フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2011年06月15日

261.アフリカとフィリピン

既に3日前になってしまったが、日曜日に家族揃って教会に行った。
普段無宗教の僕(このように書いて以前仏教徒のはずだと言われたが、僕の骨は日本の墓に埋めなくても良いと思っているので、やはり無宗教ということにしている)は、教会へは行かずにいつも家で留守番をしているが、たまたま先日の日曜はみんなで外食することを約束していたので、お供することにしたのである。

いざ教会へ行く段になって、女性陣の服装、お化粧がいつもと違うことに気付いた。
これまでは顔も見ずに、はい、いってらっしゃいと送り出していたので、何度も日曜を過ごしていながら、失礼ながらそれに全く気付きもしなかったのである。

モナは念入りに化粧をし、ベルまでもが軽く化粧をし、上から下までばっちり決め込んでいる。
すると、ダディーも2階のテラスで髭を剃り始めた。
そして出かける時には普段サンダルしか履かないダディーが、ソックスと靴を履いている。
勿論神聖な場所へ行くのに、だらしない恰好はできないという暗黙の了解事項もあるようだが、それにしても随分とみんながめかしこんでいるという印象だった。

僕は教会に入るつもりはなかったので、いつもと同じようにサンダル履きを許してもらったが、これらの様子から教会へ行くということの特別な意味について、あることを思い出していた。
それはアフリカの貧しい人々のことである。

まさに貧困という言葉が相応しい生活を強いられる人々が、アフリカにはまだまだ大勢いる。
そのような貧困層の人々は、教会へ行くことだけが、生活の中で唯一の楽しみなのだそうだ。
彼らには、普段遊びに行くところがなければ、遊びに行くお金もない。
その日の食べるものにもこと欠くのだから、どこかへ遊びに行くなど夢のまた夢のような状態で、そもそも移動手段も無い生活である。

小学校低学年の年齢の子供が、往復10kmを徒歩で通学するなど当たり前だという世界があり、それでも子供が学校へ通えるのはかなり幸福な境遇である。
アフリカの貧困家庭では、学校で勉強などという非生産的活動に精を出すのは愚の骨頂であり、そんな暇があるなら働けというのが普通である。
経済的に多少ゆとりがある家庭であっても、そのような長い距離を娘1人歩かせれば間違いなく小学生でもレイプされるので、そんな危険な通学はさせられないというのも常識である。

学校など通うことが許されず(そもそもも学校へ行くことの意味や価値がわからず、学齢になって学校に通いたいという欲求があるかどうかは怪しいが)、兄弟や近所の子供たちと遊ぶ時間も労働で奪われ、また親も子供にそれを強いるしかない状況の人たちにとって、教会へ行くことは、一種のレジャーのような感覚があるそうだ。

教会へ行くということは、自分の自慢の歌を人前で披露したり、貧しいながらも普段とは違う着飾りをしたりして、そんな自分を多くの人に見てもらったり褒めてもらう唯一の機会だからである。
教会のイベントでは、借り物ではあるが、一生に一度かもしれない純白のドレスを着る機会もある。

そんなことが楽しみなのかと、多くの日本人は想像すらできないと思われるが、世界で常識的に言われる貧困とは、まさにそのような世界である。
貧困についてはまた別の機会に詳しく触れたいと思っているが、ここフィリピンでは、そんなアフリカの貧困層に共通する事柄を、普段から発見することができる。

教会へおしゃれをして出かけることもその一つであったが、他には、食事は大皿からみんなで取って食べるという習慣も同じである。日本ではおそらく、1人1人の皿に、最初から取り分けられてサーブされるのが普通ではないだろうか。
大皿に料理を盛るというのは、もともとまともな食器がないからそうなるのである。一家に一つ大皿さえあれば、後はバナナの葉でも使えば何とかなる。
我が家では皿は十分あっても、センターに料理が並び、それを各自が勝手に取って食べるスタイルである。今は皿のあるなしに関わらず、習慣として根付いていることである。

一家の誰かが突然お金持ち(それが先進国の人たちにとっては、平均的な庶民と呼ばれる収入であっても・・)になれば、親戚一同がその家にお金をもらいに通うなどというところも、ある意味似ている。
働くことが苦手で、細かいことを気にせず、みな基本的には自由人ということも共通しているし、不正が社会の至る所にべっとりとへばりついているのも同じだ。

アフリカの国々が、なぜそのような窮地に追い込まれたかは、かつて欧州の国々が競ってアフリカ各地を植民地化し、自分たちの文明を中途半端にそれらの国々へ持ち込み、そして解放だと言って引き揚げたせいである。
それまで彼らは、それなりの秩序を持ち、他国から見れば原始的な生活ではあるが、原住民として幸せに暮らしていた。そこを土足で踏みにじられたのが、不幸の始まりである。
植民地化から解放独立という動きは、ある意味正義が伴った素晴らしい出来事に見えたわけだが、それから何十年経過しても自立できない国々が多いということは、原住民にとって持ち込まれた文明がよほど肌に合わないか、もともとそのような力が無かったと言わざるを得ない。
結果論であるが、土足で自分たちの文化や生活が踏みにじられたことを棚上げして言えば、僕はアフリカ諸国が、そのまま植民地として、表だって先進国にぶら下がっていた方が、原住民にはよほど幸せだったのではないかと思えてくる。
そんなことも、フィリピンの現状を考える上で、何か共通項があるように思えて仕方がないのである。

勿論フィリピンの一般家庭は、日本人から見れば随分質素な暮らしを強いられているように思えるが、アフリカの貧困層に比べれば天国のような暮らしをしているとも言える。
つまりフィリピンがアフリカの貧困層と同じだということを言うつもりは全くないが、その名残のようなものが随分と残っていると感じる事柄を時折発見すると、フィリピンという国をそのルーツから理解するには、アフリカの貧困に焦点を当てた文献(他にはインド、メキシコ、ブラジル、アラブ諸国の貧困層)が大変に役に立ったりするのである。


フィリピンに住むようになってからというもの、この国に資本主義の厳しさを徹底させるのは無理ではないかという想いが度々募る。
フィリピンという国は、中国系やスペイン系の支配で何となく体裁を整えてはいるが、それによりフィリピン人の生活が豊かになっているわけではない。
もっともアフリカは、実質的な他国の経済支配や助けがあっても、想像を絶する状況が今尚続き先も全く見えないのだから、それよりははるかに幸福だとも言えるが、そもそもこのフィリピンに、資本主義的な社会構造を持ち込んだのが間違いだったのではないかと思えることが多々ある。
そして、実はそれがアフリカと同様、結果的には原住民を不幸にしてしまった可能性が高い。
それは現時点での単なる想像であるが、あと数十年もしたら、その部分はもっと明確になるのではないだろうか。

それにしても他国の生い立ち、文化を理解するのは、並大抵ではない。
特に日本人には経験のない分野(植民地など)で、想像すらできないことがある。
どんな歴史と経験を経て現在のような国民性や生活が出来上がったのかを理解して、初めてフィリピンやフィリピン人の本質を悟ることができるだろうが、自分の目の黒いうちにそれが叶うだろうか。
そんなことを異国人が悟るには、単純なようで実は奥が深すぎる世界であることを、普段の生活の細かい点に何か気付く度、しみじみと感じたりするのである。
一旦足を踏み入れた世界であるから、できれば良く理解したいとは思うのだが、全く自信はない。
おそらく僕の余生は、これからもますます右往左往の連続になるだろうし、フィリピンのことを悟ったからといって、それが解消される保証も全くない。
よくよく気付いてみたら、「時すでにおそし」などということも、あるかもしれない。
まあ、紆余曲折の人生、今に始まったことではなし、それが続くのも楽しいかもしれないのだが。

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(2) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:261.アフリカとフィリピン
2011年06月14日

260.フィリピンでの料理

日本の食べ物が恋しくなってからというもの、料理ばかりしている。
僕の人生の中で、これほど真剣に料理と向き合ったことはない。

餃子は3回目のチャンレンジで、ようやく極めた。
具の種類と配合、調味料の量、包み込みの皮、これらを微妙に変化させながら、3度目でようやく満足のいく一品ができた。日本で食べる餃子を凌いでいる。
問題は、具の量や形が一定しないことだが、この際、味重視でそれは無視する。

フィリピンで売られている餃子の皮は、腐敗しにくいように酢を混ぜて作られているようで、最初は酸っぱい匂いに、この皮は腐っていると思った。この匂いがなんともいやで、餃子を作る度に皮のメーカーを変え、3度目でほとんど匂いのない、しかも包みやすい皮を見つけた。
メインの具材は白菜よりキャベツの方が、僕は美味しい。これは日本である方から教わった。

先日はビーフコロッケ。いまやコロッケ自体はモナが作ってくれるが、ここフィリピンにはとんかつやコロッケ用のソースが無い。仮にあっても、あれはフィリピン人の口に合わないようだ。
そこで白ワイン、バター、ケチャップ、胡椒だけを使用して即席ソースを作ってみたら、これがまた濃厚で美味しいソースが出来上がった。
他の揚げ物系にも、今後十分使えそうである。
マヨネーズと玉ねぎをミックスしただけの、簡易タルタルソースも重宝する。
好みに応じて、セロリなどを入れれば良い。

昨日はチキンライスを作った。探しまわってようやく美味しいトマトケチャップを見つけたので、日本で作っていたものと同等のチキンライスができた。
洋物にあまり反応を示さないダディーが、これは美味いとおかわりしていた。

そして今日は、海老チリ。豆板醤が売っていたので、それとチキンライスに使用したトマトケチャップのコラボで、会心の出来となった。
生の海老を市場で買ってきて、取った頭でスープを作り、それで海老チリソースを作った。一般的にはチキンコンソメなどを使うようだが、この海老スープを使用すれば、海老チリソースが濃厚な味になり、美味しさ爆発。
自分の手から生み出されたものとは思えず不思議だった。
残ったスープは味噌汁にしたが、これも満足のいく出来となった。

最近立て続けに作る料理がヒットしているのは、ブログコメントで頂いたアドバイス、「料理は基本に忠実に・・そしてシンプルに・・」のおかげ。
とにかく作る量が半端ではないので、調味料の分量がわからなくなる。
そこで、大量調理はできるだけしない、そして基本に忠実に、きちんと材料や調味料の分量を計算し、調味料はスプーンで計量するようにした。
自分の勘は信じない。ついでに余計な物は一切入れない。(余計なものだから、入れない方が良いに決まっている・・)
これで結構美味しいものができるようになった。

材料や調味料が無いと嘆いていたが、結構なんとかなるものだと分かってきた。

おかげでたちまち体重が増えてきたようで、またお腹の出具合が気になり始めている。
ついでに「食は人を良くする」から、機嫌も良い。
不安定な身の上の人間が不安定な社会で暮らしているから、料理の腕を磨いおいて損はないだろうなどと考えたりしている。

料理に関してセンスがないと十分自覚しているから、とにかく凝らないように気を付けたい。
凝ると決まって変な方向に行く・・・なんで???

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(12) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:260.フィリピンでの料理
2011年06月13日

259.いやだ

さきほどユリの前にしゃがみこんで、両腕を差し出して「おいで」と言った。

ユリは・・・
首を左右に振って「嫌だ」と言った。
そんな酷いことを言いながら、僕が悲しい顔をするのを喜ぶように、ユリの顔はニコニコしている。

モナが、その日本語教えたの?と驚いている。
僕は教えた覚えがない。
またユリが新しい日本語を覚え、嬉しいような悲しいような・・・。
子供って、なんでこんな残酷な仕打ちや言葉から覚えるのだろう・・・。

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 12:11
Comment(4) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:259.いやだ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。