フィリピーナと共に
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2010年10月24日

168.頭の切り替え

人間の集中力というものが、それほど長続きしないということは周知の事実である。
学校の授業時間は通常40分や60分だが、人間はもともと、それほど長い時間集中できない生き物だ。特に子供ほど、短期集中で移り気である。
だから勉強でも仕事でも、適度に休憩を入れる必要がある。勿論○○○○だって、休憩を入れた方がいろいろと都合が良い(笑)
休憩時間では、それまでやっていたことをスパッと忘れ、思い切りリラックスする。休憩が終わったら、また休憩前にやっていたことに集中する。人間には、この頭の切り替えが大切だ。

難しい数学の問題に腕組みをして取り組むように、何かをジィーっと考えるということは、脳科学的には眠っているのに等しいらしく、これは脳のトレーニングにもならないそうである。
もし考えるトレーニング、つまり頭の体操をしたければ、簡単な足し算をできるだけ短時間にたくさんこなすという方法が効果的だそうだ。つまりパッとみてインスピレーションを働かせるように、間をおかずに答えを出すというこの繰り返しである。長考は脳のためには何も得にならないらしい。

わからないことがある時は、それを一度きれいさっぱりと忘れてリラックスすると、休憩時やその問題に戻った時にひらめくということが往々にしてある。これが物事を考える仕方としては、王道だそうである。

たまに見かける六角形のベンゼン環(化学構造式)は、フリードリヒ・ケクレが、自分の夢の中で見た、蛇が自分の尻尾をくわえてぐるぐる回っている様子からヒントを得てできたという話しは有名だが、その真偽は別として、人間はそのように今悩んでいることと全く関係の無い環境で、ふと、その問題を解決できたりする。

それと同じことを、僕は何度も体験しているし、おそらく他の方も大抵はたくさん経験済みではないだろうか。
難しくてさっぱりわからないとウンウン唸り、悩みに悩み抜いて諦めてから、全く違うことをしている時に突然問題解決のイメージが頭の中に湧いてくるという、それである。
これは頭の切り替えがなせる技らしい。
ただし最近は、降ってわいたようなそのヒントをすぐに何かに書きとめておかないと、せっかくのヒントやイメージを忘れてしまうこともあるから、これは加齢のなせる技というものである。

若いうちは、この頭の切り替えがうまくできるそうだが、歳を取るとそれが上手にできなくなるらしい。歳を取ると、頭を切り替えようと思っても、どうしても引きずるのだそうだ。
だから人間若いうちは、多くの仕事を並行してうまくこなすことができる。若い人が小さな仕事を次から次へとたくさんこなせるのも、頭の切り替えが上手な証拠である。

ただし年配の方も、切り替えが上手くできないといって落ち込む必要はない。
歳を取ったら、その切り替えがうまくいかない分を、蓄積された豊富な経験値が補うという具合に、本来はうまくバランスが取れるようになっている。
一般的には、町内会のリーダーや会社の管理職などは、それを武器に若い人間を引っ張ることになる。

よって経験値の乏しい人は、総合能力レベルが確実に落ちることになる。
つまり日々の経験から何かをつかみ取るということは、将来の自分の能力を担保することに繋がる大切なことなのである。

さて、この頭の切り替えが上手だとか下手だという話しは実に面白い。
頭の切り替えが早いと言われれば、「いやぁ〜、それほどでも・・」と言いたくなるように、何か褒められているような感じがする。
もちろん頭の切り替えが上手なことは良いことなのだが、それをあまりにうまく出来すぎるようになると、今言っていたことと、次に言うことが全く違う話しになるといった具合になり、医学的には精神分裂症の領域に入ってくる。行き過ぎると病気だということになるわけだ。
さすがに人間の頭の構造とは難しいものである。

これは、頭が良すぎる人が精神分裂症にかかる素養を多く持っているということなのかもしれない。超高速で動作する優良脳は、それはそれで危険なのである。
結局は適度な処理能力速度を持った脳が一番ということかもしれないと、そこでわざとらしく自己満足し安心したりする。


脳に関連した面白い話をもう一つ紹介する。
最近世の中には、パソコンが溢れかえっている。大勢の人がパソコンをインターネットに接続し、様々なものを楽しみ、仕事で活用している。
このインターネットに接続されているパソコンが、とうとう脳細胞の数と等しくなるか、もしくはそれを超える数になるらしい。
するとどうなるか・・・。

実は僕はあまりピンときていないのだが、わからないながらも受け売りの内容を告白すれば、コンピューターが万が一意思を持つと、人間が征服されてしまう恐れがあるらしいのだ。

勿論今のままではそのようなことにならないが、仮に世界中のコンピューターを接続するウィルスのようなものがばらまかれ、世界中のコンピューターが結託して意思を持つよう仕向けられてしまうと、人間はコンピューターに太刀打ちできなくなるいう話しである。
接続されたコンピューターの数が、人間の脳細胞の数を上回ればというところが、この話しのミソだ。

まるでSF小説や映画のストーリーのような話しであるが、それでも各人が持っている最近の高性能パソコンが、脳細胞と同じ数だけ結託すれば、何か恐ろしいことが起こってもおかしくはないと思ってしまうのは、僕だけであろうか。

そもそもこの話しの出所は、雲の上のような存在の専門家から出ている話しであるから、もしその方が分裂症でないならば、全く信憑性のない作り話とも言い切れない。

仮にパソコン軍団の反逆があった場合、電気を落とせばいいじゃないかと言う方も多いだろう。実は僕も、真っ先にそう思った。

しかし今は、重要な物ほどコンピューターで管理されている。
仮にアメリカやその他の国の核兵器をコンピューターにおさえられたら、「もし電気を落とそうなどと考える愚か者がいたら、地球上のある有名都市が犠牲になる」などという声明が発表され、人類が脅される。

それでも「馬鹿な!」と無視して誰かが自分のパソコンの電源を落とした瞬間、本当に核ミサイルがパリや東京、ニューヨークなどに発射され、大都市が見事に吹き飛んでしまう。
そして世の中の人々は、「あっ!ほんとだ。これは現実の話しなのか」と気付き、深刻な状況に追い込まれることになる。

警察はパトカーのスピーカーで、「これは訓練ではありません!パソコンの電源は決して抜かないで下さい」などと、上ずった声を町中にばらまくことになる。

それでも「うそだろ〜」と、自分のパソコンの電源を抜く輩が出てくることは間違いないが、今度はそいつの頭上にミサイルが飛んでくる。
そうこうしているうちに、地球上の誰もがコンピューター様に逆らえなくなる。

打つ手は一つ、世界中の人間が一致団結して、「せい〜の〜」の掛け声と同時に、全てのパソコン、コンピューターの電源を落とすことだが、それは不可能だ。
そもそも言語がばらばらな人間同士が結託しても、言語が共通なコンピューター連合に逆らうのは難しいということになる。

しかも何もかもがコンピューターに繋がっていれば、ほとんどの企みはコンピューター様に筒抜けとなる。
結局コンピューター様を封じ込めようと言いだした人間は、見せしめに悲惨な死を遂げることになり、そしてますます世界中の人々が、恐怖の渦に飲み込まれることになる。

おっとっと・・またまた空想・妄想の世界に入り込んでしまった。
フィリピン関連ブログなのに、SFチックな話しばかりで申し訳ない。

フィリピンは19年ぶりと言われた大型台風が去り、我が家は幸いなことに被害は無かった。

先日台風がフィリピン上陸間近という時に、僕はお客さんと社長と3人で、あるレストランで昼食を取っていた。

フロアにあるTVで、ニュースキャスターがその台風の大きさを強調する言葉を並びたてた後、社長が僕におもむろに、「家は鉄筋なのか?」と訊いてきた。

「はい、鉄筋なので、少々の風では吹き飛ぶ心配はないと思います」と答えると、なぜか社長は「そうか」と残念そうな口調で、次を続けた。

「洪水で浸水することはないのか」
「はい、家は高台にあるので、洪水の心配は全くありません」
やはり社長は残念そうに、「そうか・・」と言って、更に続けた。
「台風で何かまずいことになるような心配事はないのか」

僕は少しだけ無言になった後、社長の顔をじっと見て
「何か期待してます?」
と尋ねた。一緒にいたお客は、その時口に手をあてて笑いをこらえていた。
社長はその問いに明確な返事を返さず、台風の話題は終了となった。

その場を離れてから、一緒にいたお客さんが、「社長は何か不幸なことが起こることを期待するような口ぶりでしたね」と言ってきたが、実は僕も同じことを感じていた。

社長に悪気が全くないことはわかっているが、おそらくフィリピンで不測の事態が起これば、僕をそのまま日本に置いておく口実になるのではないかと考えていた節がある。
僕をフィリピン在住の前提で会社に入れたものだから、社長はこのまま日本で仕事しろと言えないのだ。

しかし社長がそれを言いたいことを、僕はとっくに気付いている。
社長のことは尊敬しているし、人間的にも好きであるが、台風ごときで人生を変えられたらたまらない。だから僕は、その手の話題で墓穴を掘らないように気を付ける。

さて、脳の話しから台風の話しへと切り替えてみたが、やはり頭の切り替えは難しい。
読んだ方も、少し混乱し、違和感があったかもしれない。
この話しの切り替えに全く違和感を覚えなかった人は、頭の切り替えが上手にできる人である。

僕は自分の書いたものを読みなおして、なぜ突然台風の話題になっているのかと、思い切り違和感を覚えた。
僕の脳みそはたかがこの程度であるから、分裂症の心配など無用のようである(笑)

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:168.頭の切り替え
2010年10月23日

167.ハッとした出来事

僕は普段、ハッとする何かがあると、ブログの記事を書く。そのような時は、忙しくても、時間がなくても、書かずにはいられない。
しかし仕事一色の生活をしていると、普段ハッとすることがないことにハッとしたりする。
このような生活状態を、僕は荒(すさ)んでいる生活だと自戒する。このような状況に至るのは、自分の能力や計画性の欠如が原因である。
まだ峠を越えてはいないが、今回骨身にしみる苦労でまた一つ勉強になったのが、せめてもの救いか。

どうやら最近は頭のねじも緩んでいるようで、先週、思わず苦笑いをしてしまうようなお間抜けな勘違いをした。

普段使用している自転車のタイヤの空気が少なくなっていて、自転車がちょ〜重い。
会社に通う時、自分は息を切らして自転車を必死にこいでいるのに、女子高生はもとより、おばさんやおばあさんが乗る自転車に、後ろからすいすいと追い抜かれる。
最初、これは自転車の性能の差か?と思っていたが、タイヤの空気が半分以下になっていたらそれは当然だと人に言われ、どこかに自転車屋さんはないかと会社の帰り道に注意していた。
「発見、発見・・なんだ、こんな近くにあったのか」
今住んでいるマンスリーマンションから自転車で5分のところに、サイクルショップを発見し、にんまりしながら今度の日曜に空気を入れるぞと決めた。
さて日曜日、重い自転車をこいで自転車屋さんへと向かったが、あるはずの自転車屋がみつからない。
確かこの辺りだったはずだと再三うろうろして、ある店の前でハッとした。

その店の看板に大きく書かれていた文字は、「サイクルショップ」ではなく、「リサイクルショップ」だった。どうやら頭の「リ」という文字を見落として、都合良く自転車屋だと思い込んだらしい。
「なんて紛らわしいんだ!」と、リサイクルショップに筋違いの文句の二つや三つは言いたい心境に至るが、さすがにそれを実行に移すほど頭のねじは緩んでいない。
文句の言葉を飲み込み、襲いかかる疲労感をひきずり、重い自転車をふらふら状態でこぎながら部屋へと戻った。

最近めっきり少ない、生活の中でハッとした出来事である。
「これがハッとした出来事ねぇ〜・・・なんとも荒んでいる・・」と、ますます自戒の念を強くしながら、倍増する疲労感をたっぷりと噛みしめる。


最近僕にとってもっとも刺激的な出来事は、ユリの成長具合である。
ユリは来月、初めての誕生日を迎える。

日本の仕事を汗だく状態で終わらせフィリピンへ駆けつけた翌日、モナの陣痛が始まった。自然分娩の予定が急遽帝王切開に切り替わり、病院の手術室の前室で心配しながらモナが出てくるのをじっと待ったあの日からもうすぐ一年かと思うと、月日が経つのが確実に早まっていると感じる今日この頃である。
歳を取るのと共に、一年という月日が、若い頃の半年や3カ月程度に感じる。つまり若い時分に比べると、歳を取るのが格段に早まっている。
「それが歳を取った証拠だ」と言われれば確かにその通りだと思うが、それを考えると得たいの知れない焦燥感に襲われる。

そんな僕の焦燥感とは全く無関係に、ユリはどんどん成長している。
僕が日本で仕事をしていた2か月間、ユリは一人で歩けるようになり、他人の言葉を理解して、ちょっとした芸もできるようになっている。

スカイプで「ユ〜リちん!」と呼びかけると、彼女はにんまりと笑顔を見せる。
「ハ〜イ」と言葉を書けると、ユリは首を上下に振る。イエスの意味の日本語のハイを理解しているので、「ハイ、ハイ」と言うと、なんども頷くのだ。
それを見て僕が大笑いしていると、それに合わせてユリも笑う。
逆に「イヤイヤ」と、首を横に振ることもできる。

「Cover your ear(耳をふさいで)」と言うと、まだ小さな手を耳にあてる。
携帯を持たせると、それも耳にあてる。
音楽を聞いて、両手の掌をヒラヒラとさせる動作を入れながら、縦ノリダンスもできる。

「Whrer’s the bird?(鳥はどこ?)」と訊けば、上を見上げる。
絵本を見ながら、「ママはどこ?」「アテ(お姉さん)はどこ?」と訊くと、絵本の中のそれらしい人物を指さす。
相変わらずユリは本が大好きだが、好きは好きでも食べるのが好きなのだから、普通の「本を読むのが好き」とは意味が違う。
さすがのモナも、「本が好きだから、ユリ、頭良くなるなぁ」とは言わなくなった。

先日は、口紅を持たせたら、それをちゃんと唇にあてて口紅を塗る仕草をしたらしいから、自分の目で見ていることを、しっかりと理解しているようだ。
「ユリは、見た目はボーイみたいだけど、心はやっぱり女だなぁ」と付け加えながら、モナがそれを教えてくれた。

ユリは片言の言葉も話し始めている。モナのことを「マ〜マ」もしくは「マンマ」と言う。僕のことは「ダァ〜」と言う。ダディーのダァ〜らしい。
英語と同時に、地元のビコール語も理解しているようで、それも少しずつ話し始めているらしい。

家の中では、ユリの作る変な顔や仕草に、家中の人間が毎日大笑いしているようだ。
モナが、「ユリの顔はつまらなくないなぁ〜」と言いながら、そんな様子をいつも教えてくれる。

そんなユリの様子を聞きながら、ユリのこの大事な時期に、これほど長期で家を離れていて良いものかと、やはり焦りに似た感情が湧きあがる。そして次に家に帰ってユリを抱いたら、また彼女に泣かれるのではないかと心配になる。
早く会いたいと思いながらも、その欲求に無理やり蓋をして、できるだけ早く仕事に決着を付けるのが先決だと、決意を新たにする。

とにかくあと半月も死に物狂いでがんばれば、僕は晴れてフィリピン行きの飛行機に乗っているはずだ。
その前に中国に行かねばならないが、できれば中国から直接フィリピンに帰りたいものである。

そう言えば一昨日、中国人の客が会社にやってきた。予定時刻より2時間も遅れての訪問であった。
先方は我社の客ではなく、ベンダーの一つであるから、それが堂々と遅れてやってくるのは日本人の感覚ではあり得ない。
遅れてきた客人は、なんとも悠々としていて堂々とさえ感じる。しかも通訳として同行している中国人女性は、ミーティングを早く切り上げて食事に行きましょうなどと言っている。
もはや日本人は、格下だと見下されているようにも見えて、ある意味ハッとする。
社長は怒りを押さえて丁寧に対応していたが、僕は、中国3千年の歴史に比べれば、2時間などほんの一瞬という感覚なのかと陰口を叩いていた。

その理屈で言えば、3カ月の日本滞在なども、全くたいしたことではない。
ましてやあと半月など、寝て起きるようなものだと、そうやって自分をなんとか納得させる昨日、今日である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:167.ハッとした出来事
2010年10月17日

166.負けるなフィリピン人

相変わらず休日もなく、ヘロヘロ状態で仕事をしている。なんとも気の休まる暇がない。

今朝起き立てに、ボーっとテレビを見ていたら、中国の暴動騒ぎが報道されていた。反日運動で盛り上がっているらしい。ヨーカドーや伊勢丹店舗のガラスが割られ、営業を取りやめにしたなどと女性アナウンサーが言っていたが、なんとも飽きないバカな国民達である。
彼らは今の中国が、自分たちだけの力、能力で大きくなってきたと勘違いしている。実態は、まだまだ日本や欧米諸国の協力が必要だ。
それをわきまえず、日本人や世界の国々の心証を悪くする行動に邁進するのは、世間が見えない愚かな自己中集団であることの証拠である。

実は来月、そんな中国に突然行くことになってしまった。マレーシアで扱っている中国製基板に問題が発生し、原因究明と対策をしなければならなくなってしまったからである。
ただでさえ中国は行く気がしないのに、この騒ぎがある中でのこのこ出かけたら、何かが起こってもおかしくない。


中国は以前、何度も足を運んだ。
主に行ったのは、香港からフェリーで1時間ほどの、珠海というところである。街の外れにマカオの入り口があり、よく滞在期間が切れそうになると一旦マカオへ出て、すぐにUターンをして中国へ再入国したものだ。再入国の際、イミグレーションでパスポートにスタンプを押してもらうと、そこから滞在期間が3週間ほど延長される。(実際は延長ではなく、出国後に入国するので、自動的に約3週間の滞在が認められることになる)

珠海は特別区に指定された、中国国内では比較的綺麗な街だ。
大きな街だけに、デパート、高層ホテル、ディスコ、日本人向けのカラオケパブやローカルバー、マッサージ、インターネットカフェ、和食を始めとした各種レストラン、喫茶店など、なんでも揃っている。

しかし綺麗で何でも揃っている街でも、なぜか1週間も滞在していると心が沈んでくる。宿泊しているのは、街の中では高級な部類に入る高層の立派なホテルだったが、それでも嫌になる。
商用施設が入る綺麗で立派なビルディングが並んでいようが、人間がいくら綺麗に着飾っていようが、僕には中国という国がなぜか性に合わず、あの国の中にいると一刻も早く出国したくなってしまう。
なぜそんな気持ちになるのか明確な理由があるわけではなく、何が自分を沈んだ状態にさせるのか実はよくわからないのだが、これまではとにかく、「嫌い」の一言で片付けていた。
だから滞在延長などしたくはないが、それでも帰れない状況であれば仕方なくマカオに出て延長する。
気分転換に、香港に出て滞在延長をする場合もある。
通行証を持っている中国人が路肩行商などで毎日香港に渡る人もいるくらいだから、香港にはちょっとした思い付き程度で、日帰りで行き来することができる。


その中国へ行かなければならないということで、憂鬱な気分になっているところへ反日運動のニュースであるから、今日は朝から、少し不愉快になってしまった。

しかしその画面を見ていて、ふと、不思議な気がした。
反日デモに参加している中国人は、ほとんどが日本人に近い顔をしていたのである。
これまで中国人に、そんなことを感じたことはなかった。
中国人は中国人の顔を持っているだけで、「日本人に似ている顔」とはこれまで全く思ったことはなかった。

しばらく中国に行っていなかったから、中国人に対する感覚が変化したのかなどと考えながら、ふと思った。
僕は似たような顔を持っている中国人に、理由の定まらない嫌悪感を抱いているが、まるで自分たちとは違う顔や行動パターンを持つフィリピン人には親近感を抱いている。それを一瞬妙に思った。

なぜだろうか・・。僕はしばし考えてみた。
そもそも僕は、中国の何が嫌いなのか。どのような出来事がそれを決定的にしたのだろうか。実はそれをよく思い出せない。

少なくとも、中国の街の風景を僕は嫌いである。
僕は日本の工場地帯の風景も好きではない。特に灰色の壁を持つ中途半端な工場がたくさん建ち並んでいて、所々の煙突から煙が出ているような風景を見ると、言いようのない沈んだ気持ちになるのだが、中国の街並みに接している時もそれと同じような感覚に陥り、どんよりと気分が重くなる。
中国のそれは工場地帯でも工場でもないのに、なにか侘びしさを感じる共通点があるらしい。

フィリピンの寂れかかったダウンタウンなどでは、そのようなことを全く感じないので、建物が古い、汚いということは、気分を沈ませる理由ではない。道路が汚水で異臭を放っていても僕は平気だから、そのようなことも理由ではない。

それではそれを感じさせるものは何かと考えてみると、人の温もりを感じない場所、風景であるという共通点があることに気付いた。
「人工的で、無機質な印象のある場所」ということである。

中国の商用地域では、建設が途中で停止されているビルディングも、道路の両脇に整然と並んだヤシの木のような南国風の木も、そして不自然な発光色を放つ夜の看板類も、全てに息づかいを感じさせない冷たさがある。
そしてそれらは、中国人の感性を象徴しているようにも思える。
急激な発展を遂げて、急いで作り上げた街であるから、多分に人口的ではあるのだが、昔ながらの建物にも同じ印象を覚えるので、付け焼刃で作ったからというのは理由にならないと思われる。
おそらく色遣いや建物の形に遊び心を極力省き、できるだけ安く機能のみを追求して作ると、このようになってしまうのかもしれないと想像している。
もしくは見栄を張った造りを目指しても、けちるとわかってしまうものであるが、その誤魔化しがばれるときに感じる侘びしさというものもある。

中国の大昔の建造物は、美術性に富んで素晴らしいものが多いのに、現代になってなぜそれほどコインの裏表のように真逆な造りや雰囲気になってしまったのか、少し不思議ではあるが、住民を奴隷のようにこき使えなくなったら、余計な金を出し惜しみする中国人気質が、街の造りに反映されてしまったというところだろうか。

そして住宅地域に目をやれば、平民の家は貧しさに疲れたような、言いようのない疲労感が漂っていたりする。ひび割れたコンクリート製の建物に、ペイントが不十分な鉄製のゲートや窓の格子などついており、人がゆったりと暮らす空間に見えなかったりする。
いずれの地域でも、見ているこちらに伝染するような侘びしさがある。

そしてそれは、中国人という人間にも感じるのである。
常に本心を隠し、常に利害だけを考えた言動を繰り返す中国人に、同じような疲労感を感じる。
他人に嘘をつくことも、他人を騙すことも平気であるような、いやむしろ、そうやって這い上がらない奴は愚かだとでも思っているような気配を感じる中国人に、気を許すことなど許されず、中国で仕事をしている時には心が休まらない。

仕事だけではない。マッサージに行っても、こちらが居眠りした途端に手を抜く。寝ているふりをして様子をうかがえば一目瞭然だ。
フィリピン人も人の見ていないところではズルをするが、中国人のズルは、それとは質が違う。
フィリピン人は単純に自分が楽をしたいからズルをするが、中国人はそれに加えて、真面目にやる必要性がないとか、それに意味がないという様々な理屈が加わる。だからマッサージの手抜きを指摘しても、中国人は決して謝らない。もっともらしい言い訳を言うだけである。

どのようなケースでも、中国人が「ごめんさい」と素直に謝るところを、僕は一度も見たことがない。フィリピン人の口からは、仮にそれが形だけだとしても「ソーリー」という言葉が出てくるが、中国人は形式的にでさえ謝ることを知らない。
そしてこちらが気を許していると感じると、図々しくなる。

かつてよく通った中国工場の一つに、珍しい女性管理者がいた。女性で出世するくらいだから、よく勉強をしていて、日本語が堪能で、かつ性格がきつい。
30前後で独身だったが、この女性を嫁にもらおうという気構えのある人物は、中国人といえどもなかなかいないだろうと思える人だった。

一度だけ仕事の関係で、夕食を共にしたことがある。従業員と日本人出張者の軋轢問題の話題で、社内では話しづらかったので、場所を外に移したと記憶している。

一緒に食事をしたのだから、当然職場の裏話やら仕事以外の話しをたくさんした。
それで彼女は僕と打解けたと誤解したのか、数日後にあらためて相談があると言ってきた。
相談は、会社を辞めてビジネスを始めたいから、ビジネのパートナーになってくれないかというものだった。一緒にビジネスをやろうというお誘いであるが、要は金を出さないかということである。
僕は仮にも、日本本社の管理職についている人間であった。通常であれば、決してそのような立場の人間に持ちかける相談ではないから、僕も舐められたものだと思った。
そのお誘いは丁重にお断りさせてもらい、またその工場で彼女は必要な人間だと判断するとこもあったので、彼女の相談の内容は誰にも洩らさなかったが、僕は彼女の相談の裏に何か危険な企みを感じ、やはり中国人は油断ならないと強く感じた。

だから僕は中国人に対して、ビジネスライクに徹した対応をする。
大変な仕事をお願いして申し訳ないとか、御苦労さんという気持ちを徹底的に排除し、給料分の対価労働を提供しなさいという態度で接する。苦労をかけても、それは給料を払って働いてもらう以上は、当然だという気持ちでいる。相手もおそらく、それに違和感を覚えない。それが当たり前だという感覚を持っていると想像している。
しかし、そのような仕事の仕方は、殺伐としていて疲れるものである。

ヨーロッパやアメリカも、これに似たようなスタイルで仕事をするが、実際の職場の雰囲気は少し違う。同意したスケジュールを守ってさえいれば、あとは極力個人の事情を優先させて休みが取れるし、一日の労働時間も少なくしようという配慮が行き届いている。
普段も和気あいあいとした雰囲気の中で仕事をするので、それほど殺伐とした空気はない。

こうして書いてみて、僕が中国を好きではない理由が見えてきた。
一言で言えば、文化の違いということになるかもしれないが、それが受け入れ難い違いであることが問題なのだ。そして一番肝心な、人間が信用できないという点が問題なのである。

これまで中国の日本人向けカラオケパブに何度も行ったことがある。中身は日本語の話せる女性が隣に座る、カラオケパブである。
中には綺麗な女性もいるが、これまで一度もはまったことがないし、はまる気もしない。
なぜかと言えば、相手が信用できないからである。
お店には飲みに行くが、それ以上の個人的なお付き合いは、逆立ちしても無理である。
どんなにスタイルが良く、どんなに美人でもこれだから、人間関係における人間性というファクターがどれほど重要か、推して知るべしというところか。

ここまで書いたことは、多分に主観的な内容に偏っているので、僕は決してこれらを正確な中国の姿であると言い張るつもりはない。あくまでもこれらは、僕が中国人に素直に感じている事柄であり、これとは全く違う印象を持っている方もいるだろうことを否定しない。

さて、こうした中国人と比較すれば、フィリピン人の性格・気性はとてもお得なものだと思えてくる。

その性格を利用して、何かうまい国家的商売はないものだろうか。それを強みにしたビジネスであれば、決して中国人の追従は許さないだろう。なにせ人柄で勝負する商売なのだから。
人柄や性格は、簡単に変えられない。ましてや最近の中国の若者は、甘やかして育てられているから、ますます凶暴な思想を持っていると言われる。我儘度がパワーアップし、性格の良さを売りにした商売は、とても無理である。
いや、中国人は経営者となり、フィリピン人を将棋の駒のように使うだけだから問題ないと、中国人は言いそうだ。だからフィリピン政府が入って、国家プロジェクトとしてそれを阻止するのである。
フィリピン政府はあまりあてにならないが、フィリピンが自立するためには、中国人の搾取を許さず、自分たちの取り分(サラリー)を上げていかなければならない。
今のままでは、フィリピン人に明るい未来はないのである。
※前言少し取り消し。フィリピン人は、それでも底抜けに明るかった・・(汗)

今やフィリピンは、インフラに関する重要な部分を含め、ほとんど中国人に支配されている。
中国人の大々的な移入を認めたために、深刻な問題を抱えている先進国が多くある中、フィリピン人も中国人が搾取する相手として、大のお得意様の一つとなっている。

当然僕が心情的に応援したいのは、フィリピンである。
中国人の蜘蛛の巣にかかり、飼い殺し状態となっているフィリピン人が哀れで仕方がない。
最近の中国本土では、フィリピン人メイドを雇う事が、ステイタスになっているとか。
そのような話しを聞くと、僕はますます、「フィリピン人よ、中国人に負けるな」と、声を大にして言いたくなるのである。

フィリピンの家の中には細々とした問題はあるが、いつの日かそんな小さな問題などどうでもよくなり、日本人の僕とフィリピン人のモナやファミリーが一致団結(一家団結)し、不思議な盛り上がりムードで共通の宿敵・中国人に対峙する時がくるかもしれない・・・

などということは、ないか・・・。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:166.負けるなフィリピン人

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