フィリピーナと共に
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2009年07月27日

リン114 結婚のお願い

毎日ジャマイカで家族揃っての昼食をとり、そこで夕方までのんびりした後ホテルへ戻るのだが、モナは僕から両親へ話があることを夕方両親へ打診した。

一応両親の了解をもらって、モナは僕のところへやってきたが
「マハール、なんでその話は夜だって?さっきご飯を食べてる時にすればいいじゃないって言われた。」
「え?親戚も従兄弟も一緒にいて、みんなでご飯を食べてる時に?それがフィリピンスタイルなの?」
「オッオー、だからアコ言ったよ。ジャパニーズスタイルは違うって。それを話する時間をちゃんと作ってお願いするのがジャパニーズスタイルだって。」
「それで?ダディーとママはなんて言ったの?」
「そしたら家に来なくてもいいって。二人が後でホテルに来るって。」
「はあ?その話する時に、ダディーとママがこっちに来るの?それは僕が来いって言ってるみたいで失礼じゃないの?お願いするのは僕なんだから、僕が家に行くのが普通なんだけど・・・」
「でもそれがいいって。ダディーもママもすごい緊張するって話してた。顔にスマイルないよ、今。」
「そうなの?緊張するのはこっちなんだけどなぁ・・。とにかくわかった。何時にくるって?」
「8時くらいだって」

普通に食事をしている時に、世間話のついでにそれを話せばいいのにというのはさすがに驚き、文化の違いを感じずにはいられなかった。

いつもは夕食を両親の家に行って一緒にするのだが、その日は初めてモナとベルと僕の3人だけで夕食をとることになった。
僕は夕食を食べている時から少し緊張していた。
日本語であれば、いろいろと言い様があるが、英語で言わなければならないことと、しかも相手は文化の違うフィリピン人である。
遠い言い回しはピントがずれて通じないかもしれないし、しかしストレートに言い過ぎて、明日結婚するみたいに誤解されはしないかと、余計な心配事も含めて一人で頭の中でぶつぶつとつぶやいていた。

8時前には部屋に戻り3人でダディーとママを待っていたが、時間を過ぎても二人は中々現れない。
僕は両親がそんなに慌てて来る必要もないと思っていたが、モナがイライラし始めた。
「遅いなぁ。どうすればいいか考えてるかなぁ。たぶん今二人で話していると思う。マハール、ちょっと電話してみようか!」
「電話しなくていいよ。ここでだまって待っていようよ。」
「そう?でもおそいなぁ。たぶんいろいろ心配してるなぁ・・・」

ダディーとママは、約30分遅れでホテルの部屋に現れた。
部屋を2度ノックする音に、僕の心臓の鼓動が早まった。
ダディーが相変わらず不器用なお辞儀をして、部屋に入ってきた。
部屋の中央にあらかじめ二人が座る椅子を用意し、その対面に僕が座る椅子を用意していたのだが、ダディーは自分で椅子の位置をTVが見やすい位置にずらした。
そしてママとモナが雑談を始めた。
ダディーはベルと一緒にTVを見ている。
どう見てもこれからお互いに大切な話をする雰囲気ではない。
ダディーとママが、僕とモナの結婚に関する話を避けたいと思っている気持ちが伝わってきた。

僕にはそれまでの1週間の密着生活で、彼女の両親の気持ちが何となくわかっていた。
ダディーとママは、二人が結婚をすると僕がモナとベルを日本に連れていってしまうことを恐れている。
仕方がないことだとわかっていても、実際に1週間ベルが家にいないだけで、骨身にこたえるような寂しさを感じていたのだ。
それが今度は遠い日本に行ってしまうと考えただけで、きっと身がつまされるような想いにかられたに違いない。
30分の無駄な時間が流れた。
そして僕はこの30分間で、話そうと思っていた内容を若干変更することにした。

TV番組の区切りがついたところで、僕が切り出した。
「そろそろ話をしていいですか?」
ダディーが首だけこちらを向けながら、コクリと頷いた。
そして体の向きは僕の正面ではなくTVの方を向いたまま、TVのスイッチを切った。
ベルが何でTVを切るのと少し駄々をこねたが、モナがベルにこれから大切な話があるから我慢してと言い聞かせた。
部屋が静まり返り、エアコンが風を吐き出す音が妙に響き渡っていた。

「最初に、僕がモナをたくさん悲しませ、ダディーやママに大きな心配をかけたことをお詫びしなければなりません。本当に申し訳ありませんでした。」

僕が彼女を悲しませたという言った時に、ダディーが無言で首を大きくゆっくりと縦にふった。
それは「確かにそうだね」と言っているように取れ、ダディーとママが、決してその事を忘れているわけではないことを思い知らさせた。
それまでの1週間、二人はそのことで僕を責める態度も言葉も全くなかったことを少し不思議に思っていたのだが、その頷きで何も言わずに自分を歓迎してくれていたことが二人の優しさだったのだと強烈に感じた。

「過去にあのようなことが色々あり、正直に言うと、僕がモナに戻ることについては多くの迷いがありました。僕の心配の中には、ダディーとママがそのことを許してくれるのだろうかというのもありました。しかしモナは僕にずっと連絡を取り続けてくれた。ずっと変わらぬ愛を僕にくれたことに、僕の心が動かされました。彼女がいないと寂しいと思うようになり、いつも一緒にいたいと思うようになりました。今は彼女の事を心から愛しています。」

モナの両親は、やや下を向きながら一言も話さずにじっと僕の話を聞いている。
ダディーは時折僕の話に無言で頷いていた。
僕は続けた。

「先日二人で初めて旅行をしました。その旅行先で僕は今までのことをモナに謝りました。そして彼女が許してくれたので、僕はモナにプロポーズをしました。彼女の返事はオーケーでした。モナとの結婚にはダディーとママのお許しが必要ですが、ベルの気持ちも大切です。だから昨日ベルに、僕が彼女のお父さんになってもいいかと尋ねました。」

ここでママが初めて口を開き「ベルは何て返事したの?」と聞いてきた。

「ベルにはオーケーをもらいました」

ダディーは頷いたが、ママは無言だった。

「あとはダディーとママに、二人の結婚の許しをもらわなければなりません。ただしダディーとママは、僕をほんの1週間しか見ていない。だから今すぐにオーケーをいただけるとは思っていません。それに今後の生活のことについても、話し合わなければならないと思っています。だから今は、二人が将来結婚したいと思っていることと、それを前提に付き合っていることをダディーとママに理解して欲しい。僕は返事は急ぎません。今後の僕の態度をよく見てから、返事をくれるということでオーケーです。おそらくお二人にはその時間が必要だと考えていますが、どうですか?」

ママは特に答えずにじっとモナを見つめていたが、ダディーはやはり無言で頷いていた。

「僕が今回ここに来た目的は、今日のこの話をダディーとママにするためです。大切な話なので、フェイストゥーフェイスで話がしたかった。それとお二人に僕を見て頂きたかった。いずれにしても僕を大切なお客として接してくれていることには、大変感謝しています。僕はもう1週間ほどここにいます。どうか僕をモナの夫として、そしてベルの父親として相応しいのかしっかりとチェックしてみて下さい。僕はここに来てから、ずっと自然にふるまっています。言葉や態度を何も作っていません。いつもと同じです。ダディーとママが僕の言葉を信じ、最後は結婚の許しをくれることを願っています。今日はわざわざここに来てもらい、本当にありがとうございました。日本スタイルでは僕がダディーとママの所に行かなければならない。だからこの話を聞いてもらうために二人にここへ来てもらったことは、少し恥ずかしく思っています。僕の話はこれで全部です。本当にありがとうございました。」

僕は最初、モナと結婚したいがそれに対して許してくれるかどうか返事を下さいと話すつもりだった。
しかし、結婚をしたいと思っているので、そのつもりで僕を見てくれという話に切り替えた。
性急な返事を求められても、相手も困ると思ったからだ。

ダディーとママは大きく頷いて、ダディーが現地の言葉でモナに少し何かを言った後に椅子から立ち上がった。
ママは「話はわかった。今日はもう遅いから、すぐに家に帰るね。」とだけ言い、二人はドアの方に歩き出した。
ダディーがドアを出る前に「おやすみ」と言いながら、こちらにお辞儀をして出て行った。
僕とモナはそれを追いかけ外まで出て見送ろうとしたが、ここでいいからと廊下で制止された。
ママがモナに短く何かを話して去って言った。

ドアを閉めると再び部屋には、エアコンの送風音だけが響いている。
僕はとても疲れていた。
口の中もカラカラに乾いていて、モナにのどが渇いたから冷蔵庫から何か飲み物を取ってくれとお願いした。
「マハール、ビールしかないよ。それでもいい?アコも少し飲みたい。アコもちょっと疲れた。」
「オーオー、一緒に飲もうか」

350mlのビール缶を開け、グラスに半分ずつ分けそれを持ってベランダに移動した。
ベルは再びTVをつけ、ベッドの上に寝転びながらアニメ番組を見ている。

ベランダのテーブルを挟んで椅子に腰掛け、二人でグラスを軽く合わせた。

「ねえ、僕の話はどうだった?大丈夫だった?ダディーとママは分かったかな。」
「オッオー、大丈夫よ。全然問題ない。」
「それで?さっきダディーは何て言ったの?」
「ダディーはアコに任せるって。アコのことを信用してるから、アコが決めなさいって。」
「ママは?何も言ってなかったけど・・」
「ママはマハルの態度を少し見るって。さっき帰る時にそれ言ってた。」
「やっぱりそうなの?ママは僕のこと、信用してないかな?」
「さあ、わからない。でもダディーがいいって言ったら、ママは文句言わないよ。ダディーはアコに任せるって言ってたから問題ないよ。」
「そうか・・・」
「言葉だけは簡単でしょ。でもそれが本当かどうかは、態度でわかる。マハルがこれからアコを泣かせないだったらママも大丈夫よ。ママはアコの気持ち、分かってるから。あなたもそれ、大丈夫でしょ!もう心痛いのはあげないでしょ?」
「たぶん・・・」
「なんでたぶんなの?あなたそれ自信ない?」
「だって二人が喧嘩することもあるでしょ?もし僕が文句あったら、あなたにそれ言うよ。」
「オーオー、それは大丈夫でしょ。二人ちゃんと話するがいいよ。一番心配は浮気でしょ?」
「それはないよ。大丈夫、約束する。」

確かに僕には女性絡みの問題はあったが、僕の中でリンの問題は決着が付いていると思っていた。
それに日本にいる時にでも、以前のようなお店に出入りすることはほとんど無くなっていた。
いざ離れて見ると、そんな所でお金を落とすのが馬鹿らしいとさえ思うようになっていた。
自分で自身をよく見つめ直して得た結婚の結論だったから、モナと結婚した後にリンと寄りを戻すなどということは決してないという自信があった。

ママが少し元気がないように見えた理由が翌日わかった。
ママは、モナが僕と結婚をすると生計が全く別になるので、建設中の家がどうなるのかが心配であること、そしてその後の生活においてモナの収入が全くあてにできなくなるのが心配だった。
そしてもう一点は、モナとベルが遠い日本に行ってしまうことも寂しいのだった。
ママは結婚などしないで、ベルと一緒にずっとママのそばにいて欲しいという話をモナにした。
その話をされた時に、モナはママに怒りをぶつけたそうだ。
モナはそれまで、家族のために一生懸命に働いてきた。
土地も買い、家も完成に近い状態まで持ってきた。

長い間僕との結婚だけを夢見て、ようやくその夢が現実のものになるところまでこぎつけた時に、ママが自分の都合だけでその結婚をやめられないかと言ったことに、モナは心の底からママに失望した。
これからは自分の幸せを考えたいし、それを考えることはいけないのかと彼女はママに食って掛かったと弟のジンが教えてくれた。
それはすごい怒りようで、ジンもそんなモナを見るのは初めてだったと驚きを隠さなかった。
その時ママは一つも反論できずに、オーストラリアに出稼ぎに行く話を始めたそうだ。
ママはナースの資格を持っており、前日の僕の話しを聞いてから、オーストラリアでその仕事ができないかと考えていたそうだ。
しかしモナは僕に、「あの歳だとたぶん無理だし、もしママがどこかに行ったらダディーがかわいそうだ」と話した。

僕は家の問題は心配するなと、初めてその時モナに話した。
残りのお金は自分ががんばるからと・・・。
そしてフィリピンであの家に一緒に住むことも考えるということを話した。

もしモナが日本に行った時には、きっとフィリピンの家族の生活のことが問題になる。
モナは仕送りをする分を自分で働いで稼ぐと話していたが、僕は彼女が夜の仕事をすることは反対だった。
二人の生活が昼と夜で逆転すれば、二人の共有する時間が無くなってしまうことが一番の理由だった。
モナは昼の時間に働くことも考えていると言ったが、おそらく彼女には務まらないだろうと考えていた。
モナは横浜にいた時に、一度日本のビジネスホテルで部屋の清掃の仕事に挑戦してみたのだが、数日間でギブアップした。
体が弱い彼女は、ベッドメイキングだけでも重労働過ぎて体がもたなかった。
僕は本当に彼女の体が心配になり、その仕事をやめるように話した経緯があった。

もし僕がフィリピンでお金を稼ぐ手段があれば、日本での高い生活費を考えずに彼女の両親くらいは養うことができる。
そしてモナもガイドの仕事を継続することができる。
もし僕がフィリピンに住む場合は、モナは僕に仕事が無くても自分ががんばると話してくれていたが、それを最初から当て込むのはプライドが許さないし、長期間に渡ってモナの仕事がうまくいく保証も無いと思っていた。
フィリピンで二人がうまく仕事ができたら、僕がフィリピンに永住するのがベストな選択であることは明白であった。

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2009年07月24日

リン113 モナのファミリー2

僕はいつも朝一番に起床する。
そしてベランダでコーヒーを飲みながらタバコを吸い、読書をしたりする。
そのうちモナが起き出してホテルに朝食を頼むと、それが部屋に運ばれてくる。
モナ、ベルと3人で朝食を取っている間に、モナの両親が部屋にやってくる。
ダディーは必ず不器用なお辞儀をしながら「おはよう」と言って入ってきた。
しばらくみんな一緒に部屋で雑談をする時もあれば、両親はすぐに買い物に出かけたりする。
とにかくファミリーがいつも連絡を取り合いながら、密着して生活をしている様子が見て取れた。
特にママは、ほんの10分でたどり着けるところにいるベルと離れて暮らすのが、たまらなく苦痛に感じるようだった。
ママは時々ベルに、今日はあなただけでも家に帰って一緒に寝ようと誘いかけるが、ベルはいつもそれを断った。

一日だけベルが両親の家で熱を出したことがあった。
その時ママは、「今日はモナとベルはホテルに行かずに家にいなさい」と言い、僕もモナもそのつもりでいたが、いざ僕がホテルへ帰ろうとした時にベルは3人でホテルへ帰るとダダをこねだした。
3人はもう家族だからいつも一緒でなければいけないというのが、ベルの考えだった。
まだ5歳のベル(2ヶ月後に6歳)が、家族というものをそのように認識していることに驚きを覚えたのと同時に、僕の中には、荒野の中に一輪の花を見つけたようなほのかな嬉しさがあった。
ママは「ホテルの部屋ではエアコンをつけちゃだめよ」とそれだけ念を押し、ベルを家に引き止めることを断念した。
ママはベルのその一言に納得したのだろうが、その出来事一つとっても、フィリピン人の家族というものに対する考え方が伺える。

フィリピン人がファミリーを大切にする話は良く耳にするし、そして実際に助け合って生きているのも分かってはいたが、実際にその中に入り込んで生活をしてみると、その絆の深さに驚くことが多く、知っていたつもりのことでも、なるほどと初めて納得することが多かった。
常に一緒に行動することを想像すると日本人は煩わしさを思い浮かべてしまうかもしまうかもしれないし、僕もそのように想像していたが、実際に中に入って見ると安心感があり、そして楽しかった。

僕がモナの田舎を訪れてから数日間、毎日のように彼女の親戚へのお披露目イベントが開催された。
僕は彼女の両親に二人の結婚についてまだ何も話をしていないのに、既に僕は娘の婚約者のような扱いだった。
イベントはほとんどが屋外ベーべキューの昼食会で、そこにはいつも初めて見る顔が並んでいた。
僕はその度に握手をしながら、自己紹介とはじめましての挨拶を繰り返した。

ダディーは食事で僕に食べさせたいものがあると、時々僕の分だけそれを買ってきた。
例えば昼食時に僕の前にだけ蟹がある。
みんなで食べてくれといいそれをテーブルのセンターに僕が押し戻すと、いやいやそれはあなたに食べさせたいから買ってきたんだと言われる。
なぜ僕だけなんだと尋ねると、それは高いからみんなの分は買えないとモナがこっそり教えてくれ、僕は恥ずかしくなりかえってそれに手をつけ辛くなるのだった。
しかし僕が手をつけないと誰も食べようとしないので、足の一本でも取ってそれをテーブルの中央にまた戻すと、ママが甲羅の部分を僕の皿に取ってくれて、後はみんなが少しずつ食べるといった具合だった。
後で僕がモナに、「みんなの分を買うくらいのお金は出したのに」と言うと、「いいの、それはダディーの気持ちだから」と言われた。
些細な事ではあったが、僕の心にはモナの両親のそのような優しさがじわりと浸透していた。

昼食はいつも現在建設中の新しい住まいの場所で行われる。
そこはJamaica Mansionと名づけられた地元では高級分譲地の一画にあった。
数年前にモナが土地を買いたいからお金を援助してくれと言い、僕がそれに怒って彼女に別れ話を切り出した話を以前書いたが、モナは自力でその土地を分割払いにより買った。
分割払いでも、土地のお金は全て払い込まなければその上に建物を建てることはできない。
彼女が横浜に来たときにはすでに土地の代金を払い終えていて、今度は家を建設するための資金を横浜で稼いだ。
モナは横浜の店で働いて、フィリピンに仕送りをしながらも日本の銀行にはちょうど100万円を蓄えた。
モナが仕送りをしたお金は、フィリピンの家族の生活費、ベルの教育積立金、家の建設費に当てられ、建設はお金がある分だけ進められる。
そして建設費が底をつくと工事はストップし、お金ができると再び再開するという仕組みで進められていた。

モナが購入した土地は約200坪くらいではないだろうか。
そこに1階の床面積で100坪程度の3階建ての家が工事中である。
家は鉄筋コンクリート製で、僕がそこを訪れたときにはおおよそ全体の形はできていたが、所々に鉄筋が突き出ている状態で、ドアや窓などはまだ入っていなかった。
しかし屋根は既にかかっているので、中に入れば雨はしのぐことができた。

トイレは3箇所、バスルームは1箇所にシャワールーム2箇所、キッチンも2箇所、そしてリビングの脇にはバーカウンターなども組み込まれていた。
20畳ほどのリピングの横には小さなメイド用の部屋も用意されている。
両親の部屋、僕とモナの部屋、ベルの部屋、弟の部屋なども用意されているし、2階にはちょっとしたパブリックスペースもある。
その家の唯一のバスルームは、モナが日本人の僕を意識して、設計段階から自分たちの部屋に用意していた。
モナは僕と寄りを戻す前から僕との生活を前提に、家の設計に取り組んでいたのである。
二人の部屋は15畳ほどの広さがあり、その隣に専用のトイレとバスルームがついている。
大きな窓の脇にあるドアは広めのテラスに繋がっており、そこでティータイムを楽しむことができるようになっている。
とにかく家全体が、モナの夢がたっぷりと詰まった設計になっていた。
モナの頭の中には、僕が仕事で使うデスクの置き位置まで入っているようで、彼女はベッドやティーテーブル、ソファー、本棚などの配置の説明にも一生懸命だった。

それ以外に大きなテラスが数箇所あり、一番広いテラスは10畳以上の広さがあった。
そこは完全に屋根もかぶっているので、そこにビリヤード台でも置きたいとダディーとモナが話していた。
3階には部屋がひとつだけあり、その部屋の周囲が屋上スペースになっている。
屋上は高さ1mほどの壁に囲まれており、最初からそこで何かができるようなつくりになっている。
ビールを飲みながらバーベキューをしたり、昼寝をしたり、大きなビニールプールなどを置いて水遊びなどをしたいらしい。
フィリピンでは、大人でも十分遊べるような大きなビニールプールが売られているのだ。

家の完成までには、土地を仕切るフェンス、門柱とドア、そして玄関ドアやサッシ、窓、シンクやトイレ、バスタブ、蛇口などの水周り用品、床のタイル、外壁の仕上げ塗りとペイント、内装、照明・・・と、まだまだお金のかかる作業が残っていたが、それでも3階建ての家の形までができていたのだから、モナはよくがんばったと褒めるべきだった。

土地の半分は建物が占めるが、それでも残りの100坪はフリースペースとなっている。
その一角に臨時の台所やテーブル、テレビなどを持ち込み、ビニールシートで屋根をかけちょっとした居住スペースになっていた。
昼食は毎日そこでママの手料理を食べる。
ママは僕が料理を手に取りそれを口にするまでの動作をじっと見て、食べているときに「美味しい?大丈夫?」と聞いてくる。
僕が「う〜ん、マセラムン」と地元の言葉ですごく美味しいと言うと、手をたたきながら笑い喜んだ。

土地も家も随分余裕があり、家の裏庭では鶏が15羽ほど放し飼いにされている。
将来はそこで野菜作りもしたいらしい。
庭にはハンモッグも用意されている。
もともとそのエリアは町よりも涼しい風がそよそよと吹き抜ける場所で、特に夕方になると日本の秋のようなすがすがしさになる。
僕はそのハンモッグの上で本を読み、よくうたたねをしていた。

とにかく日本では高所得者でなければ手にすることができないような、優雅なスペースと家のつくりになっている。
そこまでかかった費用は土地に300万、家に300万で、残りの部分は家具も入れてあと300万〜400万ほどかかる見込みだ。
その家には自分も将来住むかもしれないので、せめて残りは自分ががんばって家の完成を早めようと僕は思っていた。
もし僕がその気にならない場合、モナはガイドの仕事を続けながら、あと3年くらいでこの家を仕上げるつもりでいたらしい。
毎日の食べる分をダディーが稼ぎ、モナの収入はベルの教育積み立てと家の建築費に当てるという分担が、家族の中で暗黙の了解事項となっているようである。

モナはベルの教育費の積み立ても、以前からきちんとやっていた。
彼女はいくら生活が苦しくなっても、その積み立て金だけは絶対に手をつけないようにしている。
その計画性と意思の強さには僕も関心するばかりであったが、もっと驚いたのは、モナが毎月生活費や小遣いと称してママ渡すお金はママによってきちんと管理され、緊急時の備えていることだった。
お金に余裕がある時には、モナはダディーにも自由になるお金が必要だからといいお小遣いをあげていた。
ダディーはそれでたばこや酒を買うくらいで、余ったお金は無駄遣いしない。
ダディーは時々珍しいものあったと美味しそうな魚などを買ってきてくれるのだが、あれはダディーのお金で買ってきたみたいとモナが教えてくれた。
日々稼ぐお金でそれだけの食材は買えるはずがないと言うのだ。

そしてモナの弟の関係でお金が必要になった場合、そのお金はママが管理しているお金から拠出され、モナの管理しているところから出ることは決してない。
モナもそれは私の責任ではないから、ママが払うのが当然という。
またモナに何かがあった場合、ママは自分の娘のためにお金を支払うのは自分の義務と考えているようだったが、建設中の家についてはそれはモナの責任だといい、工事が止まろうがママがお金をだすことはない。

どうやらこのファミリーは、モナのお金、ママのお金、ダディーの小遣いと彼が稼ぐ食費がきちんと分離され、けじめをもった中で管理されているようであり、モナの計画性のある几帳面な一面は母親譲りであることもわかってきた。
元はモナが稼いだお金だったとしても、このけじめのある管理システムが機能している限り、各々が計画的に物事を運ぶことができる。
フィリピン人はお金がある時は贅沢をしてパッと使い、なくなったら貧乏生活をそれなりに楽しみながら過ごすというイメージがあったが、モナの家族にそれはあてはまらないようだった。
その時々のケースで、お金が必要になる理由とその責任はだれの範疇かを考え、それに基づいてお金を出す人が決まるこのシステムは、日本人のそれよりもドライに徹底されているようで、いつも密着しあって生活しているファミリーを見ていると、それがかなり意外でもあった。
それをあまりにも普通に円滑に行っているのを見ると、もしかしたら僕はフィリピン人のことを今まで誤解していたのかもしれないと思うほどだった。
こうして、僕の中にあったお金に関する不安は、かなり払拭されていった。

Tabacoで1週間過ごしたある日の午後、モナに両親への話をいつするのか聞かれた。
「ダディーとママはあなたの話をまってるよ。いつする?」
「そうだね、そろそろ話をしないといけないね。」
「オッオー、だって待ってるもん。ママも何も言わないけど、アコわかるよ、それ。」
「わかった。今日の夜にその話をしよう。それをダディーとママに話しておいて。今晩家でその話するからって。」
「わかった。マハール、なんていうか、もう考えたの?」
「あまり考えてないけど、普通に話するよ。困ったら助けてよ。」
「わかった。それじゃアコ、あとでダディーとママにその話してみる。」
こうして僕は、いよいよ彼女の両親に結婚の意思を表明することを決めたのだった。
いよいよモナが、待ちに待った瞬間がやってくるのである。


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エントリー:リン113 モナのファミリー2
2009年07月22日

リン112 モナのファミリー

最初にモナの父親(以下ダディー)、そして母親(以下ママ)に握手をしながら「はじめまして」と挨拶をした。
ダディーは日本流にぺこりと頭を下げてから、岩のような大きな手をさし出してくれた。
そして僕はしゃがみ込んでやや恥ずかしがっているベルに目線の高さを合わせながら、彼女に握手の手を差し出した。
ベルは「ナイストゥーミートゥユー ダディーマーク!」と言いながら、ちょこんと手を出し、握手した手をすぐに引っ込めながらモナのママの影に隠れてしまった。
その間にダディーが、僕とモナの荷物をさっと引き取り車に積み込んでくれた。

緊張状態を引きずったまま、出迎えのためにチャーターされた運転手付きレンタカーに乗り込んだ。
ダディーは車の助手席に、そしてベルとママは3列目のシート、そして僕とモナは2列目のシートに乗り込むよう促された。
Legazpi空港から彼女の家があるTabaco Cityまで車で約40分。
近隣には大きな建物は見当たらず、そこはまるで田舎にポツンとある空港のようだった。
その界隈を見る限りではLegazpi Cityは大した街には見えなかったが、実はLegazpiはビコール地方の中心となる大きな街だということを数日後に知る。

国道ながら片側1車線の道路は空いていて、車は止まることなくTabaco Cityに近づいていく。
道路は勿論舗装されているが、必要がないのか交通信号が一つもない。
両脇には広大な田んぼが広がり、時折右手奥に群生しているヤシの木の向こう側に海が見える。

Tabaco Cityまでの道中、僕は窓の外ののどこな田園風景を眺めていた。
しばらくしてママが「すごい田舎でしょ?」と重苦しい車内の緊張感を打ち破る意図でもあるかのように、僕に話しかけてきた。
どうやらみんな、お互いに意識しながら緊張をしているようだと気が付いた。
ダディーは相変わらず車の行く手をまっすぐ見ながら、無言を貫いている。

一旦口を開いたママは、それから通りの風景、建物、親戚の家、学校など、いろいろ説明してくれた。
左手には活火山であるMt.Mayonが、その堂々たる姿を誇るようにそびえたっている。
まるで富士山のような容姿のMt.Mayonは何年か前に大きな爆発をおこし、噴出した溶岩が町を一つ飲み込んだそうだ。
そんな恐ろしい話を当たり前のように平然と話すところに、僕は驚きと恐ろしさを感じた。
Tabaco Cityには溶岩の被害は及ばなかったが、灰がいたるところに積もったそうである。
その凄まじさを物語るような、漆黒のごつごつした溶岩が川状に続いている跡地を通った。
既に固まっている溶岩が道路を挟んで両側に黒い石の川を作っており、寸断された道路はその時もまだ100mほど工事中で砂利道になっていた。

モナのママは48歳の中国系フィリピーナで、まじめで神経質そうな女性である。
よく見かける底抜けに明るいフィリピーなではなく、彼女は日本人に近い気質を持ち合わせているように思えた。
メガネがまじめそうな性格をいっそう強く印象付けていた。
52歳のダディーは色黒で恰幅の良い純血フィリピーノの容姿を持ち、大きく丸い顔に優しさがにじみ出ているような人だった。
モナの顔は、両親を混ぜ合わせてから分離したような、どちらにもなんとなく似ているし、どちらにも極端に似ていない顔である。
その時々でモナはダディーに似ていると思ったり、ママに似ていると思ったりした。

ダディーもママも顔にほとんど皺が無いので、実際の年齢より若く見えるが、そんなことを思っている自分も45歳であるから僕はモナの両親と大差ない歳である。
そしてモナと自分と彼女の両親の年齢の関係は、僕の中に微妙で複雑な心境を生じさせていた。

車はダディーが予約をしてくれたホテルに順調に向かっていた。
Tabaco Cityはそれほど大きな町ではないため、数件あるホテルも大したことはないと聞いていたが、ダディーはその中でも一番清潔で過ごしやすいだろうと思われるホテルを選び、更に部屋の広さや機能までを事前に自分の目でチェックしてからルームナンバー指定で予約を入れてくれたのだとモナから聞いていた。

両側に田園が広がり、その右手奥にはしばらく海が見えていたが、次第に町らしい所へと入った。
ほどなくしてベルが通っている学校の前を通り、それからすぐにホテルへ到着した。

ホテルのある場所はTabaco Cityの中心的な場所で、道路を挟んだすぐ真向かいにポリスステーション、そして歩いて1分圏内に5階建てのモール、スーパーマーケット、ジョリビー、市場、靴屋さん、名前の忘れたファーストフード店、ドラッグストア、バスターミナル、銀行が数軒と、一通り何でも揃っていた。
モナはかねてから自分の家があるTabaco Cityはすごい田舎だと話していた。
そのため彼女の家の近辺はジャングルのような所だと想像していた僕は、その都会ぶりに驚いていた。
僕はモナに、そこが十分都会で、それ以上ごみごみしたら帰って住みづらいと話したが、彼女はまだまだ自分の町に不満があるようだった。

ホテルは5階建ての細長いビルディングで、外観は日本のホテルのたたずまいと若干違う。
よくよく看板を見なければ、普通のオフィスビルと変わらない建物がホテルとは気付かないかもしれなかった。

ホテルの1階は洋服を売っている店で、2階がホテルのレストラン、3階にチェックインカウンターとそれ以上5階までが宿泊フロアーとなっていた。
洋服屋の脇にホテルのセキュリティーガードが立っており、そのすぐ後ろの入り口から細く長い階段が3階まで続いている。
ダディーが僕の重い荷物を持って、先に階段を昇っていった。
チェックインカウンターには若い女性が3人いて、珍しい日本人ゲストに興味津々という態度があからさまだった。

僕の部屋はカウンターのある3階フロアーの端で、道路に面して大きなベランダがついていた。
事前に聞いていた話から僕は相当古ぼけたホテルを想像していたが、建物は新しくそれなりに設備も整っており、そして何よりも嬉しい誤算だったのは、部屋もホテルの中も明るいということだった。
20畳はあるかと思われる広い部屋にダブルベッドが一つあり、窓の近くとベランダにテーブルと椅子が用意されている。
室内は禁煙なので、僕はベランダにタバコを吸いに出た。
ダディーも僕のすぐ後からベランダに出てきてタバコに火をつけてから、そこから見えるTabaco Cityを説明し始めた。

ホテルの真向かいにはスーパーマーケットの建物があるが、完成間近で建物の構造に問題があることが発覚し建設が止まっているらしかった。
もしそれが完成したら、そこにテナントで入って商売をしようと考えていたらしく、長年完成を待っていたがもう諦めたそうだ。
その脇には食料品がなんでも揃う大きな市場があった。
滞在中に一度市場の中を案内してくれると言ってくれた。

その市場の隣はジプニーとバスのターミナルになっており、何台ものジプニーとおそらく日本から払い下げられたと思われるバスが数台停車している。
バスターミナルから出発するバスのほとんどは、空港があったLegazpi行きとManila行きらしい。
ベランダのすぐ下に見えるジプニーやトライシケルで賑わった道路は国道で、マニラまで繋がっているとのことだった。
しばらく観察をして、その町には普通のタクシーが無いことに気付いた。
タクシーは乗り合いのもか、もしくは丸ごとチャーターするしかなく、その外見は普通のワゴン車だと教わった。

ホテルの隣はジョリビーがあり、いつでもハンバーガーが食べられることが分かった。
またホテルから500mほど離れた黄色いビルディングを指差し、あれがTabaco Cityの唯一のディスコだと言った。
ここはバーのような酒を飲む場所はないから、つまらないかもしれないと言われ少し恐縮した。
あなたはそのような場所が好きらしいけど、残念ながらないと言われているような気がしたからだ。
そしてベランダからまっすぐ眺めたすぐ先には民家やヤシの木の林があり、その向こうに海が広がっている。
停泊している大きな船が見えたが、そこの港には車、車の部品、木材などの輸入品が入るそうだ。
日本から輸出される米もその港に入るそうである。

ダディーの英語は多少なまりがあったが、セブで鍛えられている僕は彼の話をほとんど理解できたし、僕の英語もきちんと通じているようで安心した。
さらにダディーは僕をホテルの屋上へと案内し、今度は360度のパノラマ風景について、その一つ一つを説明してくれた。
先ほど見えていたMt.Mayonが活火山で数年前にも噴火した話や、ベルの学校、自分たちが住んでいる家の場所、教会、遠くに見える島や半島について教えてくれた。

モナは自分の生い立ちについてまとめたものを、以前僕にくれたことがある。
その中には、ダディーが過去にどんな仕事をしていたかも書かれていた。
彼が若い頃は、島と本土の間を行き来する貨物船の食堂でコックをしていた。
しかし運搬業が駄目になり廃船になってからは、Legazpiに小さな食堂をオープンし数年がんばっていたそうである。
そしてその食堂が赤字になりだすと、今度はトライシケルのドライバーをやりながら、細々と生活費を稼いできた。
モナのそれを読む限り、ダディーは幾度と無く苦難に合いながらも、家族を養う責任を果たそうとしてきた立派な父親であった。
モナの事前情報から、ダディーは僕が知っている怠け者のフィリピーノとは少し違うという印象を持っていたが、Tabaco Cityについて説明をしてくれる実際のダディーは、その印象通りにまじめで優しい人だった。
過去に僕とモナの間にあった悲惨な事などおくびにもださず、僕に対して丁寧に接してくれていた。
おかげで僕は、Tabacoに来るまで抱いていた緊張感をようやく解くことができた。

僕がホテルに滞在している間、どこかへでかけるたびにダディーは自分のトライシケルで迎えに来てくれた。
そしてホテルの部屋に入る時とそこから出て行くときに、必ず少し不恰好なお辞儀をしてくれた。
そのぎこちない動作が何なのか最初分からなかったが、数日後、それが日本式の挨拶を勉強したダディーが僕に礼儀を尽くしてくれているということに気がついた。
僕はモナの田舎に滞在中、ダディーの優しさやまじめさ、そして懐の深さをじわじわと感じてゆくのである。

ダディーが僕に町の説明をしてくれていた間、モナは部屋の中でママと何かを話していた。
おそらくパールファームの話や、今回の僕の滞在についての話をしていたのだろう。
その時モナは、僕がホテルに滞在する間自分とベルも一緒にそこに泊まり、ベルはホテルの部屋から学校に通う話の了解をママから得たようだった。
普通であれば結婚前の娘が日本からやってきた男とホテルで同居することに大反対するはずであったが、おそらくモナが無理やりママにねじ込んだのだろう。
後日ママが、いつも一緒にいると子供ができちゃうなぁとこぼしていたので、ママはそのスタイルを快く思っていないはずだった。

僕はそのことに関して無理をしなくても良いとモナに事前に話していたのだが、その時モナは、僕を夜一人にするとどこへ行くかわからないから駄目だと言った。
そんな楽しいところはあるのと聞くと、わからないけれどホテルの従業員もみんな若い女の子だから危ないと言われた。
僕の信用が地に落ちているのか、それともモナがよほど用心深いのかは分からなかった。

モナは、大事なことについてはダディーではなくほとんどママに了解を求めるようだった。
ママがオーケーを出すと、ダディーは大体問題ないようであった。
しかしママが全ての実権を握っている女王様かというと、実はそうでもない。
それも数日の観察の中で気付いたのだが、ママはダディーをとても大事にしている。
家族のイベントについても、ダディーがそれを決めそして自ら事細かく動き回る。
そしてお金が絡む話になると、モナの発言権が突然強くなる。
モナとその両親が絶妙なバランスをとりながら、一家を切り盛りしているように思えた。

モナのすぐ下の弟ジンは、24歳になっても働かずにプータロウをしているのだが、稼ぎの無い彼の自由や発言権は見事なまでに皆無だった。
一度ジンが、昼食のテーブルをみんなで囲んでいるところへやってきて、両親へ何かを話した。
するとダディーが険しい顔でジンに答え、次の瞬間ジンは、無言で踵を返し引き返していった。
そしてママも突然黙り込んでしまった。
ビコール語のやり取りだったので、僕には何があったのかはわからなかった。
何か険悪な雰囲気を感じた僕がモナに事情を尋ねると、ジンは何か買いたいものがあるので両親にお金を無心したそうだが、ダディーは「働かない者にお金はやれない、欲しいものがあるんだったら自分で働いて稼いだ金で買え」と言ったらしい。

ジンはいつもそのことで、ダディーに怒られているとのことだった。
母親もジンに対して厳しいことを言うのだが、しかしママは最後に甘やかしてしまうそうだ。
モナはママがジンを甘やかしたから、彼がろくでもない人間になってしまったと文句を言っていた。
モナは一番下の弟はまじめで頭も良いが、ジンは昔から頭も悪かったという。
しかしジンは見た目も態度も好青年なので、女性には人気があるらしい。
実際に複雑な女性問題を抱えているらしく、ママはそのことで頭を痛めているらしかった。


モナの家にはメイドもいた。
良くフィリピーナが、自分の家にはメイドがいるという話をするが、そんな時日本人はたいてい驚くのではないだろうか。
貧乏な家庭にメイドがいるということが、日本人にはなかなかイメージできないはずだ。
僕も最初はメイドに関してあまり理解できなかったが、フィリピンの家庭に入り込んでみて、初めてその実態を理解した。

メイドはママの妹で、彼女には子供が一人いた。
旦那はどこかの国へ出稼ぎに行っているらしかったが、その収入だけでは生活が苦しいのでモナの家でメイドをしている。
賃金は一月数千円と些細なものであるが、家の中でママの家事を手伝い、食事もモナの家で共にする。
どこかに観光に行くときもすべて一緒で、ほとんど家族扱いとなる。
つまりメイドは小遣い程度の金銭を稼ぎながら、食事の心配をしなくて済み、更に自分たちだけではままならないショッピングやレジャーにもお供しながら、自分の子供を遊びに連れていけるわけである。
メイドは家事の全てを押し付けられるわけではないが、必要な時には半分命令態度で家事のお願いをされる。
しかし普段はママの妹として、そしてモナのおばさんとして話しに加わったり、一緒にテレビを見たりするのだ。
そして夕食が終わると、彼女は子供と一緒にダディーのトライシケルで自分の家に帰る。
つまりこのメイドシステムは、ファミリーの助け合いの一環だったのである。
全てのケースがそれに当てはまるわけではないと思われるが、普通の家庭におけるメイドは、大体がそれなのだろうと思われた。
何日も一緒に過ごすことで、単にメイドから連想する状況と実態が、相当異なることが分かった。
目の当たりにして見ると、双方が幸せになる合理的なシステムであると思うようになった。

僕はTabaco Cityに約2週間滞在するのだが、その中で彼女の家族やフィリピンの暮らしぶりをじっくりと見つめ、そして近い将来モナや彼女の家族と一緒にフィリピンで暮らすことを決断することになる。

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カテゴリー:国際恋愛
エントリー:リン112 モナのファミリー

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