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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2013年11月12日

708.救済の手を

 前回の土日はマレーシアの田舎の家に招かれ、携帯の電源を切りインターネットもほとんど繋がらず、思う存分自然と戯れていた。そして日曜の夜に帰宅し気になる台風情報を閲覧し、僕は今朝もその続きを追いかけていた。
 レイテタクロバンの被害が想像以上に酷く、しばらく固まってしまうほどであった。本日も仕事に追われ忙しくしていたが、タクロバンの被害状況が頭にこびりついていた僕は、帰宅後すぐモナに電話をした。すると、彼女の方から台風被害の話が出た。
「酷いよ、レイテのタクロバン。かわいそう。アコが妊娠じゃなかったらたぶんレイテに行ったけど、でも今動けないから。子供が可哀そうだよ。助けたいなぁ」
「僕もその事を考えて電話をしたんだけどさ、何かできることはない? 信用できる寄付の預け先とかはないの?」
「あるよ、政府の出先機関とか」
「必ず被害者に届く組織だったら、お金送ろうよ。今は二人とも何かを送るしかできないから」
「そうね、そうしよう。周りもみんなも動いてるよ。お金送れない人は、身体使って助けようとしてる。アコは古着も送る。そこにいる人全部無くなったから大変よ。夜も寒いでしょう? みんな泣いていた。かわいそう」

 突然家ごと何もかもを失った人が、何十万人もいる。たくさんの子供やお年寄りが溺死したと聞いた。大切な家族さえ失った人が、今なお心身喪失の状態で助けを待っている。多く人が通信網と道路を遮断され、陸の孤島となった場所で孤独な野営状態となっている。いくらフィリピンでも、夜の屋外では寒いだろう。そして再び、その地を台風が襲うという情報が出ている。現地では飢えで略奪も起きていると聞くが、自分も同じ境遇になればお腹を空かせた子供のために、同じ事をするかもしれない。いや、きっと自分は家族のために、必死で水と食べ物を追い求めるはずだ。ぼろぼろになってさえ、きっとそうする。とにかく水と食べ物は重要だ。そして衛生状態悪化による病気の蔓延も心配である。事態が一刻を争う状態であることは、誰の目にも明らかになっている。
 それに対し多くのフィリピン人が、被災者を助けたい一心で活動を開始している。各自ができることをしようとしている。世界中の救援隊も動き出している。人や物資の輸送用ヘリや船の準備が急務だろう。まずは救援物資を速やかに届ける道の確保が必要だ。そして弱い老人や子供の救済が急がれる。
 自分は雨風をしのげる場所で、食べ物に困らず、のうのうと普通の生活をおくれる環境の中にいる。眠たくなれば熟睡できるベッドがあり、夜になっても明かりがある。我が家の家族も同様だ。
 一方被災者は暗闇の中で、今も空腹や喉の渇きを伴う不安や恐怖と闘っている。一人の力はささやかだろうと、大勢の力が積み上がれば被災者の方々を少しでも救うことができるだろう。ただ祈っているだけでは、事態の改善は見込めない。少しでも手を差し伸べる方が多くなることを望みたい。そして早急な緊急事態の回避を、フィリピン政府や各機関に望んでやまない。
 もし自分の家族が同じ目に遭ったらと考えれば、他人事に思えず落ち着かないのである。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:708.救済の手を
2013年11月09日

707.台風一過

 フィリピンに超大型台風が上陸するとのことで、我が家は大騒ぎになっていた。
 家の外壁に打ち付ける窓枠を買い、窓を覆う平板を買い、それを取り付ける作業を行い、食料も買い込み、家族は万全の体勢でこの疫病神の到来に臨んだようだった。随分前の台風の時にも窓を覆う材料を買い「これで次からは大丈夫」と確かに話していたから、一瞬「前に買ったやつはどうした?」と確認したくなったが、最近無駄な抵抗は無駄だということを悟っている僕はそれを口に出すのを止め、実際に台風に立ち向かう家族に全面的に全てを任せることにした。
 11月7日(木)の夕方、いよいよ台風がやってくる前日には、超大型台風に耐えられないだろう家に住んでいる親戚が泊まり込みで我が家に避難してきた。その中には小さな子供とユリの大好きなお姉さんが含まれていたので、ユリは遊び相手を得て大喜びした。台風に先駆け我が家に到来した遊び相手に、ユリは時間になっても寝たくないと駄々をこね、泣きながらベッドに入ったとモナから聞かされた。いざベッドに入ったユリは、遊び疲れであっという間にすやすやと深い眠りに入ったようだ。
 そして11月8日(金)の朝、モナより台風の実況中継が入り始めた。その内容は、強い風の音で夜中に目が覚めた、おそらく電気が止まるだろうから携帯を充電している、すごい雨が降りだしている、インターネットが遅くなっている、時々携帯の電波が無くなる、風が強くて怖い等々だった。インターネット上に台風の様子を撮影した様々なビデオもアップされ始めていたが、それを覗いてみると、確かに人も簡単に飛ばされそうな暴風雨、建物崩壊、大洪水と、この世の生き地獄のような光景が多くあった。
 僕も前日から、「子供たちを窓の近くで遊ばせるな」「外には絶対に出るな」とモナに対し簡単なお願いをしていたが、こちらは丁度仕事が忙しい時期で、台風当日はモナの実況中継を小まめに確認している暇がなかった。しかし前評判で凄まじい台風だと聞いていたし、インターネット上の情報は悲惨の限りを尽くしたビデオ映像だらけで、更に警戒度数を表すシグナルナンバーも我が家のエリアで一つ上がったようだから、まさかコンクリート作りの重量級バハイ(家)が飛ばされる心配はないだろとは思っていても、どこかで家族のことを気にかけていた。
 ようやく自分の仕事が一息ついてモナ特派員から配信された複数の実況中継をまとめ読みすると、僕の中で不安が増した。しかし、我が家に電話をして様子を確認しなければと思い始めた時にふとフェイスブックを見ると、親戚の集まった我が家のにぎやかで楽しそうなメリアンダ(夕方の軽食)光景がモナによりアップされていた。それを見る限り、誰かの誕生日か何かのお祝いの宴でも開催している平和な様子にしか見えず、とにかく何事もなくみんな無事でいるようだと思い直し、僕は電話をするのを止めて仕事に戻った。

 帰宅後モナに電話をすると、「台風はまるでたいしたことはなかった、避難民は各自夕方には自分たちの家に戻った、遊び相手がいなくなりユリがとても寂しがっている」という気の抜ける報告を聞かされた。モナの話によれば、台風の高度が高かったため、ビコールでの被害はさほどなかったということだった。もちろん直撃したレイテ、セブ周辺は大変だったろうが、台風の移動速度が速くあっという間に過ぎ去ったため、ビコールでは何のことはない台風だったようだ。その台風騒ぎに便乗するかのように我が家では、親戚が集まっているので日本の盆や正月のような雰囲気でメリアンダを楽しんでいたということである。

 もちろん僕には、家族に何事もなく良かったという気持ちは十分あった。しかし僕は、台風に恐怖してみんなで寄り添いガタガタ震えていたなら、もう少し可愛げがあるのにという皮肉めいたことも同時に思った。なぜなら、大変だという情報を散々発信しておき人を心配させることには一生懸命でも、台風が過ぎ去ってから「もう大丈夫だから安心して」というメッセージが一つもなかったからである。それはまるで、一つのお祭りが過ぎ去り寂しいので、突然次のお祭りに興味を移し、僕のことなどすっかり忘れているように見えてしまうのだ。これがフィリピン人の気質というか、習慣というか、やっぱりフィリピン人ってこんな感じなんだなぁという「こんな」の事を、僕は気の抜けた頭でぼんやり考えていた。

 僕はフィリピン人の「こんな」に、決して気を悪くしたわけではなかった。だからモナにも普通の会話として、「もっと台風を楽しめれば良かったのにね」とある意味不謹慎な事を言ってあげた。そしてモナはこの皮肉じみた言葉を気に留めることなく、あっさり聞き流した様子だった。これらのことをここで話せば話すほど、これはあなたの大変な皮肉なのか? と疑われそうだが、僕は今回の台風に対する対応全般を通して、全く憤りも怒りも感じず逆に面白いと思っていたのだから、これらのことは全く、本当の意味での皮肉ではない。
 避難民の中には普段いがみ合い疎遠になりかけていた人もいるが、いざとなればこうして助け合うのがフィリピン人だということをあらためて知り、それも面白いと感じた一つである。もし避難民の家が台風で崩壊したら我が家に居候が増えるだろうと、これも不謹慎ながら僕は少しだけそんなことを考えていたが、もし自分に何かあった時、家族は自分のことを今回と同様見捨てずに助けてくれるだろうことを考えると、仮に本当に居候が我が家に増えようが、自分はこのフィリピン人の優しさを否定する言葉を発してはいけないだろうとも思っている。だから僕は最近、経済的に相当の無理がかからなければ、こうした大概のことをモナの判断に委ねようと思っている。そう思うようになってから、僕は大概のことに腹が立たなくなった。

 こんな自分でも、フィリピンに移り住んだ当初は細かいことに腹をたて、モナに随分嫌味を投げつけた。何せ粗を探せばごまんと出てくるフィリピンとフィリピン人である。しかし、事を荒立て周囲に嫌味を言いみんなで気分を害しても、これまでの結果はどこかで自分が折れるケースが多かった。そうなると、自分は基本的に我を通しきれない人間であることが分かり、結果的に折れるなら、誰にも嫌な思いをさせることはないだろうという境地になってしまったのである。自分がフィリピン人家族を教育するつもりが、どうやら自分が教育されてしまったようだ。
 ここで教育という言葉を使ったのは、これも決して皮肉ではない。自分のこの変わりようは、とてもよい方向に向かった変化だと自分で思っているからである。このことは、今のマレーシアの仕事でも大いに役立っている。マレーシア人にも約束事で頻繁に裏切られるが、それに対して僕はほとんど腹が立たなくなった。逆に、すぐにマレーシア人の気質に文句を言い、それを仕事が上手に進まない言い訳としている人の言動が気になるようになっている。またはその言い訳を最初から並び立て、自分が動かないことの責任逃れをしようとしていることも目についてしまう。結果が全てだと言う人ほど、その傾向が強いようにも思えている。本当に結果を出そうとする人は、物事を上手に進めるために自分を含めどうすればよいかを真っ先に考えて言動を決めている。これは仕事のことだけではなく、私生活でも同じだ。文句ばかりを言う人というのは、それで事態悪化の憂さを晴らし、自分の無能さを誤魔化そうとしているように見えてしまうのだ。物事が思ったように進まないことに対しただの文句を垂れ流す人と、厳しさを持ちながらも善処する人の基本的な違いも、僕にははっきりと見えるようになった。これらは自分の周囲のフィリピンに係わる友人たちが、フィリピン人にどう対応しているかを見て学んだことである。長くフィリピンで幸せに暮らしている人たちは、表面的な厳しさとは別に、そのような賢さを一様に身につけている。僕もそのような友人の態度や考え方を見せてもらいながら進行する自分のフィリピン家族による実地研修のおかげで、少しは賢い人になれたのではないだろうか。

 台風の件でも分かるように、フィリピン人というのは日本人以上にいがみ合うことを嫌う、心根の優しい民族だ。そしてどこか抜けている。優しさだけでは人間うまく生き抜いていけないことは重々承知するが、どこか抜けているところにクスッと笑える余裕が、自分を少し賢くさせてくれるような気がしている。
 そんなフィリピン人の中に入り込んだ日本人が日本人を振りかざせば、それはまさに台風と同じでフィリピン人は身構え恐恐となる。それが続けばフィリピン人には大変なストレスになるだろう。耐ストレス性が極端に低いフィリピン人にとって、それはとても苦しいはずである。そんなストレスを敢えて与えずとも、物事を上手に進める手立てはいくらでもあるはずである。重複するが、そのこととフィリピン人を甘やかしてダメにすることは違うのだ。厳しさは必要だが、その厳しさをどのように発揮するかが腕の見せ所ということになる。
 腕の見せ所の現実は難しいが、フィリピンに長く上手に溶け込んでいる人たちは、これを理屈ではなく体得している。そのような人たちも、自らの経験から学習してきたのかもしれない。
 その賢さにあやかりたいと思いながら、無事に台風をやり過ごした連絡くらいくれてもいいじゃないかと言い、その抜けた部分と驚異の台風さえイベントにしてしまうフィリピンを、「らしいよね」と面白く感じてしまう今の自分がいる。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:707.台風一過
2013年10月23日

706.「アイラブユー」の意味

 マレーシアで取り組んでいる仕事は基本設計が完了し、現在最初の試作段階となっている。よって先週から今週にかけ、連日サプライヤーで現物確認を行っている。サプライヤーの工場は住まいから車で一時間ほどの場所にあるため、仕事が七時に終わってさえ、それから食事をとり家に帰ってくると早くて九時。もっと遅くなる日も増えており、少し疲れながらも水を得た魚のようになっている自分に気付く。
 そして昨日から二日〜三日間、サプライヤーに泊まり込みになっている。カスタマーの非情なサンプル要求に応えるため、現在最後の詰めに入っているのだ。今回は三十数点の金型起工となりながら、カスタマーの金型GOが出てから僅か二十五日での初回成型品確認となった。カスタマーへの出荷はプラス十五日(金型修正・組立・検査・技術検討)で、金型スタートからほんの四十日で完成品の出荷(あくまでもテストサンプル用)となる見通しだ。通常は九十日と言っても通用するのだから、サプライヤーにとっても非常に辛い仕事になったはずである。よって金型設計に際し、こちらも二十四時間体制で対応した。土日も夜もなく、金型サイドの質問やリクエストに即座に検討し回答してきた。そのくらいでやらなければ、この納期には絶対に対応できない。普段マレーシアで仕事をしている日本人や現地の設計及び資材の方々はこの仕事の速度に驚嘆しているが、かつての日本でも似たようなことはあった。マレーシア人でも同じ人間なら、シチュエーションが違っても日本と同じようなことができるということである。クライアントがこちらに望んでいた一つは、現地の設計者を含む従業員にこのような刺激を与えることで、その意味ではどうにか一つの結果を残せそうである。
 最後の詰めは残っているが、十一月初旬のサンプル出荷を終えれば、次のステージは来年となる。それまで各種試験を実施し、その結果で設計改良を加えることになる。同時に金型の微調整もこの期間で行うので完全フリーにはならないが、少しは息をつく時間が取れそうだ。
 この段階でクライアントである現在の会社に全てを引き継ぐか、それともこのままこちらが継続か、そこはクライアントの予算次第となっている。実際には来年の七月までの継続依頼を頂いているが、現在予算の調整中だ。お金の折り合いがつかなければ、僕は現在のクライアントの元をすぐにでも去りたい意向を、既に先方に伝えている。

 僕はこの仕事から受けるストレスのせいか、ここ一か月ほど右肩から腕にかけて問題を抱えている。腕全体や掌に痛みや痺れがあり、時々パソコンのキーを打つのも辛いのだ。数年前、中国に長期出張している時にも同様の症状があり、当時現地の大学病院、針治療、マッサージと、考えられる場所を全て回り原因追究や治療を試みたが、結果はまるでだめだった。その後日本で検査を受けても身体に異常が発見されず、そのうち自然治癒したものである。今回の症状はそれと全く同じで、僕は再発だと思っている。
 痺れは神経圧迫ではないかと思われるが、どの部分がなぜそうなるのかは僕自身にもさっぱり分からない。前回は精密検査の結果も踏まえ、痺れが脳の異常によるものとは考えにくいという結論がでている。その根拠の一つに、右足の痺れがないことが挙げられていた。今回も右足にその症状はなく、腕のみとなっている。
 しばらくこの痛みの原因を考え、一つ思いついたことがあった。中国出張時の食事は、連日のように油を多く含む料理となり、しかも毎日大勢で食事をするため過食ぎみだった。そしてこのマレーシアでも同様の傾向がある。よってどこかの血管が詰まり気味になっていないか、そのせいで血管が太り神経を圧迫している可能性もあるのではないか。そんな仮説を立ててから、食生活を変える努力をしている。できるだけ生野菜を取り暴食を控える。つまり食事の量を減らしている。そうしてから二週間、最近は症状が緩和する方向に向かっている気がしている。たまたま前回と同じような自然治癒の段階に入っているのかもしれないが、最近は少し調子がよい。

 自分の勘によれば、この腕に痛みはフィリピンに帰るとすぐに消滅すると思われる。前回も中国から日本に帰った途端、症状が快方に向かった。当時は中国とフィリピンへの出張が半々だったが、フィリピン出張中にこの症状が出たことは一度もなかった。当時フィリピン出張中は、仕事が終わっても日本へ帰りたくないと思っていたが、中国出張時は現地で一週間も経過すると、日本に帰りたくてたまらなくなった。そして現在も、フィリピンに帰りたくてたまらない。
 それらを整理すると、腕の痛みの原因が精神的ストレスやホームシックという説も捨てがたい。
 人間の身体は精神状態に左右される。若い頃はそのようなことをまるで信じられなかったが、今ではすっかりそうだと信じている。それだけ身体に支障をきたすストレスを、ここ十年経験してきたからだ。よって自分で気付けないストレスが、今の生活のどこかに潜んでいる可能性を否定できない。もしくはストレス耐性が、身体の老化と共に落ちているのかもしれない。

 フィリピンでは、モナも同時にストレスを抱えている。モナは今回三度目の妊娠だが、よく考えればその三度とも、子供の父親が傍で彼女を支えることができていない。ベルやユリの時にそうだったが、今回またしても同じ状況になっている。結婚して同居したのだから、次こそはお腹の中の子供に声をかけてあげるような身近なサポートが可能と思っていたのに、結果はご覧の通りだ。そのことにモナがことさら不満を述べているわけではないが、僕にとっては申し訳ないことだと思っている。
 お腹の中にいる子供は男の子のせいか、これまでよりも元気に手足をばたつかせ、それが結構痛いらしい。夜中にそれに起こされた彼女は、時間が何時であっても、僕にその状況をチャットメッセージで送ってくる。そして僕は、そのメッセージの着信音で目が覚めることがある。つまりフィリピンのまだ生まれていない子供がモナのお腹の中であばれると、マレーシアにいる僕が起こされるということだ。こんなことを通して考えると、随分ボーダレスな世の中になったし、国境を隔てた国同士でさえ遠くても近いなと感じてしまうが、肌を触れ合うことのできない距離の存在は現実に大きい。その意味でインターネットは所詮バーチャルだが、そのおかげで格段に便利になっていることは確かである。
 
 以前はモナが、いつも会いたいと言って僕を困らせたが、最近はユリのそれが激しく、モナがそれに困惑している。インターネットは便利でも、そこにはどうしても埋められない溝が確実に存在するということだ。
 ユリは、空に飛行機を見つけては、あれにパパが乗っている? 私もあれに乗ってパパのところに行きたいと言うそうだ。それだけでなく、毎朝毎晩、同じことを言うらしい。時には涙を流して会いたい、一緒に遊びたいと訴えるユリの姿に、モナは不思議だと思っている。
 時々本気でユリを叱る僕を彼女は怖いと思っているはずなのに、ユリはなぜそこまで僕に会いたくなるのか? 一緒に遊びたいと言うけれど、あなたはいつもユリと、何をして遊んでたっけ? あなたのユリに会いたいという気持ちが、テレパシーで彼女に伝わっているのか?
 愛情があるから本気で叱ること、叱っても本物の愛情は子供に伝わるということを、モナはユリの態度を通し理解し始めている。

 だから僕は、人間が、人の表面的な態度の裏にある気持ちを嗅ぎ取る能力を備えていると思うのだ。厳しい態度の裏に本物の愛情があるかどうか、そして優しく見える態度の裏に冷徹な考えや感情があるかどうかのことである。人はそれとなくそれを感じてしまうため、他者の態度の裏に愛情を感じなければ人は、それがその人の単なる理性に依存しているものだと理解する。
 同時に人は、愛情による態度は普遍だが、理性による態度は人によって変わるし、同じ人でも条件や環境によって変化するということを無意識に知っている。よって人は、人の愛情を信じられるが、理性を信じ切るのは難しい。だから心配になる時は特に、必死に相手の愛情を確認するようにそれを求めてしまう。フィリピーナとのアイラブユーの交換は、まさにその一環なのかもしれない。あれは無意識に、自分の気持ちの安定を目的としているものなのだ。
 人間は、自分に対する愛を感じればストレスは軽減する。アイラブユーと言い合うことは、ストレスに弱いフィリピーナにとってとても重要なのだろう。しかし言葉だけのアイラブユーは、相手が何人であろうと見抜かれる。言葉の裏に本物の愛情がなければ、その言葉はいずれ、とても虚しい合言葉になってしまうのである。



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