フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年12月01日

393.午後の宴

一昨日伝票処理をさぼったおかげで、昨日は早朝から朝食抜きでそれらの処理を済ませ、10時半頃から来客に備えて料理に取り掛かった。
12時丁度の料理完成と共に、同じビコールに住むSさんが、家族を伴って我が家に到着した。
これまで色々とお世話になり交友を深めたSさんであったが、彼は僕が日本へ出張中に家の前まで来たことがあるだけで、家の中を見たわけではなく、娘のベルやユリともまだ会ったことはなかった。よって2度目の我が家訪問であるが、初めての公式訪問のようなものであった。

Sさんの訪問はもちろん僕も楽しみにしていたが、なぜかダディーがとても心待ちにしていた。
ダディーはSさんが我が家にちょっとだけ寄り途をした際、初対面を済ませていた。その時の短い会話で、ダディーはSさんのことをとても気に入っていたようだ。
話の順番が前後するが、Sさんが我が家を辞去した直後、ダディーは、「次にSさんが来るのはいつか」などと、今去ったばかりの人のことを言い、まるで恋人を慕っているようだった。

恒例のメニュー紹介だが、昨日の料理は、マーボーなす、肉ジャガ、フィレオフィッシュタルタルソース添え、豚肉の冷しゃぶサラダ、砂肝串焼き、海ブドウ。
味見をする時間がなかったので料理の出来が少々心配だったが、自分で食べてもまあまあ美味しかったので、SさんやSさんの奥さんが美味しいと言ってくれたのは、まんざらお世辞や社交辞令だけではないかもしれないと、少しばかり安心した。
食後はモナ手作りのブルーベリーチーズケーキに、僕が日本から持ち込んだお気に入りのコーヒーを濃く淹れてデザートタイム。
誰が来ても、もてなしの心で来客の準備をすることを心掛けているつもりだが、Sさんにはさんざんお世話になっており、その感謝の気持ちを込めて準備にあたった。

昨日は、フィリピンの祝日だったそうだ。
日本では多くの方が普通に仕事をしている最中、僕たちは食前にビールを飲み、食後はテラスでワインをあけ、更にブランディーなどを飲みながら、午後の時間を目いっぱい会話に花を咲かせ楽しんでいたのである。
そんな言い方をしてしまうと、何ともお気楽で羨ましいと言われそうだが、実際に昨日は最初から仕事を放り投げ、お気楽気分を味あわせてもらうつもりでいた。
日本から帰ってきたばかりでこの解放感に浸っていたら、僕の体と心は、翌日からの社会復帰を拒否したくなるほどとろけ出していた。

Sさんは、僕がこれまで見たこともないような鯛そっくりの大きな魚(実は鯛?)と、新鮮なイカをたくさん持ってきてくれた。
ダディーがそのイカを手早く4種類の味付けで調理してくれ、午後は美味しいイカづくしを酒のつまみに会話が進行した。もちろんダディーやママも輪の中に加わり、会話はタガログ中心である。僕にも何の事を話しているかくらいは分かる。

ダディーがSさんと一緒に話をするのが好きなのはいろいろと理由があるらしいが、何度も聞いたのはSさんの話が面白いということだった。
Sさんがちょっと何かを話すと、一同に笑いが起こる。ベルやアンまで笑っているから、面白いジョークを連発しているのだろうが、タガログに不案内な僕には、残念ながらそれが分からない。
ダディーは最初から、日本人であるSさんが、まるでフィリピン人のようにタガログを操ることに圧倒されていたようだ。最初はあまりの驚きに、口をポカンと開け、Sさんの話しにただただ頷くことが多かったようだ。
それを傍らで見ていたモナが、その光景が大層面白かったと笑いながら教えてくれていた。

それだけ現地語が話せると、人の心を掴むのが早い。実際にダディーはすぐに、Sさんの話術の虜になってしまった。ダディーはSさんを、とてもスマート(賢い)な人だと繰り返す。ベルやアンも、Sさんにはすぐに安心してうちとけた。羨ましい限りだ。
そんな光景を見ながら、ダディーやママやベルとのコミュニケーションを密にするためは、やはりタガログを覚えるしかないと、とうとう僕も観念した。
これまで僕は、言葉は自然と身につくだろうと高をくくっていたが、さっぱり身につかない。よって今朝、タガログ学習計画を作ることに決めた。積極的に計画的に学ぶことにすることにする。先生は身の回りに大勢いるのだから、学習環境はばっちりのはずだ。

Sさんが連れてきた男のお子さんは、我が家の子供たちとすぐに馴染んで一緒に遊んでいた。
モナとSさんの奥さんは途中から席を外し、二人で何やら話していたり、また僕らの輪の中へ戻ってきたりと、リラックスして我が家を楽しんでくれているようだった。
お客に気楽に振る舞ってもらうのが、僕はとても嬉しい。堅苦しくて疲れるところになど、中々足が向かないと思うからである。

弾んだ会話の中で、ダディーは酔った勢いで「ベルの父親がモナと結婚してくれなくて、本当に良かった」とSさんに話したらしい。
ダディーが今の生活に満足してくれているのは嬉しいが、それがストレートに、モナが僕と結婚して良かったという意味かどうかはわからない。
もしモナが僕と出会う前にベルの父親と結婚していたなら、きっと今住んでいる家は無かったはずだ。そしてモナやベルはその彼と、タバコではない別の場所で今の家族とは別に暮らしていた可能性が高い。
そんな生活よりも、今の生活が絶対に良かったという意味が強いのだろう。

そしてこの言葉は、僕にとっては複雑であった。
モナの性格を良く知る僕は、モナが軽率に、当時その彼と愛し合ったとは思っていない。
ひたむきに真剣にベルの父親を愛し、すべてをかけていたはずで、そのこと自体を否定することに繋がる言動は、僕には憚られた。当時のモナが受けた心の傷を考えれば、尚更である。僕が一言だけ述べるとすれば、「モナも若かったのでしょう」ということだけだ。

もっともダディーも、悪気があってそのようなことを言ったのではないことくらい、僕にも分かっている。
酔ったついでに、いろいろな話が飛び出しているようだった。先ほどのモナの話しと同様、普段僕が聞くことのない話しが多く出て、とても興味深かった。
酔い気味のSさんは、僕がこんなに良いファミリーに恵まれ、「良かった、良かった」を連発していた。

僕がタバコの我が家で、同じビコールに住む日本人をこのように迎え入れることがあるなど、夢にも思わなかった。ここで日本人を見かけることなど滅多にないからだ。
まして、こうして家族ぐるみで付き合える日本人など皆無に等しい。僕にとってSさんは、とても理想的な友人だ。

Sさんが良くおっしゃるが、フィリピンに住んでいる日本人は怪しい人も多い。付き合う人は選ばなければならないという意味だが、それは僕も心得ているつもりである。
常に人を観察するママも、僕やモナがSさん御家族と付き合うことに、安心しているようである。
本当に些細なことがきっかけでお知り合いになったSさんだが、これが後々、フィリピンで暮らす自分にとってとても重要な意味を持つような予感さえしている。
日本でも多くの方とお会いしたが、こうして良い方々とのご縁に恵まれる僕は本当に幸せ者だと、最近つくづく感じるのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:393.午後の宴
2011年11月30日

392.突然の豪雨

ビコール2日目、タバコシティーは青空に雲が点在し、涼しい風が吹く過ごし易い天気だと思っていたら、突然強風と共に大雨が窓や壁にぶつかり、ザザザーっと大きな音を響かせた。パソコンが濡れてはかなないと、慌てて窓を閉めた。
月末なので、日本サイドへの請求書を何枚も起こさねばならず、それはこちらの会社経営にとって大変重要なものだが、それすら気合が入らずにほったらかしで、ベッドの上でユリとじゃれ合っている最中の出来事だった。
そのような急激な天気の移り変わりさえ、ここにいると長閑さの証拠のような気がしてくる。

約1か月間、日本のせわしない空気の中で揉まれ、翻弄され、あっという間に時間は過ぎてしまったが、このフィリピンの田舎では、毎日同じことの繰り返しを積み上げるように、時が過ぎていたのだろう。
そんなことを考えていたら、来る日も来る日の同じ生活を続けフィリピンで待つ身と、日本でいつも何かに追われて動かされている身では、時間の流れ方に対する感じ方に大きな相違があるかもしれないことに気付いた。
僕の感じた1か月と、モナの感じた1か月は、果たして同じだったのだろうか。
そんなことはこれまで一度たりとも考えることがなかったが、これは意外と重要なことかもしれない。

そして、これほど生活の変化が少ないフィリピン、特に田舎町では、何も変わらないことがまともな精神活動に影響を及ぼすかもしれないなどということに考えが及ぶ。
だからフィリピンでは、事件が起これば、問題だと言いながらもそれを歓迎しているような節もあったりする。
それゆえ現地の人々が、イベントに命でもかけるかのように一生懸命になることが、わかるような気がしてくる。

人間は忙しすぎるのも大変だが、することがない暇を持て余すのも耐え難い苦痛だ。
暇を解消する手段がなければ、それは一種の精神的圧迫となる。
この「暇」を「日常」と置き換えても、程度の差こそあれ、似たような状況になる場合がある。日常に退屈を感じることは、よくあることである。
だから常に人は、無意識に何かしらの環境変化を求めている。もしくは変化を意識的に求め出すと、変化が訪れなければこれも苦痛に感じる。
それは、どんな変化でも、何かが変われば自分が救われると思っている面があるからだ。しかし実際には、変化によって救われることもあれば何も変わらない場合もある。当然穴底に落ちてしまう場合だってある。

フィリピンの田舎の時間がゆったりと感じるのは、この変化が少ないからだろう。
来る日も来る日も、まるで同じ生活、出来事、光景が続く。
町の中に新しいモールが出来たとしても、物珍しいのは1か月かそこらで、そのモールがあることがあっという間に日常になる。
日常的な事が日常として続くことは、実は平和なことだが、人間はそれが平和であることを忘れ退屈に感じてしまう。よく田舎は退屈だと言って、敢えて厳しい都会に出ていく若者がそれである。
だから僕は、日常を継続することの大切さを良く知っている人に出会うと、思わず尊敬してしまう。

我が家ではママがそうだ。
お金があっても決して贅沢をせず、日常を維持するためにそれを寄せる。毎日決まったことをきちんとこなし、家族のみんなが浮足立っていないかを良く見ている。
僕がフィリピンに来た当初、ママのそのような生活スタイルに、やや驚きを感じた。
日本人の僕には、狭い家で、毎日朝から晩まで家事をこなし、これといった楽しみを持たず、何のために生きているのだろうと感じられたのである。

しばらくして、僕とママには、人生に対する価値観の相違があるような気がしてきた。
しかしよくよく見れば、僕とママというより、それは日本人とフィリピン人と置き換えてもいいような気がしてきた。
フィリピン人は贅沢を知らない分、家族が健康で、お互いの笑顔を見ることができる生活を継続することの大切さを、とてもよく知っていると思うようになってきたのである。

日本人も僕の祖父母の時代には、そのような慎ましやかな感性を持っていたと思われる。両親も似たようなものであるが、僕の世代に入ると、急激に様々な価値観の変化が起こったように感じる。
社会でのステータスを求め、少しでも上へ昇りたいと頑張り、何でも望みの叶う生活を手に入れることが幸せだと思うようになった。
僕は決してそれを否定はしないが、そのような価値観が体にこびりつくと、それが叶わない時には、自分を不幸だと思うようになってしまうのである。
日本は今、経済規模が大きくなってしまったが、その規模に見合った経済の伸びが期待できなくなっている。おそらくそれが、日本で大勢の不幸者を生みだしているようにも思える。
それは、自ら幸せという定義上のハードルを上げてしまったからでもある。
そんな社会からはみ出した自分だから、フィリピンの質素な価値観に触れると、驚きを感じ、忘れかけていたものを思い出させてもらい、救われる。

しかし、そのような価値観を持つ国だから、それほど頑張らなくても良いと考えれば足元をすくわれることも事実だ。フィリピンの社会は、日本以上にまともに生き延びるのは厳しい。アウトローの世界も蔓延している。
無収入になってしまえば、日本のような生活保護もなく、極端に言えば屋外で物貰いをしなければならない。一旦地に落ちると、そこから這い上がるのはほとんど無理だ。
だからフィリピンの親は、子供の教育に大変熱心である。そこには、子供を何としてでも立派に自立させたいという強い願望が見える。
慎ましやかな生活を継続しながらも、子供の教育にはできる最大限の範囲で努力する。
そのバランスが、今のフィリピンで生きる人には必要なのかもしれない。

こうしてフィリピンのゆったりとした空気が、時間をかけて少しずつ変わっていくのだろうが、僕はきっとそれを、この目で見ていくことになるのだろう。
死ぬ間際、過去を振り返ってみた時に、僕はこのフィリピンをどう感じているのだろうか。
そして自分の人生を、良かったと感じているだろうか。
おそらくその答えは、これからの自分にかかっているだろうことをぼんやりと思いながら、突然の豪雨を眺めていた。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:392.突然の豪雨
2011年11月29日

391.空港でのトラブル

日本からマニラへの移動は、11月27日の日曜日だった。
最初はフライトを26日の土曜日に予定していたが、モナが土曜日はベルの塾があり都合が悪い(遠方のために、送り届けて塾が終わるまで待っている必要がある)ということで、再び予定を変更した結果である。
塾など1日くらい休ませれば良いと言ったが、まだ通い始めなので、そのような訳にはいかないらしい。教育ママゴンのモナにとって、ベルの塾は極めて大切なのである。

僕も金曜日が忙しく、フィリピンに帰る準備をする時間が足りなくなったので、結局フライトを日曜日にして正解だった。
土曜日はフィリピンブログ関係の大宴会が予定され、そちらへのお誘いもあったが、当初土曜日のフライトを予定していたのでお断りさせて頂き、フライトが日曜日になった時点でどうするか迷ったが、重量超過気味の荷物整理があり、また仕事関係の買い物も残っていたので、大宴会は失礼させてもらった。
大宴会の様子をブログで拝見し、フィリピーナ奥さまたちが束になった時のパワーを、やはり一度この目に見ておくべきだったか・・・という後悔もあったけれど、荷物の整理がついたのが土曜日の夜10時頃だったことを考えれば、所詮参加するのは無理があったようである。

フィリピンエアラインでマニラへ到着した直後、空港でちょっとしたトラブルがあった。
入国カードの職業欄に僕はいつもoffice clerk(事務員)と書くのに、今回はたまたまengineer(エンジニア)と書いたところそれが税関の目にとまり、「部品や何かのサンプルなどを持っていないか?」と訊かれた。
本当はフィリピンに持ち込んだ仕事で使用する、ちょっと厄介な基板(FPGAというデバイスが載っている高集積基板。ココム違反にはならないが、本当は非該当証明が必要)を持っていたが、シラッと「ナッシング」と答えたところ、根が正直者の僕の顔に不安の色が浮かんだのか係官はニヤニヤして、「本当か?」と念を押してくる。
とにかく鞄を開けろと言われ、これは形勢不利だと思いながらもできるだけ平静を装った振りをして鞄をあけた。
基板関係は一つの箱にまとめ、スーツケースの中に入れておいたが、係官がその箱を見つけるとますますニヤニヤして、「あ〜、これはなんだ?」と言う。
「工具や仕事で使うものだ」
実際に工具類も入っている・・・が、肝心の基板がそこに入っている。一番見つかってはならないものは、箱の底に隠している動作確認用でお客さんから預かった製品基板。これは説明できないし、しかも取られるとまずい。

係官がカッターナイフでボックスのテープを綺麗にカットし箱をあけると、一番上に僕が使用する基板がどんと見えた。
「これは何だ?」
「プログラムを作るための基板だ」
「いくらだ?」
「オフィスに転がっていたものなので分からない」
「TAXを払う必要がある」
「なんで?これはノーコマーシャルだ、単に僕の仕事用ツールだ、僕はこのツールを、来月再び日本へ持ち帰る」
「1000ペソ、1000ペソ」

ん?こちらは強気を貫くために、少々強気の喧嘩口調でやり取りしていたが、とうとう彼は本音の1000ペソ賄賂を要求してきたのである。
「あなたのボスをここへ呼べ。あなたの要求する1000ペソが正しい金額か確かめる必要がある」

彼も相当の曲者で、そう言われても顔色一つ変えない・・・が、僕から賄賂を取れないことを悟ったらしい。
「このツールを日本へ持ち帰るのは確かか?いつ?」
「来年の中旬だ」
「オーケー、わかった、もう行っていいよ」
僕の飛行機は、予定より30分早くマニラへ到着したが、その30分がこのやり取りで帳消しになった。
実は翌日も、僕は空港でかなり厄介なトラブルに遭うことになる。

モナを別ターミナルで拾い、ホテルにチェックイン。今回はパンパシフィックホテルだった。ダイヤモンドホテルと違い、チェックイン手続きがとても早い。そのようなものも含め、このホテルのサービスはどの国でも一流の部類だ。
モナは部屋に入ると、そそくさと着替えをして、一人で買い物に出かけた。
僕が一緒だとゆっくり品定めをできないから一人が良いらしく、僕も部屋でゆっくりできた方が良いので、お互い別行動の方が都合良い。

しばらくして、その日ディナーを共にする日本人のKさんが、若くてスレンダーな体型の綺麗な奥さんを伴ってホテルにやってきた。
奥さんは初めてお会いする方だったが、部屋に招き入れてコーヒーを飲みながら話をしてみいると、以前日本の僕の行動範囲の中にあるPPでタレントをしていた彼女と、共通の知人が数名いることが分かった。

モナが約束の時間通りにホテルへ帰り、いざ焼き肉を食べに行こうと下へ降りると、今度は思いがけない知人に出会った。
モナが横浜で働いていた時の同僚フィリピーナで、お互い驚き合った。僕は最初、誰なのか分からなかったが、名前を言われしばらくしてから、ようやく記憶が蘇ってきた。
日本で働く前はフィリピンで小学校の先生をやっていた彼女は、今日本人男性と結婚をしながらもまだ日本の同じ店で働いており、1年に2回フィリピンに帰ってくるらしい。その珍しい機会に偶然出会ったということで、相変わらず世間の狭さを痛感した。

その日は当ブログに時折コメントを頂くGuapoさんも、お客さんと一緒に同ホテル内のレストランで食事をする予定になっていたらしく、その界隈でそれらしい人を見かけたらサインを送るというコメントを頂いていたので、あちこちの日本人・フィリピーナカップルにサインを送り、奇怪な人だと白い目を向けられないことを祈っていたが、偶然に出会うことでもあれば、それもまた面白いだろうなぁなどと思っていた。
焼き肉懇談会を楽しく終了した僕たちは、ホテルのレストランがある下の階で、食後のコーヒーを飲みながらまったりしていたが、結局Guapoさんらしき人を見かけることはなかった・・・残念。一応周辺を歩いている日本人を、よく見張っていたつもりだったのだが・・。
しかしこうしてみると、フィリピンにいる日本人や日本に関係するフィリピン人が集まる場所というのは意外に限定されていて、実際に世間が狭いのではないかだろうかと考えてしまう。

さて、翌日いよいよビコールへ帰る段になり、マニラの空港でまたまたトラブルが発生した。
機内持ち込み荷物に、日本の100円ショップで買ったガムテープ4個が入っていたのだが、それが荷物検査で引っ掛かり没収と言われてしまった。
金額は大きくないが、ただでさえ荷物の入れ方を何度もやり直し、やっとの思いで持ってきた品だっただけに少し悔しく、「何でも簡単に没収するというけれど、そう言うからには持ち込み禁止物リストがあるはずだから、それを見せてくれないと納得できない」と言った。
フィリピンの空港は、他の国では問題ない品を簡単に取り上げる。取り上げた品物をみんなで山分けしているのではないかと疑いたくなる所業に、こちらもちょっと反抗してみたくなったのだ。
最初は空港警備の係員だったが、そう言われて相手がポリスに変わった。

ところがポリスが必死にリストをひっくり返して探すのだが、たくさん載っている品目リストの中にガムテープが出てこない。別のファイルを持って来させ、それを探してもやはり見当たらない。
こちらはボーディングタイムが迫ってきているので、苛立ちを隠さずに「時間がない、早く証拠を見せろ」と言うと、警官も意地になって何度もファイルの中を行ったり来たりして探している。
ガムテープは、ハイジャックの際に邪魔な人間の手足の自由を奪うことに使用できるから、持ち込み禁止と言われたらそうかもしれないと僕も思っているのだが、正式なリストに載っていないのに思い込みや思い付きで言われてはこちらも困る。実際に他の空港では、ガムテープはす通りということも珍しくない。
僕は、「ほらみろ、リストには無いじゃないか」という言葉を、ようやく飲み込んだ。

こちらが焚きつけたこともあり、警官はかなり苛立って意地になっている。
4個あるうち、彼がファイルをめくっている間に2個のガムテープは鞄の奥へと隠し、2個のガムテープを差し出しながら、「もうガムテープは諦めてここに置いていく」と言えば、警官は嫌がらせに、「お前は納得していないから、ちょっと待て、ボーディングはホールドだ」などと言ってくる。
「このまま本当に飛行機に乗れなかったら、問題にするぞ」と言うと、ボーディングタイムまで10分を切るころ、証拠を事務所に探しに行くようなことをにおわせ、ただし「待っていろ」などとは明言せずに、その警官は別の場所へと移動していった。

その間に勝手に逃げたことになれば、事はおおごとになる可能性もあるので、近くの警官にボーディングタイムだから警告されたガムテープをここに置いていくと告げ、2個のガムテープを預けてゲートへと急いだ。
そしてゲートへ到着する間際、ファイナルコールがアナウンスされ、ぎりぎりで飛行機へ乗り込んだ。
おそらく対応した警官も後に引けない状態になっていたのだろうが、本当に問題にされても困るので意地を通しながら逃げたのだろう。
こちらの被害はガムテープ2個とランチタイムが無くなったことだ。
飛行機の中で軽い食事を買って食べた。

このようなところで意地を張るのが損なことは分かっているが、日本人だからと甘く見られるのは悔しいのである。
日本人でも、主張すべきことを主張し、きちんとした対応をしなければまずいという印象を、少しでも植え付けてやりたかった。
先の税関担当者は明らかに賄賂目的であったが、手荷物検査場の警官は、それを全く感じさせなかった。どちらかと言えば真面目なタイプであったが、プライドを傷つけられたのだろう。それはこちらの反省点である。こちらももっと建設的な態度で臨むべきだった。
明らかに反抗的な態度は、事態を悪化させることを、自分のことは棚にあげて読者には言っておきたい。

このようなトラブルを回避し、ようやく自宅へ到着すると、久しぶりに会ったユリはこちらを少し警戒しているようだった。
それは子供によくあることで仕方ないと思っていたが、30分も経たず、今度はユリが僕から離れない。タバコを吸うためにちょっとベランダへ出ただけで、探しにやってきて、こっちへ来てと手を引っ張ってくる。お絵描きを付き合わされると、いつまでも解放してくれない。
可愛いのだが、これは大変だと思い始めていた頃にモナは、「そうなると大変でしょう、でもマミィーって言わないから、こっちは楽だ」などと言っている。
ちょっと複雑な気分だったが、それでも我が家は落ち着ける場所に変わりない。
すぐにマレーシアに行かねばならないから、つかの間の平和を満喫しなければ・・。


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カテゴリー:フィリピン生活
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