フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年05月22日

111.はまり現象

先日はユリの写真第2弾を公開したが、見ての通り女の子に見えない。今のところ、立派な男顔である。知らない人はユリを見て、「ウ〜ン、プリティーボ〜イ!」などと言う。プリティーは社交辞令だとして、そのボーイという言葉に、やはり勘違いしているなと思う。しかし面倒なので、わざわざ訂正はしない。時々ボーイと言ってしまったあとに、「ン?ガール?」と訊いてくる人もいるので、その時だけ「イエス」と答える。

そんなユリが、最近マガンダ(美人)になってきたとママが言っている。それは女の子らしい顔になってきたという意味も含まれているが、昨日アップした写真が最近の顔であるから、読者の方々にも、このママの発言には異論があるのではないだろうか。少なくとも僕には、ユリが女の子らしい顔になってきたとは、まだまだ思えない。

先月1カ月以上直接ユリに会っていなかった僕は、スカイプで見るユリの顔や、モナがおくってくれる写真を見て、この顔は女の子としては失敗作だったのかもしれないと思っていた。しかしその後フィリピンに帰り、ほんの2週間強一緒にいただけで、その顔も愛嬌があり可愛いではないかと思えるようになっていた。今は丸々としている顔も、成長するにつれて細くなり鼻が高くなれば、目は今でもぱっちりしているから、きっと美人になるに違いないなどと、将来のユリの顔を想像しながら考えていた。
そして日本に戻り、スカイプで見る今のユリの顔は、また以前のようにこの子は本当に男のような顔をしている、将来大丈夫か?などと思うのである。これは、時間的に少し距離を置いたことで、客観的にユリを眺めることができたからそう見えるということだ。


これは女性との出会いでも、よくある話である。初対面の時にはときめきようがない相手が、いつの間にか最高の美人に見えるようになり、いつの間にかこの世で一番のパートナーに思えるようになるということはよくある話だ。
一旦こうなると、客観的に見た相手は、その容姿も含めてどのような人物なのかわからなくなる。自分の主観的世界から抜け出すのはとても難しい。
これは人間が、相手の内面を知って深い愛情を覚えるということを意味する。相手の内面とは、相手の自分に対する想いも含まれるのは当然である。

相手が自分に対して好感を抱いていそうだなどと考えると、自分の夢や想いがどんどん膨らみ、相手のことが頭から離れなくなってしまう。こうなると雪崩のように想いがどんどん大きくなる。あ〜、自分はこの人を愛しているのかもしれない、いや、きっとそうだとなり、いつの間にか本当にそうなっている。ましてや相手が最初から、自分の心に引っかかるような何らかの魅力を持っていたら、尚更この状態が加速する。これが一般的なはまり現象の始まりではないだろうか。

この相手のことをあれこれと考えている期間が、とても楽しい。今さら何をいわんやと言う方の顔が見えるようで恐縮だが、事実そうである。これは年齢を重ねても同じである。むしろ年を取ってからの方が、若いころにも増して楽しく感じるかもしれない。青春を取り戻したような気分になり、そわそわ浮き浮き状態になる。そして自分の将来や可能性が、大きく開けてきたような錯覚に陥る。これがまるで麻薬のように作用し、その状態から抜けられなくなり、そして抜けるのが怖くなってくる。ましてや相手の言葉や態度による強制退場など、耐えられないと思うようになる。

このようなはまり現象を、順を追って書いてみると、フィリピーナはその対象として天性の素質を持っているような気がするのである。

ハッとするようなスタイルを持ち、屈託のない陽気な性格である。相手の外観や年齢にとらわれることなく、自分の態度や気持ちに応じて対応してくれる。楽しい、嬉しいという気持ちを素直に表現する。信頼を寄せた相手には心を開き、心を開いた相手には相談ごともすれば、素直に頼ることもする。お互い違う国を母国に持ち、興味ある話題が尽きない。育った背景は基本的にハングリーであり、どん底を知っているから綺麗事ばかりを追い求めず、耐えること、我慢することを知っている。家族を思いやる気持ちに心を打たれ、その献身的な態度に感心する。これらをあげていけば枚挙に暇がない。最初はそのどれもにハッとし、普段接している女性と何かが違うと思う。そしていつの間にか、もっと相手のことを詳しく知りたいなどと思うようになり、いつも一緒にいたいと感じるようになる。当たり前のようにそのような状況に陥っていくが、これだけ条件が揃っていては、はまらない方がおかしいというものである。

僕が個人で仕事をしていた頃、お得意様をフィリピンパブにお連れしたことがあった。そのお得意様はそのような場所は初めてである。最初は躊躇し緊張していた彼も、次第にフィリピーナに心がほぐされ、店を出た時には「あ〜、楽しかった。はまってしまう人の気持ちがよくわかった」と言っていた。連れて行ったこちらとしても、十分楽しんでいただけたその反応に満足であったが、その時に僕は、普段そのような店に行かない人にも、フィリピーナの対応は十分すぎるほど通用することを確信した。
その人は、はまらない自信がないから、もう足を踏み入れるのは止めるといい、それから個人では店に行かなかったようであるが、最近、今度は自腹で行っても良いかななどと言い出している。要はまた一緒に行こうということらしい。彼の中では、楽しい場所として強烈に印象に残っている場所ということだった。

やはりフィリピンのお店というのは、普通の感覚を持っている人ならば、もともとはまる場所なのである。はまるのが普通で、はまらない方がおかしいという言い方をしても良いかもしれない。
人間は基本的に、煩悩のかたまりである。普段は蓋をして、理性でそれを閉じ込めているが、フィリピンのお店はそれを強く刺激し、閉じ込めていたはずの煩悩がむくむくと起き上がる場所と言っても過言ではない。
前々回の7情の記事を読み、もし、それをコントロールできない自分はだめな奴だと思っている方がいれば、自分はだめでもどうしようもない人間でもなく、実は普通の人だったと自信を持って欲しいものである(笑)

さりとて無節操にはまっていては、財布も精神もぼろぼろになってしまう。そこで7情の話を思い出し、お相手とは意識的に距離を置き、冷静にかつ客観的に、自分を取り巻いている出来事を見つめ直すのが肝要かと思うわけである。

しかし何事に対しても冷めていて、そんなものにはまるやつは馬鹿だなどとしたり顔で話をする人間も、これまたつまらない奴だと思ってしまうから、人間業は難しい。
何事も度を超して熱中する人間は、馬鹿を通り越して、逆に何かの意味を持つ面白い奴だと評価されたりする。自分の経験から言えば、それもまた真理であると思うのである。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:111.はまり現象
2010年05月16日

110.ユリの成長記2

ユリは本日で6カ月となった。この世に生を受けてまだ半年しか経っていないのに、信じられないほど成長している。ジィーっと見ていると、ずっと前から存在していたように思えるから不思議である。それだけ彼女の存在が、僕の中で急激に大きくなっている。

生まれたばかりの頃は、抱くことも怖いくらいふにゃふにゃしていたくせに、今はどっしりとした重量感もあり、抱いている腕がすぐにだるくなる。
ミルクだけでなぜこれほど大きくなるのか、どうしても理解できない。子供を産み、自らの母乳で子供の心身を育てる母親とは、本当に偉大な存在だと認める以外にない。

今は何でも口に入れてみないと気が済まないらしいお年頃。
かぶりつき1.jpg

何をしているかと思えば、椅子の背もたれを食べていた。
かぶりつき2.jpg

それにしても女の子なのだから、そんなに険しい顔をしてかぶりつかなくてもよいと思うのだが、思わず美味しいかいと声をかけてしまいそうになる。

最近は少しずつ固形物を食べさせている。マンゴやスイカなどを、大人が美味しそうに食べているとユリがこちらをうらやましそうに見る。そのつぶらな瞳で見つめられると、おもわずスプーンにちょこんと取り、ユリの口に運んでしまう。どんなに泣いている時でも、食べ物を与えるとぴたりと号泣が止まり、ちゅぱちゅぱとそれを吸っている。しかし味をしめたのか、とにかく食べ物に対して貪欲になり、しかも最近はちゅぱちゅぱと吸うという生易しいものではなく、思い切りかぶりつくようになっている。
かぶりつき3.jpg

飲み込むと危ないのであわてて取り上げるのだが、それが悔しいとまた泣き始める。仕方がないからまたあげると、もう二度と離さないようにしっかりとそれを持ち、口に含みながらご満悦のご様子。ちなみに食べ物をちらつかせると、本当にそれに釣られてついてくる。まるで馬の鼻先にニンジンでもぶら下がっているように、動きが数段早くなる。
かぶりつき4.jpg

かぶりつき5.jpg

最近はパソコンやゲームにも興味があるらしく、それをいじっている人にじわじわと近付き一緒に眺めている。まるで内容がわかっているような雰囲気に、どうせ最後はかぶりつくくせに生意気なやつだ言っている。
パソコン.jpg

最近お気に入りの遊び道具は、ベルのお下がりの自転車。手を離したりバランスを崩すと転げることを察知しているのか、両手はまだ小さい手でしっかりとハンドルをキープし、自転車にかぶりつくことはしない。神妙な面持ちである。自力でペダルをこぐには足が短すぎるので、ドライブをする時には大人の手助けが必要だ。自転車を動かしているときには緊張感があるのか、にこりともしない。
自転車.jpg

そして最近お気に入りの遊び場所は、僕の仕事机の下である。何やらごちゃごちゃと色々な物があるので、それらを物色しているだけで楽しいらしい。本当は手にとって味見をしたいのだが、残念なことに中々手元に引き寄せることができない。
遊び場.jpg

遊び場2.jpg

ひとしきり遊んで疲れると、どこでも眠れる健康優良児である。立ち寝は得意技の一つ。と言っても、得意技はたくさんあるわけではない。
いねむり.jpg

一旦へそが曲がると、暴れながらの号泣は健在である。こうなると、それをなだめることができるのはモナしかいない。一時少し良くなったが、僕がフィリピンから日本に戻ったとたん、また以前のようにモナ以外の人では、彼女の号泣を止めることができなくなったらしい。
大泣き1.jpg

大泣き2.jpg

たまにはお姉さんのベルとディスカッションをする。
ミーティング.jpg

まだまだボキャブラリーは多くないが、とりあえず「あ〜」とか「う〜」と言えば、周囲の人は喜んでくれる。それが偶然に何かの言葉に聞こえると、モナはユリが話をしたとしきりに主張するのだが、僕は「そう?」と言いながら、心の中で親バカも大概にせいと言っている。ただし一つだけ、ミルクが欲しい時には、泣きながらいつも「ミィミィ」と言っているように聞こえる。ミルクは「ミィミィ」と教えているので、それだけは覚えてしまったのだろうか。それとも僕も親バカか?

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:110.ユリの成長記2
2010年05月15日

109.7つの情

僕はいくつかのフィリピン関係ブログを定期的に見ている。主に読ませていただくのは、フィリピンパブで働いているフィリピーナとのやり取りを含めた奮闘記や、フィリピンで暮らしている日々の出来事を綴ったもので、いずれも面白い。各記事の面白さがどこにあるかはそれぞれであるが、各々共感したり参考になる事例を、タイムリーに覗くことができる。
作者の心の叫びが聞こえそうな内容にでくわすと思わずコメントを書き込みたくなるが、また余計なことを言ってしまいそうで、ぐっとこらえることもある。

そのような記事を読みながら、今回はフィリピンパブで働いている女性との付き合い方に関連することで、自分なりに思うことを書いてみようと思った。しかし誤解されないよう言っておきたいが、これはHOW TO記事ではない。ただ思うことを書いてみるだけである。

フィリピンのお店でも日本のお店でもなんでもよいが、女性が相手をしてくれる店に定期的、あるいは不定期に通う方は大勢いる。その目的は人により様々で、単にストレス発散の一環で、楽しむためだけに行くという人もいれば、特定の女性に会いたいから通う人もいる。なんとなくお店でのパートナーと腐れ縁のようになり、女性の誘いを断りづらい関係から、お誘いに合わせて仕方なく通う方もいるはずである。そこにはお相手に嫌われたくない、むしろよく思われたいなどという心理が働いている場合も多い。

最初から割り切った考えで、自分が楽しむだけのためにお店に通う人は良いが、お店で働く女性にはまり、その相手に振り回されるようになったら、それは大変である。大変さの原因は、経済的なものや時間、そして家族が関係したりするだろう。
言葉は悪いがそのような人は、まるで最初に紐を巻かれ、ブンと反動をつけて放り出され、最初は勢い良く回っているがそのうち力尽きて、ふらふらと倒れそうになっているコマのようでもある。そして倒れそうだがなんとか踏ん張っているから苦しくなってくる。しかし一方では、浮き浮きした気持ちになり、忘れていた夢心地の境地に浸ることもできるので、それが倒れずに踏ん張ることの原動力になったりするわけである。

最悪のケースでは、悪意のある女性につかまり、完全にコマが倒れてしまったら元も子もないので死なない程度にエネルギー(嘘っぱちの愛)を注入されながら、まるで飼い殺しのようになってしまう。それでも本人がそれに気付かないほどになってしまうことがあるからこの世界は怖い。いわゆる盲目になってしまうケースである。

いずれのケースでもなぜそのようになってしまうのか、その理由については誰しも容易に想像がつく。おそらく程度やシチュエーションは違っても、似たような経験を重ねてきた人がほとんどであるからだ。その経験の中で普通は少なからず学習しているので、対処方法についても各々の方が様々な考えを持っている。それが人によって90度や180度、意見に相違があるところは面白いのだが、そこに豊富なバリエーションが現れることは当然である。それぞれの意見が各自の経験に基づいたものであれば、その経験はその時々の状況や思惑、相手がいればその反応などが背景になっているのだから、それが全て同じになるはずがない。

しかし個別の話でそれぞれに相違はあるが、少し上段から俯瞰すると、実はそこには一つの共通項が見出せるのではないかと思い始めたのが、この記事を書くきっかけである。
実はそれは夜のお店の世界だけの話ではなく、人間が生きていく中で全てのことに関係することであり、そこへのアプローチは7情という言葉がキーワードとなる。

人間には7つの情があると言われている。「喜・怒・哀・懼(おそれ)・愛(いとしみ)・悪(にくしみ)・欲」の7情である。この情があることは、言われてみればそうだと思う方がほとんどのはずである。そしてこの7情は、人間の「徳」というものと密接に関係する。7情をコントロールできなければ、「徳」を得ることはできないということである。

(※徳とは何かついて詳細について述べ出すと、本文の主旨がわからなくなるで、ここでは詳述しない。必要ならばwikipediaなどで調べてもらいたい。そこでおおよその概念がわかる。ちなみに7情についてはこの7つの文字でOR検索すると調べることができる。掘り下げて調べて見ると結構面白い。)

逆にこの7情をコントロールできない人は、自分自身を崩壊させることになる。崩壊させるということは、簡単に言うと、どうしようもない人になるという意味である。
行動が常に7情に支配され、それを野放しに発散させている人というのは始末が悪い。そのような人とは関わりたくないし、それが会社の上司ともなれば最悪である。

この7情は、人間が生きて行く中で、自分自身に対しても色々と悪さをする。
例えば喜んで調子にのる。思った通りにいかないと腹が立つ。哀しいからやる気がでない。懼(おそれ)があるから踏み込めない。愛(いとしみ)が冷静な考えを失くす。悪(にくしみ)が暴挙を生む。欲があるから騙される・・・等々。
これを男女の恋愛にあてはめると、なるほどその通りだと思えるから面白い。それぞれの情から派生する問題事例は、いくらでもあげることができる。

これを読んで、それは詭弁だ、欲があるから人は向上するし、愛(いとしみ)があるから幸せになる。喜びを求めて人間は頑張れるのだと言われる方がいるかもしれない。それはその通りである。そのように話してしまうとこれは矛盾した話のようでもある。しかしこれは、矛盾しているわけではない。情をどのようにコントロールし、どのように使うかで結果が違うだけである。ただしこれは、言葉でいうほど簡単ではない。

スポーツの世界も、仕事の世界も、何かを習得しようとした時に、「もっと気楽に構えろ、力を抜け、恐れるな、しかし慎重にやれ、そこは力を入れろ、気を引き締めろ」などと、矛盾した言葉で檄を飛ばされることはざらである。それでも必死に取り組んでいれば、その言葉が矛盾しているではないかということに気を取られることはない。言われた通りにがんばっていると、そのうちに自分自身で何かをつかみ取り、それが矛盾したことではないことに気付き始める。言葉尻だけをとらえれば矛盾しているが、身を投じて体得してみればそうではないことに気付くのである。逆に言えば、体得しないと矛盾ではないことに気付かないという厄介なものでもある。

つまり7情の話もこれと共通するところがある。人生の荒波に揉まれながらも感情を意識的にコントロールする訓練をしているうちに、それがどのような意味を持つかを体得していくものではないかと思われるのだ。

さて、これが男女の世界の話になると、7情の赴くままに考えて行動すれば、やはり色々な意味で自分を傷つけ、身を滅ぼすことになる。そして7情の赴くままに悩み続けると、ますます深みにはまっていく。その時人はすでに、7情に支配されている状態である可能性が高い。
その場合、一度自分を支配する感情から自分自身を取り戻し、冷静に考える必要があるわけだが、7情に支配されるとそれに気付かないから、どうしようもないところへと自分を追い込んでしまう結果となる。それ故に、意識的に自分を取り戻す必要がある。

しかし再度申し上げれば、これは言葉でいうほど簡単ではない。ただし以上のようなことを意識しているだけで、それができるきっかけをつかむことができるし、それを繰り返すことが訓練であり、長い年月をかけた訓練を経た暁には、何かが変わるのではないかと思われるのである。

ここまで偉そうなことを書いたが、自分の妻のモナは先日の記事「一悶着」でも書いた通り、7情のうちコントロールできている部分とそうではない部分があるし、自分も実は同様である。しかしお互い、どうしようもない人間になるほどそれがコントロール不能に陥っているわけではないと思われる。おそらく普通の大半の人は同じであろう。そして以上のような考えは、大かたの人が漠然とわかっていることである。この記事はそれを、ただ整理してみようと試みたものにすぎない。
総じてこの7情を思い切り振りかざしてくるように見えるフィリピーナも、よくよく観察すると、そうあってはならないということを無意識にわきまえている節がある。しかしそれも度合いの違いがあり、あまりにも激しい相手とは、長く付き合いきれない予感を持つこともあるし、もし長く付き合いたいと思うのであれば、それは相手だけではなく、お互いに訓練する必要があると思われるのである。


少し余談になるが、以上のような考えは人間としての基本であると思っている。よって僕は、この考えが教育現場に反映されているのかをいつも観察している。子供のためだなどと言い、なんでも子供の思い通りにさせているような、つまりこの7情の発散を思い切り許容しているようなところは、子供を教育する現場としては最低である。7情を野放しに発散する人は自分がだめになるだけではなく、その人の周囲の社会生活にも影響を及ぼすからである。

さてこの記事を読んで、自分のお相手がどうなのか、そして自分がどうなのかを考えるきっかけにしていただけたら幸いである。

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エントリー:109.7つの情

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