フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます

フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年08月20日

324.地雷だらけ

気が付けば、ママの実家(今年亡くなったママのお母さんの家)が、また厄介なことになっている。
もともとママの実家には、ママの弟のノエル(推定33歳)、ママの妹のテス叔母さん(36歳)、テスの娘(12歳)、ママの妹のエバ叔母さん(推定35歳)エバの娘2人(2歳半と8カ月)が住んでいた。
あらためて数えてみれば、大人3人、子供3人である。

ノエルは時々、別に暮らす兄の魚屋を手伝い、おかずとなる魚を実家に持って帰る。
彼はもともと怠け者で、何事も続かない人間。これまでろくに仕事もせず、魚屋の兄から鉄拳付きで叱られたこともあるそうだ。
最近は真面目になったと言いながら、気が付けば我が家にこっそり入りこんで、どこかの部屋の中でごろごろしていることがある。時々隠れるように、キッチンで食事をとったりもしている。(今のところ僕は、気付かないふりをしている)
テス叔母さんは我が家のメイドをしながら、月々わずかな収入を得て、娘のアンと一緒に我が家で3食の食事を取るから、食事代では実家に迷惑をかけていない。実家には寝に帰るようなものだ。
エバ叔母さんの旦那はマニラで働いているので、そこから月々の仕送りがある。
テス叔母さんが我が家の夕食の残りを実家に持ち帰ったりするので、それも実家の食いぶちの一つになっている。
実家の電気代や水道代、生活費に関して、内部で共同生活でありがちな諍いがあるようでも、とりあえず生きていける状態であった。

しかし、マニラで働いていたエバ叔母さんの旦那が、突然仕事を辞めてマニラからタバコシティーに帰ってきた。
辞めた理由は、本人いわく、職場の同僚と喧嘩をしたというものであったが、ママは、何か悪さを働いてくびになったのではないかと疑っている。
これで大人4人、子供3人になった。

そしてもうじき、亡くなったママの妹の娘ティナイ(推定20歳)もマニラから帰ってくることになったそうだ。
かつてティナイは我が家に住みながら、学校に通っていた。その時の学費や小遣いはこちら持ちであった。
しかし勉強が嫌いで、ついていけなくなった。出席日数が足りずに、特別救済措置として補習、追試があると言われたが、本人にやる気がなく、それを放棄し退学。
安くない学費を無駄にした彼女はそのまま我が家に居座れるはずもなく、家を出て、マニラで働いていた。そしてマニラでの仕事がなくなった。(フィリピンでは6カ月契約の雇用が多く、契約更新をしないと自動的にクビになるケースが多い)
都会に疲れ、都会に敗れ、帰ってくるというわけだ。
これで大人5人、子供3人になる。
この総勢8人が暮らすママの実家とは、おそらく8〜10畳ほどのスペースしかない。
住処が恐ろしく狭いのはすぐにわかるが、この8人で収入があるのはテス叔母さん一人となる。しかもその収入は極わずかである。

とりあえず何とかなっているように見えた家庭が、突如このような状況になる。実に不安定だ。
そのような中で、実家の生計を支える拠り所の一つに、僕の収入があるというわけだ。

実家も含め、僕のか細い腕に、どのような人がどのような形でぶら下がっているのか、あらためて確認してみると、ダディー、ママ(モナの両親)、モナ(妻)、ベル、ユリ(僕の二人の娘)、ジン、ロン(モナの弟:一応働いているが、少ないかつ不安定な収入)、テス叔母さん(ママの妹:我が家のメイド)、テス叔母さんの娘アン、ジュン叔父さん(ママの弟:我が家のメイド)、マリーン(ママの姪:ユリのベビーシッター)が、我が家にいつもいるメンバー。
これら大人9人(自分も含め)と子供3人は、僕のサラリーで3度の食事を賄っている。
ママ、ジン、ロンには、些少ながら月々の小遣いを上げている。それ以外にはママには、引っ越す前に住んでいた家の賃貸収入がわずかにある。

ジュンさんは我が家のメイドサラリーから、冒頭で紹介した実家に食べ物、炭などを買って届けている。一度我が家の米をちょろまかして実家に運んでいたことがばれ、ママから大目玉をくらった。ただしジュンさんは、普段真面目で優しい人間。実家に米を運んだ行為も優しさゆえのことであったと理解しているので、僕はその話を聞かなかったことにした。今はそのようなことは無くなったと思っている。
テス叔母さんも寝泊まりは実家なので、その分の電気代や水道代を負担していると言っている。マリーンは自分の実家に、自分のサラリーを届けている。

このように、直接・間接で、僕のサラリーが生活費となっている、もしくは生活費の一部として足しになっている人たちは、我が家にいるメンバー以外にも数名いることになる。

これでも普段僕が、生活援助について厳しいことを言っているからこれで済んでいる。
もし甘い顔をして、よしよしとお金なり食べ物を援助していたら、この数がもっと膨れているに違いない。
一度援助生活が定着してしまえば、それを変えるのはとても難しい。もう援助は止めるから、各自がんばってくれと言っても、それは死ねと言うことと同じだなどと居直られる可能性もある。その際きっぱりと、そうだ、自分で働かなければ死ぬしかないと言えるくらいの覚悟がないと、援助を打ち切ることはできない。
もし安易な援助をするのであれば、それにもそれ相応の覚悟が必要となる。

このような話しをすれば、フィリピンの貧乏な人は学校にも行けなかったので、その結果仕事もないのだから仕方ない、可哀そうだという話も出る。
それは確かに当てはまるケースもあるが、前述したティナイは、学校を出ないと将来大変だからと、全ての学費、その他の面倒を見ていたにも関わらず、自身がそれを放棄した。
なぜ放棄したのかと言えば、楽しいことは好きだが、苦しいことは嫌いだというフィリピン人に多い思考や態度が原因である。
勉強に身が入らず、学校の出席日数も足りなくなるほど遊びに一生懸命に走ったのであり、頑張ってみたけれどテストで点数が取れなかったという殊勝な結果ではない。これは彼女が退学した当時、僕もこの家で彼女を見ていたので良く分かる。
それをみんなが分かっているから、本人が学校を辞めると決め我が家を出る時には、誰も引き止めなかった。せっかくここまで勉強させたのにと悔しがるモナでさえ、そうであった。
12歳のアンは、来年ハイスクールを受験することになるが、彼女にも同様の傾向が見られる。モナがベルとアンを並べ一生懸命勉強を教えても、アンは途中で考えることを放棄し、投げ出してしまう。面倒くさいことは嫌いだとはっきり言う。だから彼女の学力は、惨憺たるものだ。12歳にもなって、繰り上げのある足し算ができない。こうなると今から、彼女の将来は既に半分見えてくる。
それでも器量が良ければ夜の仕事もあるだろうが、どうもそれができるタイプではない。
そのような人はどうするのかとモナに訊いてみれば、おそらくメイドしか仕事がないだろうという返事が返ってくる。
モナは、困ったものだ、来年の受験が心配だとこぼすが、それに対して実の親が気にしている様子がないのだから、こちらが一生懸命になっても仕方ないと僕は思っている。

逆に学校へ通えなかった人でも、きらりと光る物を持っている人もいる。
磨けば光るダイヤの原石のような人がいるのだから、それらの人と、いくらケツを叩いても前へ進めない人との違いは何かと言えば、やる気に繋がる忍耐力、精神力の違いかもしれない。とにかくダメな人は、結果として怠惰な態度が目立つのである。
今のところ、怠惰につける薬は見当たらない。死ぬほど苦しい目にあっても、これは治らないのではないかという気さえしている。

僕が責任を負うべき人はこのうちの一部であるから、最後はケツをまくって良いのだが、周囲が不安定で実際に不穏な状況になってくれば、あちらこちらに地雷を設置されたような気分で、こちらも何となく落ち着かない。
僕は普段からこの家で、親戚筋は助ける筋合いはないし、助けるつもりはないと明言しているが、このような実態の中で悲惨なことが起これば、どこまで非情を貫き通せるか自信がない。
それでもママの兄弟や親戚を雇っていることは、家の仕事をしてもらい助かっている部分はあるが、家族同様に暮らしていればサラリー以外の持ち出しも少なくない。
結局はこちらが助けているという部分が随分とあり、これ以上ママの実家を助ける余裕は、精神的にも物理的にも無い。

このような気持ちになってくると、僕が以前、日本からフィリピンのある家庭を支援していた時のことを思い出す。
その頃はフィリピンの日々変わる状況に、一体何が起こっているのか理解できずイラつきながらお金を送っていたが、当時おそらく、これと似たような状況があったのだろうと今は妙に納得できるのである。
同じようにフィリピンの家族に送金をする日本のフィリピーナたちにも、この不安定な状況は頭の痛くなる原因の一つになっているに違いない。
もともと頭痛の種があらゆる所にあるのだから、いつも頭が痛くなる問題が目白押しなのは、至極当然のような気もしてくる。

不安定な社会、不安定な人々と関わりを持ったことの宿命と諦める部分は必要かもしれないが、歯止めだけはしっかりと設けないと、自分までぐるぐると渦巻く問題の嵐に巻き込まれ、最後にはこちらが再起不能になる。そうなったら共倒れで完全に終わりだ。
終末だけは迎えないように気をつけなければならないという強い気持ちが、共倒れを防いでいるとも言える。


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 08:27
Comment(10) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:324.地雷だらけ
2011年08月19日

323.一人お出かけ

どこかに行こうと言われると面倒くさく感じるが、みんなが昼寝をして暇になると、どこかへ出かけたくなってくる。このあまのじゃく、何とかならんかなどと自分で思っている。

・・・で、ちょっと一人で出かけた。
日本在住でフィリピーナの奥さまを持つある方が御自身のブログで、奥さまが旦那さんの付き添いなく一人で遠出した時の心配になる様子を綴られていたが、僕の場合はその逆バージョンということになる。

まずはイタリアンレストランに行った。ここは安くて美味い。
先日行ったシェーキーズ(大手イタリアンレストランチェーン)より値段は半分から1/3にも関わらず、高いシェーキーズよりもずっと美味しい。

店員に、「あら?一人?奥さんはどうしたの?」と訊かれ、そう言えば出がけにその奥さんが、そこのレストランのラザニアが食べたいとほざいていたことを突然思い出した。
思わず口から出た言葉は、「ラザニア二つ、テイクアウトで」
そこに到着する直前まで、チーズバーガー(49ペソ:約100円)を頼もうと思っていたのに・・・。
ラザニア二つで180ペソ(360円)、260円も予算をオーバーしてしまったではないか。
それでも予期せぬお土産に喜んでくれるだろうから、まあいいかということで、出来上がったラザニアが冷めないうちに持ち帰ろうと、バイクを飛ばして帰宅。

出かけたと思ったらすぐに帰ってきた僕に、モナがどうしたのと訊いてくるが、ラザニアを見せた瞬間、顔がぱっと明るくなり、彼女は鼻歌交じりですぐに取り分ける準備を始める。
このラザニア、一つ90ペソ(180円)だが、一人で全部食べるとお腹が苦しいくらいのボリュームがある。しかもソースもパスタも完全手作りで、コクがあって大変美味しい。
当然みんなが喜んで、誰もいなかったダイニングのテーブルに、それとなく人が集まり出す。せっかくだから僕も一緒に食べて、再度お出かけ。

もともとイタリアンレストランで軽く腹ごしらえをして、その後コーヒーショップでのんびりする予定だった。
腹ごしらえに少々手間がかかったが、コーヒーショップをまだ消化していないので、最初に決めた行動予定を厳守。
コーヒーショップへ到着すると、いつもの店員が、「あれ?今日は奥さん、一緒じゃないの?」と訊いてくる。
しかし今度はしっかりと、ブルードコーヒーを注文。間違ってもティラミス、テイクアウト・・などとは言わない。
(一般的にフィリピンでは、インスタントとドリップコーヒーを、ブルードをつける、つけないで区別している。ただのコーヒーと言えばインスタントコーヒーが出てくることがある。この店ではインスタントは無いが、メニューにもブルードコーヒーと書かれている。通常ドリップコーヒーがお望みの場合、ブルードと言って注文する)

何度か通ったおかげで、そこで僕がコーヒーを注文すると、だまっていても濃い目のコーヒーを出してくれる。砂糖とミルクは最初からついてこない。
僕が何かに没頭している時には放っておいてくれるし、暇そうにしていれば話しかけてくれる。
お互いに気心が知れてきて、とても居心地の良い場所になっている。

以前フィリピンに住んでいるある方のブログに、フィリピンに住む際は、家の外に自分の居場所を作ることをお勧めするというものがあった。
確かに家の中で、喧嘩をしたり、イライラしたり、気分転換をしたい時はあるはずで、そのような時に一人で出かける場所がなければ、その気持ちを解消できないこともあるだろう。
日本であれば、パチンコ屋もあるしコーヒーショップや図書館と、いくらでも気晴らしする場所があるが、フィリピンの田舎では一人でうろつける場所が限られている。
(僕が一人で行ける安全な場所、そしてぶらぶらして楽しい場所)
だから僕は、そのお勧めをありがたい忠告と受け止め、そのコーヒーショップを数少ない自分の居場所の一つとして勝手に認定させて頂いている。

出てきた苦いコーヒーを飲みながら、最近どこへ行っても、「奥さんは?」と同じことを訊かれることを考えていた。
それだけ僕の正体がこの街の各所で、モナの連れ添いとして売れてきている証拠である。
僕が一人で出かけると、ママは「大丈夫か?誰かと会っているんじゃないか?」とモナに語りかけるようだが、まるで見当違いの心配に、僕はいつも笑っている。誰と会うんじゃぁ〜という感じだ。
それに、悪い事をしようなどとは考えていないが、決してこの街で悪い事はできない。即日ばれる環境が整いつつある。どこかの女性と話をしていただけで、誰かがモナに通報するような予感がある。それで誰かと密会など、そんな大それたことをできるはずがない。
そんな不便さ(?)はあるが、とにかくモナとセットでも、顔が売れてあちらこちらで挨拶ができたり話ができるということは、安心感が増し、それだけこの街が住みやすく感じるというものだ。
何もない田舎ではあるが、街に対する愛着も芽生えてくる。

そういえば、例のマッサージ屋さんに行ってきた。日本が盆休みの最中、是非行ってみたいと決めていた、新しいマッサージ屋さんのことである。
まだ明るい午後3時頃に行ったが、とてもリラックスできるような綺麗な所ではなく、田舎ならではの掘立小屋のような雰囲気に、少しがっかり。
夜にいけば粗が目立たず、もう少しまともに見えたかもしれない。
ただしマッサージは、1時間250ペソと安いが本格的なもの。マッサージだけは気に入った。
電話をすれば、100ペソ増しで出張サービスをしてくれるそうだから、今度からあの汚い場所ではなく、家に呼んだ方が良いかもしれない。その方がよほどリラックスできそうだ。
肝心のジャグジーは無くなっていた。
そこは今、魚が泳いでいるという返事に、なんともゆったりとした田舎らしさがあって笑えるのである。


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(4) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:323.一人お出かけ
2011年08月18日

322.終戦日に際して

8月のお盆時期になると、戦争の話題が多くなる。
この話題に便乗するかどうか迷いがあったのでタイミングは少しずれたが、やはり自分の考えを再度出してみることにした。
もっともフィリピン関連ブログで、この件に気合を入れて書いても仕方ないとは思っているのだが、内容は、若干フィリピンに関連することも含まれる。


1945年8月14日、日本政府がポツダム宣言受諾の意思を連合国側に伝え、8月15日、昭和天皇による玉音放送により日本国民に終戦が伝えられた。日本が降伏文書に調印したのが9月2日で、アメリカではこの日を日本に勝利した記念日としていたように記憶している。それらは既に66年前の話しとなった。

僕が生まれたのが1963年。敗戦から18年しか経っていない時期だったが、僕が物心付く頃には既に、身の周りに戦争の臭いなど微塵も残っていなかった。
唯一戦争の名残として身近に聞いた話は、父方の祖父が満州鉄道で働いていたために、日本の敗戦時には、祖父、祖母、そして父親を含む父の兄弟が、混乱した人々でごった返す中、命からがら満州を引き揚げ日本へ逃げ戻ってきたことである。
父は5人兄弟の二男だったが、祖母は一人の子供も取りこぼすことなく日本へ連れ帰るため、子供全員をロープでつないではぐれないようにしながら、帰国船に乗り込んだそうだ。

敗戦後の日本にはアメリカが乗り込み、日本は天皇の命と引き換えにアメリカの要望事項を全て丸飲みし、裁判とは名ばかりの東京裁判で、当時の列強国のエゴ(戦争は勝った方の言い分が全て正義)を押し付けられ敗戦国の屈辱を味わった。
そして日本人の精神が骨抜きにされ現在に至っている。

当時マッカーサーを筆頭としたGHQは、日本に乗り込んで好き勝手なことをしてくれた。
戦勝国権利と言えばそれまでだが、日本人が当時何をされたのか、今では知らない人がほとんどではないだろうか。
下山国鉄総裁事件、木星号遭難事件、白鳥事件、帝銀事件・・・、うやむやになった数々の謎の事件の裏に、いつでもGHQの暗躍があったとされる。(松本清張 「日本の黒い霧」 この業績を認められ、日本ジャーナリスト会議賞受賞)
人の命をいとも簡単に闇の中で葬れる組織が日本中で暗躍していたら、気概を持って立ち上がる人物がいなくなるのは当然だ。

今の日本が混迷し、日本人の精神が脆弱になったのは、日本人が、あの戦争はおぞましい犯罪だったという自虐史観に支配され、アメリカの云うなりになることで、自らの思考を停止させたせいだと僕は思っている。
もともと生真面目で、他人に気を使い過ぎる性質が、それに拍車をかけたように思える。
僕たちの世代が受けた教育には、あの戦争はなぜ起こったのかという点が、すっぽりと抜け落ちている。教科書に嘘は書けない、しかし正しいことも書けない(本来は堂々と書けば良かったのだが)・・、日本の選択は、教科書から近現代史をざっくり削り簡略化することだった。
正しい歴史をまともに学習していないから、中国覇権構想、韓国思想支配に日本政府はまともに対抗できず、ずるずると結論を引き延ばして事態の悪化を招いている。
真の歴史を学べない国民は、現在の自分たちの過ちに気付く事ができず、行く末も予見できない。
今になればこれが、欠陥歴史教育を進めようとした側の、最大の狙いであったようにも思える。

よって、過去の大東亜構想・大東亜戦争が、どのような経緯を持って受け入れられ決められたのか、今の日本人で知っている人は少ないだろうと、僕は想像している。
現在悪の象徴として取り上げられる大東亜構想は、日本の東条英機、中華民国の汪兆銘、タイのワンワイタヤコン、満州の張景恵、フィリピンのラウレル、ビルマのバーモーなど、アジア各国の指導者が列席した会議の中で採択されたものであり、日本人が勝手に決めてアジア諸国に押し付けようとしたものではない。

アジアの白人支配、植民地政策に危機を感じとった日本は、日露戦争で小国ながら当時世界最強と言われるロシアバルチック艦隊をやぶり、奇跡的な勝利をおさめた。そして大打撃を受けたロシアは、中国、日本に触手を伸ばすことを諦めざるを得なくなった。
この事実は白人社会を驚愕させ、無名だった日本を世界に知らしめた。
ついでに有色人種の分際で白人社会に逆らう日本は生意気だという西欧各国とアメリカの反感を買い、それらの列強はいつか日本を叩き潰さなければならないと、日本を追いこんでいくのである。
その辺りの経緯は、余計な思想を混ぜずに書かれた司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、当時の時代背景を含めて生き生きと描かれている。
(司馬遼太郎本人は、事実と確認できたことのみ書いたと言っているが、証拠と共に事実と反する内容が若干指摘されており、実際には創作が含まれているとされている。しかし、多くの学者がこの作品の影響を受け検証されている。いずれにしても歴史小説としての人気は高い)

日本は欧米の触手から自分たちを守り、生き延びる活路をアジアに見出した。
大東亜構想の一番の目的は、アジアから欧米の植民地政策を退けることである。アジア各国もそれに同調した。
結局この構想は日本の敗戦により幻に終わったが、結果的にはアジア諸民族の西欧植民地からの解放に繋がった。
このような経過があったからこそ、アジア各国では、かの戦争における日本の功績を称える書籍・論文が、多く発表されているのである。

僕は自虐史観に、反対の立場を取っている。
それは、自虐史観を植え付けようとする側に思想的な意図を感じ、捻じ曲げられた事実認識が、結果的に日本人の精神を荒廃させると思っていたからである。
そしてどうなったか、今の日本を見れば明らかである。

ただし僕は、日本軍や日本人の過去の行為全てを、全て正しいものだったと肯定しているわけではない。個別には、痛ましい事実が多くある。
韓国や中国で、反日教育成果としての反日運動が起こることはさして気にならない。
実際に中国人の知り合い数名に勇気を持って聞いてみたが、あれは洗脳された頭のおかしい奴らが仕組んでいることで、多くの国民に真の反日感情は無いと言う。
世代が違うのだから、過去の戦争のことを意識して日々を過ごす者はいないという返答は、僕にとっても極自然なものに聞こえた。

しかし、そのような反日教育政策の影響ではなく、実体験を基に心から日本を恨んでいた人がいたことは知っている。
その中には、日本人の下になって働く中国人、韓国人が、同胞に対して行った残虐行為の事実も含め、被害を被った人の感情というものは良く理解できる。
(当時どのようなことがあったのかを知る一つの資料として、帚木蓬生の「三たびの海峡」などが心に残っている。これを反日作品とする人もいるが、僕はこれを、単純な反日作品とは考えていない。悲しく悔しい想いをした人の心情が如実に描かれている)
しかしそれらは、日本が国として主導した行為ではない。日本軍は全体として、規律が厳しく、他国の軍隊と比べ立派であったと評価されている事実が多くある。
しかし戦時下という異常な環境の中で、目の行き届かない行為というものはどうしてもあったはずで、それはどの国の軍隊にも、似たり寄ったりの状況があったとされている。

モナの祖母の話しからも、戦争当時フィリピンで何があったのかは想像できる。様々言われる日本軍の行為を、全て事実無根だと言うつもりはない。
しかし僕は、日本軍、日本人の一部が酷い行為を働いたからといって、日本国や日本人全員が悪かったわけではないと思っている。まして、現代に生きる日本人全てが、過去の一部の悪さをした人間と同列に扱われるいわれは全くないと考える。
この考え方は、現在の大方の中国やフィリピンの方々も同じようで、過去の呪縛にとらわれ今を生きる人は、もうほとんどいない。それよりも、今、そしてこれからが大切だと考える人が大勢を占める。
そして、自分の目で確かめた日本や日本人を、素晴らしい国、人々だと認めてくれる人が少なくない。

僕も同じで、過去の歴史については、表の歴史的事実、裏の陰謀・企みを含めた事実を自分の納得できるかたちで知り、それを自分なりに判断したいだけである。
だれかが決めた、日本人は過去、散々酷いことをした残虐な極悪民族というレッテルを真に受け、信じるつもりは毛頭ない。

残虐行為と言えば、アメリカが広島・長崎に多くの一般市民を巻き添えにすることを承知で原子爆弾を使用したのはどうだろうか。
ルーズベルト大統領は、ドイツが核開発をしていることを懸念し、アメリカでの原子爆弾開発にゴーサインを出した。有名なアインシュタインが、それに一役かっている。それでもルーズベルトは、実際の原爆の使用に関しては反対で、投下実行命令書へのサインを拒んだ。
しかし日本にとって不運だったのは、原爆投下に反対したルーズベルトが急死し、代わったトルーマン大統領が、それを許可してしまったことである。

肝心のドイツは、1945年の5月に既に降伏していた。
それでもアメリカは、原爆開発に3年の歳月と20億ドルの巨額資金を費やしていたため、国内世論を政府に有利に導くことも含め、後に引けない状況になっていた。
加えて原爆を使用することで、ソ連を牽制したかった。新型爆弾の威力を実際に確かめてみたいという開発者の欲求もあった。
よって投下には、効果がしっかり確認できる条件が揃った都市に落とすということで、広島、長崎、小倉、新潟などが選定されていた。選定された都市には、それ以降爆撃禁止命令が出た。爆撃で破壊してしまえば、原爆の威力評価の精度が落ちるからである。
建前はアメリカ兵の犠牲者を、できるだけ少なくとどめ戦争を終結させることであったが、原爆を投下した頃、既に実質上の勝敗は決していた。
アメリカは日本が降伏する前に、できるだけ早く原爆を使用したかったのである。
だから、メキシコで原子爆弾のテストを行ってから広島への原爆投下まで、2〜3週間しか間があいていなかったはずだ。
動機も行為も、これほど酷い残虐行為はないだろう。

僕はこのことに考えが及ぶと、アメリカという国に大きな怒りを覚える。
アメリカは、いつも攻撃の矛先をかわせる理屈を用意しながら、常に本音で行動するエゴイストの国だ。
それでもアメリカに、反省し謝罪しろと言う国はない。
日本人がアメリカ人全員を憎んでいるわけでもない。
アメリカ人と友情を築いている人もいれば、愛を誓い合って幸せな家庭を築いた人もいる。
過去の事実は事実として認識していたとしても、実際にはそれが個別の付き合いに大きな影響を及ぼすものではなく、結局は付き合う相手の人間性を個別に見ている。
その関係は、フィリピン人と日本人も同じで、僕がフィリピンに住み、過去の歴史的しがらみに足をすくわれた経験は一度もない。

個人レベルで過去にこだわっていても、そこには何も生まれないことを、普通の人は無意識に分かっているのである。
国レベルで言えば、どの国も過去の遺産で成果のない喧嘩を仕掛けて関係を悪くするより、現代社会で実利を取る方が賢いと思っている。
そして日本の過去を責める国がいまだに吠え続けるのは、それが自分たちの国益に繋がると考えているからだけである。感情的なものも含め、それ以外の理由は一切ない。


戦争は悲劇を生む。意図しない事も散々起こる。実際に多数の犠牲者が出る。この事実は大きい。その意味で、戦争は起こすべきではないし、巻き込まれたくもない。
それでも列強は武器を捨てないし、軍事力を背景にエゴを貫こうとする。
アメリカは景気回復の手段として、また保有兵器の使用期限を睨み、常に戦争する理由を探している。
ならば日本も、日本の国益・国民を守るために、世界有数の実力を誇る自衛隊を軍隊と改名し、空母を持ち、軍事衛星・偵察衛星をばんばんあげれば良い。
ミサイルが飛んできたらうち落とし、速攻でピンポイントの報復ができる衛星を保持し、中国や北朝鮮に照準を合わせた中・長距離弾道ミサイルも、すぐに発射できるようにしておくべきだ。
将来太平洋を堂々とうろつくであろう中国空母を常に尾行し、いつでも撃沈できるように最新鋭の潜水艦を増設し、できるだけ早く次期戦闘機の選定を終了し購入すべきだ。
日本を刺激し目覚めさせたら怖い存在であることを、ここらで徹底的に中国や関係諸国に教えてやる必要がある。
軍事力をできるだけ優位に保つことが、最大の戦争抑止力となり、強い外交のバックボーンとなる。

目の前で息子を惨殺されようとし、妻や娘を強姦されようとしているのに、それでも平和主義だと指をくわえて見ているのか。僕なら自分が殺されるか相手を殺すまで闘う。
裏返しで考えれば、決して加害者にはなりたくはないし、そのような状況は望まない。
しかし、綺麗事では済まされないことが、世界では実際に起こっており、それに対抗する術を備えることが世界では常識となっている。
日本はいい加減に目を覚まし、自分たちの考え方を総点検すべきだと思っている。


↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:322.終戦日に際して

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。