フィリピーナと共に
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2009年06月21日

リン81 ケイとの友達関係

最近仕事が忙しく、更新が滞り気味になっており申し訳ありません。
多くの方が更新チェックをしにサイトへ訪問して下さっていることは承知しており、大変心苦しく思っております。少しづつペースを戻していくべく頑張りますので、宜しくお願い申し上げます。

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初めて行ったその店は、品川圏内の某駅から線路沿いに5分歩いた場所に立つ雑居ビルの5階にあった。
近くには新宿の通称しょんべん横丁を彷彿させるような、赤ちょうちんや場末のスナックが並ぶ狭い路地があり、その路地を入らずにほんの50mも進んだ処にそのビルはあった。
地下にはキャバクラが入っているらしく、たまたま派手な黄緑のロングドレスを着た女性が客を見送りに階段から上がってきたところだった。
彼女は足もとがふらついている客にお別れの抱擁をし、客が立ち去った瞬間に顔から笑みを消し、ため息交じりでエレベータを待つ我々に冷たい視線をちらっと投げかけ、階下にある店にそそくさと戻って行った。
人の顔をじろじろ見ないでよと言わんばかりの態度であったが、僕は彼女たちのこんな様子を見かける度に、水商売の女性達の気苦労を感じ取る。
ふと我に帰った時の彼女達の表情に、いつも疲れているような影を感じてしまうのだった。
毎日着るドレスや化粧品に髪のセットと電話代。彼女達の毎月の出費は決して小さくない。
それでも十分稼ぐためにはしつこいと思われることを承知で客へ電話をし、店の中ではどんなに嫌な客の相手をしている時でも笑みを絶やさずに、常に宝石のように輝いている必要がある。
同伴やアフターなどは要求があれば付き合うしかない。
それでも彼女達のプロ意識が、客の前で決してやつれた表情を表に出さないようにさせている。

それは日本で働くフィリピーナ達も同様だ。
彼女達は常に売り上げ目標というプレッシャーと闘いながら、自分のプライドにかけて少しでも上位に食い込もうと頑張っている。
それは自分の見入りにも直結している。
そしてお客を楽しませてこそのエンターティナーだということも十分自覚している。
本物のタレントは、歩き方や座り方まで厳しく躾けられている。
どんな時にでも背筋をぴんと伸ばして座っている女性は、タレントとしてきちんとした教育を受けた人間だということがわかる。
最近は日本に長く住んでいる水商売の垢が染み付いたアルバイト女性が多く、そんなことで関心することが少なくなったのことは残念な気もする。


5階でエレベータのドアが開くと、目の前に狭いホールがあり目と鼻の先に小さなドアがあった。
外見からは店の大きさがまるで想像できないつくりになっていたが、狭い入口から少し進むと、前方にあるカラオケステージを中心に視界が左右に広がった。
店内はブーメランのようにくの字の格好をしており、くの字の頂点にカラオケステージがあり、そこから2つのフロアーがぶら下がるような効率の良い配置になっていた。
それぞれのフロアーにはテーブル席が10ほどあり、カラオケステージの正面席を含めると、25テーブルほどのまあまあの規模である。
店内は入口の狭さから持った印象をはるかに凌駕する広さであった。
年末という時節柄店内は酔っぱらいの客で賑わっていたが、スタッフが6人用の席を手早く作り案内してくれた。

そして僕たち6人に対して3人のフィリピーナがやってきた。
3人のうち二人はやや年配の女性であったが、一人は二十歳を少し過ぎたばかりに見えるぽっちゃりタイプの子だった。
それぞれ軽く挨拶を交し、その若い子がたまたま僕の隣に座った。

団体で行くことなど滅多にないので、窮屈なのが少し気になった。
彼女の名前はケイといい、年齢は見た目よりも上の25歳ということだった。
以前は名古屋で働いていて、最近東京に移ってきたらしい。
お姉さんが日本人と結婚しており、ファミリービサで滞在しているとのことだった。
日本語は良くわからないと言いながら、ほとんどの会話は日本語で大丈夫である。
指輪もネックレスも身に着けておらず、見た目は質素な感じの女の子だったが、話をしてみてもその印象は変わらなかった。
素直で自然体の会話には、こちらがホッとするような安心感があった。

僕の好む相手は、その場で楽しく過ごせる人、正直で安心な人、ゆっくり安らげる人である。
相手の年齢、容姿、恋人や夫の有無は全く気にしない。
ケイはかわいい顔もしていたが、何よりも飾らない気さくさが良かった。

入店してから2時間ほど経ち、そろそろ引き上げようという話になった。
僕は内緒話でもするかのように、ケイの耳元で言った。
「僕はもう少しここにいようかと思うけど、このまま指名にしてもいい?」
「え?ほんと?うれしいなぁ。ケイあまり指名ないから・・・」

僕はそこに残ることにし、他のみんなと一緒に一旦会計を済ませた。
僕以外の人間は、そこで5人全てが帰っていった。
僕は既に自宅最寄駅までの最終電車に間に合わない時間で、それからすぐに電車に飛び乗っても家にたどり着くことはできなかった。
近くの漫画喫茶で始発を待つつもりでいたが、それを数時間先延ばしにするだけの話だった。

僕はその時、久しぶりに楽しいお酒を飲んだ。
その年は嫌なことや大きな不安が僕の心や体を蝕んだ年であり、せめてこの時くらいは手放しで楽しんでもばちはあたらないだろという気分だった。

それからは彼女の田舎の話や、僕がかつて訪れた異国の話をしながら、時間が過ぎるのが早かった。
特に中国のマッサージの話では盛り上がった。
中国で足裏マッサージをすると、身がよじれるくらい痛い想いをすることがよくある。
そんな時には「痛痛痛(とんとんとん)!静静静(ちんちんちん)!」(痛いからもっと優しく静かにやってくれという意味)と叫ぶ。
マッサージをしている中国人も僕のその叫び声に笑ってはいるが、意味はしっかりと通じていて力を少し緩めてくれる。
そして再び日本人の妙な叫びを聞きたくなると、いたずらっぽく上目使いでこちらを見ながら、突然ギューっと力を込めたりするのだった。
この”トントントン チンチンチン”という言葉の響きがケイには面白らしかった。
その話の後から二人はふざけあい、彼女は僕のことをトントンと呼び、僕は彼女をチンチンと呼んだ。

カラオケを交互に選曲をして歌った。
ケイはあまり歌が上手くなかった。
それが、唯一彼女に対する僕の不満な点だった。
一緒に歌われるとこちらの調子が狂うので、僕が歌うときにはマイクを持たないでくれと彼女に冗談交じりで忠告した。
彼女はダンサーだからしょうがないと言い訳したので、僕が踊れる歌を歌うからチンチンはステージで踊りなさいと言った。
彼女はチンチンと呼ばれる度に大笑いをしながら、「それやめなさいよ、恥ずかしいよ、トントン」と言ってきた。
この妙な呼称を使い始めてから、二人の友達関係が成立したような気がした。


ほんの数時間前に出会ったばかりであったのに、いつの間にか打ち溶け合っていた。
しかし閉店時間がやってきて僕が帰ろうとした時に、彼女の態度が突然よそよそしくなった。
彼女は最後の挨拶をどうすれば良いのかわからないようだった。
彼女は僕に抱きつき頬にキスをしようとしたのだが、僕はそれをさえぎった。
客によってはそのようにしてあげた方が、次の来店につながるのであろう。
「僕にはそんなサービスは要らないよ。楽しかったからまた来るね。」

この一言で一瞬困惑した彼女の表情が再び和らぎ、僕はそれで無理をしている彼女の気持ちを確信した。
そんなケイの態度で、指名客があまりいないという話は本当のことかもしれないと思った。
恋人がいないという話も嘘ではないような気がした。

あんなに素直で優しい子だから、誰かが幸せにしてあげたらいいのにと思った。
しかしその誰かは、決して自分ではなかった。
彼女のことは好きだったが、恋愛対象ではなかった。
それは彼女がタイプでないとかそのような類の話ではなく、僕の心の中にはリンやモナがしっかりと居座っているからだった。
しかし二人とも遠いフィリピンにいる。
いっそのこと二人を忘れさせてくれる人が身近に現れたら、寂しさも紛れて少しは救われるかもしれないという想いもあったが、実際にはそれは簡単でなかった。

僕がケイの店へ再び行ったのは、それから年が明けた1ヶ月後のことだった。
最初の来店時には、僕は自分の携帯番号もメールアドレスも彼女に告げなかったし、彼女も尋ねてこなかった。

彼女は僕の突然の来店に驚いていた。
もう来てくれないと思っていたと言われたので、僕は他のお客さんのように、頻繁には来れないという話をした。

ケイは相変わらず僕をトントンと呼んでくれた。
その時にお互いのクリスマスや年末の過ごし方に話が及んだ。
僕はクリスマスにリンにお金を送っただけで、後は普段と変わらない生活を送っていたので、特別なことはなく仕事をしていたと話した。
彼女もクリスマスは特別なことは何もなく、いつもと変わらない日常だったと話した。

その時の彼女の顔付きや話し方の裏に、一瞬寂しげな何かを見たような気がした。
それは初めて会ったときにも感じた何かだった。
一見明るい彼女だったが、時々ふっと気を抜いたような寂しげな表情をするところが、僕のアンテナに引っかかっていた。

僕は詳しく踏み込みたくはなかったので気づかぬ振りをし何も聞かなかったが、せめてクリスマスプレゼントくらいはあげようかという気になった。
それはけな気な彼女を少し応援したいという僕の気まぐれだった。

「チンチン、もうHappyNewYearだけれど、遅いクリスマスプレゼントをあげようか?」
「え?ほんと?でもどうして?」
「う〜ん、何となく。特別意味はないよ。ただお店で楽しい時間をくれるからそのお礼かな・・。音楽は好き?」
「好きよ」
「歌があんなに下手でも?」
「いじわるねぇ。歌うのは下手でも聴くのは好きなの!」
「いつもは何で音楽を聴くの?」
「何もない。CDプレーヤーもないの。」
「i-podもないの?」
「それ何?知らない。」
「それじゃちょっと待ってて」

僕はスタッフに話をし、すぐ近くにあるヤマダ電機に行くために一旦店を出てi-podを買いに行った。
必ず戻ってくることを示すために、鞄を人質代わりに置いていくと言った。
そして店に戻った僕は、彼女に遅いクリスマスプレゼントだと言って、買ってきたばかりのi-podとケース、充電器を渡した。
彼女はこれ何?とi-podを手に取り不思議そうに眺めている。
僕は鞄の中からPCを取り出し、i-tuneの中に入っている1700曲をそのi-podに入れ込んだ。
8Gのi-podは1700曲全てを簡単に飲み込んだ。
周囲のフィリピーナが、僕が繰り広げてる作業をチラチラと盗み見している。
ダウンロードを終了し、彼女に使い方を説明した。
彼女はイヤホンから流れる音楽を聴いて、初めてそれが何かを理解したようだった。
その瞬間に彼女は満面の笑みを浮かべ
「これ知ってる。もしかしてみんな持ってるのと同じ?ほんとに嬉しい!これで寝る時に音楽を聴ける。眠れない時に音楽を聴きたかったの。ありがとう。」と何度もお礼を言った。
僕は「これでこの次に歌う曲を練習してね。これは僕のお願い。」と言い、彼女は笑ってがんばると返事をしていた。

その後彼女とは時々メールのやり取りをするようになった。
彼女のメールは午前中の早い時間に来ることもあり、こんな時間にどうしたのと聞くと、考え事があり眠れないという返事が返ってきた。
何か悩み事があるのか、それとも暗い過去を引きずっているのか、とにかく何かあることは間違いなかったが、僕はそれ以上は聞かなかったし、彼女もそれ以上は何も言ってこなかった。

彼女は決してお店に来て欲しいという誘い文句を言わなかった。
行くときはいつも僕から切り出した。
それでもケイのお店に行くのは、1ヶ月に1度程度だった。
ケイとはメールで友達のようなたわいもないやり取りをするのが、ほとんどだった。

そんな日常を送っているところへ、僕を困惑させるメールが突然携帯に飛び込んできた。
そのメールの差出人はモナだった。
しかもそれは日本の携帯からのメールだった。

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2009年06月17日

リン80 不安の渦

退職後初日のことは今でもはっきり覚えている。
その朝はまるで自分の第2の人生を祝福するような、雲ひとつない青空の広がるすがすがしい朝だった。
その時は誰にも遠慮せずに堂々と自由に過ごせる開放感を心の底から満喫していたが、昼前に外へ散歩へ出てみると妙に落ち着かないのである。
Tシャツにジーパン姿で昼の街中をぶらついている自分が、世間からどのように見られているのか気になった。
ネクタイ姿のサラリーマンについつい目が行き、自分は既にあの世界と一線を画したことを実感し不安さえ感じてしまうのだ。
20年以上も続けた宮仕えで、組織の中で生きる習性が体にべっとりと染みついているのだと一人で苦笑していた。
そして定年退職した会社戦士が途方に暮れる気持ちを始めて理解した。

ふと、周囲の人間が後ろから自分をどんどん追い越していくことに気付いた。
(自分の歩く速度が子連れの女性よりも遅いのか?)
かつては堂々と、時折腕時計などを見てしゃきしゃき歩いていたはずだったが、いつの間にか歩き方まで元気が無くなっていた。
それは長い時間沈みきった生活をしていたせいだとすぐに気が付いた。
追い越されるたびに、全てを剥ぎ取られた自分がこれからますます世間に見放されていくような憂いさえ感じられた。

あれほど忌み嫌った会社だったが、結局はそれなりの庇護を受けながら長い間生きてきたことを思い知った。
そしてそこから突然放り出されて、丸裸になったことの不安で心が埋め尽くされている自分に狼狽していた。
そこは前途洋洋たる希望もなければ将来の道筋も見えない、光のない世界のように感じられた。
あれほど望んでいた自由をようやく手に入れたはずだったのに・・・。

まだまだ負のスパイラルの途上にいるのではないかという恐れを覚えた。
本当の苦しみはこれからやってくるのかもしれないという不吉な予感も芽生えた。
しかしそれでも、それが現実的な仕事を探すという行為に結びつかなかった。
それは長い間会社勤めをしたための、サラリーマン病ともいうべき症状だと自己分析していた。
極端に言えば、サラリーマンとは会社に在籍するだけで毎月給料が口座へ振り込まれる。
その癖が体に染みついていて、だまっていてもなんとかなるような感覚から抜け切れないのである。
もう自分は違うんだとわかっているにもかかわらずであるから、自らそれを病気だと決め込んでいた。
もしかしたらさんざん苦しんだゆえの後遺症かもしれないと、言い訳がましいことも考えたりしていた。
結局1か月は何もせずにぶらぶらしていた。
自由とはなんとも面倒なものであると思った。


リンには退職の経緯どころか、退職した事実もすぐには話さなかった。
カードローンに行き詰っていることは、送金に遅れが出る関係上話しをしていた。
それだけでも彼女の心を窮屈にしてしまった僕は、会社を追われるように辞めたことなど話せる道理がなかった。
僕は彼女に、何か新しいビジネスを始めるために会社を辞めたと説明した。
退職という事実に、明るく前向きなニュアンスを持たせたかったのである。
リンはそれを信じていた。

「なんのビジネスを始めるの?」
「まだ具体的には考えてないけど、とりあえず設計の仕事でもしようかなって思ってる」
「うーん、それはいいわね、がんばってね」
「がんばってたくさん儲けて、また一緒に旅行でも行きたいね」
「いいわね、成功することを祈っているわ」

そんなリンとの会話をきっかけに、そろそろ営業の電話でも入れてみようかと思った。
これからはアルバイトではなく、生活の糧として設計の仕事を請け負うことを宣言しておかなければ何も始まらない。
しかし設計はあくまでも一時しのぎのつもりであった。
それで生活を立て直しながら、本当にやりたいことを探していこうと思っていた。

実は夢がまるでないわけではなかった。
それは会社に在職中の10年も前から考えていたことで、なんでも良いから物書きで生計を立てたいということだった。
会社を辞める時にもこれからどうするかとの問いに、ごく一部の人にはその気持ちを打ち明けていた。
それには理由もあった。
物書きであれば、住む場所は日本に限定されずに済むということだ。
インターネットとパソコンさえあれば、どこでも仕事ができる。
僕はかなり以前から、日本脱出を意識していた。

そんな夢を最初から簡単に考えていたわけではない。
夢という言葉の意味が示す通り、その現実性が限りなく小さいことなど200%承知していた。
そして予想通り、実際に何かを書くということが、ドーバー海峡を泳ぎ切ることと同じくらい大変だと、今度は現実的に思い知った。
小説を書くにしても、山崎豊子のような緻密さや、東野圭吾のような奇抜さがないと面白みがない。
僕のパソコンの中には小説のストーリー案がいくつも入っているが、いざ具体的に筆を進めてみると焦点がぼけて面白くなかった。
少し書き始めては投げ出し、また書き始めては投げ出すという繰り返しが続いた。
自分のライティングスタイルというものを、まるで見いだせなかった。
その頃はブログを立ち上げるなどという発想は、米粒ほどにもなかった。
読み手のいない下手な書き物を続けるには、僕には根性が不足していたようだった。
会社を辞めて時間が余るほどできたというのに、時間があればあるほど、次第に僕は夢から遠ざかっていった。

そうこうしているうちに最初の仕事がやってきた。
それは50万規模の仕事だった。
2〜3週間で50万を手にした僕は、そこで少し手ごたえを感じた。
しかしそこからまた1か月、何も仕事がなくぶらぶらする羽目になった。
退職金はまだ払われていなかったし、いつ支払われるのかも知らなかった。
この1か月間も、僕はただただ時間とお金を浪費するだけであった。
昼近くまで寝て、起きてからパチンコへ行く堕落した生活をおくっていた。
そしてお金が無くなってくると、また無間地獄のような不安の渦に飲み込まれるのである。

そこへ今度は、品川のある会社へ入り込んで設計支援をしてもらえないかという話が飛び込んできた。
期間は数か月で流動的ということであった。
会社の中へ入り込むということにわずかに抵抗があったものの、背に腹は代えられず承諾した。
時給は交渉の末、1時間4200円、交通費は別途支給となった。
大元のクライアントは1時間6000円を支払うことになっていたから、中間業者のマージンもそれなりに大きかった。
そこは大手の電気メーカーで、夜9時を過ぎても誰も帰宅する気配がない。
しかも請け負った仕事の日程がすこぶるタイトで、毎日が残業の連続となり1日最低10時間は実動時間があった。
休日も出勤し、1か月に100万前後の手取りが数か月間に渡って入ってきた。

その期間に退職金の支払いも実行された。
既に書いたように、会社のローンやカード等の残債をそこから支払った。
結局1100万ほど支払われた退職金のうち、手元に残ったのは170万円だった。
住宅ローンは払いきれずにマンションを手放し充当したのだから、それだけ手元に残っただけでもよしとしなければならなかった。

毎日が忙しく、遊びに行く時間など全く取れなかった。
しかし仕事がひと段落つきそうな頃、僕は職場の仲間に誘われるまま再びその界隈のフィリピンパブへ足を踏み入れたのである。
それは年の瀬も押し迫った12月のある日で、忘年会あとの2次会という設定だった。
久しぶりのフィリピンパブということで、正直僕の心は躍っていた。
連日の残業や休日出勤に疲れを感じていた僕は、その誘いを受けた瞬間に心の中で何かが弾けるのを感じた。

僕も様々なことを経験し、少しは成長していたつもりだった。
さすがにその店へ通い詰めることもしなかったし、指名の女の子と深い関係になることもなかったが、この事が後に大きな波紋を呼び起こす原因の一つになったのである。
そしてそれが、僕の人生における退職後の2回目の転機にもつながっていくのであるが、それはまだまだ先の話となる。

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エントリー:リン80 不安の渦
2009年06月15日

リン79 退職

人事部長の呼び出しには、事業部長も同行した。
人事部長というプレートがかかった個室で、事業部長、人事部長、人事課長、そして僕の4人が白い小さな四角のテーブルを囲んだ。
僕のちょうど真向かいに、眼鏡をかけた一見温厚な顔付きの人事部長が座っている。

今回の件では、事業部長をはじめ事件を知っているごく一部の人間は、僕に温かい声をかけてくれていた。
「今いる役員はもう棺桶に片足を突っ込んでいる人間ばかりだ。あと5年もしたらみんないなくなる。そしたらまたお前の力を発揮できる日がくるのだから、役職が無くなってもくさらずにがんばれ。」
そして以前から自分の問題を相談していたある部長には、「協力できる所は何でもするから、とにかく会社はやめないでくれ」と言われていた。

しかし人事部長は、のっけから今回の事件を前代未聞だと言い放った。
温厚な顔から発せられるその冷たい口調は、いっそうとげとげしく僕の胸に突き刺さってくる。
まずは事実確認とその背景説明を求められた。
警察の事情聴取など受けたことはないが、きっとこんな張りつめた空気の中で根掘り葉掘り聞かれるのだろうと思った。

事実確認についてはその通りだと言うだけだった。
背景について詳しく話したくない僕は、理由は酒と女とギャンブルですと適当にかつシンプルに答えた。
女だけは本当のことだった。

そのいい加減さが人事部長を刺激したのか、彼の顔付きが険しくなり攻撃は激しさを増していく。
借金はどんな会社に何社あり、総額はいくらあるのか、会社の看板を背負っている役職者としてあるまじき行為だ、その自覚はあるのか、役職をはく奪されて当然だ・・・。
声を荒げてもらった方がこんな時には意外と気が楽になるのだが、その人事部長はそうではなかった。
一定の音量とリズムをキープしながら、淡々といばらのようなとげを僕に突き刺してくる。

しばらくは嵐が過ぎ去るのを黙って待つしかないと諦め、僕は反論したい数々の言葉を全部飲み込んでいた。
一番苦しかったのは、事業部長がその事実を知りながら上に報告しなかったことに矛先が向いた時だった。
その時でさえ僕は、黙って奥歯を噛みしめるしかなかった。
そしてとにかく給与差し押さえだけは回避するように先方と折り合いをつけることを僕に強要された。
差し押さえの実行については、会社として非常に迷惑だという話だったが、僕にはそれがなぜなのかさっぱり理解できなかった。

給与の差し押さえというのは、給与全額が対象となるわけではない。
給与から税金や年金、健康保険などの金額を差し引いた額の3/4は差し押さえ禁止となっている。
つまり手取りで20万をもらう人であれは、差し押さえ金額は5万円となり、15万は手元に残るのである。
会社は、それを振り分ける事務手続きが面倒だということを理由の一つにあげていた。
しかし本人のことを考えるならば、全額申立人に支払って差し押さえを解除するよりも、とりあえずは4分の3を手元に残し、そのあとで弁護士に介入してもらう方法を勧めるはずである。
会社は顧問弁護士とこの件について既に相談済みで、その辺の事情については熟知していたはずだった。

しかし迷惑だと言われれば、僕も努力すると言う以外道はない。
会社の意向はまず第一に給与差し押さえを解除すること、そして次に弁護士と相談をし、借金を整理する方向で動くことであった。

差し押さえの回避については、僕が消費者金融会社へ電話をして、裁判所への申し立てを取り下げてもらうように頼むしかなかった。
その時の先方の言い方はこうだった。
「うちはもう取れるものが取れると確定しているわけだから、どうでもいいんですよ。それでも取り下げて欲しいというなら、返すべきものをきちんと入れてくれればいいじゃないですか。取り下げについてはそれ以外あり得ませんね。今更10万入れるから勘弁してくれというのはなしですよ。もちろん全額入れてくれたらすぐに取り下げますけどね。」
そうは言われても50万近くのお金はすぐに用意できなかった。
とりあえず手元にあった20万円をすぐに入れ、残りは間近に迫ったボーナスで全てを支払うという条件で、先方に申し立ての取り下げを頼み込んだ。

それに対してさんざん嫌味をいわれた後に、先方は渋々それを承諾した。
しかし今思えば、給与差し押さえは毎月給与の1/4しか取り返すことができない。
その間に僕が弁護士に駆け込み個人再生もしくは自己破産の申し立てが確定すると、差し押さえの取り下げ請求をすることができるのだ。
先方にしてみると、そんなリスクを冒すよりも一括で支払ってもらった方が良いのである。

そして次に、事業部長から紹介してもらった弁護士に相談にしに行った。
更にその弁護士から、彼の事務所から独立したばかりの若い弁護士を紹介され、僕はその事務所へと行ったのである。
問題解決の手段は大きく分けて3つあった。
法的手段を使わない任意整理。これは債権者と折り合いの付けた金額を返済することである。
この際法定金利(18%)を超えて支払っている利息分は元金から差し引き、それが元金を越える場合には逆に債務者へお金が戻ってくる。
そして残りの2つは個人再生と自己破産である。
自己破産は年収が多いために申し立てが棄却されるだろうということで、個人再生で行こうという方針が決まった。
この結果はすぐに人事部長へ報告することになっていた。

「人事部長のおっしゃる通り、弁護士と相談をし個人再生でいくことにしました。つきましては一つ会社に協力をお願いしなければなりません。」

個人再生とは、収入に応じて支払える額(普通、3年が目安)を完済するという計画を立て、 この計画が裁判所に認められると、3年間の完済が終われば 残りの借金は免除されるというものだった。
それを利用するためには、その名が示す通り個人債務であること、そしてサラリーマンなど一定収入があることなどの条件がある。

問題は僕が会社から借りていた500万円のローンだった。
住宅を購入するためのローンであったが、書類上は住宅ローンにはなっていない。
そしてこのローンも個人再生の対象債務となってしまう。
法的手段をつかった場合、この相手には支払い、この相手には支払わないという選択は許されない。
債権者全てを平等に扱わなければならないのだ。

会社は個人再生には協力できないと、この申し出を拒否した。
借金を踏み倒した社員に給与まで支払うなど、そんな馬鹿な話が他の人に知れたら会社が笑いものになるというのが理由だった。
他人がそれを知りえるわけがないと言ったが、そんなものはどこからともなく漏れるものだと言われた。
「その理屈でいうと破産手続きをするとなった場合でも、会社は困るということですか?」
「そういうことになる」
「しかし弁護士に相談しろと言われたのはあなたじゃないですか。僕は言われた通りにして、自分の債務処理で最善と思われる方法を決めてきたんですよ。」
「・・・・・・」
「しかもこれは法律に則って行われることで、僕がこれを実行することについて本来あなたの許可はいらないのですよ」
「そう言われると困るけれどね」
「それともあなたは僕に会社を辞めろとおっしゃってるのですか?」
「そうは言ってない。しかしそれを選択するのはあなたの自由で、そのような選択肢もあると思う。」
その後人事部長は話がややこしくなってきたので逃げてしまったが、最後の言葉に彼の意図が表れていることを僕は感じ取った。
そしてもっぱらこの話をするのは、何人かいる人事課長の一人が担当することになった。

その後会社が興信所を使い、僕の身辺を調べ上げたことが発覚した。
それをある人がこっそりと教えてくれたのだ。
その人の話によると、フィリピン女性の話が出ていたということであったから、どのように調べたかはわからないが、会社は大体の事情はつかんでいるものと推測された。
それが元で、会社は僕を退職に追い込もうとしているようだった。

事業部長はこの会社の対応に憤慨していた。
くやしいから当てつけで会社に居座れ、そして個人再生だろうが何だろうがやってしまえよ、と言ってくれた。
しばらくは居心地が悪いかもしれないけれど、そのうちみんな辞めちゃうんだからと話していた。

しかし当事者である僕は、そのような会社の対応に既に退職を決意していた。
会社という組織に、ほとほと嫌気がさしてしまったのである。
普段は従業員に、会社に忠実な働きアリになることを求め、何かあると切り捨てようとするそんな対応が許せなかった。
債務は退職後に再就職をして個人再生法を使うという手もあったが、退職金が入るのでそれで全てを処理してしまう方法もあった。

僕を最後までかばってくれた事業部長はあと3か月で定年退職をむかえる。
恩義を感じている事業部長が在籍している間は、僕は退職の意思を胸の内にしまっていた。
そして会社には虫けらにも魂があることを見せるために、僕は敢えて個人再生を利用するのは個人の自由だと主張した。
もはや会社を辞めることなど何も怖くはないし、会社に対して遠慮する気もうせたので、自分が一番いいようにやらせてもらうと声高に話していた。
選手交代した人事の課長は僕と部長の間に挟まれ、対応に苦慮していたが、僕の話は逐一部長へ報告が上がっているはずであった。
よってそれは僕の人事部長に対する当てつけだった。
虫けらの会社に対する些細な抵抗だったのである。

そして事業部長が会社を去って間もなく、僕は退職の意思を正式に表明した。
できる限りすぐに辞めて退職金を手にしたい旨を伝えたが、会社側は仕事の引き継ぎが十分できるまで居てほしいと言ってきた。
それから3か月間、僕は会社を去ることも許されずに仕事に追われたのである。
最後に会社側は、ボーナスまであと5日という日を退職日として打診してきた。
できるだけ早く会社を去りたい意向を示していた僕は、ボーナスをもらってから辞めるとも言えずそれを了承した。

それからまた人事関係者の動きがあわただしくなった。
というのも弁護士が介在しているために、会社は僕の退職金からローンの残債を勝手に天引きできないのである。

突然会社側は僕にすり寄ってきた。
退職金が支払われた直後に、僕の手ですぐにローン残債分を振り込んでほしいと言ってきたのだ。
人事部長はすでにこの話から逃げているので、交渉はもっぱら課長やローンの担当者となった。
僕は踏み倒すつもりはなかったが、簡単に了承もしなかった。

「それは法に抵触する行為ではないですか?」
「いやぁそうかもしれないけれど、立つ鳥跡を濁さずって言葉もあるじゃない」
「仮に支払ったとしても、法的手段を行使した時にそのお金は裁判所から返還命令が出る可能性がありますよ」
「それはその時だからさあ、そんなことを言わずにお願いしますよ」
「いや、それは僕の一存ではできないですよ、弁護士に相談しないと。」
「弁護士に相談するとだめだって話になるでしょ。だからあなたの一存でお願いしたいんですけどね。」

会社は人が一番大切だと言っているのに、実際にやっていることはそれと180度違う。
しかも自分たちの利益を守るだめであれば、そんな小さな法律は無視してしまえという話である。
僕はそんな会社の対応にあきれ返っていて、まともに話をする気にもなれなかった。
人事の課長は、会社の対応がひどいことは認識しているし、僕の気持ちは重々承知するところであるが、しかしお願いしますという低姿勢だった。
この場合交渉担当者には何も罪はない。
相手がほとほと困り果てたところで、まるで水戸黄門の名セリフである「そろそろいいでしょう」と言わんばかりに僕はその話を承諾した。

僕が退職の意思表示をしてから3か月間、再就職の活動は一切しなかった。
もはや会社という組織に身を置くことは嫌だったのである。
それまで付き合いのあった中で、3社から再就職のお誘いを受けたが丁重にお断り申し上げた。
どうやって食べていくかについては、しばらくのんびりしながら考えようと思っていた。
僕は若い頃から会社を早期に退社すると宣言していたので、それを知っている同期の連中は、まさか本当にそうするとは思わなかったと一様に驚いていた。
彼らは僕の退職の裏に、様々な事情があることを全く知らないのである。
取引先や外注業者も含めて、様々な人が僕の退職を不思議に思っていたに違いない。

僕は退職日に、海外工場の現地スタッフに電話をした。
印象的だったのは、以前よく通ったフィリピン工場のスタッフが、電話口で泣いていたことだった。
関わりの深かった人間と一人一人話をしたが、泣いていたのは女性だけではなかった。
それだけ慕ってもらえていたことが嬉しかったし、彼らを裏切るような苦い想いが込み上げてきた。
その場を繕うように、もし自分が新しいビジネスで一発当てたら、みんなをパーティーに招待すると約束した。
その約束はまだ果たしていないが、いつの日か本当に実行したいと思っている。


結局債務は退職金で整理を付けた。
会社のローンも、約束した通りに僕が自ら振込をした。
退職金の支払い日には、会社から人事課長を筆頭に3人もの男がわざわざ銀行に来て、僕は彼らの目の前で振り込みを実行させられたのである。
そんな大げさなことはしなくても必ず振り込むと言ったが、彼らは結局銀行に押し掛けてきた。
もし僕が突然やめたと言ったら、ボールペンを持つ僕の手を押さえつけてでも振込み用紙に記入させるような勢いがあった。
この一連の動きの中で、結局住み慣れたマンションも手放した。
こうして僕は、様々なものを失いながら一連の騒動から解放されたのだった。

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今回これを書いている時、当時の怒りや虚しさがよみがえり、会社名や人事部長名、そしてその陰で暗躍していた人事担当役員の実名を公表したい気持ちでいっぱいになりました。
それをを抑えるのに苦労しましたよ、ほんとに(笑)
全ては自分のまいた種なんです。
女性にお金を貢ぐのを悪いとは言いませんが、こんなことになるまでやっちゃいけませんね。
こんな悲惨なことになるということを、少し書いておきたかったんです。
後先をきちんと考えて行動することが大切だと思いますね・・・・僕が言うと説得力なし?(爆)
あともう少しで、話はフィリピーナに戻ります。
このブログのタイトルは決して忘れてはいませんので、引き続きお付き合いを宜しくお願い致しますm(__)m


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カテゴリー:国際恋愛
エントリー:リン79 退職

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