フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年11月15日

174.来年こそは・・

最近ロー○ン100が重宝している。今まで車で街を走っているときに、たまに看板を見かけて何だろうと思っていたのだが、今住んでいるマンスリーマンションの近くにそれがあるので、ちょっと入ってみた。

店内を一周してみると、大量の食料品やお菓子などが消費税込みの105円で売られている100円コンビニであることがわかった。
僕が良く買うのは、電子レンジで温めて食べる100円ご飯。他のスーパーでも3パック300円前後で販売されていたりするが、このロー○ン100では、そのご飯が大盛りタイプの250g入りで105円だから、これは有り難いと買いだめしている。

それに魚の缶詰や冷蔵・冷凍のハンバーグ、そしてレトルトカレー、会社の帰りにポテトサラダやイカフライなどを買っておかずにすると、立派な夕食になる。
100円の冷凍食品も、なかなか良くできている。

それ以外に、ナッツ系のつまみやムキ栗、せんべいなどがあり、今度フィリピンへ帰る時にお土産で購入してみようと、現在味見実行中である。試しに買ってみて美味しかったら、今度は大量買いしようという魂胆だ。

お土産として要望があるのは、インスタント味噌汁、海苔、せんべい、他お菓子類、チョコレート、シャンプーとリンス、マヨネーズ、インスタントコーヒー、ドリップ用コーヒー、クリープ、醤油、ムキ栗等々。
既にお土産用として購入した嗜好品の類は、時々お腹が空いてつまみ食いをしているから、それも随時補充している。

これらの品々を普通のスーパーで買い物かごに入れ込んでいくと、レジで結構な支払い金額になる。そして金額もさることながら、容積もかさばり、重量が増える。
スーツケースにそれらを詰め込むと、いつも空港カウンターで重量制限ぎりぎりとなる。
飛行機での重量超過料金は、目の玉が飛び出るほど高い。無防備に空港へ重い荷物を持ち込むと、ディスカウントチケットであれば、それに迫る超過料金を徴収されることもある。そうなると、一体なんのために安いチケットを購入するのか、わけがわからない。
それであれば安い店で大量買いして、船便で事前に送る方が遠慮なく買い込める。
ついでにみんなのクリスマスプレゼントを日本で購入し、同梱してしまうのも一つの手だ。

次のフィリピン帰国は、一年のオープンチケットにする予定だ。それはフィリピンエアラインで、12万円ほどである。これはビジネスシートと同様、搭乗時期を問わず一定の金額のようだ。
ちなみにビジネスの1年オープンは16万円。わずか4万円の差に、優雅に最初からビジネスにしてしまおうかという誘惑に駆られる。
しかし我社は、社長でもエコノミーを利用するのが暗黙の了解事項。1年オープンだから高いのだと誤魔化せるかもしれないが、ばれたら怒涛のブーイングが押し寄せるのは間違いない。小心者の僕は、きっとエコノミーで購入するだとうと予想しながら、でもどうしようかと敢えて悩んでみたりする。

フィリピンへの帰国(帰省?)は、12月に入ってからになりそうだ。よってチケットの予約を早めに済まさないと、満席になってしまう恐れがある。
早めにチケットを確定し、今度は何があっても延長には応じない。そう硬く心に決めている。
様々なイベント(二人の結婚記念、ユリやモナの誕生日)をすっ飛ばしてクリスマスも帰れないとなれば、僕が中国で見た夢が正夢になりかねない。

それにしても1年経つのは早いものだ。
ユリがこの世に生を受けて、もう1年になる。そしてフィリピンで2度目のクリスマスとニューイヤーを迎える時期が近づいてきた。
この1年は、あっという間であった。以前年を取るごとに、時の経過を早く感じることを書いたが、時の感じ方は一般的に、生まれたばかりを基準にすると1年/年齢で縮まっていくそうである。つまり僕は、1歳の時に感じた1年が、今はその47分の1にしか感じないということになる。少し大げさな法則だが、現象を言い表す例えとしてはうまい表現である。
当初はフィリピンでの生活がどうなるかと心配していたが、蓋を開ければ半分以上は日本での単身赴任状態だった。
新婚早々、なんとも異常な生活形態であったが、その状態もこれが最後になる・・・
・・・・予定だ。


実は日本で設計仕事をやりながら、同時にフィリピンで会社を立ち上げてからのビジネス準備もしていた。
現在大手の取引相手と商談を進めており、それがまとまりかけている。

相手の会社はフィリピンに工場を持っており、現在はフィリピン工場の生産に使用する治具や小ロットの生産部材を、日本から送りんでいる。それが仮に中国製だとしても、日本で手配をし、それを中国からフィリピンへ直送するという形を取っているそうだ。
中国では支払先と荷物の送り先が違う場合、その手続きが厄介で金もかかるということは僕も知っていた。

特に最近は大きなロットが減っているために、小ロット用の部材をそれだけ工数とお金をかけてフィリピンへ送りこむのは効率が悪すぎるという点が、日本側の大きな悩みとなっている。

僕はその悩みにつけ込んで、フィリピンでビジネスを立ち上げるための、一つの活路にしたいと考えているのである。
フィリピン工場で必要な部材の手配を僕が現地で行い、工場に送り込んでしまう。取引はフィリピン現地間で完結させ、日本側でそれに手をかけるのを止めてしまう。
物作りもフィリピン現地で行い、工場へと売りつける。
ついでに生産のフォローや品質管理フォローも僕のところでやってしまえば、日本側は手が離れて大助かりということになる。

日本サイドはこの話に乗り気満々となっている。あとは現地工場がそれに応じるかどうかだ。
生産面で責任を負っている工場は、日本本社の意向があったとしても簡単にあ〜そうですかとはいかない。工場の責任者とは、そのようなものである。
だから実績がない自分が、現地でどれだけ信用されるかが今後の焦点となる。
ついでに様々な物を販売するわけだから、その責任は重い。品質問題や納期問題を起したら、それこそ火事場の大騒ぎとなるのは必至だ。うまい話だけではなく、それだけリスクも付きまとうのである。

それでも生産に絡んだ仕事を持つことは、定期的な収入が見込めるということなので経営が安定する。
勿論設計の仕事を中心にしたいのだが、それだけでは浮き沈みが激しく、下手をすれば回転資金を食いつぶして終わりになりかねない。ここで安定収入を確保できたら、安心度は全く別次元になる。

先日の中国出張先はプリント基板の生産会社であったが、実はこの会社から、今進めている案件のフィリピン工場で使用する基板を購入したいという目論見もある。
よって先日の出張では、相手が品質面や生産面で信用できる会社かどうか、それを見極める目的が僕の中に追加されていた。結果は上々である。
基板会社の営業とも、今後に繋がるコミュニケーションを築くことができた。

結局ビジネスは、どれだけ幅広い人脈・つて・コミュニケーションがあるかで決まるということが、最近わかってきた。
どれほど良いものを作り、どれほど良い仕事ができたとしても、協力してくれる味方がいなければ、それが世間で陽の目をみることはない。小さな企業はそうである。
今後は物作りを行う際、加工関係で協力してもらえるフィリピン国内の会社を探す必要がある。
それについては以前の勤めていた会社の関係で、いくつか心当たりがあるから、フィリピンに帰ったら当たってみるつもりだ。
もちろんプリント基板の試作工場も同様に探さなければならない。
日本では既に多くのつてを持っているが、海外ではその辺りもゼロからのスタートになるから、これが大きな障壁となり、しんどい部分である。

しかしビジネスは連鎖する。丁寧な仕事を心掛けていれば、それを目にした新しい顧客から、新しい依頼がくる。そしてそこから再び、新しい仕事が生まれることもある。
連鎖が始まればしめたものだ。
フィリピンで、本当は何が望まれているかも見えてくるだろう。
あまり気負った計画を立てるのはやめて、とにかくできるところから始めてみようという気になっている。

肝心の設計仕事は、少し唾を付けたものがある。まだ本決まりではないが、それらが決まれば数カ月は、なんとかしのげそうだ。
いろいろと手を付けながら、少しずつ仕事を増やし、人を増やし、会社を地道に軌道に乗せるしかない。
来年の抱負を語るにはまだ早すぎるが、来年こそが自分にとって運命の分かれ道になる正念場だと認識している。

とにかくゆっくりとくつろげるようになるまで、最低3年〜5年はかかるだろう。
それまでそこがフィリピンだと忘れるくらいに、休みもなくはばたばたと慌ただしい日々が続くと思われる。
フィリピンで雇う従業員は、それらについてこられるだろうか。
敢えて日本のビジネススタイルをフィリピンに持ち込もうとは思わないが、必要に迫られて似たようなものになる可能性もあり得る。
そしてそのようなスタイルの生活を、フィリピンの家族は理解してくれるだろうか。それも簡単ではないだろうと予測する。

それでも突き進む以上は、何とかものにしたい。だめだったから日本に逃げ帰るというのは、意地でも避けたいと思っている。
とにかく頑張りながら、フィリピンに適合する生活やビジネススタイルを見出していきたい。
少し早すぎるが、これらが来年の抱負となる・・・・
・・・・予定だ。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:174.来年こそは・・
2010年11月14日

173.嫌な悪寒

先日中国へ行った際宿泊したホテルで、朝からバスタブにお湯をため、久しぶりにお湯に浸かった。いつもシャワーばかりだから、少しリラックスしようと思ったからだった。
宿泊したホテルは落ち着きのあるゆったりとしたホテルだったから、部屋の広さもまあまあで、大きめのクイーンサイズのベッドが置いてあっても尚、くつろげるスペースが充分残るほどであった。
一人用の足を乗せるオットマン付きソファーに、濃いブラウンの木製テーブルがついている。くつろいで本を読むには最高の環境にあったが、残念ながら肝心の時間がない。

バスにお湯をためながら、モナとスカイプで話をしていた。例の夢(数日前のチャイナドリームの記事)を見た翌朝のことである。
ふと気付くと、随分と時間が経過していた。スカイプを終了しバスルームへ行ってみると、バスタブからお湯があふれ出ていた。バスタブの内側には、他でも当たり前のように見かけるお湯を流す口がついているのだが、どうもそこからのお湯の流れが悪いらしい。蛇口から出る湯量がバスタブから流出するお湯に勝っているために、バスタブの淵から床へとお湯が流れ出ている。
とりあえずそれを無視してバスタブに体を沈めると、ざざざーっと音をたててますますバスタブの外へとお湯が流れ出し、足ふきマットもスリッパも、そのお湯に流された。バスルームの床は、床上浸水状態となる。それが少々気になるが、それよりも体をお湯に浸けるのは気持ちが良い。

バスタブの淵に、シャンプーとリンスらしきミニボトルが2本、並んで置かれていた。
シャワーで頭をしっかりと濡らし、そのうちの一本を手に取ってボトルの文字を読むと、シャンプーと書かれていた。適当にとった方のボトルがシャンプーだったので、(お、当たった!)と1/2の確率に勝利した小さな喜びを感じながら、頭を泡立て、そしてそれを流してからもう一本を手に取り頭につけた。
やけに泡立ちが良いリンスだった。それでも何か変だと思い、ボトルの文字を読んでみると、「バスフォーム」と書かれている。バスを泡だらけにするあれだ。
「・・・・」無言でバスフォームのボトルを眺めること10秒、今度は思い切り外れか・・・マンマミ〜ヤ!とは言わなかったが、気分はまさにそれだった。
先ほどの1/2の勝利の喜びを帳消しされ、尚がっかりする外れだった。

慌ててその泡をシャワーで流すが、髪がごわごわになっている。
結局リンスはないようだ。おそらくバスフォームでのシャンプーも害はないと思うのだが、何か落ち着かないのでもう一度シャンプーをすると、髪がますますごわごわになっていく。

どうも昨夜の夢といい、中国ではろくなことがないと思いながら、バスタオルで体を拭いて、ついでにそのタオルでベタベタになったバスルームの床を少しは綺麗にしようと、しゃがみ込んで床の掃除に精を出した。
隅々まで綺麗にしようと手を伸ばした瞬間、僕の意思とは無関係に、濡れた床の上を左足がずるりと体の外側に滑った。そしてその足が、バスルームの内側に開いていたドアの下側に、ものすごい勢いで衝突した。
数秒の間をあけてから、ものすごい激痛が体を走り抜けた。(骨がいったか?)と思うほどのぶつかり方だった。歩いてみると、自然に足の痛みをかばう格好になり、明らかに何かあったことがわかる姿勢になる。
ぶつけた左足を引きずるようにしながらベッドに戻り、足を観察すると、左足の中指に早くも変色が始まっていた。
その日は監査本番で、サプライヤーの工場を歩き回らなければならないというのに、幸先の悪いことが起こったものだ。
靴下をはくにも激痛が走る。骨がやられたような気はするが、今騒いでも仕方がない。指が2〜3倍に腫れたら、日本で病院に行ってみるかと、とりあえず根性で我慢することにした。
結局病院には行かなかったが、一週間経つ今でも、足の指はまだ痛い。仮に骨にひびが入っていたとしても、僕は自分の自然治癒能力を信じることにした。
おかげで左足の中指は、力を入れた時の痛みが残っているだけで、人並みの色を取り戻し、歩くにも支障を来すことはなくなった。

その後の中国で、たいした事件は起こらなかったが、どうも最近ろくなことがない。
先日はマンスリーマンションのすぐ下の自動販売機でコーヒーを買うために、販売機の前で財布をごそごそと探していたら、後ろに人の気配がした。時間は深夜の12時前後だった。
人通りが少ない場所で、そのような時間、見ず知らずの他人に近づかれるのは気持ちが悪い。しかも僕は財布をポケットから取り出している。(まさか襲ってはこないだろうな、僕はお金を持ってないよ〜)などと思いながら、お目当てのコーヒーのボタンを押して、下にかがみこんでそれを取り上げた。回収したおつりを財布にしまいこんで振り向いたら、僕のすぐ後ろに30代に見えるサラリーマン風の男性が立っていた。

予期せぬその近距離に、僕は思わずのけぞりながら、「おー!」と驚きの声を上げると同時に、僕の背中は自動販売機にぶつかっていた。
それに驚いたその男性も、「おー!」と叫んで、数歩後ろに退いた。
僕は、先ほど感じた気配を放つ人がとっくに過ぎ去っていると思っていたので、口から心臓が飛び出るくらい驚いたが、きっとその男性も同じくらい驚いたに違いない。
「すみません、ちょっと驚いたもので・・・」と言い訳をしながら、無言でこちらを睨んでいる男性の前から、僕はすごすごと立ち去った。相変わらずその男性は、圧力的な視線で僕が立ち去るのを目で追っている。
数秒後に、同じように自動販売機の下にゴトンと飲み物が落ちる音が聞こえてきた。

ふう〜、最近どうも調子が狂っている・・・と自分を振り返りながら、4階の自分の部屋へと一歩一歩階段を上る。
部屋の前でポケットから鍵を取り出し、ドアに鍵を差し込もうとしたら、ちょっとした違和感があった。僕の部屋は、普段鍵を水平にして差し込むのだが、その日は鍵穴が垂直に立っていた。
あれ?鍵を閉め忘れたかな?と思い、ドアノブを回してみるが、鉄製のドアはびくともしない。
やっぱり閉まっているよなぁと、今度は鍵を差し込んでみるが、鍵が鍵穴に入らない。がちゃがちゃとドアノブを回したり、鍵を差し込もうとしたり、1分ほど奮闘してからふと気がついた。そこは3階の、僕の下の部屋だった。
どんな人が住んでいるのか知らないが、深夜に知らない人が自分の部屋のドアをがんがん開けようとしていたら、その住人はきっと怖かっただろうと思われる。
ドアスコープからは、部屋の中の明りが洩れていたから、住人は在宅中のはずだった。
もしかしたら足音を忍ばせてドアの内側に近づき、ドアスコープから僕を観察していたかもしらない。僕はわざとらしく「あ!間違えた」と、住人に聞こえる大きさの声で言おうかと思ったが、住人がただの酔っ払いだと思ってくれることを祈り、そのまますぐにもう一つ上の階まで上った。
今度は鍵穴が水平になっていることをしっかりと確認し、予定通りドアを開けて部屋の中へとたどり着いた。

しばらくベッドの上で茫然としていた。不吉なことが起こる前兆かもしれないと漠然と思った。そして少し疲れているだけだろうと気を取り直す。
今日は何もしないで、大人しく眠りにつこうと思っていたら、本当にそのままの格好で、翌朝寒さで目が覚めた。
今何時?と、霞む視力で時計を見ると、壁に掛っている時計は8時を過ぎたところを示していた。
(夜の8時か?え?なに?もしかして・・・あさ?)

すぐに会社へ電話をし、寝坊したので少し遅れる旨を連絡した。
ここ数日、おしなべてこの調子である。
あ〜、早くフィリピンに帰りたい。問題も多いフィリピンだが、このまま日本に居続けたら、何か恐ろしいことが起こりそうな気がする。
僕の日本滞在は、お客の都合でまた延長された。最悪のシナリオに乗って、時間だけが経過していく。
嫌な予感を通り越し、嫌な悪寒が体を走り抜ける、今日この頃である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:173.嫌な悪寒
2010年11月13日

172.モンダイアル

先日会社で仕事をしている最中に、突然モナから「モンダイアル」とメッセージが飛び込んだ。ヤフーメッセンジャーへのチャットメッセージである。
一瞬、ベルかユリが怪我でもしたかと驚き、すぐに「何?」と返すと、ダディーの兄弟が家に来たという返事が返ってきた。
子供の病気や怪我の話ではないとわかり安堵しながらも、叔父さんが来たということが、それはそれで何が問題なのかと気になる。
すぐに「問題はなに?」とメッセージを返した。

昔からフィリピーナの発する「モンダイ」という言葉には、一瞬胸の鼓動が跳ね上がる。その次に少し憂鬱な気分になり、今度はなんだと声に出さずに呟きながら、ある種の重苦しさがもたれかかってくるのを感じる。大体は長い前置きの後、お金がないという話になることを、嫌と言うほど経験しているからだ。
今はフィリピーナの夫という立場で、家で何か深刻な事象が発生したかもしれないと緊張感で少々体がこわばることもある。次に、何を聞いても驚かないぞと心の準備を整える。
僕の体の中でそれらの手続きが、無意識にほんの一瞬で進められる。この手続きも、最近では慣れたものとなってきた。

しかし、そこまで準備をして聞いてみた「モンダイ」の実際は、日常の些細なことであったり、すぐに解決することも多い。
だから最近、彼女たちのこの「モンダイ」という日本語の覚え方が、少し間違っているのではないかと疑っている。
注意を引くための常套句として「モンダイ」という言葉を覚えているのか、相談ごとを「モンダイ」と覚えているのか、その本質が一体何なのかは定かでないが、とにかく彼女たちは日頃、何かにつけて、好んで「モンダイ」という言葉を使用しているようにも見受けられる。

今回のモナの問題は、ダディーのお兄さん、つまりモナの叔父さんがジャマイカの家にやってきて、お金を貸して欲しいというものだった。
(今回の問題は、少し問題らしい問題だな)と思いながら、先を聞いてみる。

これまでダディーの家族とはほとんど交流がなかったので、僕はその叔父さんに会ったことがない。モナもそれほど親しくはないと言う。
そのあまり親しくない叔父さんが突然家にやってきて、お金を融通して欲しいというのだ。

これまでモナの親戚関係から、幸いにもお金を貸して欲しいという話は一度もなかった。
しかし他の人の情報では、フィリピンに日本人が入り込むと、そのような事件が発生するのは日常茶飯事的だと聞いていたから、「僕もとうとう人並みに、そのような申し入れがきたか!」などと、どこかに冷静に考えている自分がいた。

叔父さんは最初、ダディーにお金についてのお願いをしたそうだ。そしてお願いされたダディーは開口一番、「モナに直接掛け合ってくれ」と言ったらしい。モナはその成り行きが、とても不満だった。

第1に、なぜ全てのお金の案件が自分に集中するのか。モナは少なくとも、叔父さんの件が自分には遠い関わりであるはずだと思っている。僕もそれに同意した。
「私の顔がお金に見えるか?」などと言いながら、モナは憤慨気味である。
第2に、その叔父さんはダディーの実の兄なのだから、ダディー自らが「イエス」とか「ノー」と兄に返事をすべきことであった。100歩譲り仮にモナに振るのであれば、ダディーが間に入って話しをするべきで、直接モナに掛け合えという話はないだろうということだ。僕はこれにも激しく同意した。
第3に、ダディーの兄の案件であれば、ダディーはいきなりモナに振るのではなく、まずはママに相談するべきである。これはモナが言い出す前に、僕の考えとしてそれが自分の口から出たことだが、モナはそれに激しく同意した。

実はモナはこの件をママに相談したそうだが、ママは「あなたが考えて決めなさい」と言ったそうだ。僕はこの話に、腹の底からわき上がるある感情を感じたが、とりあえずそれを封じ込め、「それは何かがおかしいね」と言った。

さて、ここまで話しを進めて、そのお金は何のためで、いくらほど必要なのかを確認してみると、それは次のような内容だった。
叔父さんの大学生の娘、つまりモナの従兄にあたる女の子であるが、大学の派遣で急遽日本の大学のセミナーに出席することになったらしい。
選抜されて学校代表の一人として来日することになったらしいので、それは名誉なことである。
そのような理由であるから、飛行機代、宿泊代は大学持ちで、貸して欲しいのは日本での彼女のポケットマネー、つまりお小遣いだそうだ。日本の滞在は2週間だそうである。
理由は筋が通っている。まったくでたらめだではない。
そしていくら貸して欲しいかと言えば、2000ペソ(4000円)でもいいからということらしい。ここで僕は少し拍子抜けした。
本当にその程度で「モンダイ」だと連絡してきたのかという気持ちを言外に含めながら
「ちょっと待って、2万ペソじゃなくて2千ペソ?」
と、僕は確認した。

「そう、2千ペソ」
「・・・・・・ふ〜む、それは貸して貸せない金額ではないなぁ・・。でも貸すということは、あげるということなんだよねぇ・・」
「そうよ、ママもずっと前、その叔父さんにお金を貸して、それ、まだバックない」
「理由がそれだから助けてあげたいけどねぇ・・問題なのは金額じゃないんだよねぇ、怖いのは、一度貸したらまた来るかもしれないし、噂を聞いて他の親戚も来るかもしれないということなんだよ・・」
「そうよ、わたしもそう思う」
ここでも二人の意見は見事に一致をみた。

「それじゃその従兄には悪いけど断れば?」
「でも、また悪い噂がでるなぁ。あの家はお金あるのにケチだって」
「お金ないじゃない。それでも噂がいやだったら貸してあげれば?」
「う〜ん、それもなんか心配だなぁ」
「そう・・・?それじゃあなたが考えて決めなさい。叔父さんはまだいるんでしょ?」
「もう帰った」
「え?・・・・・・・、で、どうしたの?」
「従兄に空港で何か食べなさいって言って200ペソ渡した。あと私のコートあげた。だって日本はもう寒いでしょう?」
「それってもう問題が終わっている?」
「おーおー」
「・・・・・・・」ここで少しの間、僕は絶句状態。
このくそ忙しいのに、この相談は一体何だったのか。気を取り直して言葉を発する。
「そっか、わかった。それじゃこの話の続きはまた夜にでも・・」
「オーケー」
モナの最後の言葉は、やけにあっさりしていた。

結局そんな話しならば、この際「モンダイアル」ではなく、「モンダイアッタ」と言ってほしかった。実際に現在形ではなく過去形なのだから。そうであれば忙しい中、長々と話をせずに済んだ。

それにしても200ペソで手を打って返したといういうのは、何か後味が悪かった。
モナの話しによれば、叔父さんには他にも頼る人がいるとのことだった。だからそんなに心配はしなくても良いと言うが、まだ若い学生が初めて日本へ来るというのに、ろくに小遣いもなかったらそれは寂しいことだろうと思うのだ。
2000ペソか3000ペソくらいはあげても良かったのではないかと、その後妙にそのことが引っかかっていた。

その日の夜、やはりモナとその話しの続きをした。時間は既に夜中の12時を回ろうとしていた。
「ねえ、あなたの従兄に2000ペソくらいあげようか」
「もう寝ているから無理よ」
「それじゃ明日届けてあげれば」
「それも無理。だってフライトは明日だから。朝早いよ」
「はあ?明日?なんでもっと前から言わないかなぁ。ちょっと可哀そうだったかな」
「大丈夫よ。きっと誰かに借りたから」

出かける前日に小遣いをかき集めていた叔父さんとその従兄の気持ちを考えて、僕はますます後悔の念に襲われたが、当事者であるモナは、全く気にしていないようにさばさばしている。
それであれば、あの「モンダイアル」は何だったのだろうか。
最近滅多に仕事中はメールをよこさないモナの「モンダイアル」メッセージのことを考え、普段からフィリピーナの「モンダイ」発言に疑問を感じる僕の頭はますます混乱する。

結局それは、モナにとってたいした問題ではなかったような気がするのである。
それでも「モンダイ」という言葉が大好きなフィリピーナは、隙あらばそれを使う。

今回のモナの場合、少しかまってもらいたいという気持ちがその言葉の発信に繋がったのだろうかと、僕は無理やり結論付けた。
いずれにしてもフィリピーナの「モンダイアル」、これは何度聞いても心臓に負担のかかる言葉である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:172.モンダイアル

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