フィリピーナと共に
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2011年09月07日

342.異国暮らしは大変

#339ファミリー救済の記事では様々なコメントを頂き、コメントレスでもいろいろと書かせて頂いたが、どうにも消化不良だ。
コメントレスと重複する内容もあるが、再度、記事としてフィリピン人の体質に触れ、また日本で働くフィリピーナの話も絡めながら、それをフィリピンで暮らす日本人の自分が、今どのように捉えているかを、あらためて書いてみた。
少々長文になっているが、時間のある方はお付き合い願えれば有り難い。


フィリピンに関わった方の多くは、何らかの形でお金の問題と付き合うことになる。
一夜限りのお遊びにしても、支払い、チップの金額というものがあるだろうし、そこから更に踏み込んで、普段の生活や子供のミルク代の話しに財布の紐が緩む場合もあるだろう。更に深く踏み込めば、収入がない家族の話しなどに及び、情にほだされたり愛が芽生えたり下心があったり見栄を張ったり自己満足だったりと、動機や心理も様々だろうが、とにかく何とかしてあげようと思う方々がいるはずだ。
反面相手を良く見て、それがずる賢い作戦と見抜いてさらりとかわすことができる人もいれば割り切りで冷たくあしらう人だっている。ケースバイケースで、相手の気持ちやサービスに応じた対応をする人もいるはずだ。

恋人関係や夫婦関係になれば、もはや抜き差しならない状況になる。
下手をすれば、ビッグスポンサーがついてくれたとばかりに、家族、親戚一同に大喜びされる可能性も小さくはない。
その歓迎ぶりに、驚いて後ずさりした時には、もう手遅れ・・などという冗談のような世界もある。
後はどのように対応するか、個人の財布と腕の見せ所となる。
とにかく、お金が絡む様々なケースでは、千差万別のやり取りと対応が存在する。

ここで千差万別の対応と言えば当たり前と思うかもしれないが、本来、フィリピン人を相手にする場合は、日本人を相手にするよりも対応の幅は広くなるはずである。
なぜならば、フィリピン人のレベル(人間性や生活、他)は、日本しか知らない日本人には想像がつかないほどピンキリだからだ。
おそらく普通に日本で暮らす日本人には、フィリピンは貧富の差が激しいこと、貧乏な人は本当に貧乏だろうことは知っていても、真の貧困層の気持ちや行動スタイルは、想像できないと思われる。(全く知らないことは想像できないのが普通)

例えばフィリピンのゴーゴーバーなどで働いている女性の多くが、普段どのような所でどのような生活をしているについて、全く見当違いの想像をしている方もいるのではないだろうか。
日本で言う少し貧しいアパート暮らし程度だと思っていたら、大間違いである。
生活習慣、基本マナー、金銭感覚、規範の全てがまるで違うと思った方が良い。
それを日本人の感覚で付き合っていたら、とんだしっぺ返しを食らうこともある。
例えば詐欺同然にお金を取られたり、泥棒にあったりする・・。
アンへレスでレストランを経営する日本人の方のブログにも、韓国人被害者の実例が掲載されたばかりだが、その手の話しは珍しくない。
日本人が最初に接するフィリピンは、半分以上はアウトローの世界なのだ。

ここで言うアウトローのローとは、国家が定めた法律以外に、国民に浸透している規範のようなものも含めて僕は言っている。(日本人から見たアウトロー)
日本では、働かずにぶらぶらしている若者にはもっとしっかりしろと親や親戚から檄が飛んだりするものだが、このフィリピンにはそんなものはない。
むしろここには、そのような人が溢れるほどいるから、その程度は世間体が悪くなるということにはならない。一応親も心配はするが、その心配の度合いに日本とは雲泥の差がある。

以前、もし現在ファミリーの生活を支える拠り所に何かあれば、そのファミリーはどうするのだろうという問いかけに、次の核になる人(生贄)を探すのでは・・という答えを頂いたことがある。
日本人はそれに、何か納得できない雰囲気を感じ嫌悪感を覚えるかもしれないが、ここではそれが生きていくための手段の一つとして、何が悪いのか・・という話になる。それが悪いことだとしたら、どうやって食っていけばいいのか教えてくれと言われ、言葉に詰まるか、何か答えれば不毛な議論が展開されることになるだろう。

そのような時日本人は、各自がもっと努力してお金を稼ぎなさいと言いたくなるが、不思議とフィリピン人は、そのような発想にならない。
まずは、お金を稼ぐ効率を結構気にする。そんなに苦労して、これしか稼げない・・であれば、誰かを日本で働かせた方がずっと効率的で良いではないかという考えがどこかに潜んでいる。
仕事の口があっても、その仕事はサラリーが安いなどと言い、働こうとしない。
結局働かなければ収入は安いどころかゼロではないかと言いたくなるが、それには気付かない振りをしているのか本当に気付いていないのか・・・。
結局は楽をしてお金を稼ぎたいだけの方便にしか聞こえないが、それが多くのフィリピン人の体に浸みこんだ、生き方の一つである。

それでも困ってくれば何とかしようと考えるが、その場合でも#339の記事にハナトケイさんから寄せられたコメントにあったように、最小限の労働に留める。それで生きていけるのなら、なぜそれ以上がんばる必要があるのか・・。
これもフィリピン人の体に浸みこんだ生き方として、今の僕には大変よくある話として理解できる。
飲んだり食ったり遊んだりする金があるうちは働かない、それがなくなったら労働を再開する・・、もし追いつかずに困った時は、家族や親戚に頼る。
これは身の周りでも、実によく見かけるスタイルである。一般的なあり方と言っても過言ではない。

日本人は、なんという杜撰な生き方だと言うかもしれないが、原始時代の人間はそれが普通の生き方であった。つまり生き方が原始的なだけなのである。
そのように考えると、僕は、それはそれで認めてあげないといけないかもしれないと思ったりするから、最近はそのようなことに本気の怒りを覚えなくなった。
(認めるというよりは、そのような生き方しかできない人は、こちらに諦めが必要と言った方が正確かもしれない。)

このようにフィリピンには、日本人の常識が非常識で、非常識が常識だということが実に多くある。
(ここではフィリピンと書いているが、これらは日本以外のアジア諸国では良く見かけるスタイル。だから、アジアでは日本人は非常識人間?なんて考えることもあるくらいである)
そのようなフィリピンで暮らす場合、この国で日本の常識を振りかざすには無理があると、限界を感じる場面に多く出くわすのである。

よって婚姻により、そのようなフィリピン人と家族関係ができたりすれば、関わり方について思考錯誤しながら、場合によってはそれをコロコロと変更しなければならないケースにいくつも遭遇することになる。
こちらにも体に浸みこんだ文化や常識というものがあるから、自分の感覚から余りにもかけ離れた事象については、最初から関わりを持たないと割り切ることも、僕は正解ではないかと思うのである。
それは冷たいように見えて、実はフィリピンで生活をさせて貰っているこちらの譲歩であり謙虚さになるのではないかと考えたりする。
認めたわけではなく、とりあえずイライラすることから目をそむける。そのうちそのようなものだと分かってくれば、イライラも解消されてくる。実際にそうである。
くすぶっているものがあれば、先日の夫婦喧嘩のように、何かをトリガーにして爆発することもあるが、それも何度か繰り返せばやはり慣れに繋がってくる。
下手に干渉しない方が楽で、お互い幸せだということになる。
その変わりに、そちらの虫の良い要求も止めてくれということになる。

唯一の心配事は、先日から繰り返しているように、非常事態が発生した場合のことである。
特に生死が関わる病気や事故で、治療費や入院代が必要となった時にどう対応できるのか、それはこれからの課題である。
これらも関わらずに済むのだろうか・・、とても自信がない。
フィリピンの医療費は、大変高額である。

これらは、日本人の自分がフィリピンに移り住んで、日々感じる事柄である。
これを逆さまに考えればどうなるか。
つまり、日本人がフィリピンに入った場合ではなく、そのような文化背景を持つフィリピーナが日本に入った場合である。

日本に入ったフィリピーナは、当然日本人とフィリピン人の考え方のギャップに戸惑うはずである。
日本人にとってフィリピンの常識と非常識が反対になっているのであれば、日本に行ったフィリピーナにとってもそれは同じことになる。
しかも日本人がフィリピンで文句を言うのは、家族の生活スポンサーという立場からだが、日本で働くフィリピーナは、上から頭ごなしに日本のやり方を押し付けられるようなものだ。フィリピンの緩い環境から日本の厳しい環境へ順応しなければならないという苦労だから、そのストレスはかなり大きなものだと予想できる。
時間通りに出勤し、休みたい時に休めない、それだけで相当きついと感じる人がいるはずだから、それ以外の様々な圧力がかかった状態の中で仕事をするのは地獄のようなものだろう。
そのような中で優しい男性に巡り合えば、砂漠でオアシスを発見したような安堵感があり、その心地よさに甘えたくなる人もいるだろう。その中には、盲目になり相手の本質を見誤る人が出ることも十分あり得る。

しかし、大変なことは良く分かるが、僕がアウェーのフィリピンに順応しなければならないのと同様、日本のフィリピーナもアウェーの日本に順応しなければ、お金を稼ぐという当初の目的を果たすどころか、自分が生きてさえもいけなくなる恐れがあるのである。
もし僕がこのフィリピンの地で、いつでも日本流を貫き、それがかなわない時に暴言を吐くだけになったら日本に帰った方が良いのと同じで、フィリピーナも日本流に順応できないと悟ったら、大人しくフィリピンに帰った方が幸せかもしれない。

仮に僕が、行きずりのフィリピーナに生活やお金にまつわることを相談されたら、一言、フィリピンに帰った方が良いと答える。それが嫌だったら頑張るしかない。二つに一つだと言う。助けてくれないかと言われ、それがお金のことであれば、そんな義理はないと断る。ついでに、フィリピンに帰れば、何とかなるじゃないかと言う。実際に何とかなると言ってフィリピンに逃げ帰るフィリピーナもいる。そのような女性はおそらく、何とかなっている。最後は、あなた冷たいなぁなどと言われ、話が終わる。それだけだ。
(実際にこのような会話をしたことがあるような気がする・・・)

これが恋人であれば、話はまた違ってくる。冷たい言葉一つで片付けることなく、運命共同体の真似ごとなどをしながら、何とか良い方向性を一緒に探そうとする。結構金もかかるが、運命共同体(仮)だから仕方がないと諦める。後は相手の考え方や心掛け次第となる。
それでも何ともならなければ、これは続かないなぁなどという予感を持ちながらも、ずるずるお金を浪費し、結局関係は破綻する。
(実際にこのようなシチュエーションになったことがあるような気がする・・・)

夫婦になれば正真正銘の運命共同体となるから、綺麗事をできる限り排除しながら、フィリピンと日本の考え方をお互いに持ち寄り、手探りで実状を踏まえながら、時にはフィリピン流に、時には日本流に、そして折衷案などを編み出しながら、時間をかけて形(生活スタイル)を作っていくことになる。
我が家は今、その状況にある。
(実際にこのようなシチュエーションになっている。決して気のせいではない・・・)

当然日本で暮らす大勢のフィリピーナが、同じように日本のやり方に順応しようとして思考錯誤を繰り返しながら、異国の生活に挑んでいる。
それは、僕がフィリピンで戸惑い、考え、何とかしようともがく姿を鏡で映しているようなものである。
まったく同じ土俵では語れない点もあるが、異国で生活費を稼ぎながら暮らすという点での本質は同じだ。
フィリピン在住の日本人全てが、金に物を言わせ王様生活をしているかと言えば、それは大きな勘違いで、フィリピンの家族に見放され、放り出されて貧困生活を余議なくされている日本人がいる。挙句犯罪に手を染めなければ生きていけず、フィリピンの刑務所に入っている日本人もいる。
(最近アジア各地のそのような邦人貧困者が、にわかに問題になっている・・)
その土地に住んでいる人たちに理解の一片も示そうとせず、土地に馴染む努力をしなければ、そのような末路を辿ることがあるという実例だ。
それを踏まえれば、日本人がフィリピンで暮らすことと、フィリピーナが日本で暮らすことは、基本は同じことなのである。

上手に日本に溶け込んでいるフィリピーナを見れば、そのような人たちはフィリピン人の良い特性を活かしながら、日本人の心を掴むための肝をしっかりと見極めている。これはフィリピンで暮らす僕が、見習うべき点である。
僕もそのような賢い人間にならなければならないとは思うが、これが中々難しい。
フィリピン人のようなおおらかさがないと、中々日本流から脱却できずに、ついつい我が出るのである。
そこは自分がフィリピンに適合できるように、フィリピン家族に自分を育ててもらうしかない。


かつて日本にいた僕が、知らない国にやってきてお国の家族のために働くなんて大変だねぇ、頑張れぇ〜、とフィリピーナを応援していたのが、気が付いたら僕も同じ立場になっていた。
何か不思議だ。今さらながらそのことに、何で?という素朴な疑問を感じたりする。
違いがあるとすれば、日本のフィリピーナはフィリピンの家族のために日本で働いていたが、僕はフィリピンでフィリピンの家族のために働いている。
そんなところでは、フィリピン人は、人を自分のペースに人を引き込むのが本当に上手だと感心するが、引き込まれた自分にもそれなりの弱みがあるから、そのことをとやかく言うつもりはさらさらない。

かつては、日本で働くフィリピーナに、日本人の考え方はこうだと教えてあげたりしたものだが、その時には、あなたは日本に住んでいるのだから、日本人に合わせることも必要だという気持ちを持って話していたはずだ。
それが今、僕はフィリピンに住んでいるのだから、かつての自分の言葉やその気持ちを思い出して、時折自分を見つめ直す時間が必要となっている。

それでも時々、このくそフィリピン人などと思ったりするが、それが僕の人間くささであり、まだ子供のように至らない点だという寛容な気持ちで家族には受け止めて欲しいなどと身勝手にも思ったりしているから、僕はまだまだ修行が足りないと、心から反省しているのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:342.異国暮らしは大変
2011年09月06日

341.メイドのいる暮らし

土曜日の午前中、なぜかベビーシッターであるはずのマリーンが、僕たちの部屋の掃除をしている。
なぜあなたが掃除しているのかと訊けば、テス叔母さんが1階の掃除に手間取っているからだそう。おそらくママが見かねて、マリーンに指示したのだろう。

しかしマリーンの仕事はあくまでもベビーシッター、家事のメイドではない。
そこで、自分たちの部屋の掃除くらい自分でやるから結構だと断り、僕は床の拭き掃除を始めた。

これは普段から感じていることだが、日本人の僕は、自分たちの部屋の掃除くらい各自ですれば良いと思っている。
特にベルの部屋だが、子供が自分の部屋の片づけや掃除を他人任せにしていたら、どんな大人になるのかモナにはさっぱり分かっていない。
既にベルには、兆候が出ている。遊んだ後はいつも何でも色々な物がちらかったままだ。ドアの開け閉めもだめ。バスルームから出てきたら、開けたドアを閉めずにどこかへ行ってしまう。そんなことを僕が見つけたら怒る。
その点は、2歳にならないユリの方がはるかにまともだ。ユリは遊んだものでも履き終えた靴でも、使い終わった物は必ず所定の位置に戻す。ごみを見つけたら拾ってゴミ箱に捨てる。ドアも開けたら閉める。時々廊下直進で壁に激突して泣いているが、それはとりあえず愛嬌だ。
そんなユリの行動を見て、モナはユリを偉いというが、僕は、偉いのではなくてそれが普通だ、ユリに感心する暇があったら、ベルの躾をきちんとしろと言っている。

特に当てつけで始めた掃除ではなかったが、僕が床に這いつくばって掃除をしていたら、気が付いたらモナもママも、あげくダディーまでも家の中の掃除を始めていた。
もしかして、僕が家の中で働くのって、結構迷惑?・・なんてちらりと思ったが、構わず続けて、2階のリビングを含めた廊下の床も全て綺麗にした。
全身から滴り落ちる汗が尋常ではない。
掃除が終わりシャワーをすると、さっぱりとして体も心もすこぶるご機嫌だ。やはり労働で流す汗はいいなぁなどと、忘れかけていることを思い出したような気分になっていた。

自分で掃除をしてみると、実に色々と分かる事がある。
まずは、毎日拭き掃除しているはずの床のタイルに、意外と多くのこびりついた汚れがある。
毎日隅々まで行っているはずの、テス叔母さんの掃除が結構いい加減だということがわかる。
その点僕が掃除をすると、ここはユリがいつも裸足で歩き回るところだとか、座り込んで遊ぶ所だからなど考え、そんなところは他よりも力が入る。
また、机の脚の下に、ステープルの針が挟まって半分ほど表に出ているものなどを発見すると、これも子供に危ないなどと思いきちんと始末する。これとて、毎日掃除をするテス叔母さんの目につかないわけがない。

フィリピン人は人によって、何でも大雑把で悪く言えばいい加減なところがある。そのような人は信用仕切れない。
テス叔母さんはその典型だ。ママもそれには気付いていて、洗濯、食器洗い、料理、掃除について、よく文句を言いながら、最後は自分でやっていることも良くある。このように、ママの感性は僕(日本人)と近いので、ママがキッチンに入ると安心できる。
モナもテス叔母さんのすることには自信が持てないと言うが、彼女にはダディーの血も入っているせいか、ママに言われて気付いているところも多いようだ。

テス叔母さんのいい加減さを具体的な例で上げれば、洗ったばかりの食器にべっとりと汚れがついている、洗濯はすすぎが不十分、こちらは氷を作る時にビニール袋に水を詰めそれを冷凍庫に入れるが、その氷を使う際は包丁などで砕くことになる、飲み物に氷を使った際、口の中からビニール袋のかけらが出てくることが頻繁にある、とたんに飲んでいるものがまずくなる、そんなものは消化できないのだから、子供の口には入れたくないと思ってしまう、海老の皮むきをお願いすれば所々に固い殻が残っている、しょうがのすりおろしをお願いすれば、随分皮がまざっている。
細かいことだが、とにかくこのように、日本人感覚で評価すれば全ての仕事が雑なのである。食べ物などは自分も口にし、食器も自分や娘が使用しているのだから、おそらく根がかなり無神経なのだろう。

食事の最中、僕の口の中からビニール袋など出てくれば、ダディーは笑い飛ばしているが、ママは困惑した表情で、やや目がつり上がる。
これはモナも困ったものだと思っているようだが、同じフィリピン人でも、そういった不手際に対して随分と反応が異なる。

しかし、他人の家に入り込んで他人の事をやるというのは、その程度かもしれない。
もともと大雑把な人たちだから、他人の家の家事など尚更、仕事振りに期待などできないことになる。
これでママが目を光らせていなかったら、おそらく首を宣告するほどの事件が毎日起こっているはずだ。
しかし家の者がやれば、子供の安全性や衛生面を考慮して、自然と料理でも洗濯でも掃除でも気をつけてやるのである。もともと家事とは、そのような愛情を伴うもののはずだし、子供ためにはその方が絶対に良い。

以上のような観点から言えば、メイドを雇い家事全般をお願いするということは、心のどこかでは、栓を開けたコーラの気がどんどん抜けて不味くなっていくように、何か大切なことが日々失われているような気がしないでもないのである。

反面、メイドを雇っていることで随分と助かっている。
我が家は手洗い洗濯だから、自分たちの分をやるだけでも一苦労だ。庭の手入れも、放っておいたら芝だってボウボウに延びる。窓も外からの拭き掃除などを、1週間に一度はやっているせいか、汚れが目立たない。もしメイドを雇っていなければ、ママもモナも昼寝をする時間が取れず、おそらく毎日不機嫌になる。
小さなところにメイドを雇っている恩恵が様々見える。

とにかくこのように、家の中に他人を入れて家事をお願いするということを日本人は単に優雅が生活だと思われるが(僕もそうだと思っていた)、ここフィリピンでは、実際にはストレスと便利さが背中合わせになっているようなものなのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:341.メイドのいる暮らし
2011年09月05日

340.課外授業

庭に面した1階のテラスで、コーヒーを飲みながらタバコを吸っていた。
目の前ではアンとベルが、自転車に乗って悪ふざけをしながら騒いでいる。

ふと足元に目をやると、赤い小さな蟻がたった一匹で、自分の体の5倍はある虫の死骸をずるずると引きずって歩いている。
思わずしゃがみ込んで、それをずっと目で追いかけていた。
普段は許しがたき天敵だが、懸命で健気なその姿は、何か心を打つものがある。

遊んでいたアンとベルが、僕が何かを見ていることに気付き、傍らに寄ってきた。
「ほら、見なさいよ、こんな小さな蟻が食べ物を運んでいるでしょう。食べるためには、こうやって必死に働かなければならないんだよ、わかる?」

なかなか良いことを言っている・・、蟻もたまには役に立つことがあるなぁと悦に入っていたら、右足の指の付け根にチクリと痛みが走った。
見れば、別の赤い蟻がいつの間にかよじ登り、僕の足に食らいついている。
それを反射的に指でブチッと潰してしまった。アンとベルはそれを見てニタニタしている。

ここは少々の痛みを我慢すべき場面だったかもしれなかった・・などと思いつつも、二人の信頼を引き寄せるために僕は話を続けた。

「人間だってこれと同じように働かないと、食べていけないんだよ。二人は将来、これと同じように働かなければならない。そのためにはなぁ、普段からしっかりと勉強をして、立派な大人にならないといけないんだよ」
(実は、そんな働き者の男を見つけなければならないと言うところだった・・が、後で考えると、月並みなことを言うより、そちらの方が現実的で正解だったかもしれないと一人で考えていた・・)

そんなことを言いながら、3人でしゃがみ込んで、虫の死骸を運ぶ蟻を観察していた。
するとその蟻は、突然運んでいた餌を口から離して、餌を捨てるように、進行方向に一人で歩きだした。
アンとベルが、無言で固まる僕を見つめているのが視界の隅に入ってくる。

君たちの言いたい事は、よ〜く分かっている。
それにしても、なんでこのような話しをしている真っ最中に、こんな展開になるんだ・・

などと思いながら、二の句が出ずに、妙なプレッシャーの中で僕はひたすら餌運びを諦めた蟻を目で追いかけていた。

・・・と、その蟻が突然Uターンをして、餌をくわえて再びそれを引きずり始めた。
この場面、やはりそうこなくてはいけない。

「おお!なぁ!こんな小さな体で餌を運ぶのは大変だけれど、彼は諦めないだろ、すごいなぁ・・、なぁ!」

二人は分かったのか分からないのか、ニカッと笑って、蟻を見つめる僕を置いて再び自転車遊びに戻っていた。
取り残された僕も手持無沙汰になって、飲み終えた後の空のコーヒーカップを持ち、蟻の行方を見届けることなく自分の部屋に戻った。
階段を上りながら、きっと二人は120%わかってないんだろうなぁ・・・という気がした。

ここには自然の教材が山ほどある。反面教師も腐るほどいる。やはりフィリピンは素晴らしい・・・。
それでも、変な虚しさが残る課外授業だった。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:340.課外授業

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