フィリピーナと共に
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2013年01月11日

655.Nさんの冒険6

(前話の続き)
 Nさんが彼女の家にホームステイした期間、Nさんと彼女や彼女の家族との間では、いくつかのアクティビティがありました。
 僕が知っている限りでは、みんなでボーリングに行き、リゾートプールに行き、スポーツセンターでテニスをやり、モールにでかけTシャツを買ってあげるなどです。細かいところでは、子供たちをジョリビーに連れていくなどもあったかもしれません。

 彼女の家は、同居する伯父さんがモール内のある店で働いており、おそらくそこからの収入が、その一家の生活を支えていると思われます。やや毛色の変わった技術を要する仕事のため、サラリーは普通より多いかもしれませんが、雇われの身なのでその金額は高々知れていると予想できます。
 それ以外に、浮気が原因で家を出た彼女の父親が、たまに生活費をくれるようです。しかし父親は今や別に奥さんや子供のいる身で、いつも十分なお金をくれるわけではありません。くれるのは現在の奥さんに内緒で不定期にという話を聞けば、そちらも大した金額ではないことが分かります。

 彼女のお姉さんは近々結婚する予定で、現在妊娠三カ月です。なかなか綺麗な女性ですが、今彼女の家には、お姉さんのお腹に宿った子供の父親(フィアンセ・二十三歳)も同居しています。本来はとっくに結婚式を済ませる予定だったのですが、お金がないので延び延びになっているそうです。
 僕が彼女たちと会った時に彼(や彼女の家族)は、子供も生まれることだし、正式に結婚してがんばらなければ(がんばってもらわなければ)という話をしていたのですが、Nさんの話によると彼はいつも家に居るそうです。Nさんはそれに首をかしげながら、声をひそめて「彼、毎日家にいるんですよ」と僕に報告してくれました。つまり今のところ彼は、フィリピンによくある無職の居候と化しているようです。
 人の家庭の収入や生活具合をあれこれ詮索するのは、筋違いであり卑しい行為ではありますが、背景を少し理解して頂くために書かせて頂きました。
 つまり彼女の家庭は、ある意味フィリピンによくある家族構成と収入です。伯父さんの少ない給料に十人前後の人間がぶら下がっているわけで、それだけで普段の生活はおそらく余裕がないだろうことが分かります。

 さてそのような家庭では普段、遊びに行ったり買い物をする、もしくは夕食のおかずに肉・野菜・魚料理が数品出るということはあまりないことです。このことは僕が直接彼女に確認しましたが、Nさんがいる時と普段とでは食事のおかずを始め、生活の様子が全く違うということでした。つまり彼女たちにとってNさんが居候していた期間は、毎日が盆と正月が同時に来たようなもので、華やかで刺激的で、とても楽しいものだったはずなのです。
 しかし日本人であるNさんにはその実感がまるでないようで、おそらくそれでも彼女たちが、質素な生活をしていると感じていた可能性が十分あります。
 僕もフィリピンの田舎で暮らしていると、家族は贅沢を嫌い(外食をできるだけしない、頻繁にもったいないという言葉が出る)、毎日家の中で質素に暮らす習慣が身についていることがうかがえます。(その代わり、たまのイベントではみんなハチ切れるように騒ぎますが)
 フィリピンの一般家庭と一般的な日本人の間にこのような違いがあることを、日本からポッとやってきた日本人は気付きにくく、日本人側で、自分の存在が彼女たちの生活を狂わせてはいけないと考えていても、それはかなり違う次元で考えていることが多いと思われます。今回のNさんの場合も、御本人は最低限のお金しか出せないと思っていましたし、もし出せたとしても露骨にそれをやるのは如何なものかと考えていたようですが、その最低限のお金が彼女たちには、そのような意味を持つものでした。
 それは当たり前の話で、Nさんは使えるお金が少ないと言っても実際には数万円を使っています。それは彼女たちの一カ月や二カ月分の生活費に相当する金額であり、それをほんの五日間で使えるのですから、いくら本人がお金がないと言っても彼女たちにはその余裕ぶりがまぶしく映ったに違いありません。そのような中で、Nさんがお金がない、今回は貧乏旅行だと言えば言うほど、彼女たちは日本人とフィリピン人の底力の差を思い知ることになります。

 ですから若干十九歳の彼女はNさんから数万円分のペソを預かり、その使い道を考え、予算の組み方やお金の使い方をNさんに報告しながら、一時の夢を見るような気持ちでそのことをとても楽しんでいたように思います。もしかしたらその期間彼女は、Nさんの本当の奥さんにでもなった気持ちでNさんに接していた可能性もあります。実際にスカイプの画面から見える二人は、一つの部屋で寝転んでリラックスしながら、羨ましい雰囲気を醸し出していることもありました。

 翌日にはNさんが日本に帰国するという日、スカイプが繋がった時間が夜の十時過ぎとやや遅かったのですが、スカイプ画面に登場したのはNさん一人だけでした。
 僕がNさんに、「明日は涙のお別れになるんじゃないですか?」と言ってみると、Nさんは、おそらくそうはならないと否定するのです。
「意外とみんな、サバサバしているんですよ」
 Nさんがそれを不満そうに話すのでどうしたのかと聞くと、Nさんは、自分がフィリピンにいる最後の夜なのに、みんな普通だと言うのです。
「え? もしかして寂しいんですか?」
 Nさんは二呼吸ほど無言でスカイプのカメラを見つめた後に、「寂しい」と涙目で言いました。
「それは逆にラッキーじゃないですか。帰らないでと泣かれた方が、よほど大変ですよ」
 Nさんはそこでまた二呼吸ほど時間が止まったように動作を止め、そして言いました。
「今僕の中で、何かがストンと落ちたように納得できました」

 この言葉を聞いた僕は、Nさんが本当は、彼女や彼女たちの家族たちにもっと名残惜しい態度をとって欲しいことが分かりました。
「え? Nさん、本当は彼女たちに、もっと泣きついて欲しかったんですか?」
「そんなことはありませんけど……」
「だったらいいじゃないすか。そんなことにならなくて」
 そんなことはないと言うNさん、やはり顔の表情が冴えません。
 しかし実は僕が彼女と英語で会話している時に、彼女は心からNさんに滞在延長をして欲しい胸の内を漏らしていたのです。Nさんもその場にいたのですが、時々Nさんは僕と彼女の会話を聞き取ることができません。

 しばらく話をしているとNさんは、突然リビングの方に目をやり驚きました。
「あっ、あれ? もしかして、みんなもう寝てる? まじでぇ〜?」
 そして会話をしているiPhoneを持ち、居間に行ってみんなの様子を確認し、ひそひそ声で「寝ています、みんな、まじで寝ています」と、寝込み襲撃レポートのように言いながら、再び自分の部屋に戻ってきました。
 これでNさんの寂しさは、決定的なものになりました。どうやらNさん、最後の夜はやはりそれらしく何らかのパーティーらしいイベントを催してもらったり、少しでも長い時間自分の傍にまとわりついてもらいたかったようです。

 翌朝早い時間に出発するNさんは、「明日は誰も起きてこないかもしれない」と弱気なことを言い出しました。
 Nさんは明言しませんが、どうやら五日間のホームステイを通し、彼女や彼女の家族と心の繋がりを確立できたことを実感していたところに、最終日になりその自信がぐらつき、結局はお金だけの繋がりだったのかもしれないと心配になったのかもしれません。そしてそのことに、どうしようもない寂しさを感じ始めていたようでした。
 僕は念のために聞いてみます。
「Nさんは彼女との間に、恋愛感情が芽生えることを期待していました?」
「いや、それはないですよ。そのことは二人の間でもしっかり話し合いましたよ。今僕たちは友だちで、それはこれからも変わらないことをきちんと確認しました」
 Nさんはこのように言いますが、僕は自分の過去の経験と今回のNさんの心理や気持ちの変遷が妙に重なります。
「僕もかつて友だちのような付き合いから恋愛感情が芽生え、そして家族愛のようなものに変わってしまった経験がありますから、もしかしたら僕は、Nさんの気持ちがよく分かっているかもしれませんよ。結構危ない心境になっていませんか?」
 家族愛のような愛情は単なる恋愛感情よりしぶとく強く残るもので、一旦それができると大変です。しかし大変でも、それこそが心の繋がりと呼べるもので、同性同士の真の友情にしてもそれに近い感情が心を支配するものだと思います。つまりそれは、損得勘定を抜きにして相手のことを思いやる感情です。
「いや、だいじょうぶですよ。僕もマークさんのブログを読んで勉強していますから」
 Nさんはそのように言いながらも、「明日はみんな起きてくるかなぁ〜、誰も起きてこなかったら寂しいな」とつぶやきます。

 僕には、心の繋がりができると厄介でそのような関係にはなりたくないと思いながら、心のどこかでそれを望んでいるNさんの様子が見え隠れします。僕はその様子を見ながら、人間とは、やはり愛(単純な男女間の愛から人間愛、家族愛的なものを広く含める)を求めてしまう動物であることを強く再認識しました。人と人の関係とは、本来そこからは逃れられないもので、それがないドライな人間はつまらなかったり信用できなかったりするのが僕の経験的な法則です。
 しかしこの感情は、コントロールがとても難しいのも事実です。だからこそ人間がそのようなものを求めながら、求めてはならない、またはそのような関係になりたくないという自制心を持つことも自然と言えます。
 この矛盾する感情を上手に操ることができるようになると、人は一皮むけて、より充実した人生を送ることができるのではないだろうかと僕は思います。

 翌朝Nさんは、五時に彼女に起こされ目覚めました。おそらく彼女は、翌朝のことを考え早めに寝たのではないでしょうか。そして彼女は母親と一緒に家に迎えに来た車に乗り込み、空港までついていきました。これはNさんには、予想外のことだったようです。そして空港ではNさんの時間が許すぎりぎりの時間まで、空港のコーヒーショップで一緒に話をしたようでした。
 この彼女や彼女の母親の行動が、Nさんの心を救ったようでした。Nさんの初フィリピン滞在の、本当に最後の締めくくりです。
 Nさんは、彼女や彼女の家族の気持ちに今一つ掴み切れない部分を残しながら、自分は明確に寂しいという気持ちを持ち、日本に帰国しました。おそらく機上では、そのような気持ちを噛みしめていたと思われます。

 Nさんが無事に日本に戻ったことを確認してから、僕はNさんと、現在の心境や今後の予定について、詳しく話をしていません。しかしNさんがフィリピンに行ったことを良かったと思い、かの地で何かを得たことは彼の言葉の端々から感じました。

 さてNさんと彼女たちは、今後どのようになっていくのでしょうか。
 この話には色々と考えさせられる要素が含まれ、そして今後のNさんの動向にも興味の持てる内容が多くありそうに思います。
 おそらくこの物語はまだまだ続きがありそうです。それをこれから引き続きトレースしていけるのかどうか、またそうして良いものかどうか分かりませんが、とりあえず無謀に思えたNさんの突撃フィリピン滞在が無事に終え御本人が帰国したことで、この冒険話に一区切りつけたいと思います。
 Nさん、お疲れ様でした。この旅行で体験したことが、これからのNさんの心の栄養になることを、心から祈っております。



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カテゴリー:Nさんの冒険
エントリー:655.Nさんの冒険6
2013年01月10日

654.Nさんの冒険5

(前話の続き)
 Nさんが彼女の家に入った翌日、早速Nさんに驚く話があったそうです。それは彼女たちが、現在住んでいる家を一カ月以内に立ち退かなければならないということでした。嘘か本当か分かりませんが、その話はNさんが彼女の家に到着した翌朝、家のオーナーから彼女の家族に通告されたそうです。理由は、オーナーがその家を売却したということでした。
 彼女側から、だから何をして欲しいという話はありません。ただ、そのような事実があることを、Nさんは彼女から伝えられたのです。
 しかしNさんは、なぜそのような話を自分にしてくるのか、色々と考え込んでしまいました。しかもタイミングが良すぎます。言葉にしない何かの意味が、その話の中に含まれているのではないかとNさんは思っているのです。思いたくなくても思ってしまう。そして無意識に、その話に深入りしたくないというNさんの防御本能が働いているようでした。

 Nさんが戸惑っていることを、僕には手に取るように分かりました。僕もかつて、同じようなシチュエーションで、余計なことをあれこれ考えたことが数多くあるからです。
 例えば僕の家族の中でも、似たような話があります。誰かが病気になり、病院代が払えないという話を聞かされます。すると僕にはそれが、病院代を出してあげられないかという相談に聞こえてしまいます。そこで、可哀そうだから出してあげようかと僕が言うと、いや、出す必要はないと断られることがあります。そこで初めて、あら? 出して欲しいという相談ではなかったの? と気付くことになります。
 そのようなことを繰り返すうちに、この手の話は日本人同士にもあるように、気を許した相手にただ正直に、何でも話をしているだけの場合があることを分かってきます。もちろんお願いを回りくどくしている場合もあります。

 しかしこれは、そのような経験がないと、最初は本当に分かりづらいのです。いや、経験を積んだとしても、分かりにくいこともあります。特に相手に経済的余裕がない場合が多く、余裕のある人が無い人を助けるのが当たり前という風潮が蔓延するフィリピンですから、話を聞いた方があれこれ考えてしまうのが普通です。
 他にもNさんはこの短い期間、何かを期待されていそうなシチュエーションに多くでくわし、その度に考え、もしかしたら彼女たちは卑しい考えを持っているのではないかと疑いました。その反面、一緒に暮らして居心地の良さを感じます。それがNさんを惑わし、混乱させているようでした。

 この部分は少々大切なところかもしれず、僕はNさんと少し話をしました。
 いつもお金にキュウキュウとしているフィリピン人家族にとって、お金持ちだと思われている日本人の知り合いは、当然何かの時の救世主になり得ます。(実際はそうでなくても、そう思われます)実際にこれまで、彼女は困ったことをNさんに相談し、その度にいくらかを助けてもらっているのです。
 もしその日本人が娘に入れ上げていることを家族が実感すれば、家族はこのまま結婚に持ち込み、家族の生活まで安泰という絵図を頭の中で描いたとしてもおかしくありません。むしろそうなったら、それはそれで良いという期待を持ってしまう方が、自然なような気がします。(これは日本人でもあります)
 程度の差こそあれ、色々な期待というものがフィリピン人側に芽生えるのは、全く不思議ではありません。

 しかしそれは、あくまでも期待であって、目的ではありません。
 人に世話になることを恥ずかしいと思うフィリピン人は、実は珍しくありません。少なくとも彼女や彼女の家族は、そのような感覚を備えた人たちでした。そのような人たちが、今回Nさんを自分たちの家にホームステイさせようと決めた時に、少しでもNさんからお金を引っ張ろうという目的があったとは思えないのです。しかし、自分たちさえ気付いていない何らかの期待というものは、どこかに潜んでいるのかもしれません。それでもこれは、あくまでもただの淡い期待です。
 もし仮に何か目的があったなら、どうなるでしょうか。目的を果たすため、フィリピン人は何かアクションを起こすでしょう。目的を達成できない時には、怒りさえ覚えるかもしれません。
 期待はそれとは全く違います。期待がかなわなくとも、それが何かのアクションや怒りの感情に繋がることは少ないと思われます。なぜなら、その期待は彼女や彼女の家族の都合であることを、彼女たちが一番承知しているからです。その中で、もし期待通りのことが起こったら、それは申し訳ない、恥ずかしいという気持ちを持ちながら、それでも助かる、嬉しいということになります。

 よって、何らかの期待感のようなものを感じても、それは自然の事としてとらえ、そのことで彼女たちに卑しい部分があるのではなどと疑わない方が良いような気がします。(つけ上がる、図々しいのは別)また、何かの話が相談ごとに感じられたならそれをはっきりさせ、話を聞き、自分にできることとできないことを相手に明確に伝えたらよいだけです。もしそれで相手の態度ががらりと変わるようなら、その付き合いはそこまでで止めた方が、後々幸せだと思われます。しかし実際に態度が変わることは、ほとんどないように思えます。
 現在の僕は、明確に相談された場合のみ考えるようにしています。いくら困っている事実だけを伝えられても自分のアクションと結びつけて考えることをせず、直接お願いされてから考えるようにしようと思っています。これは以前の自分に、全くできていなかったことです。僕は、助けを請うのも何かの責任(例えば親や子の責任感)からくるものならば、恥ずかしさを克服できるほど真剣になり願いすべきだと思うようになりました。これが余裕のある者のおごりかと言えば、必ずしもそうは言えません。おごりかどうかは、それに対応するこちら側の態度や気持ちで決まるものだと思います。

 実はNさんを彼女に引き渡した翌日、僕は彼女から一つの長いメッセージをもらっていました。それをそのまま掲載することはできませんが、どのような事が書かれていたのかをかいつまんで紹介します。この内容について、僕はNさんに何も伝えておりません。
 そのメッセージは、彼女の気持ちが十分読み取れる内容でした。彼女や彼女の家族に、Nさんに対する何らかの期待が色々とあったかもしれませんが、しかしこのメッセージに込められた彼女の気持ちは、これはこれで疑いようのない本物であると思われます。

 マレーシアでは元気にしていますか? この前は楽しい時間をありがとう。とても良い出会いでした。
 Nさんは私の家にいて、安全です。私は彼がリラックスできるよう、そして楽しめるよう、家族と一緒に最善を尽くすつもりです。私を信じ、そして友だちになってくれたこと、本当にありがとう。今私は、とてもハッピーです。私たちは彼の大好きなテラピアを食べました。私はNさんが、このフィリピンでこのような新しい体験をたくさんして欲しいと思っています。Nさんの安全に気を付け、彼がフィリピンで楽しい時間をたくさん持てることを、私はあなたに約束します。私はいつも、Nさんのそばにいるようにします。彼は私にとって、特別な人ですから。


 因みにNさんにも、おそらく自分の気付かない、ホームステイに対する何らかの期待があったはずです。生活や仕事に少し疲れを来てフィリピンにやってきたのですから、フィリピンに何かを求めていたはずです。
 しかしNさんは、それが何かを自分自身で気付いていないようでした。
 その期待(目的)が何であるか、関わってしまった僕には大変重要なことなので、僕は最初からNさんの深層に潜んだそれに注目していました。少なくとも僕は、Nさんに卑しい目的がないことは事前に分かったので、その点では安心していました。もし彼が危ない人間なら、フィリピン人側のことを考え、僕はこの話に積極的に加担したくないと思ったに違いありません。
 人間とは基本的に何かをする場合、常に何らかの期待があるものだと思います。だからこそ、行動を起こすわけです。
 その期待が心の問題に関するものか、何か物やお金や具体的な体験に関するものかそれは様々ですが、それらの境界は見分けが付けにくく、実は混在しているのかもしれませんし、その辺りになると自分でも明確に分かっていない場合があるように思います。

 一般的に人とは、他人の期待を裏切ることが怖いものです。よって、相手の期待を過度に刺激しないようにすることも、普通の人が自然に備える心理の一つです。
 Nさんは今回のホームステイに際し、彼女や彼女の家族にお金をどのように使うべきなのかを最初から真面目に考えていました。もともと貧乏旅行で、Nさんは相手に過度に期待されては困ると思っていたようです。よって自分にあまりお金がないということを、Nさんは最初から正直に、相手に伝えていました。しかし、感謝の気持ちや最低でも自分の食いぶちに関する実費は、当然相手に渡すべきだと考えているようでした。
 そこでNさんは実際にどうしたのか。Nさんは、今回フィリピンで使えるお金を、彼女に全て渡してしまったようでした。もちろん、自分にはこれしかないということを言い添えてです。Nさんは、これ以上は期待されても、もうお金は出てこないという宣言を彼女にしたかったのでしょう。
 すると彼女は、何にいくらお金を使ったか、レシート持参で細かくNさんに全てを報告してくれたそうです。中々しっかりした女性のようですが、最後の方でNさんは、彼女のしっかりし過ぎる点に閉口してしまうことになります。
 Nさんは帰国の際、空港までの移動運賃、そして空港でのサービスチャージ(以前の七百五十ペソ空港使用料。現在名前が変わり、五百五十ペソとなった)として、最低でも二千五百五十ペソが必要となるわけですが、Nさんはそれも含めて、彼女に全て渡してしまったようでした。
 そして帰国前日になり、そのお金を頂戴と彼女に言ったところ、彼女に「なぜ?」と言われてNさんは絶句することになります。Nさんは自分が必要なお金の内訳を説明し、ようやく彼女からお金を貰えることになったのですが、彼女は丁度二千五百五十ペソをくれたそうです。Nさん、それをじっと見つめ、僕もコーヒーくらいは飲みたいんですけどと、彼女に涙目で訴えたようでした。
 最終的にNさんは彼女から、三千ペソをバックしてもらったようです。
 このようなやり取りで何が正解なのか僕には分かりませんが、過去の自分の経験から言わせてもらえば、自分の必要最低限のお金は、自分で持って管理しなければ危険だと思います。もっともNさんは、日本円で二万円を密かにキープしていたので、いざとなればそれが使えたようですが、一度彼女に渡したお金は、彼女が彼女なりに予算を考えて使っていただろうと思われ、突然三千ペソという大金の出費は、彼女の計画を狂わせてしまった可能性があります。
 彼女や彼女の家族の期待を過度に膨らませない方法としては、中々良かったかもしれませんが、細かいところでミソのついたやり方になってしまいました。

 さて、こうしてNさんのホームステイは最終日を迎えることになります。
 その最終日、Nさんには自分で思いもよらぬ感情が自分の中に芽生えていることを自分で気付き、僕に嘆くことになりました。
(次回に続く)



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カテゴリー:Nさんの冒険
エントリー:654.Nさんの冒険5
2013年01月09日

653.Nさんの冒険4

(前話の続き)
 Nさんは彼女の家で、特別な客として個室を与えられていました。普段はお母さんが使用している部屋のようです。普段使用している部屋を明け渡した母さんは、リビングで寝ているようでした。個室といっても、一つの部屋を家具で間仕切りした簡易個室です。
 Nさんは、夜這をかけられることもなく、一人で寝る場所が確保できていることを安心していました。
 よく考えてみると、僕がモナの両親に結婚の了解を取ろうと初めてタバコシティーを訪れた時に、僕はホテルに宿泊しました。それはモナの家が狭く、まだ家族でない僕を家に泊めるわけにはいかないというママの意向でした。自分のそのような体験と比較し、Nさんは娘のフィアンセでもないのにこれは大変な待遇で、実は凄いことかもしれないと僕はNさんに話しました。
「でもねマークさん、昨日雨が降ったら、ちょうど僕の頭のところに雨漏りがあるんですよ。これがちょっと困りものでしてねぇ」

 困ると言いながら、Nさんの顔は嬉しそうです。
 どうやらNさんは、そこでのフィリピン生活を、とても満足し楽しんでいるようでした。思い切ってやって来て、本当に良かったと話しています。
 Nさんは、彼女や彼女の家族が自分にとても気を使ってくれていることを、いつも感じるようです。それに対してNさんは感謝の気持ちを持っているとのことでしたので、それならば大丈夫だと僕は思いました。感謝の気持ちはちょっとした言動に現れます。そして言葉のコミュニケーションが不十分でも、それは必ず相手に伝わります。Nさんが彼女の家族に、泊めて世話をしてくれたお礼として何をどれだけしてあげるかよりも、まずは感謝の気持ちをしっかり抱くことがとても重要で大切なことです。あの家族なら、その気持ちをしっかり汲み取ってくれる教養があるだろうことを僕は感じていました。

 さて、Nさんが最初に困ったのは、フィリピンに関わる日本人の多くが通過する関門、トイレの問題でした。一つは、洋式トイレに便座がないこと。座ることができないため、最初はどうしたらよいのか悩んだようです。そしてお尻のウォッシング。これは僕の聞き間違いのような気がしますが、Nさんは右手を使ってはいけないとか、何やらそのような間違った覚え方をしているようでした。そして身から出た実が流れない。
 結局トイレ作法について、Nさんは恥を忍んで彼女に相談したそうです。しかし恥じらいが先行したのでしょうか、聞き方が不十分だったようで、Nさんが理解したと思い込んでいたトイレ作法には少々間違いがありました。
 まず、中腰が疲れるとNさんが言います。最初は何のことを言っているのか僕にもピンとこないためよく話を聞いてみると、Nさんは便座の前に立ち、便座の上にお尻を浮かせるようにして大をしていたそうです。つまり、まるでスクワットの体勢です。それでは疲れるのが当たり前で、出るものも出なくなってしまう可能性すらあります。便座に足をあげ、和式トイレのようにしゃがみこみながら、不安定になる体を両手で壁に突っ張るか何かに掴まるなどして支えてやらなければなりません。
 大の後は手で洗うことを教えるとそれにも驚いていたので、その点も誤解があったようです。トイレットペーパーは、その際濡れたお尻を拭くだけで、使用済みペーパーはトイレに流すとすぐに詰まるので、近くのくず入れに捨てるよう教えました。う@このついたペーパーをそのへんに捨てると、誰かの悲鳴が聞こえることになるので、これは厳禁です。
 実が流れないことの対処は、肛門を絞るようにし、できるだけう@こを短くカットすることを心がけることです。Nさんは、それが意外に難しいと言います。それができないということは相当締まりが悪い証拠で、日頃の訓練が必要だと指導しました。つまり普段から、肛門を開け閉めして肛門筋(名前は適当)を鍛えなければなりません。
 僕がこれらに悩んだ時は、誰もここまで親切に教えてくれませんでした。

 他にもNさんが驚いた話は、枚挙に暇がないほど出てきます。日本から持ち込んだパソコンのマウスが、早速壊れたようです。蟻が原因ではないか、パソコン本体にも蟻が入り込んでいるようで怖いと話されました。
 僕が、赤くて小さい蟻は人間に噛みつくし、噛みつかれた時にはかなり傷みを感じ、その後痛痒い状態が続くので気を付けた方がよいと言うと、「マークさん、もっと早く教えて欲しかった……」と、Nさんは涙目になりました。Nさんは、赤蟻の洗礼をとっくに体験済みでした。しかも家の中で…ということで、自分が居る部屋の中に結構その蟻がいるそうです。そうだとしたら、それはとても辛いことです。お悔やみ申し上げるしかありませんが、あまりに大変であれば、五十ペソくらいで緑色をしたミントオイルが買えるはずなので、それを買い蟻が寄っては困る場所に塗っておくと、効果があることを伝えました。

「Nさん、あまり耳に入れたくない話があるんですが、聞きたいですか?」
 僕がNさんを少しビビらせる時に必ず使う、前置きです。こう言って最後まで聞きたくないと言う人を、僕は自分の経験上知りません。ほとんどの人は食いついてきます。
「え? なになに、教えて下さいよ」
 Nさんもこの言葉に簡単に食いつく、普通の人でした。
「実はですねぇ、蟻はまだ可愛いんです。そこにゴキブリはいませんか?」
「いますよ〜、でかいのが。でも、誰も追いかけて殺そうとしないんですよ。それが驚きなんですが」
「そのゴキちゃんなんですが、それも人間に噛みつくんですよ。特に寝ている時が危ない。ゴキちゃんにかじられると、すごく腫れあがって中々治らないんです。気を付けてくださいね〜」
「え〜、まじでぇ〜?」

 僕は時々このように、気を付けようがないことをわざと教えて気を付けるように進言します。一応相手に、聞きたいか聞きたくないかを確認してから教えているので、僕には何も非はありません。同じように、その家庭の食器はカバー付きかガラス戸付き戸棚の中にあるか? そうでなければ食器は使う前に洗った方が良い(ゴキブリが徘徊しているため)、頭をよく洗わないと髪の毛が卵だらけになる、口を開けて寝ていると知らずにヤモリの糞を食べることになるなど、僕はNさんの是非聞きたいという希望に応え、余計なことをたくさんNさんに刷り込みました。
 するとNさん、今は気合を入れて洗髪するようにしていますなどと、しっかり対応してくれているようでしたが、それを真剣にとらえて実行してくれているのが僕にはおかしくて、また話が余計な方向に向かってしまいます。(それらの話は、まったくの冗談ではありません)

 当然普段使用するシャワーは水シャワーです。これはあらかじめ予想されたことなので、Nさんには冷たくて辛いと教えていたのですが、Nさんの反応はまさしくその通りでした。
 また夜になると、彼女が扇風機を回してくれるそうです。僕にはその理由がすぐにピンときましたが、Nさんはよく分かっていないようでした。Nさんは、人間が一晩中扇風機の風に当たっていると、体の熱が奪われて死んでしまうと信じているで、その扇風機を寝る前に止めていたそうです。
「マークさん、本当に死んじゃいますよ」
「いやいやNさん、扇風機で死ぬことはありませんから、是非回しておいて下さい。もし寒ければブランケットをかけて寝て下さい」
「ええ、ええ、彼女がブランケットも持ってきてくれましたけど」
「扇風機は蚊よけの効果があるんです。それを回さないと、朝に顔がお岩さんになっている可能性もありますから、是非回して下さい」
「あ〜、なるほど。分かりました。これからしっかり付けておきます」
「蚊にさされて痒くなるくらいは大したことありません。怖いのはデンゲ熱などに感染することです。あっ、でもNさん、大丈夫ですよ、デンゲ熱の潜伏期間は二週間ほどありますので、発病するにしても日本に帰ってからになりますから」
「マッ、マークさん、頼みますよ〜、日本でも発病したら困るじゃないですかぁ〜」

 このような話をたくさんしながら、Nさんがしみじみ言いました。
「それにしてもここの人たちは、よく生きていますよね」

 そのような感想をしみじみ漏らすということは、現地家庭にホームステイをした甲斐があったということです。実際Nさん、自分の視野が広がった気がすると言っておられました。日本にいるだけでは、到底分からないことだらけのようです。そのような体験が具体的に何の役に立つかは分かりませんが、僕はおそらく、人間として少し逞しく、そして賢く、時には優しく生きられるための要素が、そこにあるのではないかと思っています。
「その経験が、日本に帰ってから突然何かに活きるかどうかは不明ですけど、その積み重ねはNさんに何かがあった時、自分の方向性を決めるファクターの一つになるような気がしますよね」
「ほんとですねぇ〜、来てよかったですよ」

 どうやらNさん、現地の生活から、かなり元気をもらっているようでした。
 しかし日本人としてこれまた必ず通る、彼女や彼女の家族に対する疑念のようなものも、Nさんは彼女や彼女の家族から、かすかに感じ取っているようでした。
(次回へ続く)



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