フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます

フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2014年01月19日

717.ない物ねだり

 相変わらず寒い日が続いていますが、寒いのはビコールだけではないようです。フィリピン関係ブログを徘徊していると、複数の土地の方が寒いとおっしゃっているようで、今はフィリピン全体が異例の寒さなのかもしれません。普段の恰好は、下は短パンですが上は長袖ジャケットを手放せないほどです。昨日の昼前気温を確かめてみたら、二十三度となっていました。冷房をその温度に設定したら涼しいというより寒いと感じるはずですから、やはりここはエアコンを強めに利かせた部屋と同等に寒いのだと思います。
 
 本日の日曜、家族は教会に出かけました。自分も誘われましたが、前回一緒に行って少々懲りたので、本日は一人でお留守番をさせてもらっています。
 最近家族の行く教会は、以前と違います。
 教会といってもコンクリートが打ちっぱなしで天井は空調や電気の配管がむき出しの建物で、祭壇は臨時で備え付けたものです。集まる人は五十人足らずと、随分アットホームな印象を抱かせる場所です。
 若い男性の弾くアコースティックギターの伴奏で、みんなで歌うというのも目新しいのですが、長い髪を後ろで結んだ神父さんらしき人の話の冒頭では、本日のゲストということで突然僕の名前が呼ばれ、その場に立たされ紹介が行われました。神父さんの話がタガログ語になると、彼は僕の方に向かって「タガログで済みません、少し我慢して下さい」と言ってくれるのですが、その度に会場の視線が僕に集まります。日本人の僕はそういった時のリアクションに戸惑いを感じ、そしていつ何時指名され感想や意見を尋ねられるかもしれず、正直に言えば僕にとってその集まりは居心地がいいとは言えませんでした。それよりは一人で留守番を楽しんだ方が、僕にとってはずっと有意義です。

 家族がみんな出払うと、なぜかせいせいとした気分になります。こうやって、パソコンに向かって文章を打つ気になれます。つかの間の自由を手に入れた気分です。こうしてブログ記事を書いていても、この貴重な時、そんなことに時間を費やしてよいのだろうかという気にさえなってきます。
 人間は一人になると家族や仲間と一緒がいいと思いますが、いつもそうなると、たまには一人で羽を伸ばしたいと思ってしまう愚かな生物です。常に無い物を欲するのが人間であることに気付いたのは随分前ですが、そのような欲求が愚かだということに気付いたのは比較的最近(数年内)のことです。愚かだと気付いてさえ、そのような欲求が人の内側に発生することは自然だと認めている自分を、僕はますます愚かだと思っています。
 
 しかし言わせて下さい。僕は日本人ということで、どこで何をするにも危険だからと、外出の際には必ず家族の誰かが同行、もしくは送り迎えがあります。送りはよいとして、迎えは自分の時間に制約が生じるので不要ですが、家族の親切心や心配心からそうなるのです。たまには時間を気にせず、糸の切れた凧のように気の向くまま街をぶらつきたくても、それができません。自分がどこで何をしているのか、その全てを把握できることがモナの安心に繋がることを十分承知している僕は、この点で随分我慢をしています。
 だから僕は、檻の中で飼われている動物園の動物や、いつも繋ぎ止められている我が家の飼い犬の気持ちがとてもよく分かってしまいます。実際は自分の想像が彼らの気持ちとかけ離れているかもしれませんが、自分が勝手に感情移入し自分と同じだと思ってしまうのです。

 仮に僕が自由な時間をもっと自由に持てるようになったらどうするか。
 そうなっても僕は、夜の世界を覗いてみようなどとは思いません。ここは田舎の中の田舎です。日本の場末と呼ばれる場所でさえ、ここに比べれば足元にも及ばないでしょう。薄汚いバラック小屋のバーに、素性の悪い女がゴロゴロいるのです。決してそれが全ての女性に当てはまるとは言いません。しかし、一握りの素晴らしいエンターテイメントを発揮してくれる女性に出会えるほど、僕は自分の運というものを過信していません。
 僕が日本人ということで、そこにはなりふり構わず密接な関係を築こうと懸命になる女性がいるかもしれません。仮にそこに、情熱的に自分に迫ってくる女性がいて、僕が久しぶりにその気になって嬉しくなったとします。しかし長く付き合ううちに、人は地が出てきます。女性からは次第に強烈な要求が飛び出すようになり、それを叶えてあげられなければ態度は傲慢なものに豹変し、そのうち家にも押しかけかねない。理性も知性も足りない女性に僕はそんなことを想像し、その想像だけで僕の気持ちは早々と萎えてしまいます。
 僕はこの自分の想像について、決して検証しようと思っていません。この想像が間違いだとしても、僕はこの想像のおかげで夜の世界に足を運ばずにいるのですから、家庭平和のためにこの想像を正しいものと信じている方がよいと思っています。

 では自分の自由な時間を、この田舎で何のために使うのか。
 少し頭脳を回転させなければならない仕事をし、ブログや小説を書くということになるのでしょう。気晴らしにマッサージに行き、その帰りにコーヒーショップによって持参のパソコンで何かをする、結局そのくらいしか思い浮かびません。しかし僕は、おそらくそれで十分です。一人だけで落ち着ける空間があれば、あとは穏やかな生活で満足できそうな気がします。
 
 一昨日、あるお願いごとを受けモナの友人女性宅に行きました。日本人の旦那と別れ、子供を一人抱えて自立している女性です。綺麗な家に立派な車を二台持ち、その車で我が家に迎えに来てくれました。
 お願いごとを終え、お礼の軽食をご馳走になっている時に、その女性が言っていました。
「ここの生活はとてもシンプル。食事をして仕事をして寝て、目覚めるとまた同じ生活の繰り返し。わたしは恋人もいない。だからますます生活がシンプルよ」
 それを退屈だという愚痴として聞いていいのか、それともそれが素晴らしい生活だと言いたいのか僕には分かりませんでしたが、どちらかといえば彼女の言葉は前者に聞こえました。
 彼女はかつて日本で暮らしていたので、日本人のことをよく知っています。
「日本人はとてもよく働くし、それはほんとうにすごいね。でも冷たいな。優しくない。あっ、みんなじゃない。でも家に帰っても疲れたと言ってすぐ寝る。優しいのは最初だけ。フィリピン人は甘いよ。仕事していても時間がくれば家にいる。家族と一緒の時間を大切にする」
 彼女はここで少し考えて、「でもフィリピン人の恋人はいらないな、フィリピン人はやっぱりだめ」と少し曖昧に付け加えました。
 彼女も自分のない物ねだりに気付いていて、それと現実を比較しながらどのように折り合いをつけるべきか迷っているように見えます。もしくは、日本での生活を捨てた後悔を遠まわしに語っているのでしょうか。
 だから彼女は仕事を懸命にするのだろうか? 僕はそんな風に想像しながら、彼女の話を聞いていました。その日のお願いごとも、彼女の新しいビジネスに関するものです。
 会話の中で、マニラのコンドを人に貸し、家賃収入ができたことで心の平穏を少し取り戻すことができたという本音も聞くことができました。
 最初はお願いされたことをさっさと済ませ、早々に彼女の家を引き上げようと考えていた僕でしたが、次第に彼女には新しいビジネスを成功させて欲しいと思い始め、僕は帰宅後に日本から補足資料を取り寄せ彼女に送りました。
 以前から何一つ不自由のない生活をしているように見えた彼女ですが、やはり人それぞれに深い人生があるのだと感じた出来事でした。
 
 ここで家族が教会から戻ってきて、突然周囲が騒がしくなりました。早速ユリがまとわりついてきます。自分だけの時間がなくなってしまいました。
 しかし、さっきから我慢していた背中の痒いところをモナにかいてもらい、「あ〜、痛きもちいい〜」と幸せを感じてしまいます。
 今の生活は、取捨選択の結果ではありません。数ある何かから選んだのではなく、望んで手に入れたものですが、ない物ねだりはついそのことを忘れさせてしまいます。
 フィリピンでビジネスに邁進するモナの友人は、今思えばそのことをしっかり踏まえているのかもしれません。


 
 ↓ランキング参加中
 にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
 人気ブログランキングへ

 
 
posted at 14:28
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:717.ない物ねだり
2014年01月18日

716.ああ無情

 先日楽しみにしていた来客のビッグイベントが、取りやめになってしまいました。
 当日、天候は朝から良くなかったものの、朝から二つの便まで時間通り運行していました。友人は三つ目の便でやってきます。前二つが飛んだならば次も絶対飛ぶだろうと、僕はレガスピの中華レストランで友人に食べさせたいお気に入りチキンを買い、それをぶら下げ少し早目にレガスピ空港にて友人を乗せた飛行機を待っていました。
 飛行機が二十分遅れでマニラを飛び立ったことは、セブパシフィックのサイトで確認できていました。その便を待つ間コーヒーを飲んでいましたが、気が付くと風雨が少し強くなっています。その時点でやや不吉な雰囲気は漂っていたのです。それでも数日間、悪天候にも関わらずセブパシフィック便はほぼ定刻通りに離発着を繰り返していたことが、僕の「絶対に来る」という強気をどうにか支えていました。

 もうじき飛行機が到着という時間、僕は雨の中を外に出て空を見上げていました。すると、見上げていた空とは反対側からジェット機の轟音が響き、突然滑走路の端に着陸寸前の黄色いセブパシフィック便が現れたのです。地上から本当に数メートルの高さで、機体は一階建ての空港建物の陰に隠れてしまいました。建物の陰に隠れるほどですから、本当に着陸寸前です。ただ、飛行機の見えた場所はこのままいけば着陸ポイントをオーバーするような位置で、ここの滑走路ってそんなに長かったか? と思ったのは事実です。
 それでも僕は友人の到着を確信し、風が強く心配していただけに心底ホッとしました。
 ところが着陸したはずの飛行機は、再び空港建物の上部から顔を出し、最初に僕が見上げていた空の方へ上昇していきます。
「はあ? なになに? どーゆーこと? お〜い、どこ行くのぉ〜?」
 僕は雨にさらされていることも忘れ、チキンを片手に遠ざかる飛行機を茫然と見つめていました。天候が悪いために、飛行機はあっという間に厚い雲に吸い込まれ見えなくなりましたが、僕はすぐにその場を立ち去ることができませんでした。
 僕の周囲にも何が起こったのか判然としない出迎え人が大勢いましたが、飛行機が見えなくなってからそれらの人の視線が、自分に集まっていることに気付きました。僕が手にぶら下げているチキンの入ったカートンボックスが、雨でふやけはじめています。みんながそんな物をぶら下げ雨に打たれている僕を、気がふれた人を見るようにじろじろと見ているのです。
 諦めきれない僕はその場で、ジェット機の音に耳をそばだて再び先ほどの便が戻って来るのを二十分くらい待ちました。しかし飛行機が戻る気配は全くありません。そのうち空港職員が、用意したタラップを引き上げてしまいました。
 すぐに携帯でセブパシフィックのサイトを確認すると、無情にもそこには、友人を乗せた便の右端にCANCELD(キャンセル)の表示があるのです。ここでその便がマニラへ戻ったことが確定しました。
 よく見ると、僕の携帯バッテリーがほとんど底をついていました。マニラに到着した友人は、これからどうするのかきっと僕に連絡を取ろうとします。もしかしたら友人は、次の便でやってくるかもしれません。
 その可能性も捨てきれず、僕はレガスピのモールに行き、チキンをぶら下げながら携帯充電サービスを探しました。モールでもふやけたチキンの箱に集まる人々の視線が少し痛いのですが、僕はそれどころではありません。まるで切れようとしている命綱をなんとか繋ぎ止めるよう、僕は携帯充電サービスを祈る気持ちで探したのです。
 辛うじて携帯の充電をし、ようやくマニラに連れ戻された友人と話をすることができました。友人の話では、一度飛行機の車輪がかすかに滑走路を捉えたようでしたが、そのまま上昇し驚いたということでした。機内は騒然となり、友人は着陸を少なくとももう一度くらいはトライするだろうと思っていたらしいのですが、機体がマニラに向けて飛んでいることを知った時には愕然としたようです。
 通常引き返すとすれば、視界不良で滑走路が捉えきれず断念というケースだと思われます。よって少なくともみんなが見上げるような高い場所で断念するのが普通ですが、なぜ滑走路にたどり着いた後で再上昇したのか、とても不思議です。あとで考えると、飛行機は着陸途中で、思った以上に風に揺さぶられるため既に着陸を断念していたのかもしれません。だから機体高度を下げ切らず、着陸ポイントがオーバーランになるような場所に見えたのではないかと思われます。

 結局その日は、次の便も欠航になってしまいました。そして翌日の便も不確かということで、友人の訪問はその日のうちにキャンセルとなってしまいました。(悔しいことに、翌日は臨時便も含め全便時間通りの運行)
 誰のせいでもないのですが、僕はここ最近味わったことのない挫折感のようなものを覚え、がっくりきました。レガスピからの帰りはお願いしていた車をキャンセルし、バンでタバコに戻りました。バンの中でも放心状態は続き、僕の身体は車の揺れに任せるまま、膝の上にチキンを抱えて亡霊のようにユラユラ揺れていたはずです。
「この日本人、きも〜い」なんて、同乗している若い女の子たちに思われていたかもしれません。

 高揚と落胆の気分の振れは、人に予想以上のダメージを与えるようです。
 爆発寸前でようやくトイレを見つけて飛び込んだら満室だった時のように、今日は発散するぞとカラオケに入ったらイベントで機械が使えないのと言われた時のように、待ちに待った新築が完成し入居後床の上をビー玉があらぬ方向に軽快に転がることを発見した時のように、あなたはタイプなのと言われ連れ帰った途端料金システムを機械的に説明された時のように、前日早く寝て目覚めたら土砂降りの雨だった遠足の日のように。
 人は煮え湯を飲まされる人生に散々慣らされているはずでも、ああ無常と空を仰ぎたくなることはなくならないし、これからもあるのでしょう。時には理解可能範囲を超えて、生きている意味さえ見失うこともあるでしょうが、そんな災難に遭遇するのが人生と思い前向きに行くしかありません。この割り切りが大切です。
 そう思い込んで溜息混じりで家に到着すると、ギョウちゃんが家族を伴ってやってくるとの朗報。せっかく作った料理もあるし、保全に努めたジャックダニエルの封印が解かれた様子もありません。箱はボロボロでも中味は美味しいチキンもあります。おかげでかなり気が紛れました。
 マニラ滞在となった友人に電話し、こちらの緊急新年会の様子を伝えながら、そちらも花のマニラにパァッと繰り出して大いに気を紛らわして下さいと言うと、今日はどこにも出かけるところがない、がっくりきていて部屋でじっとしているとのことでした。あちらも四百キロ離れたマニラの空の下で、ああ無情と感じていらっしゃるご様子です。
 マニラに戻った友人とは、近々マニラで仕切り直しましょうと約束をし、お互いの気持ちに踏ん切りをつける結果となりました。
 この出来事は、二人にとって忘れられない思い出の一つになると思います。そう考えると、突然不思議な可笑しさもこみ上げるのでした。



↓ランキング参加中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 11:25
Comment(0) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:716.ああ無情
2014年01月15日

715.問題認識

 前回は台風が近づいているなどと書いてしまいましたが、どうやらそれは間違いでした。一週間ほど前だったでしょうか、レイテ・サマール方面を襲った大規模台風ヨランダより大きな台風が来るという触れ込みでFB上が賑わっていましたが、その情報を鵜呑みにした僕が馬鹿でした。その後、来客を控え天候が気になったため調べてみると、日本のサイトには「現在台風の発生はありません」ときっぱり書かれています。おや? と思いフィリピンのサイトを調べると、大台風に関する情報がありました。
「FBで騒がれている台風は本当ではありません」
 天気図や衛星写真と併せてよくみると、単なる低気圧です。一昨日のTVで「台風は無くなった」と言っていましたが、「元々台風なんかなかったんじゃないの?」と、僕はますますフィリピンの情報というものに不信を感じました。

 そう言えば、一昨日は僕自身がNさんに嘘を言ってしまいました。
 Nさんから珍しく、相談があるので電話で話せるでしょうかとメッセージを頂いたので、「暇だす」と返事をして昼過ぎから長電話をしました。
 Nさんの相談事はたいしたことではなくその用件はすぐに終わりましたが、ついでに積もる話を色々としました。その中で、歌手のアブリルラヴィーンの話題になりました。
「知ってる? アブリルってマロン5のボーカルの妹だすよ」と僕が言うとNさんが「マロン5って何?」と言います。
「え? なんでNさんがマロン5を知らないの? Nさんの得意な歌のミズリーを出しているグループでしょう?」
 Nさんは確かにカラオケでミズリーを歌うと言い、実際僕の前でも一度披露してくれました。そんなことなどまるでなかったように、Nさんはきっぱり(もしかしたらすっとぼけていたかもしれませんが)言います。
「え? 僕の得意な持ち歌はサヤング ナ サヤングですよ」
「なに、それ?」
「マークさんが、歌が上手いって前に褒めてた人がいたじゃないですか? その人が歌ってた歌がサヤング ナ サヤングですよ」
 得意だという持ち歌の曲名「サヤング ナ サヤング」を、舌を噛みそうに言うNさんの話は怪しいと思いながら、僕は、なぜあなたがマロン5を知らないんだと繰り返しました。
「栗五……、なんだっけなぁ〜、それ」
「栗五? あ〜、マロンが五つね」
 僕は、Nさんがふざけていると思っていましたが、実はそれはマロン5ではなく、一般にはマルーン5と呼ばれているようでした。
 そう言えば思い出しました。以前カラオケで「マロン5の歌」とリクエストしたところ、Nさんと同じように女の子が眉根を寄せた顔で「マロン5?」と訊き返してきました。
「有名でしょう、なんで知らないの、マロン5」
「マロン5ねえ、知らないわねえ」
 僕は昔からあのグループをマロン5と覚えているので、カラオケでそんなことがあっても、時間が経つとすぐマルーン5が僕の中でマロン5になってしまいます。
 Nさんはマロン5がよほどうけたのか、しばらく栗が五個にこだわっていましたが、問題はアブリルラヴィーンがマルーン5のボーカルと血縁関係にあるかということでした。
 Nさんとの電話を終えた後、FB上でNさんとこのやり取りを続けました。Nさんからは、マルーン5ではないですか? と指摘されました。僕はそうだとしても、「マロン5とミズリーで察してよ」と思いましたが、肝心のアブリルラヴィーンとマルーン5の繋がりについては決着がついていません。Nさんからは、相変わらず間違いではないか? との指摘があります。
 さて、僕がなぜそのように思ったのかと言いますと、マルーン5のボーカリストであるアダム レビーンは、素人の芸能発表のような番組にレギュラー出演していますが、その番組でアブリルラヴィーンのことをシスターアブリルと言っていたからです。しかもアダムレビーンのレビーンがラヴィーンに聞こえた僕は、あっ、ファミリーネームも同じだと思い、すっかりあの大物ミュージシャン二人は兄妹だったのかと驚き信じてしまったのでした。
 この番組はフィリピンで人気があり、このアダムの話でアブリルとアダムは兄妹と信じてしまったフィリピン人は多いようで、我が家のみんなもそう信じています。
 結局僕はNさんの指摘があってから、インターネットで詳しく調べてみました。すると、アブリルには兄一人、妹一人がいるのですが、兄はサムと言ってアブリルのボディーガードをしているようです。つまり僕がNさんに自慢げに流した情報は、まるで嘘でした。僕はこの情報の真偽をモナに伝えましたが、そう? と言うモナの目には、疑いの感情が色濃く宿っていました。

 さて、僕はここで、Nさんに嘘を言ったことを問題にしているのではありません。フィリピン人の情報の受け止め方について、少し話したかったのです。
 冒頭の巨大大風再来の話は、僕が色々確認をして「台風はない」と言っても、家族は中々信じてくれませんでした。アブリルの話にしても同じです。結局自分も、表面的な情報からそれが事実であるように信じてしまった一人で、つまりあまり人のことを言えるほど立派でないのですが、フィリピン人は噂や小さなきっかけで何かを信じ込んでしまうと、それがさも真実であるように多くの人に喧伝されていく兆候があるように思います。しかも情報元がインターネットとかテレビであると、それは違うと言われてもなかなか自分の考えを改めません。
 芸能関係の間違いはたいしたことではないのですが、これが病気や治療の話になっても同じです。ドクターがおかしなことを言っても、こちらの人はそれをすぐ信じ込みます。よってドクターに処方される薬一つとっても、僕は心配になるのです。なにせ処方するドクターもフィリピン人で、その人がどこで何を信じ込んでいるのか分からないからです。もしくはドクターが薬メーカーの営業トークに騙されたり、更には賄賂につられて危険だったり得体の知れない薬を勧める可能性があるからです。(実際にアメリカで使用禁止になり在庫処分に困った薬品メーカーが、フィリピンにそれを大量に流したことがあります。ドクターはその薬を、多くの理由をつけて強く勧めてきました)

 もし相手が銀行員であれば、とてもお得な保険だとか借金だとかカードだとか、実際は丸損の商品を売りつけられることも考えられます。普通のモールでもそれは同じで、商品知識がなくても、さもありそうに適当なことを言う販売員トークに消費者が左右されます。
 例えば今回僕が家に帰ると、新しい洗濯機がありました。それが二層式タイプで、洗濯の間洗濯機についていなくてはいけません。
「なんでこんな面倒な洗濯機を買ったの? どうせ買うなら一層式の全自動にすれば良かったのに」
「あれは水が少ないと壊れるって」
「誰が言ったの?」
「お店の人」
 僕は、そんな馬鹿なことがあるかと一蹴しました。少なくとも日本の洗濯機は、そのようなことはありません。水の量はセンサーで管理されているし、水の量が少なくて洗濯する衣類が痛むというなら分かりますが、なぜ洗濯機自体が壊れるのか理解できません。壊れるのは単に運か品質が悪いだけで、少しくらいいい加減に扱っても家電製品が壊れるなど滅多にないことです。僕がそう言っても、一番よく知っている(はずの)販売店店員が言うのだからそれは間違いないと家族は思っています。
 どのみち一層式でも二層式でも、こちらで購入するものはすぐ簡単に壊れてしまうのでまたすぐに新品を買う機会が来るでしょうが、その時僕がいなければ、家族は再び二層式を買うのでしょう。メインで使用するのは自分ではないので、僕もあまり自分の意見を強く主張しません。最近薬以外の話では、簡単に「そう?」と言って引き下がります。
 これが日本であれば、変な商品を買うことは難しく、販売員も商品知識をよく習得していますから何を買っても心配いりません。使い方も自分が主導で決めればよいのですが、フィリピンではそうはいきません。よく目を光らせていないと家族はすぐに騙されますが、始終監視をすることはできないのであとは任せたとなります。

 因みに任せた相手が失敗したと後悔しても、こちらの人はそのことで学習することが少ないようです。これがまた悲しいところで、不思議と同じ過ちを繰り返すパターンが多い気がします。 懲りない性分の人が多いのでしょうか。学習をして未然に何かを防ぐという考え方は希薄で、せいぜい同じ問題が発生した時の対処方法を学んだと考える人がいるのが関の山です。
 まあ、自分も失敗を最低三度くらい繰り返さないと真剣に反省しないところがありますから、これに関しても大きな声で人のことは言えないのですが、そんな自分が見てもこれは酷いと思うことは日常茶飯事です。
 
 こんな様子を見ていて不思議に思っていたのですが、僕は次第に、あることに気付くようになりました。フィリピン人は学習能力がないわけではありません。一般的には日本人と同等の能力があるのです。
 例えば以前ユリが階段から落ちた時に、二度とそのような事故が起こらないよう迅速に階段周りに防止策が講じられました。この様子を見た時に、フィリピンの人は未然防止の考え方がないのではなく、普段のフィリピン人は日本人と問題認識の仕方が違うということに気付いたのです。
 つまり日本人も同じですが、問題がどれほど重要か、その捉え方によって人は対応の仕方が変わるのです。日々遭遇する問題において、日本人はそれが些細であっても起こらないに越したことはないから過ちを繰り返さないよう考えますが、こちらは再発してもたいしたことでなければ、「まあいいや」となってしまうようです。ですから重大な問題に対しては、フィリピン人も日本人と変わらぬ態度で再発防止に真剣になります。

 どの程度までたいしたことではないと考えるか、それが問題だと言われるかもしれませんが、その点はフィリピン人より日本人の方がマメで真面目だと思われます。こだわり過ぎと思われる点も多々あるくらいです。僕もフィリピンの自宅にいれば、日々、問題再発防止を考えています。
 最近の一例をあげれば、今週我が家に大切な友人が来るのですが、その人はジャックダニエルコーク割りが好きな方なので、昨日タバコ中を駆けずり回ってそれをようやく見つけました。
 しかし我が家は、まるで大マジックのように、棚に温存してある数々の名酒の中身がいつの間にかウーロン茶のような変な液体に入れ替わってしまう不思議な現象が起きるのです。僕はようやく見つけたジャックダニエルが訳の分からない液体に変身しては困ると、置き場所を真剣に悩みました。結局この件は、このウィスキーはお客さん用だからと大声で敢えて周知し、既に茶色いただの液体が入ったジャックダニエルの並びに置きました。こうして知らしめてしまえば、十中八九怪奇現象は起こりません。
 またつまみで買ったポテトチップスなども、気を抜くとたちどころに空になります。これはどこに置いても空になりそうです。犯す罪の軽そうなものほど危険なのです。結局こちらは、僕のビジネスバッグの中に隠しました。

 問題を未然に防ぐというのは、なかなか疲れるものです。溜息と共に感じる疲労感に、僕にもフィリピンの人の、大概のことに「まあいいや」と思う気持ちが分かるようになっています。



↓ランキング参加中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 08:49
Comment(2) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:715.問題認識

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。