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2014年01月01日

711.幕開け2014

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 もうブログを止めてしまったのではという声も、自分にとってまるで他人事のようにちらほら聞こえてきますが、決してそのようなことはありません。
 今年もマイペースでブログを続けてまいります。どうぞ宜しくお願い致します。

 思い起こせば昨年は正月早々、Nさんとの出会いから始まりばたばたしましたが、それも遠い昔のことのように思えてなりません。それほどNさんとは、密度の濃い関わりとなりました。
 昨年はNさんとの出会いからそのままマレーシアに渡り一年の大半を赤道直下で過ごしながら、そこで多くの知己を得ました。
 これがまた、自分の人生に大きな影響を及ぼしそうな気配を見せ始めているのですから、人生とは本当に分かりません。
 このことの詳細はまた別の機会に譲るとしまして、とにかく大企業という枠からはみ出した人生を歩んでいますと、ふらふらしながらも何とかなるものだと実感できるようになってきました。
 そんな環境下に長らく浸っていますと、人間とは自分の行動の原因というものを、大半の人は気付いていないのではないかということにも気付かされます。
 各自、それぞれの行動が、自分の計画に則ったものであるかのように感じている方も多いかもしれません。
 しかしよく考えてみて下さい。
 自分の所属する企業に文句を言いながら、退職せずに勤め続ける人。フィリピンを酷い場所だと罵倒しフィリピン人をくそ呼ばわりしながら、そこに住み続ける人。
 それほど嫌ならなぜ止めないのですか?
 その答えは実に複雑で、綺麗に解き明かすのは難しい場合が多いのではないでしょうか?
 皆さん色々なことを言いますが、それは表面的なことであり、その裏では複雑な事情や状況を加味しながら、微妙な選択の行動結果になっている場合が多いと思います。これは、仕事や結婚という大事のことに限らず、刻々と人間が営む全ての行動に同じことが言えます。
 それがふらふらしているように見える方もいるかもしれませんが、この年になりそれなりの経験を積んでみると、それが生きるということではないかという悟りの一片にたどり着いたような気になるのが不思議です。
 全てが系統だった常識の枠に留まる生き方が正しいのではなく、日々幸せに生きていられるならそれでよいのではないだろうか…、そんな境地が自分を楽にしたことは確かです。
 これはある意味、フィリピン人の深層心理に潜む座右の銘、「何とかなるさ」に通ずるもので、二皮くらいむけば実は日本人も同じだと言えます。

 昨年はNさんの話題もブログでいくつか出しました。フィリピンで羽目を外した彼ですが、僕は彼ほど素直な人をあまり多く知りません。
 彼は昨年一年の仕事を含めた自分の経験を振り返り、年末年始は家族とじっくりゆっくり過ごすと言っておりました。また仕事環境も見直すようなことをおっしゃっております。その言い方には、彼なりの人生設計というか、理想像というものが見え隠れしているような雰囲気を感じましたが、今まで見えなかったことを見ることにより、それが彼に刺激を与えているのではないかと僕は想像しています。
 彼は既述したように素直な性格なので、大地が雨を吸い込むように、見聞きしたことが彼の中に吸い込まれ易いのでしょう。
 その結果彼がどうなるかは別として、彼が新しい何かを手に入れ彼の中で新しい価値観が芽生えつつあるのは確かです。それが正しい物かそうでないか、本人も分からないでしょうし他人の自分には尚更分かるはずがありません。しかし人間、そうあらねば起伏のない平坦な人生を歩むことになります。
 僕は平坦な人生を否定するものではありません。自分も若い頃には、大企業に入り生涯安定した賃金を得ることが自分にとって良いことだと思っておりました。今でもその方が良いかもしれないと思うことがあります。特に自分が苦境に追い込まれ後悔の念というものを持つ時にそう思います。
 しかしそれと同じくらい今の状況で良かったと思うことがあり、それを繰り返すうちにどちらが良いのか分からなくなってしまいました。
 しかしどのような状況でも、人間とは気の持ちようで幸せを感じることができるのですから、最近は見えない先のことをあれこれ考えるのはよそうと言う心境に至っております。
 つまりこれが、「何とかなるさ」ということです。何もせずに「何とかなるさ」と考えるのは論外ですが、何とかしようともがくことが生きるということならば、あとは「何とかなるさ」で良いのだと思えるようになりました。

 僕がマレーシアからフィリピンの自宅に帰りついたのは、十二月二十三日(月曜)の昼少し前でした。モナが昼食としてとん汁と天ぷらを作って出迎えてくれました。それが心身に浸み込む美味しさで、やはり我が家はいいなとしんみり思いました。
 今年は仕事の環境が複雑な状況に入っていたため帰省を諦めていたのですが、ふと仕事が一段落しそうな狭間を見つけた時にトラベル会社にチケット状況を当たってもらうと、マニラ便がまだ取れるということでした。それが十二月二十日(金曜)の午後のことで、そこで即決しなければチケット手配が早くても翌週二十三日(月曜)になってしまうため、僕は車で移動中に電話で、最悪はそれを捨てる覚悟でチケットを押さえてもらいました。
 結果的に二十二日(日曜)の朝便でクアラルンプールからペナンに戻り、帰省荷物をまとめお土産を買いに出かけ、その日の夕方便でクアラルンプールに戻り、そこからマニラ便に乗り継ぐ慌ただしい帰省となりました。
 ペナンでお土産を買い終えスターバックスで一息ついた時に、フィリピンのHさんに電話を入れました。これは大げさではなく、昨年大変お世話になったHさんに報告せずフィリピンの地を踏むことに躊躇いを感じたからです。
 正直申し上げると、昨年Nさんの冒険記事の中でHさんの事を色々と書いてからHさんと音信不通となっていたため、自分が彼の気に障ることを書いてしまったのかもしれないと、ずっと気に病んでおりました。
 実際にそのようなところがあったのかもしれませんが、電話に出てくれたHさんはいつもの通り軽やかに対応して下さり、僕は自分の胸を撫で下ろすことができました。
 このことでフィリピン帰省の手続きが全て終了したと感じた僕は、マレーシアの携帯電源を切り一目散にフィリピンへ逃げ帰りました。
 さて、ここでなぜHさんの話しになったのかと言いますと、もちろん昨年大変お世話になったこともあるのですが、昨今熟成したと言いますか、煮詰まってきたと言ってもよい人生ステージにおいて、家族や友人・知人関係の持つ意味について自分がよく考えるからです。
 取り分けフィリピンという不安定な情勢の国をベースに不安定な身の上で暮らすようになりますと、人との繋がりの重要性が身に染みて分かることがあります。
 これは、決して経済的なことを言っているのではありません。心のよりどころの話をしているつもりです。もっと具体的に申しますと、完璧な人間など滅多におりませんから、互いに補間し合える家族や仲間の大切さに本気で気付き始めたということになります。
 一緒の時間を共有する時に楽しく幸せを感じる信頼に値する相手は、人生の中で貴重な存在です。自分が相手の全てである必要はありませんし、相手が自分の全てである必要もありません。当然一部でよいのですが、人生の終盤に差し掛かるほど、そのような人の重要さに気付くことが多くなります。
 色々なことが分かってきた者同士とは、下世話な世間話の中にも得るものがあります。話し相手は違う人生を歩んできた違う人間ですから、その内容には必ず、自分の枠外の気付かされることが多く含まれます。それに共感できるかどうかは個々の感性に依りますが、話のネタは重い荷物ではありませんから、できるだけ吸収するに越したことはありません。信頼できる相手の数と同じ人生を自分が疑似体験できると思えば、これほどお得なことはありません。
 昨年は、そのようなことを身に染みて感じた年となりました。さて今年はどうなるのでしょうか。先のことは全く分かりませんが、とにかく頑張るしかないと思っております。

 今月はモナの臨月です。お腹の子は男の子と確定しています。
 今のところ元気過ぎるほど元気な子で、彼はいつもモナのお腹の中で暴れています。夜中になっても子供がなかなか落ち着かない時には、モナも眠りにつくことができません。そんな時にはモナの肩から背中を中心に、できるだけソフトにマッサージを施します。
 モナがそのマッサージを気持ちいいと感じリラックスできると、不思議と彼女のお腹の子も落ち着き眠りに入るようです。子供は母体から何かを感じ取ることができるようです。
 モナの妊娠初期から臨月近い先月まで、本来夫である自分は彼女の傍にいてやらねばならなかったのですが、それができなかった罪滅ぼしの意味もあり、彼女には毎日数回このようなマッサージをしてあげるようにしています。つまり、マッサージに明け暮れる年越しになったと言っても過言ではありません。
 クリスマスや正月は、モナの体調を考慮し自分たちで作る料理を限定しました。大部分はダディやママに任せ、そのせいか今回のイベントはゆったり過ごせた気がします。日本の実家に送った年越しの写真に、父親がすごい料理の数だと驚いたようですが、そのほとんどはダディやママが用意してくれました。
 元旦の本日は予期せぬ来客が続き少し慌ただしい日になったため、僕は教会へ行くのを取りやめて家で留守番をしながら、のんびりこの原稿を書いています。
 その中で昨年を振り返ったり今年の予想をしたりしてみるのですが、やはり最後は「何とかなるさ」に帰結します。
 それを地で感じるようになったのですから、以前なら自分がフィリピン人化したと茶化したいところですが、今は自分を、一皮むけたかなと言いたい気分になっている今年の幕開けです。
 今年もどうぞ、宜しくお願い致します。



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2013年11月23日

710.浮気疑惑

 仕事中にモナから、久しぶりの「そうだんある」メッセージが届いた。「もんだいある」と「そうだんある」は、何年経ってもいくら経験しても慣れない。
 こちらが仕事中なので、モナは「そうだんある、あとで」とだけ言ってきた。詳細は一切書かれていない。確かにこちらは忙しいしまともに相手をする時間を取れないが、しかし僕は鼓動が早まり内容が気になって仕方ない。結局仕事を中断し、モナに「なに?」とメッセージを投げてしまった。

 モナが返事のメッセージを書いているのが、僕の携帯上で分かる。返事を書いているということだけが分かるのだが、一向に肝心の返事がやってこない。つまり、かなり長文ということだ。ますます気になり鼓動が早まる。
 お金か? モナの身体のことか? ベルが学校で何かあったか? ユリが怪我をしたか? 誰かが入院か? まてまて、あとで・・、という事は緊急ではないだろう。ならばお金が絡む問題か? 今我が家の余裕はどのくらいあったか? なぜ年末なのだ。しかも来年早々子供が生まれるぞ。まてよ、お腹の子供のことで何か悪いことが分かったのか? まさか心音が聞こえないなんてないだろうな。いやいやそれだって、メッセージではなく電話になりそうな案件だろう。ならばなんだ? とにかく早くメッセージを送ってくれ。

 想像の中で悪いことばかりが考えては、それを懸命に打ち消す自分がいた。とにかくモナのメッセージを待とうと思いながらも、気が付けば悪いことを想像してしまう。それにしてもメッセージが遅すぎる。相当の長文だ。 ピコッと音がして、ようやくメッセージが届いた。何々? ダディとママ・・・?

 結局ダディとママが喧嘩をしているという話だ。それが何か? と言いたくなったが、またまたモナがメッセージを書いている。これも長い。
 原因はダディの浮気? いや、単にママがダディの浮気を疑い騒いでいるようだ。○○の期間ラブラブがない? ラブラブがないって何のこと? 優しい態度がないことなのか、それとも・・・? 紛らわしいぞ、もっとはっきり書きなさい。

 あれ? またモナが何か書いている。やはりこれも長文だ。
 ママがダディの浮気調査をした? ダディのトライシケルの後ろに座り? トライシケル営業に同行? それじゃ浮気調査にならんでしょう。ママがダディの仕事仲間にも聞き込み? ダディが一緒にいるのに? 誰も何も言わないでしょうよ。あ〜? ダディの仕事仲間はダディに愛人がいると言っている? まじかぁ〜? 家の中の空気が悪い? 平和じゃない? それが自分のストレスになる? 何かアドバイスはないか? 

 僕はダディとママにアドバイスはないが、モナには「二人の喧嘩を無視せよ」とアドバイスした。自分以外の夫婦のことを、僕に分かるはずがない。よって僕からダディとママには、何もアドバイスがない。どうしてもこじれるようなら、「最終兵器のユリを投入せよ」とアドバイスするつもりだ。

 それにしてもこれ、僕の仕事中に投げてくるメッセージなのだろうか? 「それ、今じゃなくてもいいでしょう」と言いたくなるメッセージは、これまで数えきれないほどあったが、最近それが減少傾向になっていた。よい傾向だと思っていたが、それだけに特別の連絡には、自分の激しい動悸が伴うことになる。どうしても慣れない。慣れようと努力をし、最初は「またか、どうせ・・」と思うことにしているが、「しかし、もしかして」ということも頭をよぎるから仕方ない。

 ダディの浮気疑惑は前からあった。それもママが騒いでいただけで、僕にはその疑惑がどこから出てくるのかさっぱり理解できなかった。ダディが毎日夜遅く帰宅しているわけではない。むしろ昼ごはんにも家に帰ってくるし、夕方はほとんど夕食前の決まった時間に帰宅する。休日もほとんど家にいる。こっそりお金を隠し持っている様子もない。携帯はその辺に置きっ放しで、怪しい電話やメッセージが入ってくる様子もない。ダディの携帯はいつもロードが入っておらず、受信専用だ。怪しい女性との密会現場目撃談はもちろんない。
 いくら火のない所に煙は立たぬと言っても、火種さえ見つからない状況で僕の見立ては「ダディは純白に近い白」であった。その時にそれをモナに話すと、彼女も同感ということで意見が一致した。しかし当事者のママが納得しない。そうなると、騒がれるダディが気の毒になってくる始末であった。
 これが自分の将来の姿にならないことを、祈るばかりである。

 本日土曜は、ゆったりした休日らしい休日を一人で過ごしている。こちらで初めて作ったクリームシチューが大成功。フィリピンの自宅で起こっている騒動にわき目もふれず、ひたすらマイペースの平和な一日だった。
 夕食も早めに済ませたので、今日は早く寝よう。



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2013年11月16日

709.信じることは大きい

 昨日はユリの四歳の誕生日だった。産まれたのがつい先日のように感じるのに、それが四年も前だということに改めて感慨を覚える。当時の僕は仕事に追われ、息切れ寸前でフィリピンにかけつけると、まるで僕を待ってくれていたかのように彼女が産まれた。それから一年ほどは、女の子なのにさして可愛くない顔で、可哀そうな事をしてしまったと何度も思ったが、表情が豊かなことが救いだった。一度は階段の上から転げ落ち、モナが日本で仕事をしていた僕に何度も電話で「ごめんなさい」と半ベソ状態で謝ったが、落ちた本人は何事もなかったように擦り傷だらけの顔で元気にしていた。ひとつ間違えれば死んでいたかもしれないのに、後遺症も大きな傷跡も残らず、これまですくすくと育っている。
 ボーイッシュな顔つきだったユリも髪の毛が伸びると少しは女の子らしい顔になり内心ほっとしていたが、僕はまだ、彼女の足の短さが気になっていた。ギョウちゃんから毎日足を引っ張ってやれば伸びると指導され、気にしていた僕よりもモナやママがそれを一生懸命実践し続けていたようだ。その甲斐あって、身長が伸びるにつれ胴より足の伸びが大きいようで、ようやく体系も人並みに近づきつつある。口の成長は人並み以上に早く、ダディとママの喧嘩の仲裁で「喧嘩はだめ、ラブラブがいいでしょう?」などと周囲を和ませるのが上手な子になった。

 ユリが産まれてから数年間、僕とモナはベルの事も注意深く見ていた。疎外感を与えることが子供の心に歪を生じさせないよう、彼女への対応に気を遣っていた。それでもベルの中にはユリに対して嫉妬というものが芽生えていたようだが、最近はそれがすっかり消失し、ベルとユリはいつも一緒に遊ぶ仲の良い姉妹になった。遠慮ない喧嘩の仕方を見ていれば、どれだけクローズかが分かる。来年更に赤ん坊が生まれると今度はユリが嫉妬を覚える番で、それを癒すのにいよいよ父親の役目が大きくなるが、僕は自分がいつも子供の近くにいてやれないことを今から気にしている。ユリの嫉妬を癒す役目をベルにも託すことになりそうだが、子供が生まれたら、そのことをベルにお願いしなければならない。おそらく僕からベルに真剣にお願いごとをするのは初めてのことになるが、そういったことを真面目に話し合うのも、親子の絆を深めるのに役立つのではないだろうか。とにかく僕は、そのことでベルを信用し大きく期待している。よって今年のベルに渡すクリスマスプレゼントは、少し高価でもベルの望んでいるものにしようとモナと相談している。親としてベルに期待する分こちらも子供の期待に応えてあげたいという、これも親心の一つである。

 来年生まれる子供はモナが熱望していた男の子であることが確定しており(僕はまだ半信半疑)、名前をほぼ決めている。現在名前の第一候補を、僕の日本の母親が鑑定中だ。字画だの意味だのと、良い名前かどうかを判定するにもややこしい手続きがあるようだ。
 彼が本当に男の子であれば、ママ、モナ、ベル、ユリによる女性連合にくさびを打ち込む存在になるわけで、僕にとっては将来頼もしい味方になってくれるはずだから、僕は今彼に、男らしい名前を考えている。
 実は現在の名前候補はモナが考えたものだが、僕はこれまで、彼女の案の多くを却下した。なにせ彼女は唐突に「次郎はどう?」などと語呂だけで提案してくるのだから、そのほとんどは意味や日本の名づけ傾向を考え、僕は少々頭痛を覚えながら「キャッカ!」と言うしかなかった。日本の母親もいくつかの名前候補を考えてくれていたが、モナがやはり語呂で決めた名前の一つが僕の感性にヒットし、それを日本の母親に相談したところ、それは良いと賛同を得たものである。

 男の子はおそらく元気でやんちゃになるだろうから、近い将来ベルとユリを悩ませる存在になり得ると予想している。ユリがどんなお姉ちゃんになるのか楽しみだが、おそらくユリは癇癪を起し、ベルがそれを諌める役割を果たすだろうと僕は想像している。ベルにとってユリは自分の成長を促す大きな学習材料になっているが、ユリにとって次の子供も同じことになるだろう。我が家でただ一人の子・孫として甘やかされたベルにとり、ユリは嫉妬や我慢の対象であり、同時に現在は癒しの対象である。今思えばベルの我儘がすっかり鳴りを潜めたのは、ユリの人格がはっきりし会話ができるようになってからで、兄弟姉妹の存在・役割というものは、思った以上に大きいようだ。
 次の子が男の子であれば、我が家の子作りはこれで打ち止めとなる。いくら彼が二人の姉に虐げられ、その反動で弟が欲しいと言い出しても、それが実現する見込みは非常に低い。彼は一人で二人の姉(女性)の攻撃に耐え、どこかでそれを打ち負かさなければならない運命を最初から背負わされているのだ。いずれにしても女性に対する免疫ができやすい生活環境で育つ彼には、それを一つのアドバンテージにして欲しいと思っている。女性に対する免疫は男性にとって大変重要だが、僕がそのことに気付いたのは随分年齢を重ねてからだったから、今からついそのようなことを考えてしまうのである。

 子供の話が先行したが、本日はモナの三十二回目の誕生日だ。ユリとたった一日違いの誕生日で、つまりモナは四年前の自分の誕生日を、ユリの出産のために病院で迎えたことになる。当時僕は日本で買ったモナへの誕生日プレゼントを、入院先の病室で彼女に渡した。品物はホワイトゴールドネックレスだったが、ユリを産んだ翌日のことだったので僕はベッドに横たわるモナと、将来そのネックレスを産まれたユリにあげてもいいねと話した。つい最近、ユリがそのネックレスを喜んで身に着けていたが、当時のその会話が半分現実になっている。こんな回想をするたびに、恐怖さえ感じるほど時の経過が早すぎると思えてくる。
 僕とモナが出会ったのは彼女が二十一歳の時で、そこまで記憶をさかのぼると、既に二人が出会ってから十一年目に入ったことになる。こうして振り返ると十年も決して長くないが、この十年間に二人はお互いの今後の人生を決めてきた。しかしただ決めてただ飛び込むことと、実績を積み重ねることの重みがまるで違うことにも同時に気付いている。今の生活を自分の生きる土台として実感できるようになったのは、ここ数年のような気がするのである。つまりここ数年で二人の子供のことも含め、ようやく何事もしっくりと自分の中に融和できているということだ。結婚当初はフィリピン方式の「なんとかなるさ」が座右の銘であるかのように、常に地に足が付かない不安と向き合っていた。今でもこの先をどうするかについて不安はあるが、以前の不安と現在のそれは、自分の中で明らかに毛色が違う。ただがむしゃらにやろうとすることと、経験に裏打ちされた将来予測は違うということだろう。
 これは何も、自分に自信を持てるようになったということだけではない。結婚前や結婚当初は、二人の生活において、明らかに自分がリーダーであった。何事も自分が決め、自分が責任を果たさなければならないと考えていたのである。しかししばらくして、時に自分がモナにリードしてもらうことが多々あることに気付いた。それは彼女が二人の生活に自信をつけた証かもしれないし、僕の彼女に対する信用が彼女に伝わっているせいかもしれない。とにかくモナが物事を決め、モナが決めたことに責任を果たせることが分かっただけで、僕の心の中の負担が大きく減少したのは間違いないのである。三本の矢ではないが、一人より二人の力を合わせる方が、楽をして強くなれるということだ。
 依存することは信用することであり、つまり信じることである。前提としてパートナーは信じられる人であることが必要だが、この信じられるということは思いのほか大きいということだ。

 結婚前、時に軟弱になるモナに自分の人生を託すことを不安に感じることもあったが、とにかく彼女はこれまで大きな病気をすることなく、家を守り子供をしっかり育てながら三十二回目の誕生日を無事迎えてくれた。
 本日はそんな彼女に感謝をしながら、心から誕生日のお祝いをここに表明したいのである。



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