フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます

フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年03月12日

195.大地震

いやぁ、すごい地震だった。もっと大きな地震は体験したことがあるが、これほど長く続くものは初めてだった。
僕はお客さんのオフィスで、お客さんと二人、あるデバイスの検討をしていたのだけれど、思わず二人で机の下に潜り込んだ。

地震発生から10分後くらいに、モナから携帯に電話が入った。こちらからはどこにかけても繋がらないのに、なぜか海外からの電話は繋がるようである。
PCを良く見れば、早々にフィリピンに流れた日本の地震情報をモナが察知し、大丈夫か、心配しているとのメッセージが入っていた。なかなか情報が早いなぁと感心しながら、無事であることを返信した。
お客と二人で机の下に潜り込んだことを教えると、そうなの?それで安全なの?その姿は想像できないなぁという話が返ってきた。そんな地震を体験したこともなければ、そんな身の守り方を教える必要のないフィリピンで育ったモナには、机の下に避難するということがピンとこないらしい。

そのお客さんのオフィスというは、川崎市であるが、川崎といってもほとんど多摩に近い田舎である。
電車は止まり、動きそうな気配もないし、そのうちJRが終日運行見合わせを発表したため、思わずPCから会社に連絡を入れ、救出作戦を発動してもらうように依頼した。
何せその駅周辺は、ホテルも食事をする場所も何もない。陽が落ちてから、冷え込みも厳しくなってきた。体が冷え過ぎて言う事を聞かなくなってきている。このままでは凍死してしまいそうだ。面倒をかけて悪いと思いながらも、背に腹は代えられない状況になりつつあった。

幸いにも救出作戦はすぐに始動した。車でこちらへ向かうとのことで、ファミレスか何か、目印になる場所へ避難されたしとの伝令がPCへ届く。携帯が全く繋がらないので、こんな時のインターネットは大変有り難い。
駅員に尋ねると、15分ほど歩いたところにファミレスがあるとの情報を得たので、すぐさま移動した。

ひとまず暖かい場所を確保し、お腹と背中がくっつきそうなほどの空腹をリカバリーしていると、モナから情報が入った。
フィリピンでも津波を警戒していたらしいが、夜の8時30頃(日本時間)、フィリピンの北部に、日本の地震による津波の第一波が到着したそうだ。
地震発生から6時間ほどしか経過していない。よくよく考えれば、それって飛行機並みの速度ではないか。思わず津波が時速800Kmで移動している姿を想像してみるが、あまりピンとこない。その津波の上でサーフボードを操れば、6時間でフィリピンに到達できる可能性もある?・・・と、そんなことも想像してみるが、やはり無理があるか・・。

フィリピンのジャマイカの自宅は高台にあるので、津波の心配は皆無である。聞けば海に近い場所の人たちは、ほとんどが高台に避難したそうだ。よって多くの親戚がジャマイカの自宅へ押し寄せ、今日の夜は大所帯でたいそう賑わっているらしい。一応は津波からの避難というシリアスな行動であるが、気が付けばパーティーもどきの楽しい集いになっている可能性もあるのがフィリピンだ。

救援隊がファミレスに到着したのは、連絡をしてから2時間後。途中の町田は停電で、信号機が止まっているから、道路は大混雑しているとの話しであったが、確かに帰り道も普段の3倍の時間を要した。
それでも日付が変わる前に、アパートに辿り着き、ようやくコーヒーを飲みながらくつろぐことができている。

それにしても余震がすごい。この記事を書いている現在も、時々グラグラと揺れている。
震源地がころころ変わり、連鎖反応が起きているようだ。
この連鎖反応、兼ねてから専門家の間で予告されていた。特に東海大地震が発生したら、連鎖で大きな地震が3つ続けて発生すると言われていた。今回の地震は、どうもその気があるので、向こう一週間は警戒が必要となりそうである。
何か嫌な悪寒が体を巡る。一日も早く日本を脱出したいものだ。

↓宜しければどうかポチっと m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 00:50
Comment(6) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:195.大地震
2011年03月09日

194.心の変遷

最近、我が妻モナとの馴れ初めを聞かれることが多い。その度に一瞬答えに躊躇するのだが、結局は正直に日本のPPで知り合ったと伝える。フィリピンに関わりの少ない人は、この馴れ初めに驚くようだ。聞いてはならないことを聞いてしまったような反応を示す人もいる。
それでもフィリピーナとの結婚に至る経緯に、興味を示す人は多い。相手によっては、僕は自分の心の変遷も含めて、その興味にあえて応えるようにしている。

当時モナは、ファーストタイマーのタレントだった。年齢は若干21歳。女性というよりは、あどけなさが残る女の子という感じだった。
詳細は過去にも書いているので省略するが、当時モナは、本人いわく僕に一目ぼれ状態で、それがあからさまにわかる態度で僕に接してきた。最初は商売上の作戦かとも思えたが、僕にも次第にそうではないとわかるようになった。

彼女は当時、ミニスカートが良く似合う、目のぱっちりとした可愛い子だった。人目を引くその容姿は一見派手にも見えたが、話してみれば素直で、純粋で純朴な女性に思えた。
後で分かったことは、ファーストタイマーとしてそのお店に入り間もなく、彼女はあっという間に店のNo1になったそうで、モナのファンは多かったようだ。中には熱烈に求愛してくる客もおり、何年にも渡りその念願を果たそうとがんばった男性もいたくらいである。

しかし不思議と僕は、そんな彼女に積極的に迫られても、決してのめり込むことはなかった。嫌いではなかったが、常に会いたいという情熱的な愛を持って彼女に接したわけではなく、お店に行くのも気が向いた時だけであった。その理由は、おそらく彼女が若すぎたため、恋愛の対象として考えられなかったからだと思われる。
当時のタレントというのは、店の管理が厳しく、自由に外にでることもままならない状態であったから、そんな僕の態度に、モナはフラストレーションを感じていたはずである。

モナと恋人関係になってからも、僕の態度に大きな変化はなかった。結婚する間際でさえ、確かな愛情はあるのだが、情熱的に彼女を愛しているという気持ちは希薄だったと思われる。自分自身それは不思議であった。

客観的に見て、彼女は自分の結婚相手として十分相性の良い女性であることは良くわかっていた。しかし僕は、そんな客観的な分析結果から、彼女との結婚を決めた節がある。
まるで他人事のように書いているが、実は自分自身で、自分のことが本当に良くわからなかったのである。
ただ、そのような状況で結婚に踏み切って良いのかどうか、当時の僕は大きな不安を抱いたこともあった。だから彼女との結婚を決めるまでには、相当な時間を要した。

モナはそのような僕の微妙な気持ちを、敏感に感じ取っていたようだ。僕の彼女に対する「愛」というものに、彼女は常に半信半疑でいたし、僕にも、彼女がそのような受け止め方をしていることが良くわかっていた。それでも彼女は、僕と結婚することにこだわり、結婚してから浮気をしてもいい、最後に自分に戻ってくるのだったら、全てを許すとまで話していた。
そのような彼女の自分に対する愛は、自分にプレッシャーを与える程大きく、それだけ愛されるのは幸せだということを十分わかっていたし、その気持ちに本気で応えたいと思っていたが、「愛」は努力で芽生えるものではないことに歯がゆさを感じていた。

それでもその後横浜で過ごした時間は、僕の気持ちに微妙な変化をもたらした。あの時間が無ければ、二人の結婚はなかったのかもしれない。モナが非常手段を使い、僕に会うために日本に来た時のことである。
その頃の荒んだ僕の生活と心に、オアシスのような安らぎを与えてくれたモナの存在は、とても大きかった。それでも尚、僕の心は揺れ動いていた。彼女に対しては一片の不満もないはずなのに、なぜこの期に及んで揺れ動くのか全く自分で分からず、そんな自分の気持ちがモナへ伝わることも恐れていた。彼女には、そのようなことで心労をかけたくないと思っていた。そのような優しい気持ちになれることが愛なのか、それともそうではないのか、悩んだ時期もあった。

モナはそんな僕の気持ちを感じとり、未だにリンのことが忘れられないのだろうと考えていたし、それを口にも出していた。
口に出すと言っても、決して責め口調ではなかった。人の気持ちというものは自然なもので、努力で変えられるものではないから、そうであっても仕方がないと思っているという言い方だった。
僕はそのように言われ、断じてそれは違うと反論した。モナを慰めるために言った言葉ではなく、僕の中でリンとのことは、本当にふっ切れたことであった。リンに対する想いは少なからず残っていたとしても、それは愛ではなく、どちらかといえば友情に近いものであり、モナに対する感情はそれよりもはるかに愛と呼べるものだった。

そのような経緯の中で、結局僕はモナと結婚した。(正式な結婚は、ユリが産まれる直前)
モナはすぐにユリを身ごもり、僕は妊娠中のモナの体を心の底から心配した。勿論彼女の生活に対しても大きな責任を感じ、少なくともお金に関しては心配をかけないよう、いつも配慮していた。

日本での仕事が忙しく、お腹がどんどん大きくなるモナの傍らにいてあげることができずに、早くフィリピンに行かなければと焦りさえ覚え、必死に仕事を終えようと頑張っていた。
それは義務感でなく、明らかにそうしたい、そうしてあげたいという、正真正銘、自分の内から湧き起こる気持ちであった。

ユリが産まれてからも、相変わらず僕は日本で仕事をする機会が多く、普通の夫婦のように、モナと常に一緒にいられるわけではなかったが、それでもフィリピンに帰れば、24時間密着するように、二人で日々を過ごした。その二人の間には、常にベルとユリもいた。
僕は、目に見えるほどの大きな愛情でユリに接するモナに、いつしか強い感謝と尊敬の念を抱いていることに気付いた。
いや、モナがユリを産んだ直後のモナの凄惨な姿を目の前にして、これほどの目にあっても頑張って僕の子供を産んでくれたことに、大きな感謝の気持ちを抱いていた。僕は麻酔と疲労で眠っているモナの傍らに付き添い、その時に自然に感謝の言葉を発していたことを忘れられない。
もしかしたらその時から、僕の心の中に何か変化が現れたような気もする。

更に気が付けば、僕はいつしか、モナに対して言う「I Love You」という言葉を、挨拶代わりではなく、心から言えるようになっていた。日本の滞在が長くなると、早くフィリピンに帰り、モナに会いたいとも思うようになっていた。
もはやそうなってから、僕は自分の心の変遷というものを、はっきりと自覚するようになっていた。

思えば不思議である。結婚までは情熱的な愛情を自覚できずにいたはずなのに、結婚をして、子供が生まれ、時間が経過するごとに、僕の中でモナに対する愛がじわりと深まっているのである。勿論ベルとユリに対しても、深い愛情を感じている。

モナは女性特有の敏感さで、このような僕の変化をしっかりと見抜いていた。
ある時彼女は、「あなたは変わった、今はあなたの愛を信じることができる」と、唐突に話したのである。こうなると言葉は何も意味をなさないと思い知らされる。家族に対して責任を果たし、愛を示す言葉を口から吐き出したとしても、本物の愛が伴っているかそうでないか、そのようなことはしっかりとお見通しということである。
自分の中でじわじわと育つモナへの愛に、僕は以前抱いていた不安と裏腹の、妙な満足感と幸せ感を抱いている。

巷では、女は子供を産むと変わると言われる。しかしモナは、母親としての一面を当然持っているが、女や妻としての部分は子供を産んでからも、以前と全く変わらない。とりわけ強くなったところが目立つわけではなく、僕に対しての気持ちや態度は、ユリを産む前と寸分変わらぬように思える。
これはモナに限らず、フィリピーナ全般に言える傾向かもわからない。なにせフィリピンでは、年をとっても夫婦間のやり取りはまるで恋人同士のように熱いものがあるからである。特に女性はいつまで経っても夫の動向を、まるで恋人時代か新婚当初のように心配している。時には街ですれ違う美人に、ほんの少し視線を奪われただけで、妻からちくりと釘を刺される。

そのような激しさを秘めたフィリピーナ・モナの愛に、僕は今、この先もずっとしっかり応えていけるのではないかという気がしている。それが自分の心の安定感に繋がり、幸せ感をも伴っているのである。

前回の記事で、サラマさんと出会ったと書いた。そのサラマさんから、そのような縛られほどの愛を貰えることは幸せの極みで、それを鬱陶しいと思うのではなく、楽しむことが肝要だという意味の言葉を頂いた。これには全く同感であった。

なぜ突然このようなことを書いたのか。
以前から僕は、自分の心の変遷を書いておきたいと思っていた。それを唐突に実行へと移したのは、おそらく昨日の記事で書いた、各氏との出会いに刺激されたからだろう。
読者の方にはこの内容を、僕の独り言として軽く流して頂きたい。
この内容は、普段自分の心の中を口にしない僕が、心の内を伝えたいという願望を形にしたものである。勿論伝えたいのは、我が妻であるモナに他ならない。

↓宜しければどうかポチっと m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン




posted at 22:42
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:194.心の変遷

193.素晴らしい人たち

久しぶりにPPに行った。群青さんの根城PP・・群青さん風に言えば、場末のPPということだったが、いやいや立派なPPである。
到着前に群青さんは、お化け屋敷だけど驚くなと言うが、実際にはそんなことはない。20代の若い子もいる。
話をすれば皆さんは個性的で、会話でしっかりとお客の心をほぐすことができるフィリピーナばかり。日本が長いとは言え、天性の素質は錆つくことなく、そこでいかんなく発揮されているようだった。

御一緒したのは、群青さん、yoshikiさん、サラマさん。このメンバーの組み合わせは一体何?それは誰?・・と思う方もいるだろう。皆さん、知る人ぞ知るアメーバでフィリピン関係ブログを展開するブロガーさんたち。唯一アメーバでないのは僕一人だけ。それでもお誘いして頂けるのは嬉しい限りだ。
今回は特にyoshikiさんのリクエストにより、群青さんがyoshikiさんと僕の初顔合わせをセッティングしてくれたという経緯だった。

フィリピン居酒屋という不思議なネーミング(最初はフィリピン居酒屋ってなに?って思っていた)の場所で、群青さん、yoshikiさんと落合い飲みながら話していたが、そこへサラマさん夫妻が登場。お名前だけは存じ上げていたが、お顔を拝見したのは初めて。それでも奥さまを見た瞬間、ブログで拝見した方だとすぐに分かった。早速群青さんがサラマさんに、僕とyoshikiさんを紹介してくれた。

紹介して頂いた瞬間、サラマさんは目を大きく見開いて、「あ〜!」だったか「え〜!」だったか、とにかく驚いてくれた。驚いてくれたという表現が変であれば、とにかく意表を突かれたという感じが瞬時に伝わってくるリアクションで、その雰囲気が印象的だった。なぜ印象的かと言えば、以前ある方に、サラマさんという方は他人に対する気遣いが大変な方で、またムードメーカーだから周囲に人が集まるというお噂を聞いていたのだが、そこから抱いていた僕のサラマさんに対するイメージと、サラマさんの実際が、そのリアクションで瞬時に直結したからだった。
しばらくサラマさんは、奥さまの職場の仲間である大勢のフィリピーナに囲まれ、男性一人、奮闘していたが、さすがにお疲れになったのか、僕たちのテーブルに身を寄せてきた。そこで少しお話をさせて頂いたが、その間僕は、サラマさんの御顔の表情があまりにも豊かで、そこから目を離すことができなくなっていた。しばらく御一緒して、あ〜、この人は何か自分と同じ匂いがすると、親近感さえ覚えていた。
そう、人間は、心を許せるかどうか、それを無意識に匂いでかぎわけ判断している。理屈ではないこの匂いというものを、僕は結構大切にしている。(僕が同じ匂いを感じるといって、相手が同じ想いを抱くかどうか、それは分からないのだが・・。)

群青さんとも旧知の仲という訳ではない。突然会いませんかという連絡を頂き、早速のこのこと群青さんの地元に出かけたのが2週間前であった。
早めの時間に指定駅についた僕は、駅近くのドトールで時間つぶしをしていた。コーヒーを飲みながら、僕は早速パソコンで群青さんへ、少し時間は早いが、約束の駅近くに到着した旨を連絡した。次の瞬間左奥の壁際の席を見ると、フィリピーナと話しているおじさまがいる。この界隈はフィリピーナが多いのだろうかと思っていた。
そのおじさまは声に張りがあり、会話が店中に響き渡っている。そのうち、「僕がこれから会う人はね、ビコールに住んでいるんだよ。奥さんがフィリピーナでね・・」という話が、僕の耳を突いた。あれ?それって僕のこと?もしかして、あのおじさまが群青さん???
僕は早速開いていたパソコンで、「もしかしたら今、フィリピーナと一緒にコーヒーショップにいませんか?もしそうだったら、僕は目の前で、パソコンを広げております。声をかけて良いシチュエーションかどうか判断できませんので、とりあえずメールにて連絡いたしました」と、群青さんの携帯へ突撃電文を入れた。
もしそのおじさまが群青さんであれば、きっと面白いリアクションがあるはずだと期待していたら、早速期待通り、おじさまは突然席を立ち、僕と違う方向にきょろきょろし始めた。
「あ〜、やっぱり」と僕は笑いを噛みしめ、群青さんの方を向いていると、ようやく群青さんと目が合った。
お互い「あ〜」という感じで、僕が群青さんの席に移動させてもらった。ブログの世界で想像していた群青さんは、失礼ながら御老体で気難しい方かと思っていたが、実際には気さくで若々しい御仁だった。やはりフィリピーナと関わりを持つ方は、外見や会話に艶がある。だから実際の年齢よりずっと若々しい。とにかく群青さんとの初顔合わせは、このようなイレギュラーな笑える形で成立した。
声の張りときっちりとした話し方から、確たるポリシーを持つ、明確な人であることが伺える。その辺りはブログから感じる印象通りの人である。

初めて会ったyoshikiさんも、これまた若い。僕と同じ年らしいが、とてもそうは見えない。お顔の肌の張りが、どうみても30代である。
僕は以前、ある女性に自分の本当の歳を教えた際、「うっそ〜、全然毛穴が開いていないじゃない」と、肌をじろじろと観察されたことがある。「そんなことはない、最近は大変なことばかりで、冷や汗で毛穴も瞳孔も開きっぱなしだ」と言い返したことがあるが、それ以来僕も、人の肌を良く見るようになってしまった。yoshikiさんの肌は、どう見ても30代である。そして笑顔の清々しさがやはり30代。変な話であるが、この人はモテルと直感した。
yoshikiさんのブログには、yoshikiさんが想いを寄せていたフィリピーナMちゃんとのことが綴られている。最近はアッシー君になっていることが書かれていて、その一連のブログ記事を読む限り、yoshikiさんはとにかく頼られる人である。僕はそれらを読んで、単に利用されているだけではないだろうかと、いらぬ心配をしていたのだが、yoshikiさんをこの目で実際に見て、そうではないと思い始めた。彼は、作った優しさではなく、滲み出る優しさを持つ、安心して頼れる人である。yoshikiさんのブログに登場するフィリピーナは、きっと親しみを持ってyoshikiさんに接しているに違いない。そう思わせる人である。
yoshikiさん、自分のブログのヒロインであるMちゃんの写真をさりげなく見せてくれた。これまた想像以上に若く、美しい人で驚いた。何も知らなければ、大きな子供がいるとは思えない。Mちゃんは人の心を惑わす美貌を持った罪な人であった(笑)。

フィリピン居酒屋でひとしきり話しをした後、4人でPPへと行くことになったのは、冒頭で書いた通りである。最大の目的は、群青さんのブログに登場するレンさんに会いに行くことだ。
2週間前に群青さんにお会いした時は、レンさんに会わずじまいだったので、今回は是非にということで実現した。勿論モナには、PPへ行くことをあらかじめ了解してもらっていた。
群青さんのブログで、レンさんは不二家のペコちゃんのようだという下りがあったが、そのおかげで、お店でレンさんを紹介される前から、この人がレンさんだとすぐに分かった。確かに彼女はペコちゃんの雰囲気を持っている。群青さん曰く、レンさんのことをブログに書いていることは本人には内緒とのことで、最初はボロを出さないように気を使った。
しかしそれも最初だけ。気が付けば久しぶりに我を忘れて楽しんでいた。カラオケも久しぶりだった。
そして3次会はyoshikiさんと二人、ファミリレスのジョナサンで朝まで語り合った。

群青さん、yoshikiさん、サラマさんと奥様、レンさんと、普段インターネットの世界だけで知り得て、そして想像を膨らませながら接している世界が、一挙に現実の世界へとなったことに、妙に不思議な感覚を覚えていた。
バーチャルな世界だから面白いと思っていたが、現実の世界でその人となりを知ると、まるで違う面白さがあることも分かった。

一つ強く感じることがある。実は2週間前に群青さんにお会いした時には、アメーバのブロガーであるkazuさんも一緒だった。kazuさんの奥様もフィリピーナである。サラマさん、kazuさん共に、奥さまを尊重し大事にしていることが、会話や態度から良く伝わってくる。共感できるものもたくさん持っている方であった。
これまで自分の周囲にいた日本人とフィリピーナの組み合わせは、不幸なパターンが多かった。全てではないが、どちらかというと、日本人男性がフィリピーナ奥さんをないがしろにし、傍目に心が痛む生活を強いられているフィリピーナが多かった。そんなケースを目の当たりにするたびに、日本人男性として悲しい気持ちになっていた。
しかしそこに集うメンバーは、全くその逆である。それぞれ形は異なるけれど、人を人として尊重し、敬愛し、対等に接している。当たり前のことを当たり前のこととして、自然に普通に実践している。
皆さん御一緒して安心感のある、なんとも素晴らしい方々である。

↓宜しければどうかポチっと m(__)m
人気ブログランキングへblogram投票ボタン



posted at 00:51
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:193.素晴らしい人たち

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。