フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年01月24日

78.最近多忙

ここ2〜3日イーモバイルの端末が繋がらず、家に帰るとインターネットが使用不能になっていて困っていた。ちなみに料金未払いで使えないということではない。端末は会社の物で、きちんと支払いはされている。
仕事中はブログ関係の内職をする暇もなく、よって最近はブログの更新もままならないので、なんとかせねばならないと焦っていたのだが、結局自分が端末の使い方を誤解していたことがわかった。最初は使えていたのだから、いつの間にか勘違いしていたようである。
使い方といっても単純で、端末の電源の入り切りボタンを間違えていたというもの。全くお恥ずかしい限り。

最近は仕事が終わる時間が遅い。家に帰りつくのは毎日夜中の12時過ぎで、ベッドに入るといつ寝たのかわからないくらい、すぅーっと吸い込まれるように夢の世界へと入っているようだ。だから朝起きたときに、何時にどのように眠りについたのか全く記憶がない。目覚めると、ほとんど毎日ノートパソコンとめがねが、自分の傍らに無残に転がっている。それだけ疲れているのだろうか。
土曜日も先週、今週と出勤し、明日の日曜日も仕事となった。まあどのみち仕事をしなければ暇な身なので、そのことはたいして苦にはなっていないのであるが。

現在たちの悪いお客と付き合っている。
先日そのお客さんとミーティングをした。そのお客との仕事は、ようやく一区切りついて、今そのまとめをしている段階である。
相手はしきりに次のステップも一緒に仕事を継続して欲しいと言い、こちらはできれば断りたいと思っている。なぜかというと、その仕事が新しい試みで非常に難しい内容であり、先方は共同開発をしようと持ちかけてきたにも関わらず、その実こちらを自分たちの下僕だと思っている節があるからである。自分たちは天下の○○会社だという態度が見え見えであった。自分たちがよくわからない部分について、それを少しは知っている我々にやらせたいのであるが、しかしこちらが彼らの手足としての分をわきまえておかねば、先方は気に入らない。こちらから生意気な提言は許されないのである。お互いの分野が絡み合い、時にはお客に考えてもらわなければならないところも出てくるが、彼らは自分たちが納得しなければ、いや、時には気分で、こちらにがんばってやれと言う。客の手足になる仕事は大いに結構であるが、仕事の内容で理不尽なごり押しが多く、しかも彼らの思いつきでこちらの仕事がどんどん増えるため、昨年からその仕事に取り組んでいたメンバーのモチベーションがすっかり下降してしまっている。この仕事は、最初にきちんと見積もりを出して、それでスタートした請負仕事だったから当然である。

一昨日のその客とのミーティングは粘りに粘られて、終わったのが夜の11時近くになってしまった。急遽に昨日も延長戦をしたいと相手に粘られ、彼らは昼過ぎに再び押しかけてきた。僕は短期決戦で日本へ帰ってきているので、実は意外と忙しい。片付けなければならない仕事が山積みになっているから、本当はとても迷惑な話であったが、とりあえずしつこいので付き合った。そして遠まわしに、仕事を継続するための条件として、態度を改めて欲しいということ、そして追加の作業はお金を請求すること、さらには作業担当者に直接連絡を取らないことなどを念押しし、しかも次の仕事の見積もりは遠慮せずにはじき出すので、気に入らなければ他をあたってくれとまで言って、とりあえず継続する方針を示した。もちろん値引き交渉には応じないことにした。
こうして書いてしまうと淡々と進めているように感じるかもしれないが、実は結構神経をすり減らしながら対応している。この手の協議はほとほと疲れるものである。

最近忙しいのは、具体的な設計仕事に、前述したようなマネージメントに近い仕事とフィリピンで現地法人を立ち上げる仕事が重なっているためである。
現地法人の名前と僕の名刺に書き込む役職がManaging Directorと決まった。もっとも、社員が一人もいない会社であるから、MDなどと名刺に書くのはかえって恥ずかしい。とりあえず社長からそれで名刺を作れと言われたので作るが、その名刺を相手に出しながらちょこまかと自分が動き回ることになるので、少し滑稽でさえある。

次のフィリピンへのフライトは2月1日でほぼ決まりとなっていたが、それがお客の都合で急遽取りやめになった。
最近はフィリピンへ帰国するという気分であるが、できるだけ早く帰りたかった僕としては、帰る口実を失い、いささか消沈ぎみである。当初は2月4日にマニラでモナと合流する予定だったが、それも流れて彼女もがっかりしている。2月の中旬、おそらく15日からはセブで仕事があるために、その前までにフィリピンへ帰る予定だが、マニラでの合流がなくなったので、モナはセブに付いて行くと言い出している。
セブでの仕事は一週間。それが終わったら少しフィリピンで少し休養し、それから再び日本へ戻ることになりそうだ。それも少々気が重い。

本来は2月5日に、マニラにて、会社設立に関する相談をある方にする予定であった。登記するオフィスはマカティにしようとほぼ決めてのことだった。と言っても、実際に僕の住む場所がすぐに変わるわけではない。登記上の事務所として、取りあえずマカティーのオフィスを借りるだけである。そのようなやり方が許されるのかどうか、それも含めての相談となる予定だった。本当は、僕はいつも大渋滞しているマカティーが苦手である。だからオフィスはマカティー以外にしたいのであるが、しかしそこに都合の良い安い貸事務所があったから仕方がない。そしてその後に、フィリピンの証券取引所へも伺う予定だった。
フィリピンへ帰る大きな口実がなくなったせいで、僕は日本での仕事に縛られ、すぐにフィリピンへ飛び立つことができない。よって色々な予定も順送りになってしまうので、気勢をそがれる格好となっている。

現在フィリピンでの会社設立に際して、ついでに色々なことを確認している。例えば僕の就労ビザであるが、これは必要らしい。フィリピン大使館で言われたことなので、ほぼ間違いないと思われる。これを取らずに所得がある場合は、不法就労で日本へ強制送還の対象となるそうだ。しかし実際には、それを取得したくてもできない実態があると教えてくれた方もいるので、その辺りが一体どのようになっているのか、来月はそれも確認をするつもりである。
そしていよいよ日本の住所を抹消することになっているが、現在のように日本から給与をもらいながら海外に住所を移すとなると、所得税は最低20%は取られるそうだ。とすれば現地の会社を設立し、そこから給与をもらうことにすれば良いのだが、そうなると年金や保険は日本のシステムから切り離されてしまう。僕はまだ年金を25年支払っていないため、ここでやめると将来年金がもらえない。あと少しなので、それも考慮しながら手続きをする必要がありそうである。
具体的に詰めていくと、色々と厄介な話になってくる。

ちなみに健康保険は、フィリピンで支払ったものを日本へ申告すると、日本の健康保険が適用になりお金が戻ってくるそうである。多少返金までに時間がかかるらしいが、海外での治療費に日本の健康保険が使えるというのは意外な話である。

以前海外出張時には、いちいち海外保険に入っていた。費用はもちろん会社もちである。一度だけ中国で大学病院に通ったことがあるが、そのときには現地で一銭も支払わずに済んだ。保険関係のサポート部隊が現地に駐在していて、自分をホテルでピックしてくれ、病院に連れて行ってくれ、診療ではその駐在員が医者の話を通訳してくれ、病院の窓口では支払いを立て替えてくれ、日本への請求書類も全部その人が代行してくれる。もちろん帰りもタクシーでホテルまで送り届けてくれる。それらの費用も一切こちらは支払う必要はない。至れり尽くせりで、こちらは何も心配はいらない。もしかしたら水増し請求などもあるのかもしれないが、とりあえずそれは、こちらの知ったことではない。今考えると、ずいぶんと手厚く至れり尽くせりの保険であり、素晴らしいと言うほかない。

現地で会社を立ち上げ、その社員としてその会社から給与をもらうことになると、その後の社会保障はフィリピンのシステムに組み込まれることになる。それが良いものなのか、それともあまりいただけないものなのか、今の僕には良くわからない。ただし年金だけは、日本のものを何とか最低年数はかけたいものである。もし将来、日本の年金制度が破綻していなければ、日本ではすずめの涙程度の支給でも、フィリピンでは決して安くない金額となるはずである。
フィリピンにも年金制度はあるが、どのような仕組みになっているのかよくわからない。モナの祖母が、現在一ヶ月に2000ペソの年金をもらっていると聞いている。2000ペソではまともな生活はできないはずだ。そして年金に関しては日本も破綻寸前、いや、既に破綻しているとっても過言ではない実情にあるが、経済基盤が弱く政治情勢も安定していないフィリピンでの年金は、如何なものだろうか。そして社会保険への加入は、サラリーマンは日本のように避けて通れないものなのだろうか。それも来月のミーティングでは確認事項である。
いずれにしても会社内では、年金の受給資格年数に達するまで、日本でかけた方が良いと言われてはいるのだが、それが許されるのかどうか微妙である。ただし国民年金であれば、それだけを個人でかけることは可能かもしれない。そんなことも調べなければならない。
とにかく会社員の身分で海外に移住というのは、いろいろと面倒なことがあるわけである。

こんなことを調べて考えながら日本で仕事をしていると、やはり神経が磨り減る。フィリピンとは大違いだ。寿命が縮まるというものである。これは冗談ではなく、本気でそう思っている。
早くフィリピンに帰りたい・・・。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:78.最近多忙
2010年01月20日

77.ユリが暴れる

モナが生まれて2ヶ月のユリに手を焼き、根を上げ始めている。抱いて歩き回らないと泣き止まないために、疲労が蓄積しているようだ。今日はものすごく頭が痛いと話していた。
もう6kgの重さになったユリは、ずっと抱いていると腕や背中が痛くなるとこぼしていた。
子供が泣き出すと、夜中でもなんでも起きて対応しなければならないので、モナは睡眠時間が不規則になりいつも眠いと言っている。今日は、僕がフィリピンへ帰ったら、ミルクだけは自分があげるが、それ以外の時間は一日だけ休みが欲しい、いいですか?と訊かれたので、もちろんオーケーだから、とにかくがんばれと伝えた。

フィリピンでは子供を本当に大事にする。赤ん坊は少しでも泣くと、可愛そうだと言ってすぐに抱く。
大事にするのは良いが、とにかく過保護である。暑いフィリピンで、子供が寒いと可愛そうだからと毛布でぐるぐる巻きにしたり、外へ出かけるときにはニットの帽子をかぶせたりする。「それ暑すぎない?」と言っても、今日は寒いからと、そのようなケースでは僕の意見はほとんど受け入れられるためしがない。陽射しが強い、もしくは雨が降りそうだというだけで、外へ連れ出すのは厳禁である。ユリを抱いて外を散歩しているときに雨が降りそうになると、まるで竹槍の雨でも降ってくるようなあわてぶりで、早く家に入れなさいとベルの伝令が飛んでくる。あまりにも雨に対して神経質なので、僕はフィリピンの雨には放射能が含まれている心配でもあるのかと疑っていたほどである。

寒い・暑い・蚊がいる・外はばい菌が多い・・・と、とにかくイラつくほどに過保護で、そんなことを言っていたら何もできないではないかと、先が思いやられる想いである。
この調子で甘やかして育てたら、かえって弱い子供になるのではないかと心配にもなる。
ベルが我侭に育ったのもうなづけるというものだ。ただしその反面、ベルにはハッとするような優しさもある。無限大の優しさに触れて育つと、そんな気持ちも育つのかと興味深く考えることもあるのであるが。

いずれにしても体の面で言えば、無菌状態で育てられた子供は耐性が育たず、心配である。もちろん普通に保護をして、普通に大事にすれば問題ないと思うのであるが、あまりにもママやモナが神経質になるので、僕は時々反発したくなり、「少しくらいばい菌に触れた方がいい」「子供は一ヶ月を過ぎると体温調節機能が働きだす」「まだ母親の免疫を持っているから大丈夫だ」などと言ったりもするが、馬の耳に念仏状態。

僕はもう一点、最初から心配していることがあった。それはモナの精神的負担である。あまりにも神経質になると、結局は自分の首を絞めることになるということである。

日本では、赤ん坊が泣いたときにすぐに抱くと抱き癖がついて、いつも抱かなければならなくなるから、そんな癖がつかないように、泣いても放っておいた方が良いなどとよく言われる。
僕はインターネットで色々調べたが、それは嘘で、愛情が欲しくて泣いている子供をいつも放っておくと、子供が訴えることを諦めるようになり、人格形成に影響を及ぼすという説が有力なようだ。訴えることを諦めた子供は一見大人しくて良い子に思えるが、それは場合によっては危険信号の一つであるという。僕もその説には賛成である。
そして同時に、日本でそのように言うのは、母親の精神的負担を軽減するための方便だという話も多く目にした。僕も子育てには、その程度の図太さがあった方が良いのではないかと思うのである。

だから子供があまりにも寝付かないときには、少し泣かせてユリを疲れさせた方がいいと話していた。疲れた時に抱いて寝かせてあげれば、子供は深い眠りに入る。子供は泣くのも仕事だから、たまには放っておけと言っている。
しかしほんのわずかの時間でも泣いているユリを放っておくと、すぐにモナのママがやってくるのだ。そしてユリを抱き上げ、少し抱いてから泣き止んでも泣き止まなくても、結局こちらに手渡される。

僕はモナに、よく次のような話をしていた。
「ママはベルやユリには責任がない。責任がないから、それだけ可愛いんだ。可愛がってさえすればいい。でもそれはママが悪いんじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃんというのはそういうものだよ。それはどの国でも同じだ。だからベルやユリの子育てについて、全てママの言うことをきいていちゃだめだよ。親として責任があることは、ママと意見が違っても、子供に対してきちんとしなくちゃいけない」

そして今のユリに対するあやし方も、少し自分の楽な方法でやってみた方がいいと話していた。最初モナは、ママが言うからではなく、子供が泣いていたら可愛そうだから抱いてあげるんだと言っていたが、最近ではあまりに疲れる時には、少し泣かせてから抱いているようである。それだけモナが疲労してきているのだ。
そしてママも、あることがあってからあまり口出しをしなくなった。

ユリがどうしても泣き止まないので、僕はわざとママにユリにあずけて、モナと外へ出てしまった。ママは大変になってもユリを返す相手がいないので、しばらくがんばってあやしていたようだが、何をやってもだめなのでユリをベッドに置いたようだ。そして僕たちが30分後に家に戻ると、
「この子はベルの赤ん坊の頃とぜんぜん違う。どうやって大事にしていいかわからないなぁ、難しいよ」
と言った。

まだユリが泣きつかれて眠るほど放っておいたことはないが、ある程度泣かせてから抱いてあげると、ユリが寝付いたときにベッドに置いても、彼女はすぐに起きないことがわかってきた。ある程度疲れると、眠りが深いようである。

モナもママもあまりにも神経質にユリを扱っているから、適当にやれといった方が丁度良い。モナはユリが言うことをきかずにいくらイラ付いても、それを子供にぶつけることはないのでその点は安心である。


それにしても子供をあれほど大事にするのは、やはりフィリピン人が優しいからなのだろうか。僕は大事にすることを問題にしているのではなく、本来はしかるべきところも優しく甘やかすから、そんなところを問題視している。

モナが言った。
「ママはわたしたちにはすごく厳しかったんだけどなぁ」
「でもおばあちゃんは優しかったでしょ?」
「オッオー」
「同じだよ。ベルやユリには、あなたも厳しく躾けをしなくちゃいけないってことだよ」
「そうねぇ」

それにしてもユリの泣き方は凄まじい。泣くときには手足をばたつかせて暴れるように泣く。だからモナも電話で「ユリが泣いている」とは言わない。「ユリがまた暴れてる」と言う。もしかしたら、物凄く我が強い子供なのかもしれない。
この半フィリピーナ、一体どのように育つのであろうか。実は少し心配である。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:77.ユリが暴れる
2010年01月19日

76.身近な危険

フィリピン現地では、僕の足となるのは自転車とバイクである。フィリピンへ入国後30日間は日本の免許証とパスポートで、自動車やバイクの運転ができる。
期間限定ではなく、きちんと運転できる車免許を得るには、日本で国際免許を取るか、マニラ大使館で日本の免許証を翻訳してもらい所定の機関に持ち込むか、もしくは現地で免許証を新規に取ってしまうという方法があるらしい。
現地で新規に免許証を取得するためには、タガログか英語の読み書きができる必要があるが、それよりも、連続で5ヶ月間フィリピンに滞在している条件をクリアする方が、今の僕には難しい。それ以外は日本のように何十万も費用がかかるわけでもないし、筆記も実地の両試験もそれほど難しいわけではなさそうである。

とにかく今は、暫定でパスポートと日本の免許証でバイクを運転しているのだが、運転も次第に慣れてきて、たまに一人で遠出することがある。
気晴らしにどこかへふらっと行こうとすると、たまにベルやアンも一緒に行くと言い出し、ついでに女子大生のティナイも行くとなると、フィリピンで最初に見かけて驚いた、バイク4人乗りとなる。そうなると僕は、シートの先端までお尻をずらし、自分の胸のすぐ前にハンドルがある状態で運転しなければならず、運転しづらいために嫌いなのであるが、断ることもできずに30分ほどのバイク4人乗りドライブとなる。4人乗りのバイクなど信じられないと驚いて見ていたあれを、まさか自分がそれをやって町中を走っているなんて、それこそ信じられないと思いながら運転しているわけである。
この姿勢での運転は、ほんの30分だけでもお尻が痛くなり疲れるので、家に無事に帰りついたときには、ホッとしながら思わず体を屈伸してしまう。たまに5人以上が乗って走っているバイクを見かけるが、あれは見た目以上の体力とテクニックが必要となることがわかった。

一人の時にはゆったりと運転ができる。万が一アクシデントがあっても、犠牲は自分だけで済むので気が楽である。だからついつい冒険心がむくむくと湧き上がり、それまで行ったことのない所へとふらふらと行ってしまうのだ。

僕の住んでいるタバコシティーの中心に近いところはもともと田舎だが、旧家の前の道路をバイクで10分も走らせると更に田舎の風景となる。道幅が4mほどの、コンクリート道で、メンテナンスがきちんとできていないから、かなりでこぼこしている。
その道沿いには、小さなサリサリストア(コンビニストア)がたくさんあり、加えて粗末な食堂やパン屋などの店が点在している。道沿いの家は、ごくたまに立派ものもあるのだが、ほとんどが古くて小さな家で、台風が来たら吹き飛んでしまいそうなものが多い。屋根はトタンが圧倒的に多いが、中には日本のわらぶき屋根のような、バナナの葉のようなもので作られたものもある。(バナナの葉ではないそうです。一度聞きましたが、何の木の葉か忘れてしまいました)
道路にはあちこちで犬が寝そべっていて、子供もたくさん走り回っている。自分たちの食べるものにも事欠いている状態で、なぜ犬を飼っているのかというと、セキュリティーの為だそうだ。要は不法侵入者や誰かの来訪があったときに、犬が吠えるのですぐにわかるということである。僕が住んでいた古い家や今のジャマイカの家にも犬がいるが、確かに誰かが来るとすぐにわかる。
とにかく道路に障害物が多く、そしていつ何時、何が飛び出してくるのかわからないから、走行速度はかなり緩めでいつも安全運転を心がける。

ある日モナをバイクで美容院に送り届けた。一旦家に帰って、彼女のカットが終わったら再び電話をもらう予定だったが、美容院を出てから左に曲がれば家への帰り道のところを、ふと右に曲がった。いつも、この先はどのようになっているのだろうと、日ごろ思っていたからである。方角は、今噴火をしているマヨン山方面である。ジャマイカの家からマヨン山の麓に、日本の富士の樹海のような場所が見えるのだが、きっとその辺に繋がっているはずであった。樹海の中から時々煙が上がっていたから、人が住んでいるのだろうと思っていた。僕はその煙を見ながら、あのような山の中でどのような暮らしをしているのか、一度見てみたいといつも思っていた。

走って10分ほどは、サリサリストアーや小学校があり、タバコシティー中心地近くと大差ない町並みであったが、次第に道幅が狭まっていく。そしてあるカーブを曲がった瞬間、目の前にのどかな田園風景が突然現れた。突如として現れたその風景は、腰を下ろしておにぎりでも食べたらいいだろうなぁと感じるような、素朴で美しい風景だった。カーブを挟んでものの見事に周囲の雰囲気が変わったことが、僕に何か不思議な感じを抱かせた。
カーブの後は、しばらく田んぼの中をまっすぐな道路が続いており、周囲は山がせり上がる淵まで家が一軒もなく、広大な田園が見渡せる。南国風の木(やしの木)が点々と存在するが、田んぼとそれらの木が、一見ミスマッチのようで実は独特の雰囲気を作り出していた。しかも田んぼの中には、3人の大人が余裕で上がれるような2m〜3mの黒い大きな石がところどころにごろっと落ちている。それはレガスピに行く途中にある、マヨン山から流れ落ちてきた溶岩が固まった石と同じであったから、きっと溶岩なのだろう。大昔に噴火と一緒に飛んできたものなのか、それとも雨で山から流れ落ちたものなのか、もしくは最近でもたまにそんな石が流れてくるのか、それはよくわからなかったが、自分が住んでいるところからバイクでわずか10分から15分のところに、溶岩のかたまりがごろごろ落ちているというのは、ある意味衝撃的だった。みんなが、マヨン山が噴火をしてもタバコシティーは安全だと話していたが、それは当てにならないことを意味すると思われるからである。しかしドライブの途中で見る風景としては、あちこちに転がっている溶岩でさえも不思議な光景を作り出していて、見ごたえがあるのである。

田園風景の中を走っていると、その先にはもう人里がないような気がしたのだが、そこを抜けると村が出現した。300mほどの距離で、道路の両側に家が立ち並んでいた。サリサリストアもある。パジャック(自転車のトライスケル)やトライスケルが道端に車両を停めて、ドライバーがたむろしながら話しこんでいるが、僕がバイクで近づくと一斉にこちらを見る。おそらくよそ者が来たら珍しいのだろう。そしてそのよそ者がフィリピン人ではないから、ますます怪訝に思っているような気配である。こちらは一人なので、得体の知れない恐怖を感じ、できるだけ目を合わさないようにしながらその横を通り過ぎる。
村を通り過ぎると、再び田園風景が始まり、また村となる。村を通る時には、村人の執拗な視線を感じるので少し苦手意識が芽生えるが、とりあえず行ける所まで行ってみようと更に前に進む。そのうちコンクリート道が砂利道に変わり、水の流れていない砂利底が見える川を今にも崩れ落ちそうな橋で渡り、かなり山道のなってくるのであるが、またコンクリート道になり村が出現する。
タバコシティーを出てから40分以上は走っていた。途中からはずっと上り坂になっているので、かなり上まで上っているような気がして振り返ってみると、海が眼下に大きく広がっていた。マヨン山を相当上ってしまったようだった。その頃マヨン山は、既に噴火が始まっていたので、僕は溶岩でも見ることができるかと期待したのだが、レガスピとは反対側なので、噴火の兆候を感じるものは何一つなかった。
そろそろ引き返すべきかと思いながらも、引き込まれるように進んで行くと、やはり村がある。その辺りに住んでいる子供たちは、きっと毎日相当歩いて学校へ通っているか、もしくは学校など行っていないかもしれない。フィリピンでは平日の学校がある時間でも、普通に子供たちを見かけるのだが、その子供たちは学校へは行かないそうだ。そんな子供が相当数いるらしい。
生活の足は、もちろんパジャックかトライスケルである。しかしかなりの上り坂でパジャックでの商売はきついのか、上に行くほどバイクのトライスケルが圧倒的に多くなった。
水道が来ている様子はなく、湧き水や井戸水で生活しているようである。電柱がないので、おそらく電気もきていない。よってテレビや音楽の音もなく、下界の町とは違い静かだ。
村人の突き刺すような視線が痛い。彼らの視線は、町で日本人を物珍しく見る人のそれとは少し違うような気がした。それを避けるように進んでいるために、引き返すタイミングをずっと逃している。すぐに引き返したら、また同じような視線を浴びることになるので、少し時間を稼ぎたいという心境である。

道はとうとう、本格的な山道になった。道幅がぐっと狭くなり、曲がりくねっている。先ほどまでは山道でも、大量のココナツを長い棒にぶら下げ運んでいる人などとすれ違ったが、そんな人ですら見かけなくなってしまった。また人のいる気配など微塵もなくなった。
そろそろ諦め時かと思っていると、看板が出てきた。この先6kmはデンジャラスエリア(危険地帯)と書いている。一瞬噴火の関係かと思ったが、それにしては看板が古い。噴火の関係であれば、最近立てたはずであるから、どうもそれではなさそうだ。看板にはアンチミリタリーとか、よく意味のわからないことが書いあった。アンチミリタリーは直訳すると反軍であり、それはわかったのだが、しかし僕はその時その看板の本当の意味を理解していなかった。
しかし結局、多少湧き上がった興味を押さえ込み、その看板をきっかけに僕は引き返してきた。

帰りは時折前方に海が見える。しかもそれがかなり下に広がっているので、思いのほか高いところまで上がってきたことを知る。こんな山奥で事故などを起こすと大変なので、バイクのギアは1速、2速を多用し、エンジンブレーキを活用しながらゆっくりと降りた。ようやく人里のあるところまでくると、なんとトライスケルはガソリンを節約するために、下りはエンジンをかけずに走っている。上り下りがあるわけではなく、行きは上りのみ、帰りは下りのみなので、確かにエンジンを止めてもかなり下までは降りてくることができるわけだ。村を通るたびに、やはり人々の視線は気になるが、先ほどのように自分を執拗に目で追いかけることはなくなった。きっと彼らは、その先には山だけで何もないことを知っていたから、僕がどこへ行くんだと思いあのように見ていたのだろうと、その時の僕は思っていた。

無事に町までたどり着くと、モナはまだ美容院にいた。ヘアーパックやフットマッサージなどをやっていたということで、僕が美容院に着いたときにはまだカットの途中だった。
カットが終了すると、モナは1500ペソを払っていた。僕のヘアカットは30ペソだから、それの50倍の値段だ。それでももしマニラで同じようなことをすると、もっと高いことを知っていたので、むしろ田舎は安いと感じる。

モナにバイクで山へ行ったと教えると、僕が見た看板の話をする前に「え?」と驚かれた。
その山にはテロ集団のような武装反軍組織が潜伏していて、地元の人も危険なので近づかないと言われた。それでようやく、先ほどのアンチミリタリーの意味がわかった。彼らは活動資金を稼ぐために、人さらいなどは朝飯前だそうである。もし日本人の僕が彼らに見つかっていたら、格好の餌食になっていた可能性があったそうだ。
その話を聞いて、あの村人たちの妙な視線も納得した。この先はやばいのにどこへ行くんだと思っていたのだ。
以前は軍が山に入り込んで討伐もしていたそうだが、最近はそんな話をあまり聞かなくなったということである。

それにしてもバイクで1時間しかかからないところにそのような非合法組織がいるなどと、ずいぶん現実離れした話が身近にあるものだと、僕はそのことに驚いた。そんな危ないところは、ミンダナオの一部だけだと思っていたからである。
おそらく良くはなってきているのであろうが、まだまだ法治国家として体をなしていないフィリピンであることを再認識した出来事であった。

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