フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年05月29日

114.幸せのヒント

最近は仕事が忙しい。正確にいうと、お金にならない仕事が多い。見積もりはたくさんくるが、骨折り損のくたびれ儲けが多いのだ。貧乏暇なしというやつである。
不景気のせいか、相見積もり(数社に見積もり依頼をし、安いところに決める)が多いようで、金額で負けるケースが目立ち始めている。
我社はこれまで、強気で見積もりを出してきた。戦略価格は別であるが、基本的に最初から赤字になるような見積もりは出すなというのが、会社方針である。社長は、内容が良ければ多少高くてお客さんはこちらへなびくという信念を持っている。
しかし見積もりの労力はばかにならない。中には量産見積もりをお願いされるケースがある。量産の場合はほとんど設計をして、部品をきちんと確定しないといけない。そして当然、各部品の価格もきちんと調べる必要がある。それだけの労力をかけた見積もりの打率が悪いと、仕事は忙しいのに儲からないということになるは当然である。

中にはお宅へお願いしたいから、価格をもう一度見直してくれないかという話もある。そのように言われると、何とかしたいのが人情で、嬉しさも手伝い利益を大幅に圧縮しながら、ぎりぎりの価格を出す。結局注文をもらっても、大して儲からないということになる。
貧乏暇なしスパイラルに入っているようだ。

それでもこのご時世、声をかけてもらえるだけ有り難いと思わなければならない。外で営業をしている人は、アポを取るのが難しくなったと話している。紹介がないと、会ってもらえないそうだ。それだけ厳しくなったということだろうか。
どの会社も、儲けは薄いが忙しい状態が続いているようだから、売り込みの人間と暇つぶしで話をする余裕など無いということなのだろう。大手の会社を中心として、世間では派遣切りが騒がれている。どこも現場の状況とは関係なしに、経費節減という観点から、一斉に派遣契約を解除する動きがあるようだ。必要な人手を強引に取り上げられた現場が、毎日残業の連続できゅうきゅうとなるのは当たり前である。

残業が増え、給料は横ばいかダウンとなれば、フィリピンパブなどへ行く時間も金も無いという話になる。どこの店も閑古鳥が鳴いているという噂を耳にする。「金は天下の回りもの」という言葉があるが、俺のところへは回ってこないぞという話も、あちらこちらから聞こえてくる。お店で働くフィリピーナの手取りも、一時の高給取りから、中給級取りや小給取りに変化しているようだ。(中給取りや小給取りは、僕が勝手に作った言葉ですのでお間違いなく・・・)
詳しい実態は知らないが、そう聞けばそうだろうねと容易に納得できるご時世である。

先日偶然に、電車の中で知り合いに会った。久しぶりに会ったその方と世間話をしていたのだが、つい最近、初めてフィリピンパブに行ったという話になった。道を歩いていたら、90分3000円で良いからと、強引に引き込まれたらしい。行ってみたらおばさんばかりで、もう二度と行かなくても良いと言っていた。よくよく店の場所や女性の名前を聞いたら、隣に座った女性は、僕の知り合いの奥さんであることがわかり驚いた。知り合いの旦那さんは真面目なサラリーマンであるが、奥さんがフィリピンパブで働いているのに、頻繁にそれとは別のお店に行く人である。そこまではよくある話だが、その旦那はそのことを奥さんには隠さない。いつも別のお店に行く旦那にその奥さん、「たまには私のお店に来て売上に協力しなさい」と旦那の尻を叩いていた。そんなことを言いながらも、二人の関係は良好そのものである。その旦那の人柄を考えれば、そのような関係もありかなと、少しうらやましくなったほどである。
その奥さんは綺麗な人であるが、確かにお年は召している。旦那は50歳を少し過ぎたころで、奥さんは30半ばといったところ。
いずれにしても、つい最近はまり現象について書いたばかりだが、どうやらその世界も激変しているようだと反省しきりである。どうも世間の情勢に疎くなっているようだ。知ったかぶりをして、迂闊に書けないようである。本来ならばリアルタイムの現場リポートがよいのだろうがそれもかなわず、フィリピン関係のブログオーナーとして片方の翼をもぎ取られて飛んでいるような気分である。

話が逸れてしまった・・・。
そう、世の中は今、とても厳しい。厳しいからチャンスがいっぱいなどと言える幸せな人もいるが、どんよりとしたものを抱えて毎日満員電車に乗っている人の方が、今の世の中には圧倒的に多いのである。

しかし僕は今、実はそれほど苦しくはない。会社は苦しいが、僕自身はそれほどなのである。なぜこれほど軽いのだろうかと、自分のことを少し考えてみた。

その一つは、給料のことが気にならないからである。僕の給料は、実はフィリピンに住むことが前提で決められている。会社では、僕がVIIP級の待遇を受けていると勘違いしている人が多い。そのように言われて驚いたので、今度は僕が相手を驚かせるために、僕の給料の中身を正直に教える。すると期待通り、相手は目を丸くして驚く。それほど安いのである。しかし下がりようがないほど安いので、給料が下がる心配をする必要がない。そして安いながらも、フィリピンの家族はそれで幸せに暮らせている。つまりよほどのことがない限り、今の生活は維持できるということだ。もし下がれば、それはそれで、おそらく生活はできる。生活できないほど下がったら、正直にそれを話して辞めればいいだけの話しである。そう考えると、給料のことはまるで気にならないし、気が楽だ。

勿論給料が気にならないから、そして安いからと、仕事で手を抜くわけではない。どちらかというと回路関係の設計部隊を牽引するほどがんばっている。がんばっていると、周囲からそれなりの目で見られる。必要とされていると実感すると気分もよいし、またやる気が起きる。数か月先の計画が頭の中にあり、それに沿って行動している。だからこのがんばりが、数か月先に花を咲かせると思えば、楽しみも増える。心が軽い二つ目の理由である。

最後はフィリピンに住むモナとのコミュニケーションが、遠く離れていてもうまくいっていることである。うまくいっているというのは、毎日必要なことを、密に連絡し合っているということではない。お互いの気持ちを、素直に口に出せるということである。僕はこれまで、それが苦手だった。日本男児は思ったことを軽々しく口にしないものだという、あれである。しかし最近、普通にそれができるようになっている。モナは出会ったときから、そのような態度を普通にできていた。しかし僕は、ほんの最近まで、それができなかったのである。なぜ突然それができるようになったのか。それは愛情が深まったからではないかと思っている。モナが必死の想いでユリを産み、そして一生懸命育てている姿を見ると、自然と感謝の気持ちが湧いてくる。そんな健気なモナの姿を見て、彼女と結婚できたことにも感謝の念を抱いている。最近自分の携帯の待ち受け画面は、モナの写真にした。これまでモナが勝手に自分の写真を僕の携帯の待ち受け画面にしても、何をすると言って、すぐに消していた僕が、自主的にそうしている。携帯の中には、他にもモナの写真やベル、ユリの写真を入れた。そして時々眺めている。このようなことは、これまで一度もない。そうすることで、また愛情が深まるような気がする。

少し自画自賛のような内容になってしまって申し訳ない。

世の中不景気で、暗い顔をしている人が多すぎる。僕の職場でも周囲に数名、そのような方がいる。なぜ暗いかと言えば、給料が上がらない(安い)、仕事がきつい、遊ぶ時間もない・・・等々である。
しかし僕は、同じ条件で、最近とても気持ちが軽いと感じている。物理面では他の人となんら変わりはないか、もしくは劣るような気もするのだが、片や暗く重苦しいのに、片や軽く感じている。これは不思議な現象である。
それを分けているのは、やはり気持ちの持ちようなのだろうか。それとも僕が、一度どん底にはまったからなのか。もしくはもともと、僕が底抜けにポジティブ人間だからなのか。

いずれにしても、こうして書いてみると、そこに幸せになるためのヒントがあるような気がするのである。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:114.幸せのヒント
2010年05月26日

113.状態評価

先週ホテルからマンスリーマンションへと引っ越しをした。久しぶりに、日本に居を構えたという感じである。初めて住む場所だったため、昨日は周辺の探索に出かけ迷子になった。大通りはわかるが、住宅街の道がとにかく込み入っている。住宅越しに見える目印のビルディングまで、まるでまっすぐに進めない。袋小路が行く手を遮り、迷路に挑戦しているようである。右往左往しているうちに、自分の進むべき方向も見失い、なぜこんなに入り組んでいるのだとイライラとしてくる。
しかし最後は不思議と目的地に辿り着く。どんなに道に迷ったところで、結局辿り着かないことなど、絶対に無い。道に迷ったから公園で一夜を明かしたとか、ホテルに泊まったなどという話は、聞いたことが無い。

事態が深刻になればなるほど、人間は手段を考える。高い場所に上ってみる。地図を探す。誰かに道を訊く。電話で助けを求める。交番に駆け込む。困った時には誰しもが、自然とがんばる。がんばっているうちに、結局辿り着く。そんなものである。
人間には元来、そのような力、能力が身についている。だからなんとかなる。

僕が過去、深刻な迷子になったのは、学生時代の冬山登山にて遭難しかかった時である。その登山は、最初から辺りに濃いガスが立ち込めていた。周りの景色がまるで見えず、最初は誰のものかわからない、雪の上についた足跡を追って歩いていた。大体の方向はあっていたし、きっとその足跡を辿れば、山小屋に到着するに違いないと思い込んでいた。しかしどうも様子がおかしいことに気付いた。夏に体で覚えていた山の気配が違うのである。道を間違えたと気付いた時には吹雪になり、周囲のガスはますます濃くなっていた。うかうかしていると足跡が積もる雪に消されて、後戻りもできなくなる。そしてとうとう、これまで歩いてきた足跡が、雪の下に埋もれてしまった。地図は持っていたが、自分がどこにいるのかまるでわからないので、それがさっぱり役に立たない。途方にくれたが、下手に歩き回るよりも、雪に穴を掘ってビバークをするのが安全だと判断した。ビバークは初めてだったが、雪の中は温かいはずである。このまま日が落ちてしまえば、下手に歩き回ることは死に直結する。夜になれば、ウィスキーもたちどころに凍ってしまう寒さの中、雪の中でどれほど耐えられるのかはわからない。不安はあるが、やはり雪の中で一夜を明かすしかないとビバークを決意したその瞬間、自分の前に立ちはだかっていた濃いガスが強風に流され、周囲の景色がみるみる見え始めた。すぐに地図を広げ、目印の山にコンパスを合わせて、自分のいる場所を確認した。コンパス合わせに成功して間もなく、周囲の景色は再び濃いガスに閉ざされた。周囲の景色が見えたのは一瞬だったが、自分の居場所が確定できた。後は地図とコンパスを使い、歩数で距離を確認しながら、目的の山小屋までなんとか無事に辿りついた。山小屋を発見できたのは奇跡に近かかった。濃いガスの中では、数メートル先が見えなくなる。山小屋のわずか3メートル脇を、目的地に到着していることに気付かずに通り過ぎてしまい、再び道に迷うことも当たり前のようにあるのが冬山である。よく小屋が見つかったものだと、自分の運の強さに驚愕したものだ。

もう一つ途方に暮れた迷子は、初めてのロンドンであった。あまりお勧めできないと言われていた地下鉄では、電車乗り換え時に人気のない連絡通路を通り、そこでおかしな連中に囲まれそうになった。その輩を振り切りようやく人ごみの中に辿り着いた時に、新婚旅行らしい若い男が顔を殴られ、ベンチでうずくまっていた。その脇で、涙を流して寄り添っている新妻がいた。ロンドンの地下鉄は、何もわからない日本人には危険な場所らしいということを、その時初めて実感した。とにかく地上に出なければと思い、外へ出て歩き回っているうちに、自分のいる場所がわからなくなり、手に持っていた地図が役に立たなくなった。自分が一体どこにいるのかを誰かに訊きたいが、当時の僕は英語がまるでだめで、全く話が通じない。こんな時、イギリス人は結構冷たい。僕が日本人だからか、それとも単に面倒くさがり屋なのかわからないが、対応が極めてつっけんどんに感じた。困った人を助けてあげようという気概が全く感じられない。明らかに面倒くさがって、早くどこかへ行けという雰囲気をその相手に感じたが、それでも必死で食い下がり、ようやく自分の居場所を知ることに成功した。自分の居場所を知ることだけで、その日一日分の全エネルギーをそれに使い果たした気がし疲労困憊となった。それからは自分のいる場所を見失わないことに細心の注意を払い、何とかホテルへと帰りついた。

この二つの例でわかるように、自分の居場所がわからなくなると、水先案内として完璧な地図でさえ、まるで役に立たなくなる。そんな時にはどうにもならない無力感に襲われ、気ばかりが焦ってくるが、焦ってばかりでは何も進展しない。とにかく自分の居場所を突き止めることに、全神経を集中させ、全精力をそこへ注ぎこむ。自分の居場所が分かれば、あとは歩を進めるだけである。歩を進めなければ、冬山では極寒の闇夜が待っているだけであり、ロンドンでは公園で野宿になったかもしれない。

さてここまで迷子の話をしてきたが、既にお気づきの方もいるかもしれない。
実はこの迷子の話、人生の話に置き換えると言い得て妙である。人生などと構えず、普段の生活の話でも良い。不思議なくらいぴたりと当てはまる。つまり道(生きること)に迷ったら、まず自分の状態(居場所)を良く知ることが重要ということである。
それを無くして次へは進めない。自分の居場所がわからなければ、次にどの方向へ行ったらよいかわからない。適当に進めば更に迷うことになるし、その場に留まればもちろん何も解決しない。

ここでの地図は人生設計(生活設計)や当面の計画に相当する。それがあれば自分が進むべきところがどこになるのかがわかるし、その計画の中で、自分の現在の立ち位置が明確になる。
自分の状況を判断する材料として、いくつかのパラメータを用意しておいた方が良いかもしれない。自分の行く末を左右するファクターは何かということである。
例えば預貯金を含む財産、能力、人脈、生活余裕度、借金、健康、資格、道具などを、もっと具体的な指標に直して、チェックするようにする。精神的なものもうまく数値化できると面白い。例えば精神安定度は、一日何度動揺したか、何度イラついたか、何度怒ったか、何度喜んだか、何度悲しんだか・・・などである。指標を難しく考えすぎると、思考の段階で挫折する。
そして何かを目指した場合、それには何と何が必要だということを、数値ターゲットとして定める。その上で実態を数値化して管理するわけである。

ちなみにここで打ち明けておきたいが、僕自身が以上のようなことをやっているわけではない。空想の世界で、一人で遊んでいる内容をここに記しているだけである。

僕の遊び心はまだ続く。
それではもし意中のフィリピーナと、幸せなゴールインを目指すとする。
まず必要条件であるが、独身であることは言うまでもない。(そうでないと結婚できない)もし結婚しているなら、早めに正直に打ち明ける。財力はかなり余裕を持って臨む必要がある。3カ月間をかけて相手の心に入り込むとすれば、100万は持っていた方がよい。それはお店に通うお金と店外デート代となる。札束で頬を叩いて引き寄せるわけではないが、自然な流れでケチケチせずに使うとすれば、その単位のお金は、すぐに羽がはえて飛んでいく。相手が心を開いたら、お店に通うお金はもったいないから、あなたに直接援助したいと申し出るのも、一つの手である。それを受け入れてくれるかどうかで、相手の本気度が測れる。とりあえず資金は、1カ月で30万を超えないようにコントロールしよう。もしめでたくゴールインとなれば、それからがまた、お金がかかる。結婚となるとフィリピンへの渡航費用、手続きも必要になるから、更に100万円。彼女の家族へのお土産代はその中で賄おう。そして結婚新生活をスタートするための資金が100万円。締めて最低300万は欲しいところだ。お金の浮き沈みはデイリーでグラフにして管理する。出て行くお金が右肩上がりになったら要注意。
ついでに自分のイライラ度、ワクワク度をグラフにプロットして、その波をとらえる。1週間にお店へ行った回数、電話がきた回数、メールがきた回数、1週間での店外デートの回数もプロットしよう。ついでに電話とメールの内容も、5段階評価でつけてみよう。事務的もしくは彼女のビジネスコールやメールは1、挨拶だけは2、今何しているかなど、自分の動向に興味を持っているものは3、会いたい、寂しいという内容は4、世間話で15分以上盛り上がっても4としよう。今度会いたい、デートしたい、愛しているなど、愛を感じる内容であれば5をつける。

これら各グラフの相関関係をしっかりと捉え、週に1度は分析を加える。何と何が連動しているかを捉えるのである。イライラ度とお金の出が同じ動きをしていたら、これは少し考えもの。ワクワク度とお金の出が連動していたら、投資効果があるかもしれない。ワクワク度とイライラ度が連動していたら、情緒不安定に陥っている可能性大。その時には、はまり現象で自分を見失いつつあると判断しよう。
お金の出が減り、お店への出入りが減っているのに店外デートが増え、ワクワク度が上昇していたら、親密度が上がっていると評価しよう。
親密度は直接数値化した方が良いかもしれない。ワクワク度×電話回数×メール回数×その内容の評価結果=親密度とする。この親密度に実態との違和感を覚えたら、その違和感に合わせて各項目に係数をかけて重みづけを試みるか、かけあわせる内容を実態に合わせて調整する。それで親密度の上がり下がりが客観的に評価できる。お金の動きと親密度が連動していたら、慎重になるべきである。このケースでは、お金の切れ目が縁の切れ目になりかねない。

親密度を数値化したことで、二人の状態をいつも確認できることになる。客観的に評価もできる。
決して相手には、その分析グラフを見せてはならない。それをやったら、どん引きされるのがおちである。周囲の人にも、よほど親しい人にしか見せない方が良い。もし見せたら、おそらく変態だと思われる。

このように、自分の状態を客観的に捉えてみる試みは、結構面白いかもしれない。
ただし効果のほどは保証できないが・・・。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:113.状態評価
2010年05月23日

112.偶然と必然と運命

昨日モナが、話があると言ってきた。僕はあらたまっての話は苦手である。大変とか、相談があるなどの前置きがある話しは、お金にまつわる話が多いので、いつも身構えてしまう。

しかし今回は、お金とは全く関係の無く、ベルの本当の父親の話であった。
モナにその彼からメールが届いたらしい。内容は、ベルの誕生日はどうだったか、そしてモナの電話番号は昔と変わっていないかというシンプルなものである。

ベルの本当の父親は、以前の記事でも書いたように、モナがベルを身ごもってから間もなく別の女性も妊娠させ、その女性の父親が怖くて結婚した。モナがベルを産むときには、一度も様子を見に来ることはなく、モナが子供を産んであとに何度かモナの前に現れた。しかしモナが彼を拒絶し無視してきたために、しばらく音信不通となっていたのである。その後その彼のお姉さんからモナに、弟は最近体調が悪く入院している、弟はあなたとベルに会いたがっている、元気づけるために会ってやってくれないかとお願いがあったり、ごくたまに、本人から会いたいとメールが入ったりしていた。モナは日本人の恋人と結婚をすること、そしてベルを会わせるつもりもないという返事をし、その後は忘れたころに送られてくるメールを無視してきた経緯がある。

この経緯からわかるように、彼にはれっきとした家族がある。奥さんとうまくいっていないという噂もあるが、彼がモナに対してメールを送ったり、子供に会いたいなどと話していることがその奥さんの知れるところになれば、嫉妬深いフィリピーナのことであるから、何が起こるかわからない。単に彼の家族や生活が壊れるだけであればそれは自業自得というものであるが、こちらに嫉妬の刃が向けられるようなことがあると、それはとても困ることになる。

モナは彼から連絡があると、いつもどのように対応すればよいかを僕に訊いてくる。僕はその都度自分で決めなさいと話しているのだが、なぜか毎回訊いてくるのである。ただし、ベルに会いたいという話に関しては慎重に対処するように進言していた。大人であれば過去の経緯も踏まえて心の整理をつけることができるが、子供にそれができるのかについては未知数が多すぎるからである。
ベルには本当の父親のことを正直に話しており、以前彼からベルに会わせて欲しいという話があった際、モナがベル本人の意思確認をした。ベルは会う必要はないという考えだったので、そのお願いを断った次第である。そして僕とモナとベルの3人が写っている写真を、メールで彼に送付した。わざわざ3人が写っている写真を送ったのは、モナの自分の対する気遣いなのだろうと、僕は理解している。

彼が時々メールを送ってくる真意は測りかねるが、ベルをダシにして、モナに会いたがっているようにも感じられる。モナの最近の写真だけでもくれないかと、お願いをしてきたことがあったからだ。
モナは彼に対して恨みの感情は抱いていないようだが、それ以上もそれ以下も、何もないようだ。
僕も、彼からモナに何らかのアプローチがあることについては、嫉妬めいたものも含めて特別な感情は何も湧かない。話を聞いても、「あ〜、そう・・よきにはからえ」という感じである。ただし、二人だけで密会をするのは気分が悪いからやめてくれと、それだけをモナにお願いしている。

ベルの本当の父親については、よくよく考えると不思議な気がするのである。
モナが大学生時代に彼と出会い、そしてベルを身ごもることになった。そしてモナが妊娠したとたんに彼がモナの元から遠ざかり、結局モナは周囲から可哀そうな女として見られ、若くして強烈な屈辱感や挫折感を味わうことになる。しかしベルを育てるために来日し、そして僕と出会った。現在は、僕と結婚をして彼女は幸せに----おそらく(笑)----暮らしている。
もしモナが彼と出会わなければ、そしてベルを身ごもらなければ、僕はモナと出会うことはなかっただろうし、現在彼女の家族とフィリピンで暮らしてはいないと思う。それは間違いないだろうと思うのである。ましてや彼がモナの妊娠をきっかけにモナと結婚をしていたなら、僕とモナが結婚をした可能性は確実にゼロパーセントである。モナがベルを産まなければ、モナが彼と出会っただけというケースでも僕たちが出会う可能性は低かったに違いない。
このように、ベルの父親を起点に考えれば、その二人の出会いから僕とモナのストーリーが始まっているのである。

そのストーリーの中で、モナはその彼と出会い、妊娠する必要性がある。そうでなければ現在の状態は存在しない。
そのように考えると、僕の人生の大きな分岐点で、彼は僕に対して目に見えない力を発揮していたことになる。その意味で彼は、モナの過去の人であると同時に、僕にも大きな関わりを持った人ということになる。

もしモナの家族が今の生活を心底良かったと考えているならば、過去に父親のいない子供を産んだ娘を心配し、世間の白い目に耐えたことが、結果的には良かったという話にもなる。現在の状態になるためには、そのつらい過去を通り過ぎることが必然だったからだ。もし過去の時点でモナがその彼と結婚をしていたら、今は普通の生活をするのも大変な状況になっていた可能性は大きい。

以上のような話は、誰にでも必ずある話で、これが人生の巡り合わせというものである。
実は偶然の積み重ねなのだが、人生を一つのストーリーに見立てると、過去の出来事の一つ一つが、その時点で必然であったように錯覚する。今振り返れば必然であった過去の出来事は、過去のその時点では偶然的要素が大きいから、そのような言い方になる。

しかしそれを必然と考えてもよい場合もある。現在幸せになったのは、あの辛いことを乗り越えたからだと考えることは間違いではない。そのような側面は少なからずある。そして将来幸せになるために現在の苦労は必要だと考えることも、間違いではない。
むしろ現在や将来のことを、全て偶然のなす技だと考えることの方が危険である。そうなると、人生が惰性の産物になってしまうからである。
実際には偶然の積み重ねが、自分の存在や、自分の現状、そして将来を左右していることは多いはずだ。その合間に、努力や意図など、必然的な考えや出来事が編み込みのように介在している。漫然としていては、自分の全てが偶然に左右され、自分の行く末が全く分からなくなる。
この手の話は、考え出すときりがない。突き詰めると、全ては因果関係があるから、わからなくなることがある。要は考え方や気持ちの持ち方である。

少し話が発散しそうなので、軌道修正をさせていただく。
このような記事を書いたきっかけは、ある方の話である。それは、自分の恋人(フィリピーナ)の、過去のボーイフレンドの存在が気になるというものであった。そのフィリピーナは、過去のボーイフレンドは今、ただの友達だと言っているそうである。
男性読者がその見えない過去のボーイフレンドを気にする心情はよくわかるのだが、嫉妬して、彼女にきつくあたることが、果たして妥当なのだろうかと思ったわけである。

その恋人フィリピーナが作り上げられた経緯の中で、過去のボーイフレンドはそれに一役かっているはずである。そのフィリピーナが男性読者の恋人になったのも、必然と偶然が絡み合った過去の積み重ねの結果であり、その中には間違いなく過去の恋人が存在する。現在の恋人を好きなのであれば、その人を作り上げた過去も認めるしかなく、逆にそれにとらわれて認められないという気持ちが支配的になれば、みすみす幸せを取り逃がすことにもなりかねない。そして重複するかもしれないが、確実に言えることは、今の自分の態度が将来を左右するということである。
確かに相手の動向は気になるが、所詮心の中を全て覗くことはできないし、把握することも難しい。結局は、相手の事を自分がどのように想い、考えているかという自分自身の心に、誠実になるしかないような気がするのである。
僕はこれまで、モナの自分に対する態度を長い時間見てきて、心からそのように思えるようになった。
偶然が積み重なる人生の中で、「運命は自分で切り開くもの」という言葉の本当の意味は、モナが僕に教えてくれたと思っている。

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