モナのブログのことを記事にしたら、早速彼女のブログアクセスが増えたようだ。ページの右に、まるでアクセスカウンターのようなものがあるが、これはどうも、アクセス数とは関係ないらしい。僕がいくら彼女のブログをのぞきに行っても、その数字は変わらない。しかし、彼女のプロフィールを見た人の人数は、プロフィールの下にしっかりと記されている。それを見る限り、昨日から今日にかけて、約30名強の人数が増加していた。おそらく1日の来客数としては、彼女の記録になっただろう。そして今日現在ではその数が倍以上になっているのだが、彼女の報告によれば、そうアクセス数は既に300を超えているらしい。アクセスしている地域もわかるらしく、日本何人、セブから何人といった具合に教えてくれる。
そして記念すべきは、彼女のブログに初めてコメントが届いたことだ。モナはコメントが何もないので、僕に何か書いてくれとお願いしていたが、そんなわざとらしいことはできないと断っていた。しかし今日、僕のブログに時々コメントをくれる方が、モナのブログにコメントを投稿してくれた。
コメントが入った時には、早々にモナから連絡があり、初めてのコメントに彼女はとても喜んでいた。「返事は書いたの?」と訊くと、「まだ。ねぇマハール、なんて返事すればいいの?」と言うので、「それはきちんと返事をしなさい、ありがとうっていう返事でいいでしょ」と言うと、「わかった。カタカナでもいいの?」と言って、早速その場で返事を書いたようだった。
ただしモナは、読んでくれる人のほとんど日本人であることを、不満に思っているようだった。それは、日本人が自分の英語をしっかりと理解してくれるかわからないかららしい。
「日本人でも英語は読める。それにアクセス数が増えれば、googleやyahooの検索にひっかかりやすくなるから、結果として、英語圏の人も、あなたのblogを良く見に来るようになる」という話を彼女にしたら、彼女は突然「そっか、助けてくれてありがとう」と言われた。そんな素直なところが、彼女の最大の持ち味である。
必要以上に妻のブログの宣伝をするなど性に合わないので、とりあえずこの話は、アクセスしてくれた方々やコメントをくれた方へのお礼とさせていただき、ここで打ち切ることにする。
先週は怒涛のごとく忙しい一週間となった。ほとんど徹夜状態で、ホテル代を支払うのがもったいないほどであった。昨日の土曜は昼から少し仕事をしたものの早めに切り上げ、そして本日の日曜は、何もせずに朝からだらだらしている。外もほのかに温かく、外で陽だまりを感じていると脳みそが溶けてしまいそうだ。そのまま本当に溶けてしまいたい衝動に駆られる。春は無駄な時間をむさぼるには、本当に最適の季節だ。
明日から一週間は、先週の続きで忙しくなる。
今日は最近のお決まりパターンで、部屋の掃除が入る10時にホテルを出て、近くのドトールで人間観察をしながら、この記事を書いている。
日曜にも関わらず、ネクタイ姿の50歳ほどの男性が、ビジネスバッグをテーブルの横に置いて、ぼんやりたばこを吸っている。煙草を吸い終わり一口コーヒーをすすると、すぐに2本目のたばこに火をつけ、またぼんやりと外を眺めているが、焦点が定まっていない。悩み事を抱えているように見える。半分以上白髪の交じった頭が、いっそう彼を疲れているように見せている。自分もかつてはどん底に陥ったことがあるが、その時の自分と思わず重なって見える。その頃の僕は、周囲の人がみんな幸せそうに見えたが、その男性の目には、僕のこともそう見えているかもしれない。リラックスした格好で、i-podを聞きながらコーヒーを飲みパソコンをいじっている僕は、どこぞの会社でそこそこのサラリーをもらい、休日に自分の楽しみを満喫している自由人に映っているかもしれない。やりたいことがあればいつでもできて、しかし今はゆったりとコーヒータイムを楽しんでいるように見えるだろう。
しかし実際には僕を含め、世の中に疲れている人が充満しているのである。東京やその近郊の電車に乗ると、それを強く実感する。見るからにくたびれたサラリーマンが充填された電車の中には、暗く重い空気が漂っている。フィリピンでは無縁の光景だ。
僕も悩みが無いわけではない。一つ足かせになっている重い仕事を抱えているし、4月も3分の1に差し掛かり、今月の自分の収益も気になり始めている。
今の会社は、一人ひとりの収益が厳しく管理されている。僕の場合、自分が稼いだお金から、日々の宿泊代や日当を経費として差し引かねばならないので、利益という点では最初からハンディを背負っている。その分無理をしなければ、人並みの利益が出ないので、大きなプレッシャーになっている。それでも一人でやっていた頃に比べれば、毎月きちんとサラリーが出るということは有り難い。
最近年と共に経験を積み重ねたせいか、図太くなり打たれ強くなった。仕事が目白押しでも、どこかに余裕を残していて、常に最悪のパターンとそれの対応策を考えながら進めることができる。不測の事態は頻繁に発生するが、そのおかげですぐに対応ができる。それがなくなると、パニックになり疲れが数倍に及ぶために身が持たない。
担当者がおろおろしながら相談にきた時に、「それじゃあこうしよう」とあっさりと答えを出すので、相談を持ちかけた方は虚を突かれたように数秒間反応が止まるのが面白い。その場で瞬間的に閃くように見えているかもしれないが、それは事前に考えているから答えがすぐに出るだけである。しかしそれが、周囲の信頼を勝ち取っていくためには有効であるように思える。
客のあしらい方も身についてきているらしく、厄介な話ほど駆り出されるケースが増えている。それを上手に調整すると、次回以降、客からも社内からもご指名となるので、今後は指名料金を取ると言っている。
若いころ、客先に出向く際にはいつも不安であった。その頃に、この人が一緒に行って、横についていてくれるだけで安心できるという人がいて、早くその人のようになりたいなどと思っていたが、いつの間にか自分が、そんな風になっているのかもしれないと、最近思うことができるようになった。
そして同時に、これが自分の付加価値だと自覚できるようになってきた。それは、無理をして背伸びをせず、自然体でそのようなことができるようになったからである。きつい想いをして頑張っている時には、結果が良好でもそんなことは考えられなかった。いつかぼろが出て、自分が、もしくは築いてきた信頼が崩壊するのではないかという強迫観念がいつもまとわりついていて、ますます頑張っていた。それがいけないという話ではなく、それが自分を強くしたのだろうとも思えるのだが、最近は結果として、名実ともに年をとったのだろうと考えている。
そういえば先週の日曜日は、ホテルの近くで桜祭りが開催されていた。天気予報は雨だったが、朝目覚めて窓の外を見ると、空は曇っているもののまだ雨には遠い雲行きだったので、パソコンとWEBカメラ、マイクを鞄にしまい、歩いて祭りに出かけてみた。会場までは、ホテルから徒歩15分であった。
老若男女、家族連れで賑わう歩行者天国通りに出ると、満開の桜がトンネルを作っており、それは見事な景色を作っていた。
何台も神輿が出ており、通りでは和太鼓の演奏があったり、ステージでは子供のダンスコンテストがあったりと、とにかく見渡す限り祭りであった。
僕は道路の橋に座り込み、パソコンを取り出し、イーモバイルでスカイプをフィリピンのモナへとつなげた。そして接続を維持したままパソコンを折りたたみ鞄に再びしまいこんで、WEBカメラを手に持ちモナと会話をしながらその通りを歩いた。変なカメラを持ち、独り言を言っているように見えるその姿は、人から見れば奇妙に映るらしく、すれ違う人はじろじろこちらを見ていたが、この素晴らしい桜をモナとその家族に見せたい一心で、恥ずかしさをこらえて、祭りを実況中継した。
以前から日本の桜を見たいと話していたモナは、満開の桜に興奮しているようで、しきりに、生で見たいと話していた。和太鼓の演奏も珍しいものの一つである。そして神輿も、モナやベルは当然初めて見る。フィリピンにあるPCの前で、モナ、ベル、そして家族が興味深くそれを見ている様子を感じ、初めて日本の文化をまともに紹介したことに気がついた。日本人が家族に加わった以上、僕のバックボーンを様々な角度から理解してもらうことはとても重要なことである。ちなみにお土産用に桜の花びらを20枚ほど拾い集め、今乾燥させている。
来年は是非家族そろって、その通りを歩きたいものである。
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