フィリピーナと共に
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2010年11月25日

177.学校イベント

数日前にモナが唐突に一万円頂戴と言ってきた。
ベルの学校に使うということだったので、いいよと二つ返事で答えておいたが、少ししてからフィリピンの小学校で5000ペソも支払うことは普通ではないと思い、一体何のお金だろうと気になり始めた。ただでさえ5000ペソの支払いを要求されても滞納する家庭が続出しそうなのに、今はクリスマス前である。
昨夜それについて、モナに確認してみた時の話しである。

そのお金は、ベルの小学校のイベントで使用するためであり、その他学校のフェンスの補修か増設に充てられるお金だそうだ。
しかしみんなが5000ペソも支払えるのかと聞くと、ベルのクラスでお金を払うのが4人だけとの答えが返ってきた。おそらく一つのクラスには、40人〜50人の生徒がいるはずである。
ここで僕は訳がわからなくなった。なぜ4人だけなのか、疑問に思ったのである。

よくよく聞いてみると、お金を支払った家庭の子供は、イベントでプリンセス役としてドレスを着てステージに上がることができるらしい。学校全体では、ステージに上がる子供は50人くらいになるとのことだった。
そう言えば以前のイベントでも、街中のパレードや市役所前の広場で、ベルはその役をやっていた。僕はてっきり、クラスのみんなに選ばれてステージの上に立つことになったと思っていたが、その時にもお金を払ったらしい。

ベルは今年の6月から学校を変わっている。以前の学校は家から少し遠くなったので、ジャマイカの近くの学校へ転校した。フィリピンの学校の学期は6月で切り替わるので、区切りの良い6月を待って転校したわけである。

今回ステージに上がる役を希望したのは、ベル本人だった。
最近ベルは、ユリに対して少しやきもちを持つようになっているらしい。そんなベルを可哀そうだと思っていた矢先の彼女のお願いごとだったため、モナはすぐに了解したそうだ。
ついでにモナが言い訳を言うように説明したのが、次のようなことだった。

ベルは学校を変わったばかりで、まだ新しいクラスに馴染めきれないところがある。イベントでプリンセス役をやれば、注目され人気が上がる。また、ベルの申し出とは別に、自分も学校のために役立つことをしたい。

その話しを聞いて、少々違和感を覚えた。
なぜかと言えば、ベルは新しい学校で、既に仲の良い友達ができている。全く馴染んでいないわけではなく、孤独な学校生活をおくっているわけではない。しかも長年通った前の学校でも、同じようにお金でプリンセス役を買っているではないか。
学校に馴染みきっていないというのは詭弁で、単に注目を浴びせたい、人気稼ぎをしたいというのが本音だと思ったのである。そのためにお金を出すということなのだ。
ついでに学校の設備のために一肌脱ぎたいという話は、それはみんなで公平にやれば良いのであって、特定の人だけで負担すべきものではないというのが僕の意見だった。
モナが言うには、学校の予算は不足しているので、そうやってお金を集める必要があるというのだが、学校側の、プリンセス役を餌に集金を行うやり方も少々気に入らなかった。

学校設備の問題ならば、全員から100ペソや200ペソを集めれば良いのではと言ったら、それを学校側が父兄に提案しても、揉めるだけでみんなは反対するに決まっていると言われ、僕はますます納得できない不満を募らせた。
確かにベルの前の学校で、ほんの少しの負担金の件で、2時間も揉めたことがあった。あまりに紛糾したので、あとでそれが2〜300ペソの攻防戦だと知って驚いたことがあった。
しかし必要なものであれば、みんなで公平に負担し合うのが筋だと思われる。
それが通用しないフィリピンの社会に対する苛立ちのようなものも覚えていた。

しかしそんなことをモナに言いながらも、自分が日本の考え方をモナに押し付けようとしているわけではない。ただ話をして、自分の理解が間違っていないかを確認し、フィリピン人の考えも確認したかったのである。

要は自分が腑に落ちないのは、友達の注目を浴びることや人気稼ぎをお金で買うようなことがあって良いのかということ。
そして、必要な学校の設備に関するお金を一部の父兄で負担すること。
しかも、仮にそれをみんなに投げかけて、少しの金額をみんなで公平に分担しようと提案すれば、それは間違いなく大方の反対に合い却下されるということ。
更に気になったのは、ベルのユリに対するやきもちに、このようなことでむくいたいということである。

フィリピンの学校では、昔からどこでもこのようなイベントが開催されるそうだ。
誤解があるかもしれないが、僕にはそれが、集金イベントのように思えるのである。
そしてそれが集金イベントだとすれば、僕はそこに少し、姑息な雰囲気を感じ取ってしまう。
確かに日本にも、寄付という言葉と行為がある。モナも今回の件は、寄付(donation)みたいなものだと言っていた。だったら寄付を募る・・で良いではないか。
お金を出してくれた家の子供をことさら引き立て、イベントで目立つ場所に上げるのは、いやらしい感じがしなくもない。そんなことで子供が優越感に浸ることがあるとしたら、少なくともベルにはそのようなことはさせたくないというのが本音だったし、僕が一番ひっかかりを感じるのはこの部分である。

そしてベルがユリにやきもちをやいている話しは、こんなことで解消すべき問題ではない。
このことは前から予想していたので、モナには気をつけなさいと話していた。
ユリはまだよくわからないから、少しくらい手抜きをしても良いのである。ベルにも親としてきちんと気持ちを向けていることを、ベルがわかるように接することが大切だと、以前からモナには話していた。
もしベルが寂しいと感じているなら、普段のベルに対する接し方を再び考慮すべきである。
もっともそれはモナも分かっていると思われるので、そのことについては必要以上に言及しなかったが。

モナは最後に、僕が納得しないようだったら今回の件は他の人にお願いすると言いだしたが、一旦ベルに了承の旨を伝えているのだから、予定通りやってくれと言った。

紹介したモナとの話し合いは、どうもスカイプではお互い通じない部分があるようなので、フィリピンに帰ってから話しあいたいと思っている。

お金を出せる人が出すというのが当たり前の社会であるのは分かっていたつもりでいたが、モナとの一連の話しを通して、どうやら僕は分かっていないのかもしれないと、自信を失いつつある。

余裕のある人がお金を出すということは良いとして、それでは出せる金額を公平に負担しようということが却下されるということはどのようなことか。
それは出せる人が出すという社会通念から派生する考えなのか。それとも単にケチだからか。公共への負担など必要ないということか。または学校教育に対する関心の低さの表れか。もともと不公平な世の中だから、公平に負担するという概念が通用しないのか。
その辺りが混沌としてきてわからない。
しかしおそらくそこには、日本人とフィリピン人の考え方において、決定的な違いが潜んでいそうである。
それが何であろうか、大きな興味があり知りたいところである。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:177.学校イベント
2010年11月24日

176.クリスマスツリー

今年もクリスマスが近づいてきた。
今さら言うまでもなく、フィリピンでクリスマスと言えば、日本の正月にあたる1年の最大イベントである。
同時にみんなが豊かで幸せなクリスマスを過ごせるようにと、誰しもが1年で1番お金が必要となる時期となる。
よって街の華々しさと比例するように危険度も増し、フィリピンでは1年で最も治安の悪い時期と言われる。
以前は警官に「メリークリスマス」と言われ、同時にお金ちょうだいの手を差し出されたことに驚いたこともある。
警官でさえその調子だから、得体の知れない男に手の代わりにナイフを出され、「金を出せ」と脅かされてもおかしくはない。

モナから、今年は大きなクリスマスツリーを1階のリビングに飾りたいというリクエストがあった。
思えば昨年は、小さな古い家でクリスマスを迎えた。年が明けてから引っ越しをしたのだから、ジャマイカの新居で初めてのクリスマスとなる。

古い家では、狭いスペースに大人と子供を合わせて7〜8人が住んでいたので、クリスマスツリーなどを置くスペースはおろか、寝る場所さえようやく確保していた状況だった。
だから昨年のクリスマスシーズンまでは、玄関の軒下と部屋の窓の近くに、少しだけの電飾をぶら下げただけである。
それに引き換え今年はゆったりとした大きなリビングがある。モナが大きなツリーを飾りたい気持ちになるのはよく理解できた。

早速モナは、レガスピへ出かけて大きなクリスマスツリーを買ってきた。
そしてすぐに一家総出でツリーに電飾を取りつけ、ついでにリビングの中やエントランスにも、電飾を取りつけたようだ。ほぼ半日がかりの作業になったようである。
モナはその作業だけで、へとへとになっていた。

写真で見る限りでは、そのツリーは天井まで届くほど大きく、綺麗で豪華なものに仕上がっていた。
飾り付けをしたみんなは大満足であったが、通電して光り輝いたクリスマスツリーに一番喜んだのは、やはりベルだったようである。
モナにとっても自宅に大きなツリーを飾るのは、初めてのことである。
いや、そう言えば僕も、あれほど大きなツリーを自宅に飾るのは初めてだ。
クリスマスに対する思い入れが強いフィリピン人にとって、家の中に大きなツリーを飾れるというのは感慨深いものがあるのだろうと思われる。

僕にとってあのような大きなクリスマスツリーは、生活が上向いたことの象徴である。
僕は裕福な家で育ったわけではなく、子供の頃は立派なクリスマスツリーに憧れた時期があった。
クリスマスに生クリームのケーキを食べることができるようなった時には、感動すら覚えたものである。
それまでは、今ではほとんどお目にかかれないバタークリームが安かったので、クリスマスケーキはほとんどそれだった。
おそらく生活がぎりぎりだったのだろう。
それでも両親は、クリスマスにはケーキやチキンなどのクリスマス料理、そして枕元に置くプレゼントを必ず用意してくれたから、質素であっても振り返れば温かみのあるクリスマスだったと懐かしく思うのである。
それでも友達に家に飾られた大きなクリスマスツリーが羨ましく、その時の思い入れを引きずっている部分があるからなのか、僕にはどうしても生活レベルのバロメータとして、クスマスツリーの大きさが結びついてしまうところがある。
少し心に歪んだ箇所を持っているようだ。

リビングのクリスマスツリーを写真で見て、僕は今年のクリスマスを想像していた。
料理は何をリクエストするか、乾杯はワインかシャンパンか、そして最大の悩みごとであるプレゼントを何にするかなどである。
プレゼントは高価なものではないが、数はどうしても多くなる。
モナは最初に必ず予算を決めるから、その範囲で選ばなければならない。少しでも喜んでもらえるものを選ぶために時間がかかるから、それに費やす労力も相当なものとなる。
ラッピングに信じられないほどの時間がかかるのもフィリピンスタイルで、昨年は時間をかけた割に中身が間違っていたという落ちがついた。それをたまたまその場で気付いたので、更に時間をかけて再ラップと相成った。作業が適当なので、中身が入れ換わるなど当たり前となる。彼らの作業を信じきって中身の確認を怠ると、後でとんでもないことになる。

モナと、昨年は誰に何をプレゼントしたのかを復習した。
家族のみんなにあげたものはそれぞれ覚えているのだが、僕とモナがお互いどうしたのかについては、不思議と二人とも思い出せない。
もしかしたらみんなにプレゼントをあげるのが忙しく、二人は何もなかったのかもしれない。いや、きっとそんな気がするのである。
今年はモナへ誕生日プレゼントも買っていないので、2つのプレゼントを用意しなければならないだろうか。それはその時の財布の中身と相談となる。

まだ12月にもなっていないのに、クリスマスの話題は早すぎると言われる方も多いかもしれないが、フィリピンでは9月からクリスマスシーズンだと言われている。
英語の月を表す言葉で、「バー」が付く時期がクリスマスシーズンだそうだ。
セプテンバー(9月)、オクトーバー(10月)、ノベンバー(11月)、デセンバー(12月)と、9月から12月までは、全て後ろに「バー」が付く。

それを教えてもらって以来、僕は11月にはとっくにクリスマス気分となっている。そこはフィリピンスタイルになりつつある。
特に今年は日本で辛く長い時間を過ごしたので、今からフィリピンで迎える2回目のクリスマスを、ここ数年来なかったほどに楽しみにしているのである。

今年はジャマイカの家の未完成部分を、随分工事した。主に1階のフロアーとモナのキッチンである。
モナは自分のキッチンが完成したので、レガスピの料理教室に通いたいと言い出していたが、結局行かずに、最近はその話題がなくなっていた。
ユリの面倒を見なければならないから当面は無理だろうと思っていたが、やはりその通りだったのだろうか。

とにかくしばらくぶりで見る我が家は、綺麗に様変わりしているはずである。
今度のクリスマスとニューイヤーは、その綺麗になったリビングで祝うことになる。
昨年住んでいた小さな家は、家族の一体感がありそれなりに良かったが、今年はまた違う良さがあるだろう。
早く仕事にけりをつけて、晴々とした心境で家に帰りたいものだ。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:176.クリスマスツリー
2010年11月23日

175.フィリピンの生活

フィリピン・マニラからルソン島を500km南下する程度でであろうか、飛行機で約1時間のところにビコール地方がある。
ビコールと呼ばれるエリアがどの程度の広さをもち、人口がどのくらいいるのかは知らないが、その地方の中心となる街「レガスピ」でさえ、マニラのような近代都市とはかけ離れた田舎町であるから、ビコール内のその他の町もたかが知れている様相だと思われる。

レガスピから車で田園地帯やジャングル地帯を眺めながら30〜40分も走ると、隣町のタバコシティーとなるが、そのタバコシティーもフィリピンの一般的なダウンタウンで見かけるのと同様、中層の古ぼけたビルディングがいくつかある程度だ。悪く言えばさえない町、良く言えばおもむきがある町である。
おそらくであるがエレベータを持つビルディングは、タバコシティーには一つもないのではないだろうか。

タバコシティーも多少は開発され、つい最近2階建ての新しいモールがオープンしたばかりだが、そのモールは町のみんなの大きな期待を裏切って、ここは田舎だということを強調するような燦々たる状況を露呈した。これから少しは進化するかもしれないが、そのモールは、マニラやセブはおろか、レガスピのモールに近づくのも無理だろうと思われるほど、残念な造りと内容である。
せっかく設置されたエスカレータは、経費節減のためか通電されておらず、ただの階段になり下がっている。その階段を上ると2階のフロアーには、露天商が単に引っ越してきてそこで商売を始めたような、小さな店が並んでいる。売られているものは、雑貨屋の地元のお土産風飾り物、金物屋のナイフ、鍋、包丁、鍋・・等々。照明も薄暗くエアコンさえ入っていないそのモールで、ショッピングを楽しむという雰囲気は微塵もない。
モールと銘打っただけに、実態とのギャップの大きさにみんなががっかりした。

そのモールがある一帯は、他にも別のモールや市役所、教会、ホテル、銀行、コンビニ、交番、大学、病院などが集まる、セントラルと呼ばれるタバコシティーの中心街である。
ここはいつも人がやたらに多い。セントラルの中の道路は、車、バス、トライシケルでごった返していて、不思議な活気がここにはある。

セントラルにある、僕がたびたび買い物をするコンピュータショップやたばこを売っている雑貨屋は、店主が全て中国人だ。中国人といっても中国系フィリピン人だが、生活をすると、ビジネスの領域では圧倒的に中国系の人たちが、その世界に根を張り巡らせていることを感じるようになる。
どこの国でも似た状況があるから、中国人のネットワークは恐ろしいと言わざるを得ない。要は中国人が商売を始めたいとなると、彼らは低金利で簡単に資本金を融通し合うわけである。軍資金が豊富な中国人に、フィリピン人が対抗するのは難しい。結局多くのフィリピン人が、中国資本の餌食となり搾取される立場に追い込まれてしまった。
搾取する側の末端が、その小さな店の中国系店主や会社社長ということになる。

そのセントラルと呼ばれる中心街から、内陸の方へ延びる広い道路をトライシケルで5分走ると、我が家があるジャマイカマンションがある。
セントラルからジャマイカまではずっと上り坂となっていて、そこは小高い丘の上にあるという言い方もできる。
ジャマイカから内陸の方、つまり西の方角には、富士山に似た美しい活火山「マヨン」が、頂上から煙を吐きながら大きくそびえ立っている。
我が家からマヨン火山まではほとんど障害物がなく、草原の向こうにあるそれは手に取れるほど近くに見える。ビコール地方を象徴するマヨンの堂々たる容姿は、思わずだまって見とれてしまうほど雄大である。広々とした草原は、風が吹けば草や木々の葉が触れ合って出す囁きが耳元まで届きそうである。
反対方向へ目を向けると、青々とした海を眺めることができる。タバコシティーには小さな港があり、海辺には漁師が住む家がずらりと並んでいる。タバコシティー住民の生活は、海との関わり合いが深いと言える。そのせいかセントラルにある市場には、毎日新鮮な大小様々な魚が所狭しと並べられる。

ジャマイカにはマンションという名前がついているが、我が家は日本で言うマンションのような建物ではない。ジャマイカマンションは外部とフェンスで仕切られた、広大な住宅エリアの呼称であり、我が家はその中にある一戸建ての家である。

ジャマイカマンションの入口には形ばかりのセキュリティーゲートがあり、一応は部外者や不審者が簡単に中に入れないことになっている。
その住宅エリアは、先ほど説明したセントラルをすっぽりと収めてもまだ余りがでるほど広いが、人が住んでいる住宅はまだ20戸程度なので、ジャマイカの人口はおそらく150人程度ではないだろうか。
売約済みである広大な土地は家が建つのを待っている状態で、今のところジャマイカの中は見通しが良く広々としている。人口密度が非常に低いので、夜は不気味なくらい静かになる。
隣の家が100mも離れているのでプライバシーを確保するにはもってこいだが、何かが起こってもさっぱり気付くことができない。ゆったりとしているのは良いが、セキュリティーという観点で、それは表裏一体である。
すぐ裏手には闘鶏用の鶏を飼育している家があるが、人が住んでいる場所はやはり50mは離れているので、セキュリティーに関して何か役に立つかと言えばそれも疑問だ。

家の周囲には土地が余っている。余っていると言っても既に購入された他人の土地だが、そこは持ち主が家を建てるまで、自由に使用しても良い契約となっている。
珍しいルールだと思われるが、人が関わらない土地は雑草が生え荒れ放題になる。蛇が巣を作る温床にもなるとの理由から、積極的に畑などで活用して良いということらしい。
よって我が家でも自分の家の裏庭とは別に、隣の土地に畑を作って活用しているが、その面積は次第に未開拓の土地を侵食するごとく拡張されている。

その畑では芋、トウモロコシ、ねぎなど、僕自身も何があるか忘れるくらい豊富な種類の野菜が作られていて、収穫されたそれは食卓に上がるのは勿論、夕方のスナックと称されるディナーまでの繋ぎ食事の際にも登場する。
収穫した直後にゆであげられたトウモロコシの美味しさは、思わず大地の恵みに感謝を覚えるほどであり、それを食べる度にそのような生活を与えてくれた巡り合わせを、神に感謝したい気持にもなる。
土地が肥えているせいか、収穫される果物や野菜はいずれも味がはっきりしており、こくや甘みがあり美味しい。

畑の主たる管理者はモナの弟のジンである。
これまでジンの、就職するという約束はことごとく反故にされ、相変わらず無職の彼はこの畑で野菜作りに精を出している。
僕はこのまま彼がファーマーになり、野菜を本格的に売ればどうかと話している。モナもあの野菜は売れると言っている。
ただしその土地は、いつまでも使えるものではないので、本気でそれを勧めているわけではない。
そのくらい本格的な畑になりつつあるということである。

我が家の2階のテラスから正面に、煙を吐いている荘厳なマヨン火山が見える。併せて草原が海原のごとく広がっている。山の裾野には、数か所に炭焼き小屋らしきところから上がる煙が見える。
夕刻になると連なる山々が影のように重なり、それがまた幻想的な景色を作り出す。
このようなのどかな景色を眺め、自然の風を体で受けていると、まるでリゾート地のホテルに滞在しているような気分になる。それだけで命の洗濯ができそうな気持ち良さがある。
もともと都会志向ではない僕にとって、このような場所は住みかとしてうってつけであった。
そしてこのような環境で暮らしていると、食べ物や景色や風から、人間が自然の恩恵を授かっていることを認識する。
日本の街中で暮らしていると、中々考えが及ばないところだ。

時々夜中に口が寂しくなり、何かを食べたり飲んだりしたくなる。日本にいたら、すぐにコンビニへ出かける状況だが、ジャマイカにいる時にはそうせずに諦めて我慢する。あまりにのどかな環境に、24時間営業のコンビニがあることをいつも忘れているせいである。
セントラルに行きそのコンビニの前を通る時に、ちょっとしたものは24時間このコンビニで買い物ができるのだと、その時になって思い出すのだ。
町の中心からは遠くないジャマイカだが、世間一般から隔離されたような雰囲気が、町の喧騒も含めてコンビニの存在までも忘れさせてしまう。
そのコンビニも、タバコシティーにはたった一軒存在するだけである。

タバコシティーは田舎町だけに、不便なことが多い。
例えば大好きな美味しいコーヒーを探すのは一苦労であった。まずいものであればタバコシティーでも買えるが、そこそこ美味しいものは見当たらない。
結局それは、レガスピまで行かなければ買えないことがわかった。それでもレガスピに行けば買えるということが、美味しいコーヒーを諦めていた僕には大きな喜びであった。
美味しい和食レストランは、レガスピに行ってさえ見当たらない。また、ブランド品のような良い品物を買うのはその界隈では不可能である。
自分が愛用しているクロスのボールペンと同タイプの物をモナにプレゼントしようとして、タバコシティーとレガスピを散々探しまわったが、そんなものでさえ置いている店は無かった。結局それはマニラで購入したが、趣向を凝らした高級品や名の通ったメーカー品は、タバコやレガスピ周辺には皆無といっても良い。それらはクロスのボールペン同様、飛行機に乗ってマニラまで行かなければ手に入らないのである。
パソコン周辺の何かを購入する場合は、マニラからの取りよせになるために、1週間以上は待たなければならない。しかも約束の1週間後には更に納入が1週間遅れるということを繰り返し、3週間や4週間後にやっと手に入るということもある。
実に不便で厄介なところである。

フィリピンという国はインフラが脆弱で、停電が頻繁に発生し、水道までもが時々停まる。おそらくフィリピンの田舎では、どこでも似たり寄ったりだと思われる。
貧しさゆえに、水道や電気の無い暮らしをしている人達も多い。
初めてフィリピンを訪れた時に、滞在ホテルのセキュリティーガードと仲良しになった。彼にセブのダウンタウンを案内してもらい、その帰りに彼の家族にお土産を買い自宅にお邪魔させてもらったら、彼の家に電気が無かったので驚いた。当時それは、衝撃に近い驚きだったが、今ではそれもあり得ると納得できる。

フィリピンの人たちは、電気が停まっても水道が停まっても、当たり前のことのように普通にしている。それが無ければ無いなりに、文句の一つも言わず普段通りに生活する。
僕が不便だと感じる多くのことを、きっと彼らは不便だと思っていない。便利になれば嬉しいが、不便のままでもそれは仕方がないと思っている。
だから電気代が払えずに電気の無い生活をする人たちも、とりわけそれを卑屈に感じることもなく、普通に、こちらからみればたくましく生きている。
山の方に行けば、みんなが山の湧き水で生活をしている。湧き水で洗濯をし、湧き水で料理をし食器を洗う。自然と一体の生活を自然にこなしているように見える。
そんな暮らしぶりを、身近なところに多く見ることができる。
僕が暮らすフィリピンの町タバコシティーは、そのような光景を間近に見ることもできる場所である。

生活電気が頻繁に停まることを僕は異常だと思っているが、フィリピンの人はそれを当り前だと思っているようだ。
実際の生活においては、至る所にこのような感覚のずれがある。
そのような感覚のずれが、一緒に生活する上で特別支障をきたすわけではなく、ただお互いにそうかと感心したり驚いたりするだけで、最初はそれが新鮮にさえ感じたりする。

僕がモナに連れられるようにして初めてタバコシティーを訪れる前、彼女はしきりに、自分の家は田舎だと言っていた。それはまるで、あらかじめ伝えておくから行った時に決して驚かないでくれと言っているようだった。
そのせいか、初めてみたタバコシティーがジャングルの中にある町ではなかったということに、逆に驚いた。小さいけれど、ビルディングがいくつもあるということにも驚いた。
そしてそこが、全然田舎ではなかったと思ったが、暮らしてみるとやはりそこは田舎だった。
ついでに、暮らしてみなければわからないことが、多くあるのだとわかった。

繰り返すが、僕はもともと田舎志向なので、不便なことに腹立たしく思う事はあっても、それに対して決定的に嫌気がさすようなことはない。
不便なことは多いが、大自然に心が和み、のんびりとした時間の流れに癒されることも多く、うまい具合にそれらが自分の中でバランスしている。
しかし人によっては、暮らしてみれば耐えられないと思うことが多くあるのも、フィリピンである。
マニラには気を紛らわすことができる場所が多くあるが、タバコシティーのような田舎では、そのようなものは皆無だと思った方が良い。
その点マニラやセブ、おそらくダバオでも同じだろうが、そこには何でも揃っている。
日本にあるようなお洒落で美味しいレストランで食事したいとか、美味しい和食を食べたいと思えば、全く問題なく即可能である。そのような大きな街では、お金はかかるが、日本人が暮らすのに不便はなさそうだ。

他にも大きな街はあるらしい。
タバコシティーから比較的近い場所に、ナガという街がある。レガスピとタバコシティーの間は約20kmだが、タバコシティーから7〜80km程度足を伸ばした場所に、その街がある。車で2〜3時間かかるので、飛行機で一時間以内のマニラやセブよりも遠いと言えなくはないが、タバコシティーのバン(乗り合いタクシー)やバスのターミナルからナガ行きがでているので、大人一人1000円以下の安い金額で、気軽に行くことができる。

そのナガは大きな街らしく、今度モナが僕をそこへ連れて行ってくれることになっている。
田舎町に飽きたら、たまにはそのような大きな街に日帰りで遊びに行っても良いし、気分転換に一泊旅行でのんびりしても良い。
ナガの見物は、次にフィリピンへ帰った時の、僕の楽しみの一つである。

フィリピンで嫌気さすと言えば、前述した不便さばかりではない。近所や親戚関係との、いわゆる人間関係もその要因の一つになり得る。それもお金に関することである。
これも暮らしてみる、もしくは深く踏み込まなければわからない。表面的はその実態をつかみきれないはずだ。
僕の場合にはこれらで特に困ったことはないが、一般的にはトラブルが多いと聞く。
普段の生活の中で、お金に関する微妙な駆け引きが至るところにあることは、僕も常に感じてきたことである。

フィリピン国内において、日本人が金持ちだとう神話を、僕は間違いだと思っていた。日本人は決して金持ちではない。地元の有力者の方が、よほどお金を持っている。
しかし先日、やはり日本人はお金持ちだという神話が、正しいと思うことがあった。

先日、ユリの一歳の誕生パーティーをジョリビー(日本のマクドナルドのようなファーストフード店)で行った際、招待予定客30人に対して、80人強の人たちが足を運んでくれた。
モナはたくさんの人がユリの最初の誕生日を祝ってくれたことをとても喜んでいたが、ジョリビーに支払った金額は予定を大幅に超えて約4万円だった。それもジョリビーに支払った金額だけが4万円であって、それ以外に来訪者のお土産なども用意していたから、実際にかかった費用はそれを上回る。
フィリピン国内では工場などで働く普通のワーカーの給料が1カ月2万円〜3万円であるから、まだ何もわからない赤ん坊の誕生パーティーに4万円以上をかけることができるのは、お金持ちの部類に入るだろうと思ったわけである。
日本人とフィリピンの一般庶民のお金に対する価値観だけは、やはり決定的に違うのであって、このギャップが埋まることは難しいと考える一つの契機であった。

地元の普通の人に、4万円や5万円でパーティーを開きなさいと言えば、やれなくはないかもしれないが、大きく無理をすることになる。月の給料以上を他人に食べ物や飲み物を振る舞うことでいっぺんに使うわけだから、それは当たり前だ。
日本人の僕でさえその金額を安いと思わないし、そこまですることはないだろうとも思うのだが、結果的にそのことで生活が窮地に追い込まれることはない。
パーティーに参加をした人たちがその様を見ていれば、我が家の実際の台所事情とは関係なく、モナの家にはやはりお金があるのだと感じるのが普通である。

現地で派手な生活は控えたいと思っていても、何か特別なことがあればこうなる。
実際に現地の人たちの何十倍の給料をもらっているわけであるから、必然的に自分たちはフィリピン現地で、金持ちの部類に入ってしまう。田舎町では尚更自分たちが、現地の人々の目にそう映ってしまう。
そう思われてしまう事は、今後何かのトラブルの原因になりかねないと、一抹の不安を覚えないわけではない。
先日ダディーの兄弟が、ちょっとしたお金を貸して欲しいと訪ねてきてそれを断っているのに、すぐさまこのようなパーティーを催して、ダディーの親戚筋の人たちも多数参加していることは、どうなのかと思ったりもする。
僕は今回、日本で傍観しているだけであり、仮に現地にいたとしてもそれはモナやママに任せることになるので、それを考えても仕方がないことは分かっている。
単にその辺りに小さな引っかかりを覚えるということである。

親戚筋のお金に関するお願いは、ママが上手にハンドリングをしてくれているので、幸い我が家はその点での問題が少ない。ダディーの親戚は、中国系のママがお金に関して厳しいことを重々承知しているようである。
ただし僕に言わせれば、ママは自分の親、兄弟には甘いところがある。不公平にも見えるその行動が、ダディーの親戚筋を我が家から遠ざけている要因ではないかと思われる。
また要となるモナはママより数段甘いとは言え、ママの考え方を継承しているのでやはり安心感はある。
この2段構えが、我が家に金銭のトラブルが少ない要因であると思っている。
これで奥さんが野放図にお金をばらまいていたら、日本人の家庭が現地住民の餌食になることは、大きな確率であり得ると思われる。

それにしてもフィリピン人はパーティー好きである。
ユリの誕生パーティーをジョリビーで行った翌日、今度は自宅でモナの誕生パーティーが行われた。モナとユリの誕生日は、たった一日違いである。
モナの誕生パーティーの写真の中に、前日ユリの誕生パーティーに参加していた同一人物が何人か認められる。
そして数日あけてから、今度はモナの弟、ジンの誕生パーティーである。
こま切れにやることはないだろうとモナに話したが、いずれも欠席している僕にそれを強く提言する資格はないと自覚しているので、あくまでも控えめに、モナの喜びを損なわない程度の言い方である。
来年からはまとめてやった方が良いのではないかという話に、モナも控えめに同意していた。家族が多いと、この誕生日のイベントだけでも一苦労である。
お金に関してはモナが予算をきちんと計算し、生活に支障をきたさないようやってくれているので心配はないが、お酒が苦手な僕は、その場にいたらきっと根を上げていると思われる。
このイベントラッシュも、一緒に暮らしてみないと想像できなかったフィリピンの生活スタイルの一つである。

このようなイベントは、仮にお金に余裕がなくても、それなりの規模でどの家庭でも行われているらしい。
派手にお金をかけ豪勢に実施するか、それとも小ぢんまりと小さな範囲で喜びを分かち合うのかの違いだけであり、大小様々なイベントがある。
日々このような形で、何かしらの楽しみを予定しながら、フィリピンの生活は進行しているのである。
勿論どん底の暮らしを強いられる人も見かけるが、大方の人はそれなりの楽しみや喜びを何かに見出して暮らしているように見受けられるのである。

フィリピン人は大きく原始的な自然を背景に、ゆったりとした時間を形成しながら最低限の労力で暮らしを成り立たせる。
長い間日本の会社勤めをして、せせこましく几帳面に動いてきた自分には、そのスタイルを怠け者と呼んでもいいような感覚さえ持っている。
しかし僕はそこに、生きるということが何かというヒントを見ているような気もするのである。ただしそれが何かは、まだ霧がかかっていて明確に述べることができない。

ただし、日本の生活スタイルはそれに比べて、随分と無味乾燥状態になってはいないかということを、率直に感じる。
日本の生活スタイルは、日々の仕事や生活に追われ、それを淡々と差しさわりないようにこなす生活と言ったら良いだろうか。場合によっては、生活に追われるという言い方もあるかもしれない。
楽しい、もしくは充実した生活を自分が作り出すのではなく、切羽詰まった生活が先にあり、それに追われている暮らし・・・、色々な場所で責任が発生し、責任を果たすことで青色吐息になっている生活とでも言おうか。
そんな暮らしの中で、日本人の視野は総体的に昔と比べて大きく狭まったと思われる。
溢れんばかりの情報がキャッチできる環境にありながら、日本人は日本という小さな島の中で、あらゆる便利なものに接しながら小ぢんまりと縮こまっている。最近その傾向が顕著に出ている具体事例もある。

フィリピンの生活は、大げさに言えばその真逆にある。
生活が苦しければ海外に出稼ぎに行く。その際、どこが今働き手を必要としているかの情報が重要となる。ドバイが栄えるとなれば、こぞってドバイへと移動する。
どこで何をすれば、自分や家族の暮らしが成り立つのかを考える。
とにかく行動すれば、何とかなるだろうと考える。
緻密さが欠如していると言えなくもないが、その分ダイナミックな思考と行動とだと言える。
それと比べた日本人を否定するつもりは毛頭なく、日本人はどうやら、少し思考と行動が偏り始めているような気がするということを言いたいのである。

フィリピンの我が家の周囲には自然が溢れんばかりにある。
自分がその大地の上で暮らしているという実感を持ちながら生活するという経験は、振り返ってみれば僕にはほとんどなかったことに気付く。
そこでは人間が、自然の中で生かされていると思うことがしばしばである。
そして不便なことが多い分、人間の生活力とは何かというものを考える機会が多い。
また、原始的な生活を目の当たりにして、人間が何故に生きるのかを考えることも多いのである。
その生活に懐かしさを感じるのはなぜだろうか。それは昔の日本が持っていた何かがそこにあるからに他ならない。

現代の日本に生きた日本人として、フィリピンの生活には実に新しい発見が多い。
フィリピンの暮らしは不便で不愉快で大変なことは多いが、反面自分を開眼させるものが多いのも事実である。
そしてモナが傍らで自分を支えてくれるならば、細かな問題は問題ではない。

同じフィリピンでも、都会に暮らす人はまた違う感想や意見をお持ちと思われる。
それを念頭に置きながらも、フィリピンに関わる人、フィリピンに興味のある人に読んでいただきたいと思って書いた記事である。

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posted at 12:27
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:175.フィリピンの生活

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