンスさんの横に椅子を運び、彼にじっくり不良の内容を伝えた。現物も用意し、実際の不良の様子もプリンスさんに見せてあげた。そして僕は、子供ができるだけ高く積み木を積み上げようとしている時のように、できるだけ丁寧に慎重に話を進めた。
「プリンスさん、この内容はとても危険だ。市場でたくさん不良が出たら、プリンスさんはインドに行ったきり問題が解決するまで帰ってこれなくなる。金もすごくかかる。この会社が消えてしまうくらいかかるかもしれない。会社が消えなくてもみんなのボーナスくらい消えると思う。新しい注文も取れなくなる。誰の責任というより会社が大変なことになる。分かる?」
 僕の方へ身体を向けて、前傾姿勢で僕を上目づかいで見ていたプリンスさんは、姿勢をそのままに二度ほど無言で頷いた。
「そしてこの会社にお金がなくなったら、僕は首だ」
 そう言いながら、僕は自分の首を人差し指でなぞった。冗談だと思ったプリンスさんは軽くふふふと笑ったが、僕が真っ先に経費節減の対象になることは自明に理だった。
「まあそれはいいとしても、だからすぐにできる対策を打って僕たちは安心しないといけない。火が噴く前に。火が噴いたら終わりだ。ゴジラさんの吹く火なんてたいしたことはない」
 普段からゴジラさんはなぜいつも怒っているか不思議だと話すプリンスさんは、また少し笑いながらさっきと同じように頷いた。
「サンボさんもアーノルドさんも、まるでそれが分かっていない。もしかしたらプリンスさんも分かっていないかもしれないけどこれは嘘じゃない。長い間メカトロニクスをやってきた僕には、勘で分かる。もう僕の頭の中はレッドシグナルで一杯になってる。ゴージャスなクリスマスイルミネーションみたいだって言っても、モスリンのプリンスさんには分からないかもしれないね」
「大丈夫ね、それ分かる」
「つまり、サンボさんやアーノルドさんと一緒に、どうするかを考えなければならない。それも大至急。この予感が外れたらラッキーだけど、現実になったらやばい」
「オーケー、分かった。それはすぐにやろう」
「それともう一つ、サンボさんはこれをサプライヤーイシューと言うけれど、僕には人災に思える。ほとんど設計不良のようなものだ。まずこの設計にはマージン(余裕)がなさすぎる。そして金型がおかしいと言って勝手に業者に後加工の指示をしているし、金型の変更もしている。更に後加工した品物の寸法が図面と違う。そうすると過去に試験をした製品と今の製品は、もう内容が変わっているかもしれない。つまり既に品質が保証されない状態になっているということだ。これは将来不良が発生した時に、大きな信用問題になる。おたくの製品はだめだということじゃなくて、おたくの会社を信用できないという話になる。そうなると仕事は減る一方だ。しかしこの会社の中には、そう言われても不思議じゃない実態がたくさんある。社内には色々なルールがあるのに、みんな苦しくなるとすぐにそれを無視してしまうしその行為を誰も変だと思わない。まずはそのことを変だと思わなければいけない」
「そうね。でも時間がなくなるとみんなそうなる。時間が足りない。どうすればいい?」
「時間はあるよ。みんな夕方は五時か六時に家に帰る。休みは必ず休んでいる。少し我慢すれば、緊急事態の時にはまだまだ時間がたくさん取れる。設計マージンはないれど、タイムマージンはみんなたっぷりだ」
「おお、マークさん、それ上手ね」
 プリンスさんが、人差し指を僕に向けて照れ隠しのように笑った。
「なにも働く時間を増やせとは言わない。問題が出たらお客さんに説明して、少し日程を変えてもらうように交渉するのだっていい。これは製品の品質を維持するために必要だと言って。こそこそ隠してやろうとするからそうなってしまう。もし言いたくなかったら、自分の時間を少し犠牲にしてがんばるしかない。サプライヤーにもがんばってもらうしかない」
「でもそれ難しいね。プライベートな時間はみんな大切ね」
「それは分かる。フィリピンも同じ考え方だからよく分かるよ。でも痛い目に遭ってふんばりながら人は成長する。最初から無理な日程ではなかったはずだ。時間が足りなくなるのはいつも設計の遅れで全て自分の撒いた種のはずだ。だったらしっかり自分で責任を取るべきだ。すると次はもっと楽に安全に進めようと気を付けるようになる。普通はね。マレーシアはそれが普通かあやしいけれど」
「多分みんな気にしない。みんな逃げようとするし、逃げることを誰も責めない」
「いいよ、僕は僕の考え方をすぐに受け入れて欲しいとは言わない。ゆっくり理解してくれたらいいと思っているし、今はそんな考え方があるということを知ってもらいたいという話だ」
「オーケー、分かった」
「とにかく今は目の前の危険を早く取り除こうよ。本当に僕の首が飛ぶ」
「オーケー、オーケー」
 僕が再び自分の指で首をなぞると、プリンスさんは笑ってそう言った。

 その後すぐに、アーノルドさん、サンボさん、プリンスさん、そして僕の四人で、現在発生している品質問題の件で話し合った。
 アーノルドさんは僕の指摘する問題を認識していたが、すぐに導入できる暫定対策が思いつかないようだったし、それは僕も同じだった。そしてアーノルドさんは、自分は今、既に新しい機種の設計が始まっていて忙しいということを言った。その言葉にプリンスさんが反応した。
「今は新しい機種をやっている場合じゃない。現状品の問題を解決するのが先決だ。なぜ新しい機種をやっているの? それほど日程がタイトなの? 確かまだ余裕があるはずだけど」
 アーノルドさんはそれに対し、口を開けて声のない笑を作りごまかした。ごまかしていることを自覚しているのか、アーノルドさんの顔は赤らんでいた。その様子は普段むすりとしているアーノルドさんが、誰にでもすぐにばれる嘘をつく子供のように見えてなぜか憎めなかった。サンボさんも無言を貫いていた。プリンスさんは呆れた顔を作ったが、敢えてそれ以上追及しなかった。三十分ほどの打ち合わせは、何の結論も出せずに終わった。

 この時の会話で、僕にはアーノルドさんの性質がまた少し見えたような気がした。アーノルドさんは「自分は今のところアイディアはないが、あなたは何かあるか?」と言った。僕は自分なりのアイディアをいくつか並べたが、全て否定された。やる前からそれはだめだと言われてしまった。だめだと言うにはそれなりの理由もあった。それらの理由は僕に納得できるものもあれば、本当にそうかと疑いたくなるものもあった。
 アーノルドさんがその場を離れた後、プリンスさんがぼそりと言った。
「アーノルドはいつもネガティブね。それにコントロールがとても難しい」
 僕はそれにただ、軽く頷くことしかできなかった。僕も普段からアーノルドさんにはどこか物足りなさを感じるものの、どうしてかプリンスさんの言葉に積極的に同調できなかった。アーノルドさんは無責任に問題から逃げたのではなく、どうしていいか本当に分からないから逃げたような気がするからだ。彼は意外と人知れず設計問題に悩んでいることを僕は知っていた。それでもプライドの高い彼には、泥のたまりに落としたコインを這いつくばって探すようなことができないのだ。知らないということや教えてということも言えないのである。
 その後僕が色々とやりだしたので、アーノルドさんは責任が回避できると思い出したのだろうか。ますます消極的に、というよりむしろ面倒なことから回避することに積極的になっているような気がした。
 同時に僕は、現地にいる日本人の諦め体質も分かるようになってきた。この八方塞がり状態に、気を抜くと僕もこの空気に埋没しそうになる。埋没して時が流れるのをただぼんやりと眺めたくなってくるのだ。楽になりたいという気持ちが自分の中で勝ってくるのを、僕はしっかり自覚していた。



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カテゴリー:マレーシア奮闘記
エントリー:マレーシア奮闘記5
2013年02月05日

マレーシア奮闘記4

 プリンスさんが席に戻るまで、僕はもう一つ抱えていた設計問題の解決方法を考えていた。それは現在開発中の製品において、量産期日が間近に迫っているにも関わらず、ある一つの設計問題を解決できずに足踏みしていたやつだった。周囲や日本のメンバーはそのことに焦っていた。お客さんがついて納期が決まっている製品なだけに、開発の遅れは許されない。
 この製品の担当者は、またしてもアーノルドさんだった。この問題については、アーノルドさんもプリンスさんも頭を抱えていたのだ。
 日本側の設計陣は日本側の顧客に対し、この問題は構造上からくるもので、解決するためには設計のやり直しが必要だということをやんわりと説明しだしていた。どうにか今のレベルで承認してもらえないかと、保険として交渉してくれているのだ。インド側の顧客は絶対に許さないと言っているが、インド人も日本本社からの声掛けがあれば折れてくれる可能性があった。
 日本のお客からは、内容は理解したが解決のための努力を見せて欲しいという回答がきた。いくつかの方策を試し、その結果を示しながら限界だと言ってもらわないと簡単に了解できないという、もっともな回答である。その打ち合わせの結果が僕ととしちゃんに報告されていた。

 そのような交渉があることを知らず、マレーシア側では対策について色々と考えていた。敢えてマレーシア側の担当者にそれを知らせないのは、手を抜かれては困るからだった。問題については、日本側のメカニカルエンジニアから解決するための一つのヒントも貰っていた。こんな風にしたら多少は誤魔化せるかもしれないというアイディアである。それに対しアーノルドさんは、サプライヤーが対応できるか分からないから、まずはそちらの確認が先だと譲らなかった。その確認も必要だが、試作をすぐに始めなければ間に合わなくなるからすぐにやろうと言っても、アーノルドさんは動こうとしない。そしてプリンスさんは上と下の板挟みに遭い深く悩んでいた。
 アーノルドさんは、サプライヤーができると言ったら試作をせずに直接金型をいじってしまおうと考えているようだ。しかし僕はそれに反対だった。
 金型というものは削る変更は早くできるが、増やす変更は時間が何倍もかかる。今試そうと思っているアイディアは金型を削る変更なのでそれは良いが、効果がなく失敗だったと言っても元に戻す時間が足りなくなり「THE END」となる。全体のスケジュールを考慮して少し考えたらすぐに分かることであった。それに気付いたプリンスさんやとしちゃんも、一度手作り試作で確認しようと主張したが、なぜかアーノルドさんはそれを認めようとしなかった。
「マレーシアで試作はできないの?」
「この試作はマレーシアで短期間にできない。材料も同じものはないから、やっても意味がない」
「材料が違っても、現状品と改良品の両方を試作レベルで作ることで、改善効果の確認はできるよ。試作は日本でやってもいい。それは僕の責任で最短納期でやってやるよ」
 材料ブロックをデータをぶち込んだNC(数値制御耕作機械)で削りだせば、複雑な形状だって試作は簡単にできてしまう。これまで散々そのようなことをやってきた僕には、決まったものを作るだけなら自信があった。それに対してアーノルドさんは、やはり無言だった。プリンスさんはその横で、やれやれというふうに顔を左右に数回振った。

 僕の役割の一つは、プリンスさんの心の負担を軽減することである。「一つの役割は」と言いながら結局たくさんの役割を担っていることになるが、とにかく期待されて雇われている以上はできるだけ期待に添いたいと考えるのが人情だ。それ以前に僕は、心の温かいプリンスさんをどうにか救ってやりたいと思っているのだ。だからこの問題も、僕はできるだけ早く道筋をつけたかった。
 少しぼんやりしながら何となく問題になっている部品を眺めていて、ふとあるアイディアが浮かんだ。面倒な試作をせずとも、ペーパーを利用し同じ効果を確認できるかもしれないと思いついたのだ。
 問題はある製品のパネル上にある照明問題だった。ボタンが透明樹脂になっており、その透明樹脂全体が光るように設計されているが、ボタンの透明部分を支える白い樹脂の壁が邪魔になり、一部にわずかな影ができてしまうのである。最初からプリズムで光を引きこめばよかったような気がするが、時すでに遅しであった。最終ユーザーから見えるところであり製品の印象を左右する問題であるから、何とか解決したいところである。
 しかしこの問題、影がある部分というのは光の量が不足していて、その他の部分は光の量が多いのである。その輝度の差が影として見えるという問題だった。今は光の足りない部分に何とかして光をもっていきたいと考えているが、逆に光の多い部分を減らしてやれば、輝度が均一にならないだろうか。逆転の発想である。では光の量を減らすにはどうするか。その答えは自分の目の前にあった。僕は普段使用している自分のノートに目がいったのである。
「紙?」
 透明樹脂を支えている白い壁の後ろ側に紙を貼りつけていけば、透過する光の量が減るのではないか。
 早速僕は、サンボさんの机の上にある鋏を無断借用し、ノートに切り取る形を正確に原寸で作図し、それを丁寧に切り取った。そしてその紙をボタンの裏側に貼り付けて、ボタンの裏側から携帯のフラッシュを当てて表側から見てみた。すると予想した通り、影がほとんど見えなくなっていた。しかし当然ながら全体の輝度は落ちている。すぐに回路設計者のところに行き、現在照明用で使っているLEDにどの程度電流を流しているかを確認すると、LEDには現在の二倍まで電流を流せることが分かった。これである程度全体の輝度を上げることができる。
 とりあえず光を遮るところを紙で代用したが、実際に同じ材料の白い樹脂を使い、透明樹脂を支えている天面の厚みをどれくらい増やしたらよいか検討しなければならない。これもすぐにやりたいが、さてどうしたものか。すると答えはやはり僕の目の前にあった。僕の机に、ボタンの試作品がごろごろと転がっているのだ。それを分解しボタンの裏側に貼り付けたらいいではないか。厚みはサンドペーパーで調整できる。何種類かの厚みの板を作り、最適な厚さを見つけたらよい。

 そこまで考えた時に、プリンスさんが席に戻ってきた。僕はさっそくプリンスさんをつかまえ、裏に紙が貼っているボタンと従来のボタンを二つ手渡し、携帯のフラッシュをつけてちょっと見てくれと言った。
 プリンスさんは怪訝な顔をし、それをフラッシュの上に持っていき覗き込んだが、最初は緩慢だった彼の動作が次第に早くなり、二つのボタンを何度も見比べている。そして満足すると横の僕に顔を向け、「なんで?」と訊いてきた。
「裏側を見て」
 プリンスさんがボタンをひっくり返して見てから僕に顔を向けたが、その顔には興奮と喜びが混ざった、なんとも嬉しそうな表情が浮かんでいた。
「マークさん、これ実際のセットですぐ確認したいけどいい?」
「もちろん、僕もすぐに見たい」
 僕たちはすぐに、実験室で暫定試作品を実際のセットに取り付け、それを暗室に持ち込んで問題の影を確認した。対策をしていないボタンが隣にあるので、その効果はすぐに分かった。明るくしたら影が出るかもしれない心配はあったが、携帯のフラッシュのような強烈な光で影が消えているのだから、その心配はそれほど必要なかった。

「明日別のボタンから材料を切りだして、同じように貼り付けてみるよ。それで効果が確認できたら、金型をいじって天面の厚さを増やそう」
「マークさん、グッドメカニカルエンジニアね」
「僕は電気屋で、メカニカルエンジニアじゃないよ」
「でも仕事の仕方を知ってるね」
「ずっと考えていただけだよ。それにまだまだ安心できない」
「でも少し安心したね。この問題はベイリーヘビーだったから。サンキューね、マークさん」
「それじゃ次に、僕の相談を聞いて欲しいんだけど」
「オーケーオーケー、ノープロブレムね」
 僕はプリンスさんに、量産品不良解析結果と対策をどうするかを相談した。そしてこのような問題に対する設計者の意識についても問題提起した。



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カテゴリー:マレーシア奮闘記
エントリー:マレーシア奮闘記4
2013年02月04日

マレーシア奮闘記3

 このレポートへの返事は、「レポートをありがとうございます。引き続き解析をお願いします」であった。そしてその後、僕には誰からも何も連絡がこなかった。僕はこの様子に、肩すかしをくらったような気分になった。僕は「不具合が市場で発生する可能性がある」と書いたレポートがゴジラさんやルパンさんを顔面蒼白にし、製造現場や開発チームを火事場のような大騒ぎにさせるはずだと思っていたからだ。しかし社内には、いつものようなのんびりとした雰囲気がいつものように漂っているだけだった。まるでヒバリの声を頭上に聞きながら、川に釣り糸を垂らして魚が食いつくのをのんびり待っているようないつもの空気だ。資料が送付された開発トップのマネージャーは普通に仕事をしているし、誰一人僕に直接話を聞かせてくれと言ってこなかった。それを設計したアーノルドさんは、開発途上の別機種における問題解決で頭を悩ませていた。
 普段僕はこの空気に馴染み、平和でいいなと思いながらゆったり仕事をしている。しかしその時の僕は、近い将来顧客から大量の返品をくらい、しかも市場の不良をどうしてくれるんだと怒りながら詰めよってくる客に、だくだくの汗を拭いながら対応する自分たちの姿を想像し、それだけで胃が縮まるような窮屈な気分になった。もし顧客に市場に出た全ての製品を回収して修理しろと言われたら、軽く数億円や数十億が雲散霧消する。そのような不良の顧客クレーム対応とは、みじめで著しく精神力や体力や大金を消耗するのだ。そして信用は失墜し、今手がけている製品が終われば次の注文がこなくなる。ほんの少し想像力を働かせれば、このような問題を放置することが確実に自分たちの首を絞めることくらい、すぐに分かることだった。

 必要なのは暫定対策(とりあえずの対策)だが、誰もそれをどうしようかと騒がない。僕はゴジラさんが真っ先に飛んできて、「とにかく暫定対策を至急出してんか」と火を吹きまくることを予想していた。それに誰かに言われるまでもなく、何とかそれを考えて至急生産に導入すべきであった。しかし僕の知識ではそれが思いつかない。僕なりに暫定対策案をいくつか考えてみたが、すぐに実現できそうなことはたった一つだけ、ネジ締めトルクをできるだけ弱め、振動試験をかけて確認を取ることである。しかしできればネジ締めトルクはいじりたくない。これも慌ててやったら、二次災害に繋がる危険性が大きい。やはり設計陣の知恵を拝借したいところだ。
 僕はひとまず、日本人開発部門責任者の一人であるとしちゃんに相談してみた。おしゃれでスラッとし昔はアイドル青年だったのではないかと思われる彼は、僕の中でとしちゃん(マッチでも良かったが)である。
 としちゃんは僕の説明に驚いた。彼は僕の出したメールをまだ読んでいないと言ったが、もしかしたら読んでいない振りをしているだけかもしれなかった。彼は、ここは危険性を十分認識し驚いたり慌てたりしないと、同じ日本人として軽蔑されるかもしれないという計算が素早く頭の中で働いた可能性もある。
「それは大変だ。まずいね」
 大変だとかまずいと言うその顔は、にこやかでまだまだ余裕しゃくしゃくである。
「ええ、とってもまずいです。とにかく暫定対策を検討してすぐに導入しないと生産現場は大変だし、お客さんのところでも問題が発生しますよ。でもこの大変な事態を、設計のメンバーは理解できないようなんです」
「ちょっとプリンスに相談するか」
 としちゃんが立ちあがってプリンスさんの机の方を見ると、主人を見失った椅子と机がそこに寂しそうにあるだけだった。
「あれ? プリンスがいない。どっか行ってるの?」
「そうなんですよ、しばらく見かけないんです」
「そっか、それじゃ彼が戻ってきたら相談しておく」
「ええ、是非お願いしますね」

 僕はとしちゃんの「相談する」という返事が不安だった。としちゃんはあらゆることが起こる組織の問題に、いつも柔軟に対応できない。とりあえずその場しのぎで対応すると言いながら、実際に対応しないのが彼の常だった。開発部隊のけん引役なのだから、相談するのではなく自分ですぐに決めて動いて欲しいが、としちゃんにはそれができないのだ。優しく人当たりのよいとしちゃんは、お金持ちの家に生まれたぼんぼん育ちのおぼっちゃまなのかもしれない。おそらく僕がその場から離れたら、としちゃんは何事もないようにのんびり仕事をし、僕が後で「どうなりましたか?」と確認をすると、「あ〜、忘れた。ごめんごめん」で終わるのだ。それでももう、他に相談する相手がいない。頼みのプリンスさんがいるなら、僕はとっくに自分でプリンスさんに相談している。
 サンボさんには自分から暫定対策の件を持ちかけたが、彼はサプライヤーイシューでこちらがそこまで考える必要はないと言った。彼らには、生産品のサプライヤーイシューは開発部の範疇ではないという強い意識がある。理屈としてはそうだが、何かの対策を講じる場合は二次災害が起きないよう、製品を一番よく知っている設計者の確認や承認が必要となるものだ。生産技術や製造や品証の人間が勝手に考え勝手に何かを変更するのはかえって危険だ。僕がサンボさんにそう言うと、彼は「オーケーオーケー、あとでプリンスに相談しよう」と言って、さっさと自分の仕事に戻ってしまった。

 結局問題のたらい回し状態だ。おそらく面倒な問題に関わりたくないのだろう。なんともこれは骨が折れると思いながら、僕はとりあえず別の不良の解析に移った。すると、ある部分の穴の大きさが規格を大きく下回っていた。そして別の製品に乗っている同じ部品の同じ場所の穴は規格を超えて大き過ぎた。再び顕微鏡で穴を観察すると、大きい穴はドリルでこじ開けたような痕跡がある。小さい穴は角も丸みを帯びて成型後そのままという状態だ。
「サンボさん、サンボさん、ちょっとこの写真見て。なんかおかしくない?」
 サンボさんは、僕の写真を食い入るように見つめた。眉間に皺が寄って、その顔は真剣そのものだった。僕がその脇で、穴径が規格外れであることをサンボさんに伝えた。
 サンボさんは突然顔をあげ、またしても「サプライヤーイシューね」と言いながら、僕に写真を返した。
「この穴、サプライヤーで後加工しているの?」
「金型品の穴が小さかったね、だからドリルを通しているはず。でもそれ、通した奴と通してない奴のミックスね。サプライヤーのミスね」
「なんでそんな金型を使って量産をしているの? 普通は承認せずに修正でしょう」
「時間が足りないね。お客はもう注文を出している。僕たちはもう作るしかない」
「でも穴が小さかったらドリルで広げるんじゃなくて、成型条件か金型を変更しなくちゃだめでしょう。それじゃあドリルはテンポラリー(一時的)なの?」
「テンポラリー、テンポラリー。だから金型変更したね。穴の問題は前にアーノルドが僕に話してくれた」
「金型はもう変更された? それじゃあなぜ新しい部品を使わないの?」
「サプライヤーは古い金型でたくさん部品を作ったね。だから在庫がいっぱいある。それを使いきらないと勿体ないね」
 どうもストーリーがよく分からない。問題があって金型を変更したなら、早く金型を修正しその結果を確認し、部品をすぐ新規品に切り替えるべきではないのか。それとも金型を変更するはめになったのは設計側の図面ミスで、在庫品廃棄の負担をこちらがしなくて済むよう、それに目をつむっているのだろうか。

 サンボさんは慌てる様子もなく、それはサプライヤーの問題だから問題ないねと言っているように僕には聞こえた。そしてアーノルドさんは僕たちの会話が聞こえているはずなのに、相変わらず大きな背中を少し丸めて黙々とパソコンをいじっていた。
 僕は次第に頭が痛くなってきた。ここが自分の腕の見せどころなのは分かっているが、さすがに立ち往生しそうだ。こんなことなら、問題が見えなかった方が幸せだったと弱気になりかけていた。僕は穴の問題レポートを関係者に配信し、プリンスさんが戻るまで少し不良解析から離れることにした。

 このような分業の意識が浸透しているのは、何もマレーシアだけではない。日本でもその傾向があるし、何でも一人でできないから組織があり役割と責任を分担している。しかし、問題の元は設計にあるのかもしれない。設計マージンが小さければ、生産品は部品がばらつきを持つ限り生き物のように自在な状態を見せる。様々なばらつきが発生しても当初予定していた機能を満足させることが設計であり、そうでないものは単なるお絵かきなのだ。ばらつきや環境変化を考慮しないお絵かきレベルなら、回路が専門の自分でもある程度はできてしまう。しかし現地の設計者は、CADを操りお絵かきができることが一つのステータスであり誇りなのだ。その誇りを傷つけないように設計の本質を分からせてあげるのは、こちらも忍耐と努力が必要となる。僕がメカニカルデザイナーであれば自分が修正して見本をみせてやるところだが、それができないから困ったものだった。



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