フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年11月07日

384.フィリピン化

ブログの更新を、かなりさぼってしまった。
メールや電話で、「生きているか?」と心配して下さる連絡をいくつか頂き、感謝感激だった。
更新をさぼっていたのは、仕事、プライベートで少し忙しかったためだが、一番の理由は日本の生活に心が病んで、ブログ記事を書く気が起きなかったからである。
心が病んでいた原因は、仕事のプレッシャーだと思っていたが、先週の木曜日にそれが完了してからも、数日書ける状態にならなかった。
書けないだけではなく、本を読むのも煩わしく、購入してホテルの部屋のテーブルに積み上がった本にほとんど手がついていない。
どうやら身も心もフィリピン人になりつつある僕は、日本の生活に順応できない状態になっているようだ。
特に日本人の考え方で、自分の肌には合わないと感じることがある。もっともそれは、フィリピンに住む前から感じていたことも多くあるのだが・・。

日本人の僕が、できるだけ早くフィリピンに帰りたいと思っている時に、先日フィリピン人に、フィリピンには帰りたいけれど、決して住みたくはないと強く言われ面食らった。
「おいおい、フィリピンに住んでいる日本人に、そんなこと言うなよ」と思いながら、なぜかと訊いてみた。
理由を尋ねたのは覚えているが、それに対する回答をなぜか明確に覚えていない。
おそらく印象に残っている次のやり取りが、回答だったのだろう。

「フィリピンの水道水、井戸水は危ない。色だってブラウンだからさ。沸騰させても飲んだら死ぬよ」
「我が家の水道水は透明だけどなぁ、僕はいつも水道水をコーヒーに使って飲んでるけど、ピンピンしてるよ。遅効性か?」
「フィリピンの水でシャワーすると、2週間でお肌が真っ黒になる。何か変だよ」
「それって水のせいなの?僕も黒くなっているけど、今回みんなに血色がいいって言われてる」
「1週間の予定でフィリピンに帰っても、3日目くらいに、何で3日の予定で飛行機予約しなかったかっていつも後悔するよ。お金もどんどん無くなるし、何もすることがない」
「お金が無くなるのは嫌だけど、僕はいつも何かに追われている生活より、のんびりした生活に早く戻りたい」
「成田空港につくと、いつもアップルの匂いがする。そういえば、日本にいると、いつも体がいい匂いするって言われるよ、パヒューム何も使ってないのに・・・、服がいい匂いだからかなぁ、フィリピンは臭いでしょ」
「マニラのエアポートは外国の匂いがするから好きだけどなぁ・・、フィリピンの石鹸は日本の石鹸よりずっといい匂いすると思うけど・・」
「でも何入ってるか分からないでしょ。日本は検査が厳しいから、何でも安全・安心」
「今日本は、放射能問題あるけど・・・」
「・・・・・、初めて日本の車に乗った時、あまりに静かでびっくりした。ロード(道路)が綺麗だから?フィリピンの道路は穴だらけ振動がすごいでしょ」
「そうそう、長距離ドライブでも眠くならなくていいね」

楽しく会話しているのだが、会話の内容はさりげなく平行線。
住むのは日本と思っている人と、フィリピンと思っている人の違いか?
ただし僕は、決して他人にフィリピン移住を簡単に勧めない。それなりに大変なことは、山ほどある。
だから、隣の芝生は青いと言うが、それだけではなく、確かに日本に住み続けたいと思うフィリピン人の言っていることはよく分かる。

僕も今回、久しぶりに日本に帰り、日本はすごいと思った。
電車が過密と思えるほどの間隔で走っていて、しかも運行時間が正確だから分刻みの行動ができる。電車改札はカード(パスモ等)でスルー(僕はいつも切符で肩身の狭い思いをしている)。バスの乗車賃も共通カードが使用できる。コンビニで何でも買える。どこで何を食べても美味しい。ホテルも飲食店も、どこでもサービス精神満載。夜中に一人で出歩いても金品や命を奪われる配なし。街が綺麗。道路がフラット。どこでも外灯がある。電柱に監視カメラまでついている。街の作りが立体的(2階が駅前広場だったり、ビルとビルが連絡通路で繋がっている)。

とにかくきめ細かい。きめ細かすぎて、時にそれが鼻につく。つまり、ここまでする必要性があるのかと思ってしまうこともある。
きめ細かいことは便利で良い事だが、それだけコストがかかる。そのコストを負担しているのが実は国民だということを、みんなが理解しているのだろうかと思ってしまう。
経済を回すために、無理をしなければならない循環に入っているようにも思える。

まだ税金とは無縁の年端もいかない若者が、電車でも道路でも、どこでもその便利さを当り前のように享受している。そのようにして彼らは、今のサービスが当たり前と思い、サービスの質や内容の低下に耐えられない人種になっている。
若者だけではなく、その親たちも、概ね同じような感覚になっている。
直接サービス料金を取られたら、もっと真剣に考え、サービスも取捨選択すべきだなどと言いそうだが、コストがかかるサービスと、自分たちが納めている税金や料金とが、おそらく頭の中で結びついていない。
それは仕事でも同じことが言える。サービスを良くするにはコストがかかる。客にサービスのコストを負担できますかと訊けばノーと言うが、サービスだけはしっかりと要求される。
それが当たり前の感覚になっているから、そこでみんながしのぎを削って競争しているが、その中に巻き込まれると悲惨なほど疲れる。

中には、「いつもセコセコ動いていないと安心できない病」にかかっているのではないかと思えてしまう事例が、いくつもある。それに何の意味がある?というやつだ。
フィリピンではその間逆のパターンに遭遇して腹を立てているから、日本のような行き過ぎと、フィリピンのようないかな過ぎ(?)の双方で行ったり来たりしていると、僕もやや混乱し、どちらがいいのか分からなくなってくるが、とにかくサービスを提供する側に立つと、日本の方が圧倒的に疲れるのは間違いない。

それゆえに、日本には心が病んでいる人は多いのではないか。
先日は、ある駅の中にあるコンビニのような店で、店員と客が大ゲンカをしていた。
警官が来てとりあえず喧嘩の仲裁をしていたが、双方引かず、「お前が先に手を出した」と店員が言えば、スーツを着たサラリーマン風の客は「手なんて出してねぇよ」とべらんめぇ調口調で応えていた。サラリーマンの仲間は店員に、「まあまあ、あなたは一応店員なのだから、ここは押さえて」などと、訳の分からないことを言っていた。店員だろうが何だろうが、人間の尊厳を傷つけられたら普通は怒る。押さえる理由が「店員だから」というのは、火に油を注いでいる風にも聞こえなくは無い。
サラリーマン風の男は、「お前の人生、終わらせてやる」と、これまた思い上がったことを言い、とうとう二人とも交番に連行されてしまった。
何がきっかけでそうなったのかは知らないが、お二人とも相当疲れて病んでいるのかと、その雰囲気から察せられた。

これがフィリピンであれば、店員が横柄でも、手際が悪くて時間がかかっても、フィリピン人のお客は文句の一つも言わずにじっと待つ。
かといって、対応が悪いことに対して不満を持っていないわけではない。その場を離れれば、それに対して愚痴のような文句が出るから、なんとも悠長な民族だと感心している僕はその時に、「あれ?」と意表をつかれた思いになる。
「だったら店員に文句を言えばいいのに・・」と思うが、フィリピン人はまだ、妥協できる余地を残しているのだろう。ある意味それは、心のゆとりだと僕は解釈している。
ただし、酒の席で友人・知人と口論などになれば、簡単に刃物でプスッとやるらしいので、普段の我慢強さとその辺りとのギャップは、今のところ分析不能だ(汗)。

それにしても、日本を少し離れただけで、随分と色々なものが見えてくる。
自分は少し、物ごとに対する捉え方や考え方が変わってきているようだ。
これを昨日電話で1時間ほど懇談した、当ブログの読者であるジェンさんに言わせれば、「フィリピン化が確実に進んでいる、、、大丈夫か?」という話しになるが、僕としてもどうせフィリピンに住むなら、本当にそうなった方が楽で良いと思っている。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:384.フィリピン化
2011年11月06日

383.曖昧な感性

久しぶりに帰った日本に、綺麗な女性が増えていた。
フィリピンに住むSさんにそれを報告し、いやいやそんなはずはないと言われたので、証拠写真を撮ってフィリピンに持ち帰ると約束した。
Sさんは自分の娘さんたちにその話を伝え、彼女たちも日本の若い女性のファッションに興味があるから、是非写真を見たいという話しになった。

そのような経緯から僕は、シャッターチャンスをどのような場所で、どのようなタイミングで得ることができるか、どのような女性をカメラに収めるべきか、いつもそればかり考え、すれ違う女性と自分の周囲を常に観察しながら街中を歩くようになっていた。
既にこの時点で、僕はかなり挙動不審者に見えた可能性があった。
仮に警官に職務質問をされれば、「フィリピン暮らしで国内住所不定」などと怪しさ満点の返答しかできないのだから、そのまま交番に引っ張られてしまう可能性も十分あったが、それに反して、ここは意地でもたくさんの美人の写真を携帯に納めなければならないと、気合だけは十分だった。

最初は、警察の御厄介になる可能性を念頭に置き、遠方から上手に不特定多数の女性の写真を撮る作戦を考え、撮影スポットに目星をつけた。
しかし、日が経つに連れ、肝心の美人さんに出会えなくなってきた。
おかしい・・・、変だ。
今宿泊しているホテルのすぐ近くのコンビニのレジアルバイト女性など、最初はかなりハッとしたが、今では少し上等くらいに思う程度で、次第にありきたりな女性に見えてきた。
最近は、バスの中で運転席近くの椅子を陣取り周囲を見渡しても、たくさんいたはずの素敵な女性が、失礼ながら一人も見当たらない。時折見かけるスタイルの良い女性は昨日もいつもと変わらぬ席に座っていたが、先週ほど輝いていない・・、というか、どちらかと言えばくすんで見える始末である。

そんなことに狼狽したのはつかの間で、周囲に素敵な女性が減ったのではなく、自分の感性に劇的な変化が起こったことくらい、僕自身とっくにお見通しだった。
それでもこれには困った。Sさんの娘さんにまで期待されているというのに、僕の中では撮影意欲が刺激される環境が、日に日に瓦解していく。
気乗りしない写真を撮って持ち帰れば、「お前の目は濁っている、一度目医者に行った方が良い・・・、できれば日本の」などと一笑に付されそうで、それはそれでプレッシャーを感じるようになっていた。

そして同時に、盗撮という言葉を使うのは抵抗があるが、限りなくそれに近い行為が犯罪めいている・・という意識が、まるで撮影対象の美しさと反比例するように薄れていくのが妙であった。
当然綺麗な人も見かけるのだが・・・、実際に昨日もこれぞと思える素晴らしい女性を発見したが、いざ写真を撮りたいと思いiPhoneに手をかけても、手に持ったiPhoneを女性に向けて構えることができないのである。しかし逆の人には撮影するのにさほど抵抗がない・・・けれど実際にカメラは向けない。
これまで、街の中で女性を写真に納めようなどと思ったことも、試みようとしたこともなかったので、このような心境は僕にとって、新鮮な面持ちがあった。

「そんなの当然じゃないか」と言う人がいると思われるし、そう言われたら「そうだね」と即座に答えてしまいそうだが、「で・・なんで?」と理由を掘り下げて考えてみると、上手に説明できない自分がいた。
自分の意識の下のどこかに、綺麗な人は「撮らせて下さい」、そうでない人には「撮ってやる」という気持ちの違いがあり、その行為に対する後ろめたさの大きさが変わってくるのだろうか・・。
もしそうだとしたら、自分の中に無意識に芽生えているかもしれないそんな気持ちに、空恐ろしさを感じたりもした。
本当にそうであれば、自分では謙虚に生きたいと思っていても、人間の根っこは自分勝手で尊大で、本質的には自分中心なものだと言えるのではないだろうか・・・。
実はこれまでもそうだとは思っていたが、それ対する確信度合いが増してくる。

例えばこれを恋人相手の話に置き換えてみれば、「付き合ってもらっている」が「付き合ってやっている」に変わったようなもので、そのような心づもり一つが、日常の恋人相手に対する言動を大きく左右するはずだから、態度も自然と変わるだろうことは容易に察しがつく。
もし夫婦間の話しに置き換えれば、「結婚してもらった」が、いつのまにか「結婚してやった」と変化したことになり、しかもそれを嘘偽りなく思うようになれば、これは一大事である。
かつて絶世の美女(スマートでパーフェクトな男性)だと思っていた彼女(彼)は今や普通の女(男)で、なぜあれほど恋い焦がれ、寝ても覚めても一緒にいたい・・・と強烈に懇願していたのかわけがわからず、挙句、そんな風に思っていたかつての自分が滑稽に思えてしまったりすることすらあるだろう。
このような気持ちの変化は、現実には日常生活の張り合いに差し障りが出るほど、大きな違いになって二人の関係に影響しそうだ。
しかもそれが無意識に・・・である。

最初はお互い、何とか自分にお相手の目を向けさせようとか、自分の存在価値を認めてもらおうと、あらゆるところで自分をメッキで覆うのが人間の性である。そこに、相手を自分に振り向かせようというチャレンジ精神も加われば、それが恋なのか、それとも単なるチャレンジなのかその境界すら曖昧になり、気がついたら幸か不幸かチャレンジ成功で一緒になっていた・・・なんてこともありそうだ。

しかし自分をメッキで覆うにもエネルギーが必要である。目的を達成して気が緩めばメッキはぽろぽろとこぼれ落ち、その人間が持っている性質や本来持つ自分勝手で尊大な地が表に出始めて、「あなたは変わった・・」などという話しになる。
とにかく何事も、新鮮なうちは驚きや嬉しさや非日常が重なり人間浮足立つもので、僕が日本で体験した「右も左も美女だらけ・・」という錯覚の世界に陥る。
であるからして、慣れと同時に人間の地が目につきだすことは世間では決して珍しいことではなく、見えなかったものが見えてきて、見せていなかったものが無意識に表層に出現している。
よって「あなたは変わった」と言われたら、「いや、これが本当の俺だ、お前はこんな俺をこれからも愛してくれればよい」と堂々と言えばよいが、「いや、変わってなんかいない、変わったのはお前の方だ」などと売り言葉に買い言葉で言ってしまうものなら、これは不幸な道のりへの序章になりかねない。

しかしそうは言いながらも人間はけっこう賢いもので、表面的なものに騙された振りをしながら、常に相手の本質を見抜く努力をし、他人のかなりの部分を把握している。もしくは疑っている部分を見極めようと努力していたりする。
恋人や夫婦になる場合、直感を駆使することも含め、実は相手の本質のかなりの部分を見極めている場合が多い。
特に経験に裏打ちされた人間の直感とは、馬鹿にできないほど鋭い。僕は普段、複雑なデジタルの世界の中でパソコンを駆使して仕事をしているが、万能と思えてしまうほどの高性能なパソコンがこの直感力を身につけるには何年先になるだろう、いや、不可能ではないかと思うほど、僕はこの人間の直感という特殊能力を信じている。
よって僕は、「あなたは変わった」などというセリフは、実は直感で分かっていながらそのような関係になったことを、認めたくない自分が言わせていたりするのではないだろうかと考えている。
もしくは本気で変わったと感じているとしたら、そう感じている自分が変わっている可能性が高い。
人間など、そんなに簡単に変わらないものである。よって僕は、「あなたは絶対に変わった!」などと騒ぎたてる人を、「わたしの目は節穴だらけでした」と告白しているようなものだと思うことにしている。

人間とは何事にも曖昧な生き物である。少し環境が変わっただけで、周囲に美女軍団が登場し、環境に慣れてきただけで、その美女軍団はどこかへ消えてなくなっている。
同じようことで、自分が連れ添いのどこに惚れたのか、そんなことはとうの昔にどこかへ置き忘れてしまった人も多い。
しかし、かつては確かに相手の何かを認めていたはずで、それがあったからこそ一緒になったはずである。それが消滅するはずのないものであれば、それが見えなくなった人は、自分の目が曇ってしまったことを疑う必要があるかもしれない。

先日、足の綺麗なある人に自分の妻や子供の話をしたところ、唐突に「あなたは離婚しないの?」と訊かれた。
「はぁ?するわけないでしょう、なんで?」と言ったら、「日本人とフィリピーナの夫婦はみんな離婚するから」と返ってきた。「みんなじゃないでしょう」と言っておいたが、確かにそのように感じる周囲の実態もある。
「単なるチャレンジが成功し、気付いたら・・・」というパターンが多いせいかもしれないが、それでも寂しそうにそのように言われると、少し心にチクリと刺さるものを感じた。

僕はモナの顔を見ながら時々、口には出さずに「二人の結婚の決めては何だったかなぁ」と考え、密かに思い出すようにしている。
それさえ忘れなければ、僕は彼女に少し優しくなれそうな気がするし、彼女から優しくしてもらえそうな気がするからだ。それが自分の幸せに繋がるように思っている。
これは仕事でも何でもそうだが、人間の感性など曖昧で、特に「慣れ」というものに左右されやすい。そして大切なものを見失っていることがある。
人間とは、そのようなことは意識的に自分の中で確認しておかないと、意外と簡単に忘れてしまうようである。
posted at 20:07
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:383.曖昧な感性
2011年10月23日

382.トライシケル発見

昨夜はブログ仲間の群青さん、サラマさん、kazuさん達と、武蔵新城のフィリピン居酒屋で歓談した。他にもサラマさんやkazuさんのお知り合いの方を紹介して頂き、一緒のテーブルで楽しい時間を過ごした。
皆さんいずれも何らかの形でフィリピンに関係のある方々で、フィリピンに移住した僕に現地生活についての様々な質問もあったが、それをきっかけにフィリピン話題で大変盛り上がった。
おかげであっという間に時間が過ぎて、他の場所には一切寄らずに終電近い電車でホテルに帰ってきた。

今朝になって、モナから電話をしてくれとメッセージが入った。
僕がフィリピンで購入したiPhoneはローミング対応になっているので、日本ではドコモかソフトバンクの電波を拾っている。どちらの電波を利用するかを携帯で自動設定にしているので、主に電波事情の良いドコモを拾っているようだ。(画面のアンテナインジケータに、ほとんどドコモと表示されている。ソフトバンクと表示されるのは稀)
日本帰国前に、フィリピンの携帯会社のグローブに確認をしたところ、データ送信、通話は、ソフトバンク経由の方が安いようだ。AUは対応していない。

よってフィリピンから僕の携帯に、モナがフィリピンから送ったSMSのテキストメッセージが入る。
フィリピンからローミングの僕の携帯にテキストを送信する場合、フィリピン側では1テキスト1ペソ、それを日本で受信する僕の側は無料で、僕からフィリピンのモナへ返信をすると1テキスト15ペソだそうだ。(ローミングを利用する受信側でも料金がかかりそうな気がするが・・・、もう一度確認する必要あり)
通話も普通にできるが、帰国前に確認した料金のことは、高いという記憶はあるだけで具体的な数字を忘れてしまった。
怖いのはデータ通信で、インターネットメールなどを勝手に取り込まれると料金がどんどんかかってしまうため、iPhoneでWiFi接続意外のデータ通信不可に設定している。設定は簡単で、そのようなユーザーの心配にきちんと対応している所が素晴らしい。

電話してくれといったモナの用件は、昨日盗まれたダディーのトライシケルが見つかったというものだった。
昨日午後、レガスピのモールのパーキングに停めたダディーのトライシケルが盗まれてしまったのだ。
フィリピンでこのようなものが盗まれれば、すぐに分解されて使える部品が売られてしまう。このようにすぐにばらばらにされてしまうために、盗まれた車やバイクはほとんど見つからない。

ダディーは、自分の生き甲斐であるトライシケルが盗まれ、ことの他落ち込んだようだ。
レガスピでも随分と探しまわったらしいが見つかるはずもなく、レガスピからタバコへは、あえて普段利用しない見通しの効くバスに乗り、トライシケルを探しながら帰ってきたそうだ。
ダディーは家に帰ってからお酒を飲み始めたようだが、その後再びレガスピに戻り、トライシケルを必死に探しまわったようである。どうしてもじっとしていられなかったのだろう。
徹夜で探したのか、一旦家に帰ったのかは分からないが、とにかく昨夜はほとんど徹夜だったそうだ。

そして今朝、ダラガという町の警察から、盗難されたトライシケルが見つかったと連絡が入った。
ただし、交換したばかりの後輪ホイールと若干の工具類が無くなっており、満タンにしたばかりのガソリンは全て抜かれていた。
あとは見事にぼろいため、盗んだ人も手をつけなかったのではないかとの話だった。
盗人も手をつけないほどぼろかった・・というのは、嬉しくもあり悲しくもある事実だが、とにかく今朝スカイプで会ったダディーの顔には、ようやく笑顔が戻っていた。

今朝、トライシケルが無くなった時の様子をモナから聞いたところ、青ざめてうろたえるダディーとは反対に、ママはこれでダディーがいつも家に居ると内心喜んでいたそうだ。
それがついつい顔に出るものだから、ダディーはママに、「なんで笑っている!」と突っかかっていたそうだ。
ダディーは家に帰ってからもずっとうなだれて、まるでうわごとのように、「もう何もすることがない、ずっと家に居て、どんどん年を取るなぁ、病気のことなども考えて、ますます体の調子が悪くなるなぁ・・・」などとつぶやいていたそうだ。
それは敢えてモナの耳に入れたいつぶやきだったのかもしれないが、モナはそんなダディーにはっきりと、新しいトライシケルは買わないと宣言をしたそうだ。それは当然、ママの意向でもある。
僕は、なぜ傷口に塩を塗るようなことをするのかと思い、ますますダディーに同情してしまうのだった。

この一連の話しや様子を聞けば、僕は、トライシケルがダディーをどれほど元気づけているのかをますます知るのである。
目の前でその様子を見てしまったら、きっと僕はダディーに、新しいトライシケルを買ってあげたような気になっている。
今回盗まれたトライシケルは、中古で4万ペソしたそうだが、今は10万ペソほどするそうだ。しかしダディーに寝込まれるより、ずっと安い買い物ではないかと本気で考えるのである。
当然新しいトライシケルを買ったら、原資には限りがあるので、そのつけが生活のどこかに出る。そして僕は、モナやママや他の家族に恨まれる。
そんなところが難しいところだが、トライシケル反対派との折り合いをつけ、何とかしようと考えただろう。
一緒に生活すればムッとしてしまうこともあるが、今回は遠く離れた地で、限りなくダディー寄りになっている自分がいるのである。
そして日本から、ダディーのトライシケルを買う段取りをしろという指令が、喉まで出かかっている自分がいたのである。
そして、喜びも悲しみも子供のようにストレートに表に出すフィリピン人は、つくづく憎めない人種だと思ってしまうのだ。
本当にめでたしめでたしの結果に終わり、心底ホッとしている(笑)。


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posted at 11:28
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:382.トライシケル発見

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