フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年10月10日

372.今の生活

今朝のタバコは空の青と雲の白が見事なコントラストを奏でる清々しいお天気。
本日一階テラスの一つに、タイル貼り工事が入る。
この天気なら、工事も順調に進むだろう。

昨日はレガスピに買い物に行こうなどと話していたが、何となくだらだらと過ごしてしまい出かけるタイミングを逸した。
それであればいつものコーヒーショップに行き、iPhoneをWiFiに接続してみたいと思っていたのでモナを誘ってみると、本日のテラス工事で、タイルとタイルの間に埋め込むブラックストーンを探しに行きたいから、コーヒーショップの前か後にそこへ寄ってとお願いされた。
行きたい町の名前を言われたが、僕にはそれがどこにあるのかさっぱり見当がつかない。
その場所はどこかと訊くと、「マリナオの先」と言われた。
マリナオはタバコから5Km程の隣町。その先であれば少し面倒だけれどまあいいかということで、面倒なことは先に済ませようと、その石を売っている町に向けて、モナを後ろに乗せバイクを発進させた。

先日の、僕の運転するバイクが怖いというのがあったので、時速40〜50Kmほどで、無理をせずにゆっくりと走った。
マリナオを通過ししばらく走ってから、そろそろか?と訊くと、もう少しという答え。
またしばらく走って、そろそろか?と訊くと、再びもう少しという答えが返ってくる。
その問答を何度か繰り返し、マリナオから既に1時間ほど走り海に出てしまった。

「あのなぁ〜、もうかなり走ってるけど、まだまだなの?」
「あともう少し・・・」

到着してみたら、僕がタバコに初めて来たとき、モナの弟がミニ観光で連れて行ってくれた海が一望できる展望台よりまだ先にある場所だった。
後で地図で調べてみたら、タバコとマリナオは5Km程度。目的地はマリナオから直線距離で更に25Km先にあった。
確かにマリナオの先だが、それって詐欺同然の言い方だろう。なぜこれがマリナオの先という言い方になるのか。しかも、いかにもすぐそこという感じで、「コーヒーショップの先でも後でもどっちでもいい」という言い方?
あの展望台の近くと言ってくれたら僕にもすぐに距離感がピンときたはずだが、それを言わなかったのはおそらく確信犯だ。

結局そこにお目当てのブラックストーンは無く、レガスピでなら売っているのではないかと言われた。
往復2時間半かかったのだから、レガスピだって十分に行けておつりがきたはずである。
モナに言わせると、そこで買えたらレガスピよりも安かったと言うが、行ったのは掘立小屋に住む住人が付近の山や川からかき集めた石を積み、細々と商売をしているようなところ。お目当ての石があるかどうかなど分かったものではない。

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しかし先日の入院のこともあるので、嫌味の一つも言わず安全運転を心掛け、住民の生活や気色などを写真に収めたりしながら、観光気分で付近をぶらぶらしてきた。
町から少し離れると、住民の様子ががらりと変わる。
まず、出会う人全ての肌の色が黒い。住人の着ている服はよれよれの穴だらけで粗末なもの。
住んでいる場所は、よく台風で飛んでしまわないかと思える小屋ばかり。極たまに、その小屋の前に衛星放送用の立派なパラボラアンテナがついていたりすると、アンバランスで奇妙だ。
洗濯ものがガードレールや至る所にかかっている。
周囲はジャングルで、山の湧き水で体を洗い洗濯し食器を洗っている。飲み水はどこかに井戸でもあるのだろうか、大きなペットボトルに入れて子供たちが家に運び込んでいる。
食べ物を調達しているのか、住人が山の斜面や下で、ごそごそと何かを探している。
人里と人里の距離は数Kmあるだろうが、その途中を歩いている人を何度も見かけたので、お金の乏しい人はトライシケルやパジャックなど利用せず徒歩中心の生活をしているようだ。
多くの人が家の前に置かれた椅子に座り、ぼーっとしている。ほとんど全ての人が、珍しい人が通ると思っているのかこちらをじろじろと見る。
日本の村社会というものがあるように、おそらくフィリピンも、このような場所では閉鎖的な要素を持っているのだろう。

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僕はこの人たちの生活を馬鹿にして、これを書いているわけではない。哀れだとも思っていない。住人にはそれなりの笑いがあり充実した生活だろうと思っている。
僕はただただ、見慣れないその光景に圧倒されているだけだ。
住民を逞しいと思うし、綺麗で偉大な自然の中でゆったりと人生を消化することに対し、実感を伴わない無責任な憧れを感じてしまうことさえある。
しかし、僕はサバイバル生活には慣れているのでどんな生活もできると思っていたが、同じ生活を1年、2年と長期にわたりできるかと言われたら、全く自信がない。
どこかに文明を求めている自分がいて、もっと色々なことがしたいと思う自分がいる。
家族にはもっと贅沢な暮らしをさせてあげたいとも思う。
全てを思うがまま得るということは、なかなか難しい・・・。
しかし今の生活は、バランスが取れていて、結構素敵だと気付いたりもするのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:372.今の生活
2011年10月09日

371.モナが泣いた

休みの土曜日、数日前から楽しみにしていたイベントがあった。
このビコールに住んでいる日本人の方と連絡を取り合い、お会いすることになっていたのである。
我が家のあるビコールにも少数ながら日本人がいることは知っていたが、具体的に会って話をさせて頂くことは勿論初めてのことで、僕にとってこのことは、ある種興奮を覚えるイベントであった。

初めてお会いする方のお宅へいきなりお邪魔するのは不躾かと思っていたが、結局は自宅へおいで下さいというお誘いの言葉に甘えさせて頂くことにした。
同じビコールといってもその方の家は我が家から車で1時間ほどの距離にある。その方はわざわざ車で我が家に迎えをよこしてくれ、こちらとしては恐縮の極みであった。

前夜ママに、明日は@+#という町に住む日本人に会いに行くと伝えると、少し顔色が変わった。それでもその時は、大丈夫かという程度だったが、翌日迎えの車のドライバーがフィリピン人男性で、しかも助手席にもう1人のフィリピン人男性が同乗しているのを見るや、ママは心配だからダディーも一緒に連れて行きなさいと言い出した。
しかし初めて行くお宅へいきなりダディも一緒に行くのは気が引けて、それを断ってモナと二人で行く事にした。

フィリピンでは酒を飲んだ席の些細なトラブルで人を刃物で刺すなど日常茶飯事で、しかも怪しい日本人も結構いるということであるから、ママの心配は決して大げさなものでないと理解していたが、僕はその方に対し、最初に頂いたメールの文章や直接電話で話した時の自分の印象を信じることにしていた。

お会いしたのはSさん。
Sさんの自宅へ向かう道中、山の中の小さな町をいくつか通りすぎた。何もないタバコが都会に思えてしまうほど、途中の町はいずれも小さくて素朴な雰囲気を放っていた。車で通り過ぎるだけでもその質素な暮らしぶりがふんだんに伝わってくる町のたたずまいである。
たまたま各地でフィエスタ(お祭り)が開催されていて、子供がちょっとした出店に群がる様子などが、町やそこに住む住人の素朴さを一層際立たせているように感じられた。

少し大きな町に入ったかと思うと、そこから少し走ったところで、車は周囲の家とはまるで違う大きな家の前に止った。
ゲートが開けられ車が敷地に滑り込む。Sさんが出迎えてくれた。
モナと共にSさんと挨拶を交わし、屋根のかかった一階のテラスに案内された。
グラスやサンドイッチなどが用意されているテーブルにつき、シャンパンで乾杯をする頃には小雨が本格的な雨に変わっていた。それがいつしかお互いの声も聞きとりにくいほどの雨音を立てる豪雨に変わったが、広い庭に突き出した瀟洒なテラスの雰囲気は損なわれることもなく、まるでヨーロッパのどこかで、静かな休日に、旧知の友人とゆっくり食事と会話を楽しむという優雅な雰囲気である。
僕は初お会いした方と対面している緊張感を忘れるほど、その雰囲気を堪能していた。
招かれたにも関わらず、僕は無作法にも無理に話題を作ることはせずに、家や庭や周辺の様子を眺め、Sさんのお話を聞きながら話したいことだけを口に出していた。
それを許してくれるSさんであったから、初めての対面にも関わらず、僕は終始リラックスさせて頂いていた。

勿論Sさんの奥さまもフィリピーナで、日本語もできる。そしてSさんはタガログが大変堪能だ。日本人のSさんがタガログでモナや奥さまと話し、フィリピーナのモナが日本語で僕に通訳してくれる。
この構図も、我々の会話に奇妙な面白さをもたらしてくれる。

Sさんはフィリピン在住に関して大先輩(年齢は僕と同じだが・・)で、僕が知る方の中では一番フィリピン経験が長い。
その分Sさんは、フィリピンを良く知りぬいていらっしゃる。
本当は詳しく書きたいが、個人が特定される事柄が多いので省略させていただくけれど、その努力や苦労は度肝を抜かれることばかりで、実は多くの方々に知って頂きたいことばかりである。

これまでの長いフィリピン在住経験の中で、Sさんの周囲では、多くの日本人がフィリピン生活で散財しフィリピンに敗れて日本へ帰ったそうだが、Sさんはその中で、信じられない行動力を発揮しながら今の生活を築き上げた。
日本人がこのフィリピン社会で零からスタートし、マニラ近郊で家を買い、車を数台持つ生活を手に入れたという事実は、今の僕にはそれがどれほど大変なことか良く理解できると同時に、似た境遇の自分にとっては大変勇気を頂けることでもある。(ビコールの住まいは別宅で、今は時々マニラ近郊の家に行っている)

Sさんは決して日本から大金を持ち込んで自分のビジネスを立ち上げたわけではない。
ほとんど無一文からのスタートである。
決してそれらを自慢げに語られたわけではなく、自然な会話の中でそれを知っていくにつれ、そして奥さまの言葉でその苦労話を教えて頂くにつれ、僕の中にはSさんに対する尊敬の念が芽生えてくる。
奥さまは結婚当時、なぜあのような貧乏日本人と結婚したのかと、周囲に散々言われたそうだ。貧乏な日本人と結婚をするのは意味がないと言わんばかりだったようである。
しかし奥さまは、Sさんの力を信じてついてきたのだろう。そのような奥さまにも、心から尊敬をするばかりである。

身になる努力・経験をした方には、多くの知恵があり、人脈があり、力がある。
そんな苦労を奥さまと共にしてきた方であるから、Sさんや奥さまは、僕たちの現状についてもいろいろと耳を傾けてくれる。
モナにとっても、日本人夫と長くフィリピンで暮らしてきた奥さまは、実に良いアドバイザーであるようだ。
また日本人でありながら、自力でこのフィリピン社会に実績を残し、根を張ったSさんの言葉も、モナの心にはしっかりと沁み込むようだ。

Sさんは僕のブログを隅々まで読み、僕やモナのことを良く知っていらっしゃる。そしてその内容を、奥さまにも細かく伝えられているようだ。
そのような経緯から、ふと、話題は先日のモナの入院の件に及んだ。
Sさんが優しく、何か問題があるのかとモナへ訊いている。
心の内にあることを全て話した方が良いと、諭すように話しかけていた。
タガログが堪能なSさんには、モナとの間に言葉の壁がない。タガログと日本語を混ぜながらモナに語りかけてくれる。

次第に僕との生活で疲れている内容を、モナがポツリポツリと語り出した。
傍らには同じフィリピーナの奥さまが強い味方としてついている。
僕が普段口にする不満、言葉の違い・文化の違いによる意思疎通の壁、自分の家族と僕との間で板挟みになる苦しさ。
それを語り出し、それに対するSさんや奥さまの慰め・同意・励まし・誤解を解く言葉・・・、そのようなやり取りの中で、モナの目は次第に赤くなっていき、とうとう彼女の大きな目から涙がこぼれおちた。
その間僕は、口を挟まず静かに横でその話を聞かせてもらっていた。
彼女が気持ちを落ち着かせるためにトイレに立った間、僕とSさんは二人で、まだまだ反省することがあり、態度を改めなければならないと語り合っていた。

日本人の僕には、フィリピンの生活に多くのストレスがあるのだが、そのようなストレスを抱える日本人と暮らすモナにも、彼女なりの重圧やストレスがたくさんあるのである。
僕はそれを知っていたが、知っていて知らない振りをしているようなところがあった。
そのことについて語り合っても直ちにどうにかなるものではなく、時間をかけて分かり合っていくしかないと自分に言い聞かせながら、そう思うことで面倒なことから逃げ、自分の我儘を通す言い訳を残すという都合のよい考えがあった。
しかしこのような形で話題になれば、それを正面から受け取らざるを得ない。
逃げられないし、本来逃げるべきことではないのである。

生活を支える自分としては、普段仕事の重圧を感じながら暮らしているわけで、余計なことで煩わせないで欲しいという思い上がりがあったりもするのだが、モナがずっこけてしまえばこちらも転んでしまうのだから、そのような思い上がりは完全な片手落ちというものである。
分かっていながら何もしないのは、自分の甘えなのだろう。
僕はこの1カ月で、そのようなことを深く考えさせられる機会に多く恵まれている。
愚かな自分でも、何度も繰り返して心に響く出来事があれば、さすがに真剣に考えるようになっている。

そのようなモナの気持ちが、どこから湧いているのかも僕は知っている。
彼女は、自分が僕に必要とされているのかそうでないのか、その部分に自信を失っているのである。
だから僕が、自分の彼女に対する愛情をもっと言葉や態度で表現すれば結果はまるで違うのだろうが、僕にはそれがどうにも苦手である。
それだけではなく、逆に裏腹な態度に出てしまうこともあるから、尚更厄介なことになる。
Sさんは、そうすることで自らのポジションを確かめたくなるものだとおっしゃっていたが、確かにそうかもしれない。
国際結婚において、お互いの文化背景が違うということは、極端な違いを除けば大きな問題ではなく、根っこは愛情があるかどうか、それをお互いに感じることができるかどうかが一番重要なことである。
それができていれば、夫婦間の大小様々な問題はほとんど解決できる。
それは国際結婚に限らずどのような形の夫婦であれ同じであり、根源的なことだ。

このことに関する僕の答えを言えば、当然モナは自分にとって必要な女性である。ユリを生んでくれたことで、それは簡単に揺るがない強固なものになっている。
フィリピンで僕がモナに捨てられたら生きていけなのは勿論だが、僕が彼女を必要とする理由はそれとは関係ない。
僕の紆余曲折の人生の中で、彼女は僕に再生の機会を与え、生きる気力・活力をくれている人である。だから僕は今、一生懸命に生きていられる。
そのような経過で今の自分があり、彼女の喜びが自分の喜びと感じるようになっている。
彼女に不幸が訪れることがあれば、僕は必死にそれを食い止めようとするに違いない。
それは自分流に言わせれば、まさしく愛そのものであるが、フィリピーナの彼女は、もっとそれを明確な形にして欲しいということだろう。

話を聞けば、フィリピンで長く二人三脚をしてきたSさん御夫妻にも、僕とモナの間と同様のやり取りが繰り広げられてきたようだ。
Sさんはモナに、あなただけが特別ではなく、みんな同じだと語ってくれた。
そう言いながらも、あなたはよく考えて、よく頑張っていると何度もモナを励ましてくれるのだった。
その言葉に、再びモナの目に涙が浮かんでしまうのである。
僕は男として泣くわけにはいかないが、そんなモナの様子を見ながら、自分の目の内にも熱いものを感じる場面があった。

リラックスし、そのような話しをたくさんさせて頂きながら、初めての訪問・出会いにも関わらず、いつの間にか6時間もの長居をしてしまった。
普段あまりお酒を飲まない僕も、シャンパン、ビール、ワインなどを飲み、少しほろ酔い気分になっていた。

帰りは再び、奥さまの弟が車で我が家まで送ってくれた。
モナはその車上で、いろいろ話し、聞いてもらって心が軽くなった、少し自信が湧いてきたと語っていた。
モナにとって、Sさん御夫妻を知り得たことは、今後僕と共に生活を続けていく上で大変な糧になったようである。
それは僕にも同じであった。このビコールで知った最初の日本人とフィリピーナご夫妻がこのような素晴らしい方々で、その巡り合わせに感謝するばかりであった。

僕のような欠陥のある人間には、このように周囲の人の助けが必要である。
助けて頂いて、まっとうに生きていける。
助けてもらうばかりでは気が引けるが、これからの人との巡り合わせの中で、もし自分が役に立つ場面があれば、今回のように学んだことを伝えていくことで、恩返しの代わりにさせて頂きたいと考えている。
そのような人との関わり合いの連鎖を、これからも大切に考えたいものである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:371.モナが泣いた
2011年10月08日

370.食は人を良くする

相変わらずiPhone関係の話題から入り恐縮だが、iPhoneを使用して、大変有り難いことがあった。それは日本語の小説が読めることである。
特に著作権の切れた昔の名作は、ほとんど無料で読むことができるということが分かった。これは素晴らしい。
フィリピンの田舎で暮らし、日本語書籍が手に入らないという一番困っていたことが解消された喜びは、本当に大きい。
早速太宰治などを読んでいる。

iPhoneは少し重いので、ベッドに寝転がって読みながらしばらくすると腕が疲れてくるが、どうがんばっても日本語小説が読めないことに比べれば、まったくたいしたことではない。腕の筋肉を鍛えながら、体と頭のトレーニングを同時進行させていると思えば良い。
しかも利用してみて、電子ブックは暗闇でも読めるという当たり前の事に初めて気が付いて、それにも感動した。
字の大きさは単行本並みで、読みやすさは紙とさして変わらない。となれば、手軽に好きなだけの本を、いつでもどこへでも持って行けるのだから、電子ブックというものは僕にとってはとても便利だ。
あとは電子ブックの品数、内容が充実してくればもっと嬉しいのだが・・。

とは言いながら、最近仕事に追われていて、ゆっくりと読書だけを楽しむということが中々出来ない。
ずっと仕事が詰まっているせいか本日はてっきり木曜日だと勘違いしていたが、夕方頃、実は今日は金曜日ということに気がついた。ついでに日本とのやり取りで、日本は明日から3連休だということも知ることになった。
そんなことで夕方は、1日損した気分と、明日は休みという解放感が混ざった複雑な心境だったが、週末なので何か美味しいものでも作ろうかという気になった。
日本語の小説が手に入るようになったから、ついでに食べ物も純和風の物が欲しくなり、そこで思い付いたのは肉ジャガだった。我が家ではこれまで、肉ジャガを披露したことがない。
モナにジャガイモはあるかと訊けば、たまたま今日の買い出しで買ってきたという。
玉ねぎが無かったので、ちょいとバイクでスーパーまで行ってきた。

汁に浸った肉ジャガも美味しいが、本日僕が作ったのは汁気の無いかりかり肉ジャガ。
これは結構美味しいので、ちょっと作り方を紹介したい。

一口大に切ったジャガイモを15分ほど水に浸す。
玉ねぎをおおさじ一杯の胡麻油で、フライパンで炒める。火は最初から最後まで強気の強火を貫き通す。
玉ねぎがしんなりしてきたら、肉を入れて更に一緒に炒める。
(和牛を使えばその出汁が全体に行きわたるので更に美味しいが、ここの牛肉は臭みが強いので、今回は豚肉使用)
そして、水に浸していたジャガイモをフライパンに移し軽く一緒に炒める。
醤油:みりん:砂糖を2:1:1の割合で入れて絡める。(ジャガイモ4個、肉200グラム、玉ねぎ1個ほどの分量であれば、醤油おおさじ2、みりんおおさじ1、砂糖おおさじ1程度)

調味料を絡めたら、ジャガイモが半分浸る程度の水をフライパンに入れて、蓋をして煮こむ。
もしジャガイモが柔らかくなる前に水が無くなりそうであれば、途中で水を足しながら様子を見る。
ジャガイモに串を通して柔らかくなったのを確認できたら、後は水気がなくなるまで強火で煮込む。
水気がなくなり出したら、ジャガイモの表面によく味を絡めるようにフライパンの上で転がし、ジャガイモにやや茶色の焦げ目がついてくる頃合いを見て完了。ここも十分強火で押しまくる。

調理方法はこのように、大変簡単だ。
この方法で作ると、ジャガイモがほくほくと出来上がるのでとても美味しい。
しかもジャガイモと肉と玉ねぎに、しっかりと甘辛の味がつく。
味の加減は好みで薄口から濃い口まで各自調整してもらえば良いが、薄口でも結構いける。

モナはこの肉ジャガを口にした瞬間、「あっ!ほんとの日本料理だ」と言った。
ベルも口に含んだ後、「マイフェバリット!(好物)」と言って親指を立てた。
ベルに続いてモナも、これは私もフェバリットだと言った。
ママは外人イントネーションの日本語で「オイシイ!」と言った。
みんなが美味しいと言って食べていたので、あっという間にどんぶり二つに分けた肉ジャガが無くなった。

食べながらママやアンに、この料理の名前は何と言うのかと訊かれたので、ポテトは日本語でジャガイモ、ミートは日本語でニク、だからこれは「ニクジャガ」だと教えたが、反復して返ってくる言葉は、「ニクガジャ」だったり「ジャガニク」だったり・・・。
ママはしばらくすると、いつの間にか肉ジャガが「ヤキニク?」になってしまったりする。
その度にみんなでゲラゲラと笑いながら、食卓はちょっとした日本語の勉強会となった。
やはり美味しいものは人を幸せな気分にするようで、会話と笑いのある素敵な週末のディナーであった。
食は人を良くすると書く・・・、何度か当ブログ記事で述べてきたことだが、このことはこのフィリピンに来て、実際に何度も実感することである。


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