フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2011年10月17日

378.異国で生きる大変さ

Sさんのお宅で、日本人の方とお会いした。
僕もSさんも初めてお目にかかる方であった。

お会いした経緯、年齢を含む人物像など、具体的なプライベート情報をここで公表するのは差し控えた上で、その方の承諾を得て状況を紹介したい。

その方は昨年フィリピーナと結婚をし、それをきっかけにフィリピンに移住した。男性はまだまだ若いが、こちらでは現在無職で、手持ちのお金が乏しくなってきている。
一度ビジネスをやってみたが失敗し、安定した経済基盤を未だ築くことができず、手持ちのお金を食いつぶすだけの状況に御本人は焦りを感じている。
その方がここに見えた理由は、日頃感じているフィリピン社会やフィリピン人家族への違和感、将来をどう考えるべきか等々、雑談も含め、とにかく何かの話をしたかったと思われるが、切羽詰まった状況に、藁にもすがる思いもあったのではないだろうか。

日本人がフィリピンにくれば、ここは当然異国に地であり、場合によっては四面楚歌で孤立する。
妻を含むフィリピン人ファミリーの支援がなければ、かなり高い確率でそうなる。
経済的な不安を払拭するために日本流で奮闘したいところだが、フィリピンにはサラリーマンの口は少なく、あってもサラリーは安く、そして自分でビジネスを立ち上げることはリスクが大きい。
しかし近い将来確実に訪れる生活破綻を防がねばならないプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、一方では子供の躾・教 育、妻やその家族との生活面で、習慣の違いによる意見の相違、言葉の壁などが次々と立ちはだかり、苛立ち、落胆、諦め、あがきがぐるぐると体の中を巡るこ とになる。
日本人にこれらは気が狂いそうになるほどの大きな悩みとなるが、フィリピンに不慣れな日本人が自分で立ちまわれる範囲は限られる。それがますます自分を苛立たせ、人をますます精神的窮地に追い込んでいく。

日本への帰国という選択肢もあるが、日本へ帰ってもすぐに就職できる保証はない。
日本国内で一年以上税金を納めていないので、家族を日本へ召喚するにも大きな時間と労力がかかる。
当座日本で暮らすのに、アパートを決めるまでどうするか、アパートはすんなりと契約できるか、アパートの敷金など最初のお金を どうするか、そして肝心の仕事をゲットできるか、様々な就職活動や日本の生活を安定させるまでにかかるお金と、その間のフィリピン家族の生活費をどうする か・・。
一度日本から出てしまえば、このような問題をも抱えることになる。
それでもどこかのタイミングで決断しなければ、帰国のためのお金も無くなることになってしまうから、彼としてはできるだけ早めに手を打たなければならない。

加えて奥さんとのコミュニケーションにも問題が出始めているようだ。
日本人の彼の言い分は、妻に現状や自分の気持ちを理解し協力して欲しいということになるが、携帯で頂いた奥さんの言い分は、結婚してから彼の態度が冷たくなったというものだ。
少しすれ違いが発生しているように見受けられる。
経済的不安がみんなの気持ちをネガティブな方向に追い込んでいるようにも見えるが、本来それを克服するための、お互いを思いやったり信じる気持ちも希薄になりつつあるように見える。
奥さんはその場に居なかったので、彼女がどのような考え方を持った方かは分からないが、彼の話しと奥さんの携帯メッセージを見れば、ぼんやりとそのような印象を受ける。

お二人揃っての様子を見たわけではないので、金の切れ目が縁の切れ目などという言葉をこのケースにあてはめることはできないが、これまで散々フィリピンに敗れて日本へ帰った日本人には、まさにそのケースが多くあったようだ。

しかしお二人は、まだまだ若い。きちんと恋愛関係を経て結婚に至っているようである。
それでもこのような状況になるのだから、日本を飛び出す場合は、よほど現地での生活基盤を安定させることに気を使う必要がある。
日本人同士の結婚においても、生活基盤がぐらついてしまったら半分は夫婦の関係もおかしくなってしまうだろう。食えなくなったら愛もへったくれもないのは、夢も希望もない話で申し訳ないが、至極当然のことのようにも思えるのである。
愛があれば・・というのは、半ば幻想に過ぎないと思っていた方が身のためである。

彼が失敗したビジネスは、コンビニのような小さなストアだ。
奥さん主導でこのビジネスを始めたらしいが、店の家賃が月14000ペソだったそうだ。
フィリピンには仕入れ問屋のようなものがなく、素人が商売を始める場合は、その辺の安いスーパーのような店で商品を仕入れ、それを自分の店に並べることになるそうだ。
当然商品を1個売った場合の利益は1ペソや2ペソ程度となるらしい。
となれば、14000ペソの家賃を払うためには、一商品の販売利益を2ペソとして月に7000個の商品を販売しなければならない。
30日営業したとして、一日233個の商品を売らなければならないから、一日10時間の営業時間であれば、コンスタントに一時間あたり23個の品物が売れなければならないことになる。
それだけ売れて、ようやく店のレンタル料になるわけだが、実際には電気代、設備投資の回収、次の仕入れのお金、そして利益を得なければならないから、一時間あたり100個から先の商品が売れなければこのビジネスはまるで成り立たない。1分に1個から2個は最低売れなければならなくなる。
店の界隈を歩く人が一時間に平均百人であれば、全員が店に立ち寄り何かを買わなければならない。一人当たりの平均購買数は何個かなども、計算に組み入れなければならない。
基本的に売り上げの見込みを、実際に調査データをもとに、ざっくりと計算しなければならなかったはずだが、彼は奥さんが大丈夫という言葉を信じ、安易にビジネスのスタートを切ってしまった。
このように収益構造を当初から考えておけば、見込み違いだった物が何かわかるので、ビジネスの軌道修正ができたり、失敗を次に生かすことができるのである。
御本人が、このビジネスのことは自分が甘かったと反省しておられたが、まさにその通りで甘かったのである。

奥さん主導で始めたビジネスで大きく損失し、生活への不安がつのり、みんながゆったりとした気持ちを維持できなくなれば、お互いこんなはずではなかったという気持ちが芽生えて諍いが多くなってもおかしくはない。
しかし、そんな気持ちが芽生えることは誰もが陥る当たり前のことである。誰でもそうなる当たり前のことであれば、その部分には寛容であってしかるべきだ。
そこを更に攻撃しつつき合っていても、事態は悪くなるばかりとなる。

日本人の彼は、妻と子供をこれからもずっと大切にしたい、一緒にやっていきたいと考えている。
そうであれば彼は、とりあえず心を塞ぐことがあったり、鬱陶しいと思うことがあったとしても、今一番大切な事は何かを噛みしめ、そこからぶれずに進むしかない。
進むべき方向性は奥さんと二人で決めなければならないし、二人で決めたことを、夫婦で協力しながら一緒にがんばるしかない。
その道から外れそうになったら、お互いを道に戻してあげるよう、助け合うしかない。
そのためには、奥さんやフィリピンの家族に言わなければならないこともあるはずだ。
その道のりが大変であっても、家族にはそれが自分たちの将来のためだということを良く理解してもらい、協力してもらうしかないということになる。
これは生活のかかった真剣勝負だから、躊躇している場合ではない。

先日タガイタイで会ったJさんは、家族のために自分の体を痛めつけるくらいに働きながらも、仕事で家をあけ家族の時間をおろそかにしている自分を許してくれる奥さんに、心から感謝していると述べていた。
Sさんはこの言葉に痛く感心し、自分はまだまだだめな奴だと心から反省していたが、それでも奥さんと協力して立派な実績を残してきた方である。
僕は当然、二人の足元にも及ばないひよっこだが、このようなやり取りを見て、やはり自分を振り返る機会をもらっている。
相談に来られた彼もまた、自分を客観的に見ることができる方であったが、Sさんの話しを聞いて、理想や目標に近づくために、常に自分のことを振り返ってみることの大切さを益々感じたのではないだろうか。

御夫婦のことは、どちらが悪いとかそのようなことは分からないが、とにかく自分が家族に抱いている愛情を、素直にストレートに表現し伝えてみたら良いと思われる。
自分が一番できていないことをこうして臆面もなく人に勧める僕は、まだまだ未熟者だとここで再び反省しなければならないが、このように僕もまだまだ発展途上国のようなものである。
よって実際に、多くの方の助けを頂いている。
僕は彼を助ける具体的な手立てを持っていないのが残念だが、また道に迷いそうになったら、遠慮せずに声をかけていただければ幸いだと思っている。


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 18:35
Comment(22) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:378.異国で生きる大変さ
2011年10月16日

377.結婚2周年

相変わらず僕はSさんの御好意に甘え、アラバンのSさんのお宅へ居候している。
モナと二人、3食付きで、一昨日はマニラで一番美味しい寿司までご馳走になり、昨日はタガイでお洒落なレストランにも連れて行ってもらった。
Sさん、Sさんの奥さんは、外食の食事代くらいは出したいというこちらの要望を受け付けてくれず、いつも何から何まで出してくれる。
そんなことが続いている中、僕の人生の中でこれほど他人に甘えたことがあっただろうかと考えてみたが、どうしても思い付かない。
おそらく人生初体験をしているような気がするが、人の好意に一方的に甘えるということは思ったより難しい。
昔の小説作家や芸術家が、誰かにお世話になりながら仕事をしたケースはいくつも書き物の世界で知っているが、今の僕には彼らのように、何かの成果を出して示すこともできない。
鶴の恩返しではないが、何かでバランスを取りたいと思っても、このアラバンに居ると、何もお返しすることができない心苦しさがある。

居候先で、昨日、僕とモナは結婚2周年を迎えた。
モナとダバオへ二人で初めてとなる旅行をし、その後モナの両親に二人の結婚のお願いをするため初めてタバコシティーを訪れ、僕が日本へ帰ってからモナの妊娠が発覚し、出産直前に僕が日本で仕事のために身動きが取れなくなり、モナの出産ぎりぎりにフィリピンへ渡航しユリが生まれ、順番が逆になったが日付を操作して僕とモナの結婚手続きを行った。

それらはまるで先月のことのように、僕の中には新鮮さを失わずに残っているが、それから早くも2年経過している。
2年も経てばユリも言葉が話せるくらい成長しているが、こちらは歳を取った実感もなく、しかし実態はそれだけ歳を重ねている。
おそらく僕も、フィリピンの生活で気付かないうちに何かを積み上げているのだろうが、明確にこれだと示すものがない。
それに焦りを感じることもあるが、人生とは振り返って初めて分かることもある・・、きっとそんなものだろうという思い込みもある。

そんな結婚2周年の日に、僕は初めてタガイタイに連れて行ってもらった。
そこには言葉を失うほどの素晴らしい景色が広がっていた。火山でできた湖は、知人に言わせればかなり汚染が進んでいるらしいが、遠くから望んでいる限りは深々と、粛々と山の緑に中に溶け込んでいる。
その美しい自然の中に溶け込んだレストランの一つに連れていってもらい、そこの料理を楽しみながら、自然の素材を活かすという料理の基本を実践しているレストランが、フィリピンにもあるのだということを初めて知って驚いた。
僕にとっては一生忘れる事ができない、心に残る結婚記念日となった。

IMG_0077.JPG

IMG_0085.JPG

IMG_0098.JPG

この結婚記念日が心に残るものになったのは、タガイタイの景色や美味しい料理だけのおかげではない。
アラバンからさほど遠くない当ブログの読者と連絡を取り合ったり、僕やSさんが時々読ませていただくブロガーを訪ね、ブログの背景にあるフィリピンでの苦労話を聞かせてもらったり、以前からタガイタイに住む日本人の友人JさんをSさんに紹介するために、Jさんのお宅へお邪魔して久しぶりに話をしたりと、エキサイティングな出来事が矢継ぎ早に起こる日でもあった。

Jさんは僕にとって、フィリピンの生活ではSさんと並ぶ大先輩で、日本人が必ず当たるフィリピン生活での壁と闘いながらもフィリピーナ奥さんを大切にし、今でも家族の生活のために苦労を背負ってがんばっている方である。
僕がモナと結婚する際、様々なことでアドバイスを頂いた方でもあり、僕は密かに心の中で、自分たちの結婚記念日にその方に再会できるということに、何か特別な意味と喜びも感じていた。

予想した通り、苦労しながらも真面目にこのフィリピンで生きようと頑張っているJさんとSさんの波長は合ったようで、お互い知り合いになれたことを喜んでおられたようだ。
僕はSさんやJさんに誰でも紹介したいわけではなく、Jさんに紹介したかった唯一のフィリピン在住日本人がSさんであり、Sさんに紹介したかった唯一のフィリピン在住日本人がJさんだったのである。
こうやってお互いが信頼できる仲間の輪を広げていくということは、フィリピンに住む日本人にとって大きな意味があると僕は思っている。
押しつけがましい考えではあったが、僕が今SさんやJさんにできる恩返しは、自分の目で確かめた確かな人を引き合わせるということであった。

Sさんの奥さんはそのような僕とSさんの行動を見ながら、二人は日本人コミュニティーを作ろうとしているのかとモナに囁いていたが、結果的には、建設的な思考を持ちより、お互いを励ましたり叱咤したりしながら協力し合える仲間を増やすということに喜びを感じている部分があるわけだから、それはまさしく的を得た所感である。
単なるコミュニティーも良いが、本当の意味で友人と呼べる仲間内でそれを作ることができれば、異国で暮らす僕たちにとって、これほど心強いことはない。
フィリピン生活が長く、そしてその大変さを熟知しているSさん、Jさんは、おそらくそのことを良く理解していらっしゃると思われる。

僕たちは、フィリピンでフィリピン人家族と末永く幸せに暮らしたいから、言いたい事を言い、妻や家族の言いたいことも聞き、その言いたいことが口に出しても良い事か悪いことかを吟味し、お互いに教え合い、意見を交換し、忠告し、そのような普段の自然で些細なやり取りがお互いを幸せに導くことだと信じている。
そのような価値観を共有できると信じあえる仲間の輪がこうして広がることに、僕は大変大きな幸せ感を感じた一日だった。
モナにそれが分かってもらえたか自信はないが、僕にとってはそのような意味のある、忘れられない結婚記念日であった。

※記事を先行して出します。本日中に、タガイタイの美しい風景写真をアップ致しますね。


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 12:59
Comment(12) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:377.結婚2周年
2011年10月14日

376.再入国手続き不可

木曜日の朝、予想に反して雨が上がっていた。インターネットで気象情報を見ると、台風は熱帯低気圧になり消滅していた。マニラが大雨で大洪水になる煩わしさから解放されたようだ。

そんな木曜日(昨日)、朝からイミグレーションに行ってきた。
永住ビザの許可が正式に降り、パスポートにVISAスタンプを押してもらうためだった。
ついでにエイリアンカードを入手しなければ、出国・再入国でせっかくもらったビザが消滅してしまうというので、カードをもらう手続きしそれをすぐに入手するか、もしくは再入国許可をもらうというのが目的だった。

カードの発行には通常時間がかかるので、イミグレーションに知り合いのいるSさんの奥さんが、一緒に同行してくれることになった。
アラバンからは、奥さんのお父さんが運転手としてマニラへ乗せて行ってくれた。
ちょっと知り合いになったばかりに、僕の事でSさんご一家はいろいろと巻き込まれ、皆さんが迷惑を被っている。

Sさんのお宅を朝9時に出発し、マニラのイミグレーションには10時頃到着した。
イミグレーションでは奥さんが、まるで自分の事のように窓口でてきぱきと質問してくれ、おかげで永住VISAの手続きはすんなりと進んだ。そこで4600ペソの手数料を支払いあっさりと手続きが終了したら、スタンプを押したパスポートの返却は午後4時だと言われた。

相変わらず手続きに時間がかかる。窓口には大勢の人が詰め掛けているが、窓の内側では職員がおやつを食べ、それが終わると飲み物を飲みだすなど、仕事のための手が全く動かない。それが習慣になっているらしく、そのような光景は至る所で見受けられる。

同時に再入国手続きの問い合わせをしてみると、どうやら簡単にできないことが分かってきた。
奥さんが食い下がって質問、お願いをするが、埒が明かない。知り合いにもかけあってくれたが、今は不正行為に対して大変厳しくなっており、簡単には事が運ばないことが分かった。イミグレーション各所にカメラが設置されていて、怪しい行動は筒抜けになるらしい。

一旦外でランチを済ませ、イミグレーションへ戻り、パスポートが戻ってくる前にエイリアンカードの申請関係をできるだけ済ませてしまおうと手続きを進めた。
窓口がいくつもあり、その窓口を渡るようにしながら手続きを進める。本当に煩わしいシステムになっている。
僕が一旦フィリピンを出国するのに、エイリアンカードさえ入手できれば再入国は全く問題ない。再入国手続きができないのであれば、今度はカードをできるだけ早く入手できないかということで、奥さんが再び奔走してくれた。

普段であれば遅すぎでぞんざいなイミグレーションの対応に、僕はいつもイライラするが、この日はイラつく暇がない。
窓口の人が忙しくて問い合わせを無視すれば、奥さんは自分の声に耳を傾けてくれるまで何度も大きな声で呼びかけたり、違う人を捉まえて問い合わせをしてくれたりと、とにかく臨機応変に休む暇なく動きまわってくれる。そして教えてもらった情報をモナと相談し、ささっと次の対応のために動き出す。

しつこく食い下がると活路が見出せるもので、誰それに直訴して、その人が許可すれば少しはカードの入手が早くなるなどの情報を教えてもらえたりするのだ。
僕はその後をついて歩くだけである。次第に肝心の僕の息があがり、常に5m先を奥さんとモナが歩き、僕はそれにようやく追従していくという感じになっている。
同じような境遇で困っている外国人も、そんな奥さん行動を見て集まってくる。奥さんが自分で入手した情報を教えてあげると、みんな一様にありがとうと感謝して、同じようなルートで陳情に行く。

奥さんは、時には強気に、時には下手に、話し方、態度を変えながら各所で折衝してくれ、とうとう渋っていた決済権のあるマネージャーのサインを貰うことができた。
それを下の窓口に持って行くと、今度は窓口の人がとても協力的に、提出済みの僕の書類を持ち出してカード取得の手続きを進めてくれる。
僕はただただ、その場を立ち去る時に日本流で頭を下げて、大変ありがとうとお礼を述べるだけである。
当事者ではあるが、何かのおまけのような存在になっていた。

僕が奥さんのその見事な動きに感嘆していると、奥さんは
「昔は全くおとなしくて静かな人だったけれど、Sと結婚してこんな風になってしまった」
と言われた。「こんな風」という言い方にどんな意味が込められているのかを考えると少し笑ってしまうのだが、僕は心の中で、彼女は当時から十分素質があったに違いないと思っていた。
モナと二人だけでは、とてもこのように事は進まない。おそらく僕のイラつきは頂点に達し、怒りだしていたかもしれないが、この日は驚くことばかりでただの一度もイラつくことがないのである。

一通り終わった頃、既に時間は午後4時になろうとしていた。全く関係のない奥さん、奥さんのお父さんを巻き込んでの、丸一日仕事になってしまった。
イミグレーションに一日いて分かったことは、同じような手続きで、そこに朝から晩まで張り付いている人が何人もいるということだ。
各所で何度も顔を合わせるアメリカ人と少し話をしたところ、彼が笑みを浮かべながら静かに
「あなたも朝からここに居るの?ここは時間がかかりすぎるから、友達を作るにはとても良い場所だ」
などと冗談を言われ、僕はその言葉に笑いながらも大変感心した。考え方も態度もゆったりとしていて、素直に懐が深いと感じながら、人間として羨ましいと思うのである。
それは半分皮肉を込めた言い方だと思うが、彼はそのように言いながら、怒ることなく付き添いの奥さんと一緒に粛々と手続きを進めていた。
大きな声でどなり散らし、職員とやり合っている韓国人を見かけたりしたが、怒っても何も進まないのだから、そのアメリカ人の姿勢は見習うべきものがある。

彼が言った、その場所で友達ができるというのはあながち嘘ではなく、同じ境遇の人たちが持て余す待ち時間に話しをすることが実際に良くあった。
中国人御一行の人たちと話をした時には、彼らの一人がiPhoneを取り出していじり出したので、僕は「それはiPhone5か?中国では先行発売されたと噂を聞いた、僕はまだiPhone4だ」と冗談を言ってみたら、彼らはそれに対して何やら自覚するものがあるらしく、ゲラゲラと笑っていた。
とにかくこのように、世界中の人種の人間観察をするという意味でイミグレーションは大変格好の場所だということに僕も気付き、それからは人間観察に徹してほとんど時間が気にならなくなった。

結局僕のエイリアンカードは、帰国予定日までに入手することができないことが明らかになった。
そこで帰国の予定を数日後ろへずらし、カードを入手してから日本へ帰ることにした。
(エイリアンカード手続き中は、基本的にフィリピン入出国はできないというのがルールだそう???これを逃すと再び一からの手続きとなる。以前とは違うという話もあった)

カードの入手がいつになるか分からないが、週明け2~3日になる模様だ。
それでもSさんの奥さんのパワフルな行動力に、随分と助けられた結果である。それがなければ、僕は一旦手にしたVISAを捨てる覚悟で、無理やり出国するしかなかった。
夫婦揃って素晴らしい人たちであると思いながらも、これほどバイタリティーが表面化しているフィリピーナは珍しいと感じていた。
おそらくモナも、同じフィリピーナとして何か感じ入るものがあったに違いない。
今日はモナと奥さんが、仲良くウィンドーショッピングに出かけている。

ちなみに今回の僕のケースでは、VISAの手続きをせずにツーリストとして出国・再入国し、その後ゆっくりとVISA手続きをした方が良いようだが、それに気付いた時には既にパスポートを預け、手続きが進行中であったから、後は突き進むしかなかった。
せっかくだから、全ての手続きを終了させてから日本へ帰国した方が、後々も楽である。
僕は今、日本に対する言い訳を、少し大げさな表現も入れ込みながら考えている最中だ(汗)


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 11:48
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:376.再入国手続き不可

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。