フィリピーナと共に
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2010年11月08日

171.チャイナドリーム

ベルに近づいたら、彼女の様子が変だった。僕のことをまるで怖いものでも見るように、僕から一定の距離をあけ後ずさりしている。
「どうした、ベル?」と声をかけ、手を差し出すと、ベルは突然僕の反対側に走り出し、小型の飛行船に飛び乗って空へ飛んでいってしまった。僕は地上から、ベルが乗った飛行船をしばらく追いかけていたが、それは彼女と一緒に雲の中へと消えてしまった。
僕は心配で仕方なかった。ベルは勢いで飛行船に飛び乗り、たった一人で空に飛び立って、きっと怖い想いをしているに違いない。不安で仕方がないはずだし、今頃泣いているかもしれなかった。
僕の何が悪かったのかわからないが、僕がベルを追い込んでしまったために、とんでもないことになってしまった。

慌てた僕は、急いでモナのもとへと行った。しかしモナも、ベルと同じように様子が変だった。
「どうした?何があった?」と、半分叫ぶようにモナに問い詰めたが、モナもベルと同じように何も言わず、僕から逃げるようにして小型の飛行船で空へ飛び立った。
唖然としながら飛行船の行方を目で追いかけていると、いつの間にか空は暗雲が立ち込め、雷鳴が轟き始めた。
僕は地上の道路を必死で走り、モナが乗った飛行船を追いかけていたが、息を切らして歩道橋の上に辿り着いた時に、モナが乗った飛行船は既に豆粒のように小さくなっており、それは稲光が激しい暗雲の中へ吸い込まれるようにして消えた。
今度の僕は、腹を立てていた。何があったのか知らないが、モナは自分をまるで無視し、しかも僕から逃げている。
そしてなぜ逃げているかを言葉で明確に告げず、ただ逃げていることにも僕は腹を立てていた。
何を隠しているのか知らないが、そっちがその気なら、僕の方からモナと別れてやるといきり立っていた。
しかし怒りながらも、とてつもない不安感が僕を包み込んでいた。

一旦家に帰ってみると、ベルがいた。しかし、先ほどベルがなぜ僕から逃げたのか、その理由を訊く前に、僕は「マミィーはどこにいる?」と言うのと同時に家の中に入り込み、必死にモナを探していた。
「マミィーはいない」というベルの声が、各部屋のドアをかたっぱしからあけてモナを探す自分の背後から聞こえた。
やはりあの雷雲の中に入ってしまったら、無事では済まされないと思った。
さっきまで怒りはすっかり消失し、僕は嫌な予感を抱きながら途方に暮れていた。
どうしたらよいかさっぱりわからず、うめき声を上げていた。ここ何年か味わったことがないような焦燥感に襲われていた。

自分の実際のうめき声で目が覚めた。汗もたっぷりとかいていた。時計を見ると、夜中の2時だった。自分はかなりうなされていたようだ。

中国へ旅立つ前、相変わらず仕事に追われ、徹夜作業をしてから成田へ向かった。
中国の大連に昼前に到着し、その日はすぐに仕事に取り掛かった。
夕食を終え、まっすぐホテルの部屋に戻った僕は、モナとスカイプで話しをしながら、おそらく10分も経たずに眠りに落ちた。
くたくたになった僕は、5時間ほど熟睡してから、妙な夢で夜中の2時に目覚めたのだが、目が覚めてからも頭の芯が重く、しかも夢の中の不安を思い切り引きずっていた。
まるで夢と現実が交錯しているようで、訳がわからなくなっていた。

部屋で広げっぱなしになっていたパソコンを覗いてみると、モナの「おやすみ、I love you」のメッセージが残っており、そこでようやく少しだけ安心した。
いつもなら嫌な夢から目覚めると、「夢で良かった」で終わるのだが、その日はなぜか落ち着かず、再び眠りにつくことができなくなってしまったので、コーヒーをいれ、少しの間無意味に広いホテルの部屋の中で、茫然としていた。

僕が抱いた不安感は、モナの気持ちが僕から離れてしまったのではないかという心配であった。しかも、夢の中で簡単に別れてやるといきり立った僕は、彼女の安否が全く分からなくなった途端に思い切りうろたえていた。そしてその時の不安感を、目覚めて尚引きずっていることが意外だった。
僕は朝までその不安を引きずっていた。言いようのない不安を払拭するために、その日は珍しく、朝からモナとスカイプで話をした。
そして、いつもと変わらないモナを見て、僕の不安はようやくそこで解消したのである。
そこで初めて、あれは本当に単なる夢だったのだと知ったような気分だった。

気持ちの中に漂っていた霧は晴れたが、僕は夢が覚めてからもうろたえていた自分を、少し振り返ってみた。
ここまでの記事を読んで下さった方は、モナがどれほど僕をを思ってくれていたかを理解されていると思われる。
僕は彼女のその気持ちを信じて疑わず、何があっても自分に気持ちを寄せてくれる彼女に対し、いつの間にか傲慢になっていた。
それは夢の中で腹を立て、すぐさま別れてやると思った自分の態度に、顕著に表れていた。
現実の世界でも、似たり寄ったりのやり取りが過去にあった。
しかしそれは、モナが絶対に「いいわよ」と言わない自信があったから、そんな態度になっていたのだと気付くのである。

いざ彼女が挙動不審の態度を取り、しかも死んでしまったかもしれないと思った瞬間、僕はいたたまれないほどの焦燥感を味わいうろたえながら、それを現実の世界にまで引きずった。
あの汗と、目覚める間際に聞こえた自分のうめき声は、ただ事ではなかった。
もしそれが現実のことであったら、その時自分がどうなるのかを夢で思い知らされたことになる。

僕はモナと結婚をしてから、日本にいることの方が多い。しかし彼女は紛れもなく、自分の奥さんである。
この夢の中で感じたように、彼女はいつの間にか自分の傍らにいなくてはならない人になっていた。
普段の生活の中で、なかなかそんな実感を持つことは難しいし、実際に滅多にない。
「もし」という仮定で想像しても、リアリティーが欠如して、本当の自分の気持ちを引き出すことも難しい。
そんな意味で、ちょっと貴重な夢だったような気がするのである。
読者の方々も、きっと自身で気付いていない気持ちがあるのではないだろうかと思い、ちょいと記事にしてみた次第である。
紛らわしいタイトルを付けるなと思った読者の方がいたら、ごめんなさい(笑)

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:171.チャイナドリーム
2010年11月06日

170.ふと思い出したこと

実は中国へ行ってきた。
今この記事を、成田から自宅の最寄り駅までのバスの中で書いている。

中国へは木曜日のフライトで行き、本日土曜日に帰国という強行日程だった。
行ったのは大連という、中国では北に位置する大きな都市である。人口700万人、在留日本人が2000人、出張者を含めた在中者は約2万人だそうである。
大連はハルビンと並んで、かつての日本が開発した街である。戦中の日本が街づくりのために、日本の国家予算の半分もつぎ込んだと言われるから、かなり真剣に取り組んだ大事業だったが、おかげであの街は、中国の中でも大きく進んだ綺麗な街となった。

大連の駅は東京の上野駅がモデルとなったと言われるが、街は駅を中心に扇状に整然と広がり、それ以外の場所もまるで高速道路のような片側4車線から5車線の大きな道路が、当たり前のようにあちこちに延びている。
日本から進出した会社が約2000社もあるというから、その数を聞いただけでも相当の規模の街を予想できるが、実際に開発地区に行ってみると、見渡す限り360度日本の名だたる会社の看板がパノラマ状態で目に入った。
気がついたのは日系企業だけではない。世界中の自動車メーカーが進出しており、そのせいか市街地を走る車は、ベンツ、ワーゲン、BMW、クライスラー、トヨタ、日産、スバル、ホンダ、スズキ、ミツビシと、かなり入り混じっている。これほど世界中の車メーカーが入り混じっている場所を見たのは、初めてのことだった。
街の中には、もはや日本が失った活気に溢れており、各メーカーが焦って進出競争を繰り広げた様子が見えるようだった。

これまで中国は、南の地区しか行ったことがなかったが、北の地区はそれとは全く雰囲気が異なることもよくわかった。それは街の雰囲気だけではなく、住んでいる中国人の人間性も少し違うような気がした。
これらのことは、また機会があれば詳しく書いてみたいと思っている。

さて、ある方のブログにPPで働くフィリピーナからのお店へのお誘いや売上協力に関する記事が載っていた。そこには、PPから客足が遠のいたこともしきりに書かれている。
それで少し昔を思い出したので、古い話しだが書いてみることにする。

僕がかつて、お店においでと誘われ、誘われるがままに店に足を運んだ話しであるが、敢えてその背景にある二人の関係も含めて、少し物語風に紹介しながら進めてみたい。


僕はかつて、あるPPに大金を落とした。
それはPPがタレント全盛時代で、Aランクタレントをずらりと揃えた高級店だった。
一般的にはなじみが薄いが、当時来日した外人タレントにはA,B,Cというランクがついていた。
当然日本のPPは、少しでも美人でセクシーな女性を一人でも多く欲しい。全てそのような人で契約をしたいのは当然だが、それだと人気のないタレントが売れ残ってしまう。
よって誰がランク付けをしたのか知らないが、プロモータ側は、例えばAとCのセットでなければ契約しないという手法で、タレントの売れ残り対策をしていた。
PPも契約できなければ元も子もないので、そのルールに従わざるを得なかった。
しかし僕が行ったそのPPは、特別なルートを持っていたのか、Aランクばかりを集めているという噂のあった、その界隈では多少名の知れた店だった。
たまたま会社の友人に誘われて初めてそこに行った時に、僕がその後指名をすることになる子が僕についた。これはモナと出会う以前のことである。

僕はよほどのことが無い限り、最初についた女の子を店内指名するので、彼女に対してもそうした。
そして話をしているうちに、彼女はその3日後、タレント期限満了でフィリピンへ帰るのだと知った。
店を出る時に彼女は、さよならパーティー、つまり彼女が帰国する前日の営業日に、もう一度店に来て欲しいと言い出した。僕はさよならパーティーに再訪する約束をし、その日は2時間ほどで店を出た。

3日後、僕は仕事が終わってから、約束通り店に行った。
それまで全く気付かなかったが、彼女は店のNo1だった。確かに初めて店に行った際、来店は初めてだと店のスタッフに告げると、「それではここで一番の女性を紹介させて頂きます」と言って彼女を連れてきた。それが冗談でもビジネストークでもなく、本当のことだったのだ。

店のNo1のさよならパーティーだけあって、店内は彼女の客で賑わっていて、店の外にも入店待ちの客が溢れかえっていた。そのような光景を初めて見た僕は、その繁盛ぶりに驚き、また、彼女の実力に恐れ入った。
そしてこれだけの客がいれば、自分が義理でさよならパーティーに花を添える必要もないだろうと、店のスタッフに、彼女に宜しく伝えて欲しいと言いその場を立ち去ろうとしたが、僕に気付いた彼女が急ぎ足でやってきて、テーブルがあくまで待って欲しいと直接お願いされた。
僕は少し躊躇したが、渋々了解し、初めての入店待ちという体験をしてから店に入った。

店内は彼女の客で溢れていた。そのせいで彼女が僕の元へやってくるのは、1時間以上に一回だけだった。しかもせっかく自分のテーブルにやってきても、10分程度で他のテーブルに移動した。
それは当たり前で、少なくとも30人〜40人分のテーブルがあるゆったりとした店だったから、彼女の客が大半を占めているとなれば、彼女が簡単に僕の席に来ることはできない。切り盛りしているスタッフも、汗だくでそれをこなしていた。
それでもヘルプでやってくるフィリピーナは、みんな初めて話をする若いタレント女性ばかりでそれなりに楽しかったから、暇を持て余すこともなく時間が経過した。
もちろん彼女との付き合いはほとんどないに等しいから、肝心の彼女が僕のテーブルにやってこなくても、僕は全く気にならなかった。
ヘルプで席につく女性の中には、彼女がフィリピンに帰ったら、次は私のことを宜しくなどというちゃかり者もいた。

そしてとうとう閉店のラストソングが流れる直前、彼女が僕のテーブルにやってきた。
最後に彼女が僕のテーブルにやってきたのは偶然だと思っていたが、それは彼女がスタッフにお願いしてそうなったことを、彼女の話しで知った。
店内の照明が落ちて、ラストソングが流れた。スローのラブソングである。
彼女はステージの前で、一緒に踊ろうと言い出した。僕はダンスが大の苦手だったので一度断ったが、他の数組の客がステージの前に移動したので、彼女の強引な願いにこれも渋々了承した。このように、どうにも彼女のペースで物事が進んでいた。

薄暗くなった店内にミラーボールの光の雨を注がれ、それがラブブソングに合わせてゆったりと店内を浮遊していた。
普段の生活空間とは全く異なる、恐ろしいほどゆったりとした世界が突如出現した。
彼女は僕の首の後ろに両手を回し、音楽に合わせて二人はゆっくりと体を揺らしていた。
最初は、彼女の客たちから降り注がれる羨望のまなざしが気になった。
この新参者が、何を図々しく彼女と踊っているのだと言われているような気がしたが、すぐにそれを忘れるほど不思議な雰囲気が僕を包み込んだ。

突然彼女が僕の耳元で、「なんでもっと早く、私の前に現れてくれなかったの」と囁いた。
瞬間僕はその意味を理解できなかったが、間もなく愛の告白のようだと思った。しかしまだ出会って間もないから、それはあり得ないだろうと考え直し、次にこれが彼女の営業手法かと勘繰った。
しかし営業といっても、その日は彼女の最後の日である。何を今さら・・である。
それでも自然な口調で囁かれたそれは、僕にとって魅力的な台詞であることにかわりなかった。
僕は、なるほどこれが、長い時間入店待ちをした客へのねぎらいの言葉か・・、悪くないなと素直に思った。
仮にそれが彼女の営業的な言葉だとしても、さすがに高級店のNo1ともなれば、彼女は他のタレントとは少し違う味を持っていると思った。
それだけ人の心を揺さぶるような心に響いた言葉であり、言い方や雰囲気だった。

彼女がフィリピンへ帰ってから、僕は一度もその店に足を踏み入れることはなかったが、数カ月後に会社の友人がメールで、「彼女があの店に戻った。それを伝えて欲しいとお願いされた」と言ってきた。
彼女とはお互いに電話番号を交換していなかったので、確かに連絡手段は共通の知人にお願いするより他なかったが、その時僕は、また戻ったのかという軽い驚きを覚え、次に客を維持するためには、そのような細かい努力が必要なのかと感心するだけだった。

僕が店に顔を出したときに、彼女は「早く会いたかったから、あなたの友達にお願いした」と言った。
「なんで会いたかったの」と会話の勢いで訪ねた僕の言葉に、彼女は「I love youだから」と遠慮なく答えた。ダンスの時に見せたような恥じらいを感じさせないストレートな言い方だったので、「そんなことを言われても、客のみんなに言っている言葉だろうから、簡単には信じられないなぁ」と返すと、「そんなことない!心いたぁい」と彼女も冗談ぽく言った。

彼女は僕が店に行くたびに、何度も「I love you」を繰り返したが、僕は本当に彼女の「I love you」を信じていなかった。
しかし次第に「本気か?」と思うことが積み重なっていった。
決定的だったのは、彼女が自分のベッドの脇の壁に、店内で撮った二人の写真をたくさん貼っていると、別のタレントがこっそり僕に教えてくれたことだった。
そのタレントが、「彼女は心からあなたを愛しているわよ、嘘じゃない」と、真面目な表情で付け加えた。

写真のことを本人に確認すると、「だからI love youって言ってるでしょう、どう、私の気持ちを信じてくれる?」と言ってきたが、僕はいつも慎重に、「50%だけ」と答えた。その度に彼女は、「心いたぁい」と言った。
それでもそこまで言われたら、僕も悪い気はしなかった。

彼女は相変わらず、自分の客の数や売り上げは全く心配無いほど足繁く通う客をつかまえていたが、僕に対しても頻繁に、顔を見たい、会いたいと連絡をよこし、僕もできるだけ店に足を運ぶようになった。
店に行くと、いつでも彼女は店内で数人の客を掛け持ちしていたが、不思議と腹立たしい感情はなかった。
こうしていつの間にかそのPPが、僕にとって居心地の良い自宅のリビングのようになっていった。
そして時折彼女とは、店の外でも会うようになった。

当時タレントは店側の管理が厳しく、個人行動の自由を奪われていた。
店が終わってからの外出は禁止。同伴以外の客とのデートも禁止。時折タレントが寝泊まりしているアパートにも、無断外出をしていないかどうかチェックが入る。
逃げ出す心配がなければ、店側も多少は目をつぶるだろうが、原則はそのようなルールであった。
もし誰かが逃げ出す事件でも発生すれば、監督責任を問われ、その後フィリピーナの招致に許可がおりなくなる。それは店の死活問題に直結するので、店側もタレントの管理には真剣だった。
もし外出するなら、買い物などの理由でなければ認められず、所要時間もそれ相応に限られていた。
秘密の外出で厄介なのは、仲間の告げ口だった。
後で知ったが、タレントの中に社長の愛人がいて、その子が店側のスパイをしていた。

しかし彼女は、自分が店にどれほど貢献しているのかを知っていたせいか、危険を冒しながらも、いざとなれば店を辞めると言いながら僕に会いに来た。
そして一度彼女の無断外出は店の中で問題になったが、彼女が言った通り、店側が彼女を辞めさせることはできなかった。
客単価が3万から5万の店で、毎日彼女は、少なくとも5〜10人の客がいるのである。単純計算で、彼女の月の売り上げは500万円を優に超えていたと想像されるから、破格の売り上げだった。

一度店の日本人スタッフと、偶然に街で出会った。その時彼は、彼女の売り上げは驚異的であること、そして彼女がフィリピンへ帰ったら、店は大打撃だと教えてくれた。
長い間あの商売をして、あれほどの売り上げを維持するフィリピーナは初めて見たと言っていたから、彼女の売り上げに関する話しは決して大げさではない。
よって彼女は店の小言を一応は聞いていたが、店が終わってから朝までドライブを楽しむことなどは平気なようだった。

僕もそれは楽しかったが、僕は心の底から彼女に傾倒していたわけではなかった。
店の中では、スタッフや女性たち誰もが二人を恋人関係だと思っていたようだ。
そう言われればそう見える濃密な関係だったが、僕は彼女に体の関係を強要することは一切なかったし、結局最後までそのような関係にはならなかった。
それは僕が、二人はいつか決別することを予感していたからである。つまり僕は、彼女と結婚したいとはまるで思っていなかったからだ。
もし僕が彼女にのめり込むほどの気持ちを持っていたら、遠慮することはなかったかもしれないが、残念ながらそうではなかった。

彼女がなぜ他のA級タレントを押しのけて、絶えずNo1の座を維持できたのか、僕には手に取るようにわかっていた。
誰もが認める美しい顔とセクシーな体を持ち、機転のきく会話技術とほがらかで嫌味を全く感じさせない明るい性格を持つ彼女は、ホステスとして天性の素質を持っていた。
それが作られたものでないから、他の女性が彼女に敵うわけがない。彼女に対抗できるのは、やはりそのような天性の素質を持った人でなければ無理である。客はそれを本能的に見分ける。

その店は高級店に共通する傾向で、落ち着いた客が多かった。社会的に成功しているような人ばかりが集う場所だったから、他の安い店でみかけるようないやらしさを丸出しにした客は皆無だった。
そのような店で、ホステスの下品な営業は逆に敬遠され、浮いてしまう。
品位を落とす営業が封じられた店で勝負するのは、ホステスには安心感があると同時に難しい面もあるように思われるが、彼女はそこで難なく成功していた。

つまり彼女は、それだけ素晴らしいものを持った女性であったわけだが、僕はそれでも彼女にはまり込むことはなかった。
それは彼女の金銭感覚に疑問を抱く場面を、数回見かけたからである。
店に通うお金持ちの客が、彼女の金銭感覚を狂わせたのかもしれない。彼女は当時3度目の日本だと言っていた。
その間彼女は、自分に入れ込んだ客に相当ちやほやされたに違いない。
お金に余裕のある客は、彼女を高級レストランに連れて行き、高価なプレゼントを進呈したと思われる。
そのような境遇が当たり前のようになったら、金銭感覚が狂うのも無理がない。

彼女は売上も多く、おそらく契約上の給料も他の者より多かったに違いない。
しかし彼女が再び期限満了でフィリピンに帰った後、まもなくして彼女は、生活が苦しい言ってきた。
僕にお金を無心する言い方ではなく、近況として報告してくれただけであったが、聞いてしまってはこちらも黙っているわけにはいかない。
それにしても破綻するまで、少し早すぎないかと思った。
彼女に言わせると、「お金に羽が生えたように飛んでいく」ということだったから、日本で小金を稼いで、フィリピンに帰ってから大盤振る舞いをした結果であることは容易に想像がついた。

フィリピンにいる時には生活費が苦しいと言いながら、再び日本に戻った彼女は、1組4万もするカラーコンタクトを色違いで2組購入し、「似合ってる?」と訊いてきた。
僕はその値段を聞いて、フィリピンで生活が苦しいと言いながら、なぜそんなお金の使い方をするのかと怒った。カラーコンタクトは生活の必需品ではない。
彼女は僕の反応に驚きすぐにコンタクトを外したが、おそらく彼女は僕がなぜ怒ったのか、本当の理由を理解できていない。僕は彼女のそのような金銭感覚を見て、がっかりしたのである。

更に僕の誕生日には、僕のプレゼントを買いたいから一緒にデパートに行って、あなたの好きなものを選ぼうと言われた。
デパートに行くと、5万円もする皮のジャンパーを見ながら、これ格好いい、あなたこれ好きだったら、これでもいいよなどと軽く言ってきた。僕はそこでまたがっかりした。
結局値の張らない物を選ばせてもらったが、本当にそれだけでいいのと念を押された。金額は5千円だった。
彼女の金銭感覚は確実に狂っていたし、金銭に関して彼女は、自分上に計画性がないことがはっきりと見えてきた。

彼女は僕との結婚を望んでいて、普段それを遠回しに意思表示していた。
出会ってから半年になろうかというある日、彼女は車の中で自分の秘密を打ち明けてくれた。
若気の至りでできた子供がフィリピンにいるという秘密だった。その相手は日本人であった。初めてタレントとして日本に来た時、恋人となった人との間にできた子供である。

実は僕は、そのことを彼女に告白される前から知っていた。
成功している彼女への妬みだろうが、彼女の仲間がさりげなくそれを、僕に教えてくれたからだった。そして彼女が以前働いていた店は、僕の知っている女性がかつて働いていた店だった。
僕がその話しを知り合いに訊くと、彼女はそれを良く覚えていて、更に詳しい話しを僕に教えてくれた。

相手は当時の彼女の恋人だった日本人である。二人は周囲が公認する恋人同士だったそうだ。
しかし彼女が妊娠してから、相手の男には別にも恋人がいて、そのフィリピーナも妊娠していることが発覚したため、彼女はすぐにその男性ときっぱり別れたそうだ。
相手の男はもう一人の女性に対して、結婚という形で責任を取ったようだった。そして彼女はタレント任期が満了する前に、妊娠が原因でフィリピンへ返された。
5年も前の事件にも関わらず、その界隈のフィリピーナの間で有名になった話のようで、その知り合いもそのことを鮮明に覚えていた。

だから僕は彼女の妊娠から出産までの経緯をよく知っていたのだが、ずっと知らないふりをしていた。
普段明るい彼女が、実は心に大きな傷を抱えていたと分かり、その話題はその傷口に更に塩を塗ることになるだろうと口をつぐんでいた。
そしてそれが、彼女との体の関係に慎重になった理由の一つだった。

僕は彼女からその秘密を打ち明けられた時も、初めてその話しを知ったふりをした。
彼女が顔を珍しく上気させ、言いづらそうにしながらも秘密を打ち明けたのは、どれほど勇気がいることだったろうかと思った。
結婚はないと考えていた僕は、胸を締め付けられるような罪悪感を抱きながら、その話しを聞いていた。
その秘密を正直に打ち明けてくれたことで、彼女の自分に対する気持ちが本物だということを、心に痛みを伴って知ったのである。

僕はそれから、できるだけ早く自分の意思表示をしなければならないと焦りだした。
友達のような付き合いのつもりが、いつの間にか抜き差しならない雰囲気になってきていた。
体の関係を一切持たないのは、僕が彼女を大切に考えているからだと彼女は理解していた。それを彼女から口に出され、僕は返答に窮した。

それでもなぜ自分の気持ちをはっきりできなかったかは、僕も迷っていたからだった。
彼女は店で売り上げトップの座を不動のものにしていたが、それを鼻にかけるような気配は一切なく、むしろ彼女は、売上を全く気にしていないようにも見えた。結果がトップだというだけで、その自由奔放なところが、彼女の魅力でもあった。
そして彼女には、優しさがあった。彼女は常に人を傷つけることを恐れ、人を許すことを知っていた。そんな純粋なところも、彼女の人気の一つだった。
表と裏の顔を持つ女性は大勢いるが、彼女と付き合うようになって、彼女にはそれがないことがわかった。
女性として限りなく理想に近い人だとは思ったが、例の金銭感覚だけが、僕に一歩踏み込むことを躊躇(ためら)わせていた。

そんな彼女に自分の正直な気持ちを伝えたのは、彼女がフィリピンへ帰ってからの電話だった。直接話す機会を失い、成り行きで、電話で別れ話を切り出すことになってしまった。
彼女は電話口で泣いていたが、ずるずると引き伸ばすわけにはいかなかったから、僕はそれほど後悔しなかった。
2度に分けて電話をしたが、ひとたび落ち着いてから、彼女は僕に、正直に話してくれてありがとうと言ってきた。
それから数回、電話で近況報告をし合っていたが、その中で彼女に新しいフィリピン人の恋人ができたと報告された。相手はフィリピンで、小学校の先生をしている人だと聞いた。
別れ話をしてから半年に満たない頃だから、僕が考えていた以上に、二人の別れは彼女にとって深刻なものではなかったように思われ、拍子抜けすると同時に少し気持ちが軽くなった。そして僕はその出来事を、心から祝福した。

しかし彼女は、その新しい恋人と2カ月足らずで別れてしまった。
何が原因で別れたのかは聞かなかったが、その時に彼女が、「わたしはやっぱり駄目だなぁ」と、寂しそうな声でこぼしたことを今でも覚えている。
日本で働いていた頃とは打って変わった風前の灯のようなか細い声には、まるで自信を喪失した悲哀が込められていた。
本来は金持ちの旦那を、いくらでも見つけることができる実力を持った女性であったし、それができる環境に身を置いていたはずだったが、彼女の人生の歯車を狂わせてしまった要因に自分が含まれているかもしれないと考えれば、今でも彼女のその後が心配となる。

今その彼女は音信不通で、どこで何をしているのかわからない。
せめて彼女に、僕は結婚をしてフィリピンで暮らしていると伝え、あなたはどうしているかと訊きたいのだが、それもかなわないのである。

しかし一つ、とても不思議なことがあった。
半年ほど前に、モナの携帯に見知らぬ番号の着信があった。
モナはその電話番号の主に、あなたは誰ですかとメッセージを送ったところ、私は誰それと名前を告げる返事が返ってきたそうだ。その名前をモナから聞いて僕は驚いた。
それはこの記事に登場する彼女のものだったからである。モナはそれが僕に関係した人だと知らず、半年以上放っておいた。
そして最近ある偶然から、そのようなことがあったとモナから聞いたのである。
彼女とは何年も音信不通となっていて、当然モナの電話番号など、彼女は知る由もない。
なぜ今頃、モナの携帯に電話をしたのか、モナの番号をどうやって入手したのか、謎だらけである。
できればそこから連絡を取り合いたかったが、モナはすでに着信履歴を消していたので、それもかなわなかった。


このようにして、僕は彼女との付き合いを通して店に落としたお金のことを、虚しい無駄遣いだったと振り返っている。個人的に会える状況にありながら、店に通って使った一回数万円というお金である。店を喜ばすことはできたが、それで彼女が幸せになったわけではない。
僕はリンに対してもお金を使ったが、あのお金の一部は今も家として生きている。そこに彼女の家族が住んでいる。それを思えば惜しいとは思わない。
しかし店で使ったあの金額は、自分が癒され楽しんだ価値分をはるかに凌駕していたし、その後の彼女にとって何も残らなかったことを考えると、少し虚しさが残るのが正直な気持ちである。

しかしあれは、明らかに売上協力ではなかった。僕にそんな意識は僕に全くなかったし、彼女に関しては、その必要性を全く感じていなかった。
彼女が店に来てほしいという理由は、一貫して「会いたい」であった。その言葉に嘘は感じられなかったし、そしてそのお願いに、いつも僕の心が負けていた。

おそらく強い意志を持って断っても、彼女は僕のことを嫌いにはならなかったはずである。仮に嫌われたとしても、それを恐れる理由もなかった。
ただ単に、僕は現実離れしたあの空間に、ずるずると引きずりこまれていただけである。
僕は現実逃避の場所として、あのPPに身も心もゆだねるうち、自分の金銭感覚が麻痺していったのだ。

しかし心のどこかで、何かがおかしいと感じながらお金を使っていたのも事実だった。
僕は彼女に、お店で使うお金を直接あなたに現金で渡したり、プレゼント買ってあげたり、もしくは美味しい物を二人で食べたりした方が、二人はハッピーではないかと言ったことがある。
彼女はそれに同意したし、その方がいいねと言うのだが、時間が経過すると再び、店に来て欲しいと言いだした。その辺りは、3歩歩くと全て忘れると言われる鶏のようだった。

それで彼女に、なぜ店に来てほしいのかとあらためて尋ねたら、近くにいると安心だという答えが返ってきた。
僕は最初その安心の意味を、好きな人が近くにいると気持ちが充実するとか、ほっとするといった類の意味に取り違えていたが、実は違った。
それは、見えないところにいる恋人や客はどこで何をしているのか心配だが、見えるところにいれば少なくと浮気をしていないのは明白で「安心」だという意味と知って苦笑した。

そこには、仮に客が恋人でなくても、客が他の店で浮気をしたら、もしかしたら自分の元へは来なくなってしまう「心配」が含まれる。
自分の客や恋人を、自分の元へしっかりと縛り付け繋ぎとめておく「安心」なのである。
だから彼女たちは店で客がいる場合でも、「暇だから」「寂しい」「顔がみたい」などと言って、店においでと誘うケースがある。

「このバカ高い店の支払いはあなたの安心料か」と言って、僕は差し出した支払いの諭吉君数枚を、彼女が受け取ろうとした時に手を離さず、引っ張り合いをしたことがある。
もちろん笑いながらであるが、どうにも腑に落ちない安心料であったと、今さらながらに振り返る。

これがもし親密で運命共同体のような、例えば気を許しあった恋人同士や同棲に近い間柄、または夫婦などのような間柄になると、お互い店でお金を使うのはもったいないという話になる。
お金を店に落とすくらいなら、二人で使った方が良いという現実的な話になってくる。
モナの横浜時代、彼女がそうだった。
店には来なくても良い、できるだけ早くお店を上がるから、ホテルで待ってなさいという台詞を彼女の口から何度も聞いた。それは退屈だとか、たまには歌いたいとなると、それじゃ12時に上がる予定だから11時に来て1時間だけねと、時間が指定されることもあった。
そのようにモナは、できるだけ無駄な出費を抑えるように働きかけてきた。以前の出会った頃とは真逆の対応であった。
当時は、フィリピーナもそのような現実的な考えになるのだなぁと驚き、日本人にとっての常識が、彼女らにとっても常識なのかと感心してしまうことがあった。


僕はこのような体験をして、「お店へ来て」のお誘い言葉の裏には、単に売上げが目的もあれば、実はそうではない複雑な心理が働いているの場合があるのだと、当時感じたものである。そしてそれは、二人の関係や状況次第で、がらりと変わることがある。

心理と心理のぶつかり合い、心と心の駆け引きがあり、現実的なことがそこに絡んでくるから面白かったという不謹慎な言い方もあるが、事実そうだったような気がする。
それは多分に未知の世界であり、ある種の冒険や何かに挑戦するような気分に浸れたような世界であった。
特にここで紹介した僕の思い出は、困ったことになったと思いながら、実は困っていない自分がいたりした。そこには得たいの知れないトキメキがあり、今の僕にとってそれは、大事な忘れ難い思い出の一つになっている。

最近のPPでは、そのようなことも姿を消したような気がして残念な気がする。
今さら僕がそれを残念がる理由もさして見当たらないが、その世界での一ファンとして、懐かしさと相まってそう感じてしまう。
このところPPから客足が遠のいていると言われるが、それは不景気ばかりのせいではない。昔は不景気など吹き飛ばす勢いが、PPにはあった。
昔から、飲まず食わずでPPに通っていた人が大勢いたという事実は、紛れもないその証拠である。
要は、最近は支払いに対する対価が見合わないのだろう。
ときめきを感じさせる何かがなくなってしまったことが、PPから客足が遠のいた一番の理由ではないかと思われる。その意味で客はとても正直な反応を示している。
そのような状況になっているご時世で、尚更僕には、売り上げ協力という言葉が違和感を持って響くのである。

随分とだらだら長い記事になってしまったが、ここでバスも目的地間近となってきた。
書いているうちに話しが発散ぎみになってしまったが、せっかくここまで書いたのだから、このまま記事をアップしたいと思う。
こんな時には思い切りも必要だ。あれこれ考えると、最近数少ない記事アップの機会を失ってしまうからである。

何を言いたかったのかわからない内容になってしまったこと、貴重な時間を費やして読んで下さった方々に陳謝致しますm(_ _)m

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:170.ふと思い出したこと
2010年10月26日

169.コーヒーショップの老人

日曜の朝、会社へ行くためのバス待ちで駅ビル内のコーヒーショップに入った。
休日と平日ではバス時間が違い、しかも朝のピークタイムを逃すと、1時間に1本程度しかバスがないことを忘れていた。それでもここは、首都圏内の政令指定都市の一つである。

朝のコーヒーショップはほぼ満席で、意外と混んでいた。
そして混み合う店内の約半数近くの客が男性のご老人だということに、僕はテーブルについてから間もなく気付いた。

あるご老人は、テーブルの上に置いているコーヒーにはほとんど手を付けず、たばこの煙を自分の斜め上に吐き出しながら、煙を吐き出した後も視線をそのまま斜め上を漂わせ続け、悩ましげに考え事をしている。
新聞や本でも読んで、ちょっとのんびりしているという雰囲気だったら良いのだが、全くそうではない。

では他のご老人はどうかといえば、みんな似たり寄ったりで、何をするわけでもなくただそこに座っているだけという感じだ。
一様にコーヒーは頼んでいるが、ほとんど手を付けられていないそれは、単に場所代として注文されたもののように見える。

ひときわ深刻な顔をしたご老人は、「何か困ったことでもあるのですか?」と思わず声をかけたくなるような重苦しさに包みこまれているが、他のご老人にも精気が感じられない。
一体どうなっているのだと気になり始め、僕は気付かれないように注意をしながら、時折彼らに視線を向ける。

よくよく考えてみれば、モーニングコーヒーを楽しむにしても、なぜ一人なのか。
連れ合いがいれば、わざわざ一人で来なくてもよいだろうに。
たまに一人になりたくなる気持ちは十分理解できるが、ある地域のあるコーヒーショップに、たまたま今、一人になりたい男性ご老人が偶然集まるというのは考えにくい。
つまりこのご老人たちは奥さんに先立たれ、孤独な一人暮らしを強いられている方々ではないかと推察されるのである。
勝手に奥さんを殺してしまい申し訳ないが、それが一番納得できる彼らの背景だ。
そう言えば以前ホテル住まいの時も、近くのコーヒーショップで似たような現象を目撃したことを思い出す。


僕が小学校低学年の頃、一緒に住んでいた父方の祖父が、入院していた病院のベッドの上で他界した。
祖母はその頃元気で、祖父に先立たれたショックから立ち直るのも、とても早かった。
そもそも祖母は、祖父が他界したことにショックを受けていたかどうかも怪しかった。
間もなく祖母は、近所の同じような境遇のおばあさんとの付き合いが盛んになり、何人もの客人が我が家を入れかわり立ちかわり訪れるようになった。そして集まっては一緒にお茶を飲んで、世間話に花を咲かせていた。
そこから付き合いがみるみる広がり、サークルのようなものに入り、旅行へ行ったり習い事を始めたりと、残り少ない人生をエンジョイし始めた。

反面母方の方は、祖母が先に他界した。それまで祖父は元気だったが、祖母に先立たれてからというもの急激に元気がなくなり、体も弱っていった。
叔父さん夫婦が同居していたので、身の回りの世話で心配することはなかったが、たまに訪ねてみると、ほとんど一人で歩けなくなっていたり、言葉もはっきりと言えなくなったりと、わずか2年程度で本当の老人になってしまった。
そして人を怒鳴りつけるほど元気だった祖父は、祖母が亡くなった2年後に、まるで祖母の後を追うようにして他界した。

対照的なこの二人を子供の頃に見て、そして叔母さんたちの話しを聞いて、奥さんに先立たれた男はだめになるケースが多いということを知った。
逆に女性は旦那が逝ったあと、ますます元気になる。
自分の父方の祖母がそうだったから言う訳ではなく、その祖母の周りに集まってくるお友達みんながそうだった。
僕はいつも、祖母のお茶飲みの席に一緒にいたから、その実態を肌身に感じるほど知っている。
だから僕は、コーヒーショップで呆けているご老人が、もしかしたら僕の母方の祖父と似たような心境・境遇になっているのではないかと想像したわけである。

反面、コーヒーショップで寂しくたたずんでいる老人女性は一人もいない。
たまに老人女性もいるが、100%に近い確率で、娘や息子、孫と一緒か、友達と一緒である。
明らかに性別による違いが、そこに見受けれらる。なぜそうなるのだろうか・・。

男性は仕事を持っている時に、家庭よりも仕事中心の生活をしている方が多い。
仕事熱心かどうかに関わらず、通常のサラリーマンは、平日の8時間以上は会社に拘束される。残業をすれば、その拘束時間は更に長くなるし、おまけに休日出勤をすれば、定年で仕事を離れるまで、自分の生きている時間の1/3以上の時間を会社に捧げることになる。
残り1/3が寝る時間とすると、1/3かそれ以下が自由時間。自分の好きに使える時間は、最大でも、人生のたったの1/3ということになる。その貴重な時間を通勤時間にたっぷりと奪われる方は、もっと切ない状況となる。
サラリーマンに限らず、自営の方でも、食べるためには似たり寄ったりの状況に陥る。

その1/3かそれ以下の時間、時には外で飲んで、家に帰っても食事の時間、風呂の時間など、必ず必要となる時間を差っぴくと、創造的活動をする残りの時間はごくわずかとなる。
もし意識的に家庭や自分を顧みないと、約20歳から60歳までの40年間、頭を使うのは仕事をしている時のみになりかねない。
しかも、もし仕事で頭を使うふりだけをしていたら、長い間有効的に頭を活用をしないことにもなる。これは言いようによっては、まるで生きる屍(しかばね)状態である。

しかしそれを自覚するのは難しい。
人間生きている限り、会社や家庭で日々煩わしい問題が発生し、それに関わっているからである。
関わり方は様々だが、我慢する、怒る、イライラする、怒鳴る、指示する、指示される、指示通り動く、自ら対処するなどで、自分が何か一定の役割を果たしているような気になるからである。

いや、確かに何かの役割を果たしているのであるが、その中で、自分が本当に頭を使っているかどうかは怪しいものである。成り行きや勢いで対処している場合は、頭を使っている可能性は低い。
頭を使うということは、真の問題とは何かを考え、問題に対処し再発防止を考えることであるが、そんな面倒なことは横に置いて、とりあえず目の前の煩わしい問題から解放されるために人は動く。そして手っとり早い方法を選択する。本当に面倒になると、奥さんを何とかしろと怒鳴りつけるだけとなる。

しかしそれらを40年も続けると、自らの生活力が失われていくのである。
つまり洗濯、掃除、料理に始まり、子供のこと、親戚のこと、近所のこと、世間のことなどの真の姿に対する無知が、自分を蝕んでいくことになる。
これがコミュニケーションのことになると、仕事での型にはまったやり取りはできるが、その型を外された途端、自分がどうして良いのかわからなくなる。
自分だけの力で生きるということは、そのために深く考えねばならないことが多くあり、問題解決にはコミュニケーション能力も必要になるのだが、それができなくなる。
それが生活力の欠如ということである。

仕事をする場所を奪われ、頼るべき奥さんを失った男性ご老人は、まさに生活力を試される境遇に追いやられるが、そんなものは付け焼刃でできるものではない。
生活力のない人間が、暗闇の空間に一人ポンと投げ出されてしまったら、寂しさを感じながら途方に暮れるのが落ちである。
お金はあっても、自分が何をすれば良いか、そして何をしたいかもわからない。
その結果、あれほど憧れた持て余すほどの時間は、寂しさを紛らわせる目的も含めて、人が集まるコーヒーショップに足繁く通うことになる。

一方女性は仕事を持っていたとしても、子供や夫の面倒をみながら、好むと好まざるにかかわらず、家庭を維持するための生活に根付いた苦労をする。
毎日の献立を考え、できるだけ安く買い物をするという工夫は、かなり頭を使う作業である。
ご近所や子供の友達の親とのコミュニケーションも広がる。お付き合いという形式的なものから、心を通わせるお付き合いまで、使い分けをしながら上手に切り盛りをする。
家庭の問題は我が身に降りかかる問題として、実質的な対処を迫られ、どうしたらよいかを、真剣に悩んで考える。夫に相談はしても、奥さんが直接手を下すケースは多い。
そんな中で、男性とは反対に女性は、生活力が自然と身について行く。
そして生活費の問題さえなければ、夫元気で留守が良いと言えるほどたくましくなる。

これらの傾向が、今の若い人に当てはまるかどうかわからない。
しかしこれらは、日本の高度成長時代を支えた猛烈世代に当てはまりやすい傾向ではないかと想像している。
その結果、コーヒーショップに老人男性が集う。

もしこの仮定が正しければ、なんとも悲しい現実だ。
日本をこれほどまでにした縁の下の力持ちが、大量に心理的難民状態になっているということだからだ。
しかも今の時代、日本経済は、これらの人々が蓄積した財産を食いつぶしながら、維持されている側面がある。コーヒーショップに集まる老人が店で落とす金、日本の世界的信用の元になっている貯蓄高も、その一つである。
老人には医療費を始めとした金もかかっているという話しもあるが、その金で潤っている人が多いのも事実である。
多くの人が老人の周りの群がりながらも、その目的は金もうけで、心のケアは少ない。
その意味で、本当に寂しい現実だと思われるし、自分の将来を考える上で、この現実から学ぶことが多くあるはずだと思われる。

僕は順当にいけば、18歳も年下の妻に先立たれることはない。
本当にそうなって欲しいと願っているし、そうあるべきだと思っている。
しかし、もし順番が逆になった場合、僕も全く自信がないというのが正直な胸のうちである。それはフィリピンに居を構えていることも含めての話しだ。
そして万が一そんなことになっても問題ないと自信を持って言える時がくるとしたら、僕はその時、本当の意味でフィリピンと同化したと言えるのかもしれない。

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