フィリピーナと共に
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2011年05月04日

213.フィリピンペース

マニラ出張の準備をするついでに、日本から持ってきたスーツケースの中身も整理した。
細かなものをあちらこちらに収納するのに動き回り、それだけで汗だくとなる。
こんな時、ユリがちょこまかと付きまとい、珍しいものを見つけてはいじり出すから大変だ。

・・・で、どうすればよいか、僕にも経験則でわかるようになってきている。
音楽を流せばユリは、泣いていても何かに夢中になっていても、まるでスイッチを押された機械のように踊り出すから、その隙に片づけを進めれば良い。
案の定音楽開始と同時に、ユリはそれまでのことをピタリと止めて体を上下左右にゆすり、あたまを縦ノリよろしく上下に振りながらダンスを始める。
しかし音楽を止めればダンスも止まり、それまでやっていたことを再び継続し、また音楽を流すと悲しいかな、どうしてもユリの体は動き出す。まるでパブロフの犬状態。
あまりに面白いので、僕はそれを何度も繰り返す。
ふと出張準備をそっちのけで音楽の入り切りをしている自分に気付き、さて、なんでこんなことをしているのかと音楽を流し始めた当初の目的を思い出し、肝心の準備が全く進んでいない自分のあほさ加減にため息をつく。

とりあえず一息つくかと、コーヒーとタバコを持ってベランダに出た。
今日は家の中より外が涼しい。
豊かな自然に囲まれていることを実感しながらのコーヒーとタバコタイムは、これまた格別である。
凄まじいほどの太陽エネルギーを大地が受け止め、その恵みと抱負な雨を吸収し十分肥えた土壌に、これでもかと育つ草木がジャングルのごとく覆いかぶさるフィリピン。
青々とした、南国を象徴する草木を眺めながら、まるで心が洗われる思いで、あ〜、何て素晴らしいところなのだ・・・・
などと感慨にふけっている場合ではないことに、再び気付く。出発時間はもうすぐだ。
フィリピンにいると、どうしてもフィリピンのペースになってしまう。

部屋に戻ればユリはクリーブの中で眠ってしまったようだ。
子供の寝顔というものは、いくら見ても見飽きない。まるで時間を忘れてしまう。
起きると大変なのはわかっていても、ついつい頬を指でツンツンとつついたりしたくなる。
それでユリが動き出すと、どきりとして出した指をさっと引っ込めるが、またすやすやと眠り出すと、ついいじりたくなる。起きて欲しくはないが起きて欲しい・・・この感情は一体なんなのか・・・不思議だ・・・
などと考えている場合ではなかった。
三度目の正直で、ようやく出張準備を整えた。

その直後に外に出かけたモナが帰ってきて、「まだシャワーしてないのか?」という小言を直撃。
いやいや、僕もフィリピン人のように、せかせかするのは止めたんだよ。これも中々いいねぇ、人間はこうして生きるのが正解かもなぁ・・・と、心の中で反論してみる。

それでは早速仰せの通り、シャワーでもするかとバスルームに入り、素っ裸で蛇口をひょいっとあげると水が出ない・・(あら??・・・絶句)
「お〜い、水がでないよ。あ〜、これだからフィリピンは・・・」と言いたくなるが、その言葉と裏腹な妙に寛容な気分で、「まあこれもありかな」などと思えるから不思議である。

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2011年05月03日

212.両親への報告

イースターサンデーの海で焼けた背中や腕の皮がむける。
ぱりぱりと音を立ててむけると気持ちが良く、僕は病的ともいえる集中力で、いつの間にか必死に背中に手を伸ばし皮むきに夢中になっている。
楽に手が届く範囲が終了すると、いよいよ硬い体を必死によじり背中に自分の手を伸ばすが、その時無理に背中にまわす腕よりも、むしろ横目で必死に自分の背中を見ようとする目玉の方が疲れてくる。
見かねたモナがそれを手伝ってくれるが、ユリがそれを見て、放っておくはずがない。
すかさず寄ってきて皮むきを手伝ってくれるが、ユリの場合つまむのは皮ではなく肉だから痛い。

痛いけれども妻子で日焼けの皮むきをしてくれるなど、なんて平和なのだとしみじみ思う。
日本で一人、本を読む休日もそれなりに有意義だが、一人暮らしにはいつも殺伐した寂寥感が付きまとう。
家族は、いつも一緒であれば普段吸っている空気のように有難味を感じないが、僕のように度々一人暮らしをしているとそれを思い出す機会がふんだんにあるので、その有難味を素直に実感する。
日本の田舎の母からは、その幸せを大切にしなさいと言われている。

今回フィリピンに帰る前日が、母の誕生日だった。
普段親不幸をしている僕は、せめて気持ちだけでもと思い、少々の小遣いと、母が長年使ってきた携帯の調子が悪いというので、僕が使用していたまだ新しい機種を日本語の大きな文字設定にして、写真入り取り扱い説明書を作成し宅急便で送付した。
併せて現在のフィリピンの生活を報告するミニブック(30ページほど)を急遽作成し、レーザープリンターで印刷し同梱した。
そのミニブックは、主にユリの成長を写真でつづったものであるが、モナやベル、そしてタバコシティーの風景、住んでいる場所、家、フィリピンの家族の写真も載せた。

田舎の両親には、モナとの結婚やフィリピンで暮らすことは、色々な事情のもと事後報告のかたちになっていたが、僕の両親はまだモナと会っておらず、ユリの写真も見ていない。そしてベルのことは報告できずにいた。

ベルの説明を間違うと、両親に要らぬ先入観を与えてしまうかもしれないことを危惧し、それをこれまで言い出せなかった。
そしてベルを抜きにした写真や手紙を送ったら、それは嘘の報告をするようで、結局自分たちの生活に関する報告をも積極的にできずにいた。
しかしいつまでも隠しているわけにはいかないから、どこかのタイミングで全てを報告する必要があったというわけである。

このような僕の考えのベースになっている感覚を、モナやモナの家族が理解できるかどうかわからず、また説明も難しく、僕の両親へ積極的にモナを紹介できずにいた理由もまた、フィリピンの家族に説明できずにいた。
どちらのサイドにも説明不足の状況となり、僕にとってこの件は、重苦しい鉛の塊を、体のどこかにぶら下げているようなものだった。

だから送付したミニブックの最初には、僕とベルが仲睦まじく写っている二人だけの写真を載せ、ベルはモナが学生時代、当時の恋人との間にできた子供であること、そして父親である恋人はモナの妊娠と同時に逃げ出し、モナは一人でベルを産んだこと、モナはベルのミルク代を稼ぐために日本に出稼ぎに来て、そこで僕とモナが日本のフィリピンパブで出会ったこと、その時まだ1歳のベルの写真を見せてもらったこと、その後のモナとの結婚に至った経緯、モナの両親へ結婚の許しを請うための訪比でモナの体の中にユリを授かったこと、心配しながらユリの出産に立ち会いばたばたと結婚の手続きをしたことなどを、順を追って正直に全て綴った。

母はそれを読んで、すかさず僕に電話を寄こした。
母は、ベルのことで少し驚いたことを僕に告げ、更に次のように言葉を続けた。
「男は責任を負って大きくなるのだから、精一杯責任を感じ、ベルとユリを立派に育てなさい。奥さんにもしっかりと責任を果たし、今の幸せを大切にしなさい。私はあなたが幸せなら、どんな選択も喜ばしく思いそれを歓迎する」と。

母はユリが僕の子供の頃にうり二つであることを喜び、モナ、ベル、ユリに会いたいから、できるだけ早い機会に、一度田舎の家に連れてきなさいとのことであった。

僕がフィリピーナと結婚をしたこと自体は、当然両親も知るところである。
だからフィリピンの民族性、国について、両親はその噂を色々と聞き及んでおり、心配するところも多々あったようだ。

両親のフィリピンに対する認識は、フィリピンに馴染みの薄い普通の人が持っているものと大差ない。
少額で人殺しを請け負うプロが暗躍する国、フィリピン人と結婚した日本人が相手の親族一同に食い物にされる国、治安の悪い国、政治家の汚職がはびこる国と、ネガティブなイメージが先行するものの、中には、女性ががんばる国、明るく朗らかな民族性の国など、ポジティブなイメージもあるようだった。

根がポジティブな母はそれらに対する僕の説明を聞きながら、「結局今の時代、どこで住み誰と一緒になろうと、危険な事を含め色々なことがあるのだけれどね」と、最後には笑い飛ばしていた。

母が遠慮気味に最後に言った心配事は、モナはまだ若いから、僕が飽きられてそのうち捨てられるのではないかということだった。
モナは全く逆の事を言っているのだから、何やら複雑な気分であったが、それに対して僕の口から「それは大丈夫」と自信たっぷりに言うのも妙なので、これには答えに窮し、母のその心配を払拭できなかったと思われる。
それでも心配することがそんなところに帰着するのは、僕として嬉しい限りであった。

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2011年05月02日

211.花嫁はフィリピーナ

4/30(土)は、朝からモナの友人の結婚式に参加した。
未明からの激しい雨の間隙をぬってバン(乗り合いタクシー)に乗り、途中トライシケルを乗りついてレガスピの教会まで行った。

家を出るまでが一苦労で、モナの着ていく服が決まらず、一度決まったかのように思っていたそれも、いざ出かける間際には、また違う服に替わっていたという有り様である。
ファッションショーを始めたモナに、いちいちこの服はどうかと感想を訊かれるが、僕にはそのような席にどのような服が相応しいのか判断できず、普段でも女性の洋服の善し悪しについて意見を述べるなど100年早いと言っても過言ではないほどその手のセンスに自信がないから、このような場合は「いいんじゃない」とか「問題ないと思う」という気のない返事でお茶を濁すことになる。

教会での結婚式は、延々と神父の話しが続き、参列者同士も世間話をあちらこちらで繰り広げるなど、全く厳粛な雰囲気もなく、暑さも手伝って僕はすぐに退屈極まりない状態に陥った。
教会では新婦の妹と隣り合わせで座ったが、その当事者親族でさえ結婚式の進行中にモナと無駄話をし、モナ越しに僕にも話しかけてくる始末で、あまりにカジュアルである。
そのカジュアルさに便乗し、僕は途中で教会を抜け出し、レガスピの教会周辺を散策などしていた。

退屈なセレモニーが終了すると、参列者は各自ジプニーやトライシケルでレセプション(披露宴)会場へと移動する。
レセプションは普通のレストランを借り切ってのものだが、会場へ入ると10人掛けの丸テーブルが15個は並んでいるから、それ相応の参加人数を想定したものであった。

既に料理が各テーブルの上に並んでいて、実は僕がこの結婚式に参加を決めたのは、この披露宴でお願いしているケータリングは美味しいことで有名だというモナの一言であったから、会場入りした直後、僕は卑しくも、まずその料理の数々をじっくりと観察していた。

そんな理由で参加して良いのかという僕の中の日本常識は、僕に同席して欲しいモナの「ノープロブレム」という言葉で打ち砕かれていたから、その事に関して僕はそれほど遠慮がなかったが、披露宴に参加する周囲の人も全く同様のようで、披露宴開始からみんなが遠慮なくその料理を自分の皿に取り分け、がんがん口に運び入れる。

確かに料理は美味しかったが、その晩からの腹痛は食い意地を張った天罰だったか、それともセレモニーの神父の言葉をないがしろにして散策などを決め込んでいた罰か、いずれにしても2日に渡る珍しい腹痛がそれと関連しているとしか思えないようなタイミングで訪れたから、場所柄はどうであれ卑しい行動は慎まなければと自戒するところであった。

肝心の披露宴は日本のそれとは違い、挨拶も乾杯もなく、スポンサー(花、他飾り付け、その他にお金を協力している人らしい)、セカンダリースポンサー(若いカップルばかりで役割は不明)、そして結婚当事者二人の紹介と会場への入場イベントがあるだけで、宴が始まる。

花嫁が口の中にガムかキャンディーを含ませ、紹介される中で会場入りする際に口をもぐもぐ動かしていたのには驚いた。
日本ではあり得ないことだし、僕の感覚ではせっかくの純白ドレスが大なしになるほどみっともないように思えたのである。
もし僕が彼女の新郎であれば、無理やり口をこじ開けてでも中のものを取り出してそんな事は止めさせる。それが原因で、初の、しかも人前での夫婦喧嘩に発展しようとも・・である。
そうなったらそれはそれで、本人も参加者も一生忘れない最高の披露宴イベントになるではないかと、面白おかしくその様子などを想像しながら、一人心の中で笑っていた。

レセプションにお酒は出ず(ケースバイケースらしい)、参加者は各自料理を食べ、それが一段落つく頃に結婚をした二人が各テーブルを回り写真を撮ってハイ終わりという、短時間(1時間程度)の実にあっさりとしたものだった。
このあっさり感はとても好い。必要以上にそこで体を拘束されても疲れるばかりである。

各テーブルでの写真撮影が終わればそれで披露宴は終了らしく、誰の挨拶もなく、また余韻を楽しむということもなく食べ終わった人からさっさと会場を後にするという感じなので、食べ物目当てで来たかと思われる人が大勢いるが、紛れもなく僕もその一人で、その点では僕もその他大勢の人と完全に同化できていたようである。

披露宴終了間際の当事者二人が各テーブルを回る写真撮影では、新婦が主導権を握り、新郎にあっちだこっちだと指図し腕を引っ張り、ところどころで新婦の顔に「ちょっと、しっかりしてよ、あんた」といった眉根に皺を寄せる表情と口の動きを垣間見せながら、カメラに撮られるすぐ次の瞬間にはまるで仮面をすりかえるごとく、この上ない優しい笑顔を作り新郎の肩にもたれかかるそぶりで、この夫婦の先行きが見えたような気がした。

披露宴会場入場の際、仮に新郎が、花嫁の口に含んでいるもののことで文句を言ったら、これは間違いなく喧嘩になっていただろうし、その様子では気になったとしても、新郎はちょっとやそっとでは口に出せないだろうことがうかがわれる。
それでも女性天下が家庭円満の秘訣であるならば大いに結構と、僕は他人事であるが故に余裕でその様子を眺めていた。
ついでに、それがこの先もずっと、しかももっと露骨に続き、またそれがフィリピンで一般的な夫婦のあり方だとなれば、フィリピン男性が単に浮気症だというのは僕の分析不足で、それにはそれなりの原因や理由があるのかもしれないなどと、全く余計な連想も湧きたってくるのだった。

あっぱれなフィリピーナの一面を覗かせていただいたことで、図々しくもセレモニーとレセプションに参加させていただいた甲斐が見いだせたというものである。

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