フィリピーナと共に
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2011年01月02日

183.親バカ日誌

12月25日、久しぶりにジャマイカの自宅の敷居をまたいだ。
自宅はいろいろと変わっている。一階のリビング、階段、モナのキッチンが綺麗に仕上がり、リビングの奥には僕から家族へクリスマスプレゼントした、ママ念願の大きな円卓がどんと存在感を放っている。
よく中華料理店で見かける、センターテーブルがくるくると回るあれである。
立派な彫刻を施した木製の円卓は、日本で買えば普通のサラリーマンの半月分の給料は楽に飛んでしまうと思われる立派な物で、大人一人や二人では到底持ち上げることができない重量級だ。
リビングの端には、天井まで届きそうな大きなクリスマスツリーもある。
落ち着けるリビング空間が出来上がっている。

ユリは最初から僕のことを警戒している。誰かの後ろに隠れるように僕を見ている。
僕が手を差し伸べると体ごとそっぽを向き、僕の手を払いのけた。無理やり抱き上げてみると、大泣きしてモナへ救いを求める。完全に知らない怖いおじさん状態で、手なずけるにはかなりてこずることを予感させる。いくらスカイプで顔を見せていても、この時期の子供にそれは、ほとんど効果のないことが判明した。

ユリの成長ぶりには目を見張るものがある。
普通に歩き回るのは当たり前のようにできる。少々危なっかしいが、小走りもできる。
驚くのは、すぐに人真似をすることと、人の言葉を真似ること、そして言葉の理解だ。
話しかけた言葉をすぐに反復し、大体は一度で覚えてしまう。
言葉の理解は、命令口調で話しかけるとよくわかる。
ダンスと言えば体を上下左右に揺らし、腕の振りを付けながら踊るし、レイダウンと言えばねっ転がる。ゲットイットと言って指をさせば、それを拾い上げる。エンブレスと言えば人形を抱きしめ、キッスミーと言えば、唇を突き出して顔を近づけてくる。クロスアンドオープンと言えば、掌でグーパーを繰り返し、ありがとうと言えば頭をコクコクと上下に振りお礼をする。イヤイヤと言えば首を左右に振り、頂戴と言えば自分の持っている物を一応こちらへと差し出す。ただしこれは、くれるそぶりだけですぐにまたそれを自分の手中にキープする。
ワン、トゥー、スリー、フォーと声に出して、数を数えることができるのには驚いた。
クリーブの中で一本ずつ自分の足の指を、声を出して数えている。これは前に教えたらしい。ただし数はファイブまでだ。
物を数えるという概念はさすがに無いはずなので、一つの行動パターンとして覚えていると思われる。

ユリがまだ5カ月の頃、モナがアルファベットカードを買ってきて、それをユリの前で広げ、アップルのA、ドッグのDなどと教えていた。
僕はその時、まだ早すぎるだろうとモナに話したが、今こそそのカードを使い積極的に教えたら、もっと言葉を覚えるのではないかとモナに言うと、そのカードは今使っていないらしい。「なんで?」と訊くと、「だって食べるからよ〜」という言葉がモナから返ってきて、その本末転倒の返答に「なんだぁそりぁ」と苦笑した。

ご飯は、プラスティックのスプーンを使い、一人で食べることができる。本来13カ月の子供には、消化できるものとできないものを取捨選択して与えるそうだが、ユリには大人と同じものを与えている。それでもユリのお腹の調子に問題はないので、それを継続しているとのことだ。
飴でもチョコレートでも、食べ物に目が無いユリは、何でも一人で食べる。味をしめると、食べたいときには自分でそれらをストックしてある場所から持ち出して、あけてくれとお願いしてくる。

外へ出かける時に「ゲットユアシューズ」と言うと、ユリは自分で自分の靴を持ってくる。しかも自分でそれを履こうとするが、さすがに最後までそれを完遂できず、それは周囲の大人やベルが履かせることになる。しかし靴の意味はきちんと理解しているらしい。
シューズは普段、ある棚に置いてあるが、脱いだ靴を床に置いておくと、ユリは自分の靴を自分自身で棚の所定の位置に戻すこともできる。それも驚いたことの一つである。

日本にいる時には、モナのユリに関する報告に、親バカも大概にせいと一喝していたが、こうして間近でユリを見ていると、その報告が決して大げさなものでなかったことが良くわかる。
1歳と1か月で、このようになるものなのか。ほんの4か月間見ないうちに、完全に人へと成長したユリを見て、この時期長期で会えないブランクが如何に大きなものかを感じないわけにはいかなかった。

言葉や人真似などは、フィリピンの大家族の中で育つと覚えが早いのかと思ったが、モナに言わせればユリは、僕が感じるようにかなり早いそうだ。
物を覚えるということは、体験がなければ絶対に無理である。どうすればこのように覚えるものか不思議でならない。大体のことを一度だけで覚える吸収力の高さは確かであるが、脳の活性化が進んでいる今、それらは当たり前なのだろうか。それとも周囲の人間の、子供に対する接し方が良いのだろうか。

モナは早速、ユリは頭が良いと言い出しているが、それはまだわからない。ちなみにモナはベルのことも、ベルが小さい時にしきりに同じことを言っていたが、最近はベルの実力が分かってきたせいか、彼女はそれを言わなくなった。ユリの場合も全く同じケースになる可能性は高い。
そもそも、早い段階でいろいろと覚えたりできたりすることが、良いことだとは限らないと僕は思っている。だからあまりこの手の話しで、僕は一喜一憂することは無い。

それは、子供の頃の出来など本当にあてにならないことを、僕は身をもって知っているからである。
小学校の頃、常に学級委員をやっていた人は、中学に入った途端に全く目立たない人間になり、その後どんどん目立たない存在になっていった。
僕自身のケースでは、僕が小学校に入る前、祖父が豆を使って数の数え方を一生懸命に教えたそうだが、懸命に教えてもまったく理解できない僕に、祖父は「こいつは正真正銘の馬鹿だ」だと見限り落胆したらしい。目前に豆を並べられたことは、僕の記憶にもかすかに残っている。
豆の数さえ数えられなかったその正真正銘の馬鹿は、最終的に数学が基本の理工系に進んだ。
人間の大きさ・深さは、学校の成績では決して測れず、また表面的なことだけで良いとか悪いと判断できることでもなく、それらは少し大人になってから、じっくりと見なければわからないものである。

ベルのことで僕が一つ、とても良いことだと思っている点がある。それは、彼女が将来ナースになりたいという夢を、ここ数年ぶれることなく持っていることだ。理由は家族が病気になったら自分で助けたいからだそうである。
それならナースではなく、ドクターを目指したらどうか、そのために勉強を頑張るならば、僕とモナは一生懸命働いて学校へ進むためのお金を作るとベルに話したところ、彼女は嬉しかったのか恥ずかしかったのか、ただ笑みを浮かべていた。
目標と結び付いた勉強ほど、強いものはない。それで自分を高めることができるならば、それが一番良いので、現在のベルの成績の善し悪しを、僕はあまり気にする必要はないと思っているし、ユリの場合もそれは同様である。いくら記憶力が良く、数式がすらすら解けたとしても、志がなければ豚に真珠ということだ。

ユリは自我が芽生え始め、嫌なことを明確に態度で拒否するようになっている。僕に対して明確な拒絶反応を示すのもそれである。
欲しいものがあれば、それを指さして取ってくれと訴えるし、応じなければ声を大きくだしてせがむ。
強情で我儘な気質が見え隠れするが、それは誰に似た態度だという話になり、モナ曰く、それは僕と同じだそうだ。僕は素直に「そうかも・・・」と肯定した。
しかし強情なのは、自分のその時の行動に理由があるからであり、浅いか深いかは別にしても、それなりの考えがあるから自分を曲げないのである。
そのように良い方に考えれば、これもユリに思考が芽生えていることだと言える。

寝起きの機嫌の良さは相変わらずで、僕がベッドの上で目覚めた時にはユリは大体起きている。おはようと声をかけると、ベッドの横に置くクリーブの中で、丁度顔だけを柵の上から出してこちらを見ているユリは、体を上下に一度飛び跳ねるように動かしてから、満面の笑みを投げかけてくれる。
上の歯は大体出そろっているが、下の歯はまだ真ん中二本だけが生えているだけで、笑みと同時に見えるそれが、また愛嬌がある。

生まれたばかりの頃のボーイッシュな顔は、今や女の子らしくなり、誰も「男の子?」とは言わなくなった。
少し長くなった髪の毛は、くるくるにカールしている天然パーマである。これはモナゆずりだそうだ。顔は相変わらず僕に似ているそうで、ママは、「ユリを見ていると、僕の顔が見える」という言い方をしている。
ユリが生まれてからしばらく、日本人の顔をしたユリにダディーやママが、自分の孫として愛情を感じてくれるだろうかと密かに心配していたが、それは全く的外れな杞憂であった。ダディーやママのユリの可愛がりぶりは、日本の孫を可愛がる祖父・祖母と同等以上である。
同時にモナも、ユリは面白いし可愛いというが、数日一緒に過ごした僕は、ユリの容姿や反応、態度にこれまで以上の深い愛情を感じている。

ユリが僕を拒否しなくなるまで、丸4日を要した。
きっかけは「たかいたかい」である。それまで抱き上げようとすると、それだけで泣かれていたが、隙を見てユリをすくいあげ、「フライング!」と言いながらたかいたかいをしてみたところ、それが気に入ったらしい。それ以来フライングとモナが言えば、僕のもとへとやってきて、両手をあげてそれをせがむ。それから少しずつ、僕に抱かれるようになった。それでも機嫌が悪い時は、モナでなければだめである。
僕はまたすぐに、日本へ戻らなければならない。せっかくユリが慣れてきたところで、残念で仕方がない。

しかし反面ベルは、僕に対して他人行儀なところが無くなってきていることを感じる。断続的ではあるが、一緒に過ごす積算時間が増すほどに、二人の間にある他人行儀という壁が低くなっている。
会話をする際、ベルに見られた恥ずかしにはにかむところが無くなり、二人は自然体の会話ができるようになってきた。
ベルは僕のことを、いつの間にか自然にダディーと呼ぶようになっている。
気のせいか、ベルの我儘な態度は以前と比べ、随分となりを潜めた。父親ができ、普通の家族の形が出来上がったのが良い効果となって表れているのだろうか。それともそれは、単なる自分の希望的観測に過ぎないのか、実は僕は良くわかっていない。単に本来のベルのことが、よく見えだしただけかもしれない。
これからどんどん思春期に入っていくベルに対して、せめてこの時期に、しっかりとした関係を気付いておきたいと僕は願っている。
ユリはまだ小さいし血の繋がりがある。いくら僕の仕事が忙しくユリをかまうことができなくても、否が応でもユリは僕を本当の父親として認識するだろうが、ベルと僕の関係はそれとは少し違う。
僕が血の繋がりなど関係の無いことだと思ったとしても、ベルがどのように感じるかは、また別の話しである。

僕が日本へ帰る前に、ベルとモナと僕の3人で、マニラへ小旅行をすることにしている。メインイベントはベルのリクエストに応えて、スターシティーという遊園地に行くことである。まだよくわからないユリはお留守番だ。

ユリが生まれ、いつの間にかファミリーがベル中心からユリ中心へと変わっている。ベルは敏感にそれを感じているのを僕もモナも知っている。
それでもベルは、ユリを妹として面倒を見て、可愛がってくれる。そんなベルに僕は密かに感謝をし、娘としての愛情も抱いている。
僕が彼女に対し、娘としての愛情を抱いていることを言葉だけではなく態度で示してあげたいと、3人のボンディングタイムとして小旅行を決めたわけだ。
普段学校のイベントなどに、父親として参加できていないことへの罪滅ぼしの意味もあるが、僕自身、数日後に控えたその小旅行を楽しみにしており、マニラで食べたい物は何か、したいことはあるかなどを、今からベルに訊ねている。

二人の娘に囲まれて、そんな会話をしたり遊び相手になりながら、僕は日本での仕事の疲れを癒している。
今日は生憎の雨模様であるが、二人の娘が今後とも健やかに育ってくれることを願う、穏やかな2011年の元日である。

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2011年01月01日

182.ジャマイカの自宅へ3

明けましておめでとうございます。
ご愛読して下さる皆様には、日頃からご心配や励ましのお言葉を頂き、大変ありがとうございます。
忙しくなると度々更新が停滞してしまうにも関わらず、記事をアップした途端に多くの方が本ページにお立ち寄り下さること、自分の励みになると同時に、深い感謝の念を抱いております。
今年も変わらずブログを更新して参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。
皆さまにおきましては、今年も良い年になりますよう、心から祈願しております。

(前回からの続き)
いよいよ12月24日のクリスマス本番となった。レガスピまでのフライトは、1時のセブパシフィック便である。その日は道路が混雑することが予想されたので、ホテルは10時半にチェックアウトした。
つかまえたタクシーの運転手は、通常の空港への道が混んでいるを知っていて、いつもとは違う裏道を使い空港へと向かった。それが功を奏し、空港には約30分で到着。

到着後真っ先に目に飛び込んだのは、空港ビルディングの入口へと続く、これまで見たことが無い信じ難い長蛇の列だった。
ビルディングの入り口にあるセキュリティーチェック待ちで、本日飛行機を利用する人たちが、ずらりと並んでいるのだ。
最後尾がどこになるのか、皆目見当がつかないほど混んでいる。

延々と歩き、ようやく列の最後尾についたが、これではいつビルディングに入れるのか見当もつかない。
試しに近くにいたセキュリティーガードをつかまえ、エアチケットの控えを見せながら相談してみると、ついてこいと言って歩き出した。
案の定歩いている途中でチップをくれと要求してきたので、この時ばかりは速効でオーケーを出し、難なくビルディングの中へ侵入成功。セキュリティーガードには100ペソを握らせた。この日ばかりは積極的に賄賂を使わせてもらった。

ビルディングの外で人がつかえている分、中は思ったより空いている。チェックインカウンターの列も、いつもより少なめだ。10分ほどでチェックインを済ませ、のんびりする時間も確保できた。ここまではすこぶる順調である。
すぐにゲート近くまで移動し、モナと二人でコーヒーを飲みながらのんびりとする。

搭乗時間間際にゲートへと移動し待っていると、レガスピ便は天候不順のため、現在保留となっていることがアナウンスされた。マニラは曇りだったが、レガスピは雨が降っているらしい。ゲート前で待っている人たちからざわめきが起きる。
クリスマス当日なのだから当然だ。こちらとしても、飛ばないことになると大変困る。
それから1時間も待っただろうか、突然、フライトを決行するので、搭乗を開始するとアナウンスが入った。今度は待つ人たちから、拍手が沸き起こった。

本当に飛ぶのかと疑心暗鬼でいたが、搭乗完了後、飛行機は何事も無かったかのように、簡単に飛び立った。
それでもモナは、着陸できるかどうか心配だと言うが、僕は、ここまでくればもう帰りついたも同然だとたかをくくり、大丈夫だろうとのんきに構えていた。
約40分の飛行時間を経て飛行機はレガスピ上空に到着し、完全に着陸態勢に入った。
それまで窓の外は、分厚い雲に遮られて地上は一切見えなかったが、飛行機はとうとう大地がはっきりと見えるほど低い位置まで高度を下げている。視界は問題なさそうだ。
順調に高度を下げているので、これなら大丈夫だろうと思った矢先、飛行機が轟音を出し機体が振動し始めた。
一瞬乱気流の中へ突っ込んだのかと思ったが、飛行機が再び急上昇を始めたのに気付いたのは、それから30秒後である。
以前も同じことがあった。その時には、風向きが変わったので滑走路への進入ルートを変更するという機内アナウンスが入ってから、飛行機は上空で大きく旋回し別方向から着陸した。
今回もそれかと思っていたのだが、それにしても水平飛行に移ってから、随分と飛んでいる。
突然機長アナウンスが入った。天候不順により着陸不能なため、マニラへ引き返すというものだった。自分は乗客の安全を守る義務があるため、仕方のない判断だということを理解して欲しいと言っているのが、僕にも分かった。

乗客のみんなが、落胆の表情を顔に浮かべている。
それはそれで仕方が無い。問題は、それで僕らはどうなるのかである。
天候の回復を待ち、その日のうちに再度フライトしてくれるか。そうであれば、この際多少の時間のロスは問題ない。それともレガスピへのフライトは翌日以降になってしまうのか。それなら今日のホテルの心配も必要となる・・このような時に、セブパシフィックはどこまで面倒を見てくれるだろうか。

マニラに舞い戻った後、到着ゲート近くのセブパシフィックカウンター前で、女性係員が説明をしている。僕は、少し離れたところでそれを傍観していた。
一部の乗客がエキサイトし始めた。係員に食ってかかっている。温和なフィリピン人にも、このような人がいるのだなぁと思いながら、相変わらず僕はそれを眺めていた。
乗客があまりに激しく抗議し、女性係員の顔に唾が飛んだ。その女性係員はそれを手の甲で拭いながら、あからさまに嫌な顔をし、怒鳴る乗客を無視してカウンターの内側へと引っ込んでしまった。

モナの情報では、次のフライトは無料になるが、チェックインカウンターにて自力で予約手続きをしてくれというものらしい。それでは困る、何とかしろとみんなが怒って食い下がっている。それは当然で、その日のチケットも残り少ない状況下で取得したのだから、次の便が簡単に取れないことは容易に想像がついている。
今日はクリスマスという特別な日なのだ。特別な日なのだから、そこを十分理解し、特別措置を考えろという理屈である。
日本人なら明日もあるではないかと思うかもしれないが、フィリピン人にとって大切なのは、24日から25日に日付が変わる、真夜中のその瞬間なのである。マニラで一泊ということになれば、その大切な瞬間に間に合わなくなる。

しかし一度そのような話しが出たならば、いくら粘っても無理だろう。ここは素直に次の便の手配と、今日のホテルの心配をできるだけ早めにした方が得策だと判断し、まだ興奮さめやらない人ごみを背に、モナと二人、いち早くそこを移動することにした。
チェックインカウンターで話を聞くと、明朝6:30に一便が急遽追加されたそうだ。それ以外の便は、以前からほぼ満席で、その状況は依然変わっていなかった。

ここで考えた選択肢は三つ。
レガスピ行きを払い戻してもらい、夕刻のバスでタバコシティーまで移動する。これは天候に左右されにくく、確実に家に辿り着ける。問題は狭いシートで14時間ほどの過酷な長旅になる。疲労困憊になること間違いなしの旅となる。
もう一点は素直に明朝の便を使う。マニラでの宿泊費は余計な出費となるが、早々に諦めて、あとはゆっくり過ごす。リスクは明朝の便も欠航になる可能性があることだ。
最後はチケット取得可能なレガスピに一番近い空港まで移動し、後はバンやバスを利用し、深夜までに何とかタバコまで帰る。不確定要素がたくさんあり、労力を要する割に、今日中にタバコへたどり着く保証は無し。

結局僕たち二人は、2番目の明朝出発案を選択した。
問題は、僕の携帯がバッテリー切れで、かつモナの携帯もバッテリー切れとなったため、ホテルの予約ができないことである。この点はセブパシフィックにお願いすることにした。
あわよくば、ただでホテルを取れと交渉するつもりだった。
以前アメリカで記録的なハリケーンに遭遇し、アメリカ国内全土のエアスケジュールが大きく影響を受けたことがある。カナダ国境に近いお客さんのところへ行こうとしていたが、予定していた飛行機は全くだめで、とにかくアメリカ国内で乗り継ぎを繰り返し、できるだけお客さんの近くまで行こうとした。しかしその途中で最終便が無くなり、宿泊するはめになった際、航空会社に粘りに粘った交渉をし、ようやく翌早朝便と無料宿泊ホテルを確保したことがあった。
それと同様、うまくやれば何とかなるかもしれないと思っていたが、ここはアメリカではなく、やはりフィリピンだった。
天候は私たちの責任ではないと、全く相手にしてくれない。
それではこれはお願いだが、ホテルの予約だけでも手伝って欲しいと、携帯が使えない事情を添えて申し入れたが、それすら全くとりあってもらえない。提携ホテルをディスカウント料金で紹介してくれるくらいは良いと思われるが、そこにいる係員は、最後は無視同様にカウンターの中で隣の係員と無駄話を始める始末である。
なんと酷いサービス状況か。あいた口がふさがらない。
いくら航空運賃が安いとはいえ、そこまで割り切って良いものか。

フィリピンでは、会社とホテルが提携した場合驚くほど安い宿泊料金となる。航空会社であれば、かならず提携しているホテルがあると思われる。このような時に、大量の宿泊客をホテルに斡旋すれば、みんなが幸せになる結果を生むということを理解できないのだろうか。

このサービス精神の欠落は、競争原理、サービスの本質、労働の意味などを理解できていない証拠であり、また従業員の質の悪さが目立つことは、社会全体が成熟しきれていないことをも意味する。フィリピンの社会は、まだまだ未熟だということだ。
これがアメリカや日本であれば、このようなケースでははるかにまともな対応を見る。

頭にきたが、このまま時間を費やすのももったいないので、ビルディングの1階に移動し、セブパシフィックとは無関係の空港サービスでホテル予約をお願いした。
少し休めのホテルにしようと、予約をお願いしたのはヘリテージホテルである。そこはカジノを併設するそれなりのホテルだが、そのクラスのホテルでクリスマスの夜でも、一発で予約完了であった。ホテル側の話しでは、いつもよりもずっと空いているということだ。
すぐにタクシーでホテルに移動し、チェックインを済ませ時計を確認すると、既に夕食の時間となっている。
ひどく時間を無駄にした一日だったと、そのこと自体に突然疲れを感じた。

僕よりもフィリピン人のモナの方が、この事態を重く受け止めているようで、少し前から落胆している様子がありありとうかがえた。
この悲惨な状況を少しでも慰めようと、せめて何か美味しいものでも食べに行こうということになり、選んだのは時折二人で行くイタリアンレストランだった。
その日は珍しく食事と一緒にグラスワインを頼み、パスタとステーキでふたりだけでクリスマスを祝った。
味は極上で大満足だったが、パスタとステーキをそれぞれ一皿頼み、それを二人で分け合って食べ、ワインもボトルではなくグラスにしたにも関わらず、値段も極上の約8000円という金額である。それなりの食事をすれば、いくらフィリピンでもそれくらいのお金は簡単にかかる。マニラ恐るべしと言わざるを得ない。
しかし雰囲気の良さといい、料理の内容といい、二人にとって日本風クリスマスの雰囲気を気分よく味わったディナーになったのは幸いだった。モナの機嫌が既に回復している。

食事の後は寄り道をせずにホテルへ帰った。
ホテルには翌朝4時のモーニングコールをお願いし早めに就寝したが、深夜の25日に日付が変わる頃、二人は既に熟睡状態で、日付が変わることなど気付きもしなかった。
なんとも遠い自宅への道のりである。

ちなみに翌朝も天候に心配はあったが、予約をした便は雨の中、無事にレガスピ空港の滑走路に滑り込んだ。
翌早朝の便には、前日マニラへ戻った便で一緒に乗り合わせた人が多く占めた。チェックイン待ちで並んでいる時から、知らない人同士、昨日のセブパシフィックの対応の悪さをを語り合うなど、大きな不幸を共有した者同士の不思議な連帯感が出来上がっていた。

飛行機が着陸態勢に入ってからは、機内に妙な緊張感が漂った。それぞれが窓の外側を激しく流れる雨のしずくを気にし、外の様子をうかがおうと落ち着かない。
滑走路へ無事着陸した瞬間に、機内で歓喜と拍手が沸き起こったことは言うまでも無いが、僕もまた他のフィリピン人と同じように、喜びと安堵を噛みしめていた一人である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:182.ジャマイカの自宅へ3
2010年12月31日

181.ジャマイカの自宅へ2

今回の宿泊は、これも以前話題にしたダイヤモンドホテルにした。
この時期、マニラ市内のホテルは意外と空いていた。やはりクリスマスは、家で家族と過ごすからであろうか。
日本のおしゃれなシティーホテルは、クリスマスともなると若いカップルで、ほとんど満杯状態となる。予約時にちらりと確認してみると、翌日24日の夜も同様の空き具合であったから、ここフィリピンでは日本のそれとは少し事情が違うようだ。
ダイヤモンドホテルにしたのは、前回の宿泊時に、単に朝食のスモークサーモンが美味しかったというくだらない理由である。

ホテルにチェックインした後は、モナの用事で買い物に出ることになっていた。
この買い物が何であるか、今回報告をしたい事の一つである。

実はモナは僕が日本に出張中、自分のビジネスをスタートさせた。それは、あるオリジナルブランドを作り、そこで物品をネット販売するというものである。
ブランドと言っても、オリジナルの物を作って販売するのではなく、ある基準を持ってコレクションすることでブランドイメージを作り上げる手法である。
販売するものは、衣類、鞄、サングラス、他小物色々・・である。

日本でその話しは聞いていた。物品を販売するのだから、当然それなりに仕入れが必要となる。そしてこれまた当然のように、仕入れた物が売れなければ、不動在庫としてそのまま損失となる。
お遊びのように始めたビジネスだと思っていたから、どうせ利益も損失も大したことはないだろうと思い、そのビジネスでどの程度の金額を動かしているのかを詳しく聞いていなかった。
ただし前回の仕入れの際、5万円を家計から借りたいとの申し入れがあり、疑心暗鬼で了承した。勿論その5万円は小さな金額ではなかったが、最初から捨てるつもりで了承したのである。
しかし今回、もうじき集金をすれば家計から借りたお金は全部返すからねと、モナが涼しい顔をして僕に言った。それで利益はあるのかと聞いたら、仕入れ金額がダブル(2倍)からトリプル(3倍)になると言うから、今度は別の意味で驚いた。
一体どんなビジネスなのかと耳を疑ったが、彼女のホームページを見て、また驚き、そして納得した。

彼女のビジネスページには、モデルが服を着こんだ写真がたくさん掲載され、鞄も小物も、本物のどこかのブランドショップのように、お洒落に綺麗に宣伝されている。
モデルが着用している服は、どこかから盗んで飾りで張り付けただけかと思ったら、その服はきちんと販売しているものだというから、一体どのようにしてこのようなことができるのか不思議に思った。ずらりと並んだ写真をピックすると、半数から7割くらいは売り切れと表示される。かなりの数が売れている。
これはハッタリではなく本当なのかと訊くと、モナは当たり前じゃないといわんばかりに、「オーオー」と答えた。

今回の買い物は、そのビジネスのための仕入れである。買い込む服は、既に客がついているもので、仕入れできるかどうかわからないと回答をしているそうだが、せっかくマニラに来たのだからということで、僕もその仕入れを手伝うことにしていた。確実に売れる商品の仕入れだということだから、ひと踏ん張りすれば利益に繋がる。

仕入れ先はなんと、マニラのロハス通りから少し引っ込んだ住宅街のような狭い路地に、ずらりと並んだ露天商だった。言い方は悪いが、粗末で貧乏くさい露天商街である。
そこでTシャツを1枚25~50ペソ(50円~100円)で買い、それを150ペソ(300円)から200ペソ(400円)程度で売るらしい。
買い付ける服は、100枚を超えた。大量買いすることで、値引きをしてもらう。日本人の僕が一緒だとディスカウント交渉が厳しいということで、僕は終始離れた場所で他人を装うはめとなった。
日本の祭りの夜店を歩いている時のように、まっすぐ歩くのが困難なくらい狭い道に人が出ている。日本人の僕が手もちぶたさで立っていると、行きかう人たちが僕をじろじろと見ていく。日本人に限らず、外人は自分一人だけではなかっただろうか。少なくとも僕は、他の外人をそこで見かけなかった。
さすがに衣類もまとめ買いすると、かなり重い。前回仕入れた服は、30Kgだったそうだが、今回はそれの約半分だそうだ。

ホテルに戻ると、今度は知らない商人が鞄を届けてくれた。それも売り物である。
売る人、売る商品によって、仕入れ先を変えるらしく、さすがに鞄は露天商では買わないようだ。
見るとルイビトンの袋に入っていて、中身も見るからに本物そっくりのルイビトンである。中国で見かけるA級品と呼ばれる偽物より、はるかに出来が良い。中には本物のカードまで入っている。日本でも精巧な偽物には、箱やケース、カードだけは本物を使用しているらしい。
モナが使っている本物のルイビトンと、手触り、皮の厚さ、そして大事な匂いなどを比べてみるが、まるで見分けがつかない。縫製もしっかりしているし、ジッパーも丈夫そうだ。これらは本物として売るのではなく、偽物として売るらしい。しかし出来が良いので、1万円でもすぐに買い手がつくそうだ。今回のホテルに届いたバッグは、既に予約が入っているとのことだ。仕入れは5千円で、売値は1万~1.5万円というのが、偽物高級バッグの売り方だそうだ。
これだけ凝った偽物を作るのは、かえって金がかかるのではないかと不思議に思うくらい出来が良い。それだけの技術があれば、真似て作るのではなく、良質なオリジナルバッグを作った方が良いと思われるが、それより偽物にした方が高値が付くらしい。
ホームページを飾る高級そうな衣類は、中国の上海から輸入しているそうだ。一体どこでどうやってそのようなルートを開拓するのか、そして販売方法や宣伝などの技術はどこで身に付けたのか、その不思議さに僕はただただ唖然と、それらを眺めるだけである。
本人は、「最初は売れるかどうか、ドキドキよー」とあっけらかんと話している。

偽物ブランドバッグの販売は摘発の心配などが頭をかすめたものの、それもモナに大丈夫だと一蹴された。確かにフィリピンであれば、問題にならないかもしれないが、同義的はどうかという気がする。
とにかく彼女のビジネスが軌道に乗りつつあるのは良くわかった。
しかしそれだけ根性を入れてやる商売であるから、さすがに体力も消耗するようだ。
僕が日本にいる時に、モナが販売ページの整備で連日連夜、パソコンの前に座りっ放しの時期があり、寝る前には心臓が苦しいと言っていた。体に触るようであれば、それは辞めた方が良いと僕が進言し、彼女も、もったいないけれど1月までは続けさせて欲しいと言われていたが、確かにモナがそれを店じまいするのがもったいないという気持ちは、この目で実態を把握しよく理解できた。
この分でいくと、きっと彼女のビジネスによる利益は僕の収入を上回りそうである。
僕も手伝いをして、夢のひも生活に突入か・・などと思わず考えてしまう。

さて1枚25ペソ~50ペソで購入したTシャツは、1枚1枚縫製などを確認し、ほつれなどはママが綺麗に修理をする。そして各々をプラスティックの袋にきれいに包装し直すと、次第にそれらのTシャツが100ペソや200ペソに見えてくるから不思議だ。それでも安いと評判らしい。今回はほとんどが頼まれたものなので、ジャマイカの家に帰ってからはモナがそれらを配ることになる。代金はほとんどがつけか、小切手だ。現金ではないから、高い価格で売れるのだとモナが話していた。代金が回収不能になる心配もないではないが、客は市役所勤めの人を始め、大体が身元のしっかりした人なので、今のところ逃げる人はいないそうだ。

モナは商才があるのではないかと、僕は正直驚いている。このようなダイナミックな動きは、日本人に真似するのは難しい。あれこれ考えるのが先で、行動が伴わない。
商売で成功する人は、単にそれができる人であり、学歴が高いとか頭が良い人ではない。行動力と知恵があり、思い切りの良い人が、運を伴って成功するのである。少し見直したモナの一面である。


買い物終了後は、モナのリクエストで和食レストランへ食事に出かけた。
いつもは禁煙の1階のテーブルに座るが、今回は喫煙の2階に通してもらった。
和食レストランだけあって、周囲には日本人が多い。ほとんどは日本人の中に、若いフィリピーナが一人か二人混ざっている。
二人のテーブルの横奥では、簡単に仕切られた小部屋で、10名ほどの日本人グループが食事をしていたが、そこにはフィリピーナはいないようだ。珍しく男性だけのグループである。

しばらく食事が進んでから、不意に後ろから「○○さんじゃないですか?」と声をかけられた。
振り返ると、良く知った顔が笑顔で僕の後ろに立っていた。それは前に勤めていた会社の人間だった。
「やっぱり○○さんですかぁ。何しているんですか、こんなところで・・」と言われ、思わずそれはこちらの台詞だと言いそうになった。

「実はそこに、みんな集まっているんですよ」と、指をさし向けた方向を見ると、僕とモナのテーブル横奥にいた10名程の団体さんは、ほとんどが知っている懐かしい顔である。
僕は食事中にメガネを外すので、彼らの顔をきちんと認識できていなかった。
すぐに席を立って、挨拶に向かった。やあやあと、懐かしさですぐに盛り上がる。
中央向かい側にいるのは、マニラ近くの工場責任者に就任して間もない、良く知った人であった。
集まっているメンバーは、フィリピン工場の各部門マネージャーで、年末で翌日日本へ帰るため、みんなでマニラに宿泊し、たまたまその日はそこで食事をしていたそうだ。
最初に彼らは、フィリピーナと二人きりで食事をしている日本人がいると関心を寄せていた程度であったが、少し前から○○さんに似ているという話しが出ていたらしい。
僕の方は全く気付くことなく、食事に邁進していたという訳だ。

モナを自分の妻だと紹介し、フィリピンに住んでいることを話したら、一様に驚かれた。
今度工場へ遊びに来て下さいと言われ、実は既に一度、仕事でお邪魔したと言ったら、またそれで驚かれた。
こんなところで会うなど、奇遇ですねという話しに、僕はここの常連だと言ったら、それがみんなの3度目の驚きを誘った。
しかしこの奇遇を驚いていたのは、僕の方も全く同じであった。

一旦僕は自分のテーブルに戻ったが、みんなは食事が終了し退席する際、僕のテーブルへ寄ってくれ、それぞれが挨拶をしてくれた。新しく工場の責任者になった人が最後に、両手を体の横に揃えて、退職した身の自分にふかぶかと丁寧に頭を下げて立ち去ったのが印象的だった。こちらも席を立って、無言で心から頭を下げた。
不本意な形で会社を辞めた自分であるが、まだこのような繋がりが残っていたかと、不思議な安堵感を覚え、先ほどの買い物の疲れをいつの間にか忘れていた。

何となく陽気な気分になり、食事の後はカラオケにでも行くかとモナを誘ってみたが、疲れたからまっすぐ帰ろうというモナの言葉に、僕もそうだねと頷いた。
明日はいよいよ自宅へ帰る。成長したユリを見るのが楽しみだ。成長著しい時期に、しばらく離れていたユリに対しては、むしょうに早く会いたいという素直な感情を抱いていた。
(続く)

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posted at 13:08
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:181.ジャマイカの自宅へ2

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