フィリピーナと共に
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2009年07月21日

リン111 モナの田舎へ

楽園から一旦マニラに戻った。
初めてマカティーエリアのホテルを予約してみたら、空港からホテルまでの道のりが、まるで長期連休中の日本の高速道路のような渋滞だらけでまったく進まない。
ホテルはいつも利用するマラテ近辺(海岸近く)が良かったとタクシーの中で後悔するも、時既に遅しである。
しかも翌日買い物のためタクシーで海岸方面に移動した際、帰りのタクシーが中々つかまらない。
渋滞の激しいマカティ地区へ行きたがらないタクシーもいるようだったが、それ以前に交通規制でマカティ地区へ入れない車が多く、ドア越しの確認で乗車を断られるケースが多いのである。
勿論ようやくつかまえたタクシーも、予定通り大渋滞の中を進んでいくためにストレスが溜まり、二度とマカティのホテルは利用すまいと思った。

ただし夜になるとホテルの周辺は、遊びのスポットがいっぱいである。
モナと二人でホテルから夜の散歩に出て見たら、通りでフィリピーナと欧米人のカップルを数多く見かけた。
店から連れ出したことは、一目瞭然である。
その地区では日本人が女性を連れて歩いているのは一度も見かけなかったので、エリアの特徴なのだろうか。
あちらこちらにそれらしい看板があるが、モナが一緒なので試しに見学することさえかなわない。
結局「新宿ラーメン」という店に入って、ラーメンを食べただけでホテルへ戻った。
この「新宿ラーメン」、店員が「イラッシャマセ〜」「ドモ アリガトゴザイマス」と片言の日本語を使うし、メニューも日本語だった。
雰囲気だけではなく味も随分日本ナイズされており美味しい。
しかしたまたまだったと思うが、客はほとんどがフィリピン人で、日本人は自分一人だった。

このマカティに2泊した後、いよいよモナの両親へ挨拶をしにいかなければならない。
正直気が重かった。
かつて僕のせいで、モナは何度も病院に運ばれるような目に合い、それを彼女の両親は全て知っている。
しかも僕にはリンという恋人がいながらモナと付き合っていたことも知っている。
普通であれば、そんな男は絶対許さんという話になるところだ。
結婚の話どころか、何をしに来たという話にも成りかねない。
モナは大丈夫だと言うが、僕にはそれまでのリゾートお気楽モードから一転、被告として裁判を受けに行くような気分だった。

モナは両親に特別な話をしているわけではなく、一度会いにくるという程度しか伝えていないし、両親もそれに対して大騒ぎをしていることはないとのことだった。
「でもあなたのママは、僕のことを怒ってるでしょう?」
「そんなことないよ。たぶんだいじょうぶ。」

僕はそのたぶんに引っかかっていた。
彼女がふと漏らす「たぶん」という言葉に、モナは僕がしり込みしたり考え直すような材料を一切漏らさないようにしていることを感じていた。
しかし両親が何と言おうと、最後にモナは僕を選ぶだろうという安心感もあった。
それはモナが以前から公言していたことだった。
モナが話す「大丈夫」は、彼女の両親はだいじょうぶではなく、しれは両親がなんと言っても自分が親を説得するか無視をするという意味にしか僕には聞こえなかった。

それ以外にも自分を複雑な心境にしている理由がもう一点あった。
それは、彼女の両親に思い切り不快感を示されるのもいやであったが、しかし一方では威厳を持って自分に接して欲しいという気持ちもあることだった。
彼女の両親は自分が尊敬できる人物であって欲しいし、今後家族になるのであれば、きちんと話が通じる相手であって欲しい。
自分が日本人だという理由だけでへりくだったり、今後の生活において明らかに僕に依存しようなどといった態度を見るのは嫌だった。
彼女の両親には、きちんと自分たちの考えや気持ち、希望を正直に伝えて欲しかったし、それに対して議論できる相手であって欲しいという想いである。
フィリピーナとの結婚を決意する場合、それは極めて重要なポイントだと考えていた。

僕の周囲でフィリピーナと結婚した人が破局したケースは、大半がフィリピン本土に対する送金問題だった。
金銭的な問題を解決するために妻が働き出すと、またそれが夫婦間のトラブルの原因になったりするのをいくつも見てきた。
理想と現実が顕著に乖離するは、結局お金の問題なのである。
いやらしい話題なので問題が顕在化するまで話し合いを避けていると、それが災いし最後は険悪な事態を生む。
だから将来の生活設計について積極的に彼女の両親と話をしたかったし、それに対する彼らの考え方について感触を得たかった。

モナの田舎はビコール地方で、マニラから飛行機で1時間ほど南下した場所になる。
再びローカル線での移動となった。
飛行機に搭乗したとたん、ビコールは雨が激しく降っているために着陸できなければマニラ引き返す可能性があるとのアナウンスが流れた。
不安を抱えながらの離陸となる。

ビーコル上空にさしかかると飛行機は高度を下げ始め、雲の切れ目から山が見え始めた。
その辺りの山は、まるでボホールのチョコレートヒルズのように、きれいな円錐形をした小さな山々が密集している。
あれはボホールの専売特許ではなかった。
そして富士山のような形をした活火山、Mt.Mayonが見えてきた。
いよいよモナの家族とのご対面が近づいてきて、僕の胸が高鳴った。

「ねえ、最初はなんて挨拶したらいい?」
「ふつうでいいでしょ!」
「結婚の話は今日すぐじゃなくていいよね。どう話したらいいかわからないから、あとで相談させてよ。僕が日本語で言うから、通訳してもらっていい?」
「両親は英語大丈夫だから、直接英語で話しすればいいでしょ」
「いや、でもさ、細かい話になると、日本語の方が話しやすいしさ、いろいろとニュアンスみたいなものがあるでしょう。それを英語で伝えるのは自信もないし・・・」
「だいじょうぶよ。ダイレクトに話をするがいい。あなたの気持ちや考えをそのまま話せばいいでしょ。」

モナは自分の家だから、僕の気など気付かずに随分と落ち着いている。
これが逆だったら、彼女のことだからモナは大騒ぎするに違いない。

「でもさ、フィリピンスタイルみたいなのもあるでしょ。ジャパニーズスタイルははあなたの娘を下さいなんていうんだけどさ、それを英語でプリーズギブミーユアドウターじゃ、やっぱりおかしいでしょ?」
「ははは、なにそれ。それへんだな。」
「でしょ?だから相談してるんだよ。後で教えてよ。フィリピンスタイルがあるんだったら、それもね。」
「オッオー、わかった。後でね。」

雨天で引き返す心配はあったが、飛行機は無事にLegazpi空港へ着陸した。
モナは良かったと安心していたが、僕は着陸してしまった・・・と思っていた。

荷物の受け取りを待つ間、モナがあそこに迎えにきてるといい、彼女の指がさしている先に彼女の両親とベルが一緒に待っていた。
ベルはスカイプで何度も話をしているが、直接会うのは初めてだった。
彼女に嫌われることも、結婚には大きな支障となる。
むしろモナの両親よりも、より深い家族関係になる娘のベルの意見の方が重要かもしれなかった。
僕はモナと一緒に、戻ってきた預かり荷物を引きずりながら彼女の家族が待つ空港の外へと出た。

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カテゴリー:国際恋愛
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2009年07月20日

リン110 パールファームビーチ〜楽園〜

パールファーム到着の翌朝、朝早く目覚めた僕は一人ベランダでタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいた。
まだ夜明けが始まったばかりであったが、昨夜は暗くて見えなかった周囲が見え出している。
700〜800m先には幅1kmほどの離れ小島があり、もっと遠くには人が10人もいたら一杯になりそうなほど小さな小島が点在している。
昨夜ボートで通った近くにも、そんな小さな島があることがわかった。
リゾートの全体像は、おそらく長さが1km程度であると思われたが、奥行きはまだ足を踏み入れていないので、想像できなかった。
次第に明るくなってくると、ベランダのすぐ下の海の中に、小魚がたくさん泳いでいるのが見えた。
1cmも無いような小魚の集団が二つあり、20〜30cm程の縞模様の魚が小魚の群れとは一線を画してゆったりと泳いでいる姿が見える。
水の底まで見えるほど澄んだきれいな海だった。

ベランダの手すりにもたれかかりちょうどそれを見ているときに、部屋の中から「マハール!どこ?」と声が聞こえてきた。
彼女のお目覚めのようだった。
部屋に入ると、僕が突然いなくなった夢を見て、起きたら隣に僕がいなかったからびっくりしたと彼女が話をした。
「そんなわけないよ!どこにも行かないよ」
と言いながら、彼女の深層心理の中にまた裏切られる恐怖が潜んでいるのかもしれないと思った。

僕はかつて、彼女があまりにも僕を追いかけようとすると、嫌気がさすことがあった。
例えばしつこい電話やメール、そしてマハールと言いながら必要以上に彼女が甘えてくる時などである。
そんな時に、鬱陶(うっとう)しいと感じることがあった。
しかし自分が寂しくなると、彼女を追い求める自分がいることに気付いてもいた。
次第に彼女を鬱陶しいと思うのは、自分の我侭であることにも気付き始めた。

僕はこの旅で、モナと20日間以上も密着して過ごすことになる。
ずっと一緒にいれば彼女は少し様子が変わるだろうし、それに対して自分の心がどのような反応を示すかも確かめることができると思っていた。
言わばその時のフィリピン滞在には、そのような一つの実験的要素があったのである。
何か問題があるようであれば、気持ちや考えを切り替えて問題点を修正したり、彼女と建設的な話し合いを積極的にしようと思っていた。
何か気付いたこと、思い出したことがあれば、お互いに遠慮なくそれを言い合おうと事前に決めていた。
二人が末永く双方幸せに付き合っていくためには、その話し合いは重要である。

旅行中二人の間には何も問題はなかったが、彼女が僕にお願いをしてきたのは、僕が怒ったときに彼女を無視をしないこと、そして怒鳴らないことであった。
僕が彼女にお願いしたのは、二人が喧嘩をしたときにできるだけ折れて欲しいことであった。
折れてくれさえすれば、僕は自分が悪いときに謝ることができるが、それがないと僕は意地になってしまい謝りもしなければ、彼女のことを責め続けることもある。
それは僕の性格の問題なので、そのことをよく覚えておいてくれるようお願いした。
モナは「アコはいつもそのスタイルでしょ」と言ったし、確かにその通りであったが、彼女がメール配信事件を起こしたときの二人の言い争いだけは違った。
その時のことを例に出し、とにかく僕の性格をいつも念頭に置いて付き合って欲しいことをお願いした。
逆にモナは、もし自分が何か怒っている場合、少し甘い態度で接してくれたら簡単に機嫌が直るから、それがコツよと教えてくれた。

モナはその旅行中、ずっと一緒にいると安心するのか僕に対して普通に接してきた。
それまで二人は遠く離れていてばかりだったから、その間彼女は常に不安を抱えて生きていたのかもしれない。
それが執拗な電話やメール、必要以上の甘えに繋がっていたのかもしれなかった。

その時の彼女は少し時間を経過した恋人か夫婦のような落ち着きと、適度な甘えを持って僕に接してきた。
適度というのは、僕が鬱陶しくもなく、かつ不安になるでもない程度という意味である。
そしてずっと一緒にいられることに対する幸せ感も、彼女は言葉や態度で素直に表現してきた。
それがその時一緒にフィリピンにいた間の、彼女の一貫した態度だった。

そんな彼女に対して僕も、衝動的に愛しいという気持ちが湧き上がるわけではなく、そしてそれが突然冷めるわけでもない、平坦で安定した愛(いつく)しみの気持ちを持って彼女に接していた。
僕が一番安らぎを覚える良好な関係とでも言うのであろうか・・。

とにかく僕はそれまでの経験から、突然衝動的に深く死ぬほど愛する気持ちがわきあがったり、突然突き放したい感情が発生するような起伏のある関わり方を相手に望んでいなかった。
そんな関係が自分の心を疲労させ、愛が萎えてしまう自分自身の性格を知っていた。
だからかつての僕は、モナのあまりにも積極的な態度に嫌気がさす自分の心を怖く感じ、彼女から少し距離をおきたいと思っていたこともあった。
しかし僕はこの旅行で、今後彼女とずっと一緒にやっていける自信を深めていった。
あの横浜で数日間一緒に過ごした時も同様だった。
横浜で感じた安らぎ感が本物であったことを確認した旅行になったのである。


モナはパールファームの婚前旅行を心から楽しんでいた。
朝食やコーヒータイム、昼寝や散歩の小さな一つ一つのことを、それまで憧れていた夢の世界が実現したかのように喜び、時にははしゃぎながら満喫していた。
彼女にとっては、リゾート地でのんびりする贅沢自体も初めてであった。

朝起きると、僕が二人分のコーヒーを入れる。
コーヒー豆は日本から持参したもので、ドリップ用のペーパーを忘れた僕はパールファームのスタッフにお願いして、レストランのそれを少し分けてもらった。

朝の涼しい空気の中で、ベランダでコーヒーを飲みながら、ベランダの下で泳ぐ魚に餌付けをすることが日課になった。
売店で買ったクラッカーを細かく砕き、ベランダから海にぱらぱらと撒いてやると、信じられないほどたくさんの魚が集まってくる。
大きなかけらを落としてやると、小魚につつかれながらゆらゆらと下に沈んでいき、大きめの魚がさっとやってきてそれをぱくりと飲み込んでしまう。
要領の悪い魚がいると、いつの間にかそいつにクラッカーを食べさせてやろうと二人でやっきになっていた。
それだけでも楽しい立派なイベントになっていた。

朝食は気分でレストランに行ったりルームサービスにしたりとまちまちだったが、いずれにしてもまだ暑くなりきっていない澄んだ空気を感じながら食べる朝食は、贅沢な気分を味わせてもらえた。

部屋から前方に見える小島には、1時間置きに出ている無料ボートで渡ることができる。
それは毎日部屋の掃除をしてくれる若い男が教えてくれた。
僕が必ず200ペソのチップを渡すので、彼は自分たちに積極的に様々な便宜を図ってくれた。
おそらくチップを渡さなくても、フレンドリーな彼らはそれなりに接してくれたとは思うのだが、彼とは短い滞在期間中に、ちょっとした友人関係のようになった。
以前にも書いたことがあるが、僕はホテルの快適さを従業員のレベルや教育具合で計っている。
だから初めて泊まるホテルの場合、チェックインから従業員の接客態度を観察するが、日本の一流と言われるホテルでもまるでサラリーマンでマニュアル通りにしか対応できないスタッフばかりのホテルもあるが、パールファームは全体的に心のこもったサービスを感じることができた。
すばらしい施設と環境もさることながら、このホテルの快適さはそんな従業員に支えられているところが大きい。
ホテルの敷地内を散歩していると、散歩道やガーデン、プールなどを常に掃除をしている誰かと出会う。
そのおかげでいたるところが清潔に保たれていた。

それは無料ボートで渡った離れ小島も同様だった。
ヤシの木が群生している近くの広場は、よく手入れの行き届いたゴルフ場のような綺麗な芝生が広がっていて、その鮮やかな緑色が印象的だった。
その島にも大きなプールがあり、そのプールサイドや浜辺には昼寝ができるようにサマーベッドがパラソルと共に並んでいる。
その島は人影が少なく、そこで泳いだり読書をしたり昼寝をするなど気ままに過ごしていると、まるで南国の島を一つ借り切ったような贅沢感を味わうことができた。
そのような新しい発見があるたびに、よくできたリゾートだと関心させられた。

雨も良く降った。
2月から3月にかけて、フィリピンの季節はもうじき夏が始まる季節となる。
雨季ではないが、突然大きな雲が天を覆い出したかと思うと雨が降り出す。
しかしそれも長くは続かず、1時間もするとやんでいつの間にか強い日差しが差し込んできたりする。
フィリピンの天気は本当に気まぐれだった。
しかし太陽の昇降に合わせ、気まぐれな天気に合わせる生活は決して不快ではなかった。
雨が降ったら部屋のドアを全開にして、ベランダ越しに海の水をたたきつけるような雨を眺めながらベッドの上で読書を始め、雨がやんだら散歩に出たりプールで泳いだりすればよいだけの話である。
僕が読書を始めると、モナも持参した本を読み出したり日記を書き始める。
そんな生活のリズムが、常に何かに追いまくられる日本の生活とまるで逆で、心にゆったり感をもたらすのである。
それこそがリゾートの醍醐味であり、命の洗濯と呼べる生活だった。

さっと雨が上がった隙を見て、二人でジェットスキーを体験してみることにした。
部屋から2〜3分歩いた場所に、マリンスポーツの受付小屋がある。
値段を尋ねてみたら、30分で5000円程度だったと記憶している。
15分刻みで借りることができたと思うが、とりあえず30分にして時間が足りなかったら延長することにした。
そこには様々なマリンスポーツが用意されていた。
アクアダイビングのセミナーもあるし、道具も貸してくれる。
バナナボートにまたがり、それをボートで引っ張ってもらうレジャーもある。
カヌーや大きめの手漕ぎボートもあった。

ジェットスキーは簡単な操作を教えてもらい、ライセンスなしで楽しむことができる。
二人でライフジャケットを着込み、二人乗りで部屋と離れ小島の間にある海に出て見た。
最初は僕がドライバーをしたが、簡単そうに見えるジェットスキーの運転は見た目のそれよりも難しく、特に曲がるのが大変だった。
そして少しアクセルを多めに開くと、あっという間に加速しながら波の上をジャンプし始める。
運転している自分も恐怖を感じているのだから、後ろに乗っているモナはスピードを落としなさいとわめいている。
僕が記憶していたジャッキーチェンの映画でジェットスキーでチェイスするシーンがあるが、それがどれだけ出演者に恐怖心を与えていたのかを初めて理解したほど、見た目と実際の感覚にギャップがあった。
運転を変わったモナは僕よりも運転が上手で、曲がるときでさえ安定感が抜群だった。
思わず運転経験があるのかと聞いてしまったが、初めてだという言葉に僕は首をかしげるばかりで、そこで男の面子を保つためには、僕は恐怖に引きつりながらもストレート走行でますます速度を上げるしかなかった。
エンジンつきの乗り物を運転するだけの割には、体がこわばっているせいか意外と疲れる。
潮風を切りながら海の上を走り回る爽快感を満喫するのは、30分で十分すぎるほどだった。

疲れたらまた何かをしたくなるまで、しばし休憩を取る。
部屋の冷蔵庫から350mlの缶ビールを取り出し、二人でそれを半分ずつ飲むと丁度良い具合にほろ酔い気分でリラックスできる。
部屋のドアを開けっ放しにしエアコンをつけると、部屋が冷えすぎることもなくほどよい冷気が体にあたり気持ちがいい。
二人ともベッドの上で仰向けに寝転がり、天井を見る格好になっていた。
モナが思い出したように話し始めた。

「ねえ、アコ30歳までに子供もう一人欲しいなぁ。ベルも兄弟が欲しいみたいよ。」
「なんで30歳までなの?何か意味があるの?」
「子供は早いほうがいいって。ベルも一人だったら可愛そうでしょ。だから30歳前。」
「そう?それじゃこの旅行で作ればいいんじゃないの?」
「でも、まだ結婚ないでしょ」
「そうだね。それじゃ子供は結婚してからにする?」
「う〜ん、今でもいいけど。早いがいいかな。」
「どっちがいいの?もしかしてこの旅行で子供ができるかもしれないよ。もしこまるんだったらちゃんと考えないと・・。」
「オッオー、マハール、それじゃがんばる?へへへ」
「言われなくてもいつもがんばってるでしょ。もう大変だよ・・。」
「そうなの?マハール、アコ若いんだから、まだまだがんばってね。」
「へいへい」

子供ができるかできないか、それは神の意思に任せることにしようと話がまとまった。


海と緑に囲まれ、お腹がすいたら美味しいものを食べ、のどが渇いたらビールを飲んで、疲れたら休み、退屈になったら何かをして、それらがいつも満足のいく状態でうまく循環していく。
パールファームビーチリゾートはまさに楽園だった。

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2009年07月19日

リン109 パールファームビーチ〜プロポーズ〜

僕とモナのダバオ行きは16:20発のPR809便だった。
ダバオには18:15着の予定であるから、約2時間のフライトとなる。
フィリピン国内の飛行機代は、それを予約するタイミングで大きく変動するが概ね安い。
例えば日本国内の2時間のフライトだと、往復で3万円はすると思われるが、フィリピンの場合には1万円を切るくらいである。
そしてプロモーションと称して早めに購入する人に対して行う安売りでは、更にその半値以下になったりする。
航空運賃が安いのはフィリピンだけではない。
日本の航空会社の運賃に慣れてしまうと、総じて海外の航空運賃は安く感じてしまう。
日本はパイロットやキャビンアテンダー(スチュワーデス)、その他社員に支払う人件費が高すぎるのも、その一因だと思われる。

搭乗時間までの数時間、二人は食事、お茶、買い物で時間をつぶしたが、それでも持て余すくらい時間が余った。
国際便の待合い室では当たり前のように見かける日本人も、ローカル線になると滅多に見ない。
唯一見かけた一組が、30前と思われる若い日本人の男とフィリピーナのカップルで、彼らはすぐ近くでお茶を飲んでいた。
日本語で会話していたので、二人は日本のフィリピンパブで知り合ったと思われる。
向こうのフィリピーナが僕たち二人をなにやら噂しているようで、男もこちらをちらちらと見ていたが、直接彼らと話はしなかった。

そのカップルは僕とモナの関係を、色々想像していたのかもしれない。
僕はフィリピンにいる時には、ほとんどTシャツにショートパンツ、アディダスシューズまたはビーチサンダルという格好をしている。
ショートパンツはジーンズにすることもあり、見た目は実際の年より若い・・はず。
モナとの釣り合いは、よくマニラで見かける不自然カップルよりは多少自然だと思われる。
モナは、二人のバランスはちょうどいいと言うのだけれど・・・僕にはそれほど自信があるわけでもなかった。
ただし気持ちだけは若いと自負している。
同年代の一般的な日本人よりは、はるかにアクティビティーに富んでいるのではないだろうか。新しいものでも、基本的に何でもトライする。
気の若さで何とか勝負するしかない。


読書、パソコンを広げて仕事と、やれることは全てやりながら、ようやく搭乗の運びとなった。
フィリピンエアラインは、ほとんど時間通りの運行となる。
これが安いといってceb pasificなどにすると、1時間や2時間の遅れは当たり前となる。
ひどい時には以前4時間遅れというケースもあった。
そんなときにでも、地元の人は文句の一つも言わずにじっと待っているが、日本人にはいつ出発できるのか分からないceb pasificはお勧めできない。

飛行機は国際線とは比較にならないほど機体が小さい。その日は満席となっていた。
機内での飲食サービスは日本の国内線と変わらず、ジュース類のドリンクとピーナツが配られるだけである。それ以外のものは有料となっている。
飛行中、僕はほとんど読書をしていた。
モナは忘れるといけないと言いながら、日記を書いている。
ふと二人で飛行機に乗るのが初めてのことだと気付いて彼女にそれを話したら、今それを日記に書いているところだと言われた。
予定通り2時間でダバオに到着した。

ダバオの空港を出たところで、パールファームビーチリゾートの車が出迎えに来てくれていた。
それはあらかじめ予約を入れたときに、ホテルにお願いをしていたからである。
お願いをしないと自力で港まで行かなければならないが、よほどダバオに慣れていない限り最初から送迎をお願いするのが無難だ。

送迎者に乗り込み、港まで約30分走る。
どこが境界線かはわからないが、ダバオの隣町を走っているとのことだった。
大きなビルは一つもない道を走っていた。
道路は広くて立派だったが、小さな港町である。
次第に車一台ほどの狭い道幅の道路に入ったと思ったら、ホテルの看板があった。
そこからがパールファームビーチリゾートのエリアになっているようで、建物の中に入るとホテルようなチェックインカウンターがあり、そこでチェックインを済ませてしまう。
そして少し大きめのバンカーボートに乗り込み、海の向こう側にあるリゾートエリアに渡る仕組みになっているらしかった。

敷地内の移動は、ちょっとしたところでもゴルフカートのような車に乗る。
船着場まで、あたりが暗くなった細い桟橋をそれで連れて行かれた。
そこまでは、まだリゾート気分ではなかったが、ボートに乗り込んで潮風を浴びるうちに、ようやく海に来たという実感が湧いて来た。
全身を押しつけるような強い風と共に、時折海水のしぶきが顔にかかる。
あたりは真っ暗闇の海ばかりで、遠く離れた前方には小さな灯りがぽつんと見えるだけである。
暗闇の中で、ボートがどのような場所をどのように進んでいるのか皆目検討が着かなかった。
最初に遠くに見えた灯りが目的地だと予想していたが、しばらく走るうちにその灯りの方向から船は進路を変更し、また遠くに新たな灯りが見え始めた。
そして出発から40分ほどで、ようやくリゾート入り口の桟橋に到着となった。
ボートを降りると女性が立っていて、ウエルカムドリンクと一緒にすぐに部屋のキーをくれた。
その際、滞在中の食事はレストランで取れるが、全てバイキングでしかも夜はショータイムの料金含まれるため、それらが必要ない場合は24時間対応のルームサービスを利用してくれと説明があった。
ちなみにレストランでの夕食は一人1200ペソ(2400円)である。

一人のポーターが荷物を持って僕らを部屋へ案内してくれた。
プールとレストランの脇を通り、コテージのようになっている部屋へと案内された。
予約した部屋はsamal houseといい、海の上に立っている小さな一軒屋という感じである。
部屋の下は海になっており、部屋の前が小さなベランダとなり竹で作られた長いすが置かれていた。
部屋は全て自然の材料で作られており、室内のベッドもそれに合わせるように籐製である。
よく籐で作った椅子や小物入れなどが日本でも売られているが、あれはもともとヤシ科の植物で熱帯地方に自生する植物であるから、フィリピンに籐製のものがあっても不思議ではない。
しかしフィリピンのホテルでそれを見かけることは滅多になかった。
リゾートホテルならではという感じであった。

まずはお腹がすいたので、先ほど案内されたルームサービスを取ることにした。
メニューを見ると、一皿300ペソ(600円)から500ペソ(1000円)程度である。確かにレストランで食べるよりは多少安い感があり、しかもまあまあ高級リゾートの割りには、ルームサービスは安いと感じた。
とりあえず三皿を頼んで見たが、実際に届いたらいずれの料理も一皿一人前で十分な量で、しかも味が良い。
それから二人は4泊5日の日程でそこに滞在するのだが、このルームサービスは安く美味しいので、大変重宝した。
僕は部屋の中にあるテーブルを、その上に載っているものを全てどかしベランダに運び出し、届いた食事を二人でベランダで食べた。
涼しい海の風が旅で疲れた体を適度に冷やし、最初の食事でさっそくリゾートの心地よさを味わっていた。
時々小さなヤモリがベランダ越しにやってきて、ご飯粒を狙っている。
少しつまんでベランダの柵の端に置いてやると、それを食べに数匹のヤモリが集まってきた。
彼らは全く害がない大人しい生物である。
フィリピンでは良く見かけるが、間近で見たのも餌付けをしたのも初めてだった。

辺りは静かで、聞こえてくるのは海の水が建物の柱や岸にぶつかる時の音だけだ。
両隣の部屋には、まだ誰も泊まっていないようで人気がない。
モナがまるで新婚旅行のようだと話した。
僕はそれまで散々モナを泣かせてきたことを、素直に謝った。
それまで蓄積していた後悔の念や、モナに対して抱いていた慕情を素直に静かに吐き出した。
それはフィリピンにきたら、どこかのタイミングで話そうと思っていたことだった。
そしてこれも予定していたことだったが、二人の将来の話をする上でまずは彼女にプロポーズをしなければならないと思っていた。
台詞はあらかじめ考えていたものではなく、話の流れで「これからはずっと一緒にやっていこう」といったものだった。
しかもベランダの長いすに座りながら、僕は彼女の顔を見ないで話していたかもしれない。
いや、肝心のその話の時には、やはり彼女の顔を見て話したはずだ。
大切な話しなのに、あまり良く覚えていない。
気合を入れてムードを作ったりすると、僕は恥ずかしさが先行してまともに話ができない。
あくまでも普通に自然に話をした。

その時モナは確かにオーケーの返事をくれ、僕の言葉に喜んでもくれたのだが、彼女はそれが僕のプロポーズだと認識していなかったことが後で判明した。
それは彼女の両親に挨拶をする段取りをモナと相談していた時であった。
彼女は「その前にプロポーズが先でしょ」と言ったことでそれが分かった。
僕は「はあ?パールファームで話しをして、あなたもOKしたじゃない」というと、彼女は「あ〜、あれはプロポーズだったの。あ〜ん、もう1回言って!」というので、僕はいやだと断った。
日本人だったら、あれで絶対にプロポーズになり、しかもOKの返事までもらっているのだから、二人の間では婚約成立のはずなのになぁと考えてしまった。
(フィリピンスタイルのプロポーズなど勉強してなかったからなぁ。一生という言葉を入れるべきだったのかなぁ、それともストレートに結婚しようと言うべきだったのか・・・う〜む。)

なんとなく宙に浮いたプロポーズになってしまったが、結局僕は彼女に、それをもう一度言うことはなく、彼女もしつこく催促することはなかった。
気が向いたらもう一度言ってあげようかと、今は思っているが、果たして言うかどうか・・・。

とにかくこうして、静かな夜の中で二人の初めての旅行がスタートしたのである。

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