フィリピーナと共に
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2010年12月30日

180.ジャマイカの自宅へ1

12月15日には断固フィリピンへ帰るのだと言いながら、ずるずるとフライトの日が先延ばしになり、マニラの到着がついに12月23日のクリスマスの前日になってしまった。モナに約束した最終リミットだった。
クリスマスまでには帰ると約束した日、モナから言われたのが、やっぱり帰れないという言葉は心が痛くなるから聞きたくないということだった。
なんですぐに帰れないのとわめきたてられたらこちらも開き直って「ごめん!」と言えるが、心が傷つく言葉はもう聞きたくないと静かに言われると、反撃も何もできずに、それが大きなプレッシャーとなって自分に覆いかぶさることになった。

日本からのフライトは、1年間のオープンビジネスを購入した。
この時期になると飛行機は安いチケットから順にソールドアウトになっていき、ぎりぎりになると高いチケットしか残がない。これは不可抗力である。しかたなくビジネスを購入したのであって、そうでなければ帰る手段がないのだ。17万円を超えるチケット代を会社に払わせる罪悪感はあったが、不可抗力であれば仕方がないと心の中で舌を出していた。

12月のフィリピン行きフライトは、1年でピークと言っても良いほど混んでいる。その混雑するときほど、ビジネスチケットは効果を発揮する。チェックイン待ちでずらりと並んでいる人達を横目に、悠々とチェックインを済ませ、その後は静まり返ったラウンジで無料の朝食をとりコーヒーを飲みながらゆっくり本を読むことができた。
前日までの戦争のような仕事の日々が、まるで嘘のようだった。

前日はもはや出国前の恒例行事のように徹夜で仕事をし、そのまま成田行きリムジンバスに飛び乗る形となった。
とにかく23日の便に乗ることだけは死守せねばと、その前まる2日間寝ずに客の対応や仕事に追われていたから、バスの中では死んだように眠り、成田空港直前の検問で起こされた。成田までの道程は、まるで空白の2時間となった。それでもまだまだ眠く、体がなかなか目覚めない。

徹夜明けでいつも気遣うのは、出国手続きまで済ませてからどこかで深い眠りに陥り、起きた時には搭乗するべき飛行機が飛び立った後だという間抜けなことにならないことである。だからいくら眠くても、空港の中では絶対に居眠りしないように気を付けている。
ビジネスとファーストクラス専用の静かなラウンジは心地よいが、少々眠気を催すので時間を残して出ることにした。
ラウンジの受付けではボーディングチケットのチェックをするので、時間がくればアナウンスをしてくれる。あらかじめ頼んでおけば実は起してくれるのだが、それでも絶対に安心はできない。

ふと田舎の母親のことを思い出し、フィリピンへ旅立つ前に電話をした。正月に田舎に帰っておいでという言葉を振り切る自分に、せめて日本を出る前に電話をくれといった母の言葉を思い出してのことだった。
フィリピンでの暮らしのこと、モナや子供、モナの家族のことなどに話題が及び、思わず長話になる。長男の僕がモナの家族を扶養していることを気にしているようだが、母は遠慮して、敢えてそれを明示的に言わない。しかし言わずともこちらは分かっている。これまで何度か、フィリピンで一緒に暮さないかと話してみたが、それは無理だという話しで終わっている。これからのことは、少し落ち着いてから本格的に話しをしなければならない。ユリもまだ見せていない。来年は家族揃って、一度実家を訪れなければならないだろうと考えている。
搭乗開始時間ぎりぎりまで話しこんでいた。

フィリピンエアラインのビジネスシートは、食事がコースになっていることを以前記事で書いた。
今回も離陸して間もなく、アテンダーがテーブルクロス代わりの白い布を持ってきて、シートの脇に収納されているテーブルを引き出しその上にかぶせていく。希望のメニューもその時に訊ねられた。
前菜が運ばれてきて、まずはそれを食べた。食べ終わった後に、何かを調理でもしているかのようなメイン料理の匂いが漂ってくる。少し間が空いたので、背もたれに体を預け、気が付いたら目の前のテーブルに料理がのっていた。
まるでデザートのような内容に、はて、メインの前にもう一つ料理があったかなと思いながら、それを平らげた。
目の前の食事は終わったかと聞かれイエスと答えると、アテンダーは料理の皿と、更にテーブルクロスまでを引き上げ、それで食事は終了?
どうやらメイン料理を配膳する前に、僕の意識は遠のき落ちてしまったようだ。
結局食事は前菜とデザートだけで終わった。メイン料理は寝ている間に引き上げられたのだろうか。普通は寝ていたら、起きてから声をおかけ下さいといったメッセージが残っていたりするものだが・・。もし一旦目覚めなかったら、そのデザートも引き上げられたのだろうか。不思議な配膳方法だ。これがフィリピンの飛行機会社のやり方というものなのか。JALでは決してそのようなことはないと記憶している。
その後は損した気分を取り戻すかのようにふて寝を決め込み、ブランケットをかぶった。

次に目覚めた時には、既に飛行機がフィリピン上空にさしかかり、着陸態勢に入る直前だった。窓から下に、ルソン島北部の森林地帯が広がっていた。天候は曇り。機内からは外が暑いのか寒いのか、さっぱり想像もできない。
結局飛行機の中はほとんど夢うつつで、幸か不幸か退屈する間もなくフィリピンへ到着しようとしている。

空港の外へ出ると、恐ろしいほどの人ごみに驚いた。
まるで一世一代のスターが出てくるのを待つかのように、出迎えの人でごった返していて、前に進むのも一苦労だ。
いつものようにモナと待ち合わせのため、ターミナル2からターミナル3へと安いシャトルバスで移動を試みるが、シャトルバスを待っている人が多く、また異常に混雑する道路の様子を考慮し、急遽エアポートタクシーを利用することにした。
空港の外へ出た時には予想よりかなり涼しいと思ったが、ごたごたしている中を歩き回っているうちに体に汗がにじんできたので、上着を一枚脱いでTシャツ一枚となる。それでようやくフィリピンに到着したという実感が湧いてきた。

その時時間は午後2時。モナが飛行機でマニラへ到着するのが午後3時。1時間の時間的ゆとりがあったはずだが、長い列に並びタクシーに乗り込み、その後渋滞で前へ進めない状況下、1時間のマージンがすり減るように無くなっていく。
どたばたと日本を出てきたので、悪いことに現地携帯の充電をし忘れてきて使用不能。モナとの連絡手段がない中、こちらが先にターミナル3に到着しておく必要があり、少々焦り出していた。
ターミナル3ではアライバル(到着)につけてくれとタクシードライバーにお願いし、了解と言われていたにも関わらず、いざ空港についてドライバーはデパチャー(出発)フロアー側にハンドルを切った。一旦そちらの進路に入ると、もう変更はできない。仕方なく出発ロビー前で降り、一旦空港内に入り到着ロビーへと向かうが、空港へ入るセキュリティーのX線検査で荷物が引っ掛かった。これまで全ての検査を無事にすり抜けてきたのだから、問題になるものは何も入っていないはずだが、何か金属の塊があるから、それを見せろと言う。
鞄をあけて見せるが、当然金属の塊など無い。鞄の中を見る男性検査員は、きっとこのグラスだと言うが、X線検査画面の前に座る女性が、違う、金属だと言い張り、なかなか解放してもらえない。しかしいくら探しても無い物は無いのだ。無いからますます怪しまれるが、とにかく納得するまで検査に付き合いようやく解放された。

ようやく到着ロビーに着いたのが丁度午後3時。そこで突然、はて、モナの到着時間は3時だったか、それとも3時半だったか・・。記憶が曖昧なことに気付いた。これまで数回同じように待ち合わせをしている。それと同じ便のはずなので、時間も以前と同じはずだが、しかし過去の記憶から正確な時間を思い出せない。思えば今回、こちらが仕事でどたばたしていたので、十分話しができていなかった。
とりあえず以前待ち合わせしたのと同じ場所へ移動してみるが、やはりモナの姿はない。
モナが利用するのは時間にルーズなセブパシフィックのはずだから時間通り来なくとも不思議ではないが、もしかしたら天候の関係で飛んでいない可能性もある。しかし確認しようにも、便名も聞いていない。とりあえずホテルは決まっているので、1時間か2時間待ってみれば何かわかるだろうと、じっくり待つことにした。

連絡が取れないということは何とも不便であるが、しかし彼女を待つ間、不慣れな人の多い広い場所で、不確かな情報と状況下でも出会えるならば、それは夫婦として相通じるものができていることの証だし、出会えなければまだそれが足りないのかもしれないなどと考えていた。
日本人一人が空港でたたずんでいると、色々な人が声をかけてくる。親切心で、困っているならば助けてあげようと思っている人もいるかもしれないが、怪しげな人もいる。
以前知人がマニラの空港から姿を消して、3日後にある路上で死体となって発見された。時には恐ろしい結果を招くことになるのだから、怪しい人の話しには決して乗ってはならない。特にクリスマスの時期は危ない。少しでもお金が欲しい人がそこらじゅうにいる。

手持ちの現地通貨は先ほどのタクシー代を支払い、残りが150ペソだけ。空港からホテルまでのタクシー代としては不足である。持ってきた日本円は成田でのお土産の購入、リムジンバス往復代などで目減りし15000円になっていた。ホテルの料金はカードで先払いしているが、必ずデポジット(保証金)を要求される。それがぎりぎりの金額だ。カードは全てモナが持っているので、キャッシュは入手不可能であるから、実はちょっと心もとない状況であった。

30分ほど待っただろうか・・、不安が頭をかすめ出した頃、ふと視界の中に見慣れた顔が飛び込んできた。小さなハンドバッグを一つだけ持ったモナが、満面の笑みを浮かべこちらへまっすぐ歩いてくる。
この広い空港で、特に細かい取り決めもせず、細かい連絡を取り合うことがなくても会う事ができた。しかし正直に言えば、その喜びよりも路頭に迷わずに済んだという安心感が先にたっていたかもしれない。

ひとまずフィリピンへ帰り、マニラでモナと再会できた。翌日はベルとユリの顔を見ることができる楽しみが待っている。
深い安心感と喜びに包まれなが二人でタクシーに乗り込んだが、その後自宅へ帰るまで、一つのサプライズと苦難があることを、この時二人は知るはずもなかった。
(続く)

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:180.ジャマイカの自宅へ1
2010年11月28日

179.シミュレーション

また夢を見た。夢の内容は目覚めた瞬間に消えてなくなったが、夢を見たという記憶だけはしっかりと残っていた。
フィリピーナに関する夢だったが、内容は色恋沙汰ではなく、もっと何か深刻な話である。
金銭感覚に関する内容だった。
なぜそのように思ったかと言えば、目が覚めてからもそのことに関する思考だけが、自分の頭の中で勝手に継続していたからだ。

ここから先の記事は、夢の話しなのか目覚めてから継続していた思考の話しか、自分でも定かではない不思議な話しであるが、それを少し紹介してみたい。


フィリピンと日本では、稼ぐことができる金額に決定的な違いがある。
先日の記事の中でも書いたように、フィリピン人と日本人の一般的な人を比べれば、月の収入に10倍や20倍の開きがある。
フィリピンと日本の物価の差を一概に何倍と言うのは難しいが、タバコシティーの普通のレストランでの食事は、1人100ペソ(200円)くらいだろうか。月収を3万円とすると、150分の1となる。
日本での外食の金額を1人1回1000円とすると、それは月収の200分の1〜300分の1となるから、月収に対する外食代の比率はフィリピンの方がやや大きいが、一方が1000分の1で一方が100分の1というほど大差はない。あくまでも感覚的な大雑把な金額で言えば、まあ同じくらいと言える。
我が家の食費は1日1000円と決まっている。これで毎日10人分以上のおかずを買う。食卓に上がるおかずは決して質素ではなく、これで魚、肉、野菜料理が全部揃う。米は別会計となっているようだが、これもフィリピンの物価を考える上では参考になると思われる。

さてここで、フィリピン人を日本人に置き換えて色々考えてみる。
日本人の月の収入を仮に30万円とすれば、その10倍や20倍の月収は当然のごとく300万円や600万円という金額になる。

そこで日本人が、自分たちの平均的収入の10倍〜20倍の収入が当たり前な海外の国に出稼ぎに行くとする。

レストランでも買い物屋でも飲み屋でも良いが、その国では、レストランであれば1回の食事の金額が彼らの収入の200分の1とすると2万円〜3万円となる。同じく比率で考えれば、その国での飲み屋の1回の飲食代が10万や20万、30万ということになる。
実際にはそのような物価のところはないから、あくまでも頭の中の世界である。

月の収入が30万円の日本人がそのような国に出稼ぎにいくと、そこの住民が、1回の食事に2万円から3万円を普通に支払い、飲み屋では普通に10万円や20万円を使うのを目の当たりにすることになる。買い物でもそのくらいの金額を1回で使うのが珍しくない。

誰かと個人的にお近づきになり、ちょっとした下ごころがあるお相手がご馳走をしてくれるとなったら、1回の食事代が二人で5〜6万円となる。
チップをくれたら、その金額は1万円など普通で、多い人は5万円や10万円をぽんとくれる。

そのような環境の中で、出稼ぎ先での日本人の月収は、100万円や200万円というスケールのお金となる。

フィリピンからふらっと出てきたフィリピーナが日本で働くと、彼女たちから見た日本という世界は、それと似たようなものなのだろうか。
あまり自信がないが、それに近いものがあるような気がするのである。
少なくとも娘を出稼ぎに出し、家で仕送りをもらいながら娘の出稼ぎ先の話しを聞くフィリピンの家族は、生活はフィリピンのままであるから、娘の周囲で動くお金の大きさに驚きを覚えると思われる。

さて話は日本人が出稼ぎに出たらという頭の中の話に戻るが、10倍以上収入の違いがあるということは、少なからずそのような驚きがありそうで、またその生活に慣れてくると野心も生まれる。
月収は高いが、高い物価のその地で生活をしているとあまり意味がないことに気付きだす。とりあえず数カ月、月に数百万円というお金を稼ぎ、出稼ぎ先での生活は極力節約をする。

手元に500万円ほど残ったら、それを持って日本に帰ればしばらく生活ができる。
500万円を持って日本に帰れば、当面1万円や2万円は小さなお金となるから、そのくらいの単位で支出があってもほとんど気にならない。10万円もそれほど惜しくはなくなってしまうから、家族を含めた周囲の人間は、娘が出世したような感覚になり、良くやってくれたと喜ぶ。
親や兄弟が喜ぶ姿を見て、ますます娘は大盤振る舞いを連発する。
お金が無くなったらまた数カ月がんばって、500万円や1000万円を稼げば良いという発想になっているから、たいしたことはないのである。

そのうち、出稼ぎ先で月収400万円ほどの良い人が現れ結婚する。
月収が400万円もあるなら、毎月20万円を日本へ仕送りするのは無理なく可能だと日本人は密かに考える。伴侶にそのくらいの仕送りをお願いしても、それは決して無理のない金額ではないかと考える。

時々伴侶と一緒に日本へ帰ったら、100万円単位のお小遣いが使える。
家族には普段は簡単には購入できない新型カメラや携帯・パソコンをポンと買ってあげても、まだ手元にお金が残る。
外食の際は、一回10万〜20万くらいのフレンチにでも行こうかという話になる。
いやいやそれはもったいないから、1人1万円で済むところにしようなどという話になる。
それでも日本で1人に1万円支払うとしたら、それは高級な部類のレストランになるが、いつの間にか我慢してそのくらいで済まそうという考えになっている。

たまの帰国に、今月は使いすぎて生活が苦しいとなっても、来月の給料日にはまた400万円が入るから、今度はしっかりと計画的に使おうなどと思うが、翌月も似たり寄ったりの生活になる。その時には、収入は大きいけれど、その分出ていくお金も大きいわねなどと、お気楽な調子でこぼしたりする。しかしそれでも毎月400万円の収入は大きいから、今月やりくりに失敗しても、来月は立て直せると勘違いして、同じ過ちを繰り返す。

さてどうであろうか。仮に日本人が、自分たちの収入の10倍や20倍の世界に触れ、そこに足を踏み入れるということは、きっとこのような感じではないだろうか。
そしてこれが、フィリピン人が日本という世界に接した時の感覚に近いのではないだろうか。

寝ている時から目覚めるまで、僕はこのような思考を巡らしていたようなのだ。
半分起きてからは、その続きで次のようなことを考えていた。

それは、これほど収入に格差がある世界の二人が恋人同士や夫婦になる場合、そこに本物の愛というものが存在するのだろうかということであった。
大変失礼な物言いであり、また僕も当事者であるが、これは半分意識が飛んでいる中で考えていたことなので御容赦願いたい。
そして僕は、モナを見ていてそれは存在すると信じているのだが、無意識の中ではそんな風に自問自答しているのである。

自分の身に置き換えてみると分かるように、いくら収入の差があるといっても、10倍サラリーが違うというだけで100%打算の行動をとるのは難しい。それほど悪に徹し、お金のために自分を犠牲にすることができる人間もいるだろうが、大方の人は無理である。それ故にそのような二人の間には、愛は存在すると思われる。

ただし、あらためて100%の愛情かと問われると、仮に自分であればわからなくなってくるのような気がするのである。よくよく考えれば、結局は収入も含めての判断ということになってくる。
日本で周囲が羨むような生活を手に入れるのは、決して悪くない。家族も助けることができるし、何よりも両親に安心してもらえる。
そのようなものを打算と呼んで良いかは微妙であるが、これは日本人同士が結婚する場合でも同様の考えが頭の隅に潜んでいることが多いはずだから、特別なことだとは言えない。

また打算のようなものがあったとしても、一緒に暮していれば情が湧いてくる。
結婚した相手が大きく見込み違いで、遊んでばかりのぐうたら人間であっても、形成されて体に浸みこんだ情が、簡単に離婚という割り切りを拒んでしまう。しかも自分は異国に地で暮らしているのだから、身分が保証されていた方が何かと安心だ。そして喜んで安心していた日本にいる両親に、どのように申し開きをすれば良いかを考える。そんな真理が働くことも当然と言える。
日本人が大きな収入のある国に嫁いだ場合を想定すると、まあこのようなことが充分あり得るような気がしてくる。

ここまで、想定の話しで日本人の金銭感覚の変化や、結婚における愛情の話しを書いた。
そしてこの話しには、実に興味深いことが含まれている。
それは、似たような境遇になれば、日本人もフィリピン人も大同小異ということである。

夢うつつの話しは、仮に日本人が・・・という仮定の話である。
そこでの話しは、日本人の自分がそのような境遇になった場合、自分が、日本人が普段見ているフィリピーナとまるで同じ状態になっているような気がするのである。
最近フィリピン人の金銭感覚について話題にしていたが、同じ環境に入れば、どうやら自分も同じような考えになり行動をとるらしいということがわかってしまった。

とすれば、結婚での愛情に関することや、金銭に関する感覚の部分は、日本人もフィリピン人も大差ない同じ人間ということになる。
視点が変わると、随分と見え方が変わるということである。
他の様々なことも、こうしてシミュレーションをしてみれば、相手の行動や気持ちが理解できることもあるのではないだろうか。
理解できたから全て許せるというわけではなく、理解した上で話しをした方が良いと思うのである。

こんな風に思考を巡らしながら、意識的に考える脳が、寝ぼけて考える脳に勝り、既に完全に目覚めている状況になった。
不思議な体験をしたような感覚でコーヒーを飲みながら、やはり僕はそのことを考えていた。
そして、今回の話しの内容は少々強引な展開ではあると思いながらも、参考までに記事にしてみようと、その時思った。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:179.シミュレーション
2010年11月27日

178.おせち構想

最近ある物をコレクションしている。
それは最近コンビニや弁当屋、スーパーで頻繁に見かける、おせち料理のパンフレットだ。
なぜか今、このおせち料理に憧れている。
できれば今年の正月は、フィリピンでおせち料理を食べながらゆっくりしたいと、各所でみかけるおせち料理のパンフレットを見ているうちに思い始めた。思い始めたら、無性になんとかしたいという気になってきた。そしてやはり僕は日本人なんだなぁと思い知ったりしていた。

しかし、フィリピンの家族におせち料理を作ってくれと言っても、所詮無理な話である。
「オセチってナニ???(What’s the osechi?)」
と言われ、きょとんとされるのは目に見えている。

まずおせちとは何か、それを説明しなければならない。それには美味しそうなおせち料理の写真が掲載されたパンフレットをフィリピンに持ち込むのが、手っ取り早いということである。
まずはその写真をモナやママに見せて、おせち料理とはこのようなものだと教えるのがファーストステップである。ついでにその料金も教えて、驚かせてやろうと思っている。
3段重ねともなると、高い物では2万円や3万円となる。なぜこれほど高いのかさっぱり理解できないが、ご祝儀相場なのだろう。その価格でも商売になるから仕方がない。
ママに写真を見せて、これで1万5千ペソだと教えたら、ママはひっくり返るほど驚くに違いない。同時に、自分が美味しいおせち料理を作って、日本でビジネスをするなどと言い出しそうだ。
そうなったらしめたもので、僕が味見をして、商売になるかどうかを判定してあげようと言って、ママの料理人魂に火を付ける。

とにかく最初は、おせち料理とは何かを理解してもらうところが第一歩である。日本文化の理解にも繋がることなので、一石二鳥だ。
こうして説明し、モナやママに理解してもらえたとしても、フィリピンでおせち料理にありつくにはまだまだ道のりが遠い。

次のステップではフィリピンで用意できそうな食材をモナとママに選定してもらう。味はともかく、いかにもおせち料理に見える見栄えの良い材料のいくつかはフィリピンでも手に入りそうだ。
作ってくれというのは無理としても、材料を考えて集めるくらいは確実に協力してもらえるのではないだろうか。

海老は問題ない。ホタテ料理も大丈夫だろう。蟹も少し高めだが、メニューに加えれば雰囲気が出る。いやまて・・・、このままでは魚介弁当になってしまう。
フィリピンの美味しい鶏肉でだしを取った煮物類は、僕でも何とかなりそうだ。栗きんとんはどうするか・・これは難問だ。
中身はともかく、見た目は何とかしたい。成り行き任せで、フィリピン風おせち料理になるかもしれないが、それはそれで諦めがつく。

必要な調味料はマニラで調達しておく必要がありそうだ。
調理用の日本酒を買ったら、厳重に管理しなければならない。いざ料理に使う段になって、「誰が飲んだ!」と騒ぐことがないようにしなければならない。以前スパゲッティーに使うワインを飲まれてしまったことがあるから、これは気を付ける必要がある。タバコシティーでは日本酒が手に入らないから、誰かに飲まれてしまったらそれで「THE END」だ。
せっかくのおせち料理であれば、飲むための日本酒も少しは用意した方が良いだろう。

パンフレットを集めている僕を見て、会社の仲間から一つアドバイスがあった。
フィリピンへ帰る直前に、スーパーなどで日持ちのするおせちレトルトパックを買えばどうかというものだ。
今はおせち料理を真面目に作る家庭は少なく、高いお重を買うのももったいないので、スーパーで出来合いのものを買って詰め合わせるスタイルが多いらしい。だからレトルトおせちも充実しているとのことだった。
なるほどそれは良いアイディアである。難問の栗きんとんはそれで何とかなるかもしれない。タケノコの煮物などもあったら是非買いたい。

スーパーで購入できそうなインスタントおせちを考慮しながら、おせち料理のパンフレットを見てメニューを考える。おせち構想が少しずつ具現化していくようで、これが中々楽しい。

フィリピンで迎える正月に、ジャマイカの家でおせちを食べるシチュエーションを想像してみる。・・・が、不思議と僕がたった一人でおせち料理を食べる姿しか浮かばない。
他のみんなはおせち料理が口に合わず、結局苦労して企画したおせち料理は、僕が責任を取って一人で頑張って食べている姿である。
楽しみにしていた分つまらなくなって、日本酒でやけ酒している。
こんな光景しか浮かばない。・・・これは前途多難だ。

これまでフィリピンでの僕の料理企画は、ことごとく失敗している。僕がキッチンで張り切り出したら、家族がある種の覚悟を持って食卓につく。
年明け早々「あ〜、やっぱり・・」となれば、一家の主として面目が立たない。
そうなるくらいなら、最初から無謀な挑戦はやめた方がよいかもしれないと、少し弱気になったりする。今度失態を犯したら、トラウマになってしまうかもしれない。

逆にフィリピンの家族が、おせち料理は美味しいとなればこれほど嬉しいことはない。一気にみんなの日本への関心度が高まる可能性がある。
調子に乗って日本の正月について語り出す。お年玉のこともついつい口を滑らし、家族のみんなにお年玉を上げるはめになり、墓穴を掘ったと反省する。

妄想モードから我に返った。
こんなことであれこれ想像を巡らし一喜一憂している僕は、やはり精神が病んでいるのだろうか???

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