フィリピーナと共に
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2009年04月28日

リン28 実家にて

いつの間にか緑の葉が木々を覆い始め、温かい風が吹くようになっていた。

その年のゴールデンウィークは、フィリピンには行かないことにした。
5月は私たちのアニバーサリーだから来てほしいとせがまれたが、6月に出張でセブに行くことになっていたので、無理していくことをやめたのだった。

それは節約をする意味もあったが、ゴールデンウィークは、正月に田舎へ帰るのをドタキャンした罪滅ぼしも兼ねて、自分の田舎へ帰省しなければならなかった。

田舎に帰ると上げ膳据え膳で楽ではあったが、時間を持て余すことも多く、かえってリンが恋しくなった。
リンと知り合って、こんなに長い間顔を合せなかったのは初めてだった。


実家にいる時は、みんなが寝静まってからリンに電話をした。
僕は以前弟が使っていた2階の洋間を占拠していた。

田舎の家族にはフィリピーナの恋人がいることをまだ内緒にしていた。
なぜかすぐには切り出せなかった。
もしリンのことを話したら、両親、特に母親はきっと驚くだろうと思った。
そして母親には、何を言われるかわからないと思った。

僕の田舎の家は県庁所在地の住宅街にあり、野畑が目の前に広がっているような田舎町ではなかった。
それでも外人の嫁がどこかの家に来たものなら、みんな驚いてすぐ噂になるようなところだった。

そしてもしリンの話をした時に、両親がフィリピン人に変な偏見を持っているような発言をしたら、きっと喧嘩になると思った。
喧嘩になったら、自分は家を飛び出し、自分のアパートに帰ってしまうことがわかっていた。
だから言い出せなかった。

だからリンに電話をする時は、みんなが寝静まってからにしていたのだった。
声もできるだけ聞こえないように、小さく絞っていたつもりだったが、田舎の家は夜になると周囲が静かで、外からの騒音は皆無になる。
だからいくら小さな声で話をしていても、部屋の中に反響する自分の声が恐ろしいほど大きな音に聞こえた。


リンと話をしている時に、ふと僕を呼ぶ母親の声と同時に、部屋の木製のドアがするすると突然あいた。
その部屋は洋間であったが、扉はふすまのように横へスライドさせるタイプだった。
母親が突然来たことで、僕はリンに電話をかけ直すといい慌てて電話を切った。
普通に話していた方が、よほど自然でしかも誤魔化しやすかったが、後の祭りだった。

「あんた英語で話できるんだ。すごいなぁ。昨日の夜も英語で電話してたやろ。」
「英語くらい話せるよ。僕だっていっぱしのサラリーマンだからさ。英語できないと仕事にならないよ。」
「そっか。相手は仕事の関係の人なの?」

僕は返答に迷った。
「そう」だと肯定するのは簡単だったが、不思議とその短い言葉がすぐに出てこなかった。

一呼吸おいてから、僕は母親に話をした。
「実はね、今話をしていたのはフィリピンで知り合った女性なんだ。もう付き合って1年ほど経つよ。」

さすがにバーで知り合ったなどとは言えなかったし、それは最後まで正直に話すつもりはなかった。

「そうなの?若い人?あんたその子と結婚でも考えてるの?」

静かにゆっくりと出てくるその言葉に、母親が動揺しているようには見受けられなかった。

「若いよ。もうすぐ25歳になる子だよ。結婚なんてまだ考えてないよ。」

それは嘘だった。
すぐに結婚をしたいとは思っていなかったが、それを全く意識していなかったわけではなかった。
僕の頭の中では、リンと結婚をした場合のいろいろなシミュレーションがそれまで何度もなされていた。
そのシミュレーションの中には、会社の周囲の人間や、田舎の家族の反応なども含まれていた。

「そっか。フィリピンの人か。フィリピンの人はいい子が多いかもな。」

僕は母親のその意外な言葉に耳を疑った。

「え?母さんフィリピン人知ってるの?」

「知っとるよ。私がよく行くスーパーの隣にな、フィリピン人の奥さんが来とるよ。夜はどこかで働いてるって話してたなぁ。明るいし、いつも挨拶してくれるし、一生懸命仕事して旦那さん助けてるみたいよ。今時あんな子はあんまりいないねぇ。」

「そっか・・・」

「わたしなぁ、あの若い奥さん見るまで、フィリピンの人誤解してたわよ。なんかフィリピンの女の人って、いかがわしい感じしてたけどなぁ、あの人見てたら、ほんとにかわいい子だなぁって思って。そんでな、たまに話するようになったんよ。かわいらしいなぁ、フィリピンの子は。あんたの恋人って人も、そんな人?」

「う、うん、そうかもね。」

「こんど機会があったら、ちゃんと紹介しなさいよ。」

母親はそれだけ言って、下へ降りて行った。
意外な展開に驚き、僕はほとんど話はできなかった。
しかし嬉しい展開だった。
ちゃんとわかってくれてるじゃないかと思った。

リンに電話をかけ直し、母親の話をリンにすぐ伝えた。
するとリンは、ほんと?と言って、それはグッドだと喜んでいた。

リンは、僕の家族が自分と付き合っていることに難色を示すかもしれないことを自覚していたようだった。
日本人が思っている以上に、フィリピン人のステータスが低いということを、彼女ら自身が感じているのだった。

「ハニー、日本は世界中で一番人種差別のない国だよ。だから変な心配はいらないよ。」
最初は僕が母親のそんな対応を心配していたくせに、その時はリンに、全く違うことを話していた。

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2009年04月27日

リン27 バレンタイン

日本が仕事始めの日に僕は帰国した。
翌日出社し、事務の女の子に前日の話を聞くと、大丈夫、うまくいったとOKサインを出しながら教えてくれた。

ホッとしたのもつかの間、すぐに上司に呼び出され、年始初日から休んだことに対してチクチクと嫌味を言われたが、フィリピンへ行ったことなどおくびにも出さずに、おとなしく上司の話を聞いていた。


僕の帰国後に、リンは早速ケアギーバーの学校を決めて入学手続きをとりに行った。
しかし授業がスタートするのは9月からということで、下調べだけして帰ってきた。
月々の月謝は8000ペソ(16000円)とのことであった。(当時)

フィリピンでは、看護師やケアギーバーの学校の学費が高い。
看護師の月謝はもっと高く、日本円で2万円を超えるはずであった。

その手の学校は仕事へ直接結びつくためにフィリピンでは人気があったが、それだけの月謝を毎月支払えないために泣く泣くあきらめる人が多くいた。

ケアギーバーはフィリピーナの天職であった。
もともと優しいフィリピーナは、老人をまるで自分の家族のように心からいたわるため、その評判は良かった。

またフィリピンでは看護師がドクターの仕事を代行する部分が結構あるため、フィリピン看護師のレベルの高さは知れ渡っており、アメリカを始めとした先進諸国でフィリピーナ看護師の高いニーズがあった。

海外で看護師やケアギーバーをし、地元フィリピンに大きな家を建てて家族を住まわせる人がちらほらといるので、そんな生活を見ている若い女性もこれらの仕事を希望する人が多かった。



僕はまた、毎日の仕事に追われていた。
仕事が終わるのは早くても9時ころで、11時や12時になることはよくあった。
帰りが遅くなっても、僕は毎日リンに電話をした。
リンは僕の仕事が遅くなっても、毎日起きて電話を待っていてくれた。

そのころには、僕にフィリピーナの恋人がいることが、職場ではかなり知れ渡っていた。

僕の勤めていた会社は、欧米の他に、中国やフィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシアと、アジア地区の長期出張や出向が多かったため、現地で見つけた奥さんを日本に連れ帰るケースが多かった。
そんな背景もあって、現地に恋人がいることなどはそれほど珍しくはなかった。

それが知れ渡ると、多少は便利なことがあった。
セブで仕事がある場合は、率先して自分が行くと名乗りを上げられるし、だれでもいいような内容の仕事は、周囲が気を使って僕に行ってこいという話になる場合もあった。
だから当時は、社用でセブへ出向くのチャンスは多くあった。

しかしネックになったのは、管理職になった分海外へ出にくくなったことだった。
たまに責任者でなければ務まらない出張もあったが、以前のように長期間現地にいられるわけではなく、長くても2週間、ほとんどは1週間の出張であった。

また、フィリピン以外の海外出張が増え、その年は欧米、アジアと、あちこち飛び回っていた。
年間で半分以上は海外にいるような生活だった。



2月に入ってまもなく、僕は2月14日のバレンタインディープレゼントを、某百貨店の中にあるジュエリー店に買いに行った。


フィリピンのバレンタインディーは、日本のように女性から男性へチョコレートやプレゼントを贈る日ではなく、男性から女性へ愛をこめてプレゼントをする日なのである。
それはアメリカでも同じだった。
ヨーロッパは良く知らないが、どうもそちらの方が世界の中ではスタンダードのようだった。


そう言えば前年のその頃、僕はフィリピンにいた。
その頃はリンと知り合って間もなかったが、たまたまバレンタインディーに彼女と一緒にいた。

日本としきたりが違うことを知らない僕は、最初リンにプレゼントなど何も考えていなかったが、リンが冗談めかしてその話を教えてくれたので、一緒にモールへ行ってリンの腕時計を買い、その後一緒に映画を観に行った。

リンは、バレンタインでこんな素敵なプレゼントをもらったのは初めてだと言った。
そして、素敵なプレゼントをもらい映画を観て食事をするデートなんて、ほんとに理想的なバレンタインディーだわといい、ありがとうと言ってくれたのだった。

その時はまだ、恋人として付き合う前の事だった。
リンに対しても、異性としての特別な感情はなかったように思う。
だから僕はその時、あまり特別なことをしたつもりはなかった。

最初からお膳立てをしたわけではなく、急きょ現地でのバレンタインのしきたりを聞いたので、それならとモールに行って時計を選び、しかもその時計もブランドものの高いものではなく、1万を少し超えるくらいのほどのどの物だった。

後は予定通り映画を観て食事をしただけの、成り行き的デートだった。

それでもそんなに喜んでくれたことが、意外で嬉しかった。
そして、その時フィリピーナと日本人女性の違いをかすかに感じ取ったことを、今でも覚えている。

日本のバレンタインディーは女性が愛を込めて女性が男性にチョコレートを贈るんだと教えたら、リンは驚いていた。

「あなたは日本人だから、わたしが何かプレゼントしなければダメ?何がいい?お金ないからわたしでいいですか?」

などと冗談をいって、二人で笑ったりしたことを思い出していた。

「日本は女性が男性へプレゼントするだけなの?それだったらわたしはフィリピンがいいな。」
と言うから、日本にはホワイトディーというのがあって、その日に男性から女性へお返しをするんだということを教えた。


特殊ライトに照らされた貴金属がきらめくショーケースを眺めながら、昨年リンと一緒に腕時計を選んだ時のことを思い出していた。
あれからもう1年もたったのかと思い出にふけりながら、ショーケースからショーケースへと渡り歩いていた。

一人でジュエリー店に行き女性のアクセサリーを買うのは結構気恥ずかしかったが、女性店員が相談にのってくれた。

指輪をプレゼントしたい気持ちはあったが、サイズがわからなかった。
フィリピンと日本では、同じサイズナンバーでも実際のリングのサイズが全然違うので、電話で聞いたとしてもやはりわからない。

結局小さなダイヤがハートの中でぶらぶらと揺れる18Kネックレスに決めた。
プレゼント用にラッピングされたネックレスを持って、リンが喜ぶ顔を想像しながら家に持ち帰った。

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2009年04月26日

リン26 ケアギーバー

正月休みも最後になり明日は帰国という日に、リンが突然話を始めた。

「私が仕事をした方がいいという話だけれどね、少し考えていることがあるの。」
「何を考えてるの?」

「わたしケアギーバー(介護士)になろうって思うの。ケアギーバーの学校へ行ったら、その資格を取れるのよ。そしたら日本で働くこともできるわ。」

ケアギーバーの話をリンから聞いたのは初めてだった。
僕はその話を聞いて、資格にチャレンジしたいというリンの気持ちが嬉しかったし、資格を元に世界各国で働ける可能性がでてくるということに、心から賛成した。

フィリピーナがケアギーバーとして世界中で活躍している話は以前からも聞いていた。
残念ながら日本は給料が安いため実績はあまりなかったが、カナダやイギリスでは、彼女たちはケアギーバーとして月に30万〜40万を稼ぐことができた。

日本の場合には、介護士は重労働の割に日本人でも安月給であることが知られており、介護士のなり手が少なく、これからの高齢化社会に対応できるのかということが社会的に問題視されていた。
日本の介護士給料が安いのは、介護福祉業界が特殊でいろいろなところに搾取されるからという噂も耳にしていた。

後に日本政府は、フィリピーナを夜の街から締め出すかわりに、介護士として大量に受け入れる旨を発表したが、現状ではそのプログラムもそれほど進行していない。

それは給料が安いという理由の他に、日本で介護士として2年働いた後、日本語の介護士資格試験を合格しなければ、彼女たちはフィリピンへ帰らねばならなくなるからだった。

フィリピン人が日本語を話せるようになる期間は3か月もあれば十分だったが、漢字が含まれる日本語の試験の合格率は、かなり低いらしい。
雇用する側も、2年後の試験をパスしなければ辞めるしかないフィリピーナの採用に、二の足を踏むのはある意味当然だった。
フィリピーナは明るく優しいし、かつ人が嫌がるような下の世話などの仕事もいやな顔一つせずやってくれるので、現場での評判は上々だった。
問題は2年後のその試験だけだった。

「それはいい考えだよ。でも日本は給料が安いから、ケアギーバーだったらカナダやイギリスのような高給の国に行った方がいいんじゃない?」

「イギリスはいや。あそこは人種差別がすごいから。カナダはいいけど、私は日本で働きたいわ。だってあなたがいるでしょ。あなたがいろいろサポートしてくれるでしょ。カナダで一人で暮らすのはいや。」
リンは僕の住む街の名前をいい、そこで雇ってもらうと言った。

確かにイギリスの人種差別は僕もひどいと思っていた。
ビジネスの世界は必ずしもそうではないが、学者などはどんなに優秀な日本人でも絶対に出世しない。
それは根強い人種差別のせいだと言われている。
フィリピン人であれば尚更だろいうということは想像できた。
実際に仕事でイギリス人がフィリピンを訪れた時に何度か立ち会ったが、彼らは一見親切そうでいながら、フィリピン人を奴隷のように思っているような態度が見受けられた。
リンはイギリスでケアギーバーをしている友達から、そんな話を聞いたようだった。

「とにかくその話を進めよう。賛成するよ。学校を決めて、できるだけ早く入学手続きをしようよ。」

リンはありがとうと言って、すぐ学校を決めると言った。


僕はリンの大家族を一人で支え続ける自信を失くしていた。
だから、みんなに頼り切られることがプレッシャーとなっていた。

リンのお兄さんについては、子供のことを考えずに済むことから、全く働く気を起こさないのが気に入らなかった。
ましてリンに買ってあげたものを質屋に入れて金に換えるなど、言語道断であった。
なぜ僕が一生懸命働いて、そのおかげでリンのお兄さんが遊んで暮らせるのか、どうにも割り切れなかった。

だからリンの変化の兆しが嬉しかったし、後はリンのお兄さんの問題だけと思っていた。

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エントリー:リン26 ケアギーバー

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