フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年05月23日

231.恐怖のシューマイ

先日レガスピのモールへモナと二人で行った時のことである。
ランチを何にしようかと二人で悩んでいた。なかなか決まらない。というのも、僕は最近フィリピンの外食には飽きて、どれも気が進まないからだった。

「僕はコーラだけでいいから、あなたは好きな物を食べなさいよ」
「わたしもあまりお腹空いてないなぁ」
「それじゃ簡単なもので済ませよう」
「それじゃシューマイ食べたい」

ということで、2階フロアーに屋台のような店を出しているシューマイ屋で食べることにした。
シューマイはフィリピンではSIOMAI(シオマイ)と書いてある。その店でもそうだが、スーパーで売っている冷凍シューマイなどもSIOMAI(シオマイ)だ。
良く見れば餃子もあるが、それはなぜかSUMOMAI(スモマイ)となっている。
とりあえずSIOMAI2人分とSUMOMAI(なんか気の抜ける名前だ)1人分を買って、食べていた。
そして、このSIOMAIにはグリーンピースが無いねなどと話していた。

ふと僕は、恐怖のシューマイの話しを思い出して、モナにその話を教えたことがあったかどうか聞いてみた。
モナは「何それ?知らない」というが、「グリーンピースの話し?」というので、あれ?やはり前話したかなぁなどと思いながらも、モナの「何の話し?教えて」というリクエストに応え、その物語を語ることにした。


昔(a long time ago)、ある村にシューマイ(siomai)が大好物(weakness)という与作というおじいさん(lolo)が住んでいた。
与作は死ぬ前に、若い頃食べたシューマイを是非もう一度食べたいと日頃思っていたが、その村にシューマイは売っていない。
一つ山を越えた隣村(a nearby village)にはシューマイの店があったが、隣村に行くためには、恐ろしい妖怪(goblin or monster…フィリピンではモーモー)が出ると言われている峠(gap)を越える必要があった。だから村の誰もが峠を越えようとしない。
しかし与作はどうしてもシューマイが食べたかったので、意を決し、隣村へ行くことにした。
行きは妖怪に出くわすこともなく、無事に隣村へたどり着いてシューマイを買う事ができた。与作はシューマイを手にした嬉しさで、それを大事に懐(pocket)にしまい込んで帰り道の峠に差し掛かった。
その時、噂の妖怪が現れたのである。
与作は自分の身よりシューマイを庇うようにしながら、峠を走り妖怪から必死に逃げた。
何とか無事に家に辿り着いた与作は、安堵感(relief)とシューマイを無事に守った幸せ感に包まれながら、これでシューマイをたらふく食えると喜んで箱の蓋(top)を開けた。その時である。
与作は恐るべき光景( horrible sight)に出くわした。

ここで僕はモナに、「何があったと思う?」と訊いてみた。
「シューマイが腐っていた」
「ノー」
「シューマイが無くなっていた」
「おしい!」
それじゃ続きを話そう。

「あっ、グリーンピースがない!」と、与作は驚いたのだった。
そう、シューマイの1個に、上に乗っているはずのグリーンピースが無くなっていたのである。他のシューマイにはグリーンピースがあるのだが、1個だけ無いのだった。

「なーんでだ?」
「お店の人が間違った?」
「ノー」
「どこかに落とした?」
「おしい!」
「答えは・・・・蓋についていた」でした。

「なにそれ?」
「だから蓋にくっついていたんだよ、グリーンピースが」
「そっか、ははは」
「まあまあ・・、ここまでは良くある話でみんな知っている。でもこれからがこの話のポイントだからよく聞いて」

僕は物語を続けた。

シューマイを食べて思い残すことが無くなったのか、それとも妖怪に追いかけられた心労(anxiety)が原因かは不明だが、与作はその3日後に突然亡くなった。
村人たちはみんな、与作が亡くなったことを悲しんで、彼に最後のお別れをいうために与作の家に訪れた。
与作の親友だったという平吉が彼の家を訪れた時
「どうしても最後に顔を見たい。棺桶の蓋(coffin top)をあけて与作の顔を見せてくれ」
と言いながら、村人たちが見守る中で、平吉は棺桶の蓋(coffin top)をあけた。
すると平吉は、そこで驚愕の声(astonished voice)を上げた。
「あっ!与作がいなぁぁぁあ〜い!」
そう、棺桶の中で安らかに眠っているはずの与作が、いないのである。

「な〜んでだ?」
「与作は死んでなかった・・・」
「は?」
「妖怪がどっかに持っていった?」
「へ?」

どうも調子が狂うなぁと思いながら、僕は答えを言った。
「蓋についていたんだよ」
「蓋って、棺桶の蓋に?」
「そう、だから開けた蓋にこんな風にくっついていたんだってば」
「きゃははははは・・・なーにそれ、きゃはははは」
ここでようやくモナの笑いが起こった。一度笑い出したモナはつぼにはまったようで、今度は笑いからなかなか抜け出せなくなった。
これが日本人であれば、「な〜んでだ?」と尋ねると同時につぼにはまり、思い切り笑いながら、かすれ声で「蓋についていた?」と答えたりする。

どうも感性が少し違うようだ。いや、言葉の壁か?それとも説明が悪い?
その笑いは、本当にグリーンピースの話しが布石となった笑いなのか?
数々の疑問は残るが、とにかく最後に笑いを取れたことで、なんとかその場は収まりがついた恰好となった。

一瞬、恐怖の味噌汁(今日、味噌汁のお椀の蓋を開けたら、あっ!と驚いた。なーんでだ?・・・ふが浮いていた)なんてのも頭をかすめたが、味噌汁が蓋にくっついていたなどと言われるのが怖いので、話すのは止めておいた。

結局、それがどうした??
・・・などと、野暮なことは問わないで欲しい。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:231.恐怖のシューマイ
2011年05月22日

230.ペイメント

2階のソファーで寝そべっていると、モナが僕の足の爪をみて、
「少し長い!それ切ってあげる」
と言い出した。
これまで何度もモナから爪切りの申し出があるが、深爪にされて痛いので、僕はいつも丁重にお断りしている。何度も断っているのに、いつも爪を切らせろとうるさい。

その時にも、僕の爪の切り方が変だと言い出した。
「なんで端の方が長いの?それ変だよ。わたしが綺麗にカットする」
「変じゃないよ。それに爪は自分で切るからいい!」(こうやって書いてみると、決して丁重な断り方でもないが・・)
「なんでぇ〜、あなたの切り方へたくそだから」
「だって怖いでしょ。あなたのは痛いから」
「大丈夫よ、ユリだっていつも私が切ってるんだから」
「そのユリがこの前、血を流していたのを知ってるんだけど・・・」
「それはたまたまでしょう」と、何かをごまかすように笑いながらモナが言う。
「とにかく爪だけは自分で切る」
「わかった。あなたが寝てる時にもできるんだからねぇ〜」

そんな勝手なことをしたら離婚だぁ・・とは言わず、お願いだからそれだけは勘弁してくれとお願いしておいた。

フィリピーナは普段、とても献身的である。
コーヒーを淹れてくれるし、マッサージもしてくれる。
シャワーでは頭のてっぺんから足のつま先まで綺麗にしてくれる。僕はユリと同じように、言われた通りしゃがんだり立ったり、両腕を上げたりするだけ。(いつもじゃないけど・・自分でやった方が早くて簡単だったりする・・・)
歯磨きの時には歯ブラシに歯磨き粉をつけて渡してくれるし、ひげのそり残しはチェックして抜いてくれる。着替えの時にはクローゼットから着替えを一式出して揃えてくれる。

とにかく愛を込めて世話をやいてくれる。
これだけを読めば、なんて羨ましいのだと思う方もいらっしゃるだろう。
しかし、倍返しとは言わないが、こちらに対する要求事項も結構多かったりする。

特に多いのは
「マハール、マッサージちょうだい」
返事をためらっていると、「だめ?今いそがしい?」と甘い声を出してくる。
特に二人でどこかへ出かけた後、僕も疲れている時にこの要求が多い。こちらも同じように疲れているのだから、こっちがマッサージして欲しいと言いたくなる。
それでもついつい要求に応えてしまうから、愛は一層深まる(笑)

他にも「コーヒー飲みたいなぁ」「マハルのスパゲッティー食べたいなぁ」「のど乾いたなぁ」「友達のセレブレーション、一緒したいなぁ」と、間接的な言い回しでのお願いがある。

フィリピーナ特有のお願いごとと思われるのは、毛抜きを自分の顔の前で持って、「これいい?」と訊いてくることである。フィリピーナは脇毛を一本一本、毛抜きで抜く方法により処理するが、その仕事は恋人や旦那の役目という習慣があるようだ。

「あれ取って」とか「これ持っていって」に始まり、「白い髪探してちょうだい」「音楽が欲しい」「音小さくして」「扇風機こっちに向けて」「窓開けて」といった、細かい直接的なお願いごとも勿論結構ある。特に二人が一緒にベッドやソファに寝そべってゆっくりしている時だ。

「ほう、君もなかなか人使いが荒いねぇ」などと言いながら要求に応じると、「人使いが荒いってなに?」と、彼女はその言葉の意味を理解していないようで、それでまたまた愛が深まる(笑)

愛の奉仕には、愛の奉仕によるお返しが必要なのだ。これが男女平等社会のルールである。夫婦愛に一方通行はあり得ないということだ。

これでも我が家は、僕がきちんとサラリーを家に入れているせいかどうか知らないが、かなり大事にされているような気がしている。(気のせいだけかもしれないが、そう感じることが肝心)
相手によっては倍返しや3倍返し、いやいや10倍返しなどの覚悟が必要と思われるような女性も、フィリピンではざらに見かける。
フィリピンではいざとなれば、女性が強い。

確かにお返しはきついねという人には、隠し技が一つある。
「ペイメント(支払い)は夜ね!」

これで相手が口元に軽く笑みを浮かべ眉毛を上下させてくれれば交渉成立。
少なくとも我が家では、十分これが通用する(笑)。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:230.ペイメント
2011年05月21日

229.日本人のDNA

ユリの顔は父親が日本人のせいか、頬がふっくらとして丸々としている。
それに対してフィリピンの子供は、全てといって良いほど、小さな痩せた顔をしている。
最初は僕も気付かなかったが、そう言われて他人の子供を意識的に観察すれば、明らかにユリの顔立ち・体型は地元の子供と傾向が違う。
ユリのように、体の隅々まで栄養が行き届いているような丸顔でふっくらとした赤ん坊を、少なくとも僕はフィリピンで見たことがない。
これは決して、フィリピンの子供は栄養が足りないということを言いたいのではない。
栄養云々は関係なく、おそらくDNAの成す技なのだと思う。
だからユリはどこに連れて行っても、父親がフィリピン人でないことがすぐにばれる。


先日モナと二人で、地元のLCCというスーパーで買い物をしていた。
モナが食料品を物色し、僕はそのモナの尻を追いかけるように、カートを押しながらついて歩く。いつも、まるでお抱えポーターの風情である。

ふと僕の視界を、何か親しみのある顔がよぎった。それは一瞬のことだったが、その一瞬だけで何か僕の中に引っかかった。
それを追いかけると、やはり・・・。
6歳か7歳くらいの女の子が、綺麗で清楚な感じのフィリピーナお母さんと一緒に買い物をしているのだが、その女の子の顔は間違いなく日本系の美人さんだ。
僕がモナに、あの子のお父さんは日本人だと言ったら、モナは「そう?」というだけだったが、たまたまレジでモナの後ろにその親子が並んだ。

そのお母さんとモナが話をしている。僕はレジの出口で、少し遠巻きにそれを見ていた。
やはりその子のお父さんは日本人だった。お父さんは年に数回フィリピンの家に訪れるそうで、普段は日本で仕事をしているとのこと。
先日の震災の影響を受けたらしく、今日本で大変な目に遭っているという話まで教えてくれたらしい。

モナが、僕が子供の父親に気付いたことを教えたら
「同じ日本人だからわかるのね」
と、少し驚き気味に言っていたらしい。
僕がここで暮らしていることを教えると、いつも一緒で羨ましいと話していたという。

モナは早速、同じ日本人の父親なのにユリの頬はふっくらしているが、連れのお嬢さんはすっきりした顔立ちでユリとは違うという話をすると、その子も小さな時には頬のふっくらした丸々とした顔だったから、きっとユリも大きくなれば同じように変わると言われたそうだ。
なるほどこれで、父親が日本人だと、ふっくらとした丸顔になる確率が高いということがわかった。

実はモナは、ユリの頬がふっくらしていることを少し気にしている。
顔がふっくらとしていることが、フィリピンで悪いということではない。
ユリを見る人がみんな、ぷよぷよとしたその頬を触り可愛いと言う。それはそれでモナも喜んでいるのだ。

しかし学校に通うようになったら、そのせいで苛められないかとモナが言うのである。
僕の子供の頃の写真を見れば、僕はもっと太って丸顔だった。それでも今は普通の顔(???)でやせ形体型(といってよいか、最近は自信はないが・・)なのだから大丈夫だと言っても、モナはそれを信じない。
だからその女の子のお母さんに、大きくなったらユリもきっと変わると言われ、しかも変わった実例を実際に見て、モナは少し安心したようだった。

僕はくだらないことを気にしているものだと思ったが、もしそれが現実のものになったら、それはそれで困るなぁと思い始めた。

「もしそんなことで苛めに遭ったら、俺がリベンジしてやる!」
「どこで?」
「学校に決まっているだろう」
「リベンジって何するの?」
「苛めた奴を見つけ出して、げんこつをくらわしてやる」

僕はげんこつをアクション付きでモナに説明した。すると
「子供の喧嘩に大人が出ていってどうするのよ」
と、まるで大人が子供に説教でもするような口調できたので、確かにその通りだと思いながらも、
「いや、今の苛めを軽く考えてはいけない」
などと、やや形成不利を挽回するように偉ぶって言ってみた。それでも
「だいじょうぶよ」
と軽くあしらわれると、「なにくそ!」などと思い
「あなたは日本で起こっている苛めの状況を知らないから、そんなことを言うんだ」
と言えば、
「ここはフィリピンよ」
ときた。ますますその通りだと思いながら僕は、これは今のうちに少し方向転換をしておいた方が良さそうな気がしてきたので、
「暴力がだめなら、教室に怒鳴りこみにいってやる」
と、少し話をソフト路線に修正した。

「どうやって?」
「教室の扉を開けて、いきなりこぉらぁぁぁああ〜っていうのはどう?」
「ははは、それで?」
「それでって・・そっ、そうねぇ・・それでおしまい」
「なんか意味ないなぁ」
「意味ないね・・・」

もし僕が学校にいる子供にげんこつを食らわせようものなら、下手をすれば留置所行きだそうだ。
フィリピンは子供に対する暴力に敏感な国である。
日本も確かにうるさいが、フィリピンは子供に対するレイプを始めとした暴力行為が、深刻な社会問題との認識があるせいだと思われる。

「それじゃ日本のチョコレートで買収・・・これはどう?名案だなぁ」
と、かなり譲歩したつもりのアイディアを悦に入って言ってみれば、もはや僕は相手にされていないようで、返答無しであった。

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エントリー:229.日本人のDNA

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