フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年09月01日

336.タバコで初めてのバー

昨夜夕食後、初めて地元のバーに行った。
バーに行こうと思ったきっかけは、我が家のすぐ近く、歩いて行ける程の距離に、突然新しいバーがオープンしたことである。
日本やマニラのPPのように、隣に座る女性がずらりと揃っているようなところではなく、カラオケが用意され、後はご自由にどうぞといった趣の店だった。
そのような店であれば、ちょっとした息抜きで堂々と行っても良いだろうと思ったのである。

幸いその手の店にうるさいママと、行くと言ったら自分も連れて行って欲しいダディーが不在だったので、ジュンさん(ママの弟)を誘ってみた。
ジュンさんは普段、みんなに下っ端扱いされて可哀そうである。ダディーもいつも、まるで彼が自分の下僕のような態度で接している。そんなジュンさんの慰労の意味も込めて、彼を誘いたかったのだ。
お酒が大好きなジュンさんは、予想通り顔をほころばせてオーケーサイン。
しかしフィリピン人、出かけるとなればシャワーをしたい。僕はママとダディーが帰ってくる前にさっさと出かけたいが、ジュンさんが綺麗にして出かけたい気持ちは良く分かる。
自分も着替えて、下の階でジュンさんの準備が整うのを待っていた。

ジュンさんの準備が整ったと同時に、ママとダディーが帰ってきた。
モナがママに僕とジュンさんが一緒にでかける話をしたら、案の定、ママは二人で行くのは危険だと言い出した。
しかし手持ちのお金もそれほどあるわけではないので、そこにダディーも加わるのはきつい。それにダディーが一緒となれば、それはそれで、ママのご機嫌が悪くなる。

「何でも危険だと言って出かける自由がないのなら、僕はまるで、檻の中で飼われている動物と同じではないか」
などと言い、それ以上余計な口をはさませないようにしながら、さっさとジュンさんと二人で外に出た。
バイクが無かったので、ジュンさんのパジャック(サイドカー付き自転車)で出かけることにした。
行きはジュンさん、帰りはどうせジュンさんがベロンベロンに酔っぱらうから僕が運転すると言い、最初は僕がサイドカーの方へ乗った。

目的のバーは近い。距離的には全くたいした事がなかったはずだが、ジュンさんは、なぜか家の近くにできたバーを通りすぎて、その先に行こうとしている。
ジュンさんに、そこのバーではないかと言ったら、一言「ノー」と言われ、そこでジュンさんに対するモナの説明が悪かったことに思い当たった。

ジュンさんはほとんど英語を話せないので、モナに行き場所を説明してもらったのだが、その時モナは国道沿いと言っていた。一瞬、あの店の前の道路は国道なのか?と思ったが、やはりそれは言い間違いであったようだ。
その先にある国道沿いのバーとは、やはり同じような趣きのバーで、カラオケがあり、時折生バンドの演奏などをしている。
まあ、どちらも初めての場所なので、それでもいいかとジュンさんに黙って従うことにした。

田舎町の更に田舎にあるバーなので、どこへ行ってもたかが知れていると思っていたが、行ってみれば思った以上にひどかった。
客は僕とジュンさんの二人だけ。店内には音楽さえ流れておらず、突然客が現れたので、慌てて店のスタッフが音楽の準備を始めていた。
オーナーらしきおばさんがいて、得体の知れない男が店の隅に座っていた。最初は客だと思っていたが、それはオーナーの弟で、夜な夜なそこで暇つぶしをしているようだ。
ジーンズ姿のウエイトレスの若い女性が二人いて、オーダーを取りにきた。
いずれもジーンズがはちきれそうなご立派な下半身を持つ、寸胴タイプ、太めの女性である。

頼んだビールとつまみがやってきて呑んでいたが、ジュンさんとの会話がさっぱり弾まない。おまけに店は超静か。まるでお通夜のような雰囲気だ。
店に今日はバンドをやるのかと訊いてみれば、9時半からスタートする、毎日やっていると言われたが、9時半になってもバンド演奏が始まる気配がなく、確認すれば今日はバンドが来れなくなったということだった。
いよいよお粗末な状況に、ただただ茫然としていたら、ウエイトレスの女性がテーブルに座ってもいいかと訊いてきた。
後で知った事だが、この界隈では、ホステスはウエイトレスと言うらしい。警察への許認可の関係で、ホステスらしい格好はせずに、呼び方もウエイトレスだとか。

英語は話せるかと訊けば、少しは大丈夫だと言うので、それではジュンさんとの会話でトランスレート(通訳)してくれとお願いした。
しかしこの女性、英語は言葉通りに本当に片言。それでもジュンさんとビコール語で話が弾めば良いが、二人は全く話さず。
ジュンさんは女性と話をするのが恥ずかしいので、彼女からそっぽを向いている。
女性はそんなことを全く気にせず、せっせと1杯180ペソのレディスドリンクをカパカパ呑んで、お代わりをじゃんじゃん要求してくる。

見かけは大人しい顔をしているが、言い方が図々しく、マナーも悪い。
すぐにテーブルから追い出せば良かったと後悔するが、そのような女性を観察するのも社会勉強にはなると、自分を納得させていた。
全く接客の仕事をしないくせに売り上げ貢献だけは一生懸命なので、5杯目の要求を断ると、なぜ?と言い出した。
こちらが日本人だと思ってふっかけているのか、それともそれがこの店や彼女の普通なのか、彼女の表情からはまるで読めない。そのようなことを見抜くのは少々自信があったが、そもそも会話も足りずに当惑しながら、あまりにも図々しい物言いについつい負けて5杯目をオーケーしてしまった。しかし、できるだけ鴨ってやれという雰囲気が見えだしていたので、もし次があればはっきり文句を言うつもりだった。

3人でお通夜状態になってしまって、どうにもいたたまれない。まだ二人のお通夜の方が、安上がりでもあり良かった。
仕方なく一曲5ペソのカラオケ(ミュージックボックスのようなカラオケ)を始め、少しはそれらしい雰囲気になったが、女性が4曲、僕が3曲歌ったところでコイン切れ。店にもコインがないという。
再びどん底のお通夜状態に戻った。

ジュンさんがビールを5本呑んだところで、そろそろ帰ろうかという話になった。
僕にとっても、そのまま居座り続けるにはあまりにも辛い状況だった。
支払いを済ませ帰る段になったら、座っていた女性が、もう1人の女性にチップを渡してくれと言い出した。
しかもその言い方と、顎を使った、ほらほらという、あまりにもぞんざいで礼を欠いた態度に、さすがに僕の中で堪忍袋の緒がプツリと音を立てて切れた。
僕はムッとした態度を隠さず、なんで?という言葉を捨て台詞のように吐いて、彼女を無視してさっさと店を出た。
当たりが悪かっただけかもしれないが、田舎のホステスなどそのようなもので、エンターティメントのかけらもないなどと思いながら、当初の約束通りにサイドカーにジュンさんを乗せ、僕が運転して帰路へついた。

我が家は丘の上にある。バーに行く際はほとんど下りで楽だが、帰りは上りばかりでかなりきつい。
まず始めに、自転車をこぐ足に途方もないけだるさを感じ、息が上がり始めた。ジュンさんは自分が運転すると言ったが、約束は約束だからと、ひたすら自転車のペダルをこぐことに集中した。
普段何気に利用しているパジャックのドライバーの辛さが、身に浸みて理解できた。
酸欠状態で意識が吹っ飛びそうな状態の中、毎日これだけの重労働をして、一回の運賃60円を稼ぐ仕事を、僕であれば続けられるだろうかなどと朦朧と考えていた。
このパジャックの運転がきっかけで、これがモナとの険悪な喧嘩に発展したのだ。
(次回へ続く)


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エントリー:336.タバコで初めてのバー
2011年08月31日

335.帰国命令

先日、某大手メーカーから仕事関係の問い合わせを営業が持ってきて、それを日本の皆さんが誰も相手をしてくれないものだから僕にお鉢が回ってきた。
仕方がないから、ちょっと売り込み資料を兼ねた問い合わせに関する回答資料を作ってあげた。
それがお客さんに気に入られたのかどうか、別件の問い合わせなどもわさわさと出てきてしまい、それが社長の耳に入り、一度日本に帰って今後の段取りも含め打ち合わせに来いと、メールが入ってしまった。
そのお客、品川界隈の大きなビルディングに入っている会社で、社長が取引を大きく拡大したいと思っていたメーカーなものだから、とても気合が入っている。
しかも社長のメールでお相手のご担当者の名前を見たら、なんとなく知り合いのような気が・・・。以前一緒に仕事をした方と、とても良く名前が似ている・・というか、同じ名前。(同じ会社の同姓同名か?)
あらまぁ、お久しぶりです・・なんてことになれば、社長はますます気を良くして、しばらく張り付いて仕事をしていけ、なんてことになりかねない。

とりあえず今、帰国命令を無視している。
9月はいろいろと忙しい身の上。マニラで日本人の方の結婚披露宴にご招待いただき、知り合いと合う約束もあり、自分の誕生日があり(これまでモナと、僕の誕生日に一緒に過ごしたことがない?)、それに大切なVISAの手続きも控えている。
収益面で考えれば、交通費や宿泊費をかけて日本などに行けば、鼻血もでないほどの赤字になる状態。
それを解消すべく、9月や10月はようやく黒字化できそうな大きな仕事が控え、ただでさえ首が回らない。

しかし、そんなことは社長には通じない。何とかやりくりをすれば、何とかなると言われ(実際にそうだから困るのだが・・)、それでもぐちぐち言っていると、具体的に手助け要員をあちらこちらから連れてきて、これでやれるだろうとくる。

しかし、日本へ行く経費は、本当に馬鹿にならない。それが不発に終われば、大きなダメージとなる。
実際にそうなった時には、おそらく日本サイドは知らん顔。後は何とかしろ、・・で終わる。
さてどうしたものか、突然天から降ってきた難題に、苦悩している。
苦悩しているから、とりあえずブログの原稿でも書いてみようかと、逃避している(笑)
(明日と明後日の原稿は、既に書きあがっていた・・・)


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2011年08月30日

334.円高・ドル安

民主党の新代表選挙を、インターネット経由でフィリピンから見ていた。
モナが、なんてクリアーな画像かと驚いていた。
このフィリピンの最悪ネット環境で、なぜあれほどクリアーな画像がほとんど切れ目なく見られるのか僕にも不思議だが、とにかくフィリピンにいてそのようなものをリアルタイムに見る事ができるということに、インターネットは世界を狭くしたと感心してしまう。

モナには、最初の投票で一位を得た海江田さんがそれで党代表に決まらず、決選投票をすることの意味合いが、どうにも理解できないようだった。
フィリピンの大統領であれば、一回の選挙で決まってしまう。日本の総理大臣は、なぜ一回で決まらないか・・。
がんばって説明してみたが、日本の総理大臣が決まるまでの仕組みを説明するのが大変厄介で、面倒になって途中で説明を止めた。
都合よく、昔良く一緒に馬鹿騒ぎをした議員が画面に登場したので、この人は友達のようなものだと自慢して誤魔化した。

当選した野田さんは、果たして日本を上手に導くことができるだろうか。
僕は野田さんという人物は良く知らないが、演説は思ったよりも良かった。
海江田さんも正義感のある人ではあるが、先日国会答弁で号泣した姿を見てからは、このような弱い精神状態で今の日本の総理が務まるのか不安がよぎった。しかも裏には、小沢一郎と鳩山コンビが控えている。
結局民主党は、それを嫌ったのだろう。賢明な選択ではなかったかと思える。
もし海江田総理大臣が誕生したら、昔良く聴いたラジオ放送のパーソナリティーが総理かぁ、不思議なものだなどと思っていたが、果たしてそうはならなかった。


新内閣がこの未曽有の円高を、どう乗り切るのだろうか。
僕の個人的な予想では、この円高はまだまだ続く。1ドル60円や50円の時代がやってくる。ドル決済をしている会社にとっては、頭が痛いだろう。
僕のところも基本はドル決済。円高・ドル安になるたびに、収入も蓄えも勝手に目減りするのでため息が出る。
ドル収入をせっせとペソに換金して、為替リスクヘッジを考えておかないといけないようだが、ペソも信用ならないので、やはり円口座を作るべきだろうか。

フィリピンの田舎では、円口座は不便。引き出すだけで一週間かかると言われ、口座を作るのを止めた。
日本相手の商売はとりあえず円取引で、日本の口座に円で振り込まれる。それをフィリピンで、ペソで引きだしている。現在はそれで何とかなっている。ペソへの換金手数料はばかにならないが、円高の勢いがそれを上回っている。

世界中に過剰にばらまかれた米ドルが、いずれ価値を失う事は明らかであった。
アメリカはもともと働かずに儲けようという主義の国である。これまで、世界の頂点に立ち、周辺諸国を奴隷化して自分たちが潤うという発想でやってきた。
そんな国が、何かあればドル札をどんどん印刷してばらまく。実態の無い金をサイン一つで作り出し、世界の王様のような顔をしてそれを買わせて使わせる。
そのようなモラルの無い国の貨幣が実態を伴わずにじゃんじゃん出回れば、高い価値(信用)を保てるわけがない。世界はその虚構にとっくに気付いている。
そして世の中に無用に溢れたものは価値が減少する。これは自明の理だ。

アメリカ自身も金の流れが止まり、身が持たなくなってきた。
金の動きが止まれば、金融関係はお手上げとなる。製造業はもともとだめ。アイディア料収入(特許)もだめになった。
このままいけばアメリカ経済が立ち行かなくなるのが見えてきたから、実体経済とのバランスを取るために、アメリカ自身がドルの価値が下がるよう仕向けている。
その裏には、借金返済のために、アメリカはこれから輸出を出来る限り増やしたいと考えているのが見え隠れする。

アメリカは、かつての日本のように(製造業中心)変わろうとしているのではないだろうか。物を作って売るという、貨幣経済の基本に立ち返ろうとしているように見える。
そのためにもドル安は必須条件である。
そして稼いだ外貨で、過剰に出回った米ドルの価値を下げて少しずつ買い戻す。
当面は武器の輸出に拍車がかかるのではないだろうか。
それが戦争の火種になれば、それはそれで出番がやってくる。
戦争の混乱に乗じて新しいドル札を作り、旧ドル札は今後一切使えませんなどという究極の手を、アメリカは平気で打ってくるかもしれない。
そんな心配がひとたび出れば、世間は米ドルが危険だと離れて行く。これが貨幣に対する信用である。

このように、今の円高・ドル安は、単なる気まぐれ変化ではないように思える。
かつて1ドル360円が240円になり、180円になり、120円から100円が固定相場的に定着した。今度は70円や60円が定着しそうな気がする。
とすれば、日本も大きな方向転換を模索しなければならない。新内閣にも、それを期待したいところだ。
もっともこれまでの日本人は、目の前に問題が立ちはだかれば具体的な解決方法を探して何とか乗り切ってきたのだから、今後もそうやって、下から押し上げるように大きな流れを作り、日本全体の方向性を見つけ出してしまうかもしれない。
そこはフィリピン人と日本人の大きく異なるところである。
かくいう自分も、今後どうするかを、良く考えなければならない。


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