フィリピーナと共に
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2011年08月26日

330.ディスコ祭り

現在ママの実家がある地域(タバコシティのスクオッターエリアの一つ)でお祭りが開催されている。夜にはその辺一体の道路がディスコと化し、みんなで夜通し踊るというお祭りだ。
地域が更に8つに分割され(日本の町内という感覚よりももっと狭い)、日替わりで分割された各小エリアにて順繰りにディスコ大会が開催され、最終日は全てのエリア同時に、壮大なディスコ大会が開催される。よってこの地域では連続9夜に渡り、呑む、歌う、踊るという騒ぎが繰り広げられることになる。
このお祭りのために、テス叔母さんの旦那もマニラから帰ってきている。
そう言えばかなり大規模な祭りのように聞こえるが、それほど大きくないタバコシティーの、更にそのわずかな一部地域の祭りだ。

昨晩夕食後、そのお祭りをちょっと覗きに行くことになった。
そのエリアは、僕がいつも利用するコーヒーショップの少し先にある。
300mほど手前から、前方の路上にカラフルな明滅を繰り返す照明と、軽快なリズムの音楽にのって揺れ動く人の塊が見え始めた。

路上は緑や赤のレーザー光が飛び交い、道路脇に等間隔で設置されたディスコライトが、色とりどりの光を放ちながら、せわしなくグルグルと回っている。
数か所に置かれた大きなスピーカーが、体に振動が伝わるほどの大音量ミュージックをその界隈にまき散らしている。
住民のほとんどが路上に繰り出しているのではないかと思われるほどの賑わいで、各自お祭りを楽しんでいる。人を掻きわけ進むにつれ、アルコールの臭いが鼻を突く。

スクオッターの住民の群れに入っていくと、部外者の自分は様々な人からじろじろと見られる。
悪気のない視線であることは分かっているが、酒の席に座る人、路上に立ってダンスを見る人、踊っている人が、それぞれ自分のしていることを忘れたかのようにこちらを一斉に見るので、不気味に感じる。家族が一緒でなければ、襲われるのではないかという心配をしてしまう雰囲気だ。

しばらく進むと、見た事のある顔がちらほらと現れ始めた。
エバ叔母さん、ノエル、アン、ベルの誕生日パーティーに参加していた子供たち、市場の野菜売り場にいる女性、魚屋の叔父さんと叔母さん、ティナイ。それ以外にも、顔だけ知っている人がちらほら。
普段、何かしらの交流のある人は、全てこのエリアに住んでいるのではないかと思われるほど、知っている人が目白押しだ。
いつも行くコーヒーショップの男性店員までそこにいて、僕を見つけて声をかけに近寄ってきてくれた。ママが誰?と訊いてくる。これが女性店員だったら大変だった。
ママは自分の知らない人が僕の知人だということを、とても意外そうにしていた。

よくよく踊りの群れを見れば、老若男女入り混じり、皆それぞれの踊り方で楽しんでいる。
年配層はクラッシックなステップを応用した踊り、若年層は全身を好き勝手に動かす踊りで、下は3歳くらいから上は60歳過ぎに見える方まで、隙間の無い年齢層の方々が、路上で切れ目の無い音楽に合わせて体を動かしている。日本ではまず見かけない光景だ。

そんな光景に見とれていた僕は、突然ダンスの群れから飛び出した魚屋の叔母さんに手を引かれ、無理やりダンスの渦の中に引きずり込まれた。
既に酔っぱらっている叔母さんは、全く遠慮がない。僕にステップを教えるといい、僕の手を取り右や左に腕を引っ張り上げる。僕は叔母さんの足元を見ながら、必死に自分のステップを叔母さんの足の動きに合わせる。体が自然に音楽に乗るという感じではなく、義務的に足を前に出したりひっこめたりしているから、自分でもぎこちないのがわかる

モナは道路の傍らでそれを見ている。
気が付けば、モナが涙を流して笑っていた。モナの周囲にいる人、その道路を隔てた反対側にいる八百屋のお姉さん、列の先頭の人だかりも、みんなが僕を見て笑っている。
後からモナに教えてもらうと、僕のダンスがまるでロボットが踊っているようなものだったらしい。
もしそうだとしたら、それはそれで良いではないかと思ったのは、僕だけのようだった。

珍しい日本人(踊りの珍しい日本人?それとも滅多に見ない日本人?)がいるということで、わざわざその雄姿を見に来てくれた人が大勢いたらしい。
子供の頃よくそこで遊んでいたモナは、その界隈で顔が売れている。
モナの噂の日本人旦那が来ているということで、野次馬客の中には僕の顔を一目見ようと集まってきた人も結構いたそうだ。
それほど喜んでくれるのなら、金を取るぞと言いたくなるくらい、多くの人が僕のロボットダンスで喜んでいた。
こちらの人たちは、ダンスが下手だということで人を馬鹿にするようなことはない。
一緒に楽しんだら、それだけで楽しい人たちだから、笑われてもまだ救いがある。

家に帰ってからも、その話で家中に笑いが渦巻いていた。
この祭りはまだ続く。今度の土曜日は祭りのクライマックスで、もっともダンスが盛り上がる日らしい。
十分笑われて顔が売れた僕は、ダンスはもう結構と思っていたが、土曜日また行こうねと言われ、思わず「次はリベンジだ」などと口走ってしまった。
そして、次は酒の力を借りてもっと楽しまなければ損だなどと考えている自分に、底抜け天井知らずのフィリピン人の陽気さが、自分にかなり伝染していることに気付いたりするのである。
フィリピンの祭りは単純だが、祭りらしい雰囲気と楽しさ満載で、なかなか素敵である。


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エントリー:330.ディスコ祭り
2011年08月25日

329.交わらない文化相違

ユリのやんちゃぶりには困ったものだ。
昨日ユリが突然部屋の外へ向かって走り出したが、前をしっかり見ていないから曲がるべきところを直進し、そのまま廊下のコンクリートの壁に激突。
おでこを思い切りぶつけたらしく、ゴンという鈍い音の後によろよろと2〜3歩後ずさりしてから大泣きした。

そんな馬鹿な娘でも、モナはユリが天才だと信じている節がある。
確かにユリは、行動や言葉などが少し早い傾向にある。まだ2歳になっていないのに、モナのi-phoneなど僕より使い方を良く知っていて、写真やビデオが入っている場所など、僕がユリに教えてもらっている始末。
しかし所詮子供の出来など大きくなればどうなるのかさっぱり分からない。
かつてモナが騒いでいた天才少女ベルは、今や誰もが認める人並みの少女になってしまった。
モナの敗れた夢をユリに託したい気持ちは分からなくもないが、勝手に過剰な期待を寄せられる子供は大きな迷惑だと思う。

現在8歳のベルは、掛け算、割り算を勉強中だが、割り算がまだ分かっていないとモナは嘆いている。
僕は自分の親の放任主義を有り難く思って育った口だから、そんなもので目くじらを立てる必要はないと考えている。
それよりも、マナーとか躾とか思いやりとは何かなど、そちらの方をしっかりと教えてやる方が大切な気がしている。
しかしここはフィリピン、きちんと学校を出なければ、その後の就職はままならないのだから、勉強が大切と力むのも仕方ないのだろう。

子供の教育の仕方では、僕とモナでは全く考え方が異なる。
モナは自らテスト問題を作って、子供が正解を答えたら満足している。満点を取るまでしつこくやらせている。
僕は答えが合っていても、それをどうやって導いたかを重視する。
だから普段の僕は、例えば祝日で子供の学校が休みだったりすると、今日は休みなの?と質問する。祝日だから学校はないと答えが返ってくると、なぜ?と訊く。何とかの記念日だからと答えが返ってくれば、再びなぜ?と訊く。なぜそれが記念日なのか後で教えて欲しいと言って話を終わる。
2×3は何?と訊く。自信ありげな顔と一緒に6という答えが返ってきたら、ここでもやはり、なぜ?と訊く。答えられなかったら、なぜ2×3が6になるのか、後で教えてくれと言って話を終わる。
このように僕は普段の話題の中でも、いつでもバキーット?(なぜ?)を繰り返している。
ベルもアンも、僕の執拗なバキット攻撃を鬱陶しく思っているようで、もしかしたらバキット叔父さんなどと陰口を言われているかもしれない。
しかし、当たり前だと思っていることを深く追求していくと、思いもよらぬ拾い物をするものだ。

話をユリのことに戻せば、とにかく家の中でユリは頭が良いと騒ぐのはいいけれど、外では決して言わないでくれとモナにお願いしたら、彼女はきょとんとして、なんで?と訊いてくる。
そのようなことは、日本では親馬鹿と言うんだと言ってみたら案の定、モナに親馬鹿がさっぱり通じない。噛み砕いて説明を試みるが、これが結構難しい。
この時ばかりは僕がモナから、バキット連続攻撃を浴びる。

親というものは子供に希望的観測を持ちやすく、優しいだの頭が良いだのと過剰評価してしまうものだ。それに気付かずにあちらこちらで天才だなどと吹聴していたら、そんな親の方が馬鹿だと思われる。
それを言っても、バキット?とくれば、こちらも説明に詰まるから、とにかく言わない方が良いと丸めこんでしまうしかない。
バキット攻撃を自分でくらってみれば、これが結構煩わしいものだと身に浸みる。

能ある鷹は飛んでいる・・・、いや、爪を隠す。
天才だと思っていたとしても、そんなことは黙って自分の胸にしまっていた方が良い。
もし本当だったら、勝手に芽が出て花が咲く。おそらくこれも、モナには理解不能だろう。
フィリピンと日本の文化相違、決して交わらないものがここにあったという話である。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:329.交わらない文化相違
2011年08月23日

328.フィリピンマジック

朝目覚めた時から、外は土砂降りの雨だった。
部屋のテラスへ抜けるドアを閉めていると、外の物音がまるで聞こえない。窓越しに部屋に入る小さな音は、室内の扇風機の音にかき消されるので雨音と判別しにくい。
カーテンを開け、外を眺めて初めて豪雨だと気付く。
これがフィリピンで多く見られるトタン屋根の家であれば、雨が屋根をたたく音がうるさく、慣れない人は熟睡できないだろう。
風雨をしっかりとしのげる家があることは、本当に有り難いことである。

マヨン火山が見える側のテラスにいくと、いつもの雄姿は上半分が厚い雲で覆われ、下半分も激しい雨のカーテンの裏にかすれて見える。
おそらく山の上では、視界が1mも効かないくらいの濃い霧状態だろう。
昨夜のTVニュースによると、また台風が接近しているらしい。
先日の台風で遮断された国道は、工事継続中で未だ復旧していない。
現在迂廻路で利用する狭い道路は、レガスピに行くために二つばかり小さな橋を渡る必要がある。この豪雨や直に訪れる台風でその橋まで決壊すれば、レガスピ〜タバコ間の移動に大きな支障をきたすことになる。
しかしここの人は、そうなったらその時にまた考えれば良いと思っているに違いない。
かなり遠回りになるが、山の中にもレガスピとタバコを結ぶ道路がある。いざとなればそれを使えば良い。だから、現在壊れている橋の修復を急ごうなどと考えていないだろう。
大動脈の遮断だから復旧は早いだろうと予想していた僕は、1か月近く経ってもまるで開通の目処が立たない工事進捗に、見事に裏切られた形となった。

それでもここで生きてみると、実際に大体のことは何とかなるような気がしてくるから不思議である。(冷静に考えれば、単なる気のせいということもあるが・・)
何かの効率が悪くなるとか、生活の質が落ちるとか、そのような細かいことは論外で、ここでは笑いながら生きていられたら、それがここでの何とかなるという定義である。そして何とかなれば、結果オーライで終わる。
言葉にすればそれだけのことだが、それを実生活の上で納得するには少々慣れが必要となる。

このフィリピンにおけるゆったりとした感覚、時間の流れは、簡単には揺るがないように見える。
それは、実に多くのフィリピン人に、まるで土中に張り巡らされた大木の根のように、深く広く張り付き染みついている。それを至るところで感じる。
自分もその中に身を委ねれば気持ちが良く楽しいが、実際の生活を考えると現実に引き戻される。フィリピン人が、お気楽で羨ましいと感じる時である。

かつて日本で働くフィリピーナから、フィリピンの実家ではメイドを雇っているという話を頻繁に聞いた。日本人の感覚でそれを真に受け、なんとも優雅な生活をしているではないかと思ったものだ。
彼女たちは実は、フィリピンにいたら生活に困ることなどなく、暇つぶし程度に日本に稼ぎに来ているのかと疑ったこともあった。
実態が分かってくれば、日本で頑張って働き実家に送金するフィリピーナと、メイドを雇って優雅に暮らすフィリピン家族・・、この構図に不思議さを覚えたこともあった。
しかし気が付けばこの不思議な構図が、我が家の中にも出来上がっていた。

我が家でも使用人と呼べる人間が3人いる。各自に支払うサラリーは安いと言っても、3人いれば月に1万円強となる。さらにママやモナの弟への小遣いを足せば、それだけで月に2万強の出費となる。
加えて食事代が馬鹿にならない。フィリピン人は若い女性は別として、全体的に良く食べる。ようやく持ち上げることができるほどの米(おそらく50Kg)を買っても、あっという間に無くなる。食材を少し買えば、一回の買い物で6千円や8千円は普通にかかる。

普通に考えれば、ダディー、ママ、モナが個別に仕事を持って普段から忙しくしているわけではなくゆったりと暮らしているのだから、使用人など必要はない。出費だけを考えれば、使用人など首にして、自分たちが動けば済む話である。

ママやモナが、山盛りになった洗濯物の入った籠をドアの外へ出す。
それをテス叔母さんが回収して、下の階へ運んで洗濯する。
ママやモナは叔母さんが洗濯をしている間、部屋の片づけをしたり、爪の手入れをしたり、思いついたことを好きにやっている。
ジュンさんは芝刈りをしたり、家の窓を外側から掃除したりしている。
その間ダディーはハンモッグに横になりながら、本を読んだり居眠りしたりしている。またはソファーでくつろいでDVDで映画鑑賞三昧の日々。

僕はメイドのサラリーも含め生活費を捻出する必要があるから、一緒にゆっくりしたくても、時間に追われて仕事をしなければならない。家の中にどんどん溜まるDVDも、後でゆっくり観ようと思いながら実際に観た映画はほんの数枚だ。
仕事を投げ出してしまえばここでの生活が終わるから投げ出せない。顧客に対してもやるといった以上責任が生じるから、やり通さなければならない。
そのすぐ横で、みんながいつもくつろいでいる。何かが違うと感じる時である。

我が家は富豪ではないのだから、突き詰めれば無駄であるこのようなことを排除したいと考えることもあるが、それで生活が成り立っているから、このスタイルを誰も変だと思わない。
メイドとして使われている方は仕事が大変で、しかも兄弟が楽をしながら自分を顎で使う状況だとしても、生きていけるからまるで気にしていないように見える。
結果的に家族の助け合いだと考えれば、そこに納得性を見出すことも可能である。
しかし助け合いにしては、使用人に対するダディーやママの態度が尊大だと感じることがあり、本当に助け合い精神に基づいたものなのかと思うことがある。
サラリーを出しているのはこちらだが、僕の方が遠慮してしまう。(日本人のだめなところだと自覚しているが・・)
もしこれが助け合いでないとしたら、僕は3人もの使用人は不要だと思うので、即刻止めたいというのが正直な気持ちだ。

テス叔母さんには旦那がいる。マニラで働いているが、地元の祭りの時やクリスマスに帰ってくる程度で、僕は一度も会った事がない。正確に言えば、テス叔母さんに旦那がいることを知ったのは、かなり後になってからである。
旦那は妻や娘を放っておいても何とかなっているから、マニラで働いて得たサラリーを一切家に入れないし、入れるつもりも毛頭ないようだ。本当にたまにふらりと帰ってきて、叔母さん相手に男の欲求を満たし、あちらこちらで酒を飲みまくってマニラへ戻っていく。
それを誰も非難しないし、それが当たり前のように通っている。
非難をするどころか、食事の席で久しぶりの合体の話を冷やかしたりして、我が家の家族はそれを笑いのネタにしている。
この夫婦は来年ハイスクールに上がる娘の事で、金銭的なことや子供の将来に関することを話し合っているのだろうかとしばし思う。何かが狂っていると感じる時である。

良く言えば、大変柔軟性のある国民性ということになる。
仮に貧乏だとしても、みんながそれぞれ気の向くまま、ゆったりと身構えている。
今何とかなっていればそれで良いと考え、何かがあっても何とかなると思っている節がある。
面倒で厄介な責任を誰かが引き受けてくれたら、自分はこき使われようが貧乏だろうが、その方が楽だと知っている確信犯ではないかと疑いたくなるときもある。
生活を引き受けてくれるのは、家の娘でも息子でも娘の旦那でも良い。誰かが引き受けてしまったら、そのスタイルが破綻するまでその潮流に乗る。

それでも我が家は各方面にママの睨みが効いているから、想定外の余計な出費が無い分助かっていることも知っている。もしこれがダディーであれば、あちらこちらにいい顔をして安請け合いをしてきそうだから、僕はとっくに大噴火しているはずである。

幸せを絵に書いたような雰囲気に、まあいいかと思うこともあれば、度の過ぎたお気楽さに、もっとまじめに考えないと後でどうなっても知らないよと冷ややかに思うこともある。
何とかなると思っているだろうが、その何とかに、全面的に僕をあてにしている部分はないだろうねと、冷や水を浴びせたくなることだってある。

だから僕は時々、とりあえず平静を保っているこの水面に一石を投じて、波を起してみたくなる衝動にかられる。
僕がみんなの生活に関する責任を突然放棄する宣言をしたら、みんなはどのように生きるのだろうか。
いっそのこと、会社がつぶれた時の予行演習で、突然サラリーがゼロになったと言ってみたらどうなるだろうか。
それでもきっと、みんなは何とかするような気がしてしまう。そして本当に何とかなれば、やはりこれをフィリピンマジックと呼んでも良いはずだ。

少し批判的なタッチで書いたが、僕は実はそれほど、そのようなことにストレスを感じていない。もう慣れてしまった。何とかなっているから、とりあえずいいかと思っている。(フィリピンナイズされている)
ただ実験的な興味も含めて、僕はこの究極のフィリピンマジックを見てみたいのだが、お試しでそのようなことをして良いか、人間としての迷いがある(笑)

モナにそのことを少し相談してみた。実際にそうなったらどうなるかと尋ねたら、ママがみんなに自分の家に帰りなさいと言い、みんなが自分の家に帰るだけでしょうという、まことに拍子抜けのする回答だった。
その副作用にどんな恐ろしいことがあるかはわからないが、やはり何とかなりそうだ(笑)


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:328.フィリピンマジック

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