フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年06月15日

123.ファニーピクチャーズ

面白い写真をお手軽に作ることができるので、ちょっと紹介。

1. 私は誰?ここはどこ?(ユリ)
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2. TV初出演(ベル)※後ろはママ
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3. モデルアルバイト(モナ)
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4. 美しい〜(僕)
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5. 巨大ポスター(モナ)
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6. 国際線(ベルとユリ)
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7. マイラブリーベル(モナとベル)
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8. むさくるしい父親ですみません(僕とユリ)
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9. マイラブリーユリ(モナとユリ)
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10. フィリピーナですが、何か?(ユリ)
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このサイトで作れます。
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:123.ファニーピクチャーズ
2010年06月14日

122.ターゲット

1週間前に階段から転げ落ちて、顔をたくさん擦りむいたユリの顔はすっかり綺麗に治ってしまった。コメントでも赤ちゃんの傷の回復は早いという内容を頂いたが、本当にそうである。
ユリはもともと、普通に仰向けで寝るのが嫌いである。生まれて間もなくから、サイドポジションが好きだったが、最近はいつもうつ伏せで寝ている。うつ伏せで寝ながら布団に顔をこすりつけるから、かさぶたがすぐに取れてしまった。かさぶたが取れた跡は軽く赤みがかっていたが、十分乾燥していたようで、そのまま何事もなかったように傷跡が消えてしまった。著しく成長している時期で、新しい細胞がどんどんできているから治りが早いのだろうか。

最近のユリはますます動きが活発になり、ウォーカーに乗って自分の行きたいところへと瞬時に移動できる。スカイプの画面の前で何かに熱中していても、誰かが食べ物をちらつかせると、すぐさまそれに反応して歩いて行く。普通に欲求があり、意思があり、その意思通りに動くことができるのを見ていると、人間になったなぁと感じる。
ユリは5秒くらいであれば、一人で立つこともできるそうだ。バランス感覚も多少は板についてきたらしい。それにしても独り立ちは早すぎるような気がする。モナにそれを言うと、フィリピン人はみんな歩き始めるのが早いと言われた。ベルも9カ月で歩いていたらしい。ユリは半分日本人なんだけど・・と思いながらも、さすればユリは今6カ月だから、あと3カ月もすれば一人で歩き回っているということかと考え驚嘆する。
つい先日生まれたばかりに思えるので信じられない。それだけ自分がどんどん歳を取っているということである。

おそらくベルが10歳や20歳、そしてユリがその歳になるのはあっという間だと思う。
その間、子供の教育やボーイフレンドも含めた友達付き合い、家族や親戚の問題、自分の仕事など、これから次々と頭を抱える問題に遭遇するに違いない。問題無く時間が経過するなどあり得ないわけで、そんな問題に対処しながら進んでいけば、10年、20年などあっという間に過ぎてしまうだろう。その時自分は50歳を過ぎ60歳を過ぎている。ユリが18歳(女性の場合のフィリピンでの成人)になる時には、僕が64歳になりモナは46歳。その頃ようやくモナは、今の僕の歳になる。
その頃2人がどんな夫婦になっているのかわからないが、次々と訪れる問題に一緒に対峙しながら、今よりも強い絆を築き上げていることができていれば、幸せというものだ。

思えば若い頃は、月日が経つのがじれったいほど遅かった。学生の頃には将来の夢や希望がたくさんあり、単に月日が経てばそれに手が届くと錯覚していた。稼げる大人になればなんでも自由になると思っていたし、そうなるために早く歳を取りたいと思っていたが、早く大人になりたいと思えば思うほど時間の経つのが遅かった。それがある時期から、時間の経過が加速度的に早くなっているように思える。
若い頃は深刻な悩みごとが無く、のほほんとできたから時間の経過が遅かったに違いない。今ではそれがよくわかる。
若い頃は自分の好きなことだけを考えて、好きなようにやっていた。やりたいことができればそれだけに没頭できたし、いつも自分の大きな可能性を探していて、それがきっとあると信じることができた。不安なこともたくさんあったが、体当たりすれば道は開けるだろうとシンプルに考えていた。
今でもそれは変わらない部分があるはずではあるが、そうだと思うことへの真剣さは、あの頃と今とは違っているような気がする。
自分を信じたい気持ちの裏側で、いつも拭い去れない不安や諦めがあり、歳を取るごとに、自分の可能性がどんどんしぼんでいくような気がしているし、それに対して焦りも感じている。

先日もうすぐ退社する72歳の方に、「あなたには大きな可能性があるから羨ましい」と寂しそうな表情で言われハッとした。彼はこれで自分も一線を退き、いよいよ棺桶に片足を突っ込んだと言わんばかりの口ぶりだった。僕が自分の歳なりの焦燥感を持っているのに対して、その方は72歳なりの同じ想いを持っているのだろうことを感じた。その方からすれば、僕はまだまだ若くこれからだと思っているのだろう。
そうかもしれないが、しかし僕も今年で47歳だ。50歳にもうすぐ手が届くというのに、大きな可能性があると言われても、本当だろうかと疑心暗鬼で手放しに喜べない。
果たして自分に、どんな可能性が残されているのだろうか?今からどんな世界で可能性を追い求めていけば良いのだろうか?あらためて考えてみると、さっぱりわからない自分に気付くのである。そんな自分を不甲斐なく思い、だから手放しに喜べない。

最近は結婚をして、子供が生まれ、そして仕事をがんばり、生活が充実しているように思っているし、周囲からもそのように見えているのかもしれない。
しかし先ほど述べたように、次は何を目指し、最後はどうなりたいのかと自問自答すると、これと言った答えが見つからず、実は僕は抜け殻のごとく惰性で人生という道を進んでいるのではないのかと思えるのである。

そうかと言って僕はこれから、仕事で成功することを目指そうとは決して思わない。これは前の会社にいた時からの一貫した考えである。だから同期の中でいち早く出世しても全く喜んではいなかったし、役職などいつ剥奪されても構わないと本気で思っていた。
誤解を招かないように述べておくと、僕は、仕事は手を抜いて適当にやっておれば良いと考えているわけではない。自分の働きに応じた対価で家族を養っていきたい、その対価は多いほど良い、そして頼りにされ仕事で成功を収めることは気持ちの良いことだと思っている。そして、それに生きがいを感じることも十分あるだろうことも分かっている。
しかしそれは、生きる手段として今の仕事をやり、どうせやるからには結果も出せるようにがんばりたいというだけである。それを人生の目標にするには、あまりにも殺伐としていて寂しい。しかもリタイヤした時に、その歳になって自分を見失うような目標は如何なものかと思えるのである。

前述の退職する方は72歳まで仕事をがんばってこられたが、退職に際して、これで自分も年貢の納め時だと思っている節がある。これからあと何年生きるかわからないのに、退職ということだけで腑抜けのようになっていた。しかし仕事一筋でやってきた人に、意味のある励ましの言葉は僕には見つからない。せめてかけてあげられるのは、ありきたりの決まり文句だけである。

では僕はどうすれば良いのだろうか。失礼ながら、72歳の反面教師を目の当たりにして、何を考えることができるのだろうか。これがなかなか難しい。

一つだけ確実に言えることは、モナやベル、ユリに何かを残さなければならないということである。普通に考えれば、モナより僕の方が先にあの世へ召される。その時に家族が困ることが無いような手当をしておかなければならないし、無形の財産も残したい。
無形の財産は言わずもがな、愛情から伝わるものである。心からの愛情を捧げれば、自ずと自分の生きた証が家族の心の中に残る。そして手当とは、生活に直結する金銭、もしくは生活力を維持できる何か・・である。

さてもう一つ、自分のための何かとは何か。
このブログを死ぬまで続けることにしようかなどと、たわいのないことまで考えだしていた。しかもブログといえども、これにもっと意味を持たせることができたならば、それでもいいかもしれないと、一瞬本気で思ってしまった。
今はその程度しか考えつかない大馬鹿であるが、少し時間をかけて、具体的なものを年末までプランニングしてみることにする。
とりあえず今は、プランニングをプランニングしたから、良しとしよう(笑)
まるで自分の人生を象徴するような結末になってしまった(汗)

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:122.ターゲット
2010年06月13日

121.新婚旅行?

先日唐突にモナと新婚旅行の話になった。
「新婚旅行はどうする?」と訊かれ、それ何?という感じになった。確かにどこかへ行こうと約束していたような気が・・。都合の悪いことは忘れやすい。

「パールファーム(ダバオ)へ行ったのは、あれ、新婚旅行の代わりじゃなかったっけ?」
「それはまだ、結婚してなかったでしょ!」
いや、パールファームへ行ったときには、これを新婚旅行の代わりと考えてもいいねと話した記憶がある。都合の良いことは覚えていて、悪いことは忘れる。お互いにそうだから話しは少しややこしくなるが、結論は力関係で決まる。

僕は、「それならフィリピン国内のどこか綺麗でのんびりできるところへ行こう」と提案したが、モナは国外に出たいらしい。国外となると、僕のお勧めはラスベガスである。VISAの問題があるので面倒だが、とりあえず飛行機代を調べてみると、マニラからラスベガスまでは、エコノミー往復二人で22〜23万。意外と安い。日本発着の感覚で価格を予想しているから、安く感じてしまう。ビジネスはその倍だ。
ラスベガスは現地に入ってしまえば、生活にかかるお金は安い。カジノで使ってほしいために、食事を含め余計なところでの出費がかさまないようになっている。食事もほとんどのホテルで、1000円ほどの豪華なバフェットが用意されている。各ホテルでは、それぞれホテルの無料看板ショーが楽しめるから、それを巡り歩いていると、ほとんどお金をかけずに楽しむこともできる。無料だからといって内容はそんなにチープではない。ちょっとしたディズニーランドのアトラクション並みだ。それもちょっとやそっとでは回りきれないほどある。有料のショーともなれば、かなり本格的な内容となっている。
ラスベガスへ行くとしたら、問題はモナVISAだけだ。・・・いや、先立つものも問題だった。楽しい話しをしていると、無意識にお金のことを考えるのは後回しになる。散々話を楽しんだ後に、結局お金がかかるからと実現しない。それにラスベガスまでは飛行時間が長すぎる。エコノミーではかなりきつい14時間。きっとモナは、途中で悲鳴をあげるに違いない。

香港は手軽で良い。マニラと香港は、往復で大人1人2万を切る。飛行時間も短い。
ただし香港は、ホテル代が高い。ホテル代は世界一高いと言われているが、実際にまともなホテルに泊まろうと思えば、日本と同等以上の価格となる。観光地もたくさんあるわけではなく、のんびりするという雰囲気でもない。洒落たレストランに入ると、イギリス統治の名残で値段ばかりが高くまずい料理が出てくる。本当に豪華なレストランは目玉が飛び出るほど高い。ブランド店で買い物を楽しもうなどと思ったら、フィリピンでの半年分の生活費が一瞬で飛ぶ。
しかし中国文化を感じさせる独特の雰囲気は良い。路上で「社長、社長、Aクラスの時計はいらないか」と呼び止められ、偽物時計の商談をするのは楽しい。路上で売っている偽ブランド香水は、本物よりも匂いがきつくないので、人によってはそれの方が良いという。疲れたら有名飲茶店で、軽く美味しいものを安く食べるのも悪くない。もちろんフィリピンパスポートのモナでも、VISA無しで入国できる。つまりは一長一短と言ったところ。

ママは香港への飛行機代を聞いて、それなら私も香港へ行きたいと言い出した。香港で何をするのかと訊いたら、香港で洋服を買ってフィリピンで売ると言う。「何を買ってもメイドインチャイナだよ。それならフィリピンにいくらでも売っている」と僕が言うと、メイドインチャイナでもインポート(輸入)には人気が集まるということらしい。フィリピン人はインポート品に弱いそうだ。しかし最後に、そう言えば、パスポートが無いから行けないという話しになった。

プーケット辺りはどうだろう。綺麗でのんびりできて、お望み通り海外である。フィリピンと似たようなところであることは少しもったいない気がするが、どうしても海外ということになれば、リゾートでのんびりするのも良いと思われる。プーケットはまだ二人とも行ったことがないというのも、冒険心がくすぐられる。ついでにタイに足をのばし、安くて良いと有名なマッサージを堪能するのも良い。タイ式マッサージというのも未体験だ。

他にフィリピンパスポートで、VISA無しで入れるのはどこだろうか。おそらくシンガポールや台湾、マレーシアは問題ない。(未確認)中国はおそらくだめだろう。もし香港まで行ったなら、中国はもう目と鼻の先である。車でも入れるし、フェリーに1時間も乗れば、かつて仕事で頻繁に訪れた珠海に到着する。珠海に行けば歩いてマカオにも入ることができるし、香港から直接マカオ行きのフェリーも出ている。マカオはフィリピンパスポートでも問題なさそうな気がする。タイも実はよくわからない。

フィリピンパスポートは日本パスポートと違い、多くの制約があるから厄介だ。フィリピン人はこのことをとても煩わしく思っているし、不公平だと感じている。
しかし国が大きくなり、信用度が増し、そして自由化が経済的にメリットに繋がると思われる国でなければならないから仕方がない。どこからか石油でもドカーンと出て、安く売ってやるからフィリピン人を自由に通せと言えば、もしかしたら自由化が一気に進むかもしれないが、このままではフィリピン人がどこでも自由に行き来できるようになるまで長い年月がかかりそうだ。自由化して大量の難民が不法滞在で国中に溢れかえったら国がおかしくなってしまうから、これは各国の自衛手段として仕方のない措置だと思われる。

余談であるが、日本が外国人の入国に対してとりわけ厳しいのは、純粋な日本民族の血をできるだけ守りたいと、真剣に考えている政治家が多いせいだと聞いたことがある。確かに行き来があれば混血の日本人が増えるということは、僕も実践済みだ。
このボーダレスの時代に何を言っているのかと言いたいところだが、それは自分たちの民族性に誇りを持っている証拠であり、悪い考えだと決めるけることはできない。


さて、新婚旅行の話をしている時は妙に楽しい気分になった。将来のプランや夢の語り合う時には、話しが盛り上がるものである。しかしさすがにモナは現実をわきまえていた。
モナは最後に、実現するのは何年後かなぁと話す。どうやら今すぐにというわけではないらしいことに、少しホッとする。
ユリはまだ小さいし、先立つものを計画的に積み上げておく必要がある。家もきちんと完成させるためにはまだお金がかかる。優先順位付けは難しいが、実際にはそれを考えて順番に消化していくしかない。収入が限られているのだから、それが現実というものである。

フィリピン人は日本人よりも、現実を直視できるように思われる。現実に合わせて、欲求を抑制し我慢することを知っている。そんなところは昔の日本人に似ている。フィリピンが昔の日本みたいだと言われる所以の一つではないだろうか。日本で働いているフィリピーナは、決してそうは見えない人も多いが、フィリピンでずっと暮らしている人、特に女性たちはそうであるから、そう見えない日本ナイズされたフィリピーナも、もともとはそうだったのだろう。
そのことは、ママやママの親戚、そしてモナを見ていて感じることである。

彼女たちは我慢を強いられることを悲観することもない。普通の暮らしができることに、十分感謝の気持ちを持っているように見える。家事と平凡な出来事が繰り返す日々を、もくもくと消化しているし、それが大切なことだと認識しているようでもある。
実は僕はそれを、すごいことだと思っている。もし僕であれば、そのように年を取っていくことに、不安を覚えるに違いない。それについて僕はかなわないと思っているし、羨ましさを感じることもある。幸せとは何かを、しっかりと知っているように思えるからである。それが自分の芯にある人は、充実した人生を送ることができると思えるし、そのような人はふらつかないから、どっしりと大地に根を張っているように見えるのである。

しかしそれと夢を見ることは別である。夢を追い求めることを僕もモナも諦めているわけではない。それはママも同じだ。キャンティーン(食堂)を開いて、得意で大好きな料理で稼ぎたいとママは常々言っている。モナも早く仕事(ガイド)に復帰したいと言っている。モナもお金をためて、何か自分のビジネスを立ち上げたいのだ。僕はというと、地元のタバコシティーに、美味しいコーヒーショップを開けたら楽しいだろうと、少しだけ思っている。

新婚旅行も連れて行きたいが、正式な結婚式や結婚セレモニーも大切だ。これはきちんとやりたいと約束している。
普段の生活は安定してきたが、夢や望みを叶えるための道のりはまだまだ長そうである。

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