フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年07月02日

279.やすっ!

僕の住んでいるタバコシティー・・・、田舎で何もない町だと思っていたが、よくよく徘徊して、少々気のきいた店があることが分かってきた。
いずれの店もメインストリートから、少し入りこんだ辺ぴな場所にある。

先日は、イタリアンレストランを発見したので、モナと2人、デート気分でその店に入ってみた。
テーブルの半分を屋外に配置するオープンカフェのような店で、見た目は合格。
僕はミートボールスパゲッティー(トマトソース)、モナはビザ(扇形を一切れ)、そしてコーヒーを2つ注文した。
ピザ生地は手作りらしく、本格的で美味しい。
スパゲッティーは甘めのソースで少し微妙だが、それなりに美味しくしっかり平らげた。
スパゲッティーの合否判定は、次回ミートソースを注文して決めることにした。

会計をお願いし、店員が持ってきた伝票を見て驚いた。
合計160ペソ。2人で軽く食事をしコーヒーを頼んで、たった320円である。
僕は思わず伝票を見た瞬間に、「やすっ!」と声に出してしまった。

普段160ペソという金額にとりわけ安いという感覚はないが、デートに相応しいたたずまいの店で、2人で飲み食いしての160ペソは、かなりお値打ちものだ。
これが横浜だったら、1人分のコーヒー代である。マニラで良く行くイタリアンレストランでも、シェークなどのドリンク1杯がそのくらいの値段だ。
僕の財布には、滅多に500ペソ(1000円)以上入ることはないが、これなら僕のおごりでも大丈夫と、気分的な安さに騙され僕の財布から会計を済ませたが、支払ってから160ペソが僕にとって大金だったことに気が付いた。

そしてその目と鼻の先に、今度はコーヒーショップを発見した。
こぢんまりとした目立たない店だが、スターバックスのような丸い看板で気が付き、これも試しに入ってみた。
店内はしゃれたインテリアが並んでいる。小さい店ながら、フリーWiFiなどというシールも入口のドア近くに貼り付けてある。
静かでのんびりくつろげそうな、綺麗な店だ。
これまでずっと待望していたコーヒーショップである。
金持ちの中国系フィリピン人が、道楽でやっている店なのだろうか。一つ一つの装飾品が、随分凝っている。

僕らが店に入った時、店内には客が1人もいなかったが、構わずコーヒーとティラミスを注文した。すると、コーヒーの濃さはどうするかと尋ねられた。
なんて素晴らしい。そんなところまで気を遣う店はあまりない。少なくともタバコやレガスピでは、1軒も見たことがない。
コーヒーを入れている間に、使用している豆は何かと尋ねたら、申し訳なさそうに「BARAKO」(バラコ)という答えが返ってきた。
BARAKOはフィリピン産のコーヒー豆で、今はどちらかといえば、安くて美味しくないコーヒーの代名詞のような言われ方をされる場合がある。
タバコシティーでは、それが分かっていても、輸入品の美味しいコーヒー豆を入手するのが難しいから、BARAKOを使用するのは仕方がない。
タバコやレガスピでコーヒーを注文すると、お湯が入ったコーヒーカップに1カップ分のインスタントコーヒーパックが付いてくる味気ないコーヒーがほとんどだから、ドリップコーヒーというだけで十分である。

しかし出てきたコーヒーは、これまで飲んだどんなBARAKOよりも美味しい。
BARAKOはそもそも、ストロングコーヒーに向いている。適温で淹れられた濃いBARAKOコーヒーは、もともと僕好みのコーヒーであることに気が付いた。
そしてティラミスは、手作りのこれまた逸品である。日本のイタリアンレストランで、デザート用で出しても全く問題ないレベルだ。
ティラミスは、2人で持て余すほどの量で50ペソ(100円)、コーヒーは一杯35ペソ(70円)、2人合計で120ペソ(240円)である。
「やすっ!」
その日2度目の感激の言葉が思わず出て、支払いは僕の財布から・・・。

確かに安いのだが、立て続けの支払いで、僕の財布は空っぽに近い状態。
「やすっ!」がたった2回で急激に消耗してしまう僕の金力に、僕の小遣いも「やすっ!」と、その日3度目の驚嘆の言葉で、2人のデートを締めくくった。


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エントリー:279.やすっ!
2011年07月01日

278.放牧方式

妻や子供との接し方について、僕の中には、ある一つのイメージがある。
それを僕は、放牧方式と呼んでいる。

あるルールで囲われた空間(柵で囲われた牧場)の中では、自由な振る舞いを許す。
その中で何をしようと、それに僕は一切口出しをしない。
しかし、柵を踏み越えようとしたら、厳しく注意をし、場合によっては叱る。

対象が子供の場合、成長に合わせてその柵を広げていかなければならない。
いつまでも狭い世界の中だけでは、子供は成長しようがない。成長したら目の前のハードルを少し上げるように柵を広げ、また様子を見る。
柵の中で子供がどんな冒険をしようと、リスクがあろうと、じっと耐えて見守る。
もちろんあらかじめ、最大リスク事象が発生してもクリアできるほどの柵にしておく必要がある。

もう少し具体的に言えば、例えば子供は何でも触っていじりたがる。
大人が普段使うものに、特に興味を示す。
そこで、もし壊されたらそれはそれで仕方が無いと踏ん切りをつけ、子供が興味を示す時にそれを自由にいじらせる。大抵の物は、適当にいじったところで壊れはしない。もし何かがくるえば、直せば済むことである。
そんなことよりも、僕は子供の興味の芽を摘みたくないのである。
パソコン、ゲーム器、時計、携帯電話、電子辞書、電卓、ベビーパウダーパフ、孫の手、本、アクティブスピーカー、電気スタンド(照明)などは、要求に応じて自由に触らせる。(ちなみに宇宙人の手と称した孫の手は、それでユリに破壊されてしまった・・・)

ここで大事なのは、一旦許したら、子供の気の済むように触らせいじらせることである。
そこでああしろ、こうしろと、細かくうるさく言わない。
それが、柵の中での自由な振る舞いを許すということだ。
どうせ子供の興味の矛先は変わりやすい。移り気だから、しばらく自由に触らせておけば、すぐに子供の興味は他に移動する。

絶対に触れてはならないものに、扇風機がある。
子供の小さな指が回っている扇風機の羽に触れようものなら、取り返しのつかない惨事になる。
それを触ろうとしたら、「こらぁ!」と大声で怒鳴り、時には触ろうとしている手をある程度の強さで叩く。
他には、タバコ、薬、殺虫剤、鏡、ガラスのコップなどがある。
こうして触れて良い物、ダメな物を明確に区別すると、全てがダメというわけではないから、子供は次第にその区別をしっかりと理解するようになる。そして駄目だと言われるものは、隠れて触ろうともしなくなる。

子供が大きくなれば、行動範囲、行動内容、自由時間などを緩和し、それを目の届く範囲から届かない範囲へと広げ、最後は子供が巣立つというイメージである。
繰り返すが、大切なのは、柵の中ではできるだけ余計な口出しをせず、子供の自主性や創造性、トレーニングを妨げないということだ。
こんな風に書いてしまうと、ここで言う柵とは、単純な行動範囲の話かと誤解を招きそうだが、この柵という概念には、当然挨拶やマナーなどの、年相応の躾が含まれる。


これは子供の例だが、既に巣立っているはずの大人に、普通はそんな考え方を適用しない。
大人には、自己責任という言葉が示す通り、自由に振る舞える代わり、それが引き起こした結果については、自分で責任を負うということが暗黙の了解としてあるからである。

しかしこのフィリピンでは、どうもそれが通用しない場合がありそうだ。
よい歳をした大人が、自己責任ということをわかっていないからである。
何かがあれば、誰かに何とかしてもらおうという甘えのような気持ちが見受けられるのだ。
そんな甘えの根性が根底にあるから、困った時に何とかしてもらえないと逆恨みするのだろう。

それではそんな大人も柵に入れてしまうかといえば、人格が固まり自我に目覚め切った大人を、柵というルールで縛るのは簡単ではない。
そもそも自分の用意した柵に入れるということは、自分に責任が発生することになるのだから、こちらもそんなことは願い下げである。
この放牧方式は、親として子供に責任を果たすことを前提した話である。

しかし実際には、そうは言ってもという事象が発生する。
身近で具体的な例をあげれば、我が家にはバイクが2台ある。
そのバイクを誰もが自由に使用しているが、もし誰かがそのバイクで事故を起こしたら、金銭が絡む事故処理を誰がするのか。
事故を起こした当事者にお金が無ければ、その責任はバイク名義人のこちらにくる。
モナには再三、バイクに保険をかけておけと言っている。それをしないのであれば、バイクの使用を限定するなど、厳しくしろと言っている。
しかし彼女はなかなかそれをせず、相変わらずバイクは誰もが自由に使っている。
それは家族サービスの一つだから、このスタイルで良いと思っているらしい。
自由には自己責任が伴うという概念が無く、法は所有者がそれを運転者に貸し与えた管理責任までも追求するという知識がないから、彼女は僕の話しを理解できないのだ。

そして、もしもという仮定の話を南国の人は深刻に考えない傾向があるから、事故のリスクなどを説明しても馬の耳に念仏である。
もっともフィリピンの保険は、肝心な時にお金が出にくいという話もあるが、そのようなことまで含め、あり得るリスクに対して全く考えが及ばないようだ。

そうであれば、最後はバイクの名義を変更するしかないとまで思っている。
家族だからといって、自由に乗り回すバイクで起こした事故の責任までこちらで負う筋合いはないし、名義変更で法的な責任さえも回避しておくということを、徹底して知らしめるということだ。
ナンバープレートの更新料も、ガソリンも、事故が起きた際の処理も、全て使用者の責任で行ってもらうという宣言である。
そして、その覚悟と責任を持って使用しろということだ。

またフィリピンでは、バイクの一例でも分かるように、他人の物は自分の物という感覚がある。
そのため、絶対に触ってはいけないもの、してはいけないこと、されたら困ることなど、事前に徹底しておかなければならない。
しかし、そのように心がけていても事故は起こる。
些細な例ではあるが、例えば料理に使おうと思っていたワインが、いざ使用の段になって空っぽになっていた、人が買って取っておいたジュースが誰かに飲まれた、自分用に買っているコーヒーも、気付けば急激に減っていた、などである。
コーヒーはダディーが別の容器に移し、自分用としてどこかにキープしているらしい。(これにはモナが、とても怒っているが・・)
ダディーやメイドが飲むコーヒーは、少し安物を別に購入し、無くなればきちんと補充している。
そのように笑って済ませられることは少し警告しておけば良いのだが、それよりも、基本的なルールをいちいち徹底させなければならないことに疲れを感じるのである。

このような世界だから、大人にも、ある程度の柵を適用しなければならなくなってしまうのである。
そもそも我が家の食費は僕のサラリーでまかなっているわけだから、僕は家族に対して最低限の責任を果たしていることになる。
その責任に見合った柵を僕が用意することは、決して不自然なことではない。
その柵からはみ出した行為については、きちんと対処し、自己責任というものを実感させる教育が必要ではないかと思っている。
これを徹底しておかなければ、こちらが様々な被害を無尽蔵に受けることになる。

僕はモナに対しても、頭の中でこの柵をイメージしている。
柵の中の話しであれば、「そう・・好きにして」で終わるが、そうでなければ説明をしたり小言を言ったりする。
それを繰り返し、僕はこれまで、柵の存在をモナの意識の中へ埋め込もうとしてきた。
モナが、自然にそれが分かるようになれば、こちらは随分と楽になる。
誰だって、始終小言を言うのは疲れるというものだ。
そしてそれは、地道に効果を表してきている。

しかしそう言いながら、気が付けば僕にもしっかりと柵は用意されていた。
特に夜のお出かけは、モナ自身か他のお目付け役がいなければ、危険という名目で決して許されない。
これは僕にとって、決して越えてはならない禁断の柵である。もし勝手に越えたら、その先には恐ろしい状況が待ち受けているはずだ。
いくら自己責任とはいえ、僕はきっとその恐怖に耐えられないから、その柵を越えようなどという大胆な発想は皆無である。

皮肉にも僕の周りに用意されたそのそんな柵こそが、僕が家族のみんなに用意したい、理想とする柵の姿だったりすることに、青天の霹靂(へきれき)というか、灯台もと暗しというか、何か天地が逆転したような唖然とした気持ちになるのだが、それは被害妄想と呼ばれる現象なのだろうか・・・。

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エントリー:278.放牧方式
2011年06月30日

277.教育的指導

昨日は朝から一日、様々な手続き関係で外を出歩いていた。
夕方のレガスピ、銀行に行こうとしていたら凄まじいスコールがあり、すぐ近くにあったモールへと避難した。

単なる避難だったが、一緒にいたモナが、新しいコーヒーが入荷したかどうかをチェックしようと、少しだけスーパーへ立ち寄ることになった。
モールの中をスーパーに向かって歩いていたのだが、その途中には当然、様々な障害物がある。

たまたま目に入った男性用ハーフパンツを見たモナに、
「これかっこええなぁ〜・・どう?」
などと言われるが、僕はセールで500ペソ(1000円)に値下がっているプライスを見て
「たかっ!・・・買えない!」
などと言っていた。
ハーフパンツなど、まだ数本持っているから、わざわざ1000円も出して買う必要などない。

すると彼女は今度、セール99ペソ(200円)と赤札のついたワゴンに向かい、
「これなら安いよ、どう?」
などと訊いてくる。そのセールのパンツに触ってみると、生地はごわごわで、縫い方は素人がアルバイトでやったとしか思えない出来だ。
「こんなまがいもん、買うだけ無駄だ」
などと言って、それも退けた。

そんなやり取りをしながら、僕たち2人は意識しないまま、密林地帯の奥地へと自然に入りこんで行った。
そしていくつか商品を見ながら歩いているうちに、気が付いたら2人は、リーバイスコーナーへと迷い込んでいた。

ぶら下がっているジーンズは、盗難防止のため鍵付きチェーンで繋がっている。
安物売り場では決して見られない、厳重な商品展示だ。
そのすぐ脇に、女性物のボタンシャツが数枚かかっていた。赤色系のチェック柄で、リーバイスらしい商品だった。
僕は偽物かもしれないと、タグの文字、内タグの表示内容、縫い方、ほつれなど、緻密に商品をチェックしてみたが、どう見ても本物にしか見えない。

そんな僕の脇で、モナが一言
「わたし、リーバイスは一枚もないのよねぇ〜」
と言うではないか。

プライスを見れば、どれも一着2000ペソ前後(4000円前後)である。
その価格に今度はモナがひるんだが、今月は僕のパテント関係で臨時収入があったので、それで買えばと気軽に言ってしまった。

一旦その気になったモナは、少し前にひるんだ気配などどこ吹く風で、次々と試着してはどうかと訊いてくる。そうして結局お気に入りを2着に絞り込んだ。
店員さえ巻き込んで、その2着のうちどちらを選ぶか悩んでいるので、面倒だから両方買えばということで、絞り込まれた2着を両方買う事になった。

合計4000ペソ(8000円)の臨時出費である。
臨時収入というものは、往々にしてこうした臨時出費が対になっているもので、決して浮かれて喜んではいけないということを僕はこれまでの経験で散々知っているから、驚きも悲しみもせず、たんたんとそのお買い物に付き合っていた。
つい先ほど500ペソのハーフパンツを「たかっ!」と言った自分が、喜ぶモナの笑顔を4000ペソで買ったと思えば安いものだという気さえしているのだから、こんな時、男とはつくづく悲しい生き物であると実感するのである。

財布の中に4000ペソの現金はなかったので、支払いはカードですることにした。
僕のカードはデビットカードである。つまり、銀行にお金が入っていなければ、カードで買い物はできないという、現金払いと同じようなものだ。

そのカードはICカードになっており、これがフィリピンではよくトラブルになるのである。
日本を始め、中国でさえ問題なく使えるカードなのに、フィリピンだけは頻繁にシステムエラーを引き起こすのだ。おそらくそれは、フィリピンの通信速度が遅いので、返信を待つシステムのタイムオーバーが発生しているのではないかと思われる。
しかしICカードといっても、通常のカードのように、磁気バー情報も入っている。
普通のカードと同じように、この磁気バーを機械になぞらせてやれば、フィリピンでも問題なく使用できることを、僕もモナもとっくに知っていた。

ICカードを通そうとして何度もトライしている店員に、磁気バーを使用してくれと頼んだが、その若い女性店員はその言葉を聞き入れずに、いつまでもシステムエラーと奮闘している。
しまいには彼女はフロアマネージャーを呼んだ。
フロアマネージャーはカードを受け取り、サッと磁気バーを機械に通し、問題なく決済が終了した。
その後フロアマネージャーは、何が問題なのよという顔付きで、さっさと別の場所に移動していった。

購入した服は2着であったが、実はその服にはリーバイスのオリジナル景品が付いていた。
売り場の店員が気をきかせ、2着分の支払いを1つずつに分けて行えば景品を2つ付けることができるからと、実は終了した決済は1着分だけだった。
そこで残った決済を、再び元のレジ担当女性が僕のカードで行おうとしているのだが、また同じ罠にはまっている。
こちらは時間が無いので、次第に苛立ちを覚えてきた。
「おまえは学習という言葉を知らないのか!」と、僕はカードリーダーと奮闘する女性店員の目の前で、どうせ彼女にはわからない日本語で呟いていた。

「おまえは馬鹿か!ICはダメだと何度も言っているだろう、磁気バーを使え、磁気バーを!」
と、あくまでも日本語でぶつぶつと言った。
あまり露骨に不快感を表すのもどうかと思い、この時僕の語調はまだ、ぶつぶつ程度の穏やかなものだった。

するとその店員が突然
「バンクのアカウントに入っている金額が不足しているのではないか、その場合、よくこのシステムエラーが発生する」
と、明らかに嘘と分かることを言い出した。

僕はその言葉に、これまで何とか維持していた「忍耐」が、プツっと音を立てるように壊れた。
「ノ〜〜〜!お前は何を言っているんだ!バンクに金は入っている!%*&%*#+%+#$%!」

明らかにその店員が、僕の怒鳴り声にひるんだ顔付きになった。
そこに先ほどのフロアマネージャーが騒ぎをききつけ再びやってきた。
そして先ほどと同じように、その店員が持っている僕のカードを奪い取るようにしてカードリーダーにさっとなぞらせ、一発で決済終了。

このやり取りに、モナも憤慨していた。
僕は既に冷静になっていたが、先ほどの店員に文句を言うモナに言った。

「磁気バーを使えと言っても自分のやり方を曲げない店員に、頭にきたでしょ!」
「オーオー」
「自分のやり方が間違っているのに、これはバンクに金が無いせいだと言って、適当な嘘を言うことにも頭にきたでしょ!」
「オーオー」
「こっちはバンクにお金が入っていることを知っているんだから・・」
「オーオー」
「僕がよく家でイライラしているのも、いつもこれと同じなんだよねぇ・・・フィリピン人は実にそれが多い」
「・・・・・」
無言になったモナに、僕は、自分がモナに、いつも言いたいことを分かってもらえる良い機会になったと、心の中でほくそ笑んでいた。

家に帰ったモナは、早速買ったばかりの服を広げ、それとジーンズやショートパンツなどと合わせながら、僕の目の前で嬉しそうに脳天気なファッションショーを繰り広げていた。

まあ、いつまでも辛気臭い顔をされてもどうかと思うので、それはそれで良いのだが、先ほどの教育的指導がどこまで心に響いているのか、僕はそれを見ながら、きれいさっぱり自信を失っていくのだった。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:277.教育的指導

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