フィリピーナと共に
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アイリーン:カテゴリの記事一覧です。

2009年08月19日

アイリーン6

このような家庭では、一つ問題があった。それは夫婦生活のことである。
アイリーンが4歳の頃、トイレに行きたくなってたまたま目覚めた彼女は、自分の母親が父親の股間に顔をうずめている行為を初めて目撃してしまった。
幼いアイリーンは母親が何をしているのかわからなかったが、暗闇の中にうっすらと見えたその異様な光景は、彼女の脳裏にしっかりと刻み込まれた。
おそらく他の子供たちも、隣の部屋で夫婦の営みを目撃することがあったに違いない。
その時アイリーンには、今声をかけてはならないという直感のようなものが働き、トイレに行くのを取りやめた。両親に気付かれないように自分のベッドに戻り、隣が静まり返るのをじっと待っていた。ようやく静まり返ったことを確認してから、アイリーンは再びベッドを抜け出し、母親にトイレだと声をかけて用を足した。

プライバシーを維持できない家庭は、どの家でも似たようなものだった。事が済むまで子供を外に追い出すわけにもいかない。もし子供が両親の異変に気付いたとき、子供がその時のアイリーンと同じように妙な気を使うことになることは、多くの家庭でよくあることだった。
しかしそれが何度も度重なると、子供もそのような行為を当たり前のこととして受け止めるようになるし、成長するにつれてその行為の持つ意味についても自然とわかるようになってくる。だからそんな環境で育った子供が大人になったとき、セックスに対してオープンな考えを持つようになる。

それは誰とでも気軽にセックスをするという意味ではない。特に敬虔なクリスチャンであるフィリピーナは、自分がこの人と決めた人以外には体を許さない傾向があるのは確かだったし、フィリピン全体では、性に関して日本の昔と同じような古風な考え方が一般的である。
性に関してオープンというのは、パートナーと積極的にセックスの感触を確かめ合い、それをより良くするために話し合ったりすることを、恥ずかしがったりせずにするという意味合いである。愛する人とセックスをしたいという欲求が沸き起こるのは、人間として当たり前であり、恥ずかしがったり隠したりするものではないという感覚が根底にあるのだ。
同時に人前でキスなどの愛情表現をすることにも抵抗がない。愛し合っていればそれは当然なのである。幼い頃から両親のそんなスタイルを見て育つと、男と女が愛し合うことは自然であり、その愛を積極的に表現できることは幸せな証拠だと考える。そしてその延長線上にセックスがあるという受けとめ方をするようになる。それが彼ら彼女らの性に関するオープンな態度に結びついている。

しかしアイリーンが幼いころに目撃した光景は、不幸にも彼女の脳裏にいびつな行為として焼きついてしまった。
そしてそれが何年も経過した後に彼女の行動心理に影響を及ぼすことになった。


アイリーンの記憶に残っているものは、全てがその類の忌々しいものばかりではなかった。
兄弟との楽しい思い出はたくさんあるし、母親がくれた愛情を懐かしく思い、今でもアイリーンは心のどこかでそれを追い求めていた。

自然に囲まれたバリリには、子供たちが遊ぶ場所がたくさんあった。川、滝、海、山と、歩いていける距離に全てが揃っていて、よく兄弟揃って遊びに行った。どこへ行くにも何をするにもいつも兄弟全員が一緒に揃っていた。
長女だったアイリーンは、次々と生まれた妹や弟の面倒を良く見た。どこかへ出かけるときには、いつも彼女が小さかったカミルやサリーの手を引いていた。

家の中でもそれは同じだった。アイリーンの家には半畳ほどのシャワースペースがあった。カビが生えたベニヤ板に囲まれ、下にはすのこのような木の板がおいてあるだけの、粗末なシャワールームだった。下に落ちた水は、土をくり抜いて作った水の道が壁の下から外へ続いており、そこから排水が流れ出す仕組みになっていた。
小さな電球が天井からぶら下がった、水が出るだけのシャワールームだったが、それでもいつでも気軽に体を洗えるのは幸せだった。
暑いフィリピンでも、シャワーから飛び出す水は、ことのほか冷たかった。しかし小さい頃から冷たい水に慣れ親しんでいる子供たちには、それが当たり前の世界で、シャワーとは水が出るものというのが彼らの常識だった。
シャワーをする時は、アイリーンが下の子の体を洗ってあげたし、終わると髪と体を拭いてあげ、着替えも手伝ってあげた。
下の子の面倒を見るのは、アイリーンだけではなかった。四女のサリーがシャワールームから濡れたままで飛び出すと、三女のカミルがサリーの体にタオルをかけ、次女のアニーがサリーの体を拭くために駆け寄ってくる。常に上の子が下の子の面倒をみるのが、そこでは当たり前の姿だった。
ただし生活の中できめ細かく下の面倒を見るのは主に姉の役割で、二人の男の子はそんなことにはお構いなしの態度を決め込んでいた。

しかし一旦外にでると、外敵から妹や姉を守るのは男の役割だった。近所の悪がきがカミルやサリーをいじめたり突き飛ばすようなことをするものなら、二人の兄が体を張って妹を守った。それが自分より一回り体の大きい相手でも、果敢に挑んでいった。次男のジミーが一人でかなわないようであれば、長男マックもそれに加わった。1対2でそれが卑怯だと言われようが、そんなものは関係なかった。
長男と次男が守る対象は勿論カミルやサリーだけではない。姉のアニーやアイリーンが嫌な目に合えば、それも同じように対応した。
しかし緊急事態に出現する闘争精神も、普段は全く姿を見せない。二人の男の子はいつものんきに、自分のペースで好きなことを気の向くままにしていた。一見特別優しくはなかったが、かといって何か意地悪をするわけでもなく我侭でもなかった。しかし姉や妹を思いやる気持ちは確かに持っていて、普段はそれを内に秘めていた。

母親のメアリーはいつも子供たちに優しく、寝る前には必ず添い寝をしてくれた。アイリーンが母親のメアリーを完全に独占できたのは、次女のアニーが生まれるまでの2年間だったが、アニーが乳飲み子でまだ何もわからない時には、自分が寝付くまで必ず一緒に寝てくれた。そんな時、シャワーを終えたばかりのメアリーからは、いつも石鹸のいい香りが漂ってきた。アイリーンはメアリーの胸に顔をうずめ、その香りに包まれて眠りに入るのが大好きだった。メアリーはアイリーンの髪の毛を優しく撫でてくれた。そうされるとアイリーンは安心して眠ることができた。
アイリーンを自分の懐で包み込んでいるメアリーもまた、幸せを感じていた。子供がしっかりと自分に抱きついてくれることに母性本能が刺激され、いつまでもこの子を守っていきたい、幸せにしてあげたいと願う気持ちを強く思う時間でもあった。
そしてメアリーも子供たちも、その些細な幸せがいつまでも続くものだと信じて疑わなかったし、続けていくためにはどんなことでもがんばらなくてはいけないと、メアリーは心の中で奮起していた。

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カテゴリー:アイリーン
エントリー:アイリーン6
2009年08月18日

アイリーン5

幸いメアリーの家の周辺には空き地がたくさんあったので、ちょっとしたスペースで、家で食べるナス、キャベツ、ニンジン、大根、トマトなどの野菜を作ることができた。野菜作りは主に子供たちの仕事で、夕食時には子供が畑に走り、その日に食べる野菜を収穫する。土壌が肥えているフィリピンでは、果物と同様に野菜の出来栄えも良かったから、この家庭菜園は食費を浮かすことができて助かっていた。どの家庭でも同じように野菜を作っていたので、せっかく育てた野菜を収穫間際に泥棒されるということは滅多になかったが、それでもたまには誰かが野菜を勝手に持ち出した形跡を発見することがある。しかし他の家庭の事情を察し、細かいことは気にしないというのがメアリーのスタンスだった。


そこでの生活は、まるで海岸の砂でこつこつと山を積み上げていくようなものだった。
ようやく山が少し高くなったかと思うと、波が押し寄せてきてさらわれてしまう。ほとんど平になったところへ、また一から砂を手でかき集め、山を積み上げていく。大波が押し寄せたら、積み上げた山はいっぺんになくなる。うかうかしていると、次の波でそれがどんどん低くなるから、また必死で砂をかき集める。
いつ終わるのかわからないこの作業を、根気良く続けていくしかない生活だった。しかしメアリーは、元気で生きていけることに喜びを見出しながら、不平不満を言わずに淡々と日々をこなしていた。手を休めたら、6人の子供たちがお腹を空かせ、たちどころに騒ぎ出す。メアリーは必死にならざるを得なかった。
子供たちにひもじい想いをさせたくはなかったし、自分を幸せにしてくれる子供たちの笑顔を、いつも見ていたいと、彼女はそれだけを願っていた。


メアリーは日曜日には子供たちを連れて、必ず教会へ礼拝に行った。
教会は彼女たちの家から徒歩で15分の所にあり、粗末な家や建物が居並ぶ中で、教会も同様に小さかった。しかし年に数回は、セブシティーの教会へ子供たちを連れて行った。セブシティーの教会は、普段通っている教会とは比べ物にならないほど大きく、荘厳な雰囲気を放っていた。柵で囲まれた広大な土地の中で、天に向かってそびえ立つバロック様式の歴史ある建物は、クリスチャンでなくても中に入った瞬間、神聖な気分に支配される。高い天井付近の窓に、贅沢にあしらわれたステンドグラスを通して入ってくる太陽の光が、その厳粛な空気を一層澄んだものにしていた。建物の中では粛粛と進む儀式の中で、神父の声だけが反響を伴い礼拝堂の中に響き渡る。誰もが真剣な祈りを捧げながら、我も欲もない無の世界に入り込み、安らぎの境地に浸ることができた。

神に祈る時、両手を組んで目を閉じているメアリーの心の声は、家族が食べていられることへの感謝の気持ちを告げるものだった。
そして神に対する願いごとはもっぱら家族の健康と平和であり、そこにはお金をたくさん持ちたい、美味しいものを食べたい、贅沢をしたいなどという邪心は一切なかった。家族の健康と平和が、メアリーにとってかけがいのない全てであったのだ。
メアリーは子供たちに、家族が病気をせずに健康に過ごせることに対して、神に感謝しなさいと常々話して聞かせた。子供たちは毎日寝る前に、ベッドの上でその感謝の気持ちを声に出して言わされた。しかし毎日それを繰り返すことで、いつしかその言葉が自分と同化し、子供たちの中でそれが、神に対する偽りない感謝の気持ちに変わっていった。そして毎日家族の幸せを祈ることで、神は自分たちを常に見守っているという意識が、体に染み付いていったのである。


アイリーンの一家が住んでいたのは、バラックのような今にも崩壊しそうな家だった。
外から見ると柱は傾いており、入り口のドアは南京錠がついているが、その気になってドアをゆすれば簡単に人が通れる位の隙間ができそうなほど粗末なものだった。
入り口から入っても靴を脱ぐ場所などなければ、脱ぐ必要もなかった。日本風で言う土間が、そのまま家の中にも続いていたからだ。
つまりその家は、地面の上に周囲を囲む壁があり、その上に屋根を乗せただけの、子供が工作で作るおもちゃの家を大きくしたようなものだった。
台風が来た時などは、雨が屋根をたたく音と風が壁をきしませる音が入り混じり、家ごと吹き飛ばされるのではないかと心配で眠れなくなるほどだった。
雨漏りがあちこちで起こり、水滴が地面におちては土に染み込んでいく。
さすがにベッドの上の雨漏りだけは、父親のレイが気が付くたびに修復してくれた。

家の中は5畳ほどの3つの部屋にかろうじて区切られているが、それぞれの部屋にドアはなく、一見迷路のような作りになっている。そして窓が全くないその家の中は、昼でも薄暗かった。
一つの部屋にはレイが作った簡易ベッドが二つ、隙間がないように並べられており、夜はその上に6人の子供たちが雑魚寝をした。
隣の5畳ほどの部屋には夫婦用の手作りベッドが置かれ、レイととメアリーはそこに寝ている。
残った部屋には手作りの粗末な食卓用テーブルが置かれ、そこが食事をする場所になっていた。一応電気はきているが、TVや冷蔵庫、洗濯機といった家電製品はどこを見回しても見当たらない。電気製品は、それぞれの部屋にひとつぶら下がっている裸電球だけである。
小さなテーブルでは、家族全員がそこに座って食事をすることはできないので、長女のアイリーンや次女のアニー、そして母親のメアリーは立ったまま食べることが多かった。サリーをはじめとした小さな子供が、優先的に椅子に座ることになる。父親のレイが一緒の時にでも、彼もほとんど立って食べていた。
小皿を片手で持ち、その皿にテーブルの上から自分の分を取り分ける。食べ物を口に運ぶのは手を使う。それは貧乏でスプーンやフォークがないからではなく、手を使って食べるのがフィリピンの伝統的な食べ方だったからである。どこかの宗教のように、右手だけを使うなどという面倒なしきたりはなく、自分が食べやすい利き腕を使ってよい。
テーブルに上がる料理は大体が一品で、あとはライスでお腹を膨らませた。主な料理は魚、野菜だったが、魚は大皿に山盛り一つで20ペソ(40円)程度の安い小魚が多かった。それをフライにしたり濃い味付けで煮たりして食べる。野菜は買うと高いので、ほとんどが家庭菜園から収穫したものを炒めて食べた。多少お金に余裕があるときには、それに鶏肉などが混ざることがあったが、それは月に数回あるかどうかだった。

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カテゴリー:アイリーン
エントリー:アイリーン5
2009年08月17日

アイリーン4

レイは自分が働かずとも何とかなることがわかると、次第に堂々とそれに甘えるようになっていった。
傍目に見たら、世間知らずだったメアリーが、とんだ貧乏くじを引いた格好になったが、メアリー自身には、周囲が思っているような惨めさはなかった。メアリーは愛する夫と子供が明るく元気で過ごしてくれるのであれば、それだけで幸せを感じるような優しい女だった。夫が自分を愛する気持ちを抱き続けてくれさえすれば、自分は夫のためにがんばれると思っていた。
そしてメアリーは、夫や子供たちのために寝食を忘れて一生懸命働くことになる。

末っ子の四女サリーが生まれても尚、父親のレイはろくに仕事もせず毎日朝から酒を飲んでは、近所の同じような仲間とつるんでいた。
赤道に近いフィリピンでは、早朝6時であっても、日差しが差し込むと汗が滲み出るほど暑くなる。上半身裸のレイの体は、滲み出た汗のせいで褐色に光っていた。同じような近所の仲間も朝から集い、レイたちはロイの家の前で、酒を飲みながら賭けトランプに興じる。それが彼らの日課となっていた。
賭けトランプは朝6:30にスタートし、暑さがピークに差し掛かる昼前の11頃まで続けられる。その後は昼寝をし、夕方になると再び仲間たちがどこからともなく集い、宴が始まるのだ。宴といっても、安酒をあおりながら話をするだけである。話が盛り上がっている時は、それが夜の9時や10時に及ぶこともあり、そうなるとテーブルの上にぶら下がっている裸電球のオレンジ色の光と、彼らのぎらぎらした目が、闇夜に浮かび上がることになる。
そのような光景は、町の中では至るところで見かけることができた。そして同じような光景は、マニラのような都市部を除き、フィリピン全土で見ることができる。

レイは妻や子供たちに暴力を振るうような人間ではなかったし、それなりに家族と普通に会話をし、近所付き合いも悪くはなかった。妻や子供たちを愛しむ心を持ち、決して際立った不良ではない。
ただ家族を養うと言う点で、まったくその責任を果たす考えがないのだ。彼はそのことに対して、全く罪悪感を持っていなかった。レイやその仲間たちは、働く場所がないという言い訳を心の中で繰り返し、働かないのではなく働けないという理屈で、自分たちの生活態度を正当化していた。実は真剣に仕事を探せば安い賃金の肉体労働はいくらかあった。しかし長年そのようなスタイルが染み付いている彼らにとっては、よほどの儲け話でない限り、仕事に従事する気がおきなくなってなっていた。

母親のメアリーも特に定職を持っていなかった。
それでも子供6人を抱え家族の食扶ちを稼ぐ必要あったメアリーは、朝早く港で魚を仕入れてはそれを市場で売り、それがひと段落してから近所の家に出向き、メイドとして家事手伝いをして賃金を得ていた。
彼女が最初にメイドとして働いたのは、セブシティーでビジネスを手がけ、成功を収めた男の家だった。そこでメアリーは性格の悪い家主の母、妻、妹に囲まれ、14年間もこき使われた。メアリーは安い賃金で、何から何まで押し付けられ、肉体的にも精神的にも苦労を強いられた。そして家主のビジネスの雲行きが怪しくなるや、メアリーはその家をいとも簡単に解雇されてしまった。
その後彼女は、メイドを雇ってくれそうな家があればと探したのだが、その界隈でそのような余裕のある家庭は珍しく、あったとしてもその親族が既にメイドとして入り込んでいた。メアリーは根気よくメイドを雇う家を捜し歩いたが、それを見つけるのはたやすいことではない。誰もがお金を手に入れるチャンスを、捜し求めている。タイミングが合わなければ、働く機会を得るのは難しかった。

落胆が続くある日、メアリーはあるの家の窓から、明かりが漏れていることに気付いた。そこは少し前まで工事中のはずだったが、どうやら人が住み始めたようだった。
その家はその辺りでは珍しく、周囲がフェンスで囲まれた家で、家主はまだ若い女性だと噂で聞いていた。メアリーは思い切ってその家の扉を叩いてみた。
応対に出たのは25歳前後の勝気な印象を受ける綺麗な女性で、メアリーはこれが噂の女家主ではないかと思った。

「私は近所に住むメアリーといいます。今仕事を探しているのですが、お宅でメイドは必要ないでしょうか?」と、できるだけ低姿勢で尋ねてみた。
「そうね、うちはごらんの通り若い女の子がたくさんいて、みんな家のことを手伝ってくれるのよ。だから必要ないわね」
確かに家の中に小学生から中学生くらいの娘が数人いるのが見えた。一番大きい子はアイリーンに近い年頃ではないかと思われた。
「そうですか。わかりました。突然お邪魔してすみません」そう言ったメアリーの顔には、まただめだったという悲壮感が漂った。いよいよ崖っぷちだと思いながら、お辞儀をして帰りかけようとしたその時、後ろからメアリーを呼び止める声がした。
「ちょっと待って。あなたは子供がいるの?」
「ええ、6人います。丁度お宅のお子さんと同じくらいです」
「そう・・サラリーはたくさん出せないけど、それでもいい?月に6500ペソでどうかしら」
「本当ですか?サラリーはそれで十分です。ありがとうございます」メアリーの顔に、パッと明りが灯ったような笑顔が浮かんだ。前の家では、散々こき使われて月に5000ペソだったから、賃金も十分だった。
その女性は、普段はセブシティーに借りたアパートにいることが多く、バリリの家にいつもいるのは、年老いた母親とそして甥や姪たちだった。なぜか子供たちの両親はいつも不在で、見ていると若い家主がその子たちの母親代わりをしているようだった。だから自分がいない時に、子供たちの母親代わりと、自分の母親の面倒を見て欲しいということだった。

魚売りとメイドの仕事をこなしても、メアリーが1日に得られる賃金は日本円にして500円ほどだった。それが新しい家でメイドをすることになり、一日100円アップの600円となった。
そこからみんなの食費と旦那の酒代やタバコ代、そして学費まで賄わなけければならなかったから、メアリーは裁縫の仕事も積極的に引き受けていた。
客の大切なお気に入り洋服のサイズ直しや修復をし、1着あたり100円を稼いだ。中には1着につき2時間から3時間も時間を要するものがあり、時給に換算するととてもやってられない仕事だったが、メアリーは仕事があるだけましだと積極的に取り組んだ。
仕事は1週間に平均5着、つまりそれで1週間に500円ほどを稼いだ。
毎日の仕事の分と合わせると週に4700円、一ヶ月に19000円ほどの収入となる。
食費を切り詰め辛うじて家族8人が生きていける金額だったが、それでも足りない時には、親戚の家を駆けずり回り借金をした。
借金がかさんでくると洋服の修繕や魚売りの仕事を多めにこなし、その分を返済に充てた。

新しくメイドをさせてもらった家は、幼い子供を抱える彼女に好意的だった。子供たちにお菓子をくれたり、帰り際に米や鶏肉を持たせてくれることもあった。時には日本のチョコレートやイギリスのクッキーをもらうこともあり、それがメアリーの子供たちには大評判だった。メアリーが苦しい時には積極的に賃金を前払いしてくれ、いつも彼女の生活を考慮してくれた。メアリーはその恩に報いるために、そこで誠心誠意、心を込めて働いた。


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カテゴリー:アイリーン
エントリー:アイリーン4

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