フィリピーナと共に
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2009年05月01日

リン34 フィリピーナの憧れは日本人?

9月に入ると、リンのケアギーバーのスクールがいよいよ始まった。

1年以上も何もせずに過ごしてきたリンが、学校にきちんと通えるのだろうかと少し不安だったが、それは取り越し苦労であった。
リンはまじめに学校へ通っているようだった。

学校では何人かの友達がすぐにでき、学校帰りに一緒にお茶を飲んだり食事をしたりしていたようだった。
そんな日は必ず電話で、その日話題になったことなどを教えてくれながら、電話でその場の楽しい雰囲気を再現してくれた。

そんな話を聞いているうちに、かつてリンから、彼女が誰かと何かして楽しかったなどと言う話を一度も聞いたことがないことに気が付いた。

リンに友達がいなかったわけではなかった。
実際にバースティーパーティーで、彼女の友達に会っていたから、いることはいた。
しかしそれらの友達とは普段から一緒に遊び歩いていたわけではなく、時々ご機嫌うかがいで携帯でメールの交換をしたり、相談ごとがある時に話をするような付き合いだったようだ。

いろいろな話を聞いているうちに、なぜ急に友達と出かける機会が増えたのか、その理由がそれとなくわかってきた。
学校で知り合った友達は、それぞれ経済的に恵まれた家庭の子供であるらしいことだった。
だから学校帰りや休日に、気軽にお茶や食事や映画を一緒に楽しんだりできるのだった。

勿論学校に通っているみんなに、ゆとりがあるはずはなかった。
が、少なくともリンの話に登場する友達は、普通の人よりも恵まれているようだった。
フィリピンも中国と同様、富める者とそうでない者の格差が大きい社会であった。
それは、フィリピンの街を2〜3日歩きまわっているだけですぐに気が付くほど、明暗がはっきりしていた。

リンの友達の中には、日本で稼いだお金で学校に通っている女の子もいた。
リンはその子から日本の様々な情報を仕入れては、その都度僕に質問なり確認をした。

「日本の道路にはゴミなんかなくてとてもきれいなんだって?」
「水道水がそのまま飲めるってほんと?」
「ほんとに夜中に携帯で話をしながら道を歩いても大丈夫?」

日本経験者は、日本はきれいで安全で便利で、買い物が楽しくて、おいしいレストランがたくさんあって、親切な男性がたくさんいて、お金もいっぱい稼げるということを得意げに話すから、フィリピンの中に日本に憧れる女の子が増えてしまう。

しかしそんな話でリンや周囲の友達が驚いて盛り上がっている光景を想像すると、面白くもあり、また日本人として嬉しく感じたりもするのだった。

その反面、彼女たちは日本や日本人という看板、ブランドにあこがれているだけであって、日本人と結婚したり付き合っているフィリピーナが、どの程度相手に対して真の愛情を持っているのかわからないなという想いも僕は抱いていた。

僕は多くのフィリピーナから、私はフィリピン人とは結婚したくないという言葉を聞いている。
結婚するなら日本人がいいという人が多かった。
まずは日本人ありきなのだ。

その理由を尋ねると、フィリピンの男は怠け者だからという回答がほとんどだった。
そして日本人は、浮気者だが家族を養う責任感と能力があり、その為の環境も日本に整っているということだった。
浮気者は余計だが、結構現実的な考え方をしていると感心したものだった。

更には、フィリピーナ(女性)がフィリピーノ(男性)の恋人の子供を身ごもった際相手が逃げてしまうと、フィリピーナはその逃げた相手をしつこく追いかけようとしない。

この理由も聞いたこともあるが、恋人が妊娠して逃げる男はロクな男ではないから、追いかけて捕まえたとしても、その後に自分が苦労するのは目に見えているということだった。
相手がフィリピーノであれば、それはほぼ100%確信を持って言えるという話だった。

だからフィリピンには、シングルマザーが多い。
この話からフィリピーナの多くは、フィリピーノをあまり信用していないことがうかがえる。


フィリピーナが日本人を好む理由は他にもあった。
経済的な理由であれば、アメリカ人でもヨーロッパ人でも良いではないかと思うが、それに対しては、これまで述べた差別の問題があった。
自分たちを見下す人間と結婚はしたくないということだった。
ここは敢えて申し上げておきたいが、もちろんそれはジェネラルの話であり、アングロサクソン系の人達とフィリピーナの間で幸せな家庭を築いているケースはたくさんある。

もう1点は、アメリカやヨーロッパの人間は、conservativeではないというのだ。
フィリピン人はどちらかというとconservativeで、日本人もそうであるから相性が良いということだった。
一見フィリピーナは陽気でアングロサクソン系に近いように見えるが、僕はリンやリンの母親、仕事で付き合いのある人を通し、確かにフィリピン人は古風な考え方で日本に近いかもしれないと感じていた。
※consevative:保守的、控え目、用心深い、じみ、古風という意味。


そんな話を聞くと、リンも同様の考え方をしているかもしれないし、感情を表に出さないリンが自分をどの程度愛してくれているのか、時折自信が持てなくなるのだった。

それは経済的な援助をすればするほど、僕の中では色濃くなっていた。

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2009年04月30日

リン33 フィリピンVS中国

8月の休みは中国出張が入ったため、セブへ行けなかった。
もともと夏休みは、改築中の家を見に行きたいと思っていたので残念だった。
中国からもできるだけリンには連絡をとっていたが、日本から連絡を取るよりもはるかに高くついた。
安い料金のIP電話も試してみたが、フィリピンへの通話は音質が悪すぎて、ほとんど使い物にならなかった。

僕は中国へ行くと、暇な時にはいつもマッサージに行っていた。
1時間で500円くらいと、大変安い。
日本でいう健康ランドのような施設になっていて、ほとんどが24時間営業だった。
大きなマッサージ店も多くあり、時間をつぶすにはもってこいだった。

夜はたまに、女の子がいる店に飲みに行った。
中国には日本人向けのカラオケ店がたくさんある。
そこの女の子は全員日本語が話せるが、料金は安くなかった。
初めて行くと、ボトルが9000円とテーブルチャージが3000円で、12000円はかかる。
ボトルがある場合はテーブルチャージのみで、3000円で隣に女の子がついて時間無制限だ。
フィリピンに比べると大変高い。

店の中はカラオケ主体のせいもあるが、派手な音楽ががんがんと鳴り響いているフィリピンのバーとは大違いで、雰囲気は落ち着いている。

女の子の持ち帰りもあるのだが、フィリピンのように積極的なお誘いはなく、それとなく女の子と交渉したり、さりげないお誘いが女の子からあるようだけであった。
おそらく店で、そのようなシステムはあえて作らずに、、暗黙の了解ビジネスになっているのだろう。
中国では表向き売春行為は禁じられていて、ごくたまに公安が見せしめとして日本人や中国人を逮捕することもあるから、当然といえば当然であった。

もしそのようなことで公安に逮捕された場合、日本人はお金で釈放してもらい、パスポートに淫乱という意味の恥ずかしいスタンプが押され強制国外退去となるらしい。
中国人の場合は大変厳しく罰せられるそうで、噂では死刑もあるとのことであった。

フィリピンにいる時はいつもリンが一緒で、日本にいる時も毎日リンと電話でつながっているため、中国に行くと少し開放的な気分になってしまう。
なんのしがらみもない所で自由に遊べるというのは、気楽で楽しかった。
ただしホテルに女の子を持ち帰るということはしなかった。
日本人向けカラオケから女の子を持ち帰ると、本人へのチップが結構高いらしかった。

一度興味本位で、ローカル向けの日本語が通じない店に行ってみた。
店の入口には、一人1000円で飲み放題と書いてある。
一気に女の子が4人程僕のテーブルにきて、がんがんビールを飲み始めた。
言葉はさっぱり通じないので、ビールを飲みながらサイコロゲームやカードゲームなどが始まった。
ビールが次から次へと空いていくので、ちょっと心配になっていた。
ゲームは女の子同士が盛り上がるばかりで、僕にはその面白さも内容もさっぱりわからなかった。
結局会計を済ませると、支払はやはり1000円程度でその安さには驚いたが、フィリピンで感じたもう一度来てみたいという感覚は全くなかった。

その体験から、いかに日本人向けカラオケ店がぼったくっているかを知り、それからはローカル向けと日本人向け双方のお店にほとんど行くことはなくなった。

異国の地で夜の時間を持て余している時は、やはりフィリピンが恋しくなった。
そしてどうしようもなく淋しい時は、夜中でもタクシーを拾いマッサージへ行くのだった。


このように中国とフィリピンは、当然ながら全ての雰囲気が違っていた。
一番の違いは人だった。

仕事では中国人に密に接していたが、一見中国人はまじめという印象であった。
それに対してフィリピン人は一見怠け者という印象だった。
フィリピン人はちょっと目を離すとさぼりがちな傾向があるのだった。
中国人にはそれはなかったが、ルールを勝手に変更するなど、唯我独尊の傾向があった。
それに対してフィリピン人は決めたことやルールには従順で、決して嘘はつかなかったし、自分のミスをした時には素直に謝った。

仕事に対する能力は中国人もフィリピン人も甲乙つけがたく、リーダー的責任者はどちらもすばらしく優秀だった。
プレゼン能力は断然フィリピン人の方が高かった。
決して中国人のそれも低いわけではなく、むしろ日本人が一番劣っているように思えた。

工業技術に対するセンスは、フィリピン人はコンピュータに関する知識や順応能力が高く、ソフトやアプリケーション開発に向いているが、ものづくりに関して中国人の方が繊細な感性を持っているような気がした。
日本人の成功の要因は、その双方がずば抜けているというよりも、バランスが良かったのが功を奏したのではないかと、3つの人種を見比べてみて思った。

そのように比較してみると、フィリピン人、中国人はそれぞれ一長一短といったところだが、一緒に仕事をしやすかったのはフィリピン人だった。
多少さぼっても、全てをさらけ出すフレンドリーなフィリピンスタイルの方が、コミュニケーションが取りやすく、その分安心できた。

あくまでもこれは僕個人の見解であって誰でも同じように感じるわけではないが、結局僕の肌には、もともとフィリピン人が合っているのだという結論に達するのだった。

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カテゴリー:国際恋愛
エントリー:リン33 フィリピンVS中国

リン32 家の改築

結局僕とリンは、セブ島の田舎町に一軒家を購入することを決めた。

当初僕は、購入代金が50万に加えて家の改修や家具その他で100万くらいはかかると思っていた。
150万は痛かったが、セブシティーに新築の家を買うよりははるかに安く済むと思っていた。

家の改修・改築の話もでたが、その話は平屋に2階を追加するというものだった。
それでも予算は100万円には収まるという話であった。

確かに150平米では、多少狭さも感じたのでそれも承諾した。
こうして具体的な工事が始まったのだった。

僕はこの時、フィリピンの住宅建設の仕組みを全く理解していなかった。
それは一般的には、日本とは全く異なる方式で工事が進められるのだった。

工事を担当する大工は、建て主が彼らを雇う格好になり、週に1回もしくは2回、働いた時間分の工賃を支払う。
働く大工は日本の1人や2人の少人数とは違い、10人もしくはそれ以上が常時現場で仕事をするのだった。

家を建てるために必要な様々な資材は、必要に応じて大工が建て主に、購入のリクエストを出す。
木材や砂・コンクリートから窓枠に至るまで、建て主が日本でいうDIYショップのようなところで購入するのだ。

日本は最初に見積もり金額が決まり、工事終了後に最初に決めた金額を支払うのが基本だが、このフィリピン方式の場合は、大工の仕事の進捗が悪ければ、工賃がかさみ簡単に予算をオーバーしてしまうのである。

もし大工がお金になる仕事にしがみつきたければ、のらりくらりと仕事を進めればよく、それを建て主はしっかりと監視し、あまりにもひどい大工には毅然とした態度で注意をするか、もしくはくびにしなければならない。
建て主がのほほんとしていると、大工に無尽蔵にお金を取られるはめになる。

また驚きなのは、大工が必要となる工具は、もし大工がそれを持っていない場合建て主が購入して貸与する。
もちろん工事終了後には、その工具は建て主のものとなる。

そんな仕組みで工事が進行するなど、当時の僕は全く理解していなかった。


土地の購入代金と増築改修費、そして月々の生活費で、一回の送金金額が大きく膨らんだ。
6月の下旬には100万円を、そして7月の中旬には80万円を振り込んだ。

これで7月分の生活費20万と、土地代50万、増築費用100万プラス余裕分10万を振り込んだつもりでいた僕は、ほっとしていた。
6月のボーナスが出たばかりであったが、それでも180万の出費は小さなものではなかった。
当然送金後は、180万が預金口座から減ったのだったが、僕には1桁も金額が小さくなったような気がしていた。

しかしこの投資には、金額以上の価値があるとも思っていた。
リンのファミリーが、家賃を心配せず、治安のよいところで安心して暮らすことができる
日本でいえば、人並みの生活を手に入れることができるということだった。
それが僕には救いであった。


工事がスタートしてからは、もっぱらリンとの話題は家の工事進捗になった。
そして7月の終わり頃になると、お金が足りなくなりそうだという話が出始めた。

リンの説明では、工具に結構お金がかかったというのだ。
これも最初はさっぱり理解できなかった。
日本では工具は大工が持ってくるもので、建て主が買ってあげるものではない。

そしてマテリアル(材料)が高いという話が頻繁にでた。
日本の見積もり方式しか頭にない僕には、材料費が高いという話も理解できなかった。
そして、フィリピンで材料費がそんなに高いわけがないと思い込んでいた。

最初から日本の常識を持って話に望んでいる僕とリンの会話は、全くかみ合わなかった。

リンの英語を僕が理解していないのかもと思い、何度も説明を求めた。
言葉の理解が正しいとわかると、僕はいつの間にか「Why?」(なんで?)という言葉を何度も繰り返し、その声が次第に大きくなっていることが多くなった。
そしていつの間にか話は、タイル1枚の価格にまで及ぶようになっていた。


もともとそれがリンにとってはあたりまえの仕組みなのだから、僕になぜだと問いただされてもリンはきっと困っていただろうと思う。
当時はそのような事情を何も知らず、しかも出費をできるだけ押さえたい僕としては、何が起こっているのかをしっかりと把握し、改善できるころがないかと躍起になっていた。

しかも、本当に工事代金が予算オーバーしたのかを疑っている自分がどこかにいた。
当初作った見積もりが、そんなに簡単にオーバーするわけがないと思い込んでいた。

しかし現場も伝票も見えない僕は、最後には納得するしかなかった。
そして電話を切った後は、いつもフラストレーションが残るようになっていた。


今思うと、当時のリンは忍耐強く僕に説明をしていた。
時にはお互いに憤慨するシーンもあったが、それは僕の傲慢な言葉が引き起こしたものだった。
当時のリンの説明が正しかったことは、不幸なことに何年も経過してから気が付いた。

僕は今、フィリピンに家を建築している。(以前の記事に家を建設中の周囲だけ写真をのせました)
今回はその家の建築に際し細部にわたって関わっているので、そこで初めて、フィリピンで家を建てる際の仕組みを理解した次第だった。
それは驚きの連続だった。
そして過去にリンが必至で説明してくれた言葉が蘇っていた。
あの時のリンの説明を、年々も経ってからようやく理解できた自分は、本当に大バカ者だと思った。

とにかく当時は、僕の執拗な追及でリンを困らせたし、時にはリンを傷づけた。
結局はリンが言うように送金をしたのだったが、なんとも言えない不満が蓄積していったのだった。

この時期から、僕はリンの金銭感覚に完全に疑いを持つようになっていた。
お金に余裕がある時はなんでも気前よくしていたのだから、これも自分の身勝手だったかもしれないが、リンにかかる費用は、当初の自分の予想をはるかに超えるものだった。

それでもリンとの結婚を意識し始めていた僕は、そのことがリンと別れようと思う引き金にはならなかった。
ただ単に、何とかしないとお金が続かないという危機感が、僕の全ての言動を煽っていただけであった。

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