フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年06月03日

246.野生の勘

本日午前中、朝から天気が良かったのでベッドのマットや枕を外に干していた。
頭の上は青空が広がる良い天気で、直接陽射しを浴びると暑いくらい。
でも、山の方には黒い雲が立ち込めている。

どうも嫌な予感がするなぁと、昼食前にマットと枕を部屋の中に入れた。
正確に言えば、嫌な予感がした振りをしたと言った方が良い。
黒い雲を見て、フィリピン人の野生の感に、対抗してみたのだ。

昼食後、外でタバコを吸いながら相変わらずの強い陽射しを見て、どうも予感が外れたなぁと思っていた。
それから30分後、突然激しい雨が・・・。
雨の量だったら、台風のときよりもすごい。
僕の勘は、まるっきり外れたわけではなかった。
突然風も強くなり、涼風が窓から部屋の中へ、一気に流れ込んでくる。
IMG_1160.JPG

IMG_1161.JPG
こうやって写真に撮ってみると、雨の様子を撮るって結構難しい・・。


フィリピンの方々は、雨が降るのを予知できる。
モナとレガスピにバイクで行った時のこと。
帰り道、家にはあと30分くらいの距離だったと思う。
雲雪が怪しくなってきたら、バイクの後ろに乗っているモナが
「雨が降るよ」
と言った。

僕は空を見上げて
「いや、まだ大丈夫!」
と言い終わらないうちに本当に雨が降り出し

「・・・じゃないねぇ」
と言いながら、「なんでわかるの?」と、自分の間違いを誤魔化しながら訊いてみた。
答えは
「わかるよぉ〜」
と、質問の答えになっていない答え。

質問の答えになっていない答えは、ここでは結構ある。
「あなたは大丈夫って言うけど、なんで大丈夫なの?」
「大丈夫よぉ〜」
ってな感じ・・・。

日本語がわかっていないのかなと思う時もあるが、質問は理解しているらしい。
どうやらこの答え方は、フィリピン人の感性らしいと、最近思っている。


話題を戻せば、とにかく微妙な気温の変化、風の向きや強さの変化、雲の様子などを、頭で考える部分が5%、肌を始めとした五感や六感で感じる部分が95%くらいの割合で、雨が降ることを予知する。(割合は筆者の勝手な推定)
しかもかなり正確に。

これは紛れもなく、野生の勘だ。
これは掛け値なしで、すごいと思っている。
人間は、本当に不思議な能力を有しているものだ。
僕は超能力や予言・予知というものを信じていないが、しかし、この雨を予知する能力の延長が、そんな類の能力かもしれないと思ってしまう。

もしかしたら、フィリピン人は日本人よりはるかに、超能力者に近いのかもしれない。
いろいろな意味で・・(笑)

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245.貧乏人の哲学

僕は子供時代、貧しい家庭で育った。貧しくても両親は、子供3人に人並みのことをさせてあげたいと一生懸命で、おかげでそれなりに楽しい青春時代を過ごすことができたことを、心から両親に感謝しなければならない。
汚い小さな家に住んでいたが、それでも頻繁に友人が我が家に遊びにきて、夕食を一緒に美味しいと食べ、よく泊まっていった。そんな明るい一家であった。
だから本当は、貧しいとか貧乏という言葉を使うのは、両親に対して申し訳なく思うのだが、今回は敢えてそのような言葉を使わせてもらう。


フィリピンの貧困地帯を良く知っている方が言う。
「世の中の人間、誰しも生きる権利がある」

それを違うと否定する材料を、僕は持っていない。
しかし、
「だからお金のある人は、無い人に分け与えなければならない」
とくれば、僕はその辺りで少し頭の中に疑問符が出てくる。

「働かないのはその人が悪いのではない、働く場所も無ければ働くための知識を得る学校にも行けなかったのだ・・・。毎日ぶらぶらして酒ばかり飲んでいるのは、元をただせばその人たちだけのせいではない」

正しいような正しくないような・・・。
働く場所が少ないのは理解できるが、だから酒ばかり飲むというのはどうなのか。
酒を飲みたくなる気持ちを理解しろと言われたら理解できなくもないが、その場に僕がいたら、酒を買う金があったら妻子に少しはましなものを食わせてやれと言いたくなるかもしれない。

これはそれを言った方に対する嫌味でも牽制でもない。
そう言いたい気持ちは良く理解できるし、言われたら正しい面もあると思うが、心のどこかに引っかかるものがある。

僕の両親は、楽をして僕を育ててくれたわけではない。人から貧乏呼ばわりされながらも、両親は子供に肩身の狭い想いをさせたくないと努力し、普段の生活でマナー・教養・躾の大切さを説き、そして学校へ行かせてくれた。
そんな親に応えるために、僕は学費免除を受け、特別奨学金も貰っていた。
成績が下がれば取り消しになるから、それを見据えて冷やりとしたこともある。
一つでも単位を落とせば終わりだから、効率良く頑張った(???)

日本でも昔、つまり江戸時代に浪人にでもなれば、貧乏まっしぐらな生活をしていたはずだ。しかし志は持っていただろうと予想される。
その流れが明治に受け継がれ、その時代の日本の代表者は皆立派だと世界に認められたではないか。
その流れは次第に薄れてしまったようだが、それが下地となり今の日本があるのではないかと思う。

とすれば、社会が貧乏を産んでいるのだから仕方がないという理屈は、少し違うような気もしてくる。
国を牽引する人たちが、たまたま立派だったから良かった、それは運が良かったのだという話でもないだろう。
日本が今のようになったのは、やはり日本人が持っている気質が、努力を産んだ結果ではないかと思えて仕方がない。

あまりこの話をしても、また変な方向に話が逸れ過ぎて、あなたのブログ記事は長すぎるとお叱りを受けるので、少し先へ進む。

僕は裕福に育ったわけではないので、実は自然と平等意識というものが身についている。
貧乏人も金持ちも同じ人間と考えているし、自分の育ちが、あえてそう考えたいという環境だったからそうなったのである。
だから子供の頃から、世の中平等であって欲しいと強く願い、それが平等であるべきだという強い信念に変わった。これがいわゆる貧乏人の哲学である。
少なくとも僕は、自分の強烈な平等主義を、自分の生い立ちからそのように分析している。
世の中が平等であって欲しいという願いは、貧乏人には天からお金が授かるようにという意味ではない。
貧乏人でも努力をすれば、這い上がることができる社会であって欲しいと願っているのである。

逆に帝王学はさっぱりで、そうなるとメイドの扱いは分からない。
こっちはメイド用テーブルで、こちらがご主人様などと差をつけられると、どうにも落ち着かないのである。
いくら給料を払っていても、足を出して「疲れたから揉め!」などと、口が裂けても言えないし、何かお願いするにもお願い口調になる。命令口調は苦手で、自分でできることは自分でする。
メイドが何か気をきかせてやってくれたら、ありがとうと心からお礼を言う。
そんな人間が経営者になれるのかと思うが、それは自分でも心配だ。
しかし、貧しい生い立ちから形成された自分の平等主義は、かなり強力に自分の言動や考えを左右する。

冒頭の「世の中の人間、誰しも生きる権利がある」は、ぼくには人間は平等なのだから当たり前だという感覚がある。
しかし、努力してお金を稼いだ人が、努力しない人にそのお金を上げるという構図は、僕の中では平等から外れて抵抗がある。
生まれながらに資産家で、有り余るお金を恵まれない人に寄付する構図には、あまり抵抗がない。自分には関係のない世界だからかもしれないし、言い方だけの問題かもしれない。
腹を空かせてどうしようもない子供にパンを与えるという構図は、もし目の前でそんな惨状を見れば、僕も素直にパンを分けてあげたいと思う。

こうやって整理をしていけば、特に自分の考えや想い、気持ちにブレはない。
しかし僕は前述したように、
「貧乏人でも努力をすれば、這い上がることができる社会であって欲しい」
と願っていたのである。それが僕の「平等」の意味だ。
逆に言えば、努力は報われて欲しいし、報われるべきだと思っているから、僕は我が家の家族に努力を見せてほしいと言い、努力をしたら報われるように助けたいと思うのである。
努力の結果や能力云々は二の次だ。

しかしそれでは、フィリピンの貧困地帯で喘ぐ人たちは、努力で這い上がることができるのだろうか。
そこが問題で、僕の考えがぐらつくところなのだ。
もし彼らが自分たちの未来を諦めていたら、それは何も変わらない。
諦めずに少しずつでも努力をすれば、少しずつ変わる・・・はずだ。
しかしそこは、この目で見ればこの世のものとは思えない惨状だ。
そんなところで普通に暮らす人からみれば、自分など紛れも無く恵まれた人間の1人である。
本当はそれほど恵まれてもいないが、そう思わせるほどの惨状がそこにはある。
そして自分がそこに投げ出されたら、希望を持って前進できるかどうか、全くもって自信がない。
そこに自分の主義主張を振りかざすことができないのである。

これは、もっと身近な生活の中にあてはめてみても、少々悩ましいところがある。
努力の姿勢を見せなければ、僕は1ペソでも援助したくない。ただのたかりは御免である。
それは僕の中の平等主義からくる考え方なのだ。
しかし貧乏の中から生まれた自分のその哲学が、フィリピンでは理解を得ず、通用しない。
同じ貧乏暮らしをしてきたのなら、本来はもっと簡単に共通認識を築けるはずだと思うのだけれど、それが難しい。
お互いの平等の意味が違うのだろうか。

モナに言わせれば、それは愛の問題ではないかと言う。
そうなのだろうか・・。愛と言えば全てにこじつけられるから、かえって厄介だ。
ここ数日間、ずっとこのことを考えている。

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2011年06月02日

244.俺は日本人だ

ここタバコシティーへ来た当初、その辺のスーパーや店に買い物へ出かけると、周囲の視線が気になったものだ。
ここでは日本人が珍しい。みんながじろじろと自分を見ている。
いや、実際にじろじろ見ているのは一部かもしれないが、それが気になり出すと、自意識過剰でみんなに見られているような気がしてくる。
僕は子供の頃、港町で育った。ロシアやカナダから木材関係の船が到着すると、船員が町をぶらついていたが、そんな時にみんなでジロジロと異人さんを観察したことを思い出す。

しかし最近、それがかなり軽減したような気がしていた。
狭い町だから、少しは顔が売れてきたのかと思っていたが、あるお店の中で若い女性の店員にビコール語で話かけれ、僕が「は?」という態度を取ると、それでも相手は僕が日本人だと気付かず、とても怪訝そうな顔をし、その後僕を目で追いかけていた。

さすがに僕もそこで気付いた。
顔が売れてきたなどとは勘違いも甚だしい。実は周囲から現地人に見られているから、珍しくも何ともないのだ。
多少身なりが良くても、周囲は僕を、少しお金を持っている中国系フィリピン人だと思っているに違いない。

家に帰ってから、上半身裸の自分の全身像を鏡で確認してみた。
真っ黒な肌。黒い肌から浮き上がる白目の部分が目立つ。適度に出ている腹は、楽をして適当に金をかせぎ、適当に贅沢をする中国系に見えなくもない。

とうとうフィリピンに同化してしまった・・・。

感慨でも後悔でもなく、ただ単に、なぜかそう思った。
もし今日本へ行ったら、この黒さは異様だろう。

この先僕はどうなるか。
ますますさっぱり理解できないタガログやビコール語で話しかけられ、その度に「え?」とか「は?」とか、とにかく言葉が分かりませんということを、何らかの形で示さなければならない。(今、既にそうなっているが・・・)
最初は面白がっていたが、度重なると結構面倒である。

おでこに四角く白地ペイントし、そのセンターに赤丸でも書いておくか。
いや、それはただの危ない人だと思わる。ただでさえ日本はフィリピンの地で戦争経験がある国だ。それは挑発だと誤解されかねない。

いつも日本語の歌を歌って歩くか。
それも暑さにやられた日本人・・可哀そうだと言われるだけで癪(しゃく)だ。
それに家族が不憫だ。家族はいかれた日本人の妻と子供・・・そんなレッテルを貼られる。

落書き漢字がたくさん入ったTシャツでも着て歩くか・・。
いや、フィリピン人に漢字は、日本語も中国語も同じだ。
腕に「ハポン(日本人)」と現地語で、目立つ刺青を彫る度胸もない。

もっとさりげなく、アホだと思われずに日本人ではないかと気付かせる方法はないものだろうか・・・。

暑さにやられた頭では、なかなか思いつかない。
暑さにやられた頭なら、アホと思われても仕方がないが・・。

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