フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年08月07日

312.運

新人として職場に配属された当時、つまり20年以上も前のことになるが、配属された課の課長から、就業時間終了間近に突然食事に誘われた。
当時、入社年度が1年違うだけの先輩は親近感がある身近な存在だったが、その先輩が敬語を使い指示を仰ぐ2年以上先に入社した先輩は、決して威張ってはいなくても、空に例えればいきなり雲の高さくらいの存在であった。
よって課長ともなれば、その役職だけで雲の上の存在で、部長から上は、声をかけられるだけで緊張してしまう神のような存在であった。

雲の上の存在と二人だけで食事など、正直に言えば腰が引ける想いであったが、新人の僕には断る理由も勇気も無く、その時はだまって課長の後をついて行くしかなかった。
二人で居酒屋に入ってからも、雑談や笑い声でざわつく店内で、僕は何か特別な説教でもあるのかと警戒し緊張していたが、会話は拍子抜けとも言える世間話に終始した。
ただその食事の終盤で、
「会社での出世は、実力も大切だが運もある。配属された課、部、事業部、そして関わる上司、仲間、会社の動向と、自分ではどうにもならない様々なファクターが、自分の仕事での立場を左右する、とりわけ、今後どのような上司・指導者に恵まれるかがとても重要だが、通常はそれを自分で選ぶことはできない」
と言われ、きっと当時の課長は、それを僕に教えるために連れ出したのだろうと、雑談の中に出たほんの一握りのその話を、いまだに良く覚えている。

確かに当時の会社では、自分で上司を選ぶことはできなかった。
とりわけ新人の頃は、職種や扱う製品の希望は訊かれたが、上司についてどうこう言える場はなく、仮に訊かれても、何らかの希望など言えるはずもなかった。
会社では、上司、同僚、後輩と、人との巡り合わせについては、運というファクターが大きなウェイトを占めていることは間違いない。

当時の課長が話してくれた内容は、その後20年働いた中で、自分自身で実感し正しいことだと思ったが、その上で僕は、運を言い訳のように使う人をあまり好きになれない。
人との巡り合わせは運に左右されるが、その巡り合わせをどのように料理するかは自分の力量によるのではないか、人だけに限らず、巡り合わせた環境も同様ではないかと考えるからである。

とすれば、日本で不遇に喘ぐフィリピーナはどうであろうか。
(以下はフィリピン国内にいるフィリピーナにも当てはまることが多い)
日本人と結婚したが上手くいかずに別れ、もうけた子供を抱えて養っている人。
紐のような男に引っ掛かり、夜の店で働いて得たサラリーを、暴力まで振るわれて巻き上げられている人。
不景気で客の足が遠のき、売り上げが上がらずサラリーが減った人。
フィリピンで男に騙され、日本でも男に騙され、泣いている人。
日本とフィリピン家族の生活を両立させるために悩んでいる人。

僕もこれまで、数々の大変さをこの目で見てきて、実際に可哀そうだと思った。
しかしその都度感じたのは、それを、私は男運が無かった、不幸な星の下に生まれた、美人ではないから客が少ない、フィリピン人に生まれた定め等々、全ては運が悪いと陰々滅滅に嘆いているだけの人に、希望の持てる未来があるのだろうかということであった。

まるで嘆かない人は良い。潔いと思うし、自然体で生きていける強い人だと安心感も持てる。そのような人はそれらを受け入れる懐の深さを持っていて、気持ちに余裕もある。
フィリピンの連れ出しバーで見かける、酸いも甘いも知りつくした年増のホステスで、平気で客のホテルへでかけ、その時の有り様をあっけらかんと笑い話にして教えてくれるような人には、そのような強さや安心感があり、そんな人は一緒の時間を過ごして気持ちが良い。

しかしめっぽう嘆き続ける人は、その言葉は自分の境遇を何とかしたいという裏返しでありながら、焦燥感や諦めが先に立ち、自分の何が悪いか、その先どうするかに目が向いていないことが多い。
それに目が向かない人は、胸の内に不満を蓄積しながら、漫然な日々を送り年齢ばかりを積み重ねる結果となる。
それでも元々活力のある人間は、年齢というハンディを跳ね除けるエネルギーを秘めているが、一般的には、人間は若いという事実だけで多くのチャンスを持てるものであり、漫然と歳を積み重ねることは、それだけ幸福の芽を摘み取っているようなものである。

そのような人に、単純に手を差し伸べるとどうなるか。
私にも運が向いてきたと大層喜ばれるが、自分が何かを掴み取り、何らかの行動を起こした結果のツキでないから、差し伸べた手を引っ込めれば元の黙阿弥と化すことが、往々にしてある。
手を差し伸べた方はそれが良く分かっているから、一緒に乗った泥船から降りるに降りられない状況になったりする。
泥船から降りるつもりのない人(一緒に海の底へ沈んでも良いとの覚悟がある人)や、一緒に泥船を補強改造し、立派な船にしようという心づもりがある人であればそれで良いが、そうでなければ、本人に何かを掴ませてあげなければ、事態が進展するとは言い難い。
泥船が沈みそうな時に、自分だけサッと降りてしまえば、人でなしとなる。

しかし、活力のない人に自立のための何かを掴ませるのは、大変難しい。他人の気持ちを奮い立たせるということは、想像以上の知力・忍耐が必要となる。
だからそのような憂いを感じさせる人には、最初から深入りしないようにした方が、身のためだったりする。
それでも二人の間に愛情や友情というものが芽生えれば、それがまた別次元の話しになってくるからややこしい。

良く、運も実力のうちと言い、ツキを引き寄せる性格、思考、習慣、努力など、個人の特性と絡み合う運があることは言うまでもない。
もともと運とは、人知・人力の及ばない成り行きのことを指す言葉であるから、個人の特性から引き寄せられるものは運ではなく紛れも無い実力と言えるが、運と実力が絡み合い、その境界が曖昧な現象や結果が多数ある。そういったものを含め、運と呼びたくなる事象が、間違いなく身の回りに多く存在する。いや、どちらかと言えば、単純な運が巡ってくることなど稀で、自分の力で引き寄せる運の方が、世の中圧倒的に多いのではないだろうか。

さすれば人はより良く生きるために、この運を引き寄せるための努力を心掛け、仕掛けなければならないということになる。
どのような努力をすべきかについては、当然ケースバイケースで違ってくる。

例えば客商売をしているフィリピーナであれば、お客と話をする時には、手を客の膝辺りに置き目を合わせるようにするとか、客がどのような話題を好むかを日頃から考えて仕入れておくとか、積極的に客と一緒に歌うといった小さな努力であろう。
卑猥な客に、言われるがまま体を触らせて繋ぎとめるやり方はどうせ長続きはしないから、そのような努力が向かない人は無理することはない。逆にそのような客を退けるくらいのポリシーを持ち、信念を持った接客を続ければ、自分のスタイルに合った客が少しずつ増えていく。
売り上げ、指名客数、貯金額などについて、小さな目標を定めて、それを一つずつクリアーしていくやり方が良い。

思い切って学校に通い、資格を取って方向転換してみるのも一つの手である。
もしフィリピーナであれば、資格取得の際、言葉の壁があるだろうから、その障壁ができるだけ小さなもの、もしくは英語で受験できる資格を探してみる。
もともと接客が得意な性質を持っているのだから、夜のパブ勤めではなく、別の接客業にチャレンジしてみようと考えてみても良い。
最初はサラリーが低くても、元来持っているアドバンテージを活かして認められれば昇給の可能性もあるし、スキルを身につけ転職ということもあり得る。

筋書きを作り、その通りに進まなければ、何が悪いのかを振り返り今後に反映させる。
筋書き自体が悪かったら、ざっくり書き換えてしまえば良い。
何もせずに月日を浪費するより、何かをした方が、運を引き寄せるチャンスに恵まれる。

こうして整理してみると、自分に不足していることが何か、実に良く見えてくる。
僕もこれから、運を引き寄せるための努力について、積極的に考えてみようという気になっている。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:312.運
2011年08月06日

311.隣町の台風被害

僕がマニラ出張中にフィリピンを襲った台風は、ビコール地方に大きな被害をもたらしたと聞いていた。
朝、マニラからクラークへ向かう途中に寄ったジョリビーでもらった新聞でも、ビコール内陸部での土砂崩れ被害が大きく報道されていた。

実際に地元に帰ってみれば、タバコシティーの隣のレガスピ市全域浸水、レガスピと反対側の隣町マリナウの浸水、タバコとレガスピを結ぶ国道の橋が流され分断と、生々しい傷跡が多く残されていた。
そして昨日、隣町のマリナオに用事があったので、出かけついでに町の様子を詳しく見てきた。

マリナオ町の1Km手前までは、田んぼの苗が青々と風になびき、それがなぎ倒された様子もなく普通の風景が続いていたが、あるところを境に、田んぼの中に土砂が流れ込んだ形跡が見られ、土砂に囲まれた家が出現し、崩れた道路わきを修理していたりする光景が目立ち始めた。

町役場に行ってみれば、浸水で汚れた各種記録ノートが役場脇にずらりと並べられ天日干しされていた。
ノートを覗いてみれば、ボールペンで書かれた細かい文字が水で滲み、辛うじて読める程度である。
フィリピンでは、役所でも買い物でも何でも、どこへ行っても手書きの記録があり、それがデパートやスーパーのレジ、役所の仕事効率を妨げる要因になっているように見えるが、今回のように水に濡らしたり火事に遭ったりすれば、忌々しいほど費やした労力がいっぺんに水の泡となる。

世間にはパソコンが十分出回っていて、役場でもどこでも普通にパソコンが使用されているのだから、なぜ記録関係もデータ化しないのかと不思議だが、考えてみればそのシステムを作る人間がいない、もしくはそれを海外に発注する財力がないのだろう。
そのようなものがコンピューター化されているのは、大手のコンビニやデパートレジくらいのものだ。
勿論先日取得したTINや会社名などはデータベース化されているようだが、モナやベルの出生記録などを取り寄せてみれば、それらは未だにタイピングによる記録になっているから、日本と同じように全てをデータベース化するには、システム化と同時に文字をデータ化する作業にもコストがかかる。
様々な人のポケットに入る国費を積算すれば、その程度のコストは十分弾き出されると思われるが、基本的な国づくりより私腹を肥やす事の方が大切な議員だらけのフィリピンでは、そのようなところに金が回らないのかもしれない。

その役場周辺は、大人の胸辺りまで水かさが上がったそうである。
事務所の2階では、エアコンの効いた部屋で事務員が通常通りパソコンを前に仕事をしていたが、1階はまだまだ後片付けで、仕事にならないようであった。

なぜそれほど被害が大きくなるかと言えば、単に治山・治水工事にお金をかけていないからである。
町の冠水は、廃水処理施設が貧弱な上、住民が平気でゴミをそこら中に捨てるから、それが排水溝、水の流れ道を塞いでしまうからだ。
電気、ガス、水道に加えて、生活の基礎となるインフラがことごとく脆弱なフィリピンの弱さが、こうした自然の猛威で顕著に表面化する。

町役場から一旦国道に戻り、更にタバコシティーとは反対側の南に100mも走った所に、幅が50m程の川が流れていた。川の水嵩はまだたっぷりとあるように見えた。
まだ荒れ果てた川を見て、その川の水が溢れて町に流れ込んだことは容易に想像がついた。
川の上に架かる橋もダメージを受けているらしく、橋の下へ設置された配管を修理している人がいた。
川岸にも民家が並んでいるが、それぞれの家が家財道具や本などを表に出し、洪水の後始末に追われている人たちが大勢見えた。
町の中がプールのように浸水したのだから、川岸では相当の勢いで水が流れていたに違いない。
よくよく見れば、建物の窓ガラスは窓枠ごと壊れている。
フィリピンの学校は平屋が多いため、その建物は土砂に埋もれ、全く授業ができる状態ではなかった。
台風から既に一週間経過していても、ほとんど手づかず状態に見えるのだから、いつ授業が再開されるのか傍目にはさっぱり見当がつかない。
学校が休校となっているから、近所の子供たちがあちらこちらでたむろし、遊んでいる。

我が家はこれまでも書いた通り、高台にあるので浸水被害は皆無だが、タバコシティーの中心街も全く被害がなかったそうだ。
タバコシティーの町の中心からやや逸れて流れる川は、両脇がコンクリートの壁で固められているところから察するに、洪水を避けるために曲がりくねった川を人工的に真っすぐにし、川岸をコンクリートの壁で防波堤にしたものと思われる。
また現在も、以前住んでいたところはいつの間にか道路が50cmほど高くなっており、洪水に対する防御策が少しずつ進められているらしい。
道路が高くなれば、従来からある家が低くなり水がそこへ流れてしまうが、それは年月をかけて新しく建てる住宅を高くしていくのだろう。
少なくとも道路が高くなれば、洪水の際には道路に逃げることもできれば、交通が遮断されるリスクも減少する。

このようにしてみると、フィリピンが自然災害に対して、まるで野放しでいるわけではなさそうだが、それでもちょっと大雨が降れば、ただちに平穏な暮らしが壊される羽目に陥る人が大勢いる。
このような実態は、何もフィリピンだけの問題ではなく、世界のあちらこちらに当たり前のように存在する。

次の画像は、昨日訪れた我が家から車で15分〜20分足らずの場所、マリナオの被害映像である。
タバコシティーでも、隣町の被災に対して、古着を集めるなどの義援活動が始まっている。




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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:311.隣町の台風被害
2011年08月05日

310.ちょっとした幸福論

パソコンに向かって資料の整理に取り組んでいたら、突然扇風機が止まり、PCの画面がバッテリーモードに移行し暗くなった。予告なし停電である。
停電により、仕事を続ける気力を奪われたので、机を離れてテラスに行ってみると、珍しくモナが、タライに手を突っ込み洗濯していた。

何気なく近づいて、停電だよと告げると、「それじゃあちょっと手伝う?リンスして」と言われた。
「リンスってなに?」と訊けば、衣類の洗剤を水で洗い流す「すすぎ」のことで、モナが洗濯をするのとは別のタライに水を入れ、衣類から洗剤をすすぎ落して絞る工程らしい。それを2回やるそうだ。

少しのつもりが、いつの間にか洗濯の後工程を任されるかたちになり、モナの隣に小さな低い椅子を用意し、彼女と並ぶようにそれに腰掛け、別々のタライに手を突っ込む。
手洗いというのは思いのほか疲れるもので、特に洗濯物を絞る作業が続くと、手のヒラがだるくなり握力が次第に奪われていく。
モナの化繊のパンティーは3〜4枚まとめて絞ると弾力があり楽だが、木綿のTシャツはボリュームがあり、しっかり水を切ろうとすれば一枚だけでも体力の消耗が激しいなど、意外な事実に気付いたりする。ブラジャーはワイヤーが入っているのでねじり絞りが出来ず、両手で挟み込んで力を加える方式にしないといけない。
このようなことは、自動洗濯機を使っていたら一生わかるはずのないことで、なるほど洗濯にも、結構なノウハウが必要そうだとわかったりする。

モナが子供の頃は、洗濯は川でやったそうだ。川で洗濯をすれば水代を節約でき経済的という理由らしいが、今は川の水が汚いので、それはやめたらしい。
川の水が汚れるのは、みんなが洗濯や食器洗いなどを川でするからであって、それは環境汚染に繋がるから本来してはいけないのだと教えても、フィリピン育ちのモナには、その辺りがピンとこないらしい。
おそらく上流の家は、未だに川の水を十分に利用していると思われる。
フィリピンでは生活排水が川の水に混ざるので、川が流れ込む周辺の海は汚く、とても泳げるものではない。
以前セブでは、リゾート地になっている外海以外は、水に入れば病気になると言われたが、実際にこの目でそれを見てみれば、仮に大丈夫だと言われても決して入りたくないような汚い海である。
よく会社案内などで、工場の外側に真っ青な海が広がっている写真があったりするが、あれは完全にはめ込み合成写真で、真っ赤な嘘だ。

このような成り行きで、午前中いっぱいは洗濯おじさんになってしまったが、それでも青空と雲が半々で、台風の影響が残っているせいか風も強く、絶好の洗濯日和にこのような手洗い洗濯は、長閑で気持ち良く感じた。

たまのことだから長閑だなどと言っているが、これが毎日の仕事になれば、なかなか大変だと思われる。
我が家の自動洗濯機はまだ修理しておらず、相変わらず大きな図体が無用の塊のようにスペースを取っているが、修理してもどうせタライで手洗いが続くのだろうから、誰からも洗濯機の修理の催促をされない。
壊れる前からずっと使用されていなかったのだから、おそらく修理しても、まるで文明の利器は信用できないと言わんばかりに、当たり前のように手洗い洗濯を続けられるはずだ。
2台の電気掃除機も、我が家ではどこにしまっているのかわからないくらい、ほとんど登場しない。
おかげで停電があっても、TVを見るのを我慢するくらいで、とりたてて生活には困らない。
相変わらず停電が続く午後には、我が家の畑で収穫した芋をスライスし、油で揚げたものがおやつに出た。
収穫したてで軽く塩を振った揚げ芋は、大変美味しい。
それを頬張りながら、ここは電気が無くても、やっていけるかもしれないと感じたりする。

僕の子供の頃はサツマイモの天ぷらが良いおやつだった話をすると、フィリピンでこれは貧乏人の食べ物だと教えられた。
確かに昔の日本でも、貧乏人は芋や大根をよく食べていた。
しかし本当に貧乏でそれを食べるのと、そうではなくて食べるのとでは決定的な違いがある。食べる物が限られた中でそれを食べる時には、争奪戦で目が血走る。下に弟が二人いた僕の場合、気を抜けばあっという間に皿が空っぽになった。
今のようにゆったりと味わって、美味しいね、などと言いながら食べるのとはわけが違った。

そんな話をしながら、先日マニラでのことを思い出した。
コンビニでちょっとした買い物を終え外へ出ると、手を差し出すストリートチルドレンに囲まれることがしばしばある。
たまたま1ペソコインが無かったので、一番近くにいた子供に、みんなで分けなさいと言いながら10ペソコインを2枚手渡すと、コインを受け取った子供に、周囲の子供がわぁーっと殺到した。
たった40円相当のコインに、血眼になって群がる子供の様子には、やはり心が痛んだ。

我が家では、手洗い洗濯をしていようが、箒とチリトリで掃除をしようが、空腹を我慢することもなければ、毎日数回のシャワーで体を清潔に保つこともできる。着替えの服はきちんと洗濯をして、いつも清潔だ。
揚げたての芋を、ゆったりと会話を交わしながら、ソファーでくつろいでコーヒーと一緒につまむこともできる。
不便で大変だと思われることでも、食べることに困らないという状況は、何をどうしたって気持ちにゆとりをもたらす。
マニラで見た子供たちとは、天地ほどの差がある幸せな生活である。

だからといって、無理に生活水準を下げる必要は無いが、ふと、そのような何の変哲もない日々を送れることが幸せだということを、日頃忘れがちであることに思い至るのである。
そしてひとつ気がつくのは、今の日本人よりもフィリピン人の方が、普段からそのことを良く知っているということである。
それが日本人に対するフィリピン人の強みであり、一緒にいて安心感を持てる理由の一つと思われる。
いくら頑張っても幸せを感じてもらえない人と、普通に頑張れば幸せを感じてくれる人では、一緒に暮らした時に、後者の方が圧倒的に働きがいや生きがいを得ることができる。

日本人は贅沢に慣れ過ぎて、知らないうちに高望みをしすぎている。
少し生活がダウンすれば悲壮感や劣等感を抱き、文句を言い、生きるということの原点が何で、幸せとは何かを見失っているように見受けられる。
今手にしている幸せに気付かず、自分が不幸だと思っている人が如何に多いことか。
幸せとは、気持ちの持ちようで、いくらでも手に入れることができる。
同じ日本人でも、一度どん底に落ちた人はそれを良く知っているし、優しくて強い。

そのように言う自分も、幸せを見失いがちな日本人の一人であるが、幸いそれが何かをしっかりと分かっている妻といることで、僕はそれに気付かされ、そして幸せを貰うことができる。
僕がフィリピン人との結婚に踏み切った一番の理由は、実はそれだったのではないかと、今にして思うのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:310.ちょっとした幸福論

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