フィリピーナと共に
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2010年08月20日

144.ジン始動?

日曜に市場へ、モナと二人で買い物に行った。市場は3階建てビルディングの中にあり、2階が魚売り場、3階が野菜売り場、そしてはす向かいの2階が肉となっている。

以前この市場の様子を、写真で伝えたことがあるが、とにかく全てが、ものすごいボリュームである。
例えば肉の売り場では、豚の体が上からたくさん吊り下げられている。それを大きな包丁でどんどんさばきながら売られていく。鶏肉も同様で、客がいない時に売主は一生懸命羽をむしっている。
野菜売り場はどこも、各種野菜がてんこ盛りになったザルが、隙間なく並べられている。一つの店だけでも、その種類、量ともに、誰がこれを食べるのかと思うほどたくさんあるが、そんな店がずらりと並ぶ。
魚売り場もやはりダイナミックで、マグロのような大きな魚が、頭を切り落とされ、尻尾を上にしてまな板の上に何本も立っている。その脇には、大小様々な水で濡れて光を放つ魚が、種類毎に山盛りになり置かれている。いかや海老、蟹、貝類も含め、種類は豊富で、これも食うのかと思ってしまうような、南国独特のカラフルな魚も売られている。

そんな市場の中をモナがどんどん進んでいくが、僕は珍しいものがたくさんあり、すぐに立ち止まって見てしまうので、ついつい先行するモナから離れてしまう。
ようやくモナに追いつくと、あれ?見たことのある人が・・。魚屋で生計を立てているママの弟で、僕がモナの親戚で一番信頼しているという、伯父さん夫婦であった。その市場に売り場を持っていることを、僕はそれまで知らなかった。

伯父さんはもう何年も魚を売っているそうだが、長男が保険会社に就職し、二男は今大学で建築設計を勉強している。あと一年で卒業なので、次は家を持つと、最近タバコシティーに土地を購入した頑張りやである。二男が卒業したら、家の設計をお願いするそうだ。叔母さんが「息子に頼めばただよ」と、嬉しそうに話していたそうだ。

伯父さんが僕に気付き、ひょいっと右手をあげて、また仕事をする。叔母さんは、「ここの匂いはひどいから、あなたはこんなところにこなくてもいいのに」と、客が買った魚をプラスティック袋に入れながら話しかけてくる。

少し仕事を見ていたが、うろこを落とす作業が大変そうである。大き目の魚を3匹、4匹と続け、伯父さんが手を上下に振り、こちらをちらっと見て笑いながらほんの少し手を休める。思っていたよりも重労働だとわかる。
その伯父さんの隣で、客の買った魚のうろこを落としている若者をよく見たら、伯父さんの二男だった。学校が休みの日は、こうして親の手伝いをしているとのことだ。
親ががんばれば、息子もがんばるのだと感心する。
モナの弟ジンを思い浮かべ、それを少し皮肉ってモナに話したら、「そうよ、だからアコもがんばったでしょ」と切り返されたから、もう僕は何も言えなくなった。

フィリピンでも、このように夫婦力を合わせて頑張っている人がいる。
僕は伯父さん夫婦の仕事ぶりを見て、あることを思いついた。ジンをそこで修行させるのである。伯父さんにはサラリーはいらないから、鍛えてくれとお願いをする。

その伯父さんは、優しい顔をしているが、実はとても厳しい人らしい。プータローをしているママの弟のノエル(その伯父さんにとっても弟)があまりにもいい加減なことをしていると、伯父さんはノエルを殴りつけて叱るそうだ。フィリピンではそこまですると、かなり過激な部類に入るらしいが、僕はその話しをモナから聞いた時に、「あ〜、やはり、あの伯父さんには日本人と同じ匂いを感じると思っていた」と言った。もちろん殴るということではなく、そのようなことに厳しいという点についてである。

ジンには無給の代わりに、家の飯はただで食わし、小遣いもやると言う。それをまずは最低一年続けてみろと言うのである。本当に働く気があるのなら、そこで働くことのトレーニングをしてみろということである。
とにかく今のままでは何も変わらない。であれば、それが一つのきっかけになれば良い。そしてもし途中で投げ出すようであれば、もう見放すから家から出てもらうと宣告する。このまま一生彼の面倒を見ることはできないからである。いつか面倒を見るのができなくなくなるなら、それが今か、5年後か、10年後か、その違いだけだ。一生ここで遊んで暮らすつもりでなければ、その意味がわかるよなと念を押す。ただ飯を食う期間が長引くほど、本人にとって不幸なことになる。どこかで自立してもらう必要があるなら、思い立ったが吉日だ。

その案をまずモナに話した。
「伯父さんがオーケーするかなぁ・・」
「ダメと言われたら、仕方ないなぁ。サラリーはゼロでも、仕事に厳しい人は、いい加減な手伝いはかえって迷惑だからなぁ・・」

こんな具合で話をした後、モナはまず、ママにそれを話した。ママはもろ手を挙げて賛成ではなく、しかし反対でもない。そしてその話しを、モナからジンに話してみてくれとなった。この家の実権を握っている人間から話した方が、効果があると思ったらしい。
モナは親のあなたが話すべきでしょうと言って戻ってきたが、結局はモナがジンにその話をしたのである。

ジンは無言でその話しを聞いていたそうだ。特に返事はなかったが、とにかく言うだけは言ったとモナから報告を受けた。
僕は一つ、予想していたことがあった。それは、ジンのような若者が、魚の匂いが充満したあの職場で、汗水たらして働くことを敬遠するのではないかということである。もしそのような体たらくなことをはっきりと言うようだったら、僕が直接どなりつけて、すぐに家から追い出しても良いと思っていたが、ジンはイエスも言わない代わりに、そのような文句も言わなかった。

そして翌日、ジンは突然、就職活動の準備をし始めたのである。僕の予想は半分当たって、半分外れた。やはりジンは、あの職場で働くのが嫌なようだ。このままでは、本当にあそこへ押し込まれると危機感を抱いて、それであればと自分で就職口を探すことにしたようである。

モナが仕事をしている僕のところへやってきて、「ねぇねぇマハール、ジンが仕事アプライするって・・」と、少し嬉しそうに話すのである。
就職のためにはいくつかペーパーを用意しなければならない。学校の卒業証明や、ポリスクリアランス(何かわからないが、働く人はこれが必要らしい)、バランガイペーパー??(これも何かはわからない)と、いろいろと走り回っているようだ。書類を取り寄せるためには、少々のお金が必要らしく、ジンがモナにお金をもらいに来ていた。
もし就職活動が中途半端に終わるようなら、数百円であるがそのお金はきちんと返してもらう予定だ。細かいことであるが、この家は厳しいのだと分からせる必要があるからである。

どうやら就職もどこへお願いをするかも、決めているようである。何かのコレクターというから、集金人か勧誘か、その類のものらしい。サラリーは月に6000ペソ(12000円)で安いと話していたが、それでも良い。
もし本当に就職をしたら、この家の下宿代を取る予定だ。それをジンには内緒で、銀行に積み立てる。もしジンが結婚などでお金が必要になった時にそれを使う。しかしいい加減な形で仕事を辞めたら、そのお金は没収する。このことはまだ、モナには話していない。

さて、今回の件はうまくいくだろうか。自信は全くないが、このままなあなあでいくよりよりましだろう。
問題が一つ。既にかなり規模が拡大し、収穫した野菜が我が家の食卓にしばしば登場するになったジンの畑をどうするか。
これはダディーに引き継ぐように、もう一度モナに骨を折ってもらうことになりそうだ。「働かざる者食うべからず」は、ダディーといえども例外ではない。

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カテゴリー:フィリピン生活
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2010年08月19日

143.自虐史観に翻弄される日本

8月15日に、ある方のブログで今日は終戦記念日とあったので、そうですねとコメントを書いた。その記事では、「自分は過去の戦争のことをあまり気にしていないのだが、鈍感なのだろうか」という内容だったので、僕のコメントは、「フィリピンでは昔の戦争のことを、気にしている方は少ないようだし、それほど気にする必要はないのでは・・」という趣旨の内容である。

投稿する時にはまだコメントが0であったのに、投稿を終了したら、どうやら同時にコメントを出した方がいたらしく、「我々は負の遺産を背負っているのだから、そのことは忘れてはならない」といった内容のコメントが、僕の前に表示されている。
並べてみると、まるで僕がそのコメントを否定しているように見えて、少々心苦しかったのだが、先に表示されたコメントに、ブログオーナーが既に返事を出されており、それが、「忘れずに良い関係を築き上げていきたい」といった感じの内容であった。
おそらくブログオーナーは、僕のコメントに気付いていなかったのではないだろうか。
その後に僕のコメントに気付き、対応に苦慮されたのではないかと思われ、やはり余計なことはしなければ良かったと反省した次第である。

その後他の方が、どのようなコメントを寄せられるのだろうと少し興味があり、しばらくモニターしていたのだが、全体としては、日本は悪いことをしたという立場に立ってのコメントが多かった。

僕は意識的に、これまで戦争をテーマした記事を控えていたのだが、たまたま昨日の記事で教育をテーマした記事を書いたので、思い切ってそれに関連する内容を書いてみようと思うのである。
それに際してあらかじめ承知していただきたいのは、僕は特定の思想団体に所属しているわけではなく、左翼でも右翼でもなく、このブログを通して、何らかのイデオロギーを読者に植え付けようなどという魂胆は、全くないということだ。
なぜこのようなことを書くかと言えば、以下の記事に、過剰に反応する方が出てくる可能性が高いからである。

この話は、僕の読書経歴から始まる。
記事の中で度々、僕は本を読むのが好きだということを書いてきた。子供の頃僕は、父方の祖父母と一緒に暮らしていたが、祖父はやはり読書が好きな人で、小さな書棚にたくさんの本が並んでいた。
子供の僕はその書棚に触ることが禁じられていたが、禁じられなくとも興味の湧くような本など一冊もなく、僕にとってそれは、単なる飾り棚に過ぎない代物だった。
小学校低学年、おそらく2年生のある日、その祖父が突然亡くなった。僕と祖父の共通の趣味は切手収集で、祖父は珍しい切手を多数持っていたが、形見となったその切手ブックは従兄が持っていってしまい、祖母はいつも祖父の話し相手になっていた僕に、特別に祖父が愛用していた腕時計を形見分けしてくれた。あとは書棚の中に整然と並んでいる古めかしい数多くの本が、僕の目の前に寂しげに残ったのである。

僕はそこから一冊の本を抜き出して読んでみたが、それがたまたまトルストイの「戦争と平和」という本だった。不条理な戦争と、それに巻き込まれた人々が描かれているこの小説は、僕に戦争と言うものを初めて意識させたものである。
読めない漢字がたくさんあり、斜め読みで読み進めてみたが、その緻密さ、生活感、歴史資料としての価値など当時は分かるべくもなく、面白さよりも、戦争とは悲惨なものなのだという単純な感想だけが残った。もし身内が、そしてもし自分が戦場へ駆り出されたら、恐ろしいことだと思った。そこで次に「レイテ戦記」を読んでみた。そしてその中にある悲痛な戦線現場の描写が、強烈な印象として僕の中に残ったのである。僕が最初にフィリピンを訪れた時、実はその「レイテ戦記」が頭の中をよぎっていた程である。
他にも書棚に残ったドストエフスキーの「罪と罰」や、夏目漱石集の「坊っちゃん」、川端康成の「雪国」など、名文学と呼ばれる本をかたっぱしから手を付けてみたが、当時の僕に内容はさっぱりであった。成り行き小学生の頃は、それらの本よりも学校の図書館にずらりと並んでいた、江戸川乱歩に夢中になっていた。

僕が本格的に、過去日本が関わった戦争に興味を持ったのは、社会人になってからである。
たまたま本屋で見つけた藤岡信勝著「汚辱の近現代史」という本に、意味もなく手が伸びて、わけもわからず買って読んでみたところから始まった。
情けないことに、それを読むまで近現代史とは何か、自分がそれすら知らなかったことに自分で驚いた。中学で歴史授業はあるが、当時は近現代史という科目も項目もなかったからである。
それもそのはず近現代史は、日本ではずっとタブー視されてきたので、教科書にはほんのわずかな内容しか記載されず、しかも高校受験の試験範囲からは除外され、授業での取り扱いもいい加減だからである。その近現代史に何が含まれるかと言えば、主に明治・大正・昭和の日本の歴史的変遷であり、その期間には、日本が深く関わる戦争事実が含まれる。
実は近現代史こそ今の日本の基礎作りがされた重要な期間であるにも関わらず、歴史授業の内容は江戸時代後半からプツリと途切れている。そう言われたら、徳川家康などはよく覚えているが、江戸幕府の末期がどうなって、それがどのように明治や大正、昭和に繋がっていったのか曖昧だと言う人が多いはずである。
坂本竜馬や西郷隆盛は知っているが、それ以外のことは良くわからない。

しかし不思議なことに、日本は悪い戦争を引き起こし、アジア諸国に出かけ、現地住民に酷いことをした・・・ということは、多くの日本人の脳裏にあるわけである。
それでは具体的に、どこで何があり、どうなったか・・については知らないのに、である。
知らせて良いことと、知らせない方が良いと思われることを選別されているのだから、知らないことが多くあるということにも気付いていない人が多いというのが実態である。

さて、この「汚辱の近現代史」に何が書かれていたか。この本の紹介文を転用する。

以下転用〜
日本人は学校で、あるいはマスコミを通じて、自分たちの近い過去を汚辱に満ちたものとして教えられてきた。この汚辱の近現代史を断ち切り、克服することが、今や日本人の大きな課題になっている。なぜ、このような世界に例のない「自虐史」を日本人が教え込まれ、信じるようになったのか、また、その克服の方途はどこにあるのかを探究したものが本書である。「新しい教科書」元年に際し、改めてその意義を問う。
〜転用ここまで

つまりこの本によれば、何故に、日本はひどい国で日本人は残虐だということを自国民に擦り込まねばならないのか、しかも伝えられる内容には事実無根のでっちあげ、もしくは解釈を捻じ曲げたものが数多く含まれる、それにより、日本人のアイデンティティーは完全に喪失したので、それを回復すべく、学校の教科書を見直そうということである。

僕も日本は過去に、許されない犯罪行為をしたと単純に思い込んでいた一般国民だったので、この本の内容に興味を持った。そこで関連図書をかたっぱしから集めて読みあさった。勿論この本の内容には、多くの反対派(以下、自虐史観推進派とする)の意見もあったので、双方の意見を含む著書を30冊以上は読んだと思われる。史料と呼ばれるものも、国会図書館まで出かけて調べた。これをきっかけに、当時の時代背景を生き生きと描いていると言われた司馬遼太郎の「坂の上の雲」を始めとする数多くの小説も読んだ。
そこまでさせた当時の僕の欲求は、単に、事実を知りたい・・である。

結果、史料はかなり曖昧であることがわかった。特に数字の部分が、資料によって大きく違うのである。例えば南京大虐殺と言われる事件の死亡者数などが顕著な例である。
つまりはっきりとわからないのに、自虐史観推進派の著書には、残虐行為の回数、犠牲者の数をできるだけ大きく取り上げようという意図が見えるのである。
少なくとも僕には、自虐史観推進派が自分たちの思想を広めるために、歴史を歪曲し伝えようと努力している様子が見えてきたし、その部分から、自虐史観推進派に強いイデオロギーの匂いを感じたのである。それは一種のプロパガンダとも言える行為にさえ思えた。

僕はこのイデオロギーというものが苦手である。客観的事実やデータよりも、自分の思想が優先される話し方や理屈の展開方法は、聞いていてうんざりしてしまう。
そして何よりも、様々な事実があったとしても、それをなぜ国民に必要以上に擦り込み、日本国民であることの誇りを喪失させたがるのか、僕にはそれが理解できなかった。

なぜ中学生に、昔の日本人はアジアの国々に行き、多数の女性を強姦したなどと、わざわざ教科書に記載し伝えなければならないのかである。同じ過ちを繰り返して欲しくないためだと言うならば、戦争は悪いことだと伝えれば良いだけではないかと思うのである。もしくは戦争の悲惨さを伝える方法は、他にいくらでも考えられるのである。

戦争が悪いことだと教えたければ、戦争についての情報をしっかりと与えて考えさせるべきである。
戦争は単に思い付きで始まるものではなく、必ず理由があり、当時の時代背景と開戦理由にはこんなことがあり、また客観的資料はこれこれですと提示してあげればよい。

どうしても強姦の事実を伝えたければ、日本軍は悪いことをしたのはこれこれで、他の国の兵隊もこんな悪いことをした、それでも日本軍の規律は他の国の軍隊より遥かに厳格だったという証言が多数ある、戦争という混乱状態は人の規律を壊し、欲望をむき出しにする要素がある、それは人間の行動が、環境に左右されるものだからである、戦争は無数の人の哀しみを生む悲惨なものだと、そこまできちんと教えるのである。ことさら自虐史観を植え付けるのに格好の情報だけを浮き彫りする教育とは、一体何かである。

昔は勝てば相手国から様々なものを搾取できたので戦費を取り返すことができたが、それが第二次世界大戦では、アメリカの思惑が大きく外れ戦費が回収できない時代になったことが明らかになったので、いずれにしても今の時代は、大国と大国の戦争はやりたくても簡単にできないと付け加えれば良い。

ついでに戦争とは、勝った国が正義で、負けた国が悪になると教えたら良いのである。
アメリカは武器の賞味期限が切れそうになると、勝手な理由を探して戦争を始めるが、いつも正義はアメリカにあるというのが、その証拠であると教えるのである。その際その裏には様々な利権が絡んでいることも、伝えなければならない。

反日教育を推し進める中国であるが、かつて日本軍が中国へ侵攻した際、毛沢東がもろ手を挙げて喜んだ話しを日本人は知っているのだろうか。これは公式の場でも述べていることだから、記録にも残っているはずである。当時アジアは欧米列強の植民地政策の毒牙にかかろうとしていたが、それに小国日本が立ち向かったことに対し、毛沢東は称賛の拍手を送ったのである。
アジアにおける白人支配に関し、インドネシアのオランダ支配、ビルマ・マレーシアのイギリス支配、インドシナのフランス支配から、日本が開放した事実は日本国内ではほとんど伝えられないが、結果としてこのような貢献があったことを、しっかりと教えるべきである。そしてそれらの行為が地元で感謝され、しかもその事実は、地元の学者が発表している様々な著書で多数明らかになっていると、具体的な本の名前と一緒に伝えるべきである。

極東軍事裁判で、25名が戦犯として有罪判決を受けたが、当時国際法の第一人者であるパル判事が、当時の日本の行動は、国際法に照らし合わせ合法だと無罪を主張したのは、少しは有名な話しである。しかし彼の主張が無視されたのは、欧米の植民地政策にくさびを打ち込んだ日本が憎むべき生意気な相手で、その報復のためであると言われている。だから戦争は、勝てば正義で負ければ悪であり、報復裁判など朝飯前ということになる。
このように、戦争に関する事実をあげればきりがないが、ここに書いた内容は、おそらく自分たちが擦り込まれた内容と、ニュアンスが全く反対であろう。


僕は戦争推進派ではない。冒頭で書いたように、僕は小学生の段階で、戦争の恐ろしさを知ってからというもの、理屈は抜きにして、二度と戦争はしませんという日本の方針に賛成である。戦争に巻き込まれるのも御免こうむりたい口だ。
だからここでは、戦争は正義だ悪だと議論するつもりは毛頭ない。それに関しては、戦争は嫌いだと、一蹴して終わりたい。

僕が問題にしているのは、自虐史観を植え付ける教育により、日本人が日本人である誇りを持てなくなってしまったことである。
どの国でも、自国に誇りを持つ教育を積極的に行う。それはここフィリピンでも同じで、ベルが通う小学校でも、授業が始まる前に国旗掲揚セレモニーが毎朝行われている。国歌を斉唱し、国旗を掲揚するのは、世界ではあまりにも当たり前のことであり、こうして愛国精神を育み、国のためにがんばる心を養うのであるが、日本ではそれすら罪悪視される雰囲気がある。

この雰囲気が長く続いたことで、日本はアイデンティティーを喪失したことは前述した。それにより日本は、議論する力を失い、自分というもの見失うことに繋がってきたのである。この点では、戦後のアメリカによる日本骨抜き政策は見事に成功したと言えるだろう。
しかしそのような国や国民は世界では稀であり、信用されないのである。その意味では、日本は世界から孤立しつつあると言わざるを得ない。

日本人は日本人として、もっと自信と誇りを持つべきなのである。日本は戦後高度経済成長を遂げたが、それを人類史上もっとも最短でやってのけたのである。その背景には、日本国民としての資質、能力があったはずである。
それ故に、中国もアメリカも、日本を恐れている。アメリカや中国は、この日本の成長が想定外であったから、それだけに脅威を感じ、いざという時には日本をたたけるカードを保持しておきたいのだ。それは日本に天下を取らせるわけにはいかないからである。

彼らが日本を恐れているのは、日本がまた戦争を始めるということではない。日本が世界のリーダーの座を奪うということなのである。いわば面子の問題である。
そこで中国もアメリカも2枚舌を使い、お金を出させる時に戦争責任を持ち出す。日本はこれまで十分この問題で骨抜きにされたから、そのカードを出されると簡単にお金を出す。言いだした方はお金をもらえ、しかも日本人の精神構造に打撃を与えることができるから、一石二鳥である。

中国について、アメリカはきっと見切っていると思われる。
中国の最近の台頭は確かに凄まじいが、現在中国が輸出しているものは、技術的難易度の低い初級製品が主流であり、そこに限界が見えるからである。また中国は経済政策が先行しすぎて、国家の根幹を成す教育問題や自然破壊問題など、様々な課題をとりあえず横に置いている。それ故に、このままでは立ち行かなくなるだろうと見る専門家は多い。
このような事情を背景に、中国国内の著名な研究者は、日本を反日論で簡単に無視してはならないと警告を出している。日本からはまだまだ学ぶものがあり、そして日本の協力を得なければ中国は今後伸び悩むというものだ。反日政策を転換し、自国の発展のために真に日本との友好を回復しなければならないという警告である。
アメリカ企業が平気で中国へ進出し始めたのは、中国を警戒する必要性が薄いと判断したからではないかと思われる。

小国でありながら、日本はまだまだこれだけの存在感を発揮できているのである。十分世界に誇れる国である。
日本人が本当に日本人としてのアイデンティティーを取り戻し、誇りを取り戻すことができたなら、おそらく日本はアジア諸国から真に尊敬される国になれるだろう。
そして本当のすごさを身につければ、日本人はこれらの国々に対して、益々謙虚になれると思われる。本当にすごい人とは、去勢から遠ざかり謙虚になれるからである。
日本人は欧米の民族と比較し、もともとそのような気質を強く兼ね備えていると思われる。
それは数名のフィリピーナの証言より、確認させてもらったことである。

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2010年08月18日

142.聖書とフィリピーナ

先日の夜、ふとモナと、ローラに寄生し毎日遊んでいるノエルの話になった。実はモナは、ノエルのことを怠け者で生意気だからと嫌っている。
どんな風に生意気なのかと言えば、とにかく口のききかたを知らないらしい。自分よりも弱い者には乱暴な言葉を使い、徹底的に顎でこき使うという感じである。

事実、ジュンさんの誕生日にこのジャマイカの家に自分の友人を連れてきた時にも、早々に我が物顔で風通しの良い場所を陣取り酒宴を始めたのだが、酒の席からアンを呼び、あれを持ってこい、これを持ってこいと、こき使っていた。
僕は人の家でただ酒を飲んで偉そうにするんじゃないと思っていたが、お祝い事の席でもあるので黙認した。
そのようなノエルを良く見聞きしているので、モナが言う話は詳しく聞かなくても十分理解できる。
そんな話の最後にモナが、「何であんな風になるのかなぁ」と言ったので、僕は「さあねぇ」とお茶を濁したのだが、それに対してモナが、「きっと教育だなぁ」とポツリと言った。
その後僕は言葉を続けなかったのだが、内心なるほどとモナに感心していた。
なぜかと言えば、さりげなく本質的なところをついてきたと思ったからである。
この出来事が印象的で、僕はしばらくそのことを考えていた。

僕はこれまで、自分よりも18歳も年下で若干28歳のモナに、なぜ頭が上がらないところがあるのか、なぜ自分が彼女に対して物足りなさを感じることもなく、対等以上に接することができるのか、時々不思議に思っていた。
もし28歳の日本人女性と付き合ったなら、僕はそれと同じような感覚になれるだろうか。個人差はあるだろうが、大かたの人にはジェネレーションギャップや人生経験の差を感じ、僕はおそらくパートナーとして相手に満足できないだろうと思うのである。もっと平たく言えば、キャピキャピの高校生や女子大生は、完全に恋愛対象ではないし、ましてや結婚相手の対象ではないということである。仮に、あくまでも仮の話であるが、相手がその気になったとしても、きっと僕の心は拒んでしまうだろうと思われる。

しかし、モナを始めとする若いフィリピーナには、そのようなギャップをあまり感じない。彼女たちには、実際の年齢よりも、精神年齢がずっと上に感じるのである。
僕はこれまでそのことを、習慣や民族性の違いなどがそのギャップを埋めているのか、それとも他に何かあるのか、僕は単純にフィリピーナが好きなのか、いや好きだということは何か理由があるはずで、日本人の若い女性との違いを何か無意識に感じているはずだ、だとすればそれは何かと、いろいろと考えていたのである。
そしてとうとう、冒頭で紹介したモナの言葉に、僕はその答えを見つけたような気がしたのである。

なぜ教育という言葉に、その答えを見つけたような気になったのか。
先日ブログ記事のどこかに、平等社会は不平等社会よりも実は厳しいと書いた。最初から、血筋や階級、身分などで職業やら社会的地位が決まってしまうのは、努力する必要がないので、ある意味気楽で精神的にも安定してしまう側面があるという話である。
反面平等社会は、社会が構造的機能で運用される以上、いくら平等と言っても、組織の方向を決定する人、それを管理・運営する人、具体的に汗を流す人などで、必ず上・中・下に振り分けられる。その振り分けは、学歴や何かしらの努力や能力による。だから必ず平等社会では、教育熱心な人が多く現れるのである。平等に徹すればするほど、教育熱心な方が多く現れるというのが、当たり前の姿である。
問題はその教育目的が、いつの間にか学歴至上主義や偏差値至上主義に陥ってしまったことであり、多くの人が、それを当り前だと考えるようになってしまったことだ。もともと教育の背景にあったものが、人望至上主義であったことなど忘れ去られている。
つまりそもそも教育の目的は、人望を育むということである。人望は人柄や様々な能力があって備わってくるものであるから、精神的なものも含めて、これを教育で形成するということである。子供の躾も含めて教育と考えれば、ほとんどの方が、確かにそうであったと思い返すのではないだろうか。
日本はそれを見失ったことで、教育現場の有り方や方向性がおかしくなってしまったと思われるのだが、その話はまた別の機会に譲る。

さて、冒頭のモナの言葉は、ずばりそれを言い当てている。ノエルの粗暴で思慮のない態度は、まさに教育の無さによる結果である。
つまりモナは、難しい理屈は別にしても、教育の目的とは何かを、しっかりと見抜いているわけである。それで僕は感心したのだが、彼女が物事の本質をついてきたのは、これが初めてではない。
二人の間のちょっとした議論で僕が彼女を理屈で丸めこもうとしても、率直で素朴な言葉によるカウンターパンチが飛び出し、こちらが言葉を失い「参りました」となることが何度もある。
そして日本で出会ったフィリピーナの多くも同様に、この本質を見抜く力を持っており、またはその本質から逸れない賢さがあると感じるのである。
ここで敢えて「日本で出会った」と強調したのは、彼女らはきちんと教育を受けた者が多く、常識を持ち、日本の客の前に出しても問題ないと判断されたエリートであるが、現地にいるフィリピーナには、それと似て非なる女性もたくさんいるからである。

彼女たちが物事の本質をわきまえていたり見抜く力があるということを、おそらく日本人は本能的に見抜いてしまうから、ある意味彼女らを侮れないと再認識したりする。
貧乏な国から来た山猿女だろうと思って会ってみると、座っている姿勢が良く、歩き方までトレーニングされ、加えて持ち前の陽気さで場を盛り上げる機転の利いた、頭の良いエレガントな女性だったりするものだから、あれあれっと言う間にその虜になってしまうのも無理はない。


それでは、この本質を見抜く力は、一体どこからくるのだろうか。生活に根付いたものも当然あるだろうが、一番影響を受けているのは、バイブル(聖書)ではないだろうか。
2000年もの間、すたれず受け継がれてきたこの聖書の内容は、決して侮れないはずである。

日本人に聖書はなじみが薄く、日本のリーダーと呼ばれる経営者の方々には、儒学や朱子学を熱心に勉強する方が多いようだが、聖書はそれと相通じる教えが数多くあるようだ。それもそうで、普遍的なものは誰が体系づけても、大筋は同じになるはずである。
逆説的に言えば、全く違う年代や場所・環境で似たような思想が生まれることこそ、それが普遍的な意味を持つ証拠と言えるのである。
ちなみにヨーロッパ文化の根幹を成すものも、この聖書である。

日本人の常識・美意識・規範は、日本人が意識せずとも儒学・朱子学思想の延長線上にある。延長線上と敢えて言うのは、最近その思想の影響が薄らいでいると思われ事例を多数見かけるからだが、それでも小学校で習う道徳の内容を、表だって否定できる人はいないだろう。日本人が大切だと考える人間の在り方として、道徳として子供に教える「仁義礼智新」は、まさに朱子学の「近思録」でうたわれているもので、結局は7情の記事で触れた「徳」に通じるものである。

基本的にはこのように、それぞれの規範に通じる聖書や儒学・朱子学の思想に多くの共通点があるために、人間として大切なことは何かという点においては、国・人種が違っても大きくぶれない。
僕がフィリピン人に安心感を覚えるのは、それが同じだからである。規範がまるで違えば、おそらく精神的に耐えられないだろう。経営者が世界を相手にビジネスを展開する際、相手の国の思想原点が何によるかを重視するのは、これと同じことである。

さて、話は少し戻るが、思想や規範の原点はほぼ同じであるのに、日本人は教育の目的を忘れ、モナはその本質をしっかりと捉えているというこの違いは何かである。
それは彼女がバイブル(聖書)を、人間が正しく生きるための道しるべと定め、意識的にそれを勉強しているからではないかと思うのである。
それ故に、普段の関わりの中で彼女に教わることが多くあり、それが年齢のギャップを埋めている一番の要因であるような気がするのである。

日本でがんばるフィリピーナにある種の信念を感じるのも、実はこれではないかと、今にして思うのである。

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