フィリピーナと共に
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2014年06月28日

726.批判を批判する

 最近日本にいながらも、あまりテレビを見ず新聞も読まないので、世の中で何が起こっているかさっぱり分からない。ちらほらと、ワールドカップで日本が背水の陣だとか(すでに終わった?)、安部さんが憲法云々でがんばっているか、そんなことしか知らないのだ。そのくせ少しマニアックなことは、不確かな情報だけれど知っている。例えば、最近中国の軍事的動向がおかしいとか、中国の日本国債保有高が極端に減っているとか、それに反比例するようにある小さな国の日本国債保有高が急激に上がっている(おそらく中国の代理で買っている)、などである。
 中国の日本国債保有高が急激に落ちているのは事実だが、その理由が想像の域でいろいろ語られている。中国国内において、なぜ敵国同然の日本国債を貴重な外貨準備金で保有するのかという共産党批判を避けるためという説もあれば、もっと単純に、日本国債の資産価値が減少しているからという話もある。さらに過激な説では、中国が日本に軍事行動を起こし制圧してしまえば日本の国債は紙切れになるのだから、今のうちに手放している・・・。この説とセットにして、最近の中国軍のきわめて怪しい動向が、一部の間で語られている。それはシークレットな内容とされているが、当然日本政府はその情報を察知しており、憲法改憲がだめであれば解釈の問題で、有事の際は少しでも日本が動けるようにしたいと焦っているなど、まことしやかに囁いている方々はそう結論付けたいようである。
 中国と日本は、好む、好まざるに関わらず、経済では両国国民が感じている以上に密着・融合しており、実際には有事が発生するという短絡的な話になり辛い環境があると見たほうがよい。それでも中国が何かを起こすとすれば、それを補うほどの大きな経済的メリットがなければならないはずだが、さて中国は、そのメリットを何かに見出したのだろうか。僕にはそうは思えないが、持ち前の独りよがり、中国は世界の中心であり今後もそうあらねばならないという中国人の精神構造的な背景を考慮すれば、まるでない話とも言い難い。少なくとも軍事面においては、中国が日本を傘下に治めた場合、海洋覇権で中国がアメリカに大きくリードするのだから、その点においては大いなるメリットがあると言える。しかしそれを目論むのであれば勝利しなければならず、中国はそのための分析も怠っていないはずだ。軍事力という観点から冷静に分析すれば、中国が軍事行動を起こしても自分たちに勝ち目がないことは分かることで(アメリカでさえ、日本と全面戦争になれば勝てる確率はそれほど高くないと、アメリカ国内の軍事白書でレポートされている。それほど日本の軍事力は、隊員の資質の高さも含めて評価されている)、もしそこにアメリカが参戦すれば、現時点でのシミュレーションで中国の負けはほぼ確定となる。それでも中国が何かをしかけるとは思えず、実際に何か不穏な動きがあるとすれば、それはネゴシエーションを意識したフェイクと捉えた方がよいだろうというのが、僕の意見である。
 しかし今、ひとまずそんな不確かなことは本当はどうでもよくて、何かあった時に軍事行動を起こしやすいようにというよりも、いざとなれば叩き潰すぞという体制を抑止力として、何かが起こりにくいようにする、もしくはそうしたバックボーンを国益に繋がるようにするということが、日本にとっては大切なことだと思っている。僕には安部さんが、日頃からがんばっているように映るし、これまでになく海外に言いたいことを言えている首相ではないかとも思っている。中国や韓国にしてみれば相当煙たい首相であり、そう思われるような発言力や実行力のある首相が、日本には必要だと思っているのだ。憲法を変えるのが無理だから解釈を変えるとは姑息だという意見もあるが、何かを本気で成し遂げようとする人は、泥水の中でも泳ぐ必要があれば泳ぐ覚悟を持っているものである。そのくらいの覚悟がなければ、物事を成し遂げるのは難しいことが世の中にはたくさんある。批判されようが嘲笑されようが、一歩でも二歩でも前に進めなければ何もしなかったことと同じだという考えは、政治の世界もビジネスの世界も同様に言えることで、常日頃そう考えて自分を発奮させないと何も進まない世界にいる自分には、安部さんがやろうとしていることに共感さえ覚えてしまう。
 しかし世の中には色々な理屈をこねて、このやり方を批判するものがある。もちろん批判するのは問題ない。何事にも多面からの捉え方があり、見る位置によりそれが正となったり悪となったりする。もしくは同じ人が、有能だったり無能になったりもする。これはよくあることで、ある意味当たり前のことでもある。そのこと自体、僕は何も気にならない。
 しかしこの批判の背景に空虚な正義がちらつきすぎると、突然その批判に安っぽさを感じることがある。正義は我にありとばかりに論理を組み立て、一方的な見方で偏った論調を繰り広げるケースである。実は突っ込みどころも満載だったりするのだが、一々反応するのも馬鹿らしいくらいの陳腐さを感じ始めると、こちらも何も言わずに見過ごすことになる。これは以前から感じていることだが、正義や法律を振りかざして実際の物事を断じるやり方は、僕にはどうしてもなじめない。これは自分の体質的なものでもあるからなぜと言われても答えようがないが、少しその理由じみたことを以下に述べてみたいと思う。
 まず最初に、正義とは何かについて考えてみたい。僕が正義を定義するなら、それは「自分に都合のよいこと」となる。もちろん全ての正義がそうであるわけがない。しかし実際は、そうであるケースが多い。これは誰かと何かで議論になったときに、顕著に出る。偉そうに言う自分も、気付けば自分に都合のよいことが正しいとばかりに、話に夢中になっていることもある。そうと気付いてからは、できるだけ人の話を聞き、自分の話を振り返りながら人と話すよう心がけているが、徹底するのは難しい。
 ならば真の正義とは何か。それは世の中の絶対的な規範に基づくもので、その数はそれほど多くないと思われる。では、もし法律を正義としたらどうか。法律とは社会の秩序を保つために決められた便宜上のルールであり、それが絶対的な正義かと言えばまったくそうではない。結局は多数の人たちにとって都合の良いように決められたルールであり、全ての人に納得性があるわけでもないのである。つまり法律は納得性における最大公約数であるのみで、内容は不完全だし完全にしようもない。それが故に、裁判の結果にもグレーゾーンが発生する。同じ殺人でも、刑期が軽かったり重かったりもする。状況を加味し、情状酌量が考慮されるからである。法律が絶対であり正義であるならもっと事務的に処理できるが、そうではないからそうなる。そのようなことを言えば、法律を否定するようなことを言うあなたはロクデナシ、ヒトデナシと噛み付かれそうだが、そもそも法律が完全でなければ成り立たない社会とは、既に荒廃していると言ってもよい。不完全な法律に縛られながら社会がある程度機能しているのは、各人が道徳・規範に基づいて行動しているからであり、個々の良識が失われればそもそも法律遵守さえされなくなる。つまり法律とは、それだけ曖昧なものだと言うことだ。
 さらに宗教戦争を例に取ると、あれは自分たちの側に絶対の正義があるため、収集がつかない。宗教における正義とは、法律よりも教義にある。宗教では教義が絶対の正義であり、そこには個人の考えを挟む余地がない。つまりこのような類のお互いの正義のぶつかり合いが宗教戦争であり、この二つの正義は決して交わらないのである。であるから、よほど経済戦争の方が着地点を見つけやすいという点で始末がよい。この例からも、正義とは自分もしくは自分たちにとって都合が良いことであることが伺える。
 そのような正義にすっかり寄り掛かった意見や批判に、もともと説得力など出るはずがない。そのような正義と自分の考えが一致するならば、自分の言葉で批判を展開すべきである。正義を振りかざしておけば批判の対象にならないだろうことを見越し、自分の意見を極力全面に出さずに批判を展開することは、人を苛立たせ、もしくは人から黙殺され、世の中のごみ同様何も役に立たない。それは僕には、完璧に自己満足のための主張、もしくは自己顕示欲を満たすのが目的の主張に映ってしまい、肝心の主張の内容は、空中を意味もなく彷徨っているだけに思えてしまう。だから敢えて僕は、そのような主張への直接の反論、批判はしない。そのような批判の展開方法を選択する人を、恥をさらす可愛そうな人だと哀れむだけである。
 くどいようだが、最近の世間の論調を一つ例にとって、もう少し説明を試みる。都議会の野次問題で、何とかという議員が槍玉に上がっている。確かに品のない野次を飛ばした男性議員は、その品格を疑われても仕方がない。しかし一方、都議会議員という身分にありながら、野次を飛ばされた女性議員はその場で涙し、しっかり反論せず、上手に受け流すこともせず、こともあろうにそのような実際を議会とはまるで違う場所で世界に向けて発信してしまった。ただでさえ意識的に日本バッシングの材料を探している団体や国がごろごろいることを、この女性議員は知らないのだろうか。これはある意味、日本の国益を大きく損ねた浅はかな行動と言えなくはないだろうか。言った議員も馬鹿だと思うが、言われた議員も底が知れるというのが僕の素直な感想だ。世界を巻き込んだ世論が女性議員を擁護する風向きに、きっと彼女は気分をよくしているのだろうが、見方を少し変えればこの女性議員に議員としての資質や資格があるのかという批判も展開できるわけである。その証拠に、彼女の行動には様々な反動も生まれた。ホストクラブで遊んでいる写真が暴露されたり、不倫疑惑がより鮮明になったりである。それらも彼女が何をしようと個人の自由であるが、表面的なことで言ってしまえば、双方五十歩百歩の世界にまみれた人たちであり、しかし生身の人間としては、そのようなこともあるだろうと思える。選挙で選ばれた人は、行動・発言・資質・能力において、全て完璧でなければならない理由はない。あまりに税金を使う価値がない人物と有権者に判断されたなら、それは次の選挙でただの人になるだけのことである。
 最近のマスコミや浅はかな人たちは、人の揚げ足を取ることで自分たちに正義があることを主張しているように見えて仕方ない。問題の本質は何か、問題を訴えることで何をどうしたいのかは問題ではなく、結局は自分たちの側に正義があるこを訴えることが目的のように映るのである。このような揚げ足取りが横行することは、自由な発言を封じ込めることにならないだろうか。ひいてはそれが、萎縮した社会を作ることにならないだろうか。日本に閉塞感が漂う背景には、そのようなことが理由の一つにあるような気がしてならない。一つのミスも許されない社会とは、ダイナミックな動きを期待できないものである。
 僕はここで、安部さんの政治的考えや行動の件を訴えているのではなく、また、都議会騒動の結論を見出したいわけでもない。批判の仕方や正義とはなんぞやについて考えているのだ。色々な批判を展開するのは自由でありまったく構わないが、他人のふんどし(一般的な世論、新聞やテレビの論調、権威出所の情報)で相撲を取りながら、まるで謙虚さを欠いた主張は、説得力がないばかりか人間を下げるということを、よく自覚した方がよいと言いたいのである。
 少し毒舌になりすぎ、自分も人間を下げてしまったかもしれないと反省をしながら、これを投稿する。
posted at 12:52
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:726.批判を批判する

725.感謝と愛の念 

 以前何をどこまで書いていたのか忘れたし、そもそもブログ記事アップのためのIDとパスワードを忘れている。何とか思い出そうとしても、自分が寝ている間に誰かが僕の記憶の一部を少しずつ注射器で抜き取っていたのではと思えるくらい、真っ白な空間しか見えてこない。いやいやこれは酷い。他人のことをさげすんだ目で見ながらなじるよう、僕は自分のことをそう思った。そして僕は、江戸時代の人間がインターネット情報の氾濫する現代に突然放り出されたようにうろたえた。しかしながら僕にもいい訳くらいある。僕が初めて使用したノートパソコンは80Mのハードディスク搭載品で、それは当時、ある種羨望の的になり得る高容量・ハイパフォーマンスのものだった。それが現代は、メモリスティックさえギガの時代である。それを考えれば僕の世代は、裸で槍を持ち獲物を追いかけていたら、荒野が突然高層ビル群の大都会に変貌を遂げたに等しいくらい、周囲は劇的な変化を遂げている。よって、最近のハイテクについていけないと悩む必要などなく、ついていけなくて当たり前だと考えるべきだろう。高々ブログの管理画面が、ハイテクと呼べるかどうかは別にして。
 このパスワードを探し出すのには苦労した。実はパソコンと同時に携帯まで新しくしてしまったので、僕はブログ管理画面だけでなく、あらゆるところのIDやパスワード入力で苦労していた。このまま分からなければ永遠に放っておくしかないと一時腹をくくっていたが、お金が絡むものまでパスワードを忘れているのでこの際必死に調べまくってみたら、ブログ管理画面のパスワードもひょっこり出てきた。まるで密集したクローバーの中で、たまたま視線を向けた一点に四つ葉があったように見つかった。それにしてもこうしてみると世の中IDとパスワードだらけで、それらの管理能力を欠いた人間(自分はこれに近い)や、記憶力の極端に劣る人は、現代を生きていけないのではないかと思えるほどになっている。これも時代の変貌の一つと言えそうだが、ある意味迷惑に感じる人も多くいるのだろう。自分は最初、数字だけの一つのパスワードを使用していたが、数字とアルファベットの組み合わせが必要だとか、何文字以上じゃないといけないという制約に遭遇するうち、いつの間にか本人も把握できないくらいパスワードが増えてしまっている。時に混乱や面倒くささを呼び起こすこれらを含め、便利だけど不便だというのが、最近の世の中のあり方全般に対する僕の正直な感想だ。これに象徴されるように、情報や競争に翻弄され、人間らしさを発揮しにくくなっているという意味では、なにかと生きにくい世の中にもなっている。フィリピン人の直情的で素直で自然な生き方や考え方を見てからというもの、僕はますますその感を強めている。インターネットなどなくても、または高度なシステムなどなくても、人は十分幸せな人生を送ることが可能なのだ。
 生きにくさを助長する煩わしさの一つに、通信インフラの発達により、どこで何をしていてもとにかく誰かと連絡が取れることがあげられる。これも本当に便利で不便だ。誰からも追尾可能な状況が継続するというのは、心が休まらない。自分の頭の中に発信機が埋め込まれ、どこに逃げてもばれるぞと言われているようなものである。しかし、日本に来ている現在(実は一週間少し前から日本にいる)、新しくした携帯が日本の規格についていけないらしく電話が繋がらない。シムは海外ローミング可能になっている。実際タイやシンガポールでは使用できた。だからハードの問題で電話が繋がらないようだ。これはある意味不便で便利だ。誰も気軽に僕に電話をできない。おかげでくそ忙しい時につまらない愚痴を聞くことも減る。ホテルに帰ればインターネットが使えるが、それもいつも接続しているわけではない。
 日本では、自分たちの商品の承認をもらうため、お客さんのところに日参している。なかなか手強いお客さんで、個別に見ればみんなよい人だが、商品の性能に関しては妥協してくれない。おまけにすでに承認を受けた量産品で問題が見つかった。おかげで、なぜ自分が日本にいる時に……と、その強運を恨めしく思う日々を過ごしている。この不具合発覚は本当に余計だった。朝になり明るくなった外を見ると、きりきりと胃が縮みだして顧客訪問拒否症が発症しかかる。それを振り払い、勇気を出してホテルを出るのもなかなかエネルギーが必要だ。体力と気力を消耗し、それを補うために夜は美味いものでも食いに行きたいが、今度は金と時間の欠乏症である。結局コンビニ弁当を買ってきて、毎日日本のコンビニ弁当のレベルは高い、凄すぎると一人で驚嘆しながら寂しい夜を過ごしている。
 しかしである。どれほどそれが寂しく辛くても、僕は感謝しているのだ。働けてお金を稼げること、家族を養えること、たまには家族で旅行ができることなどを本当に有難く思っている。仕事がない、稼げない、金がたまらず部屋の中に埃ばかりがたまる生活の惨めさや暗さを思い出し、自分をドブネズミのようだと思わないで済むことに、心からの救いを見出している。この感謝の気持ちが、少しは自分を奮い立たせる力に繋がっているのである。
 最近になり、この感謝の気持ちというのは生きていく上で、非常に大切なことであることが分かる。つまりようやく自分も、世間の厳しさを本当の意味で分かってきたのだと自画自賛もしている。とにかく、感謝の気持ちを上手に使えば、生きていく上で必要な、前向きのエネルギーを生み出すことができるのだ。当然仕事にそれを活かせば、少しは周囲から評価されることもある。感謝の念が、自分をしぶとくさせる。くじけないということを徹底すれば、それも一つの取り柄として認めてもらえることもあるというわけで、打たれ強いことは生きていく上で一つの武器となるのだ。フィールドでの武器は、学歴や知識だけではない。それよりはむしろ、心の持ちようがいつでも一番の武器となり防具になる。だから僕はいつでも、感謝の気持ちを忘れてはならないと思っている。大変で苦しくて逃げ出したいけれど、働く場を与えてもらっていることに感謝する。普通に食べることができ、雨風をしのいで暖かく寝る場所があり、体を清潔に保つことができ、気ままに行動することができる自由があることの有り難味を、いつでも意識的に実感している。
 日本は自殺者が年間三万人ほどで推移しているが、人はなぜ自殺をするのか。それは自分に絶望するからだ。言い換えれば希望を見出せなくなってしまうからである。もし自分がこの苦しい状況を投げ出し逃げてしまえば、希望を一切見出せない洞窟の中に閉じ込められることになる。それは今感じている苦しい状況よりはるかに陰鬱な、全く光の差し込まない穴倉に入り込むことと同じだ。そのことは、少し想像力を働かせれば容易に分かることである。そうなればなったできっと何かとかなるだろうなどと、お気楽に構えられたのはもう昔のことだ。僕には今、守らねばならない家族がある。これから年頃となり邪まな誘惑にさらされ悩みも多くなるベル。まだ知らないことだらけで、新しいことに対する数多い不安を乗り越えていかなければなければならないユリ。脳の形成に十分な栄養をとらなければならないダイチ。そして愛という栄養がなければたちまち元気を失ってしまうモナ。なんとも厄介で、しかしいつでも感謝の対象となる家族である。
 僕はこの家族と出会うことで、一時全く分からなくなった「愛とは何か」について、一つの結論を見出すことができた。愛には段階がある。最初のステップは、相手に対する発見とそこから得る驚きが、自分を恋する世界に導く。あっ、そのしぐさ可愛いとか、その考えはすばらしいとか、こんなに自分の好みに合致する人が身近に存在するなんて信じられないとか。すべては発見し心に何らかの刺激を受けるところから始まる。そしてそれをときめきとして感じるのだ。時にはときめきを感じる自分を発見し驚きを覚えることもある。もしくはそれに酔いながら、多くの夢を見る。この夢が厄介で、うまく叶うのか叶わないのか、それを考えるだけでそれが生死をかけた急流下りのようにスリリングだ。
 次のステップは充実感である。お互いに心と体をさらけ出す相手がいることは、人に安心感と充足感をもたらす。頼られることは、不明瞭になっていた自分の存在意義の輪郭を、明確に浮かび上がらせることになる。そこに生きている実感を得ながら、お互いに心の隙間を埋めることができるのだ。この間、自分の新しい世界が開けたような、達成感に似た喜びを感じ続けるのである。
 しかし発見や驚きは、一巡してしまえば干からび始める。そして新鮮味がなくなってくると、人間は勝手な生き物で飽きがくる。一緒にいることの喜びよりも、一緒にいることの煩わしさが目立つようになる。最初はまぶしく見えていた相手の良さよりも、粗の方が目につくようになってくる。そして別の新しい世界に足を踏み入れたい衝動に駆られる。要は足元が見えにくくなってくる。そこに大切なものがあってさえ、灯台下暗しという状態に陥りやすい。僕はこれまでこのようなサイクルを何度も経て、いつの間にか愛とは何か、よく分からなくなった。モナとの結婚を決意する際、一番心配したのは、自分がそのようなサイクルに再び入ってしまうことだったのかもしれない。愛を感じない相手と義務感だけで人生の責任を共有することは、恐怖感さえ覚えることである。鉄は熱いうち打てという言葉通り、燃え盛っている最中に結婚を決意し実行してしまえば余計な憂いもないだろうが、僕とモナのケースは少し違った。二人の間には紆余曲折があり、愛のエネルギーも下がったり上がったりを繰り返した。モナは、自分は違う、私は最初から終始一途だったと言うかもしれないが、細かいところを振り返れば僕と同じだったと思う。
 しかし、二人の生活が始まり時間がずいぶん経過してみると、それらは全くの杞憂に終わっている。二人の、この家族(生活)を大切にしたいという気持ちが強いせいもあるかもしれないが、ふたを開ければ僕のモナに対する愛の気持ちは、時間の経過と共により深みを増していることを実感する。そこに自分自身で不思議さを感じながら分析をしてみると、その気持ちの源泉は、ほとんどが感謝の気持ちなのである。自分の子供を生んでくれたこと、子供を大切に育ててくれていること、自分を体をいつも心配してくれること、いつでも会いたいと思ってくれること、何でも正直に話してくれること、美味しいものを作ってくれようと努力してくれること。性格上、僕はそれらに言葉や態度で感謝の気持ちを表明できないが、少し違う形でお返ししている。それは、僕が彼女たちの生活をいつでも最優先事項として捉えていることである。その生活とは、基本的な衣食住はもちろんだが、それ以外の充足も含まれる。つまり家族には、いつでも幸せを感じてもらえるように努めている。それがいくら粗末なものであっても、僕は自分のことより家族を優先しているのだ。それでもそこには、働き蟻が女王蟻にせっせと食べ物を運ぶだけで一生を終えるような悲壮感はない。僕は進んでそうしたいと願っている。なぜかと言えば、そこには紛れもない、感謝の気持ちに端を発した愛があるからである。
 なるほど、成熟した愛とは、感謝の気持ちが強く関わっていそうだということを、僕は身をもって知ることになった。そこで長年苦楽を共にした、一見潤いを失ったような夫婦の姿を想像してみると、同じようにそこには、じわりと染み渡ったような感謝の気持ちがしっかり介在していそうなことに気付く。お互い長年のお勤めに感謝し、支えあってきたことに感謝し、激流を経て大海に近い川を作る水が辿った軌跡のように、最後は静かだけれど大きく緩やかなものがそこに存在する。つまり感謝の気持ちの蓄積が、成熟したと愛の最終段階ではないだろうかと思えてくるのだ。そしてそこから生み出されるものは、普通の人が簡単に考えるより大きいようだ。緩やかでも大きくなった水の流れは、方向を変えるのも容易ではないし、そこに含まれるエネルギーは見かけによらず莫大であるのと同様、些細でも日頃の感謝の気持ちを忘れずじっくり蓄えていけば、それは大きなエネルギーとなり得るのである。
 現在海外の会社で外国人と仕事を共にしていると、実はくじけそうなことに多々遭遇する。ある日本人が、ここの人たちに接しているといつも踊ってしまうと言っていたが、つまりそれは、両手を挙げてひぇ〜と悲鳴をあげてしまうような出来事が日常茶飯事に発生することを意味している。何か問題にぶち当たると、怒りよりも驚き、無言、落ち込みが先に立つことが実際に多い。問題が大きく、その要因が余りに初歩的で人為的でやる気のなさにあったりするため、何をどう収拾してよいか途方にくれることが多いのである。僕もそのようなことはフィリピンで慣れているとつもりだったが、それでも逃げ出したくなることは何度もある。しかしそんな自分を辛うじて底から支えているのは、これまで述べてきた感謝の気持ちであり、そして家族への愛である。ここで言う自分の感謝の気持ちと愛は、溶鉱炉の中で溶けて交じり合う合金のように、どこかで強く結びついているように思える。そして、ここでくじけてしまえば家族の生活が危機に瀕する、今の普通に享受できている普通の生活にほころびが生じる、だから踏ん張るしかないと思えるのだ。それが今後、周囲の自分への評価に繋がるかどうかはまた別問題だと思っているが、結構しぶといと思われているだろうことは想像に難くない。年齢を重ね衰える気力を補うものとして、この感謝の気持ちは自分にとって非常に有用であると思い始めている。
 最後に、哲学的に言えば愛には三種類ある。一つ目は相手よりも自分を愛する恋・愛(憧れの愛であり一方的な愛、つまり自分自身を愛している。哲学の世界では純愛、プラトニックラブとも呼ばれる)、二つ目は相手を自分と同じように愛する友愛、そして三つ目は自分よりも相手を愛する無償愛である。家族愛とは三つ目のキリストが推奨する無償愛であり、自分を犠牲にしてでも貫く愛がこれにあたる。つまり僕の今感じている愛はおそらくこの無償愛であり、一番絆の強い愛ということになるようだ。では、よく愛していると口にするフィリピーナの愛とは何か。当然人それぞれで、基本的にキリスト教であるから無償愛がベースだと信じたいが、同一人物でも一つ目から三つ目の愛まで臨機応変に使い分けているように見える方も多くいるから、彼女たちは分かりにくいのだと僕は分析している。(本人たちはまったく気付いていないだろうが・・・)
 更なる愛のうんちくに関しては、プラトンの著書に譲りたい。
posted at 11:57
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:725.感謝と愛の念 
2014年02月15日

724.初のタイ・バンコク

 フィリピンからマレーシアに移動したかと思ったら、諸事情により僕はすぐ、タイに行くことになった。実はマニラ・マッタリバケーション1の記事は、タイのバンコクから発信したものである。
 初めてのタイは刺激的だった。(以前訪れたバンコクは、空港でのトランジットのみ)
 焼肉屋やラーメン屋をはじめとした日本食が目白押しであることに驚き、目を見張る美人の多さに驚き、治安の良さに驚き、タイ人の親切さに驚いた。
 もっとも夜の街に繰り出せば、することによっては危ない目に遭い、生き馬の目を抜くようなしたたかさに出会い、負傷兵にもたくさん出会えたのだろうが、残念ながらたった一泊の節約旅行では、健全にタイのよい部分だけを覗いて帰ってくるしかない。

 タイに行ったのは、前に持っていたマレーシアのワーキングパーミット(VISA)をキャンセルしたためで、そのVISAでマレーシアに入国していた僕はVISAをキャンセルした翌日、強制的にマレーシアを出る必要があったためだ。パスポートにも、たった一日の滞在猶予期間がしっかりスタンプされた。出国先は取り敢えずどこでもよかったが、それを旅費の安く済むバンコクにしたのである。
 VISAをキャンセルしたマレーシア・クアラルンプールのイミグレーションでは、キャンセル手続き時に、即出国する証として、マレーシア出国用の国際航空券を提出しなければならない。その空港券は往復が一緒に印刷されていたので、タイでたった一泊してマレーシアに再入国するのが一目瞭然だ。おそらくイミグレーションで、この点にクレームがつくだろうと思っていたが、全く予想通りだった。
「このチケット……、これは無理だよ。これは事実上のUターンでしょう。たった一泊で再び観光VISAでの入国は、まず入国イミグレーションで捕まる。なんでこんなことをする必要があるの」
 僕は自分の抱える事情、つまり、新しいワーキングパーミットを取り直すためということを、その背景を含め説明した。係官は難しい顔を作りしばらく無言になったあと、踏ん切りのつかない様子で言った。
「入国時にそれを説明して通ったらラッキーだけど、どうする? かなり難しいと思うけど、本当に今のVISAをキャンセルしていい?」
「はい、ラッキーに賭けます。キャンセル手続きを進めて下さい」
 僕は明るく元気にそう答えた。
 ついでに、では新しいワーキングパーミットを取り直す際は、実際はどうすればよいのかも訊いてみた。すると先ずは追加の申請をし、それが合格したら古いのをキャンセルし、新しいパーミットに移行すればよいそうだ。
 鼻の下に髭を蓄えた偉そうな係官は、上でどう判断されるか分からないけど、取り敢えず受け付けると言ってくれた。そして予定時間を大幅に超過したあと、キャンセルが実行されたパスポートが手元に戻った。こうして一つの問題がクリアしたのだ。
 もう一つの問題があった。僕はマレーシア発のタイ往復チケットを持っていたが、帰りは片道でVISAのないマレーシアに飛ぶことになる。通常これは、エアチケットカウンターで、マレーシア発のエアチケットがあるかを確認され、もし無ければ搭乗券を出せないと言われるケースだ。
 僕はこの問題を気にしながら、マレーシアのワーキングパーミットをキャンセルした翌日、タイ行きの飛行機に乗った。

 この旅行、そのような心配ごともあったが、さらに別の悲劇も重なった。
 実は昨年末にフィリピンに帰った際、僕の持つマレーシアのバンクカードでお金をおろそうとすると、カードが全く使用できなかった。しかし僕はマレーシアを出国する前に、そのカードで現金をおろし、付帯するVISAデビットも使えることを確認していたので、フィリピンからマレーシアのバンクに電話をした。すると電話で応対した女性が、国際カードではあるが、海外で使用するためにはアクティベーションしなければならないと言うのだ。
「そ、それは一体、どうやってやるんですか?」
「ATMで簡単にできますよ」
「ATMって、もしかしてマレーシアのATM?」
 フィリピンのATMでは最初から受け付けてくれないのだからそうなのだろうと思い僕が尋ねると、涼しい声で「イエス」と返事が返ってきた。僕は冷や汗モードで
「今フィリピンにいるんですけど……」と言うと、「電話でもできますよ」と軽く言われた。最初からそれを言えよと思いながら、結局電話で本人確認をしてアクティベーションすることはできたが、電話での手続きはテンポラリー(仮)なので、有効なのは一か月だけと言われた。よってマレーシアに戻ったらもう一度ATMでそれをやってくれと、その時に念を押されたのである。

 この話を思い出したのが、タイ行のチェックインを済ませ、マレーシアのイミグレーションを通過した後だったのがいけなかった。
「ここは国内か国外か? もしかして国外扱い?」
 僕は急にそのことが気になり、ようやく探し当てたATMで操作してみると、案の定、ATMでのアクティベーションができない。
 ここで、マレーシアのバンクカードを当てにできないことが確定した。しかし僕には、フィリピンのBPIカード(バンクカード)という強い味方がある。とりあえずそれでいこうと気を取り直したが、このカードも実は過去に、海外で使えなかったといういわくつきである。しかしこれは、その後直接バンクの窓口でクレームを入れ、「もう大丈夫。使えるようになっています」という力強い回答を窓口で直接もらっていたので、その後海外使用を試していなかったが、おそらく大丈夫だろうと思うことにした。そして、持っているマレーシアリンギットやフィリピンペソをタイバーツに両替することはできたが、たった一泊だから、両替する現金はぎりぎりに抑えておこうというケチな根性を出してしまった。いざとなればBPIカードで現地通貨をおろそうと。
 
 僕はお金に関して、こうした不安を抱えながらタイへと旅立った。
 さて、ホテル代+アルファはぎりぎりのタイバーツを現金で持っていったが、タイ現地会社の営業が気を利かせて手配してくれた空港へのお迎えホテルリムジンが予想以上に高くて驚いた。当然、チェックアウトをした後は突然お金が乏しくなった。
 マレーシアに戻る時間は、夜の七時過ぎである。ちょうど正午にホテルをチェックアウトした後は、たっぷりの時間と乏しいタイバーツが残った。最悪の組み合わせだ。
 時間つぶしをしようと思い、宿泊したホテルの斜め向かいにあったタイマッサージ屋さんに足を運んで料金を確認してみると、一時間二百四十バーツ(約七百五十円)と意外に安い。
「ちょっと待って」と僕は受付の前で、財布の中の札を勘定した。持ち金は四百四十バーツである。僕は思わず「あ〜、二時間お願いしたいけど、四十バーツ足りない」と言うと、お店はいとも簡単に、四十バーツ(約百二十円)をまけてくれた。
 そうなるとこちらも引っこみがつかず、僕はそこで、タイバーツの全財産を投げ打ってマッサージをお願いすることになった。僕はマッサージを受けながら、空港までのタクシー料金は、この後で頼りにしているBPIカードからおろさなければならないと考えていたが、いよいよ背水の陣で、やや心配である。どこかの両替所を探して、持っているマレーシアリンギットかフィリピンペソをタイバーツに変える手もあるが、市中の両替所ではそれらの紙幣を拒否されるとホテルで聞いていた。よって本来であれば、手持ちの四百四十バーツでタクシー、もしくは公共の乗り物を利用し、まずは空港へ行くのが正しい選択なのだろうが、空港に行ってしまえば何もかもが高く、持て余す時間、余計にお金を使う羽目になるのだ。
 お金のことで落ち着かない状況ではあったが、マッサージはとても気持ちがよく、いつの間にかそんな不安を忘れるくらい、うっとりする素晴らしいものだった。あまりに感動した僕は会計で全財産を支払ったあと、マッサージをしてくれたおばさんに「ちょっと待って、今お金をおろして、そこからチップを払いたいから」と言い、すぐ近くにあったATMに向かった。
 そこでいざお金をおろそうとすると、強い味方になるはずだったBPIカードが使えないのである。何度やってもATM画面に、「トランザクション不能」という悲しい文字が表示された。
「フィリピン人の嘘つきぃ〜」
 フィリピンの銀行員の言葉を信じた自分を、殺してやりたいくらい呪った。
 僕はATMの前で涙目になりながら、チップをあげるなんて余計な約束をしたことに、ひどく後悔した。
 それ以前に、空港までどうやっていく? という大問題も依然として抱えているので、財布の中をごそごそやってみると、一枚の日本の銀行カードが目に留まった。
 これがまたいわくつきのカードで、カード名義、つまり口座名義が他人のものである。ある方が偽名で日本に行った際、その偽名で作ったカードだ。これが国際カードになっているので、日本の僕のバンクカードが有効期限切れで使用不能になった際、インターネットバンキングでその偽名口座にお金を移し、海外のATMでお金を引きだす目的で借りているのである。名義が自分のものではなく、もしトラブルでカードがATMに食べられてしまえば誰にも救済できない危険なカードだから、できるだけ使用したくないカード(口座)であった。しかも使い方はそのような中継に限り、移したお金はその直後にほとんど全額引き出すので、そこにいくら残金があるのかさっぱり分からない(海外ATMでは、その口座の残高表示ができない)
 そのカードをATMに入れ、おそるおそる千五百バーツ(約四千五百円)を試してみると、残高不足と出てきた。残高が分かるのだから使えることは使えるが、肝心の金がないようだ。激しい動悸で締め付けられるような胸を押さえながら、次に千バーツ(三千円)を試してみると、今度は機械から、一枚の札がピロリと出てきた。値千金の千バーツ札である。
 僕はそれを握りしめ、マッサージ屋さんに戻って細かい紙幣に両替してもらい、おばさんに多めの二百バーツ(六百円)をチップとして渡した。このマッサージは、それだけ価値があったのだ。おばさんは、とても喜んでくれた。
 これで手持ち残金が八百バーツである。空港までのタクシー代は、それで間に合う予定だ。
 タクシーに乗る前、念のために空港までの料金をドライバーに確認すると、三百か四百か五百だと言われた。晩飯代も残りそうだと考えお願いすると、空港到着時にメーターは三百七十バーツとなり、そこで四百バーツを支払った。これで手持ちが四百バーツ(約千二百円)となった。ここまでくると、TVで企画された冒険旅行ゲームをしている気分になってくる。

 僕は昼食をとっていなかったので、その頃になると突然空腹感に襲われた。できるだけ安いレストランを探したが、空港はどこも高い。日本のラーメンは軽く三百バーツ(約九百円)オーバーである。ようやくあまり好きではないトムヤムヌードル二百二十バーツという店を見つけ、それにミネラルウォーターを付け、食後に二百五十バーツ(約七百五十円)を支払った。これで残りは百五十バーツ(四百五十円)のみだ。
 腹も膨らみ、いよいよ問題のチェックインだが、これは自動発券機を使えばいいのではと、最初からそのような作戦を考えていた。祈るような気持ちで自動チェックインマシンを探すと、やはりそれがあったのである。マシンならば、VISAがどうしたとか面倒なことは訊かれない。これで無事に、僕はマレーシア行の搭乗券をゲットした。
 僕はお金には無頓着だが、時間はいつも余裕を取る性質で、搭乗まで余裕の時間を残していた。遅い昼食は安いヌードルのみということもあり、待っている間に小腹が空いてきた。飛行機に乗れば食事は出るが、それまで我慢しきれず、どうにか百五十バーツ(四百五十円)で軽く食べることができないかと探してみると、サンドイッチ九十バーツ(二百七十円)を見つけた。それとコーヒー六十バーツで、ちょうど手持ちのバーツが終了である。出国手続き後なので、どこも無税だったのが嬉しかった。
 
 いよいよタイで無一文になり、その後はひたすら搭乗を待った。そしてようやく飛び立つと、機内で出た食事が再びサンドイッチであった。バンコクからペナンまで、飛行時間はほんの一時間二十分だから、考えてみればそんなものかもしれない。タイへ飛んだのはクアラルンプールからで、飛行時間が約二時間だったから、きちんとご飯の食事が出た。僕はてっきり、それと同じだと勝手に思い込んでいたのだ。取り敢えず腹に入るものが出ただけで、有難く思うことにした。
 到着後、いよいよ最後の難関、ペナンの入国イミグレーション通過である。当然質問や文句が寄せられるだろうと思い、僕は飛行機の中で説明や言い訳を、頭の中でたくさんシミュレーションしていた。しかし、ここは拍子抜けするほど何もなく通過。クアラルンプールのイミグレーション本部で散々脅かされたのは、一体何だったのだろうか。それとも僕は、本当に運が良かったのか。または、マレーシア人も単に嘘つきだったのか。
 南国系の人の話は、本当に当てにならない。注意事項などあまり気にせず、図太く構えた方が得であることも多いが、フィリピンのバンクカードのように、安心しているとやられることもありなかなか難しい。結局東南アジアは、でたとこ勝負でどうにでもできる会話力や、本当に危険なことを察知できる嗅覚、そして潤沢な金が、本来必要となる場所なのだろう。それさえあれば、マッタリできる南国は本当に居心地がよいのだ。

 さて、なぜ僕はワーキングパーミットを書き換える必要があったのか? それは海外事情に精通した方なら既にお気づきかもしれないが、僕はマレーシアの企業に再就職したのである。実はその経緯を説明する原稿を書いたが、内容が嫌らしい人間関係を露呈するものにも思えたので保留し、この原稿を書き直した。保留したそれは、気が向けば次回かその後か、公開するかもしれない。
 とにかく細かな問題含みではあるけれど、僕はマレーシアで新しい仕事を始めている。サラリーはまあまあ(日本と同じ)だが、つまり現地では特別な給与であり、その分しっかりこき使われて予想外に忙しい。しかし要求に応えなければすぐに干されるのも日本よりはるかにはっきりしている。給与が高ければそれは尚更で、ここは踏ん張りどころなのだ。
 一つの大きな問題は、新しいワーキングパーミットが発行されないと会社の給与が支払われないことで、僕は今年に入ってから三月末まで無給になりそうなことだ。どうやら今月末は、間に合わないことが濃厚になってきた。もちろん現在働いている分は、三月末の給与に上乗せすることになっている。
 さて、当面のフィリピンやここでの生活をどうするか、これも色々と悩ましい問題だったが、満期になっている子供の学資保険から借り入れできることがはっきりし、無事に解決した。それでもしばらく物入りが続き、落ち着くまでは少し時間がかかりそうである。
 相変わらず、次々とできる傷口に絆創膏を貼り応急処置をするような生活だが、当面の生活費を確保できたので、張り合いが出てきた。
 先に希望さえ見えていれば、人は苦難に耐えられるようにできているようだ。仮に希望が見えていなければ、希望を探すことが大切なのかもしれない。


 
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posted at 15:03
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:724.初のタイ・バンコク

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