フィリピーナと共に
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2010年01月15日

72.日本とフィリピンの近況

昨日、ホームシックだと書いたら、ある方がメールをくれた。きっと僕が寂しがって、しくしく泣いているかもしれないと、慰めのつもりでくれたに違いない。
事実そんな気持ちに触れると、元気がでる。ありがたい話だ。

それにしても、日本の寒さは異常だ。僕は以前、日本の四季を賞賛する内容の記事を書いたが、それにしてもこの寒さは嫌いだ。どうせ寒いなら雪でも降れば風情もあると思うのだが、この乾ききった日本に雪の無い寒さは堪える。まるで自分の周囲の世界が、全て灰色に見える。それが僕の、雪のない冬のイメージである。

フィリピンは僕に言わせると万年夏(フィリピン人に言わせると、一応シーズンがある)であるが、しかし以外と気候の面では過ごしやすい。これは住んでみて意外であった。マニラのような都会は別かもしれないが、タバコシティー、特にジャマイカで暮らす分には、エアコンは不要である。家の中も含め、陽射しのあたらない場所にいれば涼しいし、そこへ高原のような風がやや強めに吹いているので、昼寝には最高である。今テラスにはハンモッグがあり、そこに寝転んでうつらうつらとするのは最高の贅沢だ。
雨が多いのがたまにきずであるが、フィリピンではその雨でさえ、風情を感じることもある。大粒の雨音が、車のクラクションや鶏の泣き声、家のどこかで鳴っている騒がしいTVやスレテオの騒然とした音を全て掻き消し、自分がまるで閉ざされた特別な空間にいるような気分になり、気が研ぎ澄まされるような錯覚に陥る。そして夜の雨音は、自分を深い眠りへと誘い込む、不思議な安心感が得られる。
今日のモナの話では、タバコシティーは僕が日本へ帰ってから毎日雨だそうだが、やや強めの風も吹いているようで、風のヒューヒューという音がかなり聞こえるらしい。モナは怖いと言うが、僕はそんな話を聞くと、また早く家に帰りたくなってくる。

今日の話では、ノエルがとうとう家を出たそうだ。ロンがいるにも関わらず、意外とすんなりと自宅へ帰ったようである。少し拍子抜けするほどだったが、彼が自分の家に帰ることで、彼の家に住み着いたママの妹に対するけん制にもなるから、一石二鳥というものである。
僕は、自分が日本に帰ったら、ノエルの件はなし崩し的に解決しないのではないかと思っていた。ノエルも僕の目を気にしている節があったので、天敵がいなくなった家で、ますます羽を伸ばすのではないかと思っていたのだ。ノエルの居候終了には、きっとママが少しがんばった背景があると思われる。もしかしたら、少し小遣いを渡したかもしれない。そしてママががんばった一番の理由は、やはりモナがノエルの同居を気にしていたことだと思う。
もうジャマイカの家に引っ越したのだから、家の主は僕とモナである。ママにはそのような認識があるようで、だからママはジャマイカの家に引越しをしたくなかったのではないかとも邪推している。これまでモナが生活全般のお金を出してはいても、何かの物事を決めるのは全てママであった。住んでいたのがダディーとママの家だから、そこにいる限り主はダディーとママで、実質的にはママの天下であった。
しかしこれからはそうもいかないという点に、ママの寂しさがあるような気がするのである。そしてママはそのルールに従順に従い、モナの意向に沿った対応をしたのではないかと思われる。
ノエルが追い出された事実は、誰もがそこへ住み着いてもいいというわけではないということを、ママの兄弟に知らしめることになるわけで、悪しき前例を作らずに済んで良かったと思っている。しかし相手は細かいことなど気にしない南国気質な連中なので、安心はしていられない。おかしな言動には目を光らせて、その都度対応しなければならないことはこれからも同じである。

ロンは僕と一緒に仕事をするという話がはっきりしないために、自分のビジネスのことも考えているらしい。食べ物屋さんをやるつもりらしく、連日キッチンへ入り込んで、メニューの研究をしているそうだ。
真剣に取り組む姿勢は評価できるのだが、モナにビジネスパートナーになってくれとお願いをしているらしい。つまりは出資をしろということである。僕はそれについて基本は反対である。この先どうなるかわからないことに、いくら必要なのかはわからないが、安くない金額を投資するのは困る話である。少なくとも、もっと様子をしっかりとつかんでからでなければ判断はできない。お金が絡む話であるから、とにかくあなたの一存で話を進めないでくれとお願いした。

そしてジンは、相変わらずぶらぶらと好き勝手な生活をおくっているとのことであった。ジンの話をする時には、モナの話し振りにも冷ややかな感じがこもっている。彼女もジンについては、どうしようもないと考えているらしい。モナは、ノエルの次はジンだという話までしていたから、彼女は珍しく、本当に頭にきているのかもしれない。しかしモナよりも、親であるダディーやママに、そのように思って欲しいのである。息子の自立を真剣に願うのであれば、早く荒療治にとりかかるべきである。このままでは、また相変わらずの生活が、ずるずると何年も継続されることになる。


さて、僕の日本の仕事はというと、今のところは順調に進んでいる。今のところ、予定よりも一日アドバンスしている。この調子で進めば、少なくとも更に2〜3日は前倒しで進みそうだ。
フィリピンには2月1日のフライトで帰ることになりそうだが、その日の夕方にはそのままマニラからセブのお客さんの工場に飛び、翌日2日の昼にマニラへ戻る。そしてその晩はマニラから車で4時間の場所にある別のお客さんの工場近くのホテルへ移動し、翌日3日の朝からお客さんの工場へと出向く。3日の夜はクラークへ移動、宿泊となり、4日は朝から、また更に別のお客さんの所へ行き、夕方にマニラへ戻る。僕がタバコシティーに帰れるのは5日の朝ということになるが、7日にはまたマニラ出張があり、それが2〜3日になる可能性がある。更に多少スケジュールが流動的ではあるが、2月15日からセブにて、今回作っている成型機の設置、動作確認、現地スタッフの教育が始まる予定となっている。当初このセブ出張では、僕の仕事は一週間程度で終わる予定であったが、現在お客さんの詳しい話を聞く限りでは、最低2週間はかかりそうな雰囲気である。2月中旬の立ち上げは、お客サイドの日本から出向く支援者の出張を大幅に削減しメカ屋さんを一人、電気関係は全て僕に対応して欲しいという話しが、むしの良い話ではありますが・・という前置きがついて伝えられた。こちらは大きな売り上げ(日本と同じ料金)がたつので、仕事としては良いのだが、まだ子供が手のかかる時期に家を頻繁にあけるのは、モナに対して気が引ける。これらがひと段落すると、またマレーシアにも行かなければならないから、なお更である。
モナはまだこのような当面のスケジュールを知らないが、もし知ったら何というだろうか。きっと2月中旬のセブ出張には同行すると言い出しそうだが、こちらもそれを断り難い状況である。最近モナは、次のマレーシアの出張に自分も連れて行って欲しいと言い出しているくらいである。さすがにマレーシアともなると、飛行機代がそれほど安くはないので辛いと話したら、それ会社が出してくれないのと、トンチンカンなことを言い出した。でるわけがないじゃないかと一蹴すると、不思議そうにそうかという返事が返ってきたが、どうも納得をしていないようである。なぜ仕事で家族が犠牲にならなければならないのか、その辺りが納得できないようだ。モナには、夫の仕事に対して、日本人のような理解はないのである。もっともアメリカもヨーロッパも、家族のことは仕事より大切だと考えるのが普通であり、この件はフィリピン人よりも日本人の方が特殊な考え方を持っていると言うべきかもしれない。
いずれにしてもそんな感じであるから、セブくらいであれば費用面は何とかなりそうなので、モナは本当にその出張に同行するかもしれない。そうなれば当然ユリも連れて行くだろうから、初めての子連れ出張ということになる。前代未聞と言われるかもしれない。


今日帰宅後にモナに電話をしたら、彼女は居眠りをしていたようだ。風邪を引いていることもあり、その声は疲れきっていた。最近は夜中に何度もユリが起きるらしく、寝不足で参っているらしい。ユリは機嫌が悪いと、手足をばたつかせて暴れるように泣く。そうなると抱いても何をしても中々泣き止まない。そうなったユリには、僕もほとほと手を焼き、寝かしつけるころにはこちらが疲労困憊となる。だからモナが疲れているのが手に取るようにわかるわけだ。
早く帰ってきてと言われ、今後しばらくのスケジュールを、また伝えそびれてしまった。彼女の疲れて弱々しい声を聞いたら、とてもそのような残酷な話はできなくなくなってしまった。モナはショッキングな話を聞くと、いつも気が萎えてしまい、とたんに元気がなくなってしまう。
さてさて、どうしたものだろうか。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:72.日本とフィリピンの近況
2010年01月13日

71.日本でフィリピンを考える

久しぶりに日本へ帰ると、落ち着かない。精神的な安定感がないのである。
それは搭乗した飛行機が成田空港に着陸した時から始まっていた。リムジンバスに乗り込むと、その兆候がますます激化する。気持ちがどんよりとしている。

フィリピンの田舎町で暮らしている時には、あれほど食べたかった牛丼もすしも、なぜか食べたいと思わない。それでも最初から決めていたラーメン屋に入って、それを夕食にしたのだが、当初想像していたような感激はなかった。そして既にフィリピンに帰りたくなっている。

あれほどイライラするフィリピンであるが、それでも自分にとっては何らかの精神安定剤がそこにあるようだ。

帰国前夜のマニラのホテルでは、夜ゆったりと過ごすことができたせいか、モナとはいつもと違う会話になった。

「やっぱりアサワ(夫)がいると、生活変わるなぁ」とモナが突然言い出した。
「何が変わった?」
「アコは前、どこか行きたい所があれば、どこにでもすぐに行けたよ。例えばレガスピに行きたいとか、マニラに行きたいとか。でも今、それできないなぁ。ユリもいるからねぇ」
「はあ、行けばいいじゃない。大丈夫だよ。で、他には何が変わった?」
「やりたいときに、すぐできるなぁ・・へへへ」
「ばか!それで?前と今でどっちがいいの?」
「それはいまでしょ!でもあなた大変じゃない」
「なんで?」
「いつもみんな一緒で、疲れない?」
「さあ、どうかなぁ。疲れるときもあるなぁ」

そう、確かに疲れるのである。そしてモナも、僕がいることで気を使い疲れることが多いはずである。しかし誰もいなくなると寂しさを覚えるというのも事実である。そして今、日本に帰ると文句を言うこともないが、寂しいのである。
ユリが中々寝付かないので大変だという話を聞くと、その場にいた時にはイラつきもするのだが、ここではなぜか、自分が寝かしつけてモナを助けてあげたいと思うし、ノエルがまだここに住んでいるという話を聞くと、それもまた、まあゆっくりと様子を見ればなどと思えてしまう。

そして日本のかっちりとした仕組みを見るたびに、あのフィリピンのいい加減さもまた懐かしく思うのである。これは不思議な現象だ。あれはあれで、良いのかもしれないなぁなどと、のんきな気持ちで思い返すことができる。

やはり人間はいい加減な生き物だから、いい加減な社会というものは、受け入れやすいのだろうか。実はフィリピンのような社会は、疲れるようで疲れないということに、僕は時々気づくのである。フィリピンで悩んでいることなど、日本で抱える深刻な悩みに比べたら大したことはない。
レジが遅いだとか、家具の配送が適当だとか、ガソリン代の200円をせびられる度に何で僕が払うなどと思うことは、屁の河童である。
時折訪れる停電や断水など、こちらに休息の時間を与えてくれたと思えば何のことはない。
たかりのような実態があるといっても、こちらの生活に支障を来たすほど困ることではない。しかもこちらには、様々な決定権がある。これは大きい。自分が決めることができるということは、実は大変に見えることでも、さほど大変ではないのである。心のどこかに、決定権があるということでゆとりがあるのだ。
それがいつしか、驕りのような形で自然と表に出ているかもしれない。様々なイライラ感は、実は自分の驕りの裏返しなのかもしれないと思うこともある。
フィリピンの空港で意地汚いたかりに、ふんと気高く振舞うことで自分の尊厳を確認したり維持しているような、嫌らしい自分がいるような気もするのだ。


いずれにしても、こうして日本とフィリピンを行き来していると実にわかりやすい。自分には、日本が肌に合わなくなってきているようである。

日本では単なる一歯車のような、ちっぽけな存在が、フィリピンに行ったとたんに日本人というブランドを纏うことになるのだから、なにかとちやほやされて、それだけでもフィリピンに行くと面白い、楽しいという人が多いだろう。
もしかしたら、自分が最初にフィリピンに魅せられたのは、それだったのかもしれないと思ったりする。
しかし今は、フィリピンのことを良く知った上で、もっと違うものが大きく自分の心の中を占めている。もちろんその中には、モナやベルやユリという家族がいることも大きなウエイトを占めているのであるが、果たしてそれだけではなさそうだ。
モナには、もし僕の日本滞在が長くなるようであれば、自分のVISA取得申請をすぐにお願いすると言われている。彼女のことであるから、VISAさえ取れればお金の有る無しに関わらず、すぐに日本に飛んでくるに違いない。家族が日本に揃ったらよりハッピーになるかというと、やはりフィリピンにおけるみんなとの暮らしが懐かしくなるような気がするのである。

適度な問題が生きている実感に繋がっているし、社会的ないい加減さが、責任転嫁の理由にもなるから疲れないということもある。
こんなことを考えていると、自分もフィリピン人のようになっているのかとハッとするが、事実そうである。貧しくても、そんな生き方の方が人間は幸せなのかもしれないと思うことさえある。
今更ながらに、かつて日本で働くフィリピーナの、日本はストレスが多い、日本で暮らして、初めてストレスという言葉の意味がわかったという言葉が思い出され、そして身にしみる。

日本へ帰っていきなりストレスを感じているわけではないが、どうやら早速ホームシックにかかっているようだ。
成田からのどんよりとした気持ちを引きずりながら、あれこれとこのようなことを考えている。

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2010年01月12日

70.結婚セレモニーとレセプション

さて、急遽結婚のセレモニーとレセプションもしてしまおうということで、マニラまでの飛行機の時間もわざわざ繰り上げて、マニラに到着したのが朝の9時。飛行機の予約を変更するにも、いちいち手数料を取られる。本日はレガスピからマニラまでPALで飛んだ。朝から天候不調で心配していたが、セブパシフィックは欠航になり、空港にはリブッキングの人が長蛇の列を作っていた。少々高いが、PALにしておいて正解である。

マニラに到着すると、昼過ぎから予定していたセレモニーが夕方4時半に変更になったとのこと。やはりフィリピンで、予定は未定だ。もともとは空港から直接会場のあるケイソンシティーまで移動する予定になっていた。ころころとスケジュールが変わる。
さてさてホテルのチェックインまで、小さな子供連れでどうしようかと思ったが、ものは試しでチェックインができるかどうか、とりあえずホテルへと行ってみた。だめであれば荷物だけを預かってもらおうと思ったのだが、赤ん坊がいるからということで、快くチェックインを了解してもらう。しかも、赤ん坊用のベッドまで用意しますと言われ、部屋に入るとそれがすばやくきちんと設置されていた。やはり高級ホテルのサービスは違う。
ちなみにホテルは、マラテのパンパシフィック。全てのスタッフが、礼儀正しく親切である。
マニラで宿泊するときには、最近はいつもマラテである。僕にとってはあの地区が、とても居心地が良い。
しかしここ最近、節約のためにとんでもないホテルに泊まることが多かった。僕はもともと泊まれれば良いという考えもあるのだが、同じマラテのロビンソン前にあるホテル(2つ星)は、部屋にはものの見事に何もない。コーヒー豆は持参していたので、コーヒーを飲むたびにわざわざ電話をしてお湯をもらうのだが、その度に10ペソをとられる。ベッドのかけ布団は、布団ではなくシーツだけである。これでは寒いとブランケットをお願いすると、それも有料である。大した金額ではないものの、こまごまといちいちお金を取られると、なにかうんざりとする。星の数の違いとは、こんなことを意味するのかと初めてわかった。
さすがに超安いホテルには嫌気がさして、今回は赤ん坊もいるからと、まともなホテルへ泊まることにしたのだったが、様々なサービス面がとても快適であった。もっとも宿泊代もそれなりに高いのだが・・・。

3時にホテルにお迎えがあり、ケイソンシティーのセレモニー会場へと向かう。
実は僕は会場に到着するまで、そこで何が起こるのか全く知らなかった。それまで、今回のセレモニー会場は本物を使うと言われていたが、その本物の意味も良くわかっていなかった。
一応ペーパー上は、僕とモナの結婚は成立している。結婚証明書も手元に届いていた。にも関わらず、残りは一体何が必要なのか、僕にはよく理解できていなかった。日本で手続きをするために、写真が必要だからそれを撮るためなのか・・、その程度に考えていた。

今回の二人の結婚は、少し変である。本物の結婚なのだが、進め方はイミテーション結婚。それはまともな手続きでずっこけたからであって、子供が生まれる前に、手早く手続きを完了させようと急遽プロにお願いしたために、そんな変則的な有様になっている。

会場へ到着すると、会場の中庭で本物のセレモニーが行われていた。会場には着飾った招待客と、幸せそうに手を取り合う花婿と花嫁。雰囲気を盛り上げる音楽が流れ、ビデオや写真のカメラマンが数人、結婚をする二人を追いかけている。
その会場の入り口は、最後に結婚した二人が歩いて出てくるために、綺麗な花びらが敷き詰められた花道ができており、道の両脇は白いレース生地の布で美しく飾られている。そしてその道の出口は、いかにも結婚の門出を祝うような花のアーチがあった。

会場では初めて会うおばさんが僕たちを待ち構えており、僕とモナに色々と指示を出す。
僕たちはその本物のセレモニーが行われているのを横目で見ながら、おばさんに言われる通りにそのアーチの前に用意された白いテーブルの前に二人で並んだり、書類にサインをする振りをしたり、はたまたキスをしているところの写真を撮られるのである。モナはお腹にタオルを入れ、妊娠中に見えるようにしている。なにせ二人の結婚は、子供が生まれる前に完了しているのだから、写真は妊娠中でなければならない。
一通り写真を撮り終わっても尚、みんなが何かを待っている。すると脇で行われている本物のセレモニーがひと段落したところで、その会場から一人のおじさんが出てきた。
僕とモナは再び言われるがままに、そのおじさんを前にして宣誓をする振りをしたり、そのおじさんがサインをしているところを写真に撮られるのである。そしてそのおじさんに言われ、その人の前で再びキスをしているところも写真におさめられた。
僕は実は、宣誓だけでもきちんと行うために、その場に行くのだと思っていたが、そこではただただ写真を撮るためだけに行ったようだった。だから、一枚の写真を撮り終わると、はい次は○○の写真を撮りますよ、という感じでどんどん進行していく。カメラに収められる写真は、全てふりである。僕は言われるがままにしていたが、どうにも腑に落ちない点がいくつかあった。

まず、その撮影を仕切っているおばさんは一体だれかということだ。するとそのおばさんは、ケイソンシティーの役所に勤め、結婚関係の手続きを担当している本物の職員だった。そして本物のセレモニー会場から出てきたおじさんは、結婚のジャッジをする人らしい。どこかの教会の、本物の偉い牧師だとか。フィリピンでは、結婚の際にジャッジの資格を持った人(市長や弁護士、牧師等々)のサインが必要となる。
つまり役者は本物で、しかも今回は、誰もが疑わない人にしたとのことだった。
僕とモナの結婚は、本物の結婚であるはずなのだが、流れに乗って言われるがままにしていると、まるでイミテーション結婚の書類を作成しているような気分になる。
モナがポツリと「今日のセレモニーで、本物はキスだけだなぁ」と言った。

しかし僕たちの手元には、すでに結婚証明書があるのである。なぜ今更、そんな写真が必要なのか僕にはわからなかったので、今回の手続き全般をお願いをした方にそれを訊いてみた。すると、僕たちが手にした書類は本物の結婚証明書ではあるが、ローカルペーパーだそうだ。
以前はローカルペーパーでも、日本での結婚届けやイミグレーションは問題なかったが、最近はフィリピン政府機関のNSOが発行する正式証明書がないと問題になるらしい。そこで、ケイソンシティーから政府機関に書類を上げて、NSO発行の書類を入手するために、セレモニーやレセプションの写真が必要とのことであった。そしてジャッジのサインをくれた本人もそこに写っていないと、あとで追求されたときに心配だということであった。
本物の結婚なのだが、疑われないように完璧にするという変な話である。
もちろん日本の役所もしくはイミグレーションで、二人のセレモニーやレセプションの写真は必要となる。

ジャッジの方の写真を撮り終えると、次はレセプション会場へと向かった。車で30分ほど走ったところのレストランである。
中に入ると、レストランの一角に円卓が3つ、そして二人のひな壇がセットされ、料理もすでにテーブルの上に並んでいた。
レストランには、中が空っぽの綺麗にラップされた大小様々なプレゼントが運び込まれ、それが二人のひな壇の横の机の上に、てんこ盛りに並べられる。そしてプレゼントの横には、僕とモナの名前入りケーキまで用意された。プレゼントなどの小道具は、イミテーション結婚の偽装写真を撮る際、以前から使用しているものだそうだが、ケーキは食べられる本物である。
そして会場に、初めて会う参加者の方が、続々と集まりだした。日本語で「このたびはおめでとうございます」と言いながら入ってくる人もいて、思わず「ありがとうございます」などと答えるのだが、そう答える自分がが、何か間抜けな感じがしてしまう。
会場に集まったエキストラは、たまにあるイミテーション結婚の偽装レセプションで慣れているのか、写真撮影の時には如何にもというポーズや顔を作る。わざわざ時間を割いて来てくれるのだが、日当は無しだそうだ。みんなただでご馳走を食べることができるということで、喜んで集まってくれるらしい。それでも女性は、それらしいよそ行きの服を着て駆けつけてくれる。
会場は結婚のセレモニーらしい盛り上がりなど一切無いのだが、写真だけは本物らしく撮れている。そして写真を一通り撮り、食べ物も食べ終わると、さっさと撤収となる。時間は1時間ほどであるから、残ったご馳走は酒のつまみにすると言い、みんな持ち帰りように包んでもらっていた。本当に無駄がなくて、その点は気持ちがいい。

ここまでくると、変な言い方であるが、本物のイミテーション結婚のような気がしてしまい、妙な気分に陥ってしまう。
集まった人たちは、二人の結婚が本物であることは知っていたらしいのだが・・。

とにかく煩わし儀式は終了した。
しかし僕は、一つだけ気になることがあった。子供が結婚より先にできたことで慌しくこのようなことをしているのだが、モナはきっと本当のセレモニーでウエディングドレスを着たいに違いないと思っていた。それは先ほど、本物の花嫁を追いかけるモナの目を見て気が付いた。
それをさりげなく訊いてみると、「オッオー」と短い返事が返ってきた。
そこで、生活がひと段落した結婚1周年、つまり今年の書類上の結婚記念日にに、ウエディングドレスを用意してセレモニーをしようと約束をした。「お金があったらね」というのがモナの返事だったが、その顔には笑みが浮かんでいた。


ホテルに戻ったのは、夜の7時半であった。ホテルに帰ると、モナがサンダルが壊れたと言い出した。見ると片方の靴底の先が、パカパカと剥がれている。そのサンダルは、昨年3月に、ロビンソンで1000ペソで購入したもので、まだあまり履いていない。
「あ〜、やっぱりフィリピンで買ったものはだめだなぁ」といいながら、自分の靴に目を落とすと、何と僕が履いている黒い皮靴の表面がぼろぼろに剥がれ落ちて、所々安っぽい下地が見えまだら模様になっている。実は引越しの際に、僕の靴が無くなってしまったので、ジンが大学を卒業したときに一回だけ履いたという革靴を借りてきたのだった。
モナのサンダルより重症である。僕はタバコシティーからは半ズボンとサンダル、そして日本へ帰る時にはジーンズにその革靴を履いて帰ろうと思っていたので、他の履物は持ってきていない。

すぐにロビンソンに二人の履物を買いに行くことにしたのだが、結局モナのサンダルだけを買って、僕の靴は買うのをやめた。サンダルで帰ることにしたからである。モナは冬にサンダルで帰るのは変だと言ったが、日本に帰ったらシューズはいくらでもあるので、もったいないと思ってしまったからだった。

結局僕は、素足にサンダルで帰ってきたのである。
今日マニラの空港でチェックインをしたら、なぜかシートがジャンボの2階席のビジネスクラスになった。初めて完全にフラットになるシートを体験できて、飛行機の中ではすこぶる快適であった。シートの間隔が十分ありとてもゆったりとしている。リクライニングは全て電動で、10箇所以上もポジションがアジャストできるようになっている。
僕の隣には、恰幅の良いアメリカ人が座ったが、彼は寝そべった僕の、素足にサンダルという僕の足元を怪訝そうに見ていた。
成田についてからは、とにかく足元が寒かった。さすがに素足にサンダルは、僕一人だけである。事情があるにしても、周囲やすれ違う人が僕の足元をちらっと見るのがわかるたびに、少し恥ずかしい思いをしながら地元まで帰ってきた。これがフィリピンであれば、どうということはない。
やはり日本は、色々な意味で寒いと思った。

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