フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2014年02月08日

720.マニラ・マッタリバケーション2

 初日、日本領事館での手続きが思った以上に長引き、しかも携帯を守衛で取られてしまうため(パソコンや携帯は爆発物の起爆装置になり得るという理由。セキュリティ上、カメラ禁止という理由もある)Hさんに連絡できず、ホテルインが遅くなりHさんには最初から失礼をしてしまった。
 やや焦って領事館を飛び出すと、たまたまタクシーが通りかかり、僕は反射的に手をあげた。
 すると、タクシーに乗り込んで行先を告げ、車が発進してからすぐ、ドライバーが韓国人の悪口を散々並べ始めた。もちろん日本領事館から出てきた僕を、日本人と認識してのことである。
 それによると、以前韓国人客との間で料金トラブルが発生し、ポリスを呼んで客は豚箱入りし、結局その客は自分に約束した料金と、ポリスにも豚箱から出してもらうための大枚を払うことになったというものだった。
「その点、日本人で変な人間は、これまで一人も出会ったことがない。日本人は話し合いができる」と、必要以上にこちらを持ち上げる。
 そんなことを顔に満面の笑みをたたえ、滑らかな口調で話す調子の良さに、僕はそのドライバーを怪しいと思っていた。過去、自分のこの手の勘は外れたためしがない。
 領事館からホテルまで、渋滞もあり二十分ほどかかっただろうか。道路が空いていれば、おそらく十分少々の距離だ。車を降りる際に料金を尋ねると、ドライバーは、これはホテルタクシーだと言い、肝心の料金を言わない。
 やっぱりか……、と思っていると、彼はメータを指さした。メータには、それまで積算された金額として、二千ペソと少しが表示されていた。
「だから?」
「ホテルタクシーだからそのレートになる」
 レートの意味は知っているが、彼の言いたいことが僕には分からない。
「それで?」
 ドライバーは得意満面の顔をして、無言を貫く。
「だから料金はいくらなの?」と僕が再三繰り返し訊いても、ドライバーは金額をはっきり言わない。
 ついに僕が「二千ペソなの?」と言っても、ドライバーはにやけた顔で、ハイともイイエとも言わないのだ。
 吹っかけていることをはっきりさせないようにしながら、うまくふんだくりたいと思っているのだろう。おそらくそこで、僕が渋々二千ペソを財布から出せば、ドライバーは喜んでそれを受け取る。あとで問題になっても、自分が二千ペソを要求したわけではなく、それは客の気持ちだと思い受け取った、ということにしたいようだ。さすがに僕も、付き合いきれなくなった。
「そう……、もし二千ペソならポリスを呼ぼう、ポリス呼んでくれ、あなたが呼べないなら僕が呼ぶよ」と言いドアノブに手をかけると、ドライバーは慌てて、
「二千? それは高いよ、おー、あり得ない、二百でいいよ、二千はないよ」と、初めて料金を口にした。
 本当は二百でも高いが、まあ許容範囲である。時間があれば少し懲らしめてもいいが、バカらしいのでそれだけ支払って車を降りた。
 マニラで唯一の用事が済み、いよいよHさんとの再会に高揚していた気分が、そのせいで台無しにされた気がした。だから僕は実は、平静な顔を装いながらそのドライバーの態度に怒り心頭だったのだ。久しぶりに頭に血が上っていた。時間があれば、本当にどこかへ電話をしていただろう。例えば料金トラブルを受け付けているLTO、藪蛇になるかもしれないポリス、ホテルタクシーだというそのホテルに。
 タクシーに乗ってすぐ、電話番号をあげるからホテルから空港に行く際は連絡してくれと言っていた彼は、自分の番号を告げずに走り去った。彼にとって僕が、記念すべき話し合いに応じない初めての日本人客になったのか知らないが、相変わらずマニラのタクシーは信用が置けない。調子だけがよく抜け目のないやつは、なにじんでも嫌いだ。

 ホテルに到着した旨をHさんに電話で伝え、チェックインを済ませ、僕は部屋で待機していた。どうやらHさんは、確率学校に一ゲームやりに行っていたようである。
 少しして僕の部屋にやってきたHさんは、サウナ用グッズ一式(髭剃りとアフターシェーブローション、歯ブラシ・歯磨き粉セット、アルコール、脇用デオドラントスプレー……、実際の風呂場で、デオドラントスプレーをシェービングクリームだと勘違いしていた僕がそれを風呂場に持っていこうとした時、Hさんにそれは脇用だと指摘され恥ずかしかった)の入ったウエストポーチを僕にくれた。
「あそこのサウナは無料の備品が良くないんですよ。だから持参用に用意しておいたんです」
 事前に、昼は一緒にサウナに行こうと約束をしていたが、まさかそれ用のグッズまで買って用意してくれているなんて、相変わらず気を遣う方である。恐縮しながらそれを受け取り、さっそく下でコーヒーを飲むことになった。
 僕はつい先ほどのタクシードライバーの話を、Hさんはそのホテルに宿泊する日本人観光客の面白い会話を教え合い、そこから以前と変わらぬ長い歓談が始まった。
 二人の歓談が始まると、僕はいつも、時間を忘れてしまう。気が付くと夕食時で、それから場所を二度移すことになるが、その日は最後の居酒屋で夜の十二時まで、食べるのと話をすることで、口を閉じる暇がないまま初日が終わった。
 このマシンガントーキングが、朝食を共にし、食後のコーヒーを飲み、昼はサウナ室や風呂や休憩室で、そして夕食からホテルに帰るまでの朝から晩まで、その後の三日間同じ状況となる。
 とにかく不思議なことに、話題が尽きない。それはHさんの巧な相槌と誘導、そしてHさん自身の会話の振りもあってのことで、内容は政治・経済から下ネタまで、自分たちが笑ってしまうほど広範囲に及ぶものとなった。
 僕はブログで公開していない自身の過去や、封印していた忘れもしない自虐ネタまで披露し、もちろん話題として伝えようと決めていたこともあったが、多くの余計なことまで口を滑らしていたに違いない。
 実は初日の夜、居酒屋で時間は十二時を過ぎていたが、終わり方が少しあっさりしていてHさんらしくないという印象を僕は持った。真人間Hを本気で目指すと、この方もこうなるのだろうか? いや、いき過ぎもお互い疲れるだろうし、Hさんも気を遣ってくれたのだと思うことにした。しかし後日、Hさんの記事でその後のこと(部屋で誰かが待っている)を知り、やや目が点になってしまった(笑)。正直に言ってくれたら、僕はもっと早い時間に引き上げたのに、みずくさい方である。

 二日目は、前日酒を飲みっぱなしで話をした身体に、日本と同様のサウナや熱い湯の大きな風呂、そしてマッサージが極楽だった。サウナとセットになっている昼食でオーダーした味噌ラーメンも、懐かしい味で心が芯から温まった。海外暮らしが長いと、寿司、風呂、美味いラーメンには、思わず気持ちが緩くなる。それも手伝い、二人は再び饒舌になっていた。
 午前十一時頃からサウナに入り、夕方六時頃にそこを出て夕食を取る。それが、陽が沈み切らないうちの、二人のマッタリ行動パターンであった。
 その日は夕食をとった店を出て、その後居酒屋を経て、日本人向けKTVに足を運んだ。最初に入ったのは比較的新しい店で、中に入った瞬間に、自分が知っているKTVとは明らかに雰囲気が違うことに気付いた。Hさんも初めての場所で、どんなところかは知らないとは言っていたのだが、それにしても日本とフィリピンのその手の店を通して、初めて見る雰囲気だった。
 店には若い女の子がずらりと揃っているが、彼女たちのノリが強烈で、AKB48の歌を振り付きで歌っている。店内全体がそのノリに終始し、我ら年配者が落ち着いて身の置く場所が見当たらないのだ。(物理的にではなく、精神的に)しかも、女の子は接客の心得などどこ吹く風のマイペースで、まるで日本のキャバクラと同じように、女の子と自分の間に壁を感じるのである。フラフラと吸い寄せられるような、不思議で怪しげな魔力など見当たらず、「お金を使って騒いでくれるお客が大好きなのよ」と今にも明るく元気に言われそうであった。
 その居心地の悪さを解消すべく、僕は横に座る女の子に一緒に歌おうと持ち掛けたが、まるで反応が悪い。自分の持ち歌、好きな歌手、好きな歌は? の質問は全て無回答。僕はやや切れ状態で、彼女からソングブックを奪い取り、自分一人で歌う曲を選んでステージに立った。
 Hさんの横についた女性は、細身で妖艶な雰囲気を持つ、やや化粧のきつい子であったが、Hさんとの密着度が絶妙で上手くやっている。
 こちらは一曲歌っても、何か気持ちがのってこない。こうなったら手あたり次第に歌ってやるかと覚悟を決め次の選曲に入ろうとした時、Hさんから「次に行こう」と声が掛かった。Hさんもその店の雰囲気に幻滅し、長居は無用と決めいたようだ。こうしてセット時間をじゅうぶん残し、二人でその店を後にした。
 ところがその界隈で、少し前は一番流行っていたという次の店も似たような雰囲気だったのである。しかもHさんの選んだキツネ顔の女性が、Hさんのとても嫌いな顔だったそうで、彼のヘソが曲がってしまった。そのことは、いつも陽気に振る舞うHさんがむっつり無言でいることから、僕も何気に気付いていた。どんよりとしたHさんからそれを打ち明けられた時、僕はこう言った。
「だって、自分で見て選びましたよね?」
「指をさしたら、指さした子の隣の彼女が、私? と勘違いして反応したんで、そのまま座らせたんですよ」
 それはその場で間違いを指摘しなかったHさんの自己責任だあ、と思ったが、打ちひしがれる彼を追い込むその言葉を、僕は慎んで飲み込んだ。彼女の勘違いを指摘できなかったのが、Hさんの優しさなのだろう。
 しかし僕は、Hさんの指した方向をしっかり横で確認していたが、それは間違いなくHさんの横に座った子を指したと思ったのだ。彼女が勘違いをしたなら、僕も勘違いをしていたのだろうか? とも思ったが、僕でも思ったことを全て口に出さない常識は持っている。
「二件目の僕の横についた子は、自分で歌いたい歌があり、こちらにリクエストもしてくれ、その意味でのノリはまあまあ良かったですよ」
 連れていってもらい文句ばかりでは悪いと思った僕は、そんな感想を正直に述べたが、それがいじけたHさんを少し刺激したのかもしれない。 
「僕は一件目の方がずっと良かった」
 上目づかいで下唇を出し、まるで子供のように拗ねるHさんは、そう表現すれば可愛いように感じるかもしれないが、実際は目が笑っていなかった。真人間を目指しても、彼はあくまで燃えるものを求めしまうのだろうか。僕はどんな最悪な事態になろうと、気持ちよく歌うことさえできれば文句のない単純野郎で、ある意味幸せな人間だ。
 店を出てから二人、「これじゃあマニラのKTVで行くところがなくなっちゃうよ」というのが、二人の共通した感想であった。Hさんは、「こんな店ばかりになったら、アンヘレスに行った方がずっとよい」とも言い、「時間があれば、一日だけでも行くんだけどなあ」と付け足した。次にHさんが、「これからどうですか?」と本当に言い出すのではないかと、僕は少しドキドキした。
 こんな会話に、二人共オジサンくさいなとは思ったけれど、Hさんのおっしゃることについては僕も心から同感で、結局二人は昔のPPのイメージを追いかける、既に古いとされる人間なのかもしれない。
「お金を使わなきゃ、ただのオジサンじゃないの」
 思ってもそれを口と態度に出すなよと最初から釘を刺したくなるような女の子が多く、それに幻滅した二人はマニラのKTVが日本のキャバクラと同じ雰囲気だったことに打ちのめされ、悶々としてホテルに逃げるように帰った。こうして二人の二日目の夜が、終わった。

 と思っていたが、僕は翌朝、ヘロヘロになったHさんにレストランで出会うことになる。明らかに体調不良に見えたHさんに、僕が「お疲れですか?」と声をかけると、「実は魂を抜かれた」というHさんの打ち明け話が始まった。


 
 ↓ランキング参加中
 にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
 人気ブログランキングへ

 
 
2014年02月07日

719.マニラ・マッタリバケーション1

 日本領事館を通し日本に子供の出生届を出すのは、生後三か月までとなっている。この三か月を過ぎると子供を日本の戸籍に載せるのが難しくなり、つまり子供の日本国籍取得が厄介になるのだ。よって僕は、マレーシアに戻るついでに日本領事館に寄り、早めに子供の出生届を出すことにしていた。
 ところが、予め何も考えずに取ったマレーシアへの渡航チケットが日曜だったので、当初金曜日に領事館、土曜日はフリーと考えたが、金曜日は祝日で領事館が休みと分かり、木曜から日曜までのマニラ三泊となった。
 子供と少しでも長い時間を一緒に過ごしたい気持ちはあったが、しばらく会っていないHさんとじっくり話したいことも山積みとなっていた。どのみち一旦マニラからタバコに戻っても無駄時間や経費がかさむので、モナには申し訳なかったが彼女の了承を得て、僕はマニラで三泊することを選んだ。大した用事もなく単身でマニラに三泊するなど、本当に久しぶりのことである。
 Hさんは、それならば、と僕の日程に合わせマニラに出てきてくれることになり、それから僕とHさんの濃密な三泊四日、マニラでマッタリバケーションがスタートすることになった。
 この四日間、僕は、自分のひねくれた性格を思い知り、Hさんの魅力を解き明かし、久しく味わっていない命の洗濯というべき、夢のような数日間を過ごさせてもらった。これは一重に、Hさんのおかげだ。もしマニラに一人であれば、僕はずっと部屋にこもり、本を読み書き物をしているつもりだった。
 ここで言うHさんとは、過去の「Nさんの冒険」でも登場する、僕のもっとも信頼する友人の一人であり、フィリピンでも、ブログを始め各方面で名を馳せている方と言えば、お分かりの人には分かって頂けると思われる。

 僕はマニラに到着するまで知らなかったが、Hさんは今回のマニラ滞在中、普段のロクデナシではなく「真人間 H」になることを目指し(Hさん談)、今回のマニラ訪問に臨んで下さったようだ。僕は普段のHさんを、充分真人間だと思っているが、それ以上真人間になって、神にでもなるおつもりだったのだろうか? (ここでなぜかふと、神より髪を……という言葉が頭をよぎった……汗) 
 結果的に、Hさんが雲の上の存在にならずに良かったと思っているが、生意気ながら言わせてもらえば、この方は、ロクデナシ行動(本人談)の中にも人情がたっぷり伺えるのが一つの魅力であり、それ以外の時にでも底の知れないバイタリティや知性や頭の回転の良さを発揮する、自分の知り合った数々の人間の中でも一流の資質を持つ方である。しかし彼は、いつでも「一流さ」を相手に気付かせない振舞いをするのがニクイお方で、Hさんの気さくな態度に、彼の一流加減を気付かないおバカな人も世間にはたまにいるのかもしれない。(Hさんの話を聞いていると、ロクデナシブログの影響で、ご本人が相当の誤解を受けているような気がしている。身から出た錆と言えなくもないが……)
 実際は、Hさんと面と向かってさえ最後までそれに気付かない方は、人としての心眼に磨きをかけて頂きたいといいたくなるほどの方なのだが。
 もっとも人には、それぞれ特有の価値観というものがあり、その観点から彼や僕の言動に共感できない方もいるだろうが、僕やHさんは、自分たちの価値観を他人に押し付けるつもりが全くないことだけは、ここで述べておきたい。

 ただし人間には、ここだけは外してはならないだろうということがある。
「マークさんが人と付き合いをする時の判断基準はなんですか?」
 Hさんが初日、ご自分で「唐突ですが」という前置きをして、僕に訊いてきたことだ。
 一言で言えばそれは、相手が信用できる方かどうかである。
 信用できる人とはどんな人か?
 それは僕を含めた、誰をも裏切らない方だ。自分に対してだけではなく、平気で他人を裏切る方を、僕は信用できない。
 ここで言う裏切りとは、人付き合いの中では厳密に定義しておかないと、これがまた誤解を生む言葉になる。これは「意図的にかつ積極的に、相手をおとしめる行為(言葉も含む)をすること」となる。それ以外の広い意味での裏切りは、ケースバイケースで許せることも多い。
 人付き合いの中で、一見裏切りに見える行為や言葉というものはよくあることだ。苦境に立たされ、ノーチョイスの状態に陥るということもあるだろう。人間は、誰しも自分が可愛いのだから仕方ない。そして、一時の間違いや魔がさすということある。また、相手のことを思っての言動が、裏切りに見えることもある。よってその場合、自分がその裏にある情を見抜けるようにしておかなければ、自分が大きな間違いを犯してしまうことになる。
 最後は、何かおかしなことがあっても、「あの人は決してそんな人間ではない」と信用できる相手が、友人としてお付き合いさせて頂きたい方になる。
 この理屈を綺麗に整理すると、循環を含むのでややこしく感じる方がいるかもしれない。
 つまり、初対面で信用できる相手だと分かる人はなかなかいるはずもなく、中には初対面の好印象が付き合ううちに悪くなる人もいれば、スルメのように見た目は悪くても、噛めば噛むほど味が出る方もいらっしゃる。
 人付き合いの中では、その中で楽しさや喜びを感じるのはもちろんのこと、ムカついて怒り、泣いて泣かされ、口論を繰り返し、その都度相手の意図や心情を考えるものだ。その繰り返しの中で共感を覚えたり感謝の念が湧いてくる人は、この信頼感が強くなっていくのである。つまり相手に対する信用は、そうした過程の中で、自然にしっかり見極められていくことになる。その上で長く付き合える人というのは、気が付けば絆が深まっている方、ということになる。
 言いたいことを言い合い、激しいバトルを繰り返す夫婦によく使う「喧嘩をするほど仲が良い」という言葉も、それと同じで言い得て妙なのだ。
 しかし人付き合いで、利害があるため繋がりが絶えないという場合もある。利害関係があると、確かにややこしい。利害を超えて信頼関係があるかないか、判断が難しい場合が多々ある。
 だから僕は、利害関係があったとしても、付き合いの中でそれを利用しない、相手に嘘や心にもないことを言わない、ということに気を付けている。これは立派な心掛けということではなく、単にそうすることが、自分にとって楽であることに気付いたからであり、ある意味、我儘な態度と言えるだろう。
 そして友人でも夫婦でも、お互い何が起こっても、そこに常に情(なさけ)が存在するかしないかが大切だと思っている。昨今は愛情や友情という言葉の価値が随分下がったように感じるが、人付き合いの中でそれを大切にするということが、自分を幸せにすること繋がる。そのことをどれだけ本気で信じられるかは、とても重要なことだと思っている。
 
 ややこしく理屈をこねてきたが、僕は付き合う相手が、その方の周囲の人(家族や友人)にどれほど責任を感じたり情を注いているか、最初はそれを見て、その方の人間性を判断する傾向がある。他人に情を注げる人は、信用できる人が多いからである。
 ロクデナシを自称するHさんは、ブログ記事からその情の深さを読み取れるが、直接付き合ってみれば、本来どうでもよい負傷兵(春を売る方々)の数々に対し、いつも彼女たちの心を救っていることがますます見えてくる。同時に、それにより自分が癒されていることを隠さないところにも、Hさんに大きく共感できるのである。
 Hさんのやり方は絶妙で、負傷兵を甘やかさずに、上手にお小遣いをあげる。チップのあげ方というのは、実はとても難しい。たくさんあげるほど相手が喜ぶと考えるのは、相手を傷つけたり増長させる元になる。
 理由もなく多額のチップを差し出すのは、上から目線のお恵みで、センシティブな人ならそれを感じ、気を悪くすることさえあるのだ。もちろんチップと共に優しさが伝われば、その限りではない。相手が鈍感で頭が足りない人なら増長するが、そうなるとこちらが嫌になり引かざるを得ない。
 もちろん、いずれも相手を傷つけるのは本意ではないから、チップをあげる際には、感謝の気持ちや理由が相手に伝わった方がお互いに気持ちよい。情に深いHさんは、実にそれが上手な方である。

 暗黒喫茶内におけるHさんの負傷兵人脈は、最初は目を覆うばかりである。もちろんこれは、Hさんの周りに集まってくる女性たちの容姿のことだ。
 僕はかなり慣れたが、最初は、ブログに書かれていることが、面白くするための誇張ではなく事実だったのか、と驚き、次に物珍しさに目が離せなくなる。そしてあまりじろじろと見ているうちに、負傷兵との間に何か妙な誤解が生じている空気を感じ、焦りながらできるだけ目を合わせないよう努めることになる。
 しかし彼女たちとの触れ合いには、目から鱗となることも多い。一生懸命さや優しさなどが伝わってくると、人はやはり中味(気持ち)が大切だと気付かされる。人としての心眼を磨きたければ、暗黒喫茶負傷兵とのお付き合いを是非お勧めしたいくらいだ。春を売る人と一くくりにされる傾向がある彼女らを、一度生(なま)で見た方がよいと思われる。
 そしてHさんのように、そのような彼女たちから絶大な人気を獲得し慕われることは、普通の人にできることではない。
 お金があれば俺だって……、と思われる方がいれば、試してみればよい。人の心を掴むことは、お金ではできないのである。お金をちらつかせることでちやほやされることはあっても、心から慕われることは難しい。それを簡単にできる人は、ビジネスの世界でも成功するポテンシャルを秘めていることになる。これは多くのことに共通項を持つ、人間としての資質の問題である。
 
 暗黒喫茶に行ってみれば、客に群がる多くの春を売る女性を見ることができる。彼女たちは一見ハイエナのようにも見えるが、仕事の仕方には個人差があって面白い。
 遠巻きにチラチラ視線を投げかけこちらとの距離感を縮めようとする女(目の合った瞬間に、チャンスとばかり眉毛合図やモナリザの微笑みをくれる)、早く手をつけないと売れちゃうわよという高飛車な女(周囲の客に注意を払っているくせに、目があうとスゥーッと視線を逸らす。実際はいつまでも売れずに同じ場所にいる)、ストレートに声をかけてダメならさっさと次に相手に愛想を振りまく女(去ったあと、こちらのことはアウトオブザ眼中の効率重視)、罵倒されようが客にくらいついて僅かでも小遣いを稼ごうとする女(負傷一等兵に多く、鬱陶しいが意外に気持ちの良い子が多い)。
 負傷兵は自分たちの容姿を自覚しているのか、サービス精神が旺盛である。テーブルのグラスが空になれば水割りを作り、氷がなくなれば係りに告げてくれる。客の話に付き合い、できるだけ笑いを取り場を盛り上げようと必死になる。負傷兵になるほど、お金はサービスの対価として頂くものだということをよく理解している。「私とお話できてラッキーでしょう、ハイ、お金チョーダイ」と、天井に向けた掌をこちらの鼻先にスゥーっと出してくる女は、負傷兵には極めて少ない(冗談混じりの半分本気でオネダリをしてくるケースはある)
 負傷兵が甲斐甲斐しく客に尽くしても、その心が客に届かなければ、頼まれてもいない必死の苦労は水の泡となる。彼女たちはそのような煮え湯を日常茶飯事に飲まされ、傷つきながら闘っているのだ。
 負傷兵とは、腹の立つことや自分を情けないと思うことも多くあるだろうが、持ち前の気質で生きるために我慢し、努めて明るく振る舞っている、とてもけな気な人種である。(ウィキペディア調で定義してみた)
 だから心の通じる相手がくると、負傷兵は群がって離れない。つまり、そのような客の筆頭格が、Hさんということになる。彼女たちは、優しい人間を見分ける鋭い嗅覚を持っている。見極めてもらったあかつきには、負傷兵に囲まれる特典が待っているのである。これまで述べたように、それは人として最高の誉(ほまれ)なのだ。

 負傷兵とHさんは、もうずいぶんお互いを知り尽くしているはずだが、彼女たちは客の許しを得なければ、テーブル脇の椅子に座らない(先日は例外が一名いたが…汗)。立ったまま、次の展開を予想し、できるだけお小遣いにありつこうと必死になる。
 もしそこに、がめつさや意地汚さなどを感じたとしよう。しかし僕はその時、少し発想を変えて次のように考える。もし自分がその女性の旦那であって、しかも身体を壊して働けなくなったとする。異国で前にも後にも進めない状況だ。その時その女性はおそらく、自分のために、必死に客にくらいついてくれるだろう。そして病床の自分は、嫁に涙を流すほど感謝するのである。
 だから彼女たちの必死さがストレートで純粋(全てが子供を含む家族のため)であるほど、こちらの心に響き無下にできなくなってくるが、その感性が僕とHさんは、おそらくほとんど同じなのだろう。ここに、僕がHさんと気の合う要素が一つ出てくる。
 他人や身内に情を注げるか。
 これは相手を信頼できるかどうか、僕にとっては重要な要素であり、そうでない人は一緒にいると、こちらの気持ちが塞ぐことも多くなる。
 情を注ぐというのは、何でも相手の言いなりになることではない。相手を思いやり考え、時には厳しく接するのも愛情や友情の成す技である。

 さて、いきなり暗黒喫茶の話になってしまったが、早速二人でそこを冒険したわけではない。
 このシリーズは、初日は完全に健全、二日目はやや健全、三日目は健全だけれど冒険という内容となっている。
 それらをこの場で、どのように表現し言いたいことを伝えられるのか、実は非常に難しい。一つ間違うと、あの方の機嫌を損ねることになる。しかし、春を売る人たちの心情として、どうしても伝えたいこともある。それを考えながら、続きは次回へと持ち越したい。


 
 ↓ランキング参加中
 にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
 人気ブログランキングへ

 
 
2014年01月30日

718.宝物

 子供が生まれる前の数日間、モナは楽しみだと言いながら、その実、かなり神経質になっていた。僕も同じだったが、こちらの心配を表に出すとモナのそれに拍車がかかるので、僕は努めて普通を装っていた。そしてみんなが寝静まってから、僕は不測の事態をあれこれと頭の中に巡らせ、なかなか寝付けなくなるのだった。
 なにせモナの過去の出産では、色々と問題があったからだ。僕が彼女に出会う前、初産であるベルの出産では分娩室に家族が呼ばれ、医者に「お別れを言って下さい」と宣告される事態になったそうだ。この時モナが踏ん張らなければ、今の僕の生活もがらりと変わっていたはずだ。次のユリの出産では急遽帝王切開となったが、ユリが手術室から出てきてお披露目されたあとモナがオペ室からしばらく出てこないため、ママと二人、オペ室前室で眉間に皺を寄せながら不安な時間を過ごした。一度目も二度目も、大変だったのは予想外の出血と、それがなかなか止血できないことだった。
 一度目の出血量は2.5リットルに達し、パブリック(公立)病院で生死の境を彷徨った。フィリピンでお金のない人たちは、大概パブリックの病院に行くのだ。モナは輸血の必要な状態に陥ったが、安い代わりに設備・人的資源・薬などに乏しいパブリック病院では輸血用血液が手に入らず、医者が最後まで必死に対応してくれたそうだ。フィリピンのパブリック病院でそのくらい必死にやってくれる医者に当たったこと自体が、とても幸運であるらしい。結局モナの友人一人が血液を提供してくれ、彼女は天命を待つという状態から生還した。
 二度目は1.5リットルの出血量だったが、幸い帝王切開で出血部位を直接確認できたため、手間取ったもののその程度で済んだ。しかも二度目は私立病院だったため、血液も血液の代替液もあり、結局代替液だけでしのげた。このオペのおかげで、モナの出産時の出血がどのようなものかを、具体的に知ることができた。
 そして三度目の出産。もし出産でモナが帰らぬ人になれば、モナにべったりのユリは一体どうなるだろう。子供やこの家を、僕はどうするのだろう。
 僕は絶望の淵であれこれ考えるのは嫌な性質で、最悪のケースの場合にベルやユリ、そしてモナの家族を自分がどうするか、予め考えたりした。どんな事態をむかえても、僕は子供を手放すことができず、子供の生活環境をがらりと変えるのも忍ばれると思った。詰まる所、子供をモナの両親に託し、自分が稼ぎ頭を務めながら今の生活形態を維持していくのがよいだろうという結論になる。それが、ベルとユリにとって最善の道だ。
 とにかく出産日が近付くにつれ、楽しみである一方、嫌な緊張感に見舞われていた。出産前日の夜(帝王切開のため出産日が決定している)はモナと二人で寝付けなくなり、とにかく身体を休めて欲しいモナに僕は、彼女が眠れるよう時間をかけて身体をさする軽いマッサージをした。その頃になるとお互いの緊張が分かっているため、マッサージの最中、楽しみだというエキサイティングな会話は一切なく、しかし良からぬことを前提にした会話も不吉で、二人共無言だった。ようやくモナが寝付いてから、その横で眠るユリと彼女の姿を合わせて眺め、僕はますます眠れなくなってしまった。
 出産当日の朝、早くからギョウちゃんと奥さんが我が家に来てくれた。自分たちを病院に車で送ってくれるためだった。身体の丈夫でないモナが、重いお腹を抱えてようやくこぎつけた日であるから、その日に病院までの一番楽で安全な移動手段を得ることができたことは、本当に有難かった。四年前のユリの出産が無事に終わったあと、もう子供はこれで最後にして欲しい、もうこんな心配はしたくないと言ったママも、一緒にギョウちゃんの車に乗り込んだ。
 病院はユリの出産病院とは違ったが、オペを担当する主治医や麻酔医は前回と同じだ。よって、モナの出血の様子を目の当りに見た医師であるから、そこは安心材料の一つであった。出産病院も、界隈では評判の良い私立である。私立はパブリックに比べて破格に高いが、十万や二十万をケチって命を奪われたらたまらない。リスク回避としては決して高くない金額である。
 タバコシティにも出産のできるパブリックの病院があるらしいが、母子のいずれか、もしくは両方が命を落とす確率が高いらしく、我が家でもテス叔母さんの最初の子がその病院で産まれた直後に亡くなったそうだ。このことは、エバ叔母さんがわざわざ遠いレガスピのパブリック病院で二人目を出産したのはなぜかと尋ね、初めて知ったことである。しかし、エバ叔母さんが少しはましだと考えたその病院に僕がお見舞いに行った時、出産で若い母親が亡くなるケースに遭遇した。とにかくフィリピンでは、母や子が出産で命を落とすケースを頻繁に見聞きするから、リスク回避にお金をかけることには十分意味があるのだろうと思われる。

 病院に到着したのは、午前九時半を少し過ぎた頃だった。そこは六階建ての病院で、日本の立派な病院に比べれば見劣りするものの、こちらでは見た目より中味がどうであるかが問題となる。見た目は最低限の体裁さえ整っていればよい。
 モナが簡単な事前検診を受け、みんなで病室に移動した。僕が泊りで付き添うために選択した個室は思ったより狭かったが、付き添い一人が寝ることのできるスペースさえあれば、多少の狭さは問題ない。
 出産予定時間(帝王切開オペ)は午後の一時半だったので、僕は一時までに戻ると言いギョウちゃんご夫婦と一緒に昼食を食べに外へ出た。昼食を終えまだ時間があると思っていると、モナからもうすぐオペ室に入るというメッセージが届いた。予定より三十分早いオペ室入りだ。僕はいよいよという焦りに似た緊張感を覚えながら病院に戻り、オペ室に入るモナに頑張れと声をかけ彼女を見送った。

 僕はオペ室の前で、ママや子供たちは病室でモナの出産が終えるのを待っていた。
 僕は落ち着かず、外にたばこを吸いに出た戻り、偶然廊下でかけつけたダディに会ったので病室に案内した。それが、モナがオペ室に入ってから約一時間後である。
 みんなが病室に集合した丁度その時、「子供が生まれた、母子ともに問題なく、モナは現在腹を閉じている」との連絡が入った。子供を見たければ新生児室でガラス越しに見ることができると教わり、僕がそこに駆け付けると、一人の赤ん坊がいた。どうもそれが自分の子供らしいが、ネームプレートがないので確信を持つことができない。そこにギョウちゃん、ダディやママも駆けつけ、みんなで定かではないがおそらく僕の子供だろうその赤ん坊を見て、誰に似ているかという話に花が咲いた。これで、その子は違いますという話になれば痛いくらい恥ずかしいことだと思っていたが、結局それが、生まれたばかりの自分の子供だった。

 子供は3450gと少し大きいせいか、随分人間らしい顔をしていた。彼はガラスの向こう側で、唐突に手足をばたつかせ、泣き、眠りに入るということを繰り返した。その動作は、まさに生きている立派な人間だ。先ほどまでモナのお腹の中にいたとは信じ難いほど、きちんとした人間なのだ。
 彼のしきりに手足を動かす様子を見て、彼がモナのお腹の中でよく暴れていたことに納得がいった。それが唯一、お腹の中の様子と目の前にいる赤ん坊を繋げることのできる要素で、それ以外は少し前までモナの腹の中にいた人間とは到底思えない。これほど完成された人間が人間の体内で作られ存在していた事実を、目の当たりにしてさえ解せない不思議さが付きまとうのである。
 ベルもユリも興味津々に赤ん坊を見て、何度もダイチと声をかけた。子供は男の子と分かっていたので、事前にその名前を決めていた。周囲が一度そう声をかけてしまうと、特に別の名前を考えていたわけでもなかったが、僕の、本当にそれでよいかという気持ちに踏ん切りがつき、名前が「大地」に確定した。
 心配する日本の実家の両親に写真付きの報告メールを送り、夜には電話をした。名前を大地に決めたと伝えると、日本とフィリピンの架け橋を連想させる名前でもあるから、本当にそうなるように育てなさいと喜んでもらえた。

 大地は元気で、翌日の午後には新生児室を出て病室にやってきた。
 彼を触ったり眺めたりしていると、やはり前日まで人のお腹の中にいたと思えないほどの人間ぶりを発揮する。顔をしかめる、身体を伸ばす、舌と唇を動かす、蛙のように足を屈伸させる、そして泣く。その一つ一つをモナと一緒に眺めては喜んだ。
 戦後の日本の貧しい田舎では、口減らしの目的で、産まれたばかりの赤ん坊に濡れた和紙をかぶせ窒息死させることがあったようだ。明らかに問題を抱えて生まれた子供にも、同じ処置をすることがあったそうである。それは産婆さんの仕事で、そのようなことが行われる地方の産婆さんは、産婆道具一式の中に和紙や数珠を入れていたそうだ。
 大地を自分の腕の中に抱き、彼の息づかいを感じている時に、ふとその話を思い出した。その話を知った当時僕は、直前まで羊水の中で息をしていないにも関わらず、外界に出て肺が開いた途端、息ができないと簡単に死んでしまうことが不思議だと思った。
 しかし現在、特に今は、その話に少し違った感触で憂いを覚えるのである。
 赤ん坊の細かい挙動一つ一つを自分の腕の中で感じると、途端に大きな愛おしさが込み上げてくるが、そんな子の顔に濡れた和紙をかぶせ動かなくなるまで待つことなど、自分ならば何があってもできないと強く思うのだ。そして、仕方なくそうした親たちの当時の無念を想像してしまうのである。少なくともそうした処置は、産まれた子供を見ず触らず、第三者に任せなければ決してできないことだろう。
 フィリピンでは未だ、どこかでそれと同じようなことがあるのかもしれず、想像するとこの世の無情さに気が滅入る。かつて勤めた会社のフィリピン工場で、トイレで生まれたらしき子供が捨てられていた事件の話を聞いたことがある。従業員が二万人を超える工場であったから、当人も簡単には見つからないと思ったのだろうか。
 トイレで出産しなければならなかった事情を哀れだとか、子供を捨てたことを鬼のような行動だなどと決めつけることはできないが、愛くるしい子供を目の前にしてそのようなことを思い出すと、やはりああ無情だと嘆きたくなってしまう。

 モナが大地にミルクを飲ませている時に、彼が大きなおならの音を立て、両親の前での初ウンチをした。消化器系もきちんと働いていているようだ。
 初めての男の子に、モナは戸惑うこともあるようで、男の子のウンチの掃除方法が分からないと言う。いやいや、男の子は女の子より簡単だからと、僕が見本を見せた。
「こうやって、玉ちゃんの裏にウンチカスがついていないかをきちんと確認してやれば大丈夫。おや? ちんちんが少し大きくなっている。こーゆー時は、おしっこに注意だ」
 僕がそう言い終わるか終らないうちに、天にそびえたつちんちんから噴水が始まった。慌てた僕は彼のおしっこを手で受け止め、モナがほんとだぁと言って大笑いしている。都合のよい見本だったが、とにかくおしっこは先が向いている方に飛んでいくから気を付けなければならないと、僕が指導を付け加え、後始末をした。

 金曜日に生まれた子は、早くも日曜に家に帰ることができた。家に帰れてもモナは腹を切ったばかりで無理をできず、ベッドの上で安静にしている。僕はユリの遊び相手をし、ダイチのミルクを作り、ユリのミルクを作り、続いてダイチのウンチの後始末をし、ようやく一息つけると思ったらモナが、背中が痛いと言い出しマッサージをしてあげるような、目の回る忙しさに追われることになった。そうなって初めて、家に帰れば面倒を見なければならない人間の人数が増えることや、その中に待ったのきかない子供が二人(ユリとダイチ)いることに気付いたのだ。
 しかし、今のところダイチが泣くのはお腹が空いた時に限られ、満腹になればぐっすり眠る手のかからない子でそれが救いだった。
 ダイチは僕が抱くとリラックスし、泣いている時であればぴたりとそれを止め、目をあけて手足をばたつかせている時には気持ちよさそうに眠ってしまう。モナは、自分より僕が抱く方が、ダイチが安心しているように見えると言う。その言葉に悦に入って面倒を見ていると、僕はそれを煩わしいとはまるで思わず、できればこのままずっと抱いていたい、さらにできればマレーシアにそのまま連れて帰りたいなどと思うようになった。
 人間の赤ん坊は人に守られないと大人になれないとロクデナシヒロシさんブログで書かれていたが、全くその通りで、手足は少し力を加えるとポキリと折れそうなくらい華奢で、首もカクカクとし気を遣って支えなければ簡単に死んでしまうようで、最初は抱くのさえ怖い。
 しかし赤ん坊の一つ一つの仕草はどれを一つとっても愛らしく、大人の方に守ってあげたいという愛情をふつふつと湧き起こさせる。親であれば尚更それにコロリとやられるが、そのようなことを強く実感しながら、生き物とは上手くできているものだとしきりに感心してしまうのだ。
 
 せっかく子供が生まれ、いつまでも傍で見ていたいが、残念ながら僕はそろそろマレーシアに帰られねばならない。それは、また一つモナから宝物をもらったことで、彼女に大きな感謝の念を抱いての渡航となる。
 モナは本当に頑張ってくれた。心から、ありがとうと言いたい。


 
 ↓ランキング参加中
 にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
 人気ブログランキングへ

 
 
posted at 12:24
Comment(16) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:718.宝物

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。