フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます

フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年06月10日

255.言葉

「パパ、カメちょうだい、ワンピース」と突然ベルに日本語で言われて、僕は数秒無言状態になった。
ようやく我に帰り
「カメ?」
と訊き直すと、
「イエス、カメ」と、ベルが目をキラキラと輝かせて、きっぱりと「カメ」と言った。

はて?カメとは何だ?亀を買ってくれと言う意味か?なぜ突然亀なのだ?
それともカメとは英語か?
カメ・・comeの過去形のcame・・・、発音は違うがカメとも読める。
それでも意味が通じない・・・果て?なんだ?

悩んでいる僕に、ベルが助け舟を出してくれた。
「アイム ドローイング」(絵を描いている)
「あ〜、かみ・・ペーパー?」
「イエス!」

言葉が交錯してくると、意味が通じない時には、その単語は何語かを確認しないといけない。
それは込み入った話になると、相手がモナでも同様だ。
僕が中途半端にビコール語を理解し始めたら、かえってややこしい。


ユリは順調に言葉を理解し始めている。
家族は普段ビコールの言葉を話しているのだから、ビコール語が先行するのは仕方が無い。

モナやモナの家族が、単語ではなく、それなりのセンテンスでユリに話しかけると、ユリはきちんと反応する。

今日は、ユリが自分の靴を片方だけ持ってきた。
ダディーが「もう一つの靴を持ってきなさい」とビコール語でユリに言うと、ユリは持っている靴をダディーに渡し、またトコトコともう一方の同じ靴を取りに行き、言いつけどおり残りの片方を持ってくる。
僕がさっぱりわからなかったのに・・・。

時折ユリが発する言葉で、僕がさっぱりわからないことがある。
しかし周囲の人間は、それを言うユリに驚いたり喜んだりしている。
ユリはビコール語を話しているらしい。

ベルは日本語を勉強してくれている。
それでも、このままでは僕だけが取り残されてしまいそうで、妙な焦りを感じるこの頃だ。

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(6) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:255.言葉
2011年06月09日

254.エネルギー問題

福島原発の事故が、世界のエネルギー政策に大きな影響を与えているのはご存じだと思う。
お膝元で危機的状況を招いた肝心の日本は今一つ態度がはっきりしないが、ドイツなどは明確に脱原発を発表した。

今後地球のエネルギーをどうするかについては、重要かつ緊急課題である。
なにせ化石燃料が底をつくのは分かっているのだから、それに代わる安全かつ安定エネルギーを確保しなければならない。これは食糧問題と同じく、地球規模の課題である。

では核エネルギーの他に何があるのか・・・。

・・・・実は僕は、さっぱり詳しくない。
こんなことを考えだした途端、頭の中が真っ白になる。
しかし想像では過去、いろいろ考えた。

例えば貧乏ゆすりが得意な人がいる。年がら年中激しい貧乏ゆすりをしている人を見ると、その人の話しは頭にさっぱり入らず、この運動エネルギーを電気エネルギーに変換することはできないかなどと考えている。

大都会を歩く無数の人を見ると、人が歩く時に生じる圧力や振動エネルギーを再利用できないものかと考える。

またまた都会の話しで申し訳ないが、冷房機器から排出される膨大な熱は大気に放出され、それが街を加熱するという悪循環となっているので、それを蓄えて再利用はできないかとも考える。

夫婦の営みで生じる振動は、電気に変換して電力会社に売れば良い。
お宅は今月、大幅に黒字ですなどと褒められたら、いやぁそれほどでも・・などと照れながら、来月はもっと黒字にするぞという励みにもなる。

人間の喜怒哀楽をエネルギーに変換できたら如何ほどだろうか。
いつも怒っている人は、あなたは人類に大きく貢献しましたなどと、その時だけは表彰されて妙な気分になるかもしれない。


事が深刻なエネルギー問題だけに、あまり茶化した内容は申し訳ないが、安全で効率の良い画期的な方法が見当たらないのであれば、チリツモ的発想でどんどん試してみるしかない。そのうち効率云々は二の次になる時代がやってくる。

フィリピンも停電が多いなどと嘆いてはいられない。
そのうち電気が永久停止になる可能性も、ゼロではない。

その時どうするか。
やはりここでは、夫婦の営み発電が良いのではないかと個人的には思うのだが、どうだろうか。
子供の多いフィリピン・・・今のところ発電量はそれなりにあると思われる。
もしそうなれば発案者の意地で、大量発電で著しくフィリピンに貢献しましたと表彰されるようがんばるのだが・・。

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(2) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:254.エネルギー問題
2011年06月08日

253.無力

レガスピに行く際利用するターミナルに、いつも1人の老人が現れる。
見た目の歳は80歳を超えている。
いつでも同じく、貧乏を地でいくみすぼらしい恰好だ。
上は昔軍隊から支給されたような長袖ジャンパーを着て、下はペラペラでしわしわのズボンに素足とサンダル。帽子は耳隠しがついた昔の空軍仕様。
暑苦しい恰好だが、陽射しが強いフィリピンでは、外にいるならこの方が体の負担が少ないのかもしれない。あまりに暑い場所では、着込むことで服の中を体温とほぼ同等の温度に保てるから、その方が楽なのだ。これは極暑地域を体験した人でなければ、おそらく想像すらできない。

風呂に入っていないためか、それとも単なる日焼けのせいか、深く刻まれた皺のある顔は真っ黒で、白髪混じりの髪はぼさぼさに伸び放題、そして顔に沈み込んだように見える窪みの奥に、うつろな小さな目がある。
体も腕も足もがりがりに痩せて、身の丈も子供と大差ない。
そのひ弱な外見は、生きているのが不思議だと感じるほどだ。

その老人はいつもハーモニカを持って、バン(乗り合いタクシー)が出発するまでその前で演奏をしている。
1台のバンに乗客が定員数(14名)乗り込めば、バンはようやく出発。
バンが出発する時に、ご老人は右手を高々と上げ、ついでに背筋もピント伸ばし、何かを叫びながらそれを見送る。
そして次のバンの入り口で、またハーモニカを演奏する。

演奏は素晴らしい。和音を自在に操り、その中できちんと主旋律を奏でる。
レパートリーは豊富で、有名な曲では「大きな古時計」や「オクラホマミキサー」「線路は続くよどこまでも」など、誰でも知っている曲を吹く。

僕は最初、彼がなぜハーモニカを吹いているのかわからなかった。
頭が少しおかしい人なのかと思っていた。

ふとその老人、僕が乗り込んだバンの前で君が代を演奏した。乗客を待つバンはドアを開けているから、演奏が良く聞こえる。
少しリズミカルだったが、紛れもなく正確な君が代だった。
よく見れば、この老人は日本人にも見える。いや、少なくともフィリピン系の顔ではない。

君が代に意表をつかれてまじまじと老人を見ていた僕に、隣に座るモナが「マハール、コインあげて」と言った。僕は慌ててポケットの中からコインパースを出して、その中から5ペソを2枚取り出してご老人に差し出した。
老人はコインを握りしめた手を上にあげ、頭を下げながら、無言で感謝の気持ちを示してくれた。
そうか、この老人はここでハーモニカの演奏を提供しお金をもらっているのかと、僕はようやくそこで気付いた。

と、その老人が、見た目のひ弱さとかけ離れた大きな声で、何やら演説を始めた。
タガログ語かビコール語らしいので、僕には何を話しているかわからない。

モナに聞けば
「自分は中国からフィリピンに連れてこられた中国人である。いつか生きて母国の土を踏みたい、それだけを願い続け、それを叶えるためにこうしてハーモニカを吹いている。この車が無事にレガスピに到着することを祈っている」
と、そんな内容らしい。後半は中国語が混ざり、モナにも内容が理解できなかった。

僕は、もしかしたらこの人は旧日本軍に協力させられ、中国からフィリピンに連れてこられた人ではないかと思った。そのような歴史的事実があるかどうかを知らないが、そうであれば1940年頃の話しだから、今から約70年前の話しとなる。ご老人の年齢は90歳くらいの計算になるが、確かに見た目はそのくらいだ。
その想像が当たっているかどうかわからないが、そう思い始めた途端、そのご老人のあまりに哀れな現況に、何か重苦しいものを感じた。

僕は、旧日本軍がアジア諸国でさんざん悪さをしたという刷り込みを、偏って信じてはいない。そんなこともあれば、そうでない事実もあっただろうと思っている。自分で見たわけではないが、様々な資料を見ればそんな風に思えてくる。
本気で日本の過去に罪悪感だけを抱いていたら、フィリピンへの移住には抵抗があったはずだ。

そんな僕でも目の前のご老人がもし戦争の被害者だったとすれば、哀れで悲しい空気を感じてしまうのである。
演奏してくれた君が代は、僕を日本人だと見抜いて、僕に送った何らかのメッセージだったのか。それとも単に、日本人向けのサービスのつもりだったか。
いずれにしても、僕を日本人だと見抜いて選曲したに違いない。

それからというもの、バンを利用する度にその老人のことが気になるようになった。
その場に老人が現れない日は、何かあったかと心配をしている自分がいた。そして別の日、元気にハーモニカを吹いている姿を見かけ、安心したりするのだった。
何かをしてあげたいが、中国への旅費をくれてやるのは簡単なことではない。
できるのはハーモニカの演奏に対して、わずかなチップをあげることくらいだ。

しかし、その老人がフィリピンで過ごした70年、如何に苦労があったのかを想像せずにはいられない。その重ささえも想像することができる。

しかし僕は、その人の前で無力だ。
自分が無力であることに悔しさを覚えることはままあるが、この無力もまた、切ない無力だ。

↓ランキングに参加しています m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 01:00
Comment(10) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:253.無力

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。