フィリピーナと共に
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2010年10月11日

165.僕の言い分

「なんで電話に出ない!」
スーパーで買い物をし、レジに並んでいる時にモナからの着信に気付き、コールバックをした途端に言われた。
一瞬イラッとした。何で電話に出ないと言われても、電話に気付かなければ出ることができないに決まっているだろう・・とは言わなかったが、本当にそう思った。

最近仕事が佳境に入っている。先々週辺りは、先行き不透明なことにイライラし、先週あたりは並行して進めている仕事のそれぞれに目途が立ってきたが、目途が立ったら立ったなりに、やらねばならない細かいことがたくさん見えてきた。それらを一つ一つ考えていると、胃がキュウキュウと縮まる。いつも心臓を誰かにわしづかみにされているような、落ち着かない日々が延々と続く。

寝ている時にも、突然目を覚まし、ハッと時計を見る。そしてすぐに、今日は何日で今は何時かと考える。
最近は出勤日の朝が怖い。客から仕事の進捗を尋ねられるのが、プレッシャーになっている。出勤前から、毎朝仕事が遅れていることへの言い訳を考えねばならない。
ここ数週間は、ずっとこんな調子で過ごしている。気が狂いそうになるほど悩ましく、食欲が激減し、何を食べても美味しくない。

今回は、3つの仕事が見事に重なってしまった。しかも3つの仕事を合わせて、合計1500万円の仕事である。それほど小さくない、技術的には重い仕事だ。ついでに以前の仕事のアフターサービスのような、おまけの仕事も抱えている。
仕事が重なったのは、客が正式に注文を出すタイミングが当初の予定とずれたせいだが、客には口が裂けても、他の仕事をしているので、今おたくの仕事に手を付けられない・・・などとは言えない。
他のメンバーに振りたいところだが、いずれの仕事でも、今回使用するデバイスは僕にしか扱えない。これではいけないと、一つの仕事は他に振ったが、その彼はまだまだ勉強中で、肝心で厄介な部分は、相変わらず僕がデバイスの中身をプログラミングしている。

ここ3〜4週間、社内外の方から何を言われても、貝のごとくじっと耐え、とにかくマイペースを維持することに努めていた。それぞれに対応や反応をしていたら、結局右往左往するばかりで仕事の効率ががくんと落ちる。
少しでも仕事を進めなければ近い将来抜き差しならぬことになることがわかっている。進めてさえいれば、ある時期には確実に終了する。
大きな問題にならないよう、各顧客に、出来上がった分の資料や、時間稼ぎの質問を出し、それぞれの客の反応を見ながら、陰で進める仕事をどれにするかを決める。そんな日々が続く。

先週末、これまでどうしてもわからなかった部分が大きく進んだ。
それだけで、これまでもやもやと気持ちの中に漂っていた霧が、少し晴れてきたように、気分が軽くなった。
世間で浮かれる3日連休など、僕にはまるで無関係のように思っていたが、1日くらいは気分転換をしたいという気持ちが芽生えた。そんな気持ちになるのも、久しぶりである。
本当はPPにでも行って、思い切りカラオケでもすれば良いのだが、それはフィリピンにいる奥方の問題があるので、1日中パチンコをすることにした。それが更にストレスになる可能性は十分あったが、少なくとも仕事のことは忘れられる。今僕に必要なのは、仕事のことを忘れる時間を持つことだ。一時的にでも仕事を忘れないと、壊れてしまいそうだった。

3日連休初日、朝は洗濯をがんばり、昼過ぎから予定通りパチンコに行った。
初期投資は3千円と少なめで、どんどんスロットのコインが溜まっていく。しかし最近のスロットは、コインが溜まりっ放しということはほとんどない。出たらその後は、しっかりとはまる。それでもはまった後にまた盛り返すことを信じて、はまりを克服しようとがんばる。想定外に深いはまりが終わると、そのあとは予定通りに盛り返し、僕の頭上には、コインが満載されたドル箱が2つほど、輝きを放っていた。
しかしツキもそれまで。あとはたっぷりと時間をかけて、とうとうドル箱一つが空っぽになった。とりあえず一つを交換し、別台へと移動して追加投資する。しかしどうやら最初の台で、僕はその日のツキを使い果たしたようだ。
結局交換したドル箱一つを入れても、トータルではマイナスで終了した。
1日中別の意味でイライラしていたが、1日イライラした割に、使ったお金は少ないと驚いた。溜まった時に止めておけば、結構儲かったはずだが、とりあえず何もかも忘れ、パチンコに没頭するのが目的だったから、それはそれで良しとしようと、自分を納得させた。

冒頭の話しは、その後スーパーで買い物をしている時の電話のことである。
僕は部屋を出る前に、モナにはパチンコに行くと宣言してから出た。帰りの時間は不明で、とにかく今日1日は好きにさせて欲しいと言った。
それでもモナは、帰りが遅くなると僕を追いかけてくる。
携帯を見ると、今どこにいるとか、なぜ連絡をくれないとか、気付かないうちにメールがいくつか入っていた。
追いかけることは構わないが、気付かなかった電話に、いきなり「なぜ出ない!」と言われ、僕はイラッとしたのである。
毎日スカイプや電話で連絡を取り、仕事を気にしながらも時間を取って話しているではないか。そんな考えが頭の中に浮かび、彼女に何か文句を言いたくなったが、どう表現して良いかがわからず、僕は一瞬無言になった。

この数週間、モナとのスカイプの時間は、本当は僕にとっては仕事に回したい、貴重な時間であった。それでも夕食後の数時間をスカイプに割いて、僕はそのあとに仕事を続行することもある。それがどれだけ辛いことか、彼女にはまるでわからない。
彼女にしてみれば、僕が長い間日本にいて、離れ離れに暮らすことを我慢しているのだから、そんなことは当然と思う気持ちもわからないではないが、そのおかげでフィリピンの家族は不自由なく暮らせているのだ。
しかもこんな生活が、将来ずっと続くわけではない。日本への長期出張は、基本的にこれが最後だということも伝えている。せめて今の期間だけでも、我慢して欲しいというのが本音である。
次にいつ会えるのかわからなかったり、将来二人がどうなるのか、全く先行き不透明なかつての関係ではない。先が見える話しであるし、数か月という期間限定の我慢である。以前、1年や2年直接会えなかった時期に比べれば、はるかにましな状態になったではないか。

翌日、僕はコーヒーショップで仕事をしようと外へと出て、再び同じようなことがあった。彼女から、予期した通りに電話があった。意味不明のメールも携帯に届いた。それは、これからデートがあるから外へ出るという内容だった。本当に誰かとデートなのか、それとも僕を試しているのか。僕は後者だと踏んで、その姑息なやり口に再びイラッときた。
遠い昔、モナが似たような手口で、僕の気持ちを試そうとしたことがあったことを思い出し、僕はそのメールを無視した。

部屋に戻ってから、いつもは帰ったというモナへの報告メールも出さず、僕は何か、暗澹たる重苦しい気持ちになっていた。
それでもパソコンにモナからメッセージが入ったので、今部屋にいると返信をした。それに対して、帰りが遅い、どこで何をしているといった内容のメッセージが返ってきたので、僕は余計なことは言わずに、文句だったら要らないと返信した。
すると彼女は、文句を言ったらだめなのかと、更に文句を言いそうになったので、それ以上文句を言うようだったら、パソコンは閉じると僕は応酬した。好きにして良いという内容の返信が届いたので、僕は本当にPCをオフラインにした。
モナが本気で文句を言いだすと、長たらしい文章をがんがんと送りつけ、しかもその中に、キリスト教やら誰かの格言やらを入れ込んでくる。僕を説得や説教したかったら、自分の言葉で言えと言いたくなる。

すると今度は、携帯ががんがん鳴り出した。好きにしろと言ったのは自分ではないか、自分の言葉の一つ一つに責任を持てという気持ちになり、僕のイラつきは頂点に達した。
そして携帯の電源も切った。
こうなるとモナは、手がつけられない。僕が結婚前、彼女に対して一番敬遠し、一番苦手とする彼女のやり方である。

もしその時の僕が本気で応酬したら、僕の口からは、彼女の心を痛めつける言葉の数々が飛び出すことは分かっていた。だから話しはしたくなかった。
それはそれで、モナの気持ちを沈ませることになるだろうが、弱った僕の心は、余計な議論に耐えることができそうになかった。
僕はパソコンも携帯も切って、何にも煩わされることなく、ベッドの上で本を読んだ。
現実逃避のかけがえのない時間である。
それでも心の中のいやなモヤモヤを払拭することはできなかった。結局僕は、いつの間にか眠りについていた。
起きたのは夜中の2時だった。読んでいた本が、ベッドの脇に落ちていた。携帯に着信やメールが入っていないかを確認しようとして、携帯の電源を切っていたことを思い出した。
それから再び、いそいそと仕事を始めた。
こうなると、仕事を進めている時間が、今の自分にとって一番安泰な時間であることに気付く。毎日その日をどうやってしのぐか、そればかりを考えて胃を縮ませるのは、もうごめんだと、時間の許す限り仕事を進める。

僕は今、再びコーヒーショップでこの文を書いている。
コーヒーを飲みながら、回路図を書き、小説を読み、時折コーヒーを再注文し、男女の考え方の違いなども考えたりもする。

男は基本的に、全ての自由が奪われると息苦しくなる生き物ではないだろうか。
少なくとも僕はそうである。女性は違うのだろうか。この気持ちは、女性には分からないものなのだろうか。
彼女は、死ぬほど苦しいプレッシャーの下で仕事の責任を果たすということを、どれだけ分かっているのだろうか。
お店での売上げ義務のプレッシャーとはわけが違う。それを軽いとは言わないが、こちらは結果が出ないと、解放すらしてもらえない。お店は辞めることができるだろうが、僕が仕事を放り出すということは、この業界に2度と戻れないことを意味し、今後の生活において死活問題となる。その死活問題とは、彼女や家族全員に降りかかる問題となる。
そのプレッシャーの大きさを、フィリピン人の彼女は、心の底から理解できるのだろうか。

自分本位に書き進めてみたが、なんて自分本位な言い分だと思ったりしながら、このまま自分の言い分だけを掲載することにした。
僕のストレス解消の一つだと思って、お許し願いたい。

とにかく胃が痛い毎日に、僕は先日、胃薬を買って飲んでいる。
全ての仕事が完了し、晴々とした気持ちでフィリピン行きの飛行機に乗っている自分を想像し、仕事に追われ、精を出す毎日である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:165.僕の言い分
2010年10月04日

164.涙のカラオケ

47歳という歳を強調するかのように、歳を取った話題を続けてきたが、もう一つだけ調子に乗って書いてみたい。

自分自身が狼狽するような、歳を取ると共に変化したことがある。それを老化現象と呼んで良いのか悪いのかわからないが、明らかに若い頃と変わったことだ。
それは涙もろくなったことである。

もともと僕は、人前では絶対に涙を見せたくない気性である。何があっても泣いている姿だけは、誰にも見せたくない。しかしここ数年、ふと涙腺が緩んでどうしようもない時がある。

映画やTVドラマを見て泣けることもある。小説に涙することもある。時には人のブログを読みながら涙をこぼしたこともある。
そんな状態に陥るたびに、なぜ僕は泣いているのだと不思議に思っていたが、最近ではそんなことも考えなくなった。自然現象として捉えられるようになってきたからである。

人前で涙するようになったのは、自分自身が死ぬほど苦しい現実を目の当たりにしてからである。
借金の重圧、失業、生活苦。
それまで順調に進んでいた道から、とつぜん坂道を転げ落ちるように、様々なものが狂いだした。
人生の落後者になったような錯覚に陥り、気分が沈み、今後浮かび上がることなど二度とないような気になっていた。
どうせここまで落ちたなら、もう怖いものなどないという強がる気持ちと、もっとすごい地獄が待っているかもしれない不安感が同居し、精神的に不安定だった。
現実逃避でパチンコ屋へ通い、わずかなあぶく銭を掴んでは、その安心感に浸っていた。勝ったときには一時的に疲労感を忘れることができたが、負けると更にどんよりと沈んだ。
仕事も順調な時は良いが、ひとたびつまずくと、すぐにその現実から逃避したくなった。

「逃げるな、人間は一度逃げると癖になるぞ」
これは誰かの小説で読んだ台詞である。それがわかっていながら、僕はすぐに現実から逃避しようとして、それがますます自分の首を絞める結果を招いた。
そして、一度逃げると癖になるという言葉の意味を、いやというほど思い知ることになった。

それから本当の意味で、他人の痛みがわかるようになった。正確に言えば、他人の痛みを自分に置き換えることができるようになった。

それからである。TVでも映画でも小説でも、すぐに感情移入してしまい、涙もろくなったのである。
ついでに他人のしくじりに寛容になり、他人の暴言に腹が立たなくなった。それが人からみれば人格者に見えるらしく、不思議と頼りにされるようになった。
人の痛みを知るということは、それほど大きなことで大切なのだと知った。


かつて僕が本当に苦しんでいる時に、僕は横浜でモナと再会した。
その頃は、僕の過去の人生で、精神的にもっとも苦しかった時期の一つである。

モナとの再会は、僕の淀んだ心に光をそそいだ。横浜で二人で過ごした時間は、安らぎに満ちて、本当に幸せだった。
モナは僕がこれまで出会った女性の中で一番と言えるほど、心の優しい女性である。彼女はいつも僕の我儘に、我慢強く付き合ってくれた。

当時僕は、そんなモナに軽蔑されないよう、いろいろなことで悩み苦しんでいることを、何一つ彼女に話さなかった。自分が人生の落後者だということが彼女に知れたら、彼女は僕の元から去っていくかもしれないという不安もあった。
彼女から見放されたら、僕は糸の切れた凧のように、どこへ飛んでいくかもわからない状況だったから、それを心底恐れていた。

しかし一方で、精神的に病んでいた僕は、いつも自分の都合で彼女と会う日を決め、時には彼女の電話に答えず、そして会いたくなったらこちらから連絡を入れるという、自分勝手な付き合い方を貫いていた。僕の生活事情がそうさせていたということもある。

陰で彼女が泣いていることも知っていた。その事実は僕自身の心を痛めつけたが、お金が無い、もしくは仕事で壁にぶち当たるなど、どうにもならない状態に陥ると目の前のことで頭がいっぱいになり、彼女のことは後回しになっていた。
当時は、今お金が無いから会いに行けないなどと、口が裂けても言えないと思っていたのである。

都合の悪いことは彼女に告げず、まるで僕が自分の心を楽にするためだけに、彼女を利用しているようにさえ思え、そのたびに、自分はだめな奴だと思っていた。
彼女の純粋な気持ちを踏みにじっているような罪悪感を覚えたときには、心の中でモナに、なぜそれほど僕を追いかけるのか、僕はあなたに相応しい男ではないと叫んでいた。
僕はモナの前でいつも去勢を張っていたが、内心では驚くほど謙虚な気持ちを持っていた。

僕はそれ以来、周りにだめな奴がいても、お前はだめだなどという話しはしないし、そぶりも見せないようになった。そんな人は自分自身でそれをよく承知していて、心の中に葛藤を抱えている場合が多いことを知ったからである。


モナが、横浜からフィリピンへ帰る前日のことだった。
モナは帰国前2日間を、店を休んで僕と一緒に過ごすと言った。
モナの最後の仕事に付き合い、閉店後から2泊3日で、二人で最後の時間を惜しむように横浜の街を歩き回った。
帰国前日にモナは自分のアパートに戻り、翌早朝に成田に向かう予定である。

二人で横浜をぶらついている間、ぼんやりとした寂さが心の中を彷徨っていた。
しかし、次の日から僕の心を救ってくれるモナが日本に居ないというのに、死ぬほど辛いという感情がないことを、僕自身が少し戸惑っていた。それは他に心配事があったからである。
この期に及んで、彼女に集中できていない自分を呪っていた。
彼女が僕の愛に、疑惑を抱き続けてきた所以の一つである。

僕は彼女に対して、いつも自分の感情を見せなかったし、一貫して淡泊な対応をしてきた。それは今でも大差ないが、結婚前の彼女はいつも、僕が何を考え、何を感じているのかわからないと言っていた。それを彼女は、結婚後も引きずっていたのである。
最近彼女は、今は僕の気持ちがわかると嬉しそうに言うが、以前それが、不透明で分かりづらかったことに彼女が大きな不安を感じていたことを、僕は痛いほど理解していた。

横浜の最後の晩餐に、二人で横浜駅近くのレストランを選んだ。
彼女は最後の食事代を、感謝の気持ち表すために、自分で払いたいと言い出した。
感謝をするのはこちらの方だと思ったが、財布の中身が乏しくなっていた僕は、その言葉に甘えることにした。
食事が終わっても、なんとなしにサヨナラを言う気がしなかったので、終電までのつもりで、彼女のアパート近くのカラオケ店に入ろうと、僕から彼女を誘った。

もうじきお別れだというのに、二人とも一見淡々と歌っていたが、僕は心に、何か割り切れないものを抱えていた。
彼女に対して、謝りの言葉か、感謝の言葉か、それとも愛の言葉か、または将来の何かの約束か、何かを言わなければならないと思いながらも、それを言えずに時間がずるずると経過していた。
そうか、何かを言わなければならないから、時間稼ぎで僕はカラオケに入ったのだと歌いながら気付き、気付きながらも彼女に何も言うことができなかった。

そして僕が何気にB’zの「home」を選曲し歌った時である。
突然僕を、ある感情の高ぶりが襲った。

「君を傷つけて いっぱい泣かせて 僕はもう眠れなくて
 後悔してるのに またくり返す どうしようもなくダメなんだ
 ありがとうって 思うことの方が断然多いのに
 どうしてもっと うまい具合に 話せないんだろう
 言葉ひとつ足りないくらいで 全部こわれてしまうような
 かよわい絆ばかりじゃないだろう
 さあ見つけるんだ 僕たちのHOME」

この歌詞を口ずさみながら、これはまさに自分のことだと思った。後悔しても後悔しても、彼女を傷つけてしまうだめな自分。出会ってから数年間、彼女の気持ちを踏みにじってきた自分の姿が突然浮き彫りになった。
感謝や愛の気持ちを抱いているのに、なぜか素直に言えない。たくさんの問題を抱えていた自分に、愛を語る資格はないと、自信も喪失していた。
そして何も言えないまま、彼女はフィリピンへ帰国しようとしている。
僕よりもモナの方が、僕に訊きたいことを山ほど抱えているはずであった。それなのにそんな話しを嫌う僕を気遣い、彼女はじっと耐えながらややこしい話題を封印していることに、僕はとっくに気付いていたではないか。

本当に嫌な奴だと自嘲する自分とその歌詞が重なり、気付いたら僕の目から涙がこぼれていた。泣いている自分に狼狽しながら、彼女に気付かれないように、彼女に背を向けたが、歌う声が詰まって彼女に気付かれた。
僕の涙に気付いた彼女の目からも、涙があふれ出た。彼女もこらえていたものが、噴き出したようだった。
女性の前で涙を見せたのは、それが初めてのことだった。
泣きたくはなかったが、突然襲ってきた感情の高ぶりに我慢できず、思わず流れ出た涙だった。

その後彼女は、僕の涙の意味を訊いてきたが、結局僕は何も言わなかった。説明しても、彼女を理解させる自信もなかった。
結婚後、現在に至るまで、僕は明確にそれを彼女に教えていない。ここで初めて明かす事実である。
ただし彼女には、寂しい心の内だけは素直に話した。だから彼女は、自分との別れに寂しさを感じ僕が男泣きをしたのだと、都合の良い解釈をしたようだが、実際にはそんな単純なものではない。もっと複雑に入り組んだ、心の葛藤の表れである。


人の心というのは、かのように複雑で繊細なものである。
それを抱えて人間は生きている。怒る時もあれば、泣きたい時もあって当然である。
いつも素直に心の中を表現できるモナを、僕は素晴らしいと思い羨ましいとも思う。

そんな彼女は、僕の弱い部分を少しだけ知っている。
自分の弱いところを理解してくれる人が傍にいるということは、心を支えてもらうことと同じである。
相変わらず人前で涙を見せることには抵抗があるが、素直に感情表現をすることも悪くないと思うようになった、この頃である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:164.涙のカラオケ
2010年10月03日

163.47歳男のちょっとした物語3(Fainal)

キィー、グシャという聞き慣れない音と同時に、目の前の狭いT字路の空中を何かが横切った。10秒後に、それが交通事故だということがわかった。そして血みどろになった彼の顔が僕の目に飛び込んだ瞬間、僕は顔面蒼白でただ立ちつくし、動けなくなった。生身の人間がこれほど大量に血を流しているのを見たのは、生まれて初めてだった。そしてさっき空中を横切ったのは、彼だったと理解した。

運転手が慌てていた。血みどろの彼も、がんばって起き上がろうとしているが、地面に腕を突っ張るだけが精いっぱいのようだった。
僕はすぐ彼の母親に、交通事故のことを伝えに行った。彼の母親はその知らせで、その顔からさあーっと血の気が引いた。
次の瞬間、僕も空中を飛んだような感覚になった。そして後ろ向きにお尻からアスファルトに落ちて、その反動で後頭部を打って、僕の意識も飛んだ。

ハッとして目覚めた。窓の外が明るくなっているのが、カーテン越しにわかる。
47歳の初夢だった。幾度となく見る同じ夢。血みどろになった彼は、幼馴染のかおる君だ。彼は一命を取り留め、2か月後には元気な姿で登校したが、その顔を大きな縫い傷が生々しく横切っていた。
僕が小学校1年生の頃の出来事だから、ちょうど40年経過したことになる。

近所の友達と4人で、ある一区画を四角く囲む道路を利用して自転車レースをしていた。3つ年上のかおる君が先頭を走っていた。それを追走していたのが僕だった。彼が勢いよく角を曲がり、僕の視界から消えた次の瞬間に起きた事故だった。一つ間違えば、僕はそこで、短い人生に終止符を打っていたかもしれない。
学校では、まるで事件の被告人のように、みんなの前で事情を訊かれ、状況を説明した。

その2年後、小学校3年の時に、今度は僕が車にひかれた。場所は違ったが、かおる君と同じようにT字路から自転車で飛び出し、車とぶつかった。
ぶつかった瞬間の衝撃や痛みは何も覚えていない。気付いたら空中を飛んでいた。どうやら後ろ向きで飛んでいたらしい。そしてお尻でアスファルトに着地し、その反動で背中から倒れるようにアスファルトに後頭部を打ちつけ、次に気付いたのは病院に運ばれる途中だった。幸いかすり傷で済んだが、頭を打っていたので、両親はしばらく後遺症を心配していた。
自転車はぐしゃぐしゃに壊れ、鉄の塊のようになっていた。それだけ衝撃が強かった証拠で、僕がかすり傷で済んだのは奇跡的だと言われた。僕はそれから2年間、自転車には一切乗らなかった。

子供の頃は、この2つの事故のことを思い出すことなどほとんど無かったが、大人になってから、時々同じ夢を見るようになった。
血みどろのかおる君の顔と、彼が何とか立ち上がろうとしている姿、そして一瞬目を見開いて、顔面蒼白になった彼の母親の顔、その後僕が空中を舞っている感覚と、アスファルトに着地した時の衝撃。
これらのことが、しっかりと僕の脳に刻み込まれているらしい。


先日駅の近くで、ある人に出会った。
5mほど先から、見覚えのある顔がこちらに歩いてくる。ハッとしたが、誰なのか思いだせない。ほんの数秒間だろうが、僕は頭をフル回転させ、彼が誰なのかを必死に思いだそうとした。しかしすれ違う瞬間まで思いだせなかったので、軽く会釈だけをした。向こうは驚いたようにこちらに会釈を返してくれたが、明らかに僕のことを覚えていないようだった。他人のそら似か・・。
僕は彼が誰だったのかがますます気になり、まる一日そのことを考えていた。そして遂に思い出した。彼は僕が数年前によく通っていた、パチンコ屋の店員だった。
中途半端に抜け落ちた記憶というものは、エアポケットに入った飛行機が急降下するときのように、心もとなく気持ちが悪い。
それでも思い出そうとすれば思い出せるわけだから、どこかのメモリには、その情報がインプットされているということである。顔の情報はすぐに取り出すことができたが、彼がパチンコ屋の店員だという情報は、別のところに入っている情報なのか、すぐには取り出すことができなかったというわけだ。


鮮明に覚えている40年も前の出来事と、そして覚えていることだけを覚えているような、駅で会ったパチンコ屋の店員の顔。
子供の頃のことは、事故のことだけに限らず、他にも多くのことが記憶に残っている。
しかもいずれも画像データ、動画データとして、その時の情景ややり取りを思い出すことができる。

たまたま最近、脳の専門家と話をする機会があったので、僕は自分の夢の話しと、記憶や脳の働きについて少し訊いてみた。

47年間分の画像データというものは、おそらく膨大な情報量で、パソコンのハードディスクに置き換えたらものすごい容量になるという話しから始まった。
だから人間にとって、忘れるということは、とても大切なことらしい。もし忘れなければ、膨大な情報で脳みそがパンクしてしまうそうだ。パンクすると、人格が壊れるらしい。一種の脳の暴走である。
天才肌の人の言動が、時折普通の人と違うように見えるのは、実は人格が壊れかかっているせいか?・・などということが、その話しを聞いている最中に頭の中をよぎった。

癲癇という病気も脳の暴走みたいなもので、癲癇が起こっている最中は、各種の脳波が綺麗な正弦波で揃うらしい。もともと脳波とは、とても不規則なものである。

1/f揺らぎという言葉が、かなり昔に流行った。扇風機の風を1/f揺らぎにするというもので、そのコマーシャルで世間一般の人にその言葉が知られるようになった。自然界の風の周期、水のしぶき、焚火の炎などに、1/f揺らぎが観測される。
(技術的な言い方をすれば、周波数が1桁あがると、パワースペクトル密度が1桁下がる、そのようなスペクトラムを示す揺らぎ)

つまり、風で言えば、ある決まった周期(繰り返す時間)で流れてくるわけではなく、一見不規則な強弱の波を持ち、そよそよと吹いてくるという感じである。

脳波には時折、この1/f揺らぎが観測される。
モーツアルトの曲にも1/f揺らぎがあると言われるが、人間はこの揺らぎの中にいると心地よくなる。つまり聞いて良いと感じる曲を作るには、1/fを勉強してそれを意識的に盛り込むと効果があるのかもしれない。

フィリピーナはもしかして、この1/f揺らぎを持っているのだろうか。
相手が真面目な話をしている最中に、僕はまた、いつものように余計なことを考えている。これは僕の悪い癖だ。
フィリピーナの何が1/fなのかと訊かれると困るのだが、なんとなくそう思った。

1/f揺らぎというものは、前述したように、自然界の中に含まれている。
自然に振る舞うフィリピーナの感情の起伏、言動は、実は不規則に見えて1/fという揺らぎがあるのではないか・・。なんともくだらない話しであるが、しかし否定しきれない感情が、自分の中で持ち上がる。
時間軸を大きく捉えて考えれば、1/f揺らぎがある可能性はある。もしくは彼女たちは実は、頻繁に1/f揺らぎを持つ脳波を出しているというのはどうだろうか。
その脳波に自分の脳が、無意識に呼応しているという説である。
人と話しているのに、いつの間にかまた、自分のおかしな世界に入り込みそうになる。

脳を科学的に追究すると、わからないことだらけだと言われる割に、その構造や仕組み、各部の働きが、驚くほど解明されていることに気付く。神経や血管を見せられ、それが何かを説明されると、まるで分かりきった機械の仕組みを聞かされているような錯覚に陥る。
素人が知れば、なんだ、ほとんどわかっているではないかと思えるのだが、専門家に言わせれば、分かっていることなど、全体量の中でほんの些細なことらしい。それだけ脳というものは、神秘に溢れている。
47歳の初夢から、脳の神秘へとたどり着き、実に面白い47歳の幕開けだと思った。

僕は過去の全てではないが、相手の顔、台詞、態度、景色、匂い、感触など、鮮明に記憶しているいくつかのことがある。
47年間も生きると、断片的な記憶と言っても、総量はかなりのものになるはずだ。
忘れたい出来事ほど、記憶から無くならない。それを一般的には心の傷と呼ぶのだろうか。

しかし今回、忘れることは大切なことだと教わった。その言葉は、身勝手な空気を漂わせながらも、力強く僕の胸に響いた。
どうやら本格的に、再スタートを切らねばならないようだと、今さらながら思う。

この数日間だけでも、様々なことが身の回りで起こっている。一つ一つを噛みしめていたら身が持たないが、それでもこうして文章にしてみると、意味のあることがたくさんあるような気がしてくる。
これらの積み重ねが人生と呼ばれるものか・・・そうか、人生とは、意外と簡単で身近なものかもしれないなと、47歳にして、初めて気付く。

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