フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年02月01日

84.打破できない閉塞感

どうも日本の景気が回復する兆しが見えない。一時は上向き兆候も見え隠れしていたのだが。僕が所属している会社も決して楽ではないが、苦しいのは会社の規模に関係なく、どこも同じようである。先の見通しが立たないという点で、事態は深刻なようだ。

図体の大きいメーカーは、昨今のデフレ傾向で製品単価が下がるために、作っても儲からない状況のようである。
製品単価を下げなければ売れないから仕方がないが、問題はそれを不景気のせいだと思い込んでいる節があることである。一介のブロガーが難しそうに論じるような軽い話題ではないが、敢えて少し述べてみると、今のデフレ傾向は、日本人に欲しいものがなくなっているからに他ならない。既に欲しいものを、ほとんどの人が手にしているから、安くなければ現状動いているもので極力我慢しようということになるのである。先日の「82.フィリピーナと携帯」という記事に書いたような、欲しいから衣食住費を多少犠牲にしても買いたいという、そんなステージを日本はとっくの昔に終了しているのだ。だから昔の路線で経済成長しようとしても、少々無理がある。
こんな単純な理屈は、頭の良い会社のお偉いさんはとうの昔に分かっている。それを承知で何とかしようと思っていても、どうにもならない問題が多くありすぎる。

会社は株主のものだから、株主に利益を還元しなければならないという理屈が、いつのまにか経営理念の王道になっている。それは嘘ではないが、それが行き過ぎるとどうなるか。儲かるか損するかはわかりませんが、絶対に面白い仕事ですと言っても、会社の承認が下りなくなる。株主に損害を与えるような仕事を採択することはできないとなる。会社の技術の蓄積になるから取り組ませてくれと言っても、最後は儲かるか儲からないかという杓子定規で判断され、気が付くと新しい技術が何も無いという話になる。
そして技術屋・企画屋を中心とした社内のモチベーションが一気に下がり、負のスパイラルへと突入する。
提案型の仕事が通らないとなれば、手持ちの駒で、自分が首が繋がるようにがんばるしかない。大方は雇われの身であるから、必然的にそうなる。古い技術はもともと儲けが少ないから、とにかく穴をあけないように、もぐらたたきのような仕事になる。それだって労力が必要だから、結局汗水を流さなければならない。特にデフレに対する対応策を日々考えておかなければ、売り上げが急降下してしまう。
先日発表された、液晶TVのバックライトにLEDを使用し、消費電力を40%にするという話も、その一環である。付加価値を高めて、価格の下落に少しでも歯止めをかけたいという狙いが込められている。

こうやって日本人の優秀な頭脳が、未来の発展のためではなく、現状維持の大半へ振り向けられている。それが今の日本の大きな流れである。

日本を代表するブランドメーカーのある会社が、その最たるものであった。専門外の外部役員を大量に迎え入れ、そんな経営を何年かやってみた結果どうなったか。先ほど述べたような状態になり、世界にその名を知らしめた技術力が地に落ちた。社内の上級職の人間が実際に嘆いている。
一般消費者としてみている限りは分かりづらいが、仕事を通して内部に精通すると、それを肌で感じるくらいであるから深刻である。

いつぞやの記事でも書いたが、日本の企業は固定費が高すぎて、販売している製品を安くできない。海外の企業は、中国の激安製品と必死に戦っている。それに対抗するために、社員の首を切って、固定費を下げている。そのやり方はとてもリアルである。製品単価を2割下げたい。そのためには固定費を2割は下げたいから、人員にして○○名の首を切らなければならない。だから事務職を中心にリストラを実行する。そんな素人にも簡単にわかる理屈で会社をスリム化している。それでも追いつけない会社は、会社をたたんでいる。そこには仕事量と人員を比較して、余剰があるとかないとかそんな議論はない。首を切らなければ死活問題だから、人手が足りなくても首切りありきで仕組みを見直す。

それでも中国製品に対抗するのはかなり厳しい。それは中国の通貨である元(げん)の為替レートを、中国政府がコントロールしているからである。現在元は、USD(アメリカドル)に対するレートが実質固定されている。切り上げされる噂が3〜4年前から飛んでいたが、未だに実行されていない。
日本も1ドル200円や300円だったら、海外では割安感のある価格で販売できる。現在のレートでプライスダウンをすると、ダンピングとなり課税対象にもなるので、やはり為替レートがベースで販売価格が決まってしまう。
(国内で10万円で販売しているTVがあるとする。もし1ドル200円であれば、アメリカでそのTVを500ドルで販売することになる。これをもし300ドルにプライスダウンして販売すると、不正なダンピング行為とみなされる)

韓国の代表格家電メーカーは日本をお手本にして、見事な戦略を展開している。まだまだ色々な物が欲しい人がいる国に現地法人を展開し、安い賃金で現地人を雇い、その地にマッチした製品を現地で開発している。その地のニーズは、見栄え、機能、価格で照らし合わされる。どんな物が売れるかは、現地人が一番良く心得ているのである。
その際販売数量は小さくても気にしない。少量でも将来の布石として構わず開発と製品化を進める。今は投資できるお金があるのだから、すぐに元が取れなくても良い、長い目で回収すれば良いという考えに基づいている。だからアフリカの聞いてもよくわからない国にまで、それを展開している。そんな所は、製品の販売数量が千台に満たないそうであるが、全く気にしていないようである。気にならないのは、足元ではなく遠くを見ているからだ。今の日本とは全く逆の発想で、この戦略が功を奏しており、着実にシェアを大きくしている。
最近はそのメーカー、太陽電池に取り組んでいるそうである。それ関係の日本の技術者も、相当流れているという噂を聞いた。終身雇用など関係ない海外メーカーは、技術を習得するまでの期間と割り切って、高給で日本のエンジニアを雇い入れる。技術を習得すればポイ捨てだが、それは技術を売り渡す方も納得済みだから問題はない。半導体もまさにその方式で、韓国は日本に追いつき追い越した。つまり太陽電池関係も、日本にとって韓国は目の上のたんこぶとなる。日本におけるこれからの目玉商品の一つの牙城が、離陸前に既に脅かされている状況である。

ある大手家電メーカーでは、水面下で安物を作るプロジェクトが進行している。さすがに現状に気付いているのだ。
最終的にどのような形でそれを実行するのか詳細はわからないが、品質基準を大幅に下げるようである。例えば消費者に見えない部分の傷などはどうでも良い。重箱の隅をつつくことはしないというのが前提らしい。そして設計ポリシーも大幅に変更するらしい。

このような具体的な話を聞くと、少し安心する。難しいながらも挑戦をすれば、日本人は何とかする。これまでもそうであった。
戦後の日本の技術レベルは、ヨチヨチ歩きの赤ん坊のようなものだったはずである。しかし持ち前の真面目さと情熱でレベル差をカバーし、最後は技術の差も完全に埋めてしまった。
要は考え方と気持ちの問題である。そこに問題があるうちは、日本は蓄えた金をしばらく食いつぶすだけとなる。わかっていても何もせずに指をくわえていたら、それも同じことである。

それにしてもフィリピンにいると、酷い国だなぁと思いながらも、こんな深刻なことは考えない。肝心のフィリピン人も、僕以上に考えていない。
それは国民性もあるが、良く考えてみると、フィリピンは失うものが日本に比べて圧倒的に少ないのだ。どちらかというと、早く気前の良い日本に元気になってもらい、またお金をたくさん援助してもらいたいと思っている。世界に元気になってもらい、出稼ぎ労働者が稼ぐ外貨が、もっと増えて欲しいと願っている。このお気楽体質は時として羨ましい。

失うものが多いということは、中々辛いものである。

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2010年01月31日

83.静電気体質

僕は極度の静電気体質である。静電気体質という言葉が正しいかどうか怪しいが、とにかく帯電しやすくて、どこにでも放電しまくる体質という意味だ。
会社のオフィスで少し歩き回るとドアにパチ、車の乗降時にパチ、ホテルのエレベータのボタンにパチっと頻繁に放電しまくるので、とにかく何かに触るのが怖い。フィリピンでは決してこんなことはないから、乾燥した冬の日本は僕には合わないといつも思ってしまう。

おかげで着る物や履くものにも気を使わなければならない。衣擦れで静電気が発生するので、着る物はできるだけそうなりにくいものを選ぶ。最近の化学繊維はほとんどだめなので、できるだけ綿製品を着る。ジャンバーの裏地がかなり問題で、これは普段着用していて、パチッとこないものを経験的に選ぶ。靴も同様で、あらかじめどれが良いとか悪いとかは分かりにくいので、経験的に選択をする。
靴は体にたまった静電気を地面に逃がしやすいものとそうでないものがある。当然電気を逃がしやすいものがよい。逃がしにくいものは、体にじわじわと電気がたまっていくことになる。オフィスではスリッパが問題だ。静電気を逃がさず、逆に床とのこすりで電気を発生するものはだめだということになる。
そして静電気で痛いおもいをする服や靴は、もったいないがほとんど使わないということになる。

会社でドアの前に立ち尽くす僕を見て、Iさんが「何してるの?」と訊いてきた。
「いやぁ、静電気が怖くて、ドアがあけれらないんですよ」と言うと、Iさんが自分の机をごそごそやり始めて、「はい、これあげる」と、小さな金属スティックが付いたキーホルダーを僕の前に差し出した。
「こ、これはもしかして・・・」
「そう、これ持ってると、静電気で痛いおもいをすることはなくなるはず・・・」
「はず?・・・はずですか・・」
「そう、はず。絶対になくなる保証はない」
「しかも持ってるだけ?」
「そう、持ってるだけで大丈夫」
「持ってるだけでですか・・・」

僕がずっと前から、持っているだけで静電気ショックを緩和してくれるというものを不思議に思っていた。僕は電気の専門家であるが、それだけは理解不能。いや、専門家だからこそ理解できないと言った方が、正しいかもしれない。つまりこの手のものは理屈と照らし合わせてもわからないので、信じられないのである。だからこれまで、一回も購入したことはなく、試したこともない。

静電気がゆっくりと空中放電して、体に帯電した電気がなくなるとは一体どんな理屈なのか。
僕はかなり遠い昔、その製品を見て電気が空中を飛ぶ?ということを連想した。しかし僕の頭の中では、少なくとも「電気は空を飛ばない」ものである。
かつては電力を安全に、電波のように飛ばせないかと真剣に考えた時期があった。コンセントが不要になり、家中を電気が飛びまくっているという生活である。それができたら大発明で大金持ちになるぞとあれやこれやと妄想していたが、最後は断念した。そんなことを真面目に考える方がアホである。実はこれは、理屈では実現可能だ。しかし効率と人間に与える影響が問題となる。

電気は飛ばないと言ったが、雷のような高圧放電は別である。高圧放電は学生の時に実験したことがあるが、週間漫画本を5冊くらい重ねても、電気はそれを簡単に突き抜けて電極から電極へと走る。
もちろん静電気も空中を飛ぶ。でもそれは、あくまでもパチッという音を鳴らして瞬間的に飛ぶという、普段自分を悩ませている現象に限る。
しかしそれを持っているだけで、緩やかに体に蓄積された静電気が気中に放電されるという現象はいくら考えてもわからない。問題は霧散する先が気中というところである。電気(電流)は流れる場所があって初めて流れるものだからだ。消えた電気は一体どこへ行くというのか。

工業製品として売り出されているのだから、限りなくいんちきに近いとしても、何らかの理屈があるはずである。おそらくいんちき理屈は、イオンが絡んでいるだろうことは想像できる。絶対に何らかの理屈があるはずだ。それがなければただの詐欺になってしまう。

とりあえず僕はせっかくの好意を無にしてはならないと思い、Iさんからそれを受け取って手の中でもんでみた。そしてそのままそれを持ってドアの前に立ち、Iさんを見つめながら、恐る恐るドアノブに手を伸ばした。Iさんも固唾を呑んで見守ってくれている。次の瞬間、パチッ!

「お〜、いたい。Iさん、これ、効かないようですけど・・・」
「おかしいなぁ、一応効くって書いてあったんだけどなぁ」と言って、Iさんは再び机をごそごそやりだした。僕は心の中でやはり予想通りだったと思いながら、「もう怪しげなものは探さなくていいんですけど・・・」とつぶやいていた。
そんな僕をIさんは無視して「あ〜、あったあった。これこれ。これはいいよ」と、今度は黒いゴムのような小さなへらがついたキーホルダーを出してきた。

「これは接触式だから大丈夫」と、Iさんはそれを持った右手を差し出し、左手は禿げ上がった頭に手をやりながらニコニコしている。
「そう?もう痛いおもいをするのはいやですよ」と言いながら、僕は疑心暗鬼でそれを受け取り再テスト。今度はいつも激しく放電するドアノブで大丈夫だ。しかしまだ安心はできない。なんせ僕の体にたまっていた静電気は、3分前にすでに思い切り開放されているのだから。
しかしそのゴムへら、結構調子が良い。原理も分かりやすい。ある程度抵抗を持ったものを通して金属に触ると、体に帯電した静電気が緩やかに放電され、あの忌まわしい電気ショックが無いというもの。知っている人には当たり前の原理である。

それ以降、僕はそのゴムへらを手放すことができなくなった。ドアを開ける前にそれが無いと、必ず探して手に持つ。そしてそれを通してドアを触ってからドアを開ける。
まったく忌々しい手順だが、痛いおもいをする回数は圧倒的に減っている。

静電気は意外な場所に飛んだ時こそ、ショックが激しい。例えば何かの拍子に指を指したら、たまたま前の人の背中に飛んだなどという状況である。その場合、一見加害者は僕になるのだろうけれど、どちらが持っていた電気がどちらに飛んだのか、実はわからないのではないかと思っている。このケースではどちらにも相当ショックがくる。とりあえずただ背中を向けていた人には、僕の方から済みませんと謝る。そんなことが数回重なると、人は僕に近づかなくなる。僕は電気人間として、危険人物扱いとなるのだ。

僕は時々人差し指をIさんのテカッている頭に向けて、「放電実験をやってみてもいいですか。よく飛びそうな気がするんですけど」などと言って笑っているが、半分は本気でどうなるかについて興味を持っている。脳みそに近いあたまに静電ショックを与えたら、きっとしびれるのではないかと思っている。もしかしたら、指先くらいはIさんの意識とは別に、ピクッと動くかもしれない。もしそうなら、それを突き詰めると電気信号で人間の動作をコントロールすることができる。髪の薄い人間兵器の出来上がりとなる。名づけてファイナルウェポンカルボ(禿げ)である。


かつてモナが横浜にいたのは冬であった。二人でよくホテルに泊まっていたが、ホテルの中に敷き詰められている絨毯は、ものの見事に僕を帯電させる。だからエレベーターのボタンは、必ず彼女に押させていたのだが、僕がどこかで放電しないと彼女自身が僕の被害者になるので、彼女は次第に僕の言うことを聞かなくなった。彼女も経験から学習するようである。
最初は彼女も、僕の静電気体質を驚いていた。初めて静電気が飛んだときには、彼女は何が起こったのかを理解できていないようだった。そのうち、僕が発電機になるのではないかと、彼女は真面目に信じるようになった。「その電気、もったいないなぁ」と本気で話していたが、フィリピンの頻繁にある停電を経験した今の僕は、その言葉の意味を心から理解できる。

僕がホテルを選ぶ際は、静電気放電が少ないというのが一つの基準である。これはホテルによって差がある。特にエレベータは、何が違うのか知らないが明らかにホテルで違いがある。この件に関しては、安い・高いは関係ない。5スターでも、よく飛ぶホテルはあるし、3スターでも飛ばないホテルは飛ばない。
それにしても外人が多い4や5スターは、帯電防止絨毯などを使用して静電気対策を徹底すべきだ。外人さんもエレベータのボタンに放電し、「アウチ」とか「オー」などと言って驚いている光景に、よく出くわすからである。

そんなわけで、今日もゴムへらを通してあちこちに触っている。
知らない人が見たら、変なおじさんだと思っているかもしれない。

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エントリー:83.静電気体質
2010年01月30日

82.フィリピーナと携帯

昨年クリスマスとして、モナが僕に携帯を買ってくれたことは、以前の記事でちらっと書いた。
僕は携帯など、メッセージが送受信できてあとは話ができれば良いと思っている。カメラは不要、ややこしい機能は使い方をかえってややこしくして面倒なので、できるだけシンプルな物が良いと主張し、一番安い1500ペソの、少しボディーがぼてっとした昔ながらのノキアの携帯を希望したが、モナはそれじゃあかっこ悪いからと言い、その倍ほどの価格の携帯に落ち着いた。
買ったのは結局カメラはついていない。FMラジオが聴けるので、それは気に入っている。液晶は少し大きめのカラーで、ボディーは薄型・軽量である。

少し大きめの液晶には、傷防止用のフィルムが貼られていた。携帯に限らず、液晶を使用したものや、傷がつき易い製品の大半は、傷防止用のフィルムが貼られている。それは日本でも同様である。

モナは自分の携帯やパソコンについているそのフィルムを、決して剥がさずに使用する。 僕はそのようなフィルムは、あとで皺が寄ったり、端がめくれてぴらぴらするので嫌いだし、特に液晶部分は画面が見づらい気がして嫌であった。だから彼女の携帯やパソコンのフィルムを「そんなもの剥がせよ」といつも話しているのだが、モナは絶対に剥がさない。
あげく僕に買ってくれた携帯に貼られているフィルムを僕が剥がそうとしたら、それも絶対にだめだと言う。しかもズボンのポケットに携帯を入れると傷がつくからやめなさいなどと言い始めた。

「ポケットに入れないと、出かける時にはどうすればいいの?首にぶら下げるか?それはひったられるから、危ないでしょ!」
「鞄に入れたらいいでしょ」
「だっていつも鞄なんか持ってないよ。それにこのフィルムは邪魔だよ。剥がしてもいいでしょ」
「だめ」
「なんで?これは売り物に傷がつかないようにするためにあるんだよ。買ってから剥がすのは、持ち主の勝手だよ」
「それ取っちゃうと、スクラッチ(傷)になる」
「いいじゃないの、少しくらい傷がついたって。使ってるんだから傷はつくよ」

人生の話で、人間生きていたら、必ずその足跡が残ると書いたが、携帯だって使っていたら、その足跡が残ってしかるべきだと僕は思っている。そして製品とは、それが持っている機能が必要で購入するわけだから、傷がつくことを気にして使用したり、液晶のように見づらくなるのを承知で使用するのは、僕は我慢できないのであった。気持ちの上で、自由奔放にそれを使いたいのである。そうでないと、それを手にした喜びが半減するような気がしてしまう。

僕はとうとう我慢ができなくなり
「これ剥がすよ〜。いい?いくよ」
とモナに宣言をした上で、「えい!」という掛け声と同時に、モナが見ている前で勢いよくそのフィルムをいっきに剥がした。

「あ〜あ、傷がついてもしらないから」
「いいよ。僕は傷がついたって気にしないから」

モナは特に怒ったわけではなかったが、少しがっかりしたように僕の携帯を見ていた。
「なんでそんなに傷がつくのが嫌なの?」
「だって傷ないと、新しいみたいでしょ」
「だけどさあ、たくさん使ったら新しくはないんだから、新しいみたいじゃなくてもいいじゃない?」
「わからない。でも新しいみたいがいいよ」
「なんかナンセンスだなぁ」
「そう?」

この議論は平行線である。お互いの好みの問題でもあるから、特に自分の意見を相手に押し付けたいわけではなかった。だからエキサイトすることもなく、話はすぐに終了した。

しかし僕はこのことで、色々と考えていた。そう、思い出したのだ。
僕がまだ中学生の頃、ずっと憧れていて欲しくてたまらなかった大型のステレオカセットレコーダーをようやく手にした時に、操作パネルの部分に貼ってあった保護用フィルムをずっと剥がすことができなかったことを。
腕時計の文字盤の上に貼られたフィルムも、剥がすのに勇気を必要とした記憶までが蘇った。
今であればほとんど気にせずにそんな物は剥がしてしまうが、実は僕も昔は同じだったのだ。
モナがフィルムを剥がさないのは、そこ頃の僕と同じ心理状態からくるものなのだろうなと思ったのである。それは、その物を大切にしたいという気持ちの表れであったような気がする。こんな高級品は、簡単には買うことはできないという気持ちが、自分をそうさせていた。そして購入したものを新しい状態で維持しているうちは、それを買った喜びも持続できるような気がしていたのだ。
日本でも、新車を購入そた人が、車のシートについているビニールカバーを剥がすのが嫌だという人がいる。中には、一週間はそのビニールカバーをつけたまま載るという人もいた。きっとモナの心理は、それと同じことである。

僕はいつの間にか、実はそうではないのに、いつでも何でも欲しいものは買うことができるという気になって、そんな気持ちを忘れていたのかもしれないなどと考えていた。

しかしふと気が付いた。フィリピーナにもそんな殊勝な気持ちがあるのかどうか。
「あれ?そう言えば、あなた携帯を3個もってるよねぇ」
「オッオー」
「それでも新しい携帯が出たら、また買いたくなるの?」
「オッオー。だって新しいモデルの方がかっこいいでしょ!」
「それじゃ、もし新しい携帯を買ったら、今使ってるのはどうするの?」
「これはママやダディーやジンにあげるよ。だってみんなの携帯、古いタイプだから」

そうなのだ。不思議とフィリピーナは、携帯のモデルにはこだわりがあり、新しいモデルが発売されると、それがどんなに高くても、結局買いたい病になってしまうのである。
モナはi-phoneだって持っている。


かつて工場に出張に行くと、作業員の女性たちがみんな携帯を持っていることが不思議でならなかった。当時携帯は、安いものでも日本円で2〜3万円はしたからである。作業員の女性が持っているものは、少なくとも一番安いタイプではなかった。彼女たちの給料は、残業代込みで月に2万円〜2万5千円である。家が大変だからと、朝6時から夕方6時までの拘束時間がある仕事につき、更に残業を進んでやり、しかも週に一日しかない休みの日曜日には、家の畑の仕事を手伝うという生活ぶりの彼女たちが、月給よりも高い携帯をみんな持っているのは、本当に理解できなかった。しかも彼女たちは、そんな高い携帯を買っても通話は高いからと電話はしない。誰かと連絡を取りたいときには、ほとんどショートメッセージ(SMS)を使う。
わからないことだらけであったが、とにかくどうやってそんな高い携帯を手にしているのか、まずはそこが不思議だった。

そのからくりは、しばらくしてから判明した。携帯を売る業者が、工場の前で出張販売をしていたのである。おそらくその業者は、会社の了解も取っていた。
そして会社の従業員に、ローンで販売していたのである。ローンの支払いは、サラリーから天引きという形を取っていたので、会社もグル(この言い方が適切かどうかは微妙)になっていると思ったのである。会社の誰かがバックマージンをもらっているのではないかと僕は疑っていた。
いずれにしても携帯販売業者は、いいところに目をつけたものだと思った。売りつける相手は少なくともサラリーのある人間なので、会社と組んでローンを組んでも代金の回収不能に陥るリスクが小さい。比較的安心して、大量に携帯をさばくことができる。何せ従業員数は半端な数ではなかったからだ。

現地のフィリピーナは、そこまでしても携帯に固執する。ニューモデルや普通は手が出ない携帯は、持っていて自慢になるのだろう。自己満足感も、相当なものだと思われる。なにせ月給よりも高いのだから。そんな想いをして購入した携帯に、あっという間に傷がついて古臭くなったら、それはたまらない。

さてモナの場合、彼女は家族の為に一生懸命働いてお金を稼いできた。i-phoneを購入した時には、それはがんばった自分への褒美だと言っていたように記憶している。

フィリピーノ(男性)は、それほど携帯にはこだわりが無いように見える。フィリピーナとは対照的だ。フィリピーナが携帯にこだわるのは、やはりがんばっている自分への褒美なのだろうか。
多くのフィリピーナは家族のためにがんばっているのだが、自分が家族の犠牲になっているという意識がどこかにあるような気がする。自分への褒美は、そんな自分をそうやって慰めているような気がするのである。
フィリピーナにとっての携帯は、どうやらそんなアイテムらしい。フィルムを剥がしたくない気持ちが、少し理解できるような気がした。

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